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2012年6月 2日 (土)

オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道

シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn

ザンクト・ヴォルフガング St. Wolfgang Schafbergbahnhof ~シャーフベルクシュピッツェ Schafbergspitze 間5.85km
軌間1000mm、非電化、アプト式ラック鉄道、最急勾配255‰
1893年開通

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シャーフベルクアルペにて
 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する登山列車のシーンが、シャーフベルク鉄道で撮られたことはよく知られている。主人公マリアが厳格なトラップ家の子どもたちと打ち解ける過程で歌われる「私のお気に入り My Favorite Things」。その終盤で、ザルツブルクの市街から山上の草原の風景に移るつなぎのカットだ。黒い煙を吐いて急勾配を上る蒸機列車から、子どもたちが身を乗り出して転轍手に手を振っている(下注)。

*注 右写真が、映画のロケ地であるシャーフベルクアルペ停留所の山上側。なおこの写真に写っている列車は山上から降りてきたところ。

シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn は、オーストリア中部の風光明媚な湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut にある。標高1782mのシャーフベルク Schafberg(羊山の意)へ上る1000m軌間のラック式鉄道だ。山麓ザンクト・ヴォルフガング St. Wolfgang から山上のシャーフベルクシュピッツェ Schafbergspitze まで5.85km、ラックレールはアプト式を使っている。

オーストリアに残る登山鉄道は、隣国スイスのような電気運転の潮流に乗れなかったため、この鉄道の走行風景も、19世紀終わりの開通時からさほど変わっていない。後に、輸送力増強のために気動車やオイル焚きの新型蒸機を導入したとはいえ、1960年代製作の映画に出ていた創業以来の旧型蒸機もまだ残る。

同国の鉄道地図(下図)を見ると、この鉄道は全国規模の路線網と接続がなく、ぽつんと孤立している。バスツアーならともかく、列車を使う旅行者には敬遠されそうなロケーションだ。しかし、開通したときからこの姿だったというわけではない。まずはその歴史をさぐってみよう。

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中央円内がシャーフベルク鉄道
(ÖBB路線図より)

鉄道が目指したシャーフベルク山は3つの湖、ヴォルフガング湖 Wolfgangsee、モント湖 Montsee、アッター湖 Atterseeに囲まれた位置にある。山頂に立てば、これらの湖をはじめ、ザルツカンマーグートの山紫水明が一望になる。名高い保養地イシュル(バート・イシュル Bad Ischl)にも近く、19世紀初めから、滞在する貴族たちにとって人気の行楽地の一つだった。彼らは、男たちが担ぐ輿(こし)に載って山へ上った。担ぎ手はゼッセルトレーガー Sesselträger と呼ばれ、職業組合を組織し、料金や乗り場も決めていた。それほど需要があったのだ。

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鉄道のルーツも1870年代に遡る。ヨーロッパ最初のラック式鉄道が1871年、スイスのリギ山に開通した(リギ鉄道 Rigibahn)。それに刺激されて各地で登山鉄道の認可申請が相次いだが、その中に、シャーフベルクに上る鉄道も含まれていた。

敷設の目的は、ヴォルフガング湖の航路に客を呼び込むことだった。今と違って、ヴォルフガング湖の西端ヴィンクル Winkl を起点にしていたが、それはここで航路に接続させるつもりだったからだ。1872年8月に認可を得て、用地取得が進められたものの、翌年に起こった経済恐慌で資金の目途が絶たれたため、計画は結局実現しなかった。

次の構想が具体化するまでに、20年近い年月を要した。ようやく1890年に新たな計画が認可されたが、2年後に、ザルツブルク Salzburg とイシュルを結ぶザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Localbahn (SKGLB、下注)の建設と一体化されたことで、集客面での確実性が高まった。約1年半の工事期間を経て、1893年8月にシャーフベルク鉄道は開通した。

*注 ザルツカンマーグート地方鉄道については、本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史」「ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って」で詳述している。

