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2011年6月 3日 (金)

インドの登山鉄道-カールカー=シムラー鉄道

カールカー=シムラー鉄道 Kalka-Shimla Railway

カールカー Kalka ~シムラー Shimla 間 96.54km
軌間762mm(2フィート6インチ)、非電化
1903年開通

Blog_kalkashimla_map1

インド北西部の山中を走るカールカー=シムラー鉄道 Kalka-Shimla Railway(以下KSRと記す、下注)は、軌間762mm(2フィート6インチ)、延長96.54kmの狭軌路線だ。イギリス領時代に夏の都として栄えたシムラーへ、下界から人と物資を100年以上にわたって運び続けてきた。鉄道は、同じ狭軌のダージリン、ニルギリに続いて、2008年に世界遺産「インドの山岳鉄道群」の一員に加えられたが、先の2線とは異なる特色をもつ。列車の進路に、平地を突き進む直線区間が一切ないこと、そして重厚な石造りの橋や長いトンネルが次々と現れることだ。どちらも、KSRの前に立ちはだかっているのが尋常ならぬ険路であることを証するものだろう。徹頭徹尾、山岳鉄道というKSRの素顔を、地図の上から追ってみたい。

*注 日本語では、「カルカ=シムラ鉄道」、「カルカ・シムラ鉄道」、「カルカ・シムラー鉄道」など複数の表記がある。本稿では、ヒンディー語由来の地名について、わかる範囲で長母音と短母音を区別して表記した(ヒマラヤのように定着した語を除く。もし誤りがあればご指摘願いたい)。

鉄道の目的地シムラー Shimla は、標高2200m前後の稜線とその周辺に延びる町だ。ヒマラヤ山脈の前山を構成するシヴァーリク山脈 Sivalik Hills に位置し、夏の平均気温が19~28度、真冬には氷点下にもなり、雪が降る。ここは19世紀前半、イギリス人によって、低地の酷暑を避けるためのヒルステーション(高原避暑地)として開発された。1864年からは英領インド帝国 British Raj の夏の首都とされ、軍司令部や政府部局も置かれた。稜線の一角に、いにしえの副王公邸 Viceregal Lodge が堂々たる姿を今にとどめているが、支配階級は、帝国の首都カルカッタ Calcutta(現在のコルカタ Kolkata)からはるばる1500kmもの長旅をして、ここにやってきたのだ。

シムラーへの鉄道路線の構想は19世紀半ばからあったが、1889年に、デリー Delhi からアンバーラー Ambala 経由で、山際のカールカー Kalka まで広軌鉄道が延びたことで、建設の気運が高まった。1895年には、途中のソーラン Solan までの区間について、詳細な路線調査が行われた。ラック式鉄道か粘着式鉄道のどちらを選ぶかを巡って長い議論が続いたが、最終的に後者が選ばれた。

1898年に政府とデリー=アンバーラー=カールカー鉄道会社 Delhi-Ambala-Kalka Railway Co. との間で契約が交わされ、建設事業がスタートした。当初の計画では、軌間をダージリンなどと同じ2フィート(610mm)としていた。しかし、路線に戦略的役割を期待した軍の要請で、2フィート6インチに変更され、一部の完成区間については手直しが実施された。トンネル107か所(現在使用しているのは102か所)、橋梁864か所、制限勾配1:33(30.3‰)、総距離の7割がカーブで最小曲線半径37mという途方もない山岳路線は、1903年11月にシムラーまで全通した。

鉄道は、麓から荷馬車で4日かかると言われた道のりを一気に短縮した。しかし、土地は無償提供するが財政援助はしないという政府との契約で進められた建設事業は、会社の経営を圧迫した。他の路線より高く設定した賃率も効果はなく、1906年、ついに路線は国に買収された。

KSRのルートを描いた地図をいくつか用意した。全体を把握できるのは、いつものとおり、AMS(旧米国陸軍地図局)1:250,000図【図2】と旧ソ連1:200,000図【図4】だ。

注意すべきは、AMS図が、平野部と山岳部で等高線の間隔を変えていることだ。掲載した図では、シムラーの載る上半分がなだらかな地形のように見えるが、実はそうではない。等高線の刻みが、上半分(SIMLA図葉)は500フィート間隔、下半分(AMBĀLA図葉)は200フィート間隔と異なっているのだ。これでは読図しにくいので、同じ1:250,000の縮尺で公開されているJOG図(米軍の軍用地形図【図3】)も挙げておいた。AMS図に比べて地名などの情報量は圧倒的に少ないが、等高線が100m単位に統一され、ぼかし(陰影)もついているので、地勢の概略を知るのに好都合だ。ただし、使用した下半分の図は、ぼかし版のずれがひどい。

