ドイツ 大砲鉄道 II-ルートを追って 前編
19世紀の軍事戦略鉄道プロジェクト、カノーネンバーン Kanonenbahn(大砲鉄道)のルートと現状を、区間ごとに2回に分けて見ていこう。
全体図 |
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ベルリン~ブランケンハイム間 Berlin - Blankenheim
起点のベルリン・シャルロッテンブルク Berlin-Charlottenburg 駅から南西の方角へ、ハルツ Harz 山地東麓にあるブランケンハイム Blankenheim を目指すこの区間は、大砲鉄道の新設4線のなかで最も長く188.1kmある。ヴェツラー鉄道 Wetzlarbahn という別称を持っているが、これは1873年6月に認可された建設計画がベルリン~ヴェツラー Wetzlar 間であったためだ。しかし目標のヴェツラーは540kmのかなた、現在のヘッセン州の町だ。
現在のベルリン・シャルロッテンブルク駅 Photo by Christian Liebscher at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
図1 ベルリン~ギューターグリュック間 |
大砲鉄道は、障害となるものがほとんどない平野部をまっすぐに進んでいる。国家戦略を託された路線にふさわしいルート設定だ。旧東独時代に西ベルリンの周囲を回る形に建設された外環状線 Berliner Außenring (BAR) と交差した後、鉄道は東部最大のゼッディン Seddin 操車場を通過していく。デッサウ Dessau 方面への分岐駅ヴィーゼンブルク Wiesenburg は、広大な丘陵地帯フレーミング Fläming の中にぽつんとある。1923年にこの駅とロスラウ Roßlau を結ぶ連絡線が完成して、ベルリン~デッサウ間の短絡ルートができあがった。現在も旅客列車の運行(時刻表番号207)がある。
対照的に、本線であるギューターグリュック Güterglück 方面は、1993~95年の間、ベルリン=ポツダム=マクデブルク鉄道 Berlin-Potsdam-Magdeburger Eisenbahn 改良工事に際して、インターシティなどの迂回路として活用されたのが最後の花道となった。旅客列車に続き、貨物列車の運行も2004年12月をもって終了し、現在はエルベ川 Elbe を渡ってギュステン Güsten までが休止扱いとなってしまった(下注)。都市間連絡の機能を想定していない戦略的鉄道の弱点が、如実に現れた形だ。
*注 ただし、カルベ西駅 Calbe West 前後の線路は、カルベ東駅 Calbe Ost ~ベルンブルク Bernburg 間のローカル列車(時刻表番号340)の経路として使われている。
図2 ギューターグリュック~ブランケンハイム間 |
そのギュステンは、かつて鉄道で栄えた町だった。線路が5方面から集まる拠点駅であるとともに、大砲鉄道経由で西に向かう機関車にとってはハルツ東麓の峠越えを控えた補給基地となっていた。広い駅構内には給水塔や、1995年に廃止された扇形機関庫がまだ残されている。ベルリンからの本線線路は撤去されたものの、残り4方面はエルベ・ザーレ鉄道 Elbe Saale Bahn のブランドを掲げた新型気動車が導入されて、面目を一新している(時刻表番号334、335)。
ギュステンで胸のすくような直進ルートは終わり、次のザンダースレーベン Sandersleben からは、線路数も減って単線になる。ヘットシュテット Hettstedt の先では鉱山が点在する丘陵地をくねくねとたどり、やがて、左手から坂を上ってきたハレ=カッセル鉄道Halle- Kasseler Eisenbahn と合流する。ここ、ハルツ山地の東麓にあるブランケンハイム Blankenheim の峠越えは、線路標高こそ約270mに過ぎないが、蒸気機関車の時代には補機を必要とする勾配路だった。サミット直下のトンネル(ブランケンハイムトンネル Blankenheimer Tunnel)は長さ875mあり、これを抜けると線路はゴルデネ・アウエ Goldene Aue の広い盆地へと降りていく。
2方向の系統が交差する現在のザンダースレーベン駅 (2014年8月撮影) |
■参考サイト
ギュステン駅 Bahnhof Güsten(写真集) http://www.eisenbahndet.de/BfGuesten.htm
