ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ
ベルゲン鉄道(ベルゲン線) Bergensbanen
ヘーネフォス Hønefoss ~ベルゲン Bergen 間
軌間1435mm(標準軌)、15kV 16.7Hz交流電化
1883~1909年開通
◆
ノルウェー南部を東西に横断するベルゲン鉄道 Bergensbanen(下注)は、首都オスロ Oslo と第二の都市ベルゲン Bergen を結ぶ陸上輸送の動脈だ。同時に、万年雪を望む標高1200mの峠を越えて、旅行者をフィヨルドの美しい風景のもとに送り届けてくれる観光ルートでもある。最重要路線の一つとして改良が重ねられてきたので、路線変遷の跡をたどるのも興味深い。1909年の全線開通から昨年で100周年を迎えたベルゲン鉄道を、4回にわたって図上旅行してみよう。
*注 本稿ではベルゲン「鉄道」としたが、Bane NOR が管理する旧国鉄路線の一つで、英訳では Bergen Line(ベルゲン線)とされている。
ベルゲン鉄道100周年記念の特別列車 El 11 2107 オスロ中央駅にて(2009年) Photo by Espen Franck-Nielsen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
ベルゲン鉄道の位置 |
オスロ周辺でのベルゲン鉄道列車のルート(赤の実線) © 2020 Kartverket |
◆
オスロ中央駅 Oslo Sentralstasjon (Oslo S) を出発したベルゲン行きの列車はそのままトンネルに吸い込まれる。オスロトンネルと名づけられた3.6kmの長いトンネルは、1980年に中心市街の直下を貫き、それまで東西に分断されていた鉄路を一本につなげた。
中央駅はかつて東駅 Østbanestasjon (Oslo Ø) と称し、スウェーデン方面の国際列車や北、西、南東へ延びる国内線が発着するノルウェーで筆頭の駅だった。それに対して南西方面に向かう列車のターミナルとして、西駅 Vestbanestasjon (Oslo V) も存在した。いずれも行止りの頭端駅だったため、相互に往来できるように大規模な改良が施されたというわけだ。残念ながら、西駅は新ルートからはずれてしまい、1989年に廃駅となった。瀟洒な駅舎は残され、ノーベル平和賞の資料館(ノーベル・ピース・センター Nobel Peace Center)などに転用されている。
旧 オスロ西駅舎(現 ノーベル・ピース・センター) Photo by Daderot at wikimedia. |
実は、ベルゲン鉄道のオリジナルプランはこの西駅を首都のターミナルに想定していた。実際に、暫定開業のいっとき、ここからベルゲンへ向かう人々が旅立ったこともある。しかし、正式開業した路線は東駅のほうに接続され、それから約80年間、列車は東に頭を向けて出発してきた。現在も東駅改め中央駅が始発だが、最初の構想に沿うかのように、正反対の方向、西向きにホームを離れる。極端なこの変化には、どのような事情があったのだろうか。
それを探る一つの鍵は、ベルゲン鉄道の戸籍上の起点にある。旅行書などではオスロから通しで紹介され、列車もそのように走っているのだが、意外にも鉄道の起点はオスロの北西40kmにあるヘーネフォス Hønefoss だ。そこからベルゲンまでの381kmが正式な区間で(下注)、根元のオスロ~ヘーネフォス間は厳密にはまだ完成していない。それが、運行ルートがたびたび動く原因になっているということもできるだろう。将来まで含めると4期にわたるルートの変遷は、次のとおりだ(下の変遷図も参照)。
*注 路線距離については、開通以来随所で行われてきた線路改良のためのルート変更により変化している。
オスロへのルートの変遷 |
1908年 グルスヴィク Gulsvik~ベルゲン間の暫定開業
ベルゲン鉄道のルーツは、1883年にベルゲン~ヴォス間で開業した軌間1067mm(狭軌)のヴォス鉄道 Vossebanen で、現在の路線で言えば最も西寄りの区間に相当する。その後、1894年から標準軌による本格的な東西横断線が段階的に着工されていった。東と西から敷設が進められたレールは1907年に連結され、1908年6月に暫定開業に漕ぎ着けた。
