ドイツの1:50,000地形図
縮尺1:25,000の「メスティッシュブラット Meßtischblatt(平板測量図)」、同1:100,000の「ゲネラールシュタープスカルテ Generalstabskarte(参謀本部地図)」と、ドイツの地形図シリーズには戦前からの通称がある。ところが1:50,000、略称TK50はそれを持たない。なぜだろうか。
1:50,000地形図表紙 (左)ドルトムント Dortmund 1989年通常版(旧図式) (中)ベルリン中央部 Berlin-Mitte 1998年通常版(東部様式) (右)バート・ライヘンハル Bad-Reichenhall 2008年アトキス版(新図式) |
わが国の1:50,000の場合、一部の離島を除いて全国整備を完了したのは1924(大正13)年だ。以来、2008年に更新が終了するまで、戦前戦後の80年以上にわたって国民に親しまれた歴史がある。しかし、ドイツのそれは事情が違う。19世紀から百数十年も使い込まれてきた上記2種に比べて、TK50は戦後生まれの新参者なのだ(下注1)。おそらくそれが通称が与えられなかった主な理由だろう。
ただし、資料(下注2)によると、第一次大戦よりも前から1:50,000製作の計画はあり、1925年には帝国測量庁 Reichsamt für Landesaufnahme が実際に作業に着手していた。しかし、この「ドイツ地図 Deutsche Karte 1:50.000」は財政上の理由で刊行中止となり、残されていた原版も第二次大戦中に失われてしまったという。
*注1 なお、縮尺1:50,000で作成された地図は19世紀にも存在した。たとえば、ヘッセン選帝侯国地図 Karte vom Kurfürstentum Hessen(1840~1858)、バイエルン王国地形図集成 Topographischer Atlas vom Königreich Bayern(1812~1867)など。しかし、現代のTK50と直接のつながりがあるわけではない。
*注2 Landesvermessungsamt Schleswig-Holstein "Topographischer Atlas Schleswig-Holstein/Hamburg", Karl Wachholtz Verlag, 1979, p.210
その敗戦の荒廃から西ドイツが急速に復興を遂げ、「経済の奇跡 Wirtschaftswunder」と形容された1950年代になって、TK50の刊行計画は再浮上した。時あたかも国土開発に関する法的整備が進められており、それに合わせて地形図の需要も高まっていたのだ。すべて完成させるのに20年かかるという見積りに対して、連邦が州に資金面で援助することで、計画の具体化が急がれた。手元の刊行図では、ノルトライン・ヴェストファーレン州のドルトムント Dortmund からデュースブルク Duisburg にかけての図葉が1952年初版とあり、最初期のものになる。1955年に図式規程 Musterblatt が発表されてから、各州で製作が本格化し、1965年までに558面の全図葉が出揃うことになった。
1:50,000旧図式 最初期に刊行された図葉の改訂版 デュースブルク Duisburg 1990年版 (c) GEObasis.nrw, 2012 |
ここでTK50の基本概要を記しておこう。表紙の色は、緑のTK25、赤のTK100に対して、TK50は青色をまとう。図郭は、TK25の4面分に相当する経度20分、緯度12分となる。1999年の一覧図によると779面で全土をカバーしている。図番は、図郭の左下のTK25の図番を用い、前にローマ数字で50を意味するLの文字が付されて、L 4510のように表示される(下図参照)。
各縮尺の図郭の関係 |
デジタル化以前に適用されていた旧図式は、TK100(1:100,000)の拡大版といったイメージだった。しかし、TK100と比較すると地形や地物が細部までよく描かれていたし、地勢を表わすぼかし(陰影)が入ったものは一段と見栄えがよかった。それで、筆者にとっては、イギリスにおける1インチ地図(後に1:50,000に変更)のように、TK50がドイツの地形図の代表的存在だった。
旧図式の最終版は黒、青、赤茶、濃緑、淡緑、黄、灰、赤の8色刷りだ。基本はTK25と同じ4色(黒、青、茶、淡緑)なのだが、多くの州では、植生を線描(濃緑)と塗り(淡緑)に分けた5色刷が標準とされた。さらに後年、ぼかしのために黄と灰を加え、道路区分の塗りにも黄と赤(下注)が使われて、文字通りの多色刷となった。
*注 主要道路 Fernverkehr の塗りは見た目には橙色だが、これは黄と赤を混色したもの。
旧図式を美しく見せているポイントはやはり、ぼかしの効果だろう。灰色で影を作るだけでなく、光の当たる部分に黄色を置くことで、地形の起伏をより強調している(右上図参照)。これは北部の低地を除く図葉に一律に適用されているが、1980年代までぼかし入りはいわば特別仕様で、通常版 Normalausgabe に対してぼかし版 Schummerungsausgabe などと呼ばれて区別されていた。
