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2012年3月17日 (土)

ドイツの1:100,000地形図

1:100,000地形図(以下、現在の略称であるTK100を用いる)は、これまでに三度、図式の大きな改革を経験してきた。今回はこの図式の変わり目に着目して、都合4期にわたるTK100の進化の過程を振り返ってみたい。

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1:100,000地形図表紙
(左)ケンプテン(アルゴイ) Kempten (Allgäu) 1984年バイエルン州応急版
(中)カッセル Kassel 1999年通常版(黒抹家屋なし)
(右)ズール Suhl 2010年アトキス版(新図式)
 

TK100の直接のルーツをたどると、19世紀前半、プロイセン王国が初期測量事業 Preußische Uraufnahme の成果をもとに編集した手彩色の地図群に行き当たる。ブラシのような微細な短線を並べるケバ式の地勢表現、分類された道路網、森林や庭園を示す緑の塗りなど、地形図の主な要素はすでにここで盛り込まれている。第1期というべきこの時代、地図は純粋に軍事作戦を立案し、遂行するためのもので、軍用機密として扱われていた。

プロイセンではその後、1860年代に改測事業が開始された。ここからが第2期に当たる。この事業は、ドイツ統一後の1878年に同盟諸邦間で結ばれた協定によって、帝国全土に拡張された(下注)。TK100は民間にも公開されていき、戦前の地形図体系における代表的なシリーズとなる。「ドイツ帝国図 Karte des Deutschen Reiches」が正式名称だったが、人々はもっぱら出処を意識して「参謀本部地図 Generalstabskarte」と呼んでいた。

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1:100,000ドイツ帝国図 3色刷
ドレスデン Dresden 1919年版
 

複製頒布を前提として、図式は銅版1色刷りに適したスタイルに改められた。地勢の表現は依然としてケバ式を用いるが、より精緻化されている。後年の3色刷(右図参照)では50m間隔の等高線も付加されたとはいえ、あくまで補助手段の扱いで、主体がケバであることに変わりはなかった。第2期の地図は、2度の大戦を通じて現役を務めたが、ドイツの東西分割により、状況は一変した。

*注 地形図の系譜の概略は、本ブログ「ドイツの地形図概説 I-略史」参照

西ドイツでは、戦後復興期の旺盛な需要に応じる形で、地形図体系の再編が実施され、TK100もその対象となった。第3期の始まりだ。変更点の第一は、図郭が見直されたことだ。旧図は、1面で経度30分×緯度15分のエリアを描いている。しかし、サイズは小ぶりで、別途、4面を貼り合せた大判図 Großblatt が作られていたほどだった。また、緯度の区割りがTK25と合致せず、番号体系も連番方式のままになっていた。

それに対して再編後は、各縮尺の図郭の区割りが揃えられ、TK100の1面は経度40分×緯度24分に拡大された。また、番号体系も各縮尺で共通化された。TK100の場合、図郭の左下に相当するTK25の図番の前に、ローマ数字で100を意味するCをつけて(例えばC 1114のように)区別することになった。変更点の第二は、地勢表現が等高線に置き換えられたことだ。ケバでは土地の高度が表現できない。TK25やTÜK200ではとうに等高線方式が採用されており、変更は必然だった。

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1:100,000図の例
マイエン Mayen 1984年版
(c) Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012
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1:100,000図改訂図式の例
幹線道 Fernverhehr と地方道 Regionalverkehr を色分け
ゴスラー Goslar 2002年版
(c) Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2012
 

しかし、その他の地図記号はおおむね新図式でも踏襲されたので、TK25との相違は解消されなかった。例を挙げると、鉄道の記号は、TK100が棒を白黒に塗り分けた旗竿状であるのに対して、TK25は中の黒塗りがない。教会の記号は、TK100では十字が正立しているのに対して、TK25は横向きになっている(下図参照)。

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TK25とTK100の
教会と鉄道に関する地図記号
 

もちろんこれには相応の理由がある。TK100の鉄道記号は1色刷の時代に、中を黒く塗ることで濃いケバの中でも目立つようにしたのだろう。また、教会は通常、西を正面にして(東西方向に長く)建てられる。TK25のような大きな建物の実体が描ける縮尺では、記号もそれに見合った形状にし、TK100のように建物の位置を示すことしかできない縮尺では、象徴的な形にとどめたのだと思われる。とはいえ、利用者に対する親和性の点で、図式の不整合は課題を残した。

