新線試乗記-阪神なんば線
2009年3月20日、阪神電鉄阪神なんば線が開通した。新線区間は西九条~大阪難波3.8kmだが、以前の西大阪線、尼崎~西九条を含めた10.1kmを一括して「阪神なんば線」と称している。
列車はさらに近鉄難波線・奈良線に直通する。大手私鉄が地下鉄などを介さずに相互乗入れするのは、日本で初めてだというが、大阪の西と東にエリアを持つ両鉄道のレールが結ばれる意義は大きい。阪神沿線からは、キタに加えてもう一つの核、ミナミ一帯がテリトリーに入るし、方や近鉄沿線からは、魅力的な神戸の街へ乗換えなしのルートが開かれる。
関西圏ではこの2、3年、新線が続々と誕生しているが、その中でも注目度では最上位で、次に開通の見通しが明示された路線がないことからも、現状では最後の大物と言えるだろう。開通からすでに半年、ようやく先日(9月14日)、奈良から三宮まで乗る機会があったので、ここに遅まきのレポートを綴りたい。
阪神西九条駅で近鉄電車どうしのすれ違い |
近鉄の路線図に阪神線が登場 |
◆
近鉄奈良駅の地下ホームでおもしろいシーンに遭遇した。4番線に緑帯の京都市地下鉄10系、2番線にはブラックフェイスに黄帯の阪神1000系が入線している。京都と神戸、ふだんは決して出会うはずのない電車が、遠い奈良市内で顔を合わせていたとは…。しかし、私が乗った快速急行、三宮行きは、おなじみのマルーンレッド(というか、あずき色)をまとった近鉄車両だった。
終点まで約1時間20分の長旅になるが、初乗りはやはり先頭車両のかぶりつきに限る。屏風のように行く手を遮る生駒山地や、トンネルを抜けた先の、日本三大車窓の次点ぐらいには着けたい大阪平野の眺望を楽しんでいると、鶴橋まではあっという間に思えた。ここでJR大阪環状線に乗換える乗客を降ろした後、電車は大阪市街地の地下に潜っていく。
近鉄奈良駅を出発 |
近鉄区間 (左)大阪平野を右手に望みながら急降下 (右)鶴橋手前の複々線区間を走る阪神9000系 |
かつての終点、近鉄難波を改称した大阪難波に到着したが、いともあっさりと発車してしまった。これから阪神の新線区間に入るというのに、境界らしさがまるでない。降車客が多くなければ、ただの中間駅かと勘違いしてしまいそうだ。乗務員交替が、次の桜川で行われるせいもあるだろう。
桜川駅の西方には近鉄車両の引上げ線があって、待機している電車のライトが目に入る。それを横目で見送りながら坂を下っていくと、すぐドーム前だ。最寄りの大阪ドーム(京セラドーム大阪)にちなんだのか、ホームの天井は1階分吹抜けにして広い空間に仕立てている。またわずかの距離をのろのろと走って、九条へ。
地下駅はここが最後で、その証拠に、ホームの端に立てばカーブの向こうに地上の明かりが差し込む。地下から高架線まで一気に駆け上がるために、ここは40‰の急勾配が設定されているそうだ。高架に移っても半透明の防音壁にすっぽり覆われていて、外の様子が見えたのは、安治川(あじがわ)を渡るトラス橋の上だけだった。
安治川鉄橋を渡る 奥に見える鉄橋は大阪環状線 |
再びJR大阪環状線と交差する西九条から旧 西大阪線の区間に入る。千鳥橋の先の急カーブを過ぎると阪神には稀な、胸のすく直線コースが待っているのだが、日中の快速急行は尼崎まで各駅停車で、わずかな乗降のために走っては停まるのが何ともじれったい。大物(だいもつ)で本線と並び、1000系が憩う尼崎車庫の横で本線下り線をくぐって、ようやく尼崎駅に滑り込んだ。
後は、見慣れた阪神電車の車窓だ。武庫川(むこがわ)~甲子園、芦屋~魚崎と連続立体化工事が進む脇をすり抜け、快調に走る。三宮では行止りになっている3番線に到着した。降りて改めて眺めると、同じような地下駅なのに、奈良では日常的なあずき色の車体が、ここではとても新鮮で、正直なところ夢でも見ているようだ。半年前、神戸市民もそんな感想を抱いたことだろう。
阪神区間 (左)新淀川橋梁を渡る (右)尼崎駅手前で本線下り線と立体交差 |
