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2009年8月 6日 (木)

キュストトラム(ベルギー沿岸軌道)

キュストトラム(ベルギー沿岸軌道) Kusttram

クノッケ・スタシオン(クノッケ駅)Knokke Station ~デ・パンネ・スタシオン De Panne Station 間 67km
軌間1000mm(メーターゲージ)、直流600V電化
1885年開通

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ミッデルケルケの海岸を走るキュストトラム(2010年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

ベルギーに、北海沿岸の主要都市を結んでいる電化・複線の鉄道路線がある。延長は67kmと、東海道線なら東京~大磯間にも相当する距離だ。夏のシーズン中は10分間隔で電車がしげく行き交い、300万人が利用する。このようなスケールを持っているのに、ベルギー国内の鉄道地図にも、1:50,000地形図にも載っていない。それが、キュストトラム Kusttram(下注)だ。オランダ語の Kust は海岸、沿岸の意味なので、ベルギー沿岸軌道と訳されている。

*注 オランダ語の u は通常「ユ」と表記される(例:ユトレヒト Utrecht)ので、本稿ではキュストトラムとしたが、現地の発音はクストラームのように聞こえる。

キュストトラムが地図に載らない理由は、国鉄の路線でないことと、1m軌間(メーターゲージ)のライトレールだからだ。以前紹介したベルギーの鉄道地図はどれも国鉄の路線図だったし、地形図も1:50,000の図式では軌道の記号そのものが設定されていない。

もちろん全ての地図が軌道のありかを無視しているわけではなく、これも以前紹介した本格的なヨーロッパ鉄道地図や1:20,000以上の大縮尺地形図では掲載の対象になっている(ミシュランの道路地図にもある!)。しかし、1:20,000の軌道の記号などは蜘蛛の糸のような微細線で、そのつもりで捜さない限り見逃してしまうから、やはり標準軌の鉄道に比べると、扱い方が軽いと言わざるを得ない。

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キュストトラム路線図
路線上に示した名称は停留所名ではなく主な地名
 

キュストトラムの起点は、フランス国境間近のデ・パンネ De Panne だ。そこから東へ向かって点在する海浜リゾートやオーステンデ Oostende のような港湾都市を経由し、オランダ国境に近いクノッケ・ヘイスト Knokke-Heist まで、ベルギーの海岸線をほぼカバーしている。SNCB(国鉄)線は内陸から沿岸の町を突き刺すように扇状に延びているが、扇の先端同士はトラムで連結されているのだ。デ・パンネ、オーステンデ、ブランケンベルヘ Blankenberge、クノッケの4か所で、国鉄の駅前に停留所があり、利便性も抜群だ(ただし、クノッケは駅前広場の北側の大通りを渡った先)。

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デ・パンネの起点は国鉄駅に隣接(2011年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

今では特別な存在とさえいえるトラムだが、かつては、国内に網の目のように張り巡らされた郊外軌道の一つに過ぎなかった。その沿革は19世紀に遡る。

北海沿岸の路面軌道は、オーステンデを起点にして東西に広がっている。最初に開通したのはオーステンデの西、ニーウポールト=スタット Nieuwpoort-Stad までで1885年のことだ。ただし、この路線は内陸の街道筋をたどる別の線であり、海岸に近接する現路線は1897年、オーステンデ(皇帝桟橋)Oostende (Keizerskaai)~ミッデルケルケ=バート Middelkerke-Bad 間に始まる。また東側では、1886年にブランケンベルヘまで通じているが、これもオーステンデ近郊で、海岸に沿う路線が1905年に新設されている。

その後、海浜の保養地開発に伴って軌道の延伸が繰り返された結果、1908年に東側のオーステンデ~クノッケ間が、1926年には西側のオーステンデ~デ・パンネ間が全通した。さらに国境を越えてオランダ側への連絡線も造られた。電化も1909年から順次進められ、1930年に全線で完了した。

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開通当時の姿で残るデ・ハーン駅舎(2006年)
Photo by Vitaly Volkov at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