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シャーフベルク鉄道とその周辺図
 

起点駅は、巡礼の町ザンクト・ヴォルフガングの西側で、湖に面している。開通に先立つ同年6月、その対岸にSKGLBの本線が全通しており、両者の間は汽船で接続された。SKGLBは1898年に湖上航路の経営権も取得して、地域の交通を独占した。利用者の伸びは予想以上で、それはおおむね第一次大戦のころまで続いた。しかし、その後の経済不況で、所有者は転々とする。さらに、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたため、1938年に登山鉄道はドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の管理に移された。第二次大戦が終わり、帝国が解体された後は、オーストリア国鉄 ÖBB に引継がれた。

もとの運営体SKGLBが1957年の本線廃止を機に解散(登記抹消は1964年)してしまったこともあり、シャーフベルク鉄道はそのまま最近まで国鉄の路線網の一部だった。しかし、地方線区整理の一環で、2006年に州政府などが出資する第三セクター(ザルツブルクエネルギー・交通・通信事業株式会社 Salzburg AG für Energie, Verkehr und Telekommunikation)に売却され、現在は、その子会社であるザルツカンマーグート鉄道会社 Salzkammergutbahn GmbH (SKGB) が、航路と一体で運営している(下注)。SKGBの社名は、もとのSKGLBを連想させるように選ばれたものだそうだ。

*注 会社では、シャーフベルク鉄道の綴りを SchafbergBahn と、Bを大文字にしている。

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鉄道リーフレット
 

湖畔の起点、ザンクト・ヴォルフガング・シャーフベルク鉄道駅 St. Wolfgang Schafbergbahnhof が標高542mであるのに対して、終点シャーフベルクシュピッツェ Schafbergspitze(シュピッツェは頂の意)は標高1732mと、高度差は1190mにもなる。線路はひたすら上り続け、最急勾配は255‰だ。

列車が対向できるのは、標高1010mのドルナーアルペ Dorneralpe と、標高1363mのシャーフベルクアルペ Schafbergalpe の2か所。乗降は後者でしか扱わず、定期便の対向ももっぱらそこで行われるが、旧型蒸機の場合は、ドルナーアルペでも給水のための停車が必要だ。シャーフベルクアルペは広々とした尾根の上で、宿泊施設も用意され、そこから頂上まで歩いて登る(所要約1時間)、あるいは頂上からそこまで歩いて降りるという人も少なからずいる。

登山列車なので、どちらの車窓が開けるかも気になるところだ。山を上る場合、山麓からシャーフベルクアルペまでの25分は進行方向の左側だが、森の中を進むので眺望はとぎれがちだ。シャーフベルクアルペを出てからは、湖が右側の窓に移る。最後のトンネルに入るまで遮るものがない後半の数分間は、晴れていれば最高の眺望が楽しめる。

シャーフベルク鉄道への公共交通機関でのアプローチは、路線バスか、湖上の連絡船になる。バート・イシュルからはバスでの直行が便利だ。ザルツブルク Salzburg から来る場合は、バスでザンクト・ギルゲン St. Gilgen 下車、モーツァルト家ゆかりのこの町を散策してから、船で到達するコースをお勧めしたい。時刻表は下記参考サイトにある。

■参考サイト
ポストバス Postbus http://www.postbus.at/
 バート・イシュル~ザンクト・ヴォルフガング:路線番号546
 ザルツブルク~バート・イシュル:路線番号150、155

シャーフベルク鉄道とヴォルフガング湖航路 http://www.schafbergbahn.at/

いささか古くなってしまったが、1999年8月に私が乗車したときのメモを、スナップ写真とともに付しておこう。

日曜朝の山麓駅(ザンクト・ヴォルフガング・シャーフベルク鉄道駅)は意外に閑散としていた。先日マリアツェルで会った女性は、イシュル駅8時発のバスで行っても2時間待ちと脅していたが、今なら待ち無しで乗れる。しかし、帰り便の予約状況を知らせる掲示板が13時頃まで赤ランプ、つまり満席の表示だったので、あまり早く登っても頂上は寒いだろうと、出発を2時間遅らせて11時10分発の便を予約した。それまでの間、駅前の船着場のベンチで絵ハガキを書いたりして時間をつぶす。

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山麓駅で改札を待つ
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仕度中の新型蒸機
 

10時45分、ディーゼル車の臨時便が先に発車していった。私たちの乗る11時10分便は蒸機推進。軽油焚きの新型車なので煙はわずかだが、シャカシャカと蒸気の音が響き、客車の車体も小刻みに揺れる。改札に早くから並んでいた甲斐あって、最前列の席を確保した。

