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2009年6月14日 (日)

フランス ラ・ミュール鉄道を地図で追う

ラ・ミュール鉄道 Chemin de fer de la Mure

サン・ジョルジュ・ド・コミエ St-Georges-de-Commiers ~ラ・ミュール La Mure 間 30.1km
軌間1000mm、直流2400V電化、最急勾配27.5‰
1888年開通、1907~1912年電化、1988年貨物輸送廃止

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ラ・ミュール鉄道のプティ・トラン
Photo by Archangel12 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ラ・ミュール鉄道 Chemin de fer de la Mure は、フランスアルプスの西縁に広がる山岳地帯のダイナミックな風景が堪能できることから、一般旅行者にも人気が高い観光鉄道だ。SNCF(フランス国鉄)線と接続するサン・ジョルジュ・ド・コミエ St-Georges-de-Commiers からラ・ミュール La Mure まで、延長は30.1kmある。

起点駅の標高は315mだが、終点では881mにもなり、メーターゲージ(1m軌間)で、18のトンネル、あまたのアーチ橋に半径100mの急曲線が延々と続くと聞けば、いかにも登山鉄道の要件を満たしている。しかし、意外にも勾配は27.5‰と、緩くはないものの幹線にもある規格だ。それというのも、これはもともと沿線で産出した石炭を運搬するために敷かれた産業鉄道だったからだ。

いったいどんな場所を走っているのか、今回は沿線の地形図とともに、そのプロフィールを紹介してみたい。

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ラ・ミュールの町が載るマテジーヌ高原 Plateau de la Matheysine は、グルノーブル Grenoble の南20~30kmにある標高1000m前後のエリアだ。東西を山脈にはさまれ、北と南は深い谷で周囲と隔絶されている。そして南北に細長い平坦部には、氷河期の痕跡である小湖が連なる。

ここは中世から、石炭の中でも純度の高い無煙炭を産する土地だったが、競合する他の産炭地に比べて交通の便が悪く、19世紀半ばから鉄道の開通が待たれていた。1878年、ようやくグルノーブルから南下する鉄道がPLM(パリ=リヨン=地中海鉄道 Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée、1938年に国有化)によって敷設されたが、ルートは川向こうに設けられ、高原を経由しなかった。

そこでまもなく、この路線がドラック川 Drac を渡る手前のサン・ジョルジュ・ド・コミエで分岐して、高原に上る鉄道が企画される。建設工事は1882年に始まり、ドラック川が削り出した比高300mの断崖に、対岸から103発の大砲を撃って建設の足場をつくるという途方も無い難工事の末、1886年に路盤が完成した。車両その他の設備の調達が遅れたため、開通式が行われたのは2年後の1888年7月24日だった。

当初は蒸機が牽引していたが、1日17往復が限界で輸送力の不足をきたした。1907年に峠の手前まで直流2400Vという高電圧電化が実現し、1912年に全線の電化を終えた。

標準軌のPLM線へは積替え作業を介するという弱点はあったものの、高品質炭の需要の高まりは鉄道を一気に活性化させていった。輸送量は第一次大戦前後から目に見えて増加し、1916年には30万トン、1940年には57万3千トン、ピークの1966年には79万1千トンに達した。しかし、燃料の主役が石油に移行し、外国産の低価格品の流入もあって、国内の炭鉱は急速に衰退する。

1974年のオイルショックがなかったら、当時吹き荒れていた不採算路線閉鎖の嵐がここにも襲いかかったに違いない。石炭輸送が維持されたことで、鉄道は細々と命脈を保つことができた。結局、この地方の炭鉱は1997年に完全に幕を閉じたが、それより早く1988年10月に鉄道輸送は廃止され、ラ・ミュール鉄道は観光用として第二の人生を歩み始めていた。

現在(2009年)の運行スケジュールは4月~10月の間、毎日1~4往復(月によって異なる)、所要は途中のフォトストップを含めて往路110分、復路は90~95分となっている。

