旧 東ドイツの地形図 II-国民経済版
1960年代は、ベルリンの壁建設(1961年)やキューバ危機(1962年)に見られるように、資本主義体制のいわゆる西側諸国と、共産主義体制の東側諸国間の対立が頂点に達した時代だ。すでに1950年代に、アメリカやカナダ、西欧各国は軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)を結成し、対抗するソ連と東欧諸国は、ワルシャワ条約機構を組織していた。高まる緊張を背景に1966年から、同 条約加盟国の域内では地形図が国家機密に分類され、使用が厳しく制限されるようになった。
前回紹介したとおり、ドイツ民主共和国(以下、東ドイツ)では、これらの軍用地形図を便宜上「国家版 Ausgabe Staat」(略称AS)と称した。これに対して、1978年以降、官庁・国営企業などの業務用に別の地形図シリーズが作成されるようになる。これが「国民経済版 Ausgabe für die Volkswirtschaft」(略称AV)と言われるものだ。名称が表題部に明記されているので、「国家版」とは容易に区別できる。
ベルリン自由大学地理学研究所 Institut für Geographische Wissenschaften, Freie Universität Berlin の研究資料(下記参考サイト)に沿って、今回は「国民経済版」の実態を見てみたい。
■参考サイト
ベルリン自由大学地理学研究所「1945年から今日までのブランデンブルク州の地形図製作 Die topographischen Kartenwerke des Landes Brandenburg von 1945 bis heute」
http://www.geog.fu-berlin.de/2bik/Kap7/kap7_3-01.php3
1:200,000地形図(国民経済版) ドレスデン 1984年版 |
◆
地形図の機密表示(国民経済版) |
「国民経済版」の地形図にも、左肩に「Vervielfältigungen Unzulässig!(不許複製)、除外項目は地理地図機密法を参照のこと」、右肩に「Nur für den Dienstgebrauch(公務用に限定)」あるいは「Vertrauliche Dienstsache(機密公務用)」などと記載がある。このことから察せられるとおり、これは行政機関や国営企業の業務遂行上の資料、あるいは計画経済用に作られる主題図の原図という扱いにとどめられ、一般市民の利用に供されるものではなかった。一般向け旅行地図などで製作の際に参考資料とされたとしても、原図がそのまま印刷に用いられることはなかったのだ。
「国家版」の所管は国防省だったが、「国民経済版」のほうは、内務省測量・地図局 Ministerium des Innern, Verwaltung Vermessungs- und Kartenwesen だ。編集は、シュヴェリーン Schwerin とドレスデン Dresden に拠点を置く国営企業「測地・地図作成国営コンビナート VEB Kombinat Geodäsie und Kartographie」が行っていた。
「国民経済版」シリーズは「国家版」に準じて用意されたので、必要な縮尺を網羅している。すなわち1:10,000、1:25,000、1:50,000、1:100,000、1:200,000は「国家版」と同じように全土をカバーし、次が1:750,000(「国家版」は1:500,000)、そして1:1,500,000(「国家版」は1:1,000,000)と全部で7種類あった。1978年に開始された刊行作業は、1986年をもって完了した。「国民経済版」が「国家版」に基づいて作成されていたことは言うまでもないが、両者の内容はどこが違うのだろうか。
まず、投影法については、両者ともガウス・クリューゲル図法を用いている。しかし、投影の対象とする地球の形、すなわち地球楕円体の定義が異なる。「国家版」の場合、東欧諸国間の共通基準であるクラソフスキー楕円体 Ellipsoid von Krassowski だが、「国民経済版」は、戦前の帝国時代から採用されてきたベッセル楕円体 Ellipsoid von Bessel に拠っている。このため、表示されている座標系の目盛も両者は全く合わず、「国民経済版」の座標系は、むしろ西ドイツの地形図と共通だ。
国民経済版の付番方式 (ブランデンブルク州測量局地図目録より) |
また、「国民経済版」には、図郭の四隅に通常記される経緯度の表示がない。図郭自体は同じ切り方のように見えるが、実は両者の間で最大で10mmのずれがあるという。経緯度を含めて、地物の正確な位置は特定できないようにしてある。図番も、「国民経済版」は旧帝国方式に似た4桁のコード(下注)を用いており、「国家版」と全く共通性がないのも意図的なものだろう。
