オーストリアのラック鉄道-シュネーベルク鉄道
シュネーベルク鉄道 Schneebergbahn
プフベルク・アム・シュネーベルク Puchberg am Schneeberg ~ホッホシュネーベルク Hochschneeberg 間 9.8km
軌間1000mm、非電化、アプト式ラック鉄道、最急勾配196‰
1897年開通
◆
首都ウィーンの西から南西にかけては麗しい緑の山々が広がっている。そのうち市街に比較的近いエリアをウィーンの森、ウィーナーヴァルト Wienerwald(下注)と呼ぶのは、ワルツの名曲を引き合いに出すまでもなく周知のことだ。それに対してさらに遠方、南西方向に見える山々は、ウィーナー・ハウスベルゲ Wiener Hausberge と総称される。ウィーン市民にとっての地元の山々という語義だが、その範囲は70~80km離れた標高2000m級の山塊まで含んでいる。シュネーベルク山 Schneeberg やラックス山 Rax は、その代表格だ。
今回は、そのシュネーベルクへ100年以上も走り続けているラック式登山鉄道を紹介したい。
*注 本稿ではドイツ語のWの日本語表記をヴとしているが、Wien, Wienerのみ、慣例に従いウィーン、ウィーナーとした。
シュネーベルク鉄道の蒸機列車(1999年8月撮影) |
シュネーベルクのピークは標高2076m。ニーダーエースタライヒ Niederösterreich 州では第一の高峰で、広域的にもアルプス山脈の最東端に位置づけられる。加えて、ウィーンに北東側すなわち日陰の斜面を向けているので、最も遅い時期まで残雪が見える。ドイツ語で雪の山という山名がつくゆえんだ。
堂々とした山塊は石灰岩で構成されている。緩やかな起伏の山上、険しい崖の連なる山腹と、山容は変化に富み、夏はトレッキング、冬場はスキーを楽しむ人々の主たる目的地だ。それだけでなく、降った雨は地下深く浸み込み、山裾で豊富に湧き出している。大都市には珍しくそのまま飲用できるウィーンの上質な水道水は、これを水源としている(下注)。市民にとって身近な存在であることが、この山に登山鉄道が敷かれた主たる理由であることは間違いない。
*注 1873年に延長94.75kmの第一ウィーン山岳泉源水道 I. Wiener Hochquellenwasserleitung が完成した(後に延長され112kmに)。さらに隣州にまで水源を求めた第二水道が1910年に造られている。
■参考サイト
ウィーン上空からシュネーベルク方向を望む(背後の山並みで、中央の最も高い山がシュネーベルク)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wienerbergbisschneeberg.jpg
シュネーベルク山写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Schneeberg_(Alps)
◆
中央円内がシュネーベルク鉄道 (ÖBB路線図より) |
シュネーベルク鉄道 Schneebergbahn は、標高577mのプフベルク・アム・シュネーベルク Puchberg am Schneeberg(以下、プフベルクという)を起点に、同 1796mのホッホシュネーベルク Hochschneeberg まで、高度差1219mを上る軌間1000mmのラック式鉄道だ。延長9.805km、ラックレールは2枚葉のアプト式を使っている。最急勾配は196‰だ。
山麓駅プフベルクへは、幹線のウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt 駅からオーストリア連邦鉄道ÖBBのローカル線で向かうのだが、建設認可時の定義によると、実はこちらがシュネーベルク鉄道の本線だ。
すなわち、ウィーナー・ノイシュタット~プフベルク間の標準軌線が本線 Stammstrecke、同じ標準軌のバート・フィッシャウ=ブルン Bad Fischau-Brunn ~ヴェラースドルフ Wöllersdorf 間が支線 Abzweigung、そして、登山鉄道は続行線 Fortsetzungsstrecke(本線から先へ続くという意味)で、これらの総称がシュネーベルク鉄道ということになる(下注)。ただし、現在の鉄道事業者NÖSBBは、シュネーベルク鉄道の呼称を登山鉄道に限定しているようだ。
*注 後述するウィーン=アスパング鉄道は、シュネーベルク鉄道の運行権を握った後の1900年、自社線から直接プフベルク方面へ接続するゾレナウ Sollenau ~フォイアーヴェルクスアンシュタルト Feuerwerksanstalt 間を開業した。これもシュネーベルク鉄道の一部で、補完線 Ergänzungsstrecke と称したが、1937年に廃止となった。
シュネーベルク鉄道と接続路線図 |
シュネーベルク鉄道周辺図 |
シュネーベルクに上る最初の鉄道構想も、スイスのリギ鉄道の成功に刺激を受けて出願されたものの一つだ。ただし、その起点は、南部鉄道 Südbahn のゼメリング越えが始まるパイエルバッハ Payerbach に置かれていた。1872年に予備免許が下りたものの、シャーフベルクがそうであったように翌年に発生した経済恐慌のため、失敗に帰してしまった。それから12年後の1885年になって、改めてウィーナー・ノイシュタット駅を起点とする路線計画が動き始める。しかし、資金の目途がつき、最終的に建設の認可を得たのはさらに10年を経た1895年だった。
この年の12月に、まず「本線」が着工され、1897年4月に開通した。本線から少し遅れて1896年に続行線たる登山鉄道の工事も始まり、バウムガルトナー Baumgartner までの部分開通を経て、1897年9月にホッホシュネーベルクまでの全線が開業した。翌年には山上ホテルも完成して、営業体制が整った。しかし鉄道の経営はうまくいかず、早くも1899年に、ウィーンから路線を延ばしてきたウィーン=アスパング鉄道 Eisenbahn Wien-Aspang (EWA, Aspangbahn) に買収され、その路線網に組み込まれてしまった。
