ベルギー アン鍾乳洞トラム II
前回に続いて、アルデンヌ山中の鍾乳洞を見に行くトラムの来歴を追っていこう。
1950年代に接続路線がすべて廃止されていくなか、唯一営業を続けたのが、アン・シュル・レス Han-sur-Lesse からアン鍾乳洞 Grottes de Han に向かう小路線だった。周辺路線廃止に伴い、SNCVから委託を受けていた運営会社が解散したため、アン鍾乳洞地方鉄道会社 S.A. du Chemin de Fer Vicinal des Grottes de Han が新たに設立されて、委託契約を引き継いだ(2008年からは、鍾乳洞を運営するアン鍾乳洞会社 S.A. de la Grotte de Han の直営形式に変更)。
側線のあるトラム終点(2008年) Photo by Jean-Pol GRANDMONT at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
鍾乳洞線が残りえた理由はほかでもない、クルマという強敵を排除し、独占的な地位を守ることができたからだ。実際、列車の運賃は鍾乳洞の入場料に含まれており、周辺は自然動物保護区で立入りが制限されていることもあって、この列車に乗らない限り入洞することができない。とはいえ、1906年に登場したままの状態で、今日を迎えているわけではなく、この間に二度の大きな路線変更を経験し、存続の危機にも直面したことがある。
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路線変更の一つは、1968年3月31日に終点側(鍾乳洞方面)のルートで実施された(下図参照)。前回紹介したように、終点は、創業者の意図で森と谷を眺望する山上に設定されたのだが、すでに1956年、数百mルートを短縮して、鍾乳洞の入口により近くなるように終点を移設していた。それでも訪問者は、下車してから山を歩いて下りなければならないことに変わりなかった。
アン鍾乳洞周辺図 |
そこで鍾乳洞会社は、アクセスを根本的に改良するために、洞窟入口前に駐車場を造成して、バスと車をそこまで引き入れようと考えた。計画が明らかになると、アンの町の人々は反対の声を上げた。路線を守る意図もあっただろうが、何よりも観光客が町を素通りしてしまうことが大きな問題だった。
その代案として建設されたのが、現行の路線だ。ルート中盤から180度回転して山を上っていた区間を廃止して、谷底に沿いながら洞窟入口に直接向かうように改めた。新線部分は1.7kmあるとされ、距離で見れば、全線の半分近くを置き換えた計算になる。地表の徒歩区間を最小限にしたことは、訪問者の負担を軽減するだけでなく、動物保護区の厳格な運用にも寄与しただろう。旧線は、終端部に車庫があったため、1969年のシーズンの終わりまで維持され、車庫が鍾乳洞出口付近の現在地に移設されてから廃止された。ちなみに、列車で見ることができなくなったアルデンヌの森の眺望は、動物を見て巡るサファリカーに乗車することで、今でも体験できる。
もう一つの路線変更は、起点の移転だ(下の拡大図参照)。創業時から使われたのは、教会前から北に延びる道沿いで、往時はここがロシュフォール Rochefort とウェラン Wellin を結ぶ軌道の中間駅だった。
トラムの起点変更 |
古い地図を見ると、ここでは軌道はウェランに向かって右(西)側に寄せて敷かれていたようだ。本線からの客を受けた鍾乳洞線の列車は、教会前の交差点を右に曲がりながら、道路を斜めに横切り、今度は道路の左(南)側に張り付く。そして直後に左へ分岐して、専用線となる。鍾乳洞線としての道路併用区間はごくわずかだが、町の中心部で交差点を横断することや、単線のため車と逆方向に走ることなどが危険と指摘されていた。
教会前の交差点を横断するトラム(1987年) Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
そこで、1989年7月に路面区間を廃止して、道路の南側の公園に新たな終端ループを設け、方向転換とともに乗降ができるように整備した。多客時に続行運転を行う場合は、このループ線上に列車を直列に停車させている。