暫定とは、東側で未開通の区間が残っていたことを示している。ヘーネフォスの西にクレーデレン湖 Krøderen という湖があるが、その北端グルスヴィク Gulsvik までしか完成しておらず、南側の、当時路線で2番目に長かったトンネル(2312m)のあるハーヴェシュティンゲン Haverstingen の山越えは、目下工事中だった。
なぜこのような変則的な開業ができたかというと、湖の南端まで1872年に狭軌鉄道(クレーデレン鉄道 Krøderbanen)が通じていたからだ。ベルゲン鉄道の列車を降りた乗客は、蒸気船で湖上を渡り、狭軌線の路線網を使ってヴィケルスン(ヴィーケシュン)Vikersund、ドランメン Drammen 経由でオスロ西駅(下注)へ到達した。
*注 オスロは、1925年に改称されるまでクリスチャニア Christiania と称していたが、本稿ではすべてオスロと記す。
1909年 全線開業
クレーデレン鉄道にとって、ベルゲンルートを担った期間は後々まで語り草となった。田舎のローカル線に、突如1日700人以上の乗客が押寄せたからだ。駅にはレストランが設けられ、乗継ぎ便を待つ客で大いに賑わったという。しかし、にわか景気はわずか1年数か月しか続かなかった。1909年11月に湖岸に沿って本線が開業すると、湖の上流に住む客まで奪われて輸送量は一気にしぼんだ。鉄道は1958年に旅客営業を止め、現在は保存鉄道として命脈を保っている。
保存鉄道化されたクレーデレン鉄道 (2006年撮影) © Simon Robinson, 2006 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2. |
それはさておき、ヘーネフォスから首都へはサンヴィカ Sandvika 経由が最短で、計画にもそう示されていた。すでにヘーネフォスには1868年からランスフィヨーレン鉄道 Randsfjordbanen(ドランメン Drammen ~ランスフィヨーレン Randsfjorden)が通じていたので、それと接続すれば、計画よりは遠回りながら首都へのアプローチが可能なはずだ。しかし、致命的だったのは、オスロの西側の鉄道が当時すべて1067mm軌間だったことで、改軌しない限り列車を直通させることはできない。
目を東に向けると、標準軌の北部鉄道 Nordbanen(現在のヨーヴィク鉄道 Gjøvikbanen)が、オスロ東駅につながっていて、こちらに乗り入れたほうが工事費が少なくて済む。それに、東駅でスウェーデン方面を含む多くの路線へ直接乗換えられる点も有利だった。ヘーネフォスと北部鉄道の途中駅ロア Roa を結ぶ連絡線は1909年11月に完成し、この日からオスロ~ベルゲン間で直通列車の運行が始まった。しかし、連絡線の名称はロア=ヘーネフォス線 Roa-Hønefosslinjen とされ、ベルゲン鉄道に組み込まれたわけではなかった。
1980年代~現在 オスロトンネル経由に切替え
ロア経由の東回り時代は長く続いた。オスロトンネル開通後の1984年版の時刻表を見ても、まだすべての優等列車がこのルートを通っている。しかし、1980年代後半から、旅客列車は西回りに切替えられていった。その主な理由は、高速運転が可能なことと、人口密度の高い地域で乗客増が期待されることだ。
北部鉄道は標準軌とはいえ単線で、オスロ背後の山地を越えていくため、線形は決してよくなく、周辺の人口も少ない。それに比べて西回りのドランメン鉄道 Drammenbanen、ランスフィヨーレン鉄道は、第1次大戦前後に標準軌化され、特に前者の沿線は都市化が進んで、複線化や長大トンネルの建設による線路改良が行われている。距離は23km長くなるが、高速走行により所要時間にほとんど差はない。この結果、今や東回りで運行されるのは、貨物列車だけになってしまった。
将来 初期計画線の実現
初期構想以来、長年の懸案であるヘーネフォス~サンヴィカ間をショートカットする路線に、昨今またスポットライトが当てられている。ヘーネフォス周辺の地域名から、リンゲリケ鉄道 Ringeriksbanen と呼ばれる路線だが、大半円を成すオスロ都市圏北側の公共輸送を、自動車から鉄道に呼び戻す切り札として注目されているのだ。
