ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線
鉄道地図帳を眺めていると、時の経つのを忘れる。ページを繰りながらとりわけ注目するのは廃止線、休止線のたぐいだ。昔はこんなところに列車が走っていたのか、何のために敷かれたのだろう、と想像を巡らしてみる。資料に当たれば、鉄道が担った役割の向こうに、土地がもつさまざまな歴史事情が浮かび上がってくるのだ。
中央部に "Kanonenbahn"の注記 |
この鉄道を知ることになったきっかけも、そうだった。ドイツ中央部の鉄道地図(下注)を開いていた時に、カッセル Kassel の近くで「カノーネンバーン Kanonenbahn」と注記された廃止線が描かれているのに気付いた。北東から南西に向かうルートをたどっていくと、けっこう遠くまで伸び、しかも南北方向の2本の幹線と立体交差している。900~1500mといった長めのトンネルを連ねて幾山を越えているところも、ただのローカル線とは思えなかった。
*注 「ドイツ鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Deutschland」。この地図帳については、本ブログ「ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス・ウント・ヴァル社」で詳述。
いったいどんな素性を秘めているのだろうか。興味を掻き立てられて、てっとり早くウィキペディアで調べてみると、「カノーネンバーンは、ギュステン Güsten、ヴェツラー Wetzlar、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz およびトリーア Trier を経由してベルリン Berlin ~メス Metz 間を結んだ軍事戦略鉄道の俗称である。軍事戦略目的で建設された鉄道はほかにもあるが、なかでもこのベルリン~メス連絡線が最もよく知られている。」(ドイツ語版ウィキペディアから翻訳引用)
図1 カノーネンバーン(大砲鉄道)路線図 |
起点のベルリンはプロイセン王国以来、ドイツの首都に位置付けられている。終点のメス(ドイツ語読みはメッツ)は現在フランス、ロレーヌ地方の中心都市だが、1870~71年の戦いで敗れたフランスは、メスを含むアルザス=ロレーヌをプロイセンに割譲していた(下注)。つまり、あの廃止線は一介のローカル線どころか、首都と領土西端の主要都市を直結するために構想された全長805kmに及ぶ壮大な幹線鉄道プロジェクトの一部だったのだ(図1参照)。
*注 割譲されたロレーヌは、本来のロレーヌ地方の東半分に当る。この地域がフランスに復するのは第一次大戦後になる(1919年のヴェルサイユ条約で確定)が、その後第二次大戦でもドイツの占領下に置かれた。
◆
この普仏戦争の後、プロイセンは周辺諸邦とともに連邦制のドイツ帝国 Deutsches Kaiserreich を築きあげるのだが、アルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)は帝国直轄州(ライヒスラント Reichsland)とされ、実質的にプロイセンが支配した。なぜなら、この地は鉄鉱石や石炭を産する重要な鉱工業地域であり、また敵国フランスと接する西部国境の最前線だったからだ。鉄道が計画された理由もそこに見出すことができる。
ベルリンから西へ向かい、モーゼル川流域を到達点とする鉄道路線は、早くも1855年には提唱されていたというが、具体的な建設計画として議会に提案されたのは、普仏戦争終結後の1872年だ。フランスからの賠償金を建設資金の一部に充当することで、計画は一気に現実的なものとなった。鉄道は、新幹線のようにすべて新規に建設されたわけではなく、805kmのうち新線は511kmで、それ以外は既存線の活用あるいは改良で補った。
図2 建設当時の状況 |
その状況は図2のとおりだ。まず、新設線は次の4区間に分けられる。
1.通称ヴェツラー鉄道 Wetzlarer Bahn(188km)
ベルリン市内を出て直線コースでブランケンハイム Blankenheim まで
2.ジルバーハウゼン分岐駅 Silberhausen-Trennungsbahnhof ~トライザ Treysa 間(122km)
最急20‰勾配の峠道が点在する山あいの区間
3.ロラー Lollar ~ヴェツラー Wetzlar 間(18km)
ギーセン Gießen の町をバイパスする
4.モーゼル線 Moselstrecke および上モーゼル線 Obermoselstrecke(188km)
ライン右岸のホーエンライン Hohenrhein からコブレンツを経由し、モーゼル川に沿ってロレーヌ地方のディーデンホーフェン Diedenhofen(仏名ティオンヴィル Thionville)まで
その間は以下の既存線5区間でつないだ。
1.ブランケンハイム~ライネフェルデ Leinefelde 間
1860年代に完成していたハレ~カッセル線 Halle-Kasseler Eisenbahn (Hauptbahn Cassel–Halle) を利用
2.ライネフェルデ~ジルバーハウゼン分岐までの短区間
ゴータ~ライネフェルデ線 Bahnstrecke Gotha-Leinefelde を利用
3.トライザ Treysa ~ロラー Lollar 間
1850年から運行されているマイン・ヴェーザー鉄道 Main-Weser-Bahn を利用
4.ヴェツラー Wetzlar ~ホーエンライン Hohenrhein 間
