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2012年1月14日 (土)

モーゼル渓谷を遡る鉄道 I

ライン川とモーゼル川が出会う場所、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz からその鉄道は出発する。白ワインの産地モーゼル川の溪谷を遡り、ローマ時代の遺跡が残るドイツ最古の都市トリーア Trier に至る、延長113kmのモーゼル線 Moselstrecke だ。しかし風光明媚な観光路線のイメージとは裏腹に、出自をたどれば19世紀に構想された対仏戦略路線「大砲鉄道」に行き着く。今は幻となった大砲鉄道ルート(下注)の中でほとんど唯一、幹線としての機能を果たしている区間でもある。

これから2回にわたって、そのモーゼル線の見どころを探ってみたい。今回は前半、コブレンツ~ブライ Bullay 間だ。

*注 大砲鉄道については、本ブログ「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」参照

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ピュンダリッヒ付近 (1989年撮影)
図1
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モーゼル線と大砲鉄道のルート

コブレンツを出てまもなく、モーゼル線はモーゼル川に架かるギュルス鉄橋 Gülser Brücke を渡る。これからしばらく、レギオナルエクスプレス Regional-Express(快速列車)なら30分強の間、モーゼル川の左岸にぴったり沿って走ることになる。ヴィニンゲン Winningen の先では、頭上に深い谷を一気に跨ぐスマートな高架橋が現れる。アウトバーンA 61号線のモーゼルタール橋 Moseltalbrücke だ。全長935m、谷底からの高さは136mもあって、1972年の完成当時は世界で最も高い高速道路橋といわれた。

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ギュルスの鉄橋(写真左奥)と河岸の町
Photo by Holger Weinandt at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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アウトバーンのモーゼルタール橋
(モーゼル線の列車から撮影)
図2
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モーゼル線のルート
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012
 

川が流れる谷間はライン川より小ぶりながら、同じように両側に見上げる斜面が迫り、整然と植えられた葡萄畑が点在している。谷底のわずかな平地には、必ずグレーのスレート屋根が肩を寄せ合う小さな町がある。各停列車しか停まらないモーゼルケルン Moselkern 駅で降りるハイカーは、きっと支流の狭い谷間を伝ってエルツ城 Burg Eltz へ行くのだろう。中世の姿をとどめる凛々しい外観で、かつてドイツマルク紙幣(下記参考サイト)にも使われ、同国内で最も知られた古城の一つだ。

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エルツ城
Photo by Karl-Heinz Meurer at de.wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

■参考サイト
エルツ城(公式サイト) http://www.burg-eltz.de/
エルツ城を配した西ドイツ時代の500マルク紙幣の裏面(Wikimedia)
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:500_DM_Serie3_Rueckseite.jpg

図3
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コッヘム、ブライ付近拡大図
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2012
 

川面を悠々と行き交う大小の船を車窓から見送るうちに、行く手の小山の上にいかめしげな構えの古城が見えてくる。コッヘム Cochem のライヒスブルク城 Reichsburg だ。コッヘムは9世紀から記録に名を残す古い町なので、城もさぞ由緒のある建物と思いきや、山上に放置されていた廃墟を1868年にベルリンの実業家がゴシック復興様式で再建したものだという。正統性はともかくとして、町随一の名所になっていることだけは間違いない。

コブレンツ方面からインターシティ(IC)に乗った人にとっては、最初の停車駅がこのコッヘムだ。下車したら、趣きある街中へ繰り出す前に、ハーフティンバーの外観を組み込んだハイマートシュティール Heimatstil(郷土様式)の堂々たる駅舎も見学しておきたい。

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コッヘム駅舎
Photo by Historiograf at de.wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

■参考サイト
コッヘムの町とモーゼルの眺め(Wikimedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Panorama_Cochem.jpg
コッヘム付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1475,7.1669&z=16

片や列車に乗り続ける人には、車窓風景がこの駅を境にして一変することを伝えておかなければならない。駅を出ると、列車は初めて長いトンネルに突入するからだ。長さが4205mあるこの皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel は、3年の歳月をかけて1877年に完成した。

1985年にハノーファー~ヴュルツブルク間の高速線上にラントリュッケントンネル Landrücken Tunnel(長さ10,779m)が開通するまで、100年以上もドイツの鉄道で最長のタイトルを護り続けていたトンネルだ。大砲鉄道プロジェクトの中でもかなめの位置を占めていたことは、当時のドイツ皇帝の名が冠されていることから知れる。トンネルのポータル最上部には、帝国の盟主プロイセンの象徴、翼を広げた鷲の像が誇らしげに掲げられている。

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皇帝ヴィルヘルムトンネルの南口
Photo by Axel Mauruszat at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(原画像の一部をトリミング)

 

■参考サイト
トンネルポータル-路線番号3010(モーゼル線)の写真
Tunnelportale - Bilder der Strecke: 3010
http://www.eisenbahn-tunnelportale.de/lb/inhalt/tunnelportale/3010.html

