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2011年8月21日 (日)

オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-メイン・サザン線とピクトン支線

大分水嶺 Great Dividing Range を越える目的は同じでも、そこに至るまでの地勢は場所によってさまざまだ。ジグザグに始まる険しいルート設定を強いられたメイン・ウェスタン線(西部本線)Main Western Line に対して、南西方向に進んだメイン・サザン線(南部本線)Main Southern Line(当時はグレート・サザン鉄道 Great Southern Railway)の行く手には、なだらかな高原地帯が広がっていた。

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保存運行の終点バクストン駅
 
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メイン・サザン線は、ニューサウスウェールズ州の州都シドニー Sydney とビクトリア州境にあるオルベリー Albury の間を走る646kmの路線だ。途中のゴールバーン Goulburn からは首都キャンベラ Canberra へ向かう支線が分岐する。また、オルベリーからはビクトリア州鉄道で南岸の港町メルボルン Melbourne まで標準軌でつながっている。

オーストラリア第一と第二の都市、さらに首都とも連絡するという意味で、同国で最も重要な路線の一つといえるだろう。

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メイン・サザン線東部ルートの概略
 

起終点をいずれも港町としながら、ルートはいっさい海岸線に沿わず、内陸のマレー川 Murray 流域をショートカットする。そのために、都合2回の大分水嶺越えが必要になった。現場の一つが、今回のテーマであるニューサウスウェールズ州南東部、標高600~700mの高原地帯だ(下注)。

一帯は北、東、南の三方が比高500mの深い谷で断ち切られているが、幸いにも北東側(シドニー方向)には、開析の進んでいない尾根が張り出している。すでに19世紀前半、ここに道路が拓かれており、鉄道も同じルートを選んで高地にアプローチした。

*注 地域名としては、ミッタゴン Mittagong、ボーラル Bowral、モスヴェール Moss Vale を中心とするエリアをサザン・ハイランド Southern Highlands(南部高地)、その西側、ゴールバーン Goulburn を中心とするエリアをサザン・テーブルランド Southern Tablelands(南部台地)という。分水界はサザン・テーブルランドの西縁を限る。

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(左)現在のピクトン駅
  シドニー方からシティレールの近郊旅客列車が到着
(右)同、ミッタゴン方を望む
 (ピクトン支線は橋の100m先で分岐)
 

シドニー中央駅から85kmのピクトン Picton 駅が、山越えの起点だ。蒸気機関車の時代は、機関庫や乗務員宿舎などが置かれ、多忙な拠点駅だった。ネピアン川 Nepean River を渡るメナングル Menangle の鉄橋が完成して、ここまで鉄道が開通したのが1863年、そのあと山を上りきって高原上のミッタゴン Mittagong に到達するのは、4年後の1867年になる。

山越えルートは、26km先のヒル・トップ Hill Top まで、多少の踊り場はあるものの一貫して上り坂が続く。ピクトンの次のサールミア Thirlmere は、後述する鉄道博物館の所在地として今では有名だが、駅の歴史は、2つ目のクーリジャー Couridjah のほうが古い。前者が1885年開業(下注)に対して、後者は開通当初から存在した。その理由は、クーリジャー駅の西にあるサールミア湖群 Thirlmere Lakes(谷間に複数の池が連なる)が、機関車給水のための水源とされたからだ。

バクストン Buxton を経てバルモラル Balmoral から、森の中を急勾配で突き進む最後の胸突き八丁となる。そのため、ヒルトップはシドニー方から来た列車にとって、文字通り山上の駅と感じられたはずだ。ピクトンの標高は165mに過ぎないが、ここでは600mを越えている。

*注 サールミアの開業時の駅名はレッドバンク Redbank、翌86年にサールミアに改称。クーリジャーも開業時はピクトン・ラグーンズ・タンク Picton Lagoons Tank。数回の変遷を経て、1929年に現駅名に改称。

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(左)本線との分離地点
  手前がピクトン支線、左へ曲がるのがメイン・サザン線
(右)保存されているサールミア駅
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(左)サールミア駅北側の踏切
  列車通行時以外は線路を遮断
(右)1867年開業のクーリジャー駅
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(左)保存運行の終点バクストン駅
(右)線路はバクストンからさらに山手へ続いている
 

ヒルトップの南方には、ビッグ・ヒル Big Hill と呼ばれた丘を横断する深い切通しがある。次のコロ・ヴェール Colo Vale まで、線路はまっすぐ谷へ降り、また上っていたが、後に西の山際を通るアップダウンの少ないルートに切替えられた(改修年不明)。旧線跡は、地方道ウィルソン・ドライヴ Wilson Drive の敷地に転用されている。

コロ・ヴェール~ブリーマー Braemar 間でも、急な下り坂を解消するため、東側に大回りする線路が建設された。それでも1:30(33.3‰)もあった勾配は依然として一部に残り、単線であることとあいまって、運行上の足枷となっていた。

1910年代に入ると、輸送力増強の目的で、メイン・サザン線の抜本的な改良工事が始まる。それは、複線化とともに、全線各所で勾配緩和のためのルート変更、すなわち迂回線 Deviation の新設を伴っていた。中でも最大規模と目されたのが、このピクトン~ミッタゴン Mittagong 間に計画された延長45kmもの新線だった。