一方、存続の危機は路線の廃止というより、近代的な交通機関へ脱皮させてはどうかと問いかけるものだった。一つは、ケーブルキャビン téléphérique の運行で、ケーブルに吊るされた数人乗りのゴンドラが一定の間隔を置いて空中を行く。発表するや同じように強硬な反対運動に遭ったため、トラムと並行して運行するという譲歩案が示された。
これとは別に、路線の刷新のために電化計画が提案されているが、中でも、地上設備を大幅に簡略化できるGLT、すなわち誘導型軽快電車 Guided Light Transit は魅力的なものだった。架線からの直接受電またはディーセル発電でエンジンを回すハイブリッド型で、1本のガイドレールか、レールなしでも運行が可能とされた。ロシュフォールの国鉄廃線跡でガイドレール方式による走行試験が行われるなど、地域でも期待をかけられ、あわやトラムの置き換えかと噂された。
結局どれも実現することはなく、結果的に1930年代に製作されたトラムが引き続き稼動している。歴史遺産としての価値を考えれば、これはこれで貴重な存在だ。
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さて、ここでトラムの話を一時中断して、鍾乳洞のシチュエーションを知るために、レス川が創り出したアン付近の地形を概観しておきたい。
先述したアンの地図では、路線の変遷とともに、1:10,000官製地形図を参考に20m間隔の等高線を書き込んだので、およその地形がわかるだろう。レス川 Lesse は図の右下から流れてきて、ベルヴォーの裂け目 Belvaux Chasm(ベルヴォーは付近の地名)と注記した場所(ポノール、吸込穴)から地中に吸い込まれる。そして、図の中央にある洞窟出口 Exit of the Cave で再び地表に現れ、アンの町をかすめるようにして広い盆地に流れ出していく。
ベルヴォーの裂け目 Photo by Chatsam at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
大昔、川は、標高180mの等高線が囲む谷を蛇行しながら、地表を北へ流れていたはずだ。そして図の右上で南西に方向を転じて、洞窟の出口付近で現在の流路に合していたと考えられる。しかし、川が取り巻く標高280mほどのボワーヌ森 Boine Forest は、しみこんだ雨水が石灰岩を溶かし込んで、胎内に無数の空洞が作られている。川の水はやがてそちらに流れ込むようになり、谷の表面を通らなくなった。
蛇行が激しくなると、攻撃斜面どうしが接近して、ついに流路が短絡してしまうことがある。この図でも、ベルヴォーの裂け目のすぐ北東に、古い蛇行跡と撓谷(じょうこく)丘陵が見られる。レス川の流路変更はそれとは異なるタイプの短絡だが、このように地上から消える川は石灰岩地帯、いわゆるカルストでしばしば出現する。
公開されている鍾乳洞探索コースは、レス川の流入口より少し下流の山腹に開いた洞窟入口 Entrance of the Cave から地中に入り、複雑に絡み合った洞内を巡ったあと、行程の最後の方でようやく川の本流に出会う。そして、地底湖を経て、レス川とともに洞窟出口から地表に回帰する(図にある入口~出口間の点線は対応関係を示したもので、実際の径路を表してはいない)。
アン鍾乳洞の出口 Photo by Hullie at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
◆
私は20数年前に一度このトラムに乗ったことがある。古い話で恐縮だが、本稿を締めるにあたって、当時のメモをもとにトラムで行った鍾乳洞見学を紹介しておきたい。
「ロシュフォールから乗ったバスは、わずか数名の客を乗せてアンに着いた。アンのバス停を降りると、目の前に鍾乳洞入口ゆきのトラムが停まっている(注:当時はまだループが完成する前で、教会前の路上に乗り場があった)。切符は教会の向かいのインフォメーションで買うように言われた。鍾乳洞とサファリツアーを込みにした切符もあったが、時間の余裕がないので鍾乳洞だけにする。