1901年には山上駅の近くに、異国で無政府主義者の凶刃に倒れた皇妃エリーザベト(シシー Sisi)を追憶するエリーザベト教会 Elisabethkirche が献堂された。夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は当時70歳を越えていたが、翌年夏に、登山鉄道で教会を訪れている。1937年、今度はアスパング鉄道の経営難により、列車の運行が国鉄(オーストリア連邦鉄道、当時の略称はBBÖ)に引継がれた。しかしそれも束の間、翌38年のドイツによるオーストリア併合を受けて、鉄道は国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の一部となった。
山上のエリーザベト教会(1999年8月撮影) |
第二次世界大戦が終わると、再びオーストリア国鉄 ÖBB の路線に戻り、これが1996年まで続く。1997年に、登山鉄道の列車運行はニーダーエースタライヒ州とÖBBの出資で設立されたニーダーエースタライヒ・シュネーベルク鉄道有限会社 Niederösterreichische Schneebergbahn GmbH (NÖSBB) に引き継がれた。さらに2011年には同区間の鉄道施設もÖBBから分離され、州が出資するニーダーエースタライヒ運輸機構有限会社 Niederösterreichischen Verkehrsorganisationsgesellschaft m.b.H. (NÖVOG) の所有となっている。
軽油焚きの新型車を導入してまで、蒸気機関車による運行にこだわるシャーフベルクと異なり、シュネーベルク「登山」鉄道の主力は、1999年に定期運用を開始したディーゼル動力の列車だ。山麓方から順に、動力車(機関車)、付随車(客車)、制御車(運転台のある客車)の3両固定編成になっている。2011年に1編成増備され、現在3編成が稼働する。
何よりも初めて訪れた旅行者の目を奪うのは、濃緑の地に黄色の大きな斑模様を配した奇抜ないでたちだ。もちろんこれは、軍用の迷彩色などではなく、山地に生息するザラマンダー Salamander(サンショウウオ)をイメージしている。蒸機で運行されていた1980年代、山上まで80分を要していたが、ザラマンダーは途中給水が省けることもあって、わずか49分と大幅な時間短縮を果たした。おもしろいことに、ザラマンダー・ベイビー Salamander-baby もいる。荷物を運ぶトレーラーに同じ塗装を施しているのだが、親子連れで走る姿は微笑みを誘う。
親子連れのザラマンダー(2018年9月撮影) |
ザラマンダー・ベイビー(2018年9月撮影) |
蒸気機関車は、開通初期からの5両(車番999.01~05)が在籍する(下注)。1974年、増便のためにシャーフベルクから1両が移されてきたが、2007年に古巣に戻った。現役とはいえ110歳を越える蒸機は、夏季の日祝日に1日1往復設定されるノスタルギー・ダンプフツーク Nostalgie Dampfzug(懐古蒸気列車)と、団体予約の臨時列車に従事するのみだ。
*注 機関車はシャーフベルク鉄道と同形だが、線区の最急勾配(シュネーベルク197‰、シャーフベルク255‰)に応じてタンクの傾斜角度を変えているという。
登山鉄道は2012年現在、4月の終わりから11月初めまでの季節運行になっている。日中およそ1時間ごとに出発しているが、利用者が少なければ間引きされるようだ。
■参考サイト
シュネーベルク鉄道(公式サイト) http://www.schneebergbahn.at/
◆
私が現地を訪れたのは1999年8月。あいにく山上は雲の中だったので、大したメモも残っていないが、資料で補足しながら全線をレポートしよう。
7時58分ウィーン南駅発のICに乗って、ウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt 駅に降り立つ。ホームの数がやけに多い駅だが、ホームの時刻表には発着番線が記載されていない。プフベルク Puchberg 行きの列車がどこから出るのかすぐには分からなくても、リュックを背負った人たちの後をついていけば迷うことはない。
待っていたのは単行のディーゼルカーで、座席数が少ないため、ほぼ満席の状態で出発した。のどかな田園を抜けて、やがて山中に入る。ちょっとした峠越えのあるグリューンバッハ Grünbach 付近では、パープーとユーモラスな警笛を鳴らしながら、山の中腹を巻いていく。
標高577mのプフベルクに到着したものの、接続するはずだった9時45分発の蒸機列車(下注)の席はすでに売切れで、1時間後の便をあてがわれた。絵はがきを書き、駅前の公園で池の白鳥に餌をやりながら、時間をつぶす。切符に10時42分発とあった列車は、クルマで来た客が多かったためか、40分と45分発の続行運転になった。乗るのはザラマンダーの名のとおり、黄と緑のまだら模様に塗ったディーゼルカーだ。視界の開ける進行方向左側に陣取る。
*注 当時はまだ蒸機列車が、ハイシーズン4~5往復運行されていた。
プフベルク駅(1999年8月撮影、以下同じ) |
緑濃い村里は、最初の停留所シュネーベルクデルフル Schneebergdörfl(下注)付近までだ。次第に森に覆われていく中を、列車はぐいぐいと高度を上げていく。次のハウスリッツザッテル Hauslitzsattel で、一つ鞍部を越える(ザッテルは鞍の意)。ここは列車交換が可能だが、ポイントの切替えは集中制御ではなく、列車から無線で操作するのだそうだ。