1858~63年にかけて造られたラーンタール鉄道 Lahntalbahn を使い、複線に改良
5.終端となるディーデンホーフェン~メス間
フランスの東部鉄道会社 Compagnie des Chemins de fer de l'Est が1854年に開通させていた路線に乗入れ
新規区間は1875年から順次完成し、1880年5月15日、ジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ Eschwege 間を最後に全線が開通した。ただし、この時点でベルリン市内のシャルロッテンブルク Charlottenburg ~グルーネヴァルト Grunewald 間3.1kmだけは未完成で、同区間が通じる1882年まで、列車はベルリンのポツダム駅 Potsdamer Bahnhof から出発したという。
◆
カノーネンバーンのカノーネン Kanonen は、ドイツ語で大砲(複数形)を意味する。有事の際に兵器や兵士を戦地へ運ぶ目的で造られた路線だから、「大砲鉄道」と呼ばれてきたのだが、あだ名には別の隠喩が込められているようにも思う。つまり、大砲しか運ぶものがなかった鉄道という含意だ。
第一次世界大戦で捕獲されたフランス軍の列車砲 from Bundesarchiv, Bild 146-2008-0080. License: CC BY-SA 3.0 |
総じて戦略的鉄道は、長大な軍用貨物列車が頻繁に往来しても支障がないように、待避線は長く、勾配は緩く、可能な限り複線で建設される。それとともに、列車が輻輳する市街地を迂回するルートを採用することが多い。この鉄道も、地図でもわかるとおり、マクデブルク Magdeburg やカッセル Kassel といった主要都市を避けるようにして敷かれている。このことは路線の平時における利用価値を低下させ、せっかくの立派な施設をなかば遊休化させてしまう原因となった。
開通当時からベルリン~ブランケンハイム間では定期列車が設定されない区間があり、ライネフェルデ~トライザ間は軍用列車も避けて、カッセル回りのルートを選んだと言われる。勾配区間の多さとともにライネフェルデ駅での方向転換(すなわち機関車付け替えの手間)が嫌われたのだろう。また後には、列車頻度に応じて、片方の線路を撤去して単線に戻す区間も現れた。ジルバーハウゼン分岐駅~トライザ間やラーンタール鉄道の一部区間がそうだ。
図3 現在の状況 |
2010年現在の状況(下注)を図3に示した。当時の新設線のうち今も活用されているのは、たまたま都市間連絡の機能を担うことができた区間に限られる(図の濃い赤線)。まずベルリン~ヴィーゼンブルク Wiesenburg 間、ここはデッサウ Dessau 方面への定期旅客列車のルートとして定着した。ギュステン Güsten ~ブランケンハイム間は、マクデブルク Magdeburg とエアフルト Erfurt を結ぶ列車の経路になっている。コブレンツ Koblenz ~トリーア Trier 間はルクセンブルク方面へのインターシティが走る幹線に成長し、トリーア~メス間にも国際列車の設定がある。しかし、それ以外の区間(図の淡い赤線)は実質的にローカル線の状況のまま、衰退の一途をたどった。
*注 ドイツ鉄道公式サイトの路線図 Streckenkarte による。
中でも、ジルバーハウゼン分岐駅~エシュヴェーゲ間は悲運をかこった区間だ。直通列車をカッセル経由の幹線から奪えなかっただけでなく、第二次大戦とそれに続く東西冷戦の影響をまともに蒙ったからだ。戦争末期に沿線のフリーダ川 Frieda を渡る鉄橋が爆撃を受け、レールが分断されてしまう。さらに、東西ドイツの国境が鉄道を横切って設定されたため、鉄橋とその前後区間は二度と復旧されなかった。ローカル列車の運行は東西両側に分かれて細々と続けられたものの、いずれも1990年代になって廃止の最終宣告が下された。
ところで、この鉄道はどれほどの規模で建設されたのだろうか。締めくくりにあたって、それを少しでも想像できる写真を紹介しておこう。場所は、上で述べた分断地点の東側、山懐に抱かれたレンゲンフェルト・ウンテルム・シュタイン Lengenfeld unterm Stein の村だ。東の分水界から長い下り坂を降りてきた線路が、村を巻くように半回転している(下の地図参照)。その途中、家並みと小川をまたぎ越しているのが、6つの逆アーチ(魚腹トラス)を連ねた複線幅の堂々たる高架橋だ。長さ237m、高さ24m、集落からはまさに仰ぎ見る位置にある。
レンゲンフェルト鉄橋 Photo by Michael Sander at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
レンゲンフェルト付近の1:50,000地形図 ヘッセン州測量局1:50,000 L4726 Heiligenstadt 1985年版 東西再統一以前の版につき、旧 東独部分には1945年の資料が使われている。 © Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2011 |
このような立派な構造物を地表に遺したまま、歴史のかなたに消え去った大砲鉄道。次回はそのルートと現況を、地形図と照合しながら見ていきたい。
■参考サイト
レンゲンフェルト付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=51.2128,10.2221&z=16
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