ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って
蒸機に牽かれたザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(略称 SKGLB)の列車は、いったいどんな場所を走っていたのだろうか。1950年代の地形図(官製1:25,000)を手掛かりに、起点のバート・イシュルから順に見ていこう。
ザルツカンマーグート地方鉄道 全体図 図中の枠は下の地形図の範囲を示す |
◆
ハプスブルク皇帝が夏の離宮と定めた優雅な市街地の東の端、曲流するトラウン川との間にバート・イシュル駅(国鉄駅 Staatsbahnhof)はある。駅舎の南側で、標準軌の国鉄線と並行して760mm狭軌のSKGLBがホームを構え、湖水地方を訪れる旅行者を出迎えていた。
現在のバート・イシュル駅 Photo by Linzer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
【図1】 |
狭軌線は、トラウン川左岸に広がる市街地を避けて、大きく迂回する。建設費を節約するために、駅を出るといきなり標準軌のレールの間に分け入り、4線軌条となって南下する(下図参照)。4線軌条は、トラウン川 Traun の鉄橋を渡り、短いトンネルを抜けて、約1kmの間続いていた。標準軌と分離してすぐの地点に設けられたのが、バート・イシュル貨物駅 Güterbahnhof だ。川に両端を挟まれて狭隘な国鉄駅に代わり、貨物の受渡しが行われ、機関庫も併設されていた。
バート・イシュルの4線軌条(模式図) |
国鉄線に別れを告げたSKGLBは、トラウン川を再度横断し、保養地の西郊をかすめて北上する。短絡のために穿たれたカルヴァリエンベルクトンネル Kalvarienbergtunnel は長さ683mあって、線内で最も長い。通過中、列車の乗客たちは、さぞ煙の洗礼に苦しんだことだろう。
ところで、部分開通の1890年から4年間、SKGLBは町の北西に暫定の駅を構え、イシュル地方鉄道駅 Ischl Lokalbahnhof と称していた。トンネルを出た列車は西に針路を変えながら、その旧線に合流する。1894年の国鉄駅直結によって暫定駅は役目を終えたが、引き続き車両庫として利用されたので、線路は残っていた。
本線に戻ろう。合流点からイシュル川 Ischl の開けた谷の中を進むこと10km弱で、最初の開通区間の終点だったシュトロープルに到着する。ここは、ヴォルフガング湖の水がイシュル川に流れ出す湖尻に当たる。
【図2】 |
鉄道は湖の南岸の湿地帯を進み、次はザンクト・ヴォルフガング地方鉄道駅 St. Wolfgang Lokalbahnhofだ。パッハーの多翼祭壇画がある巡礼教会やオペレッタの舞台、白馬亭 Hotel Weißes Rössl で知られ、シャーフベルク山 Schafberg に上る登山鉄道(下注)も出ているザンクト・ヴォルフガングの町は、湖の向こう岸にある。そのため、駅は湖を渡る連絡船の桟橋に直結していた。主要乗換駅だったこの駅では、列車が到着するたび、旅行客が一斉に降り立ち、桟橋へ急ぐ姿が見られたはずだ。鉄道が物流を担った時代には、貨物も船着場へ通じる引込線を行き交ったことだろう。
*注 シャーフベルク鉄道については「オーストリアのラック式鉄道-シャーフベルク鉄道」参照。
鉄道はツィンケンバッハ川 Zinkenbach が押し出した扇状地の上をまっすぐ進むが、やがてグシュヴァント Gschwandt で、湖に落ち込むツヴェルファーホルン山 Zwölferhorn の北斜面にぶつかる。ここからしばらくは、断崖を削り、あるいは護岸工事を施してようやく路盤を確保する難所だったが、その代償として、車窓には絵のような山と湖の風景が広がった。途中のルーク Lueg では、湖畔に建つ旅館(ガストホーフ・ルーク Gasthof Lueg)の目の前に列車が停まる。窮屈な列車の長旅に疲れたら、下車して飲み物で一息つき、次の列車を待つという選択も可能だった。
断崖を削ったグシュヴァント~ルーク間(1900年ごろ) Image from wikimedia. |
ルーク付近を描いた絵葉書 Image from wikimedia. |
【図3】 |
次の駅はザンクト・ギルゲン St. Gilgen だ。湖の西端にあるこの町は、モーツァルトの母の生地で、姉ナンネルもここへ嫁いだ。彼自身はザルツブルク生まれなので、SKGLBは図らずも偉大な音楽家の故地を結んでいたことになる。ちなみに、モーツァルトを記念するザルツブルク音楽祭は夏の一大イベントだが、SKGLBはこれにも関係があった。音楽祭が定期開催されるようになった1920年、観劇帰りの客を送り届ける深夜急行の運行を始めているのだ。「劇場列車 Theaterzüge」と呼ばれたその便は、ザルツブルクを22時50分に発ち、ザンクト・ギルゲンをはじめ主要駅に停まって、深夜1時20分、バート・イシュルに到着した。
1890~1900年ごろのザンクト・ギルゲン 背景はザンクト・ヴォルフガング湖とシャーフベルク山 Image from wikimedia. |
さて、鉄道はここから、一つめの峠越えにかかる。町を遠巻きにしながら上っていくうちに、ヴォルフガング湖のはろばろとした眺めも見納めとなる。山懐に入れば、ヒュッテンシュタイン城 Schloß Hüttenstein とその姿を写す小さな湖、クロッテン湖 Krottensee の景観が、乗客の目を引いただろう。
クロッテン湖に臨むヒュッテンシュタイン城 Photo by holger mohaupt at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
【図4】 |
