オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-トゥーンバ付近
オーストラリア大陸の東側には、南北3500kmにわたって大分水嶺山脈 Great Dividing Range が長々と横たわる。特にその南半分は、分水界が海岸から直線距離で150kmにまで迫っていて、海岸に拠点を置く各植民地にとって、開発を待つ土地の多くは連なる山の向こう側にあった。19世紀半ばになると、海港とこれら内陸地域を結ぶ鉄道が何本も計画されたが、いずれも間に立ちはだかる峠道の克服という課題を解決しなければならなかった。
![]() 1907年頃のスプリングブラフ駅 image from wikimedia |
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最も早くハードルを乗り越えたのは、1862年、ヴィクトリア植民地のメルボルン Melbourne から北へ150km、金鉱で繁栄するベンディゴ Bendigo まで通じた鉄道だ。ただし通過した分水界の地勢は穏やかで、標高も550m程度しかない。新大陸で初めての山越えが、広軌1600mmの複線で、勾配や曲線も緩いイギリス本国並みの高規格で造ることができたのは、ゴールドラッシュに酔う新興地の勢いもさることながら、比較的工事がしやすい地勢に負うところも大きかっただろう。
次にその課題に挑戦したのはクイーンズランド植民地で、イプスウィッチ Ipswich を起点として西に向かう鉄道だった。今回は、オーストラリアで最初に本格的な山越えを達成したこのルートにスポットを当てたい。
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イプスウィッチは、ブリスベン(ブリズベン)Brisbane から川上へ40kmの地点にある町だ。当時ここまで船が遡行できたことから、石炭や羊毛の積出港として賑わっていた。大分水嶺の西斜面、広大なダーリング・ダウンズ Darling Downs で産するこれらの貨物を輸送するのが、鉄道敷設の主目的だった。
当面の目標は、西80kmに位置するトゥーンバ Toowoomba、今はガーデンシティの異名をとる緑豊かな美しい内陸都市だ。この付近では、山脈としての大分水嶺はほとんど消失し、ダーリングダウンズの台地の東端が、そのまま分水界になっている。ブリスベン川の支流が東側から台地を盛んに侵食し続け、比高300m以上の急斜面を作ってきた。トゥーンバの町はこの崖に面して発達したため、町のへりを分水界が通っている。
地形は、先駆者ベンディゴ鉄道に比べてはるかに厳しく、そのため、東斜面を上る約40kmの区間は今なお、州の鉄道を運営するクイーンズランド・レール Queensland Rail(QR)きっての難所だ。さらに付け加えれば、QRの軌間が日本のJR在来線と同じ1067mmである理由も、この分水界越えにあった。
![]() イプスウィッチ~トゥーンバ間概略図 |
オーストラリア遺産委員会 Australian Heritage Commission による「国を一つにする:オーストラリアの運輸と通信1788~1970年 Linking a Nation: Australia's Transport and Communications 1788 - 1970」の第4章が、植民地の鉄道創業期の状況を記している。一節を引用させていただく(迷訳ご容赦)。
「政府は、ブリスベン川航路の起点イプスウィッチから豊かな農牧地域ダーリング・ダウンズ最大の町トゥーンバを結ぶ鉄道の建設に際して、事業を託す主任技師にアブラム・フィッツギボン Abram Fitzgibbon を任命した。ダーリング・ダウンズへは緩い登り道がなく、鉄道には、大分水嶺山脈の東斜面を上る険しい勾配が必要になると考えられた。フィッツギボンは1863年に、この計画は実現可能であり、コスト削減のために急曲線と3フィート6インチ(1067mm)の狭軌を採用するのがよいと報告した。このような軌間はノルウェーで1862年にはじめて使用されたばかりだった。イギリスの大手建設会社が路線建設の契約を結んだ。
