ヴータッハタール鉄道 I-丘のアルブラ越え
ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn
ヒンチンゲン Hintschingen ~オーバーラウフリンゲン Oberlauchringen(現 ラウフリンゲン Lauchringen)間 61.7km
軌間1435mm、非電化
1875~1890年開通
1976年ツォルハウス=ブルームベルク~ヴァイツェン間廃止
【保存鉄道】
ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus ~ヴァイツェン Weizen 間 25.6km
1977年開業
◆
スイス東部を走るレーティッシュ鉄道 Rhätischebahn の見どころの一つに、アルプスの分水嶺に挑むアルブラ越え Albulapass がある。ペンの試し書きをそのまま設計図に落とし込んだようなループが連続し、氷河急行で旅する観光客を喜ばせている。これはラックレールを使わずに急傾斜の山道を克服するための仕掛けだが、実はドイツにもそれを引き写したような路線が存在する。
それが今回のテーマ、ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn だ。路線の一部がヴータッハ川の谷筋(ドイツ語でヴータッハタール Wutachtal、下注)に沿っているのだが、その中間部は別名ザウシュヴェンツレバーン Sauschwänzlebahn、すなわち「ぶたのしっぽ鉄道」という。ルートがくるくると巻いているのをそう見立てたのだ。
注:Wutachtal の日本語表記は、ヴタハタール、ウータッハタールなども見かける。
![]() ヴータッハタール鉄道路線図 (赤線の区間は現在、保存鉄道として運行) |
大陸分水界を越えるところも、峠の片側だけが急坂のいわゆる片坂であるところも両者よく似ている。しかし、アルブラ越えが標高1815mに達する山岳鉄道であるのに比べ、ヴータッハタール鉄道の舞台はライン川 Rhein の北のおだやかな丘陵地帯で、サミットはせいぜい700m台だ。線路を何度も引き回すほどの険しい峠道など、とうていあるようには見えない。いったいなぜ、このようなところに「ぶたのしっぽ」が必要だったのだろうか。
![]() エプフェンホーフェン鉄橋を遠望 橋を渡った線路は左の山裾を回って撮影者の背後へ戻ってくる |
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その理由を説明する前に、まずこの鉄道の地理的位置を地図で確かめておこう(下図)。
西のバーゼル Basel 対岸からシャフハウゼン Schaffhausen を経てコンスタンツ Konstanz まで、ホッホライン(高ライン)鉄道 Hochrheinbahn が延びている。もとはバーデン大公国 Großherzogtum Baden の領内を貫く幹線(バーデン幹線鉄道 Badische Hauptbahn)として建設されたものの一部だが、スイスのシャフハウゼン州がライン川の右岸(北側)に張り出しているため、列車は国境をまたいで走っている。
それに対してヴータッハタールは、スイス領を通らずにライン川とドナウ川 Donau の流域をつなぐ通路を形成する。本来ローカルな迂回路に大仰とも思える土木工事が行われた背景には、ある国家戦略上の要請があった。
現在、観光用の蒸気列車を走らせている同鉄道のサイト(下記)には、開設から保存鉄道となるまでの経緯が記されている。それを参考に、ぶたのしっぽの由来を紐解いてみよう。
■参考サイト
ヴータッハタール鉄道(公式サイト) http://www.sauschwaenzlebahn.de/ (ドイツ語)
時刻表は Fahrplan、経緯は Geschichte を参照
◆
![]() ヴータッハタール鉄道を巡る19世紀後半の鉄道連絡計画 |
ヴータッハタール鉄道(下注)は、ホッホライン鉄道のオーバーラウフリンゲン Oberlauchringen(現在のラウフリンゲン Lauchringen)で北東へ分岐する。しかし、具体化した1870年の時点では、現在のルートではなく、ヴァイツェン Weizen から北に転じて、シュヴァルツヴァルト(黒森)鉄道 Schwarzwaldbahn のドナウエッシンゲン Donaueschingen へ向かうことになっていた。シュヴァルツヴァルト鉄道沿線や北のシュトゥットガルト Stuttgart をゴットハルト鉄道 Gotthardbahn に接続する構想の中に組み込まれていたからだ。ゴットハルト鉄道は当時、アルプスを貫通してイタリアに通じる動脈として、計画が進行していた。