エルベ・ザーレ鉄道(公式サイト) http://www.elbe-saale-bahn.de/
BW SangerhausenのDR52.80形 http://silkroad2000.web.fc2.com/105.htm
ハレ~カッセル鉄道ザンガーハウゼンおよびブランケンハイム駅の蒸機写真集
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ライネフェルデ~トライザ間 Leinefelde - Treysa その1
大砲鉄道の中間部に当たるライネフェルデ Leinefelde ~トライザ Treysa 間は、北流するヴェーザー川 Weser の支谷を渡り歩くために、3回も山越えをする。勾配が連続することが、カッセル Kassel 回りの幹線より距離が短いにもかかわらず通過貨物に嫌われた、最大の要因だ。
図3 ライネフェルデ~エシュヴェーゲ間 |
ハレ~カッセル線上のライネフェルデからすぐに新線が始まるわけではなく、まずはゴータ=ライネフェルデ線 Bahnstrecke Gotha-Leinefelde に乗り入れる。すでに1870年に完成していたこの路線は、駅から東向きに出ているため、大砲鉄道としては方向転換が必要になった。先を急ぐ軍用列車にとって機関車の付け替えは避けたいところだが、折り返さずに通過できるような連絡線が造られた形跡はない。
ゴータ線を8.2km進んだところに新線の分岐点がある。同線上のジルバーハウゼン駅より手前に位置するため、ジルバーハウゼン分岐駅 Silberhausen-Trennungsbahnhof と称した。駅とはいえ、旅客の乗降を扱ったのは1905年から40年代までで、その後は信号所の機能のみとなった。
新線区間は121.8kmあるが、最初のサミットは、長さ1530mのキュルシュテットトンネル Küllstedter Tunnel だ。ちょうど、東側エルベ水系と西側ヴェーザー水系の分水界を成している。そしてここからが、沿線随一のハイライト区間だろう。しばらく谷壁に沿った10‰前後の下り坂が続き、4本の短いトンネルを経て、前回紹介した半回転ループのあるレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタイン Lengenfeld unterm Stein まで降りていくのだ。そして、長さ1066mのフリーダトンネル Frieda-Tunnel を抜け、ヴェラ川 Werra の鉄橋を渡り、エシュヴェーゲ・ヴェスト(西)駅 Eschwege West(下注)でゲッティンゲン=ベブラ線 Bahnstrecke Göttingen-Bebra と連絡する。
*注 同駅は、開通当時ニーダーホーネ Niederhone と称した。ニーダーホーネ~エシュヴェーゲ・シュタット駅 Eschwege Stadt(後にエシュヴェーゲに改称)3.3kmはゲッティンゲン=ベブラ線の一部として1875年に完成しており、大砲鉄道の新線では最も早く開通したことになる。
しかしこの区間は、第二次大戦の後で設けられた東西ドイツ国境(地図では INNER GERMAN BORDERと表記)により、致命的な影響を受けた。大戦末期の1945年、ガイスマール Geismar ~シュヴェブダ Schwebda 間のフリーダ川 Frieda に架かる鉄橋が爆撃で破壊されたのだが、運行不能状態にとどめを刺すように、鉄橋の1.5km北側に国境が引かれることになった。両駅間は正式に休止となってしまい、国土の東西を直結するという、大砲鉄道に託された意義は失われた。
その後も東側の運行は、ガイスマールを終点として続けられたが、再統一後の1992年に終了した。西側は、シュヴェブダから分岐するヴェラタール鉄道 Werratalbahn(下注)と一体で運行されていたが、1981年に旅客が、1994年には貨物列車も休止となった。
*注 同鉄道は、終始ヴェラ川に沿ってシュヴェブダ~ヴァルタ Wartha 間を結んでいた。大砲鉄道と同様、1945年に途中の鉄橋が破壊され、さらに国境設定で直通不能となった路線だ。そのため、全廃直前はシュヴェブダから1駅目のヴァンフリート Wanfried まで細々と運行されていたに過ぎない。