ところで、ベルギーの路面軌道は最初から国営の地方鉄道会社 Nationale Maatschappij van Buurtspoorwegen (NMVB) の手で建設されたものが多い。私鉄として開業した路線も段階的に統合されていき、第二次大戦直後の1945年に最盛期を迎える。当時の路線総延長は4815kmにも及び、標準軌鉄道を動脈とすれば、毛細血管のように地方の隅々に行き届いていた。しかし、1950年代になると、トラックやバス、自動車の普及に押されて、急激な衰退の道をたどることになる。1960年には最盛期の1/5の981kmにまで落ち込み、その後も減り続けて、1990年にはわずか110kmを残すだけとなった。

内陸の軌道網が壊滅していく中でもキュストトラムの運行は続けられたが、1970年代は1時間に1本しか走らない閑散線のままだったという。ところが、バカンスシーズンの道路渋滞を緩和するために軌道系交通機関を活用しようとする潮流に乗って、トラムは息を吹き返す。1980年前後に新たな連接車が大量に導入され、運行頻度の大幅な向上が図られる。1987年の時刻表では、すでにシーズンの日中は7~15分間隔に強化されている。

また、鉄軌道間の乗継ぎを改善するために、1998年、西端のデ・パンネの中心街で終わっていた軌道が3km先の国鉄駅まで延伸され、SNCBの列車と同一ホームでの乗換えが可能となった。並行して、停留所整備、パークアンドライド、電車優先信号など、快適性や速達性を追求する対策が次々と講じられていった。

現在、キュストトラムの路線は、1つの系統として見ると世界最長と言われる。70の停留所があり、全線を乗り通すと2時間20分強を要するが、都市の分布状況からしても短距離の利用が主だ。市街地の軌道はセンターリザベーション(道路中央に設けられた専用路)化され、郊外に出ると道路際の専用線になる。中央部を低床化した現代的な連接車が、海からの風を切ってさっそうと走り去る姿は見るからに頼もしい。

終点の線路はループ(オランダ語でケールルス keerlus)になっていて、到着したトラムはぐるりと回って折り返す。途中にも区間運転用に数か所、ループや三角線が設けられている。これは、NMVB時代の旧型車両が、電動車の後ろに付随車を最大3両つなぐ構成で、運転台が一方にしかなかったことに由来する。全線複線のメリットで、乗降扉も片側だけ設けられていた。その後は両端に運転台、両側に乗降扉がある一般的な車両が導入されている。

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ミッデルケルケの街路を行く(2011年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

かつての運営会社 NMVB の路線網は連邦主義の厳格化で言語圏別に分割され、1991年にフラマン語圏は、フランデレン運輸会社「デ・レイン」Vlaamse Vervoersmaatschappij "De Lijn" に引き継がれた。キュストトラムは、ヘント Gent やアントウェルペン Antwerpen のトラムとともにデ・レインが運営する軌道事業の一つとなった。デ・レインは2007年に、西フランデレン州 West-Vlaanderen の交通網充実のための意欲的な将来計画(ネプチューン計画)を発表している。

このトラムの関連では、2014年までの向こう7年間に、軌道強化と停留所のアクセシビリティの改善を図り、混雑区間で運行本数を増やす。次の7年間(2014~22年)で、さらなる運行頻度と速度の向上に投資を行う。そして4つの路線、すなわちコークセイデ Koksijde からフェルネ Veurne 方面、東岸 Oostkust ~ブルッヘ Brugge 間、オーステンデ~ブルッヘ間、デ・パンネまたはフェルネ~フランスのダンケルク Dunkerque 間の新設をめざす、としている。

1番目は海岸と国鉄駅をつなぐ短い新線だが、2番目と3番目は国鉄線と競合し(あるいは転換?)、4番目は旅客運輸が廃止された国境越えを復活させるものだ。果たして10数年後には、この地方にどのような鉄道地図が描かれるのだろうか。

■参考サイト
キュストトラム http://www.dekusttram.be/
 トップページで降車ボタンを押すと次のページへ。画面最下部にメニューがある。路線図は Kusttram-route、時刻表は Dienstregeling
キュストトラムの写真集 http://www.kusttram.eu/foto's.htm
デ・レイン http://www.delijn.be/

デ・パンネ駅付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=51.0777,2.6010&z=17
 画面中央の駅前駐車場を取り囲んでいるループ線がキュストトラム。南辺が始発駅。 東西に延びる鉄道は国鉄SNCB。

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