ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存
ドイツ、ヘッセン州北部には、新型トラムとクラシックな蒸気機関車が線路を仲良く共有している区間がある。カッセルの西郊へ通じているカッセル=ナウムブルク線 Bahnstrecke Kassel-Naumburg、通称「ナウムブルク鉄道 Naumburger Bahn」だ。両者は線路軌間こそ同一だが、車両規格、特に車両幅の差は大きい。
いったいどうやってこの差を克服したのか。そしてあまりにも対照的な新旧車両はなぜ競演することになったのか。ユニークな性格をもつローカル線を、その歴史を絡めて見ていこう。
ラートハウス(市役所)停留所の カッセルトラム5系統 |
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ナウムブルク鉄道は長さ33.4kmの標準軌線だ。1903年にカッセル・ヴィルヘルムスヘーエ支線駅 Kassel-Wilhelmshöhe Kleinbahnhof(あるいは同 西駅 Kassel-Wilhelmshöhe West)から途中のエルガースハウゼン Elgershausen まで、翌1904年に残るナウムブルクまでの全線が開通した。ヴィルヘルムスヘーエの支線駅が起点だったのは、当初カッセル=ナウムブルク鉄道 Kassel-Naumburger Eisenbahn (KNE) という私鉄だったからだが、その後、1966年に会社はヘッセン州立鉄道 Hessische Landesbahn に合併され、列車は1970年からカッセル中央駅 Kassel Hbf に発着するようになった。
ナウムブルク鉄道のルート © Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012 |
これで乗換えの煩わしさが解消されたとはいえ、所詮は小さな町をつなぐ行き止まりのローカル線に過ぎない。早くも1977年には旅客輸送の休止措置がとられ、貨物輸送も1991年に大部分の区間で取止められた。唯一の例外は沿線の自動車工場による利用で、起点から7kmのアルテンバウナ Altenbauna(現 バウナタール Baunatal)にあるフォルクスワーゲンの主力工場を発着とする貨物輸送が、その後も継続された。
定期列車が消え去り、保存蒸機(後述)がたまに通るだけの鉄道に、カッセル市街からトラムが乗入れるようになったのは、1995年のことだ。成功したカールスルーエ・モデルに倣って、カッセル地域で最初に導入されたトラムトレインの事例だったことはいうまでもない。
それまでカッセル南西郊ではマッテンベルク Mattenberg 止まりだった路線を、ナウムブルク鉄道の一部3.3kmの活用で、5.5km延長した。駅でいえば、バウナタールの南からグローセンリッテ Großenritte までが乗入れ区間で、中間に停留所4か所が新設された。ちなみにこれは、フォルクスワーゲンの貨物輸送ルートと重ならないように設定されている。
トラム5系統と乗入れ区間 © Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012 |
鉄道線への乗入れに際しては、車両面で、脱線に対する安全性と台車の安定性、施設面では、信号設備と建設・運行規則の違いによる規格差のカバーといった種々の条件を満たす必要があった。その中で素人にも興味深いのは、プラットホームで両者の規格差をどのように克服したかという点だ。
トラムと機関車のサイズを比較した図がある(下図参照)が、機関車は断面積でトラムの2倍ほどもあり、ホームの端の位置もトラムの規程(路面軌道建設・運行規程 BOStrab)では線路の中心線から1.23mであるのに対して、鉄道(鉄道建設・運行規程EBO)では1.60mとなる。
■参考サイト
「トラムがバウナタールにやってくる Die Tram kommt nach Baunatal」
http://www.kvc-kassel.de/index.php?id=28
トラムと機関車のサイズ比較 HP「トラムがバウナタールにやってくる」(上記参考サイト)より |
この課題に対して、費用と実用性を考慮した3つの解決策が採用された。
1番目は、棒線(単線)の停留所で採用された張出しホームの設置だ。説明より下の写真を見た方が早いが、トラムの乗降扉が来る位置に限って、EBO規格のプラットホームからさらに線路寄りにホームを張出させたのだ。ここまで立入ることができるのは乗降時のみとされ、黄と黒の警戒色が塗られている。
それでもEBOに支障するため、乗降のバリアフリーに必要なレール面からの高さ250mmが確保できなかった。レール面からの高さは115mmで、トラムの扉との間に段差が生じている。また、危険防止のため、通過する鉄道車両の速度は時速20kmに制限された。ただ、鉄道車両は観光用の保存列車と整備のために移送される機関車に限られるので、最小限の影響にとどまった。
(左)張出しホームのある アルベルト・アインシュタイン・シュトラーセ停留所 (右)注意喚起の標識 「張出し部への立入りはトラム停車時に限る」 |