なぜ、このような長大トンネルが必要とされたのかは、地図を見れば納得がいく(図3参照)。ここから上流で、モーゼル川が極端な蛇行を繰り返しているのだ。この流域は、河谷が鎹(かすがい)のような鉤型に曲折していることから、モーゼルクランペン Moselkrampen(モーゼルの鎹)あるいはコッヘマー・クランペン Cochemer Krampen(コッヘムの鎹)と呼ばれる。

これを一挙に直線化した複線トンネルは、当時としては画期的な工事だった。しかし、世はグリュンダーツァイト Gründerzeit(建国時代)と呼ばれる好景気に沸いており、通過列車が増加して、長さゆえの悩みを抱え始める。

それは換気の問題だった。蒸気機関車の全盛時代、トンネルにこもる煤煙を外に出す方法がいろいろと試みられた。まず1904年に、トンネル北口に送風機が設置された。しかし、10年も経たないうちに機関車の出力増や通行量の増え方に追いつかなくなり、換気立坑の掘削が行われた。

さらに第一次大戦中、西部戦線への主要な供給路に位置付けられていたモーゼル線に対して、軍部はバイパスの設置を求めた。排煙の問題を解決するために、せっかくの直線トンネルを迂回させよという要請だった。迂回線にはまた、モーゼル右岸をブライまで走っているモーゼル鉄道 Moselbahn (下注)をコブレンツ方面へ延長することで、まだ鉄道のない右岸一帯を開発するという目論見もあった。

*注 モーゼル鉄道あるいはモーゼルタール鉄道 Moseltalbahn は、トリーア Trier ~ブライ Bullay 間を走っていた延長102kmの標準軌私鉄線。ブライ以西で川から離れてしまう国鉄モーゼル線に代わって、モーゼル川中流域の振興のために、右岸に忠実に沿って敷設された。1905年全線開通、1962年廃止。

■参考サイト
モーゼルタール鉄道 Die Moseltalbahn
http://www.alt-bernkastel.de/moseltalbahn.html
 当時の写真集がある

これを受けて1916年に、カルデン Karden とブライ Bullay(下注)を結ぶための新線工事が開始された。しかし、第一次大戦での敗北と、ヴェルサイユ講和条約で軍備制限が課せられたことで、バイパス設置の大義は失われ、さらに不況と財政難が工事の継続を困難にした。結局、1923年に工事は中止となる。

この時点ですでに、トライス Treis~ブルティヒ Bruttig 間にある長さ2565mのトライストンネル Treiser Tunnel とその前後数kmの地上区間は完成していた(図3の右上部に完成区間のルートを加筆)。トンネルの入口は後に破壊されたが、地形図上には長らく残っていたし、トンネル南側ではブルティヒの町中を、今も線路敷きの石垣を積んだ築堤が貫いている。

*注 実際にモーゼル線と合流するのは、ブライの一つ手前のネーフ Neef 駅付近になるはずだった。

さて、道草が長くなったので、本線に戻ることにしよう。1973年にモーゼル線が電化されて、皇帝ヴィルヘルムトンネルの換気問題は永遠に解決した。現在、すぐ脇に2本目の単線用トンネルを掘る工事が行われていて、これが完成すると、列車運行はいったん新トンネルに移される。引き続き旧トンネルの改修が行われ、2016年にこの区間は2本の単線トンネルが並列する形に変わる予定だ。

長いトンネルを出てもまだ、線路は直線的に延びている。そのままエーディガー=エラー Ediger-Eller の駅の先で長さ281mの鉄橋を渡るが、橋の上で右の車窓に目をやろう。川の左岸、奥まで続く斜面は、ゲーテが「自然の円形劇場 Natur-Amphitheater」と呼んだという最急傾斜65度のぶどう畑、ブレマー・カルモント Bremmer Calmont だ。しかし列車はすぐに短いトンネル(ペータースベルクトンネル Petersberg-Tunnel、長さ367m)に突っ込むので、残念ながらゆっくり鑑賞する暇はない。

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モーゼル川の鉄橋から見たブレマー・カルモントの葡萄畑
 

トンネルの後、ネーフ Neef とブライ Bullay 両駅の間は、モーゼル川の右岸を走っていく。トリーアに向かう列車で右側の車窓に川が寄り添ってくれるのはこの1駅間だけなので、貴重な時間だ。ブライまで来ると、美しいモーゼル川との仲睦まじい旅も終わりが近いのだが、まだ最後の見せ場が残されている。この先は次回に。

地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Südwest(1986年版)、同1:200,000 CC6302 Trier(1984年版)を用いた。

★本ブログ内の関連記事
 モーゼル渓谷を遡る鉄道 II
 ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線
 ドイツ 大砲鉄道 II-ルートを追って 前編
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