しかしそれもつかの間、列車はトンネルの闇に突入する。シャルフリンガーヘーエ Scharflinger Höhe(シャルフリングの高みの意)の峠の下を抜けるヒュッテンシュタイントンネル Hüttensteiner Tunnel(別名アイベンベルクトンネル Eibenberg-Tunnel)だ。長さは436mと2番目に長い。峠の反対側にはモント湖 Mondsee が控えているが、水面標高がヴォルフガング湖より60m近く低いため、線路は25‰前後の急勾配で長い坂道を下っていかなければならない。ここも急峻な山が湖岸に迫っていて、3か所のトンネル掘削を含む難工事を強いられた。1948年に路盤崩壊により、SKGLB最大の災害となった崖下への機関車転落事故が起きたのも、この付近だ。
現在のヒュッテンシュタイントンネル北口 Photo by Herzi Pinki at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
プロムベルクトンネルと急勾配の長い坂道 Image from wikimedia. |
モント湖に臨むプロムベルクの断崖 By Robert Aßmus. Image from wikimedia. |
【図5】 |
遠方からも目立つ大絶壁ドラッヘンヴァント Drachenwand(竜の絶壁の意)を左の空に仰ぎながら平坦な牧草地を進むうちに、ザンクト・ローレンツ St. Lorenz に達する。周囲にとりたてて集落もないような立地だが、この駅は2つの点で重要だった。一つは、駅の東はずれに製材所があったことだ。地形図にS.W.(Sägewerkの略)と注記があるのがそれで、引込線が延びている。沿線から伐り出した木材が貨車で運び込まれ、沿線随一の貨物需要を喚起していた。
もう一つは、モントゼー Mondsee 支線が接続し、全線のほぼ中間にあるため、車両基地としての役割を果たしていたことだ。支線は、湖の北岸にある市場町モントゼーへの足として機能していた。分岐は1903年まで三角線になっていたので、地形図にも跡が残っている。支線は延長3.5kmと短いが、途中に2か所の停留所があった。終点モントゼーは湖上輸送との連絡のため、町から500mほど離れた湖畔に造られた。
モントゼー駅の1号機関車 Image from wikimedia. |
【図6】 |
ザンクト・ローレンツからタールガウ Thalgau までは、広い谷の中を淡々と進むが、終点までの間にもうひと山を越える必要があった。ザルツブルク盆地 Salzburger Becken の東を限るフラッハガウ Salzburger Flachgau と呼ばれる丘陵地だ。線路は緩やかな丘のひだをなぞるように上って、やがて路線の最高地点でもあった標高約630mのサミットに達する。地形図に描かれている建設中の道路は、首都とザルツブルクを結ぶ予定のアウトバーン(西部自動車道 West Autobahn)だ。
タールガウ駅と市街の絵葉書(1905年ごろ) Image from wikimedia. |
【図7】 |
オイゲンドルフ Eugendorf を過ぎると再び下り坂で、谷を回り込みながら、目的地へと降りていく。バート・イシュルがそうであったように、ザルツブルクでも、終点の手前に鉄道の拠点が置かれていた。イッツリング Itzling の駅が併設されたその場所は、機関庫を備え、操車場と貨物駅の機能も有していた。
市街に近づくとSKGLBは、整然と敷かれた標準軌の国鉄線路の隙間を縫うようにして進む。敷地の取得に窮したのか、短距離ではあるものの街路の併用軌道(下注)さえ設けられた。終点ザルツブルク地方鉄道駅 Salzburg Lokalbahnhof は、広場をはさんで国鉄中央駅 Hauptbahnhof の向かいにあった。現在は地下に移設されたが、ランプレヒツハウゼン Lamprechtshausen 方面へのローカル列車が発着していた場所だ。かつてザルツブルク中央駅の正面には、市内軌道、地方鉄道など鉄軌道が四方から集まり、ターミナルを構えていた。その中でSKGLBは、最後まで残った蒸気鉄道だったのだ。
*注 延長約500mの街路は、今もイシュル鉄道通り Ischlerbahnstraße と呼ばれる。
ザルツブルク地方鉄道駅 Image from wikimedia. |
◆
SKGLBの廃止後、施設がほとんど撤去されてしまったため、往時を追想できる場所は限られている。シュトロープルからツィンケンバッハ Zinkenbach 付近までは、ザルツカンマーグート自転車道 Salzkammergut-Radweg に転用されて、ほぼ残っている。ルーク Lueg の短い湖畔路と、オイゲンドルフ Eugendorf からイッツリングの手前までの長い下り坂も同様だ。また、モントゼー駅跡には鉄道博物館 SKGLB-Museum があり、動態保存の蒸機を含む車両や、図面、写真などの歴史資料が公開されている。関係者は将来、支線の一部に線路を復活させ、保存鉄道として再建するという構想を温めているようだ。
■参考サイト
SKGLB博物館の写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:SKGLB_Museum_Mondsee
ザルツカンマーグート自転車道
http://www.radfahren.at/salzkammergutradweg.html
本稿は、J.O.Slazak "Von Salzburg nach Bad Ischl" Verlag Josef Otto Slazak, 1995 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
地形図は、オーストリア官製1:25,000 63/4 Salzburg(1954年版), 64/3 Eugendorf(1954年版), 64/4 Thalgau(1956年版), 65/3 Mondsee(1955年版), 95/1 Sankt Wolfgang im Salzkammergut(1958年版), 96/1 Bad Ischl(1959年版。幸いにもSKGLBはまだ描かれている)を使用した。 (c) BEV http://www.bev.gv.at/
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