さらにヘングスト山 Hengst の斜面に張りついて上る。ヘングストヒュッテ Hengsthütte(ヒュッテは山小屋の意)と次のテルニッツァーヒュッテ Ternitzerhütte との間が全線の中間で、ここにも信号所がある。まもなく、線路は尾根に築かれた堤を渡る。天気が良ければ、ここからシュネーベルクの本体を眼前に仰ぐことができるはずだ。
*注 2008年にヘングストタール Hengsttal に改称。
山蔭を回った標高1398mのバウムガルトナー Baumgartner で、小休止がある。客はぞろぞろと列車から降りて、駅舎で何やら買い求めている。見倣って妻が買ってきたのは、プルーンジャムの入ったパンだった。後で聞いたところ、これは山小屋の主人が焼くブフテルン Buchteln というお菓子で、登山鉄道の名物として広く知れ渡っているらしい。給水の必要な蒸機はもとより、ザラマンダーもこのために数分停車する。
バウムガルトナー停留所 |
ブフテルンを手に |
全員車内に戻ったら、改めて山上に向け出発だ。線路はホーエ・マウアー Hohe Mauer(高い石垣)と呼ばれる石積みの堤を助走路にして、シュネーベルクの山腹に取り付く。一段と急になった勾配は最後までほとんど緩まることはなかった。急斜面を、カーブした2本のトンネルでS字状にしのいでいく。すでに森林限界を越えて、ラックス山やゼメリング Semmering に及ぶウィーナー・ハウスベルゲのパノラマが開けるところだが、残念なことに視界はまったくきかない。
11時25分、終点ホッホシュネーベルクに到着した。風が強くあまりに寒いので、エリーザベト教会をのぞいた後は、さっさと山の家に避難せざるをえなかった。
終点ホッホシュネーベルク旧駅 |
◆
なお、この頃はまだ、ホッホシュネーベルク駅が教会の正面にあった。その後2009年に、山の家 Berghaus への引込線を利用して営業線が133m延長され、駅舎も山の家の手前に移設された。かつて吹きさらしだったホームは、天候に影響されないドーム型の乗降施設に一新された。
ちなみに、山上駅で降りると、左手(西側)は上り斜面になっているので、これを上がれば山頂と早合点しそうだ。しかし、これはヴァックスリーゲル Waxriegel という小山で、いわば前座に過ぎない。シュネーベルク山の本尊はその遥か後方に控えている。緩やかな尾根でつながった2つのピークをもち、南側が標高2076mのクロスターヴァッペン Klosterwappen、北側が山小屋フィッシャーヒュッテ Fischerhütte の載る標高2061mのカイザーシュタイン Kaiserstein だ。登山鉄道の駅からほんとうの山頂までは、まだ片道約3kmの山歩きを覚悟しなければならない。
【追記 2019.2.17】
2018年9月にシュネーベルク鉄道を再訪したときの一部始終を、「シュネーベルク鉄道再訪記」に記した。併せてお読みいただければ幸いだ。
本稿は、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
■参考サイト
YouTube-Schneebergbahn 2010
http://www.youtube.com/watch?v=e5K88vtSDoI
★本ブログ内の関連記事
シュネーベルク鉄道再訪記
オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道
オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I
オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II
ウィーンの森、カーレンベルク鉄道跡 I-概要
ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか
オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版
« ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って | トップページ | オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I »
「西ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事
- ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(2025.01.17)
- アルトシュテッテン=ガイス線(2025.01.12)
- ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(2025.01.04)
- トローゲン鉄道(2024.12.21)
- ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道(2024.12.07)
「登山鉄道」カテゴリの記事
- アルトシュテッテン=ガイス線(2025.01.12)
- ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道(2024.12.07)
- ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道(2024.11.29)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II(2024.09.28)
- ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編(2024.09.06)
« ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って | トップページ | オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I »
コメント