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ラ・ミュール鉄道とその周辺図

公式サイトは、訪れればここがなぜ「アルプスで一番美しい路線 La plus belle ligne des Alpes」と呼ばれるかがわかる、と誘っている。いったいどんな景色が待つというのだろうか。1:25,000地形図を見ながら、起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ(標高315m)からラ・ミュール行きの列車に乗ったつもりで追っていこう。

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図1
起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ~ノートル・ダム・ド・コミエ
©2009 IGN
 

【図1】起点駅では、意外にも列車はグルノーブル方、すなわち北向きに出発する。右回りしながらトンネルに突っ込み、180度向きを変えて始発駅の真上に現れる。しばらくは木の間に畑地を見ながら、河岸段丘のへりを上っていく。列車の速度は30km/hほどだ。

ノートル・ダム・ド・コミエ Notre-Dame-de-Commiers の村の手前にはトンネルと組合せたS字状の蛇行部があるが、こうした高度のかせぎ方は後で大きく展開されるだろう。村の駅(標高471m)からは、遠方にアリゾナのモニュメント・ヴァレーを思わせる切り立った岩山が初めて眺められる。西を限るヴェルコール山地 Vercors の中でもひときわ異様な風貌で知られる2086mのモンテギュイーユ(エギュイーユ山)Mont Aiguille だ。ドーフィネ地方の七不思議 Sept merveilles du Dauphiné に数えられる。

■参考サイト
モンテギュイーユの写真
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Mont-Aiguille.jpg
モンテギュイーユの地質構造
http://www.geol-alp.com/h_vercors/lieux_vercors/mont_aiguille.html

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図2
ノートル・ダム・ド・コミエ~モンテナール・アヴィニョネダム手前
©2009 IGN
 

【図2】ノートル・ダム・ド・コミエ駅を過ぎると、右手車窓にはしばらく、深い青色をした湖面が続く。村の名を付したダムによるドラック川の堰止湖だ。線路は谷の斜面にへばりつきながら、じわじわと上っている。ドラック Drac とは土地の言葉でドラゴンを意味し、洪水でグルノーブル盆地を苦しめる荒れ川だったことをしのばせる。支谷を利用した180度転回のトンネルを抜けた後はいよいよ高度が増して、水面との高低差は280mにもなり、対岸の山を見下ろせばまるで空中を飛んでいるような感覚だ。

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図3
モンテナール・アヴィニョネダム付近~ラ・フェスティニエールトンネル入口
©2009 IGN
 

【図3】2つ目のダムを過ぎたことに、長めのトンネルを連続で抜けたところで気づくだろう。右後方にアーチの堤が見えるこのダムは、流域で最大規模のモンテナール・アヴィニョネダム Barrage de Monteynard-Avignonet で、堤高153m、湖は上流10kmにも及ぶ。これが1962年に完成するまで、リヴォワール高架橋 Viaduc de la Rivoire を通過する線路は、谷底まで300m以上の高さがある急崖に張り出していた。対岸から陸軍の大砲を打ち込んで足場を確保したというのはここだ。

湛水してから高さの恐怖は多少減じただろうが、息をのむ景観は変わらず、緑青の湖水とベルコールの山並みを俯瞰する「グラン・バルコン Grand balcon(大バルコニーの意)」として、乗客期待のフォトストップがある。

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グラン・バルコン付近の急崖に張り付く線路
Photo from panoramio
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グラン・バルコンからの眺め
Photo by Archangel12 at Flickr. License: CC BY 2.0
 

起点から寄り添ってきたドラック川ともこれでお別れだ。線路は大きく左へ向きを変え、支流ペライエ川 Pérailler の谷へ入っていく。ラ・モット・レ・バン La Motte-les-Bains の駅跡(標高705m)は、全行程のおよそ中間地点にあたる。終点まで直線距離であと8kmに迫っているのに、まだ線路長が15kmもあるのは、これから何度も折返しながら峠まで200mの高度をかせいでいくからだ。

最初の折返しは長さ170mのヴォー川高架橋 Viaduc de Vaulx で、路線中最長、かつ全体が右に急カーブしているので、誰もがカメラを構える。少し行くと、これも名所になっている上下並んだルーラ高架橋 Viaducs de Loulla aval et amont にさしかかる。列車は下の橋を渡った後、180度転回して脚が長く伸びた上の橋を通過していく。

