ラ・ミュール鉄道、幻の延伸区間
前回紹介したフランスのラ・ミュール鉄道には続編がある。60年前はラ・ミュールが終着駅ではなく、その先へまだ30km以上も線路は延びていたのだ。まとまった資料を持ち合わせないが、ウェブ上の断片的な記述を照らし合わせると、全貌は以下のようなものだった。
サン・ジョルジュ・ド・コミエ St-Georges-de-Commier ~ラ・ミュール La Mure
延長30km、1888年開通、現存。
ラ・ミュール La Mure ~コール Corps
延長32km、1932年開通、1949年休止、1952年廃止
コール Corps ~ガップ Gap
延長48km、未成のまま1942年、公式に工事中止
また、ラ・ミュール~コール間のシエヴォから次の支線が分岐していた。
シエヴォ Siévoz ~ヴァルボネ Valbonnais
延長3km、1932年開通、1949年休止、1952年廃止
旧シエヴォ駅舎(2008年) Photo by Fr.Latreille at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
グルノーブル Grenoble から地中海岸方面へ抜ける街道は2本ある(下図の黄線)。ラ・ミュールからドラック川 Drac を遡りガップを経由するナポレオン街道 Route Napoléon(現在のN85号線)と、西側のラ・クロワ・オート峠 Col de la Croix Haute を越えるルート(D1075号線)だ。古くからの主要道路は前者だが、標準軌鉄道は後者を選択し、1878年にグルノーブル~ガップ間(アルプス線 Ligne des Alpes)が完成した。
グルノーブル~ガップ間の鉄道ルート |
これに対してナポレオン街道沿いの村々でも、鉄道の建設を求める声が高まる。1888年のラ・ミュール鉄道(起終点の頭文字をとって SG-LM という)はその先駆けとなったが、ガップまでの延長(同じく LM-G)は1906年の県による公共事業化まで待たなければならなかった。工事は1910年(1911年とも)から始まり、1932年にようやくコールまで部分開通を果たした。
着工から22年もかかったのは、第1次世界大戦の影響とともに、この区間が山間部で、人口的にも産業的にも投資効果が疑問視されて、資金調達が難航したためだ。加えて、途中の深い谷を越える難工事に時間と資金を費やしたという。いったいLM-Gはどんなルートを通っていたのだろうか。
◆
ラ・ミュール~コール間路線図 |
ルートが記載された1:50,000地形図(1950年代) ラ・ミュール~ラ・サル・アン・ボーモン間 画像はGéoportailより取得、© 2018 IGN |
同 ラ・サル・アン・ボーモン~コール間 画像はGéoportailより取得、© 2018 IGN |
ナポレオン街道は、ラ・ミュールの町を出ると、ドラック川の支流が刻んだ深さ200mの峡谷を横断するために、つづら折りの道を谷底まで降りては登る。こうした離れ業ができない鉄道は、街道から大きく東にそれて、距離にして約2倍の迂回を強いられた。それでも、その間に横たわるロワゾンヌ川とボンヌ川の谷に、大きな石造アーチ橋を構える必要があった。2つの橋は、短命に終わった鉄道の最大の遺構で、歴史遺産となっている。
ロワゾンヌ橋とボンヌ橋周辺 1:25,000地形図(3336OT La Mure、2005年版) ©2009 IGN |
そのうち、ロワゾンヌ高架橋 Viaduc de la Roizonne (上図の左円内、下注)は道路との併用橋で、長さは260mある。中央の大きなアーチが谷を80mの幅でまたぎ、岸と接続する小さなアーチが北側に2個、南側に6個並んでいる。川床から路面までの高さは110mにもなる。日本で最も高い高千穂鉄橋(廃線)が105mだから、石造とすれば相当の迫力だ。
*注 地形図は橋全体を弓なりに描いているが、写真でわかるように実際には中央アーチの部分は直線だ。
ロワゾンヌ高架橋 Photo by Fr.Latreille at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
一方、ボンヌ高架橋 Viaduc de la Bonne (上図の右円内)は長さ180m、高さ55mで、7つのアーチが規則正しく並び、ラ・ミュール側から見て大きく右にカーブする(いずれもデータは下記参考サイトより)。
いずれも設計は、ピレネーを上るル・トラン・ジョーヌ Le train jaune 線上の美しい橋で知られるポール・セジュルネ Paul Séjourné だ。着工は1913年と1921年だが、完成したのは1928年で、その間に橋梁は鋼製が主流となっていたため、フランス最後の大型石造橋といわれる。いずれの橋も廃線後、道路橋に再利用されて、今も渡ることが可能だ。
ボンヌ高架橋 Photo by Fr.Latreille at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