これで大砲鉄道として造られたジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ・ヴェスト駅間は、全線が過去帳入りしたかに見えた。ところが最近、地方鉄道網を刷新する取組みが進み、その一環として、エシュヴェーゲに旅客列車が戻ってきた。ゲッティンゲン=ベブラ線を走る列車系統(時刻表番号613)が、エシュヴェーゲ・シュタット駅に寄り道するのだ。列車は町駅で折り返してゲッティンゲン=ベブラ線に戻る。
この運行形態を可能にするために、同線との接続点が三角線化された。また、もとのエシュヴェーゲ・ヴェスト駅は廃止され、その代り、大砲鉄道上にエシュヴェーゲ・ニーダーホーネ Eschwege Niederhone 駅が開設された。利便性を高めるために、集落に近い位置に移設されたのだ。同駅は一つの時刻表に2度登場する。その理由は、折り返してきた列車がまた停まるためだが、事情を知らなければ表の誤植を疑ってしまうだろう。
面目を一新したエシュヴェーゲ・シュタット駅 Photo by GeorgDerReisende at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
一方、旧東側のレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタインでは、村の観光資源としてレールの残る旧線で軌道自転車(ドライジーネ Draisine)を貸し出している。走れる区間はキュルシュテット Küllstedt ~ガイスマール間16.8kmで、その間に、村の上空に架かる優美なレンゲンフェルト鉄橋と、サミットを抜けるキュルシュテットトンネルが含まれる。鉄橋を渡る爽快さもさることながら、トンネルのポータルも見逃せない。左右にタレット(装飾用の小塔)が付くなど、中世の城壁に見立てた技巧がこらされ、国家事業の威風を漂わせているからだ。加えて急坂とカーブが連続する野趣に富んだ廃線跡は、探索ファンの興味を掻き立てる。もちろん、トンネルの長い闇に備えて、ドライジーネの車体にはヘッドライトがついているそうだ。
大砲鉄道は複線用地を持っているが、1920年代に片方の線路が取り払われてしまった。撤去された側を自転車道にする計画もあるらしいが、現地写真を見る限り、まだ着手には至っていない。
レンゲンフェルト鉄橋を行くドライジーネ Photo by 79.214er at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
エシュヴェーゲ以西は、次回詳述する。
本稿は、Günter Fromm "Die Geschichte der Kanonenbahn" Verlag Rockstuhl, 2004および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
地形図は、ドイツ連邦官製1:500,000 Blatt Nordost(1990年版)、同1:200,000 CC4718 Kassel(1983年版), CC4726 Goslar(1987年版), CC5518 Fulda(1983年版), CC5526 Erfurt(1988年版)を用いた。(c) Bundesamt für Kartographie und Geodäsie.
■参考サイト
北ヘッセン運輸連合Nordhessischen VerkehrsVerbund (NVV) http://www.nvv.de/
エシュヴェーゲを通るのはR7系統ゲッティンゲン~ベブラ間。カントゥス交通会社Cantus Verkehrsgesellschaft http://www.cantus-bahn.de/ が運行している。
レンゲンフェルトのドライジーネ(写真多数)
http://www.bahntrassenradwege.de/index.php?page=kanonenbahn-draisine
大砲鉄道の現状写真集(説明はオランダ語)
1.ジルバーハウゼン分岐駅~キュルシュテットトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_1/
2.キュルシュテットトンネル~レンゲンフェルト~フリーダトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_2/
3.フリーダトンネル~エシュヴェーゲ~ビショファローデトンネル
http://www.railtrash.net/images/Kanonenbahn_3/
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