連邦が製作を支援したTK50に比べて、TK100の刊行は遅々として進まなかった。初版が1950年代のものがあるかと思えば、1970年代まで下るものも見つかる。それどころか、バイエルン州はついに、正式なTK100を完成させることはなかった。すなわち、同州の担当地域43面(当時)のうち、図式規程どおりに製作されたのはミュンヘン München とニュルンベルク Nürnberg 周辺の計8面に過ぎない(下注)。残りはすべてTK50を50%縮小し、文字サイズだけ拡大した応急版 Behelfsausgabe だったのだ(下図参照)。この縮小率では、拡大鏡の助けを借りないと、地図記号はほとんど読取れない。

*注 ミュンヘンとニュルンベルクについては、TK100の正式図を大判用紙に集成した「都市周辺図 Umbebungkarte」も製作された。

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(左)バイエルン州通常版
  ヴァイルハイム Wilheim 2000年版
(右)同 TK50 50%縮小の応急版
  ケンプテン(アルゴイ)Kempten (Allgäu) 1984年版
(c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern, 2012
 

1980年代に入ると、市街地の総描を、黒抹家屋ではなく塗りの色だけで表現する異版が登場した。中心市街地を赤、周辺市街地をピンク、商工業地をグレーの、それぞれ塗りだけで表すもので、後の図式(アトキス新図式)の試作と目されていた。ヘッセン州は1985年以降、TK100をこの改訂図式に切替えていった。それ以外しばらく追随の動きはなかったが、バイエルン州が2010年から、この図式による刊行に踏み切っている(下図参照)。

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ヘッセン州版は市街地を塗りのみで表す
マールブルク Marburg 1994年版
(c) Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2012
 

一方、東ドイツでは、他の縮尺と同様、東欧共産圏(ワルシャワ条約機構加盟国)共通の基準で製作された1:100,000が全土をカバーしていた。これは、縮尺間で図式の整合性が保たれているだけでなく、図式が国を越えて共通化されていたのだ。1990年のドイツ再統一以降は、新連邦州(旧東独地域)でも連邦式のTK100が刊行されていったが、図郭が変わっただけで旧東独の図式が準用されていたのは、他の縮尺と同じだ。オリジナルは地勢を等高線だけで表しているが、テューリンゲンやザクセン州では第2版から、これにぼかし(陰影)を加えることで、視覚面で改良を施した。

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新連邦州版
旧東独図式を準用しながらもザクセン州版はぼかし入り
ドレスデン Dresden 1997年版
(c) Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012
 

最後の第4期は、デジタル図化に対応した新図式の登場で幕を開ける。TK100の各要素はデジタルデータ(DTK100と呼ぶ)に分解され、地図情報データベース、アトキス ATKIS によって管理されるようになった。TK50の項でも紹介したように、図式の特徴は、土地利用を色の塗りで表現すること、地勢のぼかし(陰影)を排したこと、民軍共用版 Zivil-Militärische-Ausgabe(M649シリーズ)としてUTMグリッドを付加したことなどだ。ぼかしの消えた概観図というだけでも魅力に欠けるが、それ以上に、図面を覆う1cm間隔の方眼線(1kmグリッド)が、網越しに風景を見ているようで、相当に目障りなものとなった。

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アトキス新版はあまりの変貌ぶりに言葉を失う
バート・クロイツナハ Bad Kreuznach 2011年版
(c) Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012
 

各州におけるアトキス図式への切替状況(下表参照)を見ると、TK25からTK50、TK100と縮尺が小さくなるに従い、旧図式(第3期の図式)の残存率が少しずつ増していくのがわかるだろう。バイエルン州は結局、応急版の置換えに際し、アトキス図式を全面的に取入れるという選択をしなかった。現状を見る限り、この縮尺ではアトキス図式があまり好まれていないようだ。

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官製地形図 図式変更の現状
 

使用した地形図の著作権表示 (c) Landesamt für Vermessung und Geoinformation Bayern.

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