1:50,000 通常版(上)に比べて ぼかし入り(下)は地勢が明瞭に示される ダウン Daun (images from "Rheinland-Pfalz Kartenverzeichnis 1991") (c) Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012 |
旅行情報の凡例の一部 (図式規程 Musterblatt Topographische Karte 1:50,000より) |
また、単にぼかしを加えるだけでなく、ハイキングやサイクリングのルートなど旅行情報を表示する場合も多かった。書込みのために色を制限する作業用地図に対して、レジャー向けは色をフルに活用するという方針だったのだろう。今も各州測量機関からさまざまなデザインの旅行地図が刊行されている(下注)が、そのルーツは、TK50のこのハイキングルート加刷版 Ausgabe mit Wanderwegen だ。ちなみに、自由なデザインのように見えるこうしたルート表示や駐車場、宿泊施設などの地図記号も、実は図式規程の補遺に統一基準として定められたものだった(右図参照)。
*注 官製旅行地図については、本ブログ「ドイツの旅行地図-ライン渓谷を例に」参照
1:50,000ハイキングルート加刷版の例 ハイデルベルク北部 Heidelberg-Nord 1987年版 (c) Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Baden-Württemberg, 2012 |
1990年のドイツ再統一以降、新連邦州(旧東独)でもTK50が作成されることになった。東独時代にも1:50,000は整備されていたので、TK25と同じように、これをベースに、図郭を連邦式に変更して刊行されていった。多くはぼかしを加えない6色刷(黒、青、赤茶、緑、赤、黄)だったが、エルツ山地を擁するザクセン州の図葉だけは、旧西独風にぼかしを加えてあり、ちょうど前回紹介したバイエルン州の新しいTK25に似た美しい仕上がりを見せていた。
新連邦州1:50,000の例 ザクセン州ではぼかしを付加 ゼプニッツ Sebnitz 1995年版 (c) Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen, 2012 |
ちょうどその1990年に地図情報データベース、アトキス ATKIS が始動したが、そこで用いられた新図式によって、TK50の地図デザインは一変した。前回も使った新図式への切替え状況を下に掲げる。東独様式をひきずる暫定版だった新連邦州はすでに切替えを完了しているが、旧西独の州では2012年現在、切替えが進行中、あるいは旧図式のままというところがある。
官製地形図 図式変更の現状 |
図式の特徴は前回TK25の項でも記したが、TK25に補助的に適用された市街地における黒抹家屋の付加は、工場や大規模建物を除いて、TK50では行われていない。市街地はピンクの色面で広がりがわかるだけだ。また、ぼかしが全面的に省かれ、地勢表現は等高線のみとなったため、立体感が失われた。表示の転移を伴うためか、道路や鉄道の築堤、切通しもほとんど描かれていない。このため、土地の形状を直感するすべがなくなった。塗りに使用された色は柔らかいトーンで統一されていて、全体から受ける印象は決して悪くないが、画面表示を前提にした図式は、精緻に描き込まれた旧図式とは、見た目にかなりの違いがある。
1:50,000旧図式に比べて、 アトキス新図式はカラフルだが平板に バート・ライヘンハル Bad Reichenhall 1990年版および2008年版 (c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern, 2012 |
民生用と軍用を分けない民軍共用版 Zivil-Militärische-Ausgabe とされたのも、アトキス新図式の特色の一つだろう。図面にUTMグリッドが付加され、凡例は独、英、仏の3か国語併記となった。実用性の改良は歓迎すべきことだが、黒いグリッドのせいで図面がいささか見にくくなったのも事実だ。もっとも、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州やザールラント州は旧図式の初版からこの方式のM745シリーズを市販していたし、新図式に切替えていない各州もこの要件だけは整えている。
筆者がつねづね称賛していたドイツの地形図TK50は、近年、このように劇的な変貌を遂げた。ドイツに限らず各国で、地図の利用法の変化に対応した刷新がこのところ着々と進行している。しかし、図法の開発にあたっては、プリントした場合に人間の目でどう認識されるか、というアナログの視座も忘れないでもらいたいものだ。地形や市街の密度が読み取りにくくなるようでは、せっかくの改良の意義が薄れてしまう。旧図式の時代に言及するのは、単なる懐古の情からだけではないのだ。
次回は1:100,000を紹介する。
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