同上 Photo by Fr.Latreille at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
また、ボンヌ橋の北詰めからは、橋を渡らずに谷を遡る支線があった。終点のヴァルボネ村は高山に囲まれた小盆地の中心だが、十分な需要は得られず、本線廃止時に運命をともにした。
SG-LMと違って、LM-Gの開通区間にはトンネルが一つもない。かといって、平坦な行程とはとうてい言えず、曲線の最小半径50m(SG-LMは100m)、最急勾配60‰(ヴァルボネ支線は73‰)が許容されていた。電気運転だからこそ可能な厳しい規格といえる。早くからアルプスの豊富な水量を利用して電力開発が行われており、ローカル鉄道もその恩恵を受けられたのだ。
ヘアピンカーブを避ける大回り箇所 1:25,000地形図(3336OT La Mure、2005年版) ©2009 IGN |
線路敷は現在、ほとんど道路に転用されてしまっている。しかし、谷を回り込む個所は、道路がヘアピンで短絡するため、大回りしていた鉄道用地が取り残されて、地形図に痕跡をとどめる。レ・コート・ド・コール Les-Côtes-de-Corps の下手では逆S字状にうねりながら坂をのぼっているし(上図の左円内)、コール Corps 手前のそれはハイキング道になって、市街まで続いているのがわかる(同 右円内)。
終着駅コールはラ・ミュール以来のまとまった集落だ。ダムで堰き止めたソテ湖 Lac du Sautet とオビウー Obiou の山塊を遠望する丘の上に、こじんまりと載っている。駅跡は集落の西側に隣接し(図に矩形で表示)、駅前広場 Place de la gare の名はそのままに、催し場や駐車場に使われているようだ。
コール遠望 背景はピク・ピエルー山 Pic Pierroux Photo by MartinD at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
実はLM-Gがコールまで開通したとき、そこから南の区間はすでに工事が中断してしまっていた(1930年)。ガップとの直通輸送の夢が潰えた以上、鉄道はこの村を経由する貨客に頼って、生き延びなければならない。この地域の中心地とはいえ、村の人口は近年では400人台、1962年の調査でも608人だったというから、かなり小さな村だ。どうやって採算をとるつもりだったのだろうか。
案の定、鉄道は赤字がかさんで休止に追い込まれていくのだが、文字通りの救いはコール近傍の山中にあった。1846年、山中で2人の羊飼いの子どもの前に聖母マリアが出現したという奇跡に基づいて、その地に築かれたノートルダム・ド・ラ・サレット教会 Basilique Notre-Dame de la Salette だ。コールから15kmの山道を登り詰めた標高1760mにある教会には、今も年20万人が訪れるという。鉄道が現役の時代も、遠路はるばるやってくる巡礼者たちが重要な顧客だった。
しかし、石炭輸送という安定収入が得られるSG-LMに比べて、LM-Gの運営には常に困難がつきまとった。1939年に運行が一時止まり、第2次大戦後に再開したものの、1949年に再び休止、1952年2月に正式に廃止となり、地域開発に賭けた夢はついに消えた。
■参考サイト
ノートルダム・ド・ラ・サレット教会(公式サイト)http://lasalette.cef.fr/
◆
最後に未成線のままとなったコール~ガップ間に触れておこう。工事が進んでいたのはショファイエ Chauffayer 村付近とサン・ボネ・アン・シャンプソール St-Bonnet-en-Champsaur に近いブリュティネル Brutinel 以南だ。特に後者は路盤が完成していた。廃線跡はまっすぐガップに南下する国道から離れ、勾配がより緩くなるマンス峠 Col de Manse を越えており、ガップ駅に至るまでのほとんどの区間を地形図や空中写真でたどることができる。
■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)
http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/pages/histoire2.htm
前回紹介したファンサイトの中に、コール延伸区間に関する記述 "De La Mure à Gap par Corps" がある
Wikipédia 仏語版-シャンプソール鉄道
http://fr.wikipedia.org/wiki/Ligne_du_Champsaur
LM-Gの未成区間に関する記述。なお、シャンプソールはドラック川上流の地域名称(Champのpは発音する)。
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