注:日本語で「~鉄道」というと会社名を連想しがちだが、ドイツ語の Bahn は路線名の感覚で使われている。
ヴータッハタール鉄道の建設工事は西側から進められ、1875年にオーバーラウフリンゲンとシュテューリンゲン Stühlingen の間17.4kmが開通し、翌年、ヴァイツェンまで3.0km延長された。しかし、その先の谷が狭まる区間は地質が不安定で、土砂崩れが頻発したため工事が中断してしまい、全通の見通しはまったく立たなかった。
ところが1880年代に入り、ヴータッハタールが改めて注目を浴びるときが来る。その動機となったのは隣国フランスとの緊張関係だった。1870~71年の普仏戦争に勝利したドイツ(プロイセン)は、賠償としてアルザス、ロレーヌ両地方を獲得していた。さらに宰相ビスマルクは、フランス以外の諸国と同盟関係を結び、フランスを国際的に孤立させる政策をとった。両国の関係は悪化の一途をたどることになり、ドイツは再戦争に備えて、国境地帯への補給路となる鉄道の整備を急務と考えた。
ドイツ最大の要塞都市ウルム Ulm から黒森の南側を抜けてアルザス南部へ通じるルートの確保も、その一環だった。しかし、既存の最短経路であるホッホライン鉄道は、1852年に建設に際して結んだスイスとの条約の中で軍事利用を除外していた。そこで、スイス領を通ることなく、かつ長大編成の軍用列車が走れるルートを新設することが戦略上必須だと考えられた。いったん頓挫した鉄道の構想は、こうして息を吹き返したのだった。
ウルムとアルザス南部を結ぶ軍用ルートには、既存路線を極力利用しつつも、4本の新たな路線が含まれていた(冒頭の地図参照)。東から順に、
1.ドナウタール鉄道 Donautalbahn の未完成区間(インツィヒコーフェン Inzigkofen ~トゥットリンゲン Tuttlingen)37.1km
2.ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn の未完成区間(インメンディンゲン Immendingen ~ヴァイツェン)44.6km。
ただし、既存線との接続点にヒンチンゲン Hintschingen 駅が新たに設けられたため、実際の新設区間はヒンチンゲン~ヴァイツェン間41.3km
3.ヴェーラタール鉄道 Wehratalbahn(ショプフハイム Schopfheim ~ゼッキンゲン Säckingen)19.7km
4.ガルテン鉄道 Gartenbahn(レアラッハ Lörrach ~ヴァイル・アム・ライン Weil am Rhein)6.3km
だ。1と2は一部未開通で残っていた区間をつなぐものだが、3と4は、ホッホライン鉄道が同じように通過するスイス領のバーゼル Basel 市域を避ける目的で、新設されることになった。ヴァイルからライン対岸のアルザス地方へは、すでに1872年から川を渡る鉄橋を介して連絡線が存在しており、これによって延長250kmを越える南方補給路が完成する。
軍事路線に指名されたことで、ヴータッハタール鉄道の設計は一から見直しとなった。東側の接続先は、当初予定していたドナウエッシンゲンの町から、ウルムにより近いインメンディンゲン Immendingen 付近へ大きく変更され、線路勾配は軍用列車の牽引定数から10‰(1000m進んで10m上る)以内と決められた。
開通済みのヴァイツェンから東の延長区間には、ライン川とドナウ川の流域を分ける分水界がある。冒頭にも述べたようにドナウ水系へ向けては一方的な上り坂で、ヴァイツェンと、峠の向こう側のブルームベルク Blumberg の間で231mの高度を稼がなければならない。両地点間の直線距離は9.6kmに過ぎないが、勾配を規定内に収めるためには約25kmの路線長が必要で、それが丘のアルブラ越えと呼ぶべき複雑な線形となった理由だ。
![]() ブルームベルク=ツォルハウス駅(駅名標は旧称) |
![]() 不安定な地質のため、 盛土に替えて延長されたビーゼンバッハ鉄橋 |
1887年に着手された事業は例の不安定な地質に苦しめられながらも、1890年に完了し、同年5月から運行が開始された。もとより山間部で人口の張り付きは小さく、平時の利用は閑散としたものだった。全線を完走する旅客列車は日に3本と貨客混合列車が1本のみで、ルートを引き回した分、運賃にも割高感があった。