図1 AMS 1:250,000
Blog_kalkashimla_map2
路線と駅、駅名を加筆
オレンジの枠は下図4~7の範囲
図2 JOG 1:250,000
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図3 旧ソ連1:200,000
Blog_kalkashimla_map4

*注 ちなみにJOG図とソ連図では、図の左下隅にチャンディーガル Chandigarh 市街が描かれているが、AMS図になく、鉄道も市街に寄らずにまっすぐ南下している。これはチャンディーガルが1950年代に造成された計画都市で、AMS図の編集(1954~55年)に反映されていないため。

KSRのルートは、一言で表現するのが難しい。単純に、山麓から山上をめざして一気に上りきっているわけではないからだ。起点カールカーの標高は656m、終点シムラーは2076m、この差1420mを96kmの距離で稼ぐとすれば、平均15‰程度の勾配で済むはずだが、複雑な地形がそれを阻んでいる。線路は、山塊の間の鞍部や尾根を伝いながら、階段状に高度を上げていく。その詳細は、グーグル衛星画像と同 地形図をもとにして自家製の地図4面【図4~7】に描き入れたので、以下の説明の参考にしていただければ幸いだ。

沿線のエピソードを交えながら、列車に乗ったつもりでルートを追ってみよう。

【図4】カールカー Kalka でKSRは、全国の広軌鉄道網から乗客を引き継ぐ。赤いディーセル機関車に牽かれた狭軌列車は、ゆっくりと駅を後にする。左手に機関庫を見送って右に曲がった線路には、もう勾配がついている。この先、直線距離でせいぜい6~7kmの間に450mほどの高度を稼ぐため、線路は急勾配で、すさまじいループ(つづら折り)を斜面に描きながら進んでいくのだ【図5】。途中、タクサール Taksal、グンマン Gumman の駅をはさむが、これらに限らずどの駅も8両分、長さ82mの立派な対向線を備えている。黄の地色に駅名を太書きしたインドでおなじみの駅名標には、山岳鉄道ならでは、底部に小さく標高データが添えてある。

図4 路線図(カールカー~ソーラン)
Blog_kalkashimla_map5
図5 カールカー周辺拡大図
Blog_kalkashimla_map8
(c) 2011 Google
注:基図に使用したGoogle Mapの等高線は(おそらく)メッシュ標高データから生成されているため、等高線の間隔が狭い(=急傾斜の)場所では、空中写真からトレースした線路の位置と一部整合していない。

 

深い谷の遥か上方をしばし走り、コーティー Koti 駅の先端で、列車は路線で2番目に長い694mのコーティートンネル Koti Tunnel に突入する。峠でもない場所に長いトンネルを設けたのは、斜面を割いて谷底まで達していた大規模な崩壊地を避けるためだ。
今は停車する列車がなくなったジャーブリー Jabli 駅を過ぎ、ソンワーラー Sonwara 駅の先に、またも3段のループがある。下段の折返しの手前にある直線の第226号橋梁は、路線最長の97mあって、折返した後、左の車窓から木の間越しに観察できる。ローマの水道橋を思わせる石灰岩の多層アーチ橋は乗客にとって格好の被写体になっているが、4層に積み上げられたのは、ここともう1か所(後述)のみという。上段の折返しはトンネル内で半回転している。

ループをやり過ごすと、列車は約800mの高度を上りきって、風通う鞍部に出る。ダランプル・ヒマーチャル Dharampur Himachal の駅名は、同じダランプルを名乗る他の駅と区別するため、ヒマーチャル(下注)の地域名が添えられた。ここは、小さく静かな避暑地カサウリー Kasauli への下車駅でもある。続くクマールハッティー・ダグシャーイー Kumarhatti Dagshai の駅名も長いが、これは近隣の2つの集落名をつなげたものだ。標高1579m、地理的にはルート前半のサミットに当たる。駅のすぐ先の小さなトンネルを抜けた後、線路は下り坂になる。