路線の最初の区間はブリスベン川の平野部を進むイプスウィッチからビッゲズ・キャンプ Bigge's Camp(現在のグランチェスター Grandchester)までで、1865年7月31日に開通した。現存する「ミディアムゲージ」では世界初の路線である。トゥーンバまで57マイル(92km)の延長は1867年5月1日に開通したが、標高143mのヘリドン Helidon からトゥーンバ近くの標高612m、ハーラクストン Harlaxton まで上っていく。延長27マイル(43km)のうち優に2/3が切通しの中を走り、47の橋梁、9つのトンネルと126か所のカーブ(そのうち49か所は半径100m)が設けられた。多くの橋は木製の橋脚に鉄製の橋桁を載せた混成構造だった。制限勾配は単純な仕様で、1/50(20‰)が続いていた。
このような鉄道はそれまで建設されたことがないもので、トゥーンバ山嶺鉄道 Toowoomba Range Railway は世界中のこうした軽規格で曲線の多い狭軌山岳鉄道の先例となった。」
![]() トゥーンバ付近の1:250,000地形図 © Commonwealth of Australia (Geoscience Australia), 2006. License: CC-BY 4.0 |
QRの歴史資料によると、イギリスのグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway で採用されていた7フィート(2134mm)軌間に比較すれば、1435mm(現在の標準軌)も1067mmも狭いことには変わりなく、建設コストの点で1067mmがより有利だったとしている。ともあれ、この選択が、その後のクイーンズランド鉄道網の拡張にあたって、事実上の標準となったのは確かなことだ。
さて、フィッツギボンの合理的な提案が功を奏して、鉄道は事業の認可からわずか4年程度で実現した。標準軌を採用した南隣のニューサウスウェールズ植民地が、山容がさらに深いとはいえ1850年に着工した山脈横断鉄道をまだ完成させられなかった(下注)のに比べて、驚くべきスピードと言える。
しかし、コスト抑制のために選んだ規格の低さは、輸送量の増加に伴って次第に足枷となっていく。機関車を大型化しようにも、急曲線とトンネル断面がそれを阻み、勾配が連続するため、牽引定数も制限された。のちに重軌条化とともに、曲線緩和が数個所で実施されて、走行条件はいくらか改善されたようだが、羊腸の行程そのものは解消していない。
*注 シドニーから西へ進んだ現在の西部本線が、2か所のジグザグ(スイッチバック)を介して現在のリスゴー Lithgow 付近まで達したのは、トゥーンバ線開通2年後の1869年。このジグザグについては次回以降詳述。
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現在、QRのメイン線 Main Line の一部となっているこの登坂区間は、麓からサミットまで470mの高度差がある。勾配を20‰(1000m進んで20m上る)にするなら、水平距離にして23.5kmの線路を敷き回さなければならない計算だ。いったいどのようなルートをとっているのだろうか。東側から見ていこう。
![]() 現在のヘリドン駅 Photo by TravellerQLD from wikimedia. License: CC-BY-SA 3.0 |
ヘリドン Helidon を後にした線路は、4kmほど西向きの平坦な道を走ったあと、北に針路を振って、支流の谷へ向かう。高度をかせぐために、川の流路に従わず半径200m程度のカーブでぐいぐい回り込んでいくが、これはまだ序の口だ。少し開けた谷の中にある信号所マーフィーズ・クリーク Murphys Creek は開通当時、蒸気機関車への給水施設を備えた峠下の補給基地だった。信号の自動化と普通列車の廃止によって、駅は1992年に機能を停止し、列車交換だけが行われている。ここを通過すれば、いよいよ大分水嶺の東斜面にとりつくことになる。
細かい山襞をほとんどトンネルに頼らず忠実に巻いていくので、反向する急曲線が際限なく続き、180度向きを変えることも一度や二度ではない。使われている曲線半径100mは幹線鉄道では例外的で、厳しい速度制限がかけられているはずだ。道路交通が主流になるまで、この路線は州都と山上の町や後背地を結ぶ動脈だったのだが、ニューサウスウェールズのように抜本的な線路改良を行う計画はなかったのかと訝しく思うほどだ。
![]() マーフィーズ・クリーク(図右端)~ホームズ Holmes間の1:50,000地形図 図の左端から下図の右端に続く © The State of Queensland (Department of Environment and Resource Management), 2002 |
