ベルギー アン鍾乳洞トラム I
ベルギー南部のアルデンヌ山中に、鍾乳洞を見に行くトラムが走っている。延長わずか4km足らず、遊戯施設にさえ見えてしまうささやかな施設だが、かつてベルギー全土で活躍していたメーターゲージ(1m軌間)の地方軌道 vicinal tram の系譜を引く貴重な存在だ。
同じ軌道でも前回紹介したキュストトラムは、海岸リゾート地帯を貫いていたがゆえに、現代的なLRT仕様へとみごとな進化を遂げた。対照的にこちらは当時のひなびた姿を保ったまま、観光地への足として生き延びている。奇跡ともいうべきトラムの過去と現在を、現地サイトなどの資料により2回に分けて紹介しよう。
*注 Les grottes de Hanを「アン洞窟」「アンの洞窟」と訳した資料もあるが、日本ではこのような洞窟を鍾乳洞と言い習わしているのでそれに従う。
アン鍾乳洞トラム(1994年) Photo by Georges Colet at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
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トラムは、アン鍾乳洞トラム Tram des grottes de Han と呼ばれる。舞台は、北海に流れ下るマース川 Maas、フランス語でムーズ川 Meuse の支流であるレス川 Lesse の中流域にある盆地だ。その一角に、アン・シュル・レス Han-sur-Lesse(「レス川に臨むアン」の意)という小さな町がある。町の中心部から山の裏側にある鍾乳洞の入口まで、洞内見物に出かける人々を運ぶのがトラムの日課だ。
いまは接続する鉄道のない孤立した小路線になってしまっているが、かつては広範な路線網に組み込まれて、幹線の列車で訪れる観光客をリレーする最終ランナーだった。
トラムの説明をするには、この地方の路線網の盛衰を振り返っておく必要があるだろう。下の概略図をご覧いただきたい。
この盆地に最初に敷かれた鉄道は、図中、右側を南北に横切っているナミュール Namur ~アルロン Arlon 線で、1858年のことだ。この路線はブリュッセルとルクセンブルクを最短距離で結ぶ標準軌の幹線だが、地形の関係で、盆地に点在する町からかなり離れた谷筋を通り、ジュメル Jemelle、グリュポン Grupont などの駅はまともな集落すらない場所に設けられた。
アン・シュル・レス周辺図 |
その後、1885年にSNCV(国有地方鉄道会社 Société nationale des chemins de fer vicinaux、オランダ語ではNMVB)が設立されて地方軌道の整備体制が確立すると、建設コストの面で有利な軌道敷設の機運が各地で高まりを見せる。ここレス盆地でも、リュクサンブール Luxembourg 州に属する南部の町や村をグリュポン駅に接続する路線が提案され、1894年にウェラン Wellin ~グリュポン間が開通した。
一方、ディナン Dinant 州に属する盆地の北部では、ジュメルからレス川沿いにウイエ Houyet を通り、ディナンに向かう標準軌線(図の上部を東西に走る)の建設が進んでいた。1880年のジュメル~ロシュフォール Rochefort 間の開業を皮切りに、1896年までにディナンに到達するのだが、これによって北部の中心であるロシュフォールの町から南下してウェランに至る軌道のプランが議論されることになる。
ウェラン駅(撮影時期不明) Photo at wikimedia. |
ウェランを目的地にしたのは既存の車庫や車両を共用できるからだが、もくろみの一つに、途中にあるアンへの観光客の獲得があったのは当然のことだ。案の定、1904年2月にウェラン~ロシュフォール線が開業すると、それまで馬車しかなかった鉄道駅からの交通手段が改善され、認知度が上がったこともあって、アンの町に旅行者が続々とやってきた。
しかし、急速な発展が町の人々を困惑させたのもまた事実だった。町から洞窟まではまだ数km離れていて、馬車か自動車で行き来したものの、田舎道は混雑し、農家は以前のように家畜を移動させることもかなわなくなってしまったのだ。陳情を受けて、その年の10月には、早くも鍾乳洞線の最初の計画が公表された。
アン・シュル・レスの聖フーベルトゥス教会 この前に鍾乳洞トラムの起点が置かれた Photo by Wouter Hagens at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
計画は、町の中心を走るロシュフォール線から分岐して、背後の山を巻くように上ってフォール岩 Rochers de Faule に達するものだった。谷の山際にある洞窟入口に直接付けなかったのは、SNCVの委託を受けてロシュフォール線の運営会社を率いていたド・ピエルポン de Pierpont の意向だったと言われる。彼は、乗客にアルデンヌの谷と森を見下ろす眺めを提供しようとしていたのだ。「パノラミーク panoramique(展望のいい)」という愛称がつけられた路線は、1906年6月1日に開業し、道路問題は沈静化した。軌道の終点には、ローマ近郊の景勝地の名を取った「ル・ティヴォリ le Tivoli」という休憩所も設けられ、乗客はここで一休みしてから洞窟の入口へと山道を下っていった。
アルデンヌの森の眺め、谷はレス川の蛇行跡 Photo by Hispalois at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
その後は、第一次大戦でのドイツ軍占領により4年間(1916~20年)、周辺の路線を含めて休止の憂き目に遭った以外、第二次大戦中も列車の運行は続けられた。開通時から活躍していたHL型蒸気機関車は、1935年以降、徐々にオートライユ Autorail(気動車)に置き換えられた(1957年に完全無煙化)。このとき導入された最古参の1台とともに、各地の軌道の車両更新や廃止に伴って引き取られた計6台が現役で、お客を載せたトロッコ客車をいまも引っ張っている。
その間に、周辺の路線には転機が訪れていた。戦後、自動車交通が普及して、道端軌道であるグリュポン線、ロシュフォール線、それに1908年開業のウェラン~グレード Graide 間を含むSNCVウェラン路線群 Groupe SNCV de Wellin の運営は不振を極めるようになる。1955年8月31日限りでついに旅客営業は廃止され、細々と続けられた貨物営業も1957年に止められた。
ウェランの車庫が使えなくなったため、鍾乳洞線の終点付近に新たに車庫が建設された。また、ロシュフォールで接続していた標準軌の国鉄ジュメル~ウイエ間も同じ運命をたどり、1959年に廃止された(ウイエ以西はベルトリクス Bertrix ~ディナン線の一部として存続)。
これらの廃止区間にはSNCV直営の代替バスが導入された。SNCVが言語圏別に分割されてTEC(ワロン地域交通会社 Société Régionale Wallonne du Transport)となってからも、29系統(ジュメル~ロシュフォール~アン・シュル・レス~ウェラン~グリュポン)、166a系統(ジュメル~ロシュフォール~ウイエ)として運行が継続されている。
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このような経緯で、鍾乳洞線はただ一つ、盆地の中に取り残された。接続する路線が姿を消し、時刻表にも載らなくなって、すでに50年が経過している。アン鍾乳洞は、日本で言えば秋芳洞のような存在で、ベルギー国内ではよく知られているが、国際的な知名度はさほどでもない。ましてや、そこを走っている小さな軌道の存在を知る人は少ない。鍾乳洞トラムはどのようにして今日まで存続したのか、その身に降りかかった危機や改変を含めて、次回詳述しよう。
■参考サイト
アンのトラム(個人サイト) http://www.tramdehan.net/
本稿のウェラン路線群の歴史は、このサイトの記述を参考にした。
アン鍾乳洞(観光局) http://www.grotte-de-han.be/
TEC(公式サイト) http://www.infotec.be/
アン・シュル・レス付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1245,5.1890&z=15
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