2番目は、列車交換駅のバウナタール市中央 Baunatal Stadtmitte で採用された4線軌条だ(下の左写真参照)。ホームを延ばすのではなく、レールを二重に設置してそれぞれの建築限界に対応したのだ。トラムはホーム寄りのレールを、鉄道車両はホームから遠いほうのレールを走行する。4線軌条が複線の片方にしかないのは、鉄道車両の対向が想定されていないからだ。
3番目は、終点グローセンリッテの例で、鉄道線とトラム線が完全に分離されている(下の右写真参照)。トラムは専用ホームで客を降ろした後、転回線(ループ)を回ってカッセル方面へ戻っていく。現在この区間には、カッセル中心街へ行く5系統が、平日の日中15分毎に(土日は減便)あるほか、ヴィルヘルムスヘーエ回りの7系統も平日の朝夕に限って運行されている。
(左)バウナタール市中央停留所の4線軌条 トラムは右のホーム寄りの線路を走行する (右)終点グローセンリッテ構内への進入路 鉄道車両は直進するが、トラムは右の専用線へ分岐 |
バウナタールで実用化されたトラムトレイン運行のための方策は、続いて、東郊のロッセタール鉄道計画へと応用されていくのだが、そのことは本ブログ「ドイツ ロッセタール鉄道-6線軌条を行くトラム」に詳述したので参考にしていただきたい。
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ところで、定期列車が休止となって久しいグローセンリッテ以西の区間も、捨て置かれていたわけではない。休止前の1972年からすでに、鉄道愛好家の手で旧型車両の運行が試みられていたのだが、この活動はやがて保存鉄道「ヘッセンクーリエ Hessencourrier(下注)」として知られるようになる。
*注 ヘッセンクーリエは、ヘッセン急行便といった意味。Courrier はフランス語の綴りが用いられているので(ドイツ語の綴りはKurier)、日本語表記もそれに合わせた。
しかしこの間にも、路線自体は繰り返し廃線の危機に曝された。途中にあるエルガースハウゼン橋梁で、老朽化が進行していたのだ。保存鉄道を地域の観光振興の柱の一つとみなす沿線自治体は、保存鉄道団体とともに州政府に働きかけを続けた。州は運営組織が確立されるという条件で、橋梁の補修費用を負担すると表明した。こうして1992年に、関係自治体や鉄道会社、団体が出資して、路線を維持運営する保存鉄道協会が設立されることになった。
現在、協会は、路線をリースしたうえ、現在月1回程度の頻度で、カッセルとナウムブルクの間に保存列車を走らせている。かつて同鉄道で活躍した動輪5軸のタンク式機関車HC206をはじめとする蒸気機関車群が、旧型客車を牽引する。起点はカッセルと言っても、ヴィルヘルムスヘーエ駅から徒歩で南へ10分ほどのところにある貨物駅跡だ。ICEが停車するヴィルヘルムスヘーエ駅は今やカッセルの表玄関なので、国内各地からの足場はすこぶるよい。
峠越え周辺の1:50,000地形図 (c) Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2012 |
最後に、保存列車が通るルートを少しなぞっておこう。本線から右に分かれてしばらくは平野部で、標高もノルツハウゼン Nordshausen(廃駅)付近で最も低い170mを示す。最初の停車駅バウナタール Baunatal(旧アルテンバウナ Altenbauna)を出ると、トラムの線路が右手から合流してくる。左側は、フォルクスワーゲンの工場敷地が続いている。この先は架線が張られ、スマートな停留所が整備されているので、保存列車の乗客は、逆にトラムの新線に乗入れたかのような感覚に陥るだろう。
共用区間はグローセンリッテで終わり、トラムの転回線と車庫を見送ったあとは、峠越えにさしかかる。線路は最小曲線半径200mで山裾を巻きながら、1:60(16.7‰)から最急1:35(28.6‰)の勾配で高度を上げていく。峠の駅ホーフ Hoof の標高は403mに達する。ここまでが沿線随一の見どころで、峠の向こう側は再びなだらかな丘陵を縫っていく行程だ。終点ナウムブルクまでの所要時間は、上り坂に奮闘する往路が95分、復路は90分となっている。
本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイト、Wikipediaドイツ語版の記事(Bahnstrecke_Kassel–Naumburg, Baunatal, Naumburg (Hessen))、ドイツ語版に対応する英語版の記事を参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版)、ヘッセン州1:50,000 L4720 Wolfhagen(2008年版)、L4722 Kassel(1986年版)を用いた。
■参考サイト
ヘッセン・クーリエ http://www.hessencourrier.de/
ヘッセン・クーリエ自転車道
http://www.hb-internetservice.de/rad/hessencou.htm
グローセンリッテ付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.2522,9.3908&z=17
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