新しいルートは、ピクトン駅を出たとたん、興味深い動き方をする。鉄橋を渡るといったん右にそれ、町裏のレッドバンク山 Redbank Range で半回転して、駅の川向うに再度姿を現すのだ。新線の通過に支障する旧線は、鉄橋の北詰めで分岐し、迂回線の外側に沿うルートに改められた(新旧線路の位置関係は、下図中の挿図参照)。

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迂回線とピクトン支線
© Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0
 

新線はその後、旧線がたどる尾根の東隣にある尾根にとりつき、高度を稼ぐためにいくつもオメガカーブを切りながら上っていく。サミットは長さ920mのアイルマートントンネル Aylmerton Tunnel で抜け、ミッタゴンの1.5km手前でようやく旧線との合流を果たす。

最短距離をとった旧線に比べて曲線(半径400m)の目立つルートだが、制限勾配は1:75(13.3‰)と遥かに控えめだ。スピードが勝負を決める現代の旅客輸送とは事情が異なり、当時は機関車の牽引力を保つために、ルートの直進性より勾配の改良が優先だった。

迂回線は1919年に開通し、その時点で、旧線は支線に格下げとなり、ピクトン=ミッタゴン・ループライン Picton - Mittagong Loop Line(以下、ピクトン支線という。下注)と呼ばれるようになった。ピクトン支線はその後も営業を続けたが、沿線はもともと後背地がなく利用者が限られていたため、1978年、ついに休止に追い込まれた。

現在この区間は、シティレール CityRail によるバス運行となっている。しかし、支線のレールは撤去されなかった。すでに沿線のサールミアに、鉄道博物館が進出していたのだ。

*注:ループラインは、日本で言うループ線(英語ではスパイラル Spiral)ではなく、本線と分かれてまた先でつながる線路という意味で使われている。

ニューサウスウェールズ鉄道交通博物館 New South Wales Rail Transport Museum は1962年にシドニー郊外エンフィールド Enfield で開設されたが、同地の再開発に伴って、1975年にここへ移転してきた。ピクトン支線が、保存列車の運行や本線との車両の授受に使えるという理由からだった。ジグザグ鉄道の記事で、同鉄道が標準軌車両の提供を受けられなかった理由に、州が自前で鉄道博物館を整備する計画を持っていたことをあげたが、その場所こそサールミアだ。

今ではここに、蒸気機関車をはじめ、ニューサウスウェールズ州で活躍した標準軌の古典車両が100両以上集結している。毎日曜にはピクトン支線を使って、蒸機牽引の観光列車が運行される。

主催者サイトによれば、サールミア~バクストン間6.7kmを往復するコースで所要50分、日に4往復している。ジグザグのような車窓の見せ場はないが、バクストンへは高度差約100mの上り坂が続いているので、勇壮なドラフト音と排煙は期待できる。このほか、保存車両を使ったヘリテージ・エクスプレス(鉄道遺産急行)Heritage Express と称する本線ツアーも催行されている。列車はピクトンの分岐点を経由して本線に入っていく。

なお、同博物館は、レールコープ(ニューサウスウェールズ州鉄道局)RailCorp が全額出資したトレーン・ワークス社 Trainworks Limited に運営権が移り、展示施設の改装を経て、2011年4月に再オープンした。

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(左)鉄道博物館トレーン・ワークス入口
(右)館内
  正面は1866年英国ロバート・スチーヴンソン社製18号機(E17形2号機)
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(左)AD60形ガーラット式機関車、1956年製
(右)現在も保存運行に使われるC36形機関車、1926年製
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(左)豪華寝台列車の代名詞プルマン客車
 4両セット(SET 88)、1899~1902年製
(右)オープンデッキ付ボギー客車
 9両セット(SET 63)、1910年製
 

このようにバクストン以北は今なお活用されているが、対照的に山越えの中心であった南部区間は、列車の姿が絶えて久しい。

南端のブリーマー~ミッタゴン間が工場への貨物線として利用されているほかは、長らく放置されたままで、草むしているか、朽ちているか、でなくとも使用できる状況にはないという。レールこそ残れど、19世紀の植民地の陸運を支えたピクトン支線全線の復活は、望み薄のようだ。

(2006年10月5日付「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-南部本線」を全面改稿)

写真はすべて、2012年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Wikipedia英語版 - ピクトン=ミッタゴン・ループライン
http://en.wikipedia.org/wiki/Picton_Loop_railway_line,_New_South_Wales
 写真が多く掲載されている
ニューサウスウェールズ鉄道交通博物館  http://www.nswrtm.org/
トレーン・ワークスTrain Works  http://www.trainworks.com.au/
ヘリテージ・エクスプレスHeritage Express  http://www.heritageexpress.com.au/
 博物館所有の車両を使った本線ツアーの案内
メイン・サザン線データ
http://www.nswrail.net/lines/show.php?name=NSW:main_south
サールミア付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-34.2072,150.5694&z=16

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