*注 ヒマーチャル Himachal はヒマーラヤ(ヒマラヤ)Himalaya から派生した言葉で、シムラーを州都とするヒマーチャル・プラデーシュ州 Himachal Pradesh の範囲を指す。ちなみに他の州名にも用いられるプラデーシュは「地方」の意の普通名詞。
参考 http://www.himachalpradesh.us/geography/himalayas_in_himachal.php

【図6】北への進路を阻むように、山塊が東西方向に横たわっている。並行する国道22号線はこれを大きく回り込んでいくが、鉄道は、山の中腹を穿つ路線最長1144mのバローグトンネル Barog Tunnel で、一気に向こう側へ抜ける。トンネルを出たところにバローグ Barog 駅がある。駅名は、最初にトンネル工事を担当したイギリス人技師を追憶するものだ。彼は重要なこの工事で測量を誤り、その結果、両側から掘り進められたトンネルは、位置がずれて貫通できなかった。罰金を科せられた彼は屈辱に耐えきれず、愛犬と散歩中に銃で自殺を図った。村に駆け戻った飼い犬の知らせで人々が現場に駆けつけたが、すでに彼は息絶えていた。現在のトンネルは後に1km離れた場所に掘られたものだが、いわくつきの旧トンネルも坑口を閉鎖した状態で残っているという。バローグではほとんどの列車が10分前後停車するので、ホームに降りて記念写真を撮る人も多い。

図6 路線図 (ソーラン~カトリーガート)
Blog_kalkashimla_map6

次のソーラン Solan は、きのこが特産品の、沿線でシムラーに次いで大きな町だ。KSRの旅もこの駅でちょうど半ばになる。チャンバーガート Chambaghat 駅の次に、列車が停まらなくなったソーランブルワリー Solan Brewery という駅がある。すぐ左の山際にあるのがそのビール工場、モーハン・ミーキン醸造所 Mohan Meakin Brewery だ。工場のルーツは1820年代、カサウリーに設立されたアジアで最初のビール醸造所で、まもなく豊かな湧水を求めて現在地に移ってきた。1840年から1世紀以上、ここで造られる「ライオン Lion」ビールは国内のトップブランドだったそうだ。

サローグラー Salogra 駅を過ぎ、カンダーガート Kandaghat 駅は標高1432m、今年(2011年)5月に、歴史ある駅舎内部を漏電による火災で惜しくも焼失した。地形的には鞍部を成していて、ルート断面図で見れば、ダランプルからここまでが緩い勾配の、いわば踊り場だ。ガート Ghat という語は、聖なる川へ降りる階段を指すとともに、険しい山道の意味もある。名が示すとおり、ここで再び上り坂が始まる。山腹を激しく巻いていく坂道の途中にカノー Kanoh 駅があるが、その直前で、列車は、沿線名物となっている第493号橋梁「アーチギャラリー Arch Gallery」を渡る。橋は第226号と同じ4層アーチだが、路線中最も高い23mを誇る。線路は右にカーブしているので、角度は浅いが右の車窓から眺めることも可能だ。

【図7】カトリーガート Kathleeghat 駅以降は、シムラーの載る山塊から南に延びる尾根筋を伝うコースだ。高度が1800m台に上がって、眺望も一段と広く深くなっていく。ガートの地名にそむかず、ここにも山腹を右巻きする上り坂があるが、長くは続かない。

図7 路線図(カトリーガート~シムラー)
Blog_kalkashimla_map7

ショーギー Shoghi 駅を出ると、正面に山が近づいてくる。線路はその東斜面に回っていき、最後に路線で3番目に長い492mのトンネルを抜けて、ターラーデーヴィー Taradevi 駅に着く。ターラーデーヴィーとは星の女神のことで、山頂に彼女を祀る寺がある。星が自ら燃えるように、この女神は抑制できない欲望を象徴するといわれ、鋏を持ち、血塗られた口をした恐ろしい姿で描かれる。この山にトンネルを建設すると知った現地の人々は、女神の崇りを怖れた。あるとき、掘削現場で大蛇が出現したという噂が立ち、動員されていた労働者たちが怯えて、工事が止まってしまったことがあった。後でそれは、新鮮な空気を送り込んでいた鉄管を見間違えたことがわかったのだが、山間での建設工事は、地形の険しさだけでなく、こうした迷信とも闘っていたのだ。