*注 前2桁が南北方向、後ろ2桁が東西方向を表す(例0905)。ただし、現行ドイツの付番方式が1:25,000の図郭を基にしているのに対して、東ドイツの「国民経済版」は1:100,000の図郭が基本だ。1:50,000は0905-1、1:25,000は0905-11、1:10,000は0905-111のように枝番で区別する(右図参照)。
さらに、前回紹介した軍用地図ならではの道路や橋梁の細かなデータの記載が、標高点を除いて「国民経済版」ではすべて消されている。空港、軍港といった軍事関連施設はもとより、貨物駅その他の施設名称、そして隣国の領土(西ベルリンや西ドイツを含めて)もすべて抹消の対象になっていた。右図では、シュヴェリーン Schwerin の町を描いた1:50,000地形図の2つの版を並べているが、中央の橋や右端の運河、あるいは教会の塔の高さなど、数値の表示が「国民経済版」にないことが確かめられる。
更新作業についても「国家版」ほど定期的に行われなかったと見え、「国民経済版」の製作年次は、手元にあるものでも1970~80年代とかなり幅がある。
「国家版」(上)と「国民経済版」(下)の比較 (メクレンブルク・フォアポンメルン州測量局地図目録より) |
国際的に図式を共通化していた「国家版」と比べ、東ドイツ独自の「国民経済版」は、各縮尺間でも仕様に差異が見られる。
1978年に完成した1:25,000の初版は、きわめて簡素な表現に改変されており、利用者の不評を買った。機密事項を省いたばかりか、居住地も範囲を大雑把に囲ったに過ぎず、1:100,000の総描と大差がなかったからだ(下図上参照)。ようやく1986年から、「国家版」と同じ版を使用して編集されることになったが、全図葉の改訂が完了しないままドイツ再統一を迎えたため、後に市場に出回った「国民経済版」には、改良前後の図葉が混在した。
改訂版では、「国家版」と同じように、都市部で街路名が入った地形市街図 Topographische Stadtplan の図式が使われている(下図下参照)。さらに1:10,000を単色で拡大して住居番号(ハウスナンバー)を加えた縮尺1:5,000の地形市街図もあった。
1:25,000地形図(国民経済版) ドレスデン (上)1978年初版 (下)1988年地形市街図版 (ザクセン州測量局地図目録より) |
1:50,000は、1978年初版の時点ですでに「国家版」と同じ版から編集されており、他の縮尺とは扱いが異なる。また、これに先立つ1970年代に、特殊目的すなわち民衆警察や、たとえば災害防備や民間防衛といった警察行動のために、A-S-E版(Ausgabe "Ausbildung-Schulung-Einsatz"、訓練教育用の意)と呼ばれる地図が、東ドイツ全域にわたって作成されたことがあった(下図参照)。1:50,000の編集方針が他の縮尺とは異なる背景には、こうした用途が想定されていたのかもしれない。
1:50,000地形図(A-S-E版) ポツダム 1973年第2版 (上記参考サイトより) |
1:100,000以下の小縮尺図では、また集落表現の総描が強化されている(下図下参照)。市街地は一面山吹色に塗られ、道路にもオレンジや黄色を配しているので、「国家版」に比べて一見華やかな印象だ。しかし、街路網の思い切った簡略化など、情報量はかなり削減されてしまっているのが実態だ。
1:200,000地形図 ドレスデン (上)国家版 1986年版 (下)国民経済版 1984年版 |
ところが1980年代になると、情勢に明らかな変化が現れる。知られているように、1985年にソ連の共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、硬直した国家体制の立て直し、いわゆるペレストロイカを進める一環で、「グラスノスチ(情報公開)」を提唱した。その余波で、東ドイツでも1988年に地理地図機密法 Geo-Kart-Sicherheitsanordnung が改正され、地形図の利用制限が初めて緩和された。1:100,000以下の「国民経済版」は、当局の承認を受ければ利用可能となり、翌年には、まだ「業務用」と断りがあるものの、申請書式のついた地形図目録が刊行されるに至った。とはいえ、価格の高さが申請のハードルとなり、まだ普及を妨げていたようだ。
結局、大縮尺図を含めて機密が完全に解除されるのは、1990年のドイツ再統一を待たなければならなかった。新連邦州となった旧東ドイツ地域では、1991年から地形図の一般販売が始まり、「国民経済版」にとどまらず、「国家版」も分け隔てなく民生用に広く提供された。東ドイツ政府が膨大な量の地形図を密かに整備していたことは、このとき一般市民の知るところとなった。
同年、新たに各州で測量局が設立されて、現在も続く更新維持体制ができあがった。当初は旧体制時代の地形図をそのまま頒布していたが、数年のうちに、旧体制時代の地形図をベースにしながらも西側仕様の図郭に合わせた地形図が、順次刊行されるようになった。当地域の地形図体系は、こうしてようやく新時代を迎えた。
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