険しい山坂の途中に、スプリング・ブラフ Spring Bluff 駅が現れる。周りを森に囲まれたささやかな施設だが、旧信越本線碓氷峠の熊ノ平のように、蒸機の時代は給水のために必ず停まり、上下の列車が行き違う重要な駅だった。駅の機能はマーフィーズ・クリークと同時に廃止となったものの、駅舎や付属施設は1994年に州のナショナルトラストから歴史遺産のリストに登録されることになった。
さらに、駅にはもう一つの顔がある。それは、線路の山手に広がる色鮮やかな花畑の眺めだ。駅長夫妻が始めた園芸が評判になり、早くから庭園駅として知られてきた。毎年9月後半に開催されるトゥーンバの春の一大行事、フラワーカーニバル Carnival of Flowers の間は臨時列車も運転されて、多くの人々が観賞に訪れる。
![]() スプリング・ブラフ駅前後の1:50,000地形図 © The State of Queensland (Department of Environment and Resource Management), 2002 |
スプリング・ブラフからさらに上ると、しばらく森のかなたに遠ざかっていた道路がこともなげに追いついてきて、頭上をまたいでいく。線路は大きな尾根を一つやり過ごして、高度差が実感できる区間に入る。短いトンネルをいくつかくぐり、採石場を左手にして切通しへ突っ込むと、ここがようやくサミットだ。冒頭に記したとおり、分水界の西斜面は、東側とは至って対照的に、丘が点在するなだらかな平原で、降った雨は海に注ぐまで3000kmもの旅をする。線路は、高原の風情が漂う庭園都市の一角をしばらく進んでから、トゥーンバ駅に滑り込む。
残念なことに現在、興味深い分水嶺越えの車窓を楽しむ機会はごく限られている。ブリスベンからの近郊列車は、イプスウィッチを経由してローズウッド Rosewood までしか行かない。その先で運行されている代行バスも、山の手前のヘリドン Helidon が終点だ。
トゥーンバ方面まで足を延ばす旅客列車は、週2往復の長距離便「ウェストランダー The Westlander」だけになる。ウェストランダーの東行き(ブリスベン方面)が現場を通過するのは朝7時台でまだしも、坂を上る西行きは22~23時ごろと、車窓は闇の中だ。また、ヘリドン~トゥーンバ間は無停車なので、もしスプリング・ブラフ駅を訪れたければ、クルマを使わない限り、フラワーカーニバルの期間にトゥーンバ駅との短区間を往復している臨時列車が、唯一のアクセスになる。
なお、今年(2011年)1月の豪雨で、この区間は大きな被害を受けた。線路の路盤が各所で流失し、スプリング・ブラフの庭園も土石流に襲われ、大小の岩が散乱した。しばらくウェストランダー号はグレーハウンドバスで代行すると告知されていたが、その後どうなっただろうか。
(2006年9月8日、同15日付「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-トゥウンバ付近 I およびII」を全面改稿)
本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(The Westlander, Toowoomba, Murphys Creek)、地元紙記事Web版を参照して記述した。
■参考サイト
Dr Robert Lee "Linking a Nation: Australia's Transport and Communications 1788 - 1970", Australian Heritage Commission, 2003
http://www.environment.gov.au/heritage/ahc/publications/commission/books/linking-a-nation/
クイーンズランド・レール http://www.queenslandrail.com.au/
スプリング・ブラフ駅 http://springbluff.com.au/
写真集
http://www.panoramio.com/photo/51136032
http://www.flickriver.com/places/Australia/Queensland/Spring+Bluff/
YouTube トゥーンバ~スプリング・ブラフの臨時列車
http://www.youtube.com/watch?v=usyFNBwId40
スプリング・ブラフ駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=-27.4658,151.9766&z=17
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