二度の大戦では想定どおり軍用列車や救護列車が行き交うシーンが見られたものの、終戦後は衰退の一途をたどることになる。1955年5月、営業成績の特に振るわない山越えのラウスハイム=ブルーメック Lausheim-Blumegg ~ツォルハウス=ブルームベルク Zollhaus-Blumberg 間で休止の措置が取られた。残る両端部では1953年、一時的にレールバスが導入されていたが、技術的な難点が判明して早々に姿を消した。
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冷戦下の1962~65年に、再び重量列車の受入れが可能になるよう、NATOの資金協力で路線の修復が行われたことがあった。しかし、実際の運行は再開されないまま、1967年に東側のツォルハウス=ブルームベルク~ヒンチンゲン間で旅客列車がなくなり、1971年には西側のオーバーラウフリンゲン~ラウスハイム=ブルーメック間も運命を共にして、ついに全線で旅客輸送が廃止となった。貨物輸送だけは、ヴァイツェン以西で2001年ごろまで細々と続いた。
一方、中央区間のヴァイツェン~ツォルハウス=ブルームベルク(下注)は、1976年にドイツ連邦鉄道 Deutsche Bundesbahn により正式廃止の手続きがなされた後、翌1977年に保存鉄道の運行が始まった(右上のDB路線図の中央)。変化に富んだルートを走る蒸気機関車の旅は、収支が賄えるほどの評判を呼んだ。これが現在も続いている「ヴータッハタール鉄道」だ。1988年には路線が国の産業遺産に指定されて、続く数年間でトンネルと橋梁の改良工事が行われた。
注:開業以来、駅名はツォルハウス=ブルームベルク Zollhaus-Blumberg だったが、現在は市名を先にした、ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus が正式名称。ただし駅舎の表示は旧駅名になっている。
◆
さて、いったんは壊滅した一般旅客輸送だが、東側の区間では、2004年から軽快気動車レギオシャトル Regio Shuttle による1時間に1本の運行が復活している。これはドリッター・リングツーク 3er Ringzug(第三環状列車の意)と呼ばれ、ホーエンツォレルン地方鉄道 Hohenzollerische Landesbahn(HzL)が、鉄道を地域の足として再生させるために始めた事業だ。「第三環状」は3つの郡を環状に巡るという意味を表すそうだが、今のところまだ環の欠けた部分がある。
東方のトゥットリンゲンから来る列車は、インメンディンゲンから旧ヴータッハタール鉄道区間に入り(旧分岐駅のヒンチンゲンは廃止)、ブルームベルク方面へやってくる。ふだんは2駅手前のガイジンゲン=ライプフェルディンゲン Geisingen-Leipferdingen(旧 ライプフェルディンゲン Leipferdingen)で代行バスに乗換えになるが、土・日曜日は、保存鉄道訪問者の便宜を図って、列車がブルームベルク=ツォルハウス駅まで足を延ばす。
西側区間には現在も定期列車はないのだが、保存鉄道の運行がある日曜に限って、ホッホライン鉄道のヴァルツフート Waldshut からヴァイツェンまで直通の接続列車が設定されている。これにより、該当の日だけは、ヴータッハタール鉄道全線を列車に乗って旅することができる。20年前の路線図では、保存鉄道だけが陸の孤島のように描かれていた「ぶたのしっぽ鉄道」だが、いまや地域の観光振興の核となり、そのおかげで、久しく途絶していた往年の交通網が部分的ながら復元されているのだ。
次回は、その保存鉄道区間を詳しく見ていきたい。
(2015年11月16日一部改稿、写真追加)
本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipediaドイツ語版の記事(Wutachtalbahn)、ブルームベルク市公式サイト http://www.stadt-blumberg.de/ を参照して記述した。路線図はドイツ鉄道「旅客線一覧図 Übersichtskarte für den Personenverkehr」2007年12月版を用いた。
掲載した写真はすべて、2012年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T. 氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。
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