指定された13時発は乗客が多かったらしく、続行運転になった。観光客を満載したオープントロッコを牽引するのは、ディーゼル動力の小さな機関車だ。教会前を出てまもなく通りをはずれ、緑の並木道(注:当時、マロニエ通り Rue des Marronniers は麗しい並木道だった。下の写真参照)をくぐって、山中へ入っていく。がたがたとよく揺れるが、少しの辛抱だった。
町のトラム乗り場、左が教会 |
マロニエの並木道 |
車庫前を通過 |
列車は山の中の、側線のあるところで停まった。山すそに小さな洞窟の入口があった。洞内はガイドが引率するので、ここでオランダ語班かフランス語班かを決めなければならない。英語班はないが、後で聞いたら英語のパンフレットももらえるそうだ。パリから来たというだけの理由で、フランス語のガイドに付いて、洞内へ出発した。
けっこう距離は長かった(注:洞内の歩行距離3km)。説明はほとんどわからないが、くらげや海草のような不思議な形の鍾乳石を眺めながらどこまでも歩く。手近な鍾乳石はあらかた折られているのが痛々しい。背丈の3倍はあるみごとな石の柱があって、ミナレー(注:ミナレット、モスクの尖塔)だと言っていた。
これだけなら日本の鍾乳洞と変わらないが、足が疲れた頃に大天井の空間に出た。なんとそこは地底のカフェだった。テーブルにつくと巨体のおばさんが飛んできて、注文をとって回る。要らないとは言えない迫力。カフェオレを頼む。一息ついてからしばらく進むと、ガイドさんが急に明かりを落とした。突然、暗闇のはるか上方に火が点った。それが風になびきながら下ってくる。男がたいまつを掲げて駆け下りてきたのだ。ガイドさんがひとしきり高さや何かをアピールしている(注:天井の高さ62m、幅145mの洞内最大の広間)。
まもなく地底の湖を行くボートの乗り場に出た(注:ボートは老朽化のため 2008年限りで廃止。歩行路を新設)。電動モーターで音もなく進むが、まるでジュール・ヴェルヌの世界だ。しかし、この舟旅はあっけなかった。洞の出口までものの5分もなかったからだ。やれやれと思ったそのとき、大きな爆音が洞内に轟いた。一行は度胆を抜かれた。大砲を放つのは、洞窟に反響させて悪霊を追い払う古いおまじないだそうだ。たいまつ男のパフォーマンスといい、これといい、鍾乳洞めぐりを一編のショーに仕立てるところが、日本と違ってあくどくもあり、面白くもあった。
ボートを降りると、出口に『ガイドをお忘れなく』と立て札があって、ガイドさんがチップを受け取っている。ここから歩いて町へ戻る。雲間から日差しがもれ始めた草原は、牛が草をはむのんびりした風景。狭い洞内をくぐってきた身には妙に新鮮に感じられた。」
地底湖を行くボート(当時のリーフレット) |
◆
山間部にあるアン・シュル・レスは、車でないと行けない場所のように見える(実際、ほとんどの客が車か観光バスで来訪)。だが、首都ブリュッセルからの公共交通の便は意外に悪くない。
2009年夏の時刻表によれば、ブリュッセル中央駅 8:37(毎日)発ルクセンブルク行きICで、ジュメル Jemelle 10:22着、駅前 10:29(土休日は 10:34)発ウェラン Wellin 行きTECバスで、アン 10:43(同 10:48)着。所要2時間強。帰りのTECバスは、アン発 16:17(水曜除く)、17:17(毎日)、18:17(毎日)など。ジュメルでブリュッセル行きICに接続している。
国鉄SNCB時刻表番号162:ナミュール Namur ~ルクセンブルク Luxembourg 線、TECバス29系統:ジュメル Jemelle ~グリュポン Grupont 線を参照。
■参考サイト(再掲)
アンのトラム(個人サイト) http://www.tramdehan.net/
本稿のウェラン路線群の歴史は、このサイトの記述を参考にした。
アン鍾乳洞(観光局サイト) http://www.grotte-de-han.be/
アン・シュル・レス付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1245,5.1890&z=15
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