ターラーデーヴィー駅を過ぎると、列車はシムラーに向けて高度差240mの最後の上り坂に挑む。山を左から巻きながら高度を稼ぐ途中に、ジュート Jutogh、サマーヒル Summerhill の各駅がある。

終着駅シムラー Shimla は、最後の長めのトンネルで尾根の南側に抜けて間もなくだ。標高2076m、斜面に張りつく狭い敷地に、ホームに面した本線と機回しが可能な側線、その奥に機関庫、カールカー方には転車台や数本の留置線を備えている。ホームは1本きりだが、前後に分けて2本の着番線を確保している。

線路のほうはこの先まだ1kmほど延びて、長距離バスターミナルの先まで達しているものの、しばらく使用されていないようだ。線路上に人工地盤が築かれ、バスの駐車場にされてしまった終点に、1930年代の地図は貨物駅 Goods station の注記を付している。現在の駅より中心街にずっと近く、地形も緩やかなこの地は、駅を構える場所にふさわしい。もしかすると、ここが当初のシムラー駅予定地だったのかもしれない。

旅行案内によると、カールカー駅からシムラーへはタクシー、バス、列車の選択肢があるが、列車はその中で最も時間がかかる手段だ。タクシーで2時間半、バス3時間半のところ、KSRの列車は「りんごを満載した40トン積みトラックより遅い」ので、4時間半~5時間20分を要する。もとより効率を重視するなら、トイトレインに乗る意味はないし、乗客は車窓の絶景をゆっくり味わいたいがこそ列車を選んでいるはずだ。

時刻表に載っている定期列車は1日5往復で、シムラー行きは早朝に、カールカー行きは午後に集中する。カールカーには、早朝着の夜行列車カールカー・メール Kalka Mail で来る人が多いだろう。これはコルカタ Kolkata 対岸のハウラー Howrah 駅が始発で、帝国時代からの伝統的な長距離列車だ。この便を受けてシムラーに向け、レールモーター Rail Motor、シヴァーリク・デラックス急行 Shivalik Delux Express、カールカー=シムラー急行 Kalka Shimla Express が次々に出ていく。ちなみにレールモーターというのは、ボンネットバスに似た形の14~18人乗り単行気動車で、身軽なため速く、外見に似合わず高級列車の位置づけだ。

昼前には、ニューデリー New Delhi を朝出た列車(ヒマラヤン・クイーン Himalayan Queen とシャターブディー急行 Shatabdi Express)がカールカーに到着する。これを受けるKSRの列車は同名のヒマラヤン・クイーンだけだ。シムラーに着くのは夕方になる。ただし、旅行シーズンには、定期の間を縫って特別列車も設定されるようだ。

せっかく乗るなら、左右どちらの車窓の眺めがいいのかも気になるところだ。カールカー始発の場合、右側が谷になる区間が多いのは確かだが、左の席に座っても後悔することはない。ダランプル~クマールハッティー・ダグシャーイー間、カトリーガートを出たすぐ後、それにショーギー前後では、谷が左手に移る。さらに、高度も上がったターラーデーヴィー以後の最終区間は、重畳たる山並みの見事なパノラマが展開して、左側席の乗客を大いに納得させてくれるに違いない。

本稿は、M.S. Kohli "Mountains of India: Tourism, Adventure & Pilgrimage" pp.101-104, Indus Publishing, 2002、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Kalka-Shimla Railway, Solan, Shimla)、Wikitravel英語版の記事(Shimla)を参照して記述した。
地形図は、AMS 1:250,000地形図NH43-4 SIMLA(1954年編集)、NH43-8 AMBĀLA(1955年編集)、JOG 1:250,000地形図NH43-4 SIMLA(1982年編集)、NH43-8 AMBĀLA(1982年編集)Map images above all are courtesy of University of Texas Libraries、旧ソ連1:200,000地形図H-43-XI, H-43-XII(1985年編集)を用いた。

■参考サイト
北部鉄道アンバーラー管理区「カールカー=シムラー鉄道関連情報1903~2003」(ヒンディー語版、英語版)Northern Railway, Ambala Division
http://www.ambalarail.com/klksmlhome.php

写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Kalka-Shimla_Railway
http://www.irfca.org/gallery/Steam/KSRailway/
http://www.irfca.org/gallery/Steam/heritageruns/KSR/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/KalkaShimla/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/kalka_shimla_nishant/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/north/ksr09/
http://www.irfca.org/gallery/Events/KSR-Centenary/

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