上手にアヴェイヤン Aveillans の村が見えてくるが、そこまで一気には上ることができない。広い谷を大回りし、さらにトンネルで180度方向を変えてようやく、ラ・モット・ダヴェイヤン La Motte-d'Aveillans(標高867m)の駅に到着だ。ここでは15~20分停車する。

駅から北向きにノートル・ダム・ド・ヴォー Notre-Dame-de-Vaulx の炭鉱へ行く2kmの支線が分岐していたが、電化対象からもはずされたまま1936年に廃止された。地形図にはサン・ジョルジュ方向に少し戻った地点から、北へ延びる廃線跡の小道が明瞭に描かれている(図では、廃線跡に薄赤のマーカー線をつけ、abandoned の注記を添えた)。

休憩を終えた列車は村の家並みをかすめ、峠の下を貫通するラ・フェスティニエールトンネル Tunnel de la Festinière に入って行く。長さ1021mはいうまでもなく路線で最も長く、暗闇を利用して鉱山の歴史を紹介する影絵のアトラクションがある。

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図4 終点ラ・ミュール付近
©2009 IGN
 

【図4】トンネルの出口付近が路線の最高地点924.5mで、ついに列車は24kmもの間続いた片勾配を上りきって、マテジーヌ高原の上に到達した。後ろの山を振り返ると、もう一つのドーフィネの七不思議、ピエール・ペルセー Pierre Percée(穴あき岩)が見えるそうだ。最後の区間はこれまでとは違って開けた土地を淡々と走るが、車窓右手にはこの地方で最後まで稼動していた鉱山の廃虚が点在している。終点ラ・ミュールの駅は長い直線路を走り抜けた先にある。

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ラ・ミュール駅
Photo by Fr.Latreille at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ところで、もしグルノーブルからクルマでラ・ミュールを訪れるなら、N85号線が近道だ。ナポレオン・ボナパルトが1815年に幽閉先のエルバ島から帰還する際に通ったルートで、別名ナポレオン街道 Route Napoléon という。ヴィジール Vizille でロマンシュ川 Romanche を渡って、マテジーヌ高原の北端ラフレー Laffrey へ、高さ600mの谷壁を斜めに這い上がる。ナポレオンと王党派の軍隊が対峙した有名な「出会いの草原 La prairie de la rencontre」を過ぎた後は、点在する湖のへりを行く平坦な道だ。

ラ・ミュール鉄道が最初から旅客用だったなら、きっとこのルートに沿っていたに違いない。6kmのラフレー坂をラックレールで克服すれば、残り17kmは平地に線路を敷くようなものだからだ。貨物鉄道だったがために、勾配を一定にできるルートを探さなければならず、険しいドラック峡谷が選択された。後世に残された大胆で巧妙な設計図を列車でたどれば、ドーフィネの8つ目の不思議がここにあると確信するだろう。

【追記 2021.8.1】

ラ・ミュール鉄道は、2010年10月26日に発生した山崩れにより、全線不通となっていたが、2021年7月21日に一部区間(ラ・ミュールからグラン・バルコンの手前まで)が再開された。詳細は本ブログ「ラ・ミュール鉄道、2021年に一部再開」参照。

次回は、今は幻となったラ・ミュール鉄道の延伸区間について紹介する。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(公式サイト) http://www.trainlamure.com/ (リンク切れ)
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト) http://www.railfaneurope.net/lamure/
 英語版あり。本稿で省略した車両に関するデータはこのサイトを参照。

YouTube - Spectaculaire chemin de fer de la Mure en Isère
http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=Ca4oNuRL44U

「大バルコニー」付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=44.9580,5.6994&z=15

★本ブログ内の関連記事
 ラ・ミュール鉄道、幻の延伸区間
 ラ・ミュール鉄道、2021年に一部再開

 プロヴァンス鉄道 I-トラン・デ・ピーニュの来歴
 プロヴァンス鉄道 II-ルートを追って

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