阪神三宮駅に到着 |
◆
阪神なんば線が通過する地域は大阪のいわば下町で、ノスタルジックな雰囲気を方々に残している。帰りは西九条から桜川へ、地上を歩いてみた。
鉄道が安治川を渡る地点には前後2.5kmの間、道路橋がないが、その代わり、戦時中に造られた川底を横断する長さ80mのトンネルが存在する。かつては自動車用の通路も開放されていたが(下記サイトに写真あり)、現在は人と自転車しか通行できない。一見倉庫の出入口のようなエレベーターか、その脇の階段で地下へ降りると、タイル貼りの細長い通路が延びている。関門海峡の人道トンネルのミニ版といった趣きで、もちろん料金は要らない。殺風景な場所にあるが、利用者はけっこう多いし、警備員も配置されているので安心して歩けた。
安治川トンネル (左)人道の北側出入口 (右)内部 |
安治川トンネルの南側出入口 左手にエレベーターを待つ人が見える |
九条の商店街の末端をかすめて続く鉄道の高架橋を目で追うと、拡幅された道路のまん中で地中に没する。中央大通の交差点の手前で振り返ったら、巨大なチューブが街の建物をかき分けゆっくり空に昇っていくようで、ちょっとSF的な風景だった。九条駅の出入口も話の種になっている。阪神高速と地下鉄中央線の高架の脇に、奇抜な円筒状の建物ができているかと思えば、少し先には、40年の眠りから覚めたばかりというおとぎ話のような入口(九条東側出入口、下記サイト参照)がある。
(左)高架区間の終端、高架を走るのは地下鉄中央線 (右)反対側は、巨大なチューブが空に昇っていく |
ドーム前駅の入口は、木津川に面したドーム前のだだっ広い広場に、市営地下鉄とは別に設けられていた。まるで互いに張り合っているようだが、イベント終了後に殺到する客を分散させるために必要な設備なのだろう。地下改札を入る前に中2階風の滞留場所まで設けてあるというから、準備は万全だ。
十字に交わる水路を渡って千日前通を東に進むと、新なにわ筋との交差点に桜川の出入口が見つかる。同名の地下鉄千日前線の駅よりは一筋西の位置だ。ここは南海高野線のルーツ、通称汐見橋(しおみばし)線の連絡駅でもある。ガラス張りのスマートな阪神なんば線のエレベーターハウスの隣に、昭和30年代を凍結保存したような古びた南海の駅舎がたたずむ。そのさまは新旧のコントラストを超えて、壮絶ささえ漂っている。なにしろそこに発着するのは、朝夕でも30分ごとのペースを崩さず、ディープな大阪を黙々と走り続ける、都会の中のローカル線なのだ。
対照的な桜川駅と汐見橋駅(左側) |
阪神と近鉄を結ぶ路線の建設計画の歴史は古く、発端は戦後まもない1946年に遡るという。紆余曲折の末、西側は1964年に西九条、東側は1970年に難波まで開通したが、残り区間の土地買収が難航して長らく頓挫したままだった。ようやく実現した地下新線は、21世紀の装いが目にまぶしい。時代の積層を背負った地上の市街地も、影響を受けて変わっていくのだろうなと、思いを巡らした。
■参考サイト
阪神電車(公式サイト) https://rail.hanshin.co.jp/
川瀬喜雄『日本初の沈埋トンネル「安治川トンネル」』建設コンサルタンツ協会「Consultant」Vol.232, 2006.7
https://www.jcca.or.jp/kaishi/232/232_dobokuisan.pdf
建設史とともに、自動車が通行していた時代のトンネル内部の珍しい写真が掲載されている。
西九条付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.682800/135.465700
西九条付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=34.6828,135.4657&z=17
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