機関庫の傍らを通り、家並と牧草地もすぐに抜けて、列車は山の南斜面を200‰を超える急勾配で上っていく。途中、いくども木々の間から湖面が見えるが、それは序の口だ。シャーフベルクアルペで森林限界を超えると、車窓は一気に大パノラマと化した。まだ雲が多めで、綿菓子のようにちぎれて下界を隠すのだが、それでも十分に美しい。険しい斜面を這い、カーブした素掘りのトンネルを抜けると、まもなく終点シャーフベルクシュピッツェだった。

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ドルナーアルペで対向
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最後の胸突き八丁(シャーフベルクアルペ~山上駅間)
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山上駅に到着
 

山上の別天地には似つかわしくない近代的な造りの駅舎で、さっそく帰りの便を予約する。シュネーベルクと違って、下の駅では予約できないと言われたからだ。しかし案ずることもなく、12時の便でさえ空席があった。私たちは13時28分発を選んだ。

この山頂、南側は急傾斜ながら一面草地が広がっているが、北側は比高200m以上のすさまじい断崖だ。そちらはモント湖が見えるのだが、断崖というのに柵すらないところもあって、スリル満点だ。妻は私より高所に強いので、平気で崖際に擦り寄っていくから見ていられない。

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シャーフベルク山頂から南斜面のパノラマ
 

下山便の発車ぎりぎりまで粘った末、駅に戻ると、なんと蒸気列車はすでに満席で、先発する気動車に回されてしまった。予約といいながらいい加減なものだ。麓の駅へ降りると、出発前に係の女性が客を一人一人手持ちカメラで撮影していたのができあがっていた。私たちのも見つけたが、冴えない表情で買う気が失せる。

船着場でトルコブルーの湖面を眺めながら、私たちはザンクト・ギルゲン行きの船が来るのを待った。

最後に機関車の運用状況にも言及しておきたい。開通当時、クラウス社 Krauss & Co リンツ工場からラック用蒸気機関車が導入された。全部で6両あり、Z1~Z6号機と命名された。オーストリア国鉄への移管後、1953年に形式番号999.1を与えられ、車両番号は999.101~106とされた。機関車は「エンツィアン Enzian」(りんどうの意)、「エーリカ Erika」(ヒースの意)のような愛称のプレートを側面に掲げて走った。なお、101(旧Z1)号機は1970年に同じ国鉄のラック式路線であるシュネーベルク鉄道 Scheebergbahn に移されたが、民営化後の2007年に買い戻されている。車両番号ももとのZ1~6に戻った。

運営の合理化と蒸機の延命を兼ねて、1964年に2両の気動車が追加されている。一方、1992年にはSLM社が製造したオイル焚きの新型蒸機が登場した。旧型が推せるのは60席の客車1両だけだが、こちらは2両計105席を推し上げるパワーがある。1995~96年にも増備され、4両の主力部隊となっている(下注)。車番は999.201~999.204だったが、現在はZ11~14だ。

*注 この形式の蒸機は、同時期にスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道にも納入された。本ブログ「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」参照。

2012年の夏ダイヤによると、1日8往復で片道の所要時間は35分。新型蒸機による運行が基本だが、故障や多客時には気動車を使用するとある。齢120歳になろうとする旧型蒸機は、7月から9月初めまで運行される1日1往復の特別列車にのみ使われる。映画のように黒い煙を勢いよく吐いて上る姿に遭える機会は、ごく限られているようだ。

本稿は、Gunter Mackinger " Schafbergbahn und Wolfgangseeschiffe" 2. Auflage, Verlag Kenning, 2011、Klaus Fader "Zahnradbahnen der Alpen" Franckh-Kosmos Verlag, 1996 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
シャーフベルク鉄道(公式サイト) http://www.schafbergbahn.at/
狭軌鉄道-シャーフベルク鉄道 Die schmale Spur - Die Schafbergbahn
http://www.schmalspur-europa.at/schmalsp_57.htm
写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Schafbergbahn
http://www.schafbergbahn.at/foto-a-video/bildergalerie.html
http://www.alpenbahnen.net/html/schafbergbahn_.html

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