今回は、ガーデモエン(空港)鉄道 Gardermobanen に続く高速新線の整備計画の中に位置づけられ、具体的なルートも発表されている。それによれば、延長40kmで、時速200km走行が可能な高規格線となる。単線だが、6~8kmごとに長大貨物列車が交換できる750mの待避線が設けられる。現在、オスロ~ヘーネフォス間は列車で90分程度かかるが、完成すればわずか30分と、画期的な時間短縮が図られる予定だ。
これによってベルゲンまでのトータルの所要時間もかなり改善され、今度こそベルゲン鉄道の起点が首都オスロに変わる日が来るかもしれない。残念ながらまだ着工のめどは立っていないものの、東西交通の新時代到来を予感させる一大プロジェクトの進展に期待したい。
次回は、ベルゲンへの道中、分水嶺の東側にある見どころを紹介する。
■参考サイト
NSBのベルゲン鉄道紹介サイト(英語版あり)
http://www.nsb.no/travel_inspiration/
左メニューにBergen Railwayがある
ノルウェー鉄道時刻表 http://www.nsb.no/timetables/
路線ごとのPDFファイルがある。
ベルゲン鉄道は時刻表番号41 Oslo S - Bergen(長距離列車)、43 Bergen -Arna(ベルゲン近郊シャトル)、45 Bergen - Voss - Myrdal(区間列車)
鉄道庁 Jernbaneverket のサイトにあるベルゲン鉄道写真集
http://www.jernbaneverket.no/no/Jernbanen/Virtuell-togreise/Bergensbanen/
ベルゲン鉄道前面車窓ビデオ Download Bergensbanen in HD
http://nrkbeta.no/2009/12/18/bergensbanen-eng/
イントロにいわく、「2009年11月27日、120万のノルウェー人がNRK2チャンネルで『ベルゲン鉄道』の一部を視聴した。史上最長のドキュメンタリー? 少なくとも我々が製作したものでは最長の、7時間半近くに及ぶ作品では、ノルウェー西海岸のベルゲンから、山地を横断して首都オスロまでの美しい列車旅の風景を全編ノーカットで収めている。」 ダウンロードは自由だが、ファイルサイズが22GB(!)もあるので注意。同ページ末尾に、フィンセ東方を走る10分間のお試し映像がある(YouTubeへリンクしている)。
本稿はJohn Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 をもとに、Wikipedia英語版、ノルウェー語版を参照して記述した。
地形図は、地図局 Statens Kartverk のデータベースによる地図閲覧サイト kart i skolen の画像を使用した © www.avinet.no 2009
★本ブログ内の関連記事
ベルゲン鉄道を地図で追う II-旅の始まり
ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて
ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道
ノルウェー フロム鉄道 I-その生い立ち
ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道
ノルウェーの景勝路線 ラウマ鉄道
ノルウェーの鉄道地図
« ノルウェーの景勝路線 ラウマ鉄道 | トップページ | ベルゲン鉄道を地図で追う II-旅の始まり »
「北ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事
- フィンランド カレリアの歴史と鉄道(2010.10.07)
- フィンランドの鉄道地図(2010.09.30)
- スウェーデン 内陸鉄道-1270kmのロングラン(2010.07.22)
- スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版(2010.07.15)
- スウェーデンの鉄道地図 I(2010.07.08)
コメント