イタリアの旅行地図-タバッコ出版社
奇怪な山容のドロミティ(ドロミテ)山地 Dolomiti に代表されるイタリアアルプス。第1次大戦まではオーストリア帝国の領土だったことから、最も北にある上アディジェ/南チロル Alto Adige/Südtirol ではドイツ語を母語とする住民が今も7割を占める。近くて言葉が通じる南の国は、ドイツ語圏の旅行者の関心も高い。
そのような事情が背景にあるのだろう。この地域は、ドイツ語系の旅行地図が幅を利かせている。オーストリアの項で紹介したフライターク&ベルント社 Freytag & Berndt (F&B) とコンパス社 Kompass の勢力圏であり、アルペン協会もわずか2面だが、山岳地図を手がけている。
それに対し、地元から参入して気を吐いているのが、タバッコ出版社 Casa Editrice Tabacco だ。本拠はイタリアの東端、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 Friuli-Venezia Giulia のウーディネ Udine 郊外にある。イタリア語風にタバッコと表記したが、意味はもちろん煙草のことだ。妙な社名だが、公式HPにも社史や名前の謂れについては言及されていない。
F&B社の旅行地図は質、量ともに見劣りするので差し置き、ここでコンパスとタバッコを比較してみたい。筆者の見立てでは、両者は互いに譲らぬ好敵手だ。
コンパスは1:50,000と1:25,000の2種類の縮尺が揃い、この地域だけで全部で約50点出している。タバッコも同じように1:25,000が52点、1:50,000が10点、自然公園図(1:25,000)が9点ある(右上写真の、左は1:25,000、右が1:50,000)。1面の図郭面積はタバッコが約108×96cmで、コンパスより一回り大きい。
価格はタバッコが7ユーロ(イタリアでの売価)、コンパスも7~8ユーロでほとんど差はない。ちなみに官製図は、図郭が拡大された1:50,000でもタバッコの1/4の面積しかないのに、価格は10ユーロもするから、民製図のほうがはるかにお徳だ。
カバーするエリアは、欧州随一を自認するコンパスが圧倒的なのは仕方がない。しかし、イタリア北東部に限定すると、コンパスが作成済みのトレンティーノ Trentino(トレント自治県 Provincia autonoma di Trento)やガルダ湖 Lago di Garda 周辺へはタバッコの手が及んでいないが、逆にフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州については、本社のあるタバッコが充実している。
1:25,000索引図 |
接戦の賜物と言うべきか、地図のクオリティは鑑賞にも堪える高いレベルにある。両者とも等高線とぼかし(陰影)を併用して地勢を立体的に見せ、植生を示す面塗りを施している。等高線の間隔は1:25,000の場合、タバッコが25m、コンパスが20m、1:50,000では同50m、40mと異なる。
タバッコの等高線は、欄外注記でも明らかなように、官製図である軍事地理研究所 Istituto Geografico Militare の地形図から取っている。注目すべきは、タバッコが岩場の等高線を褐色から灰色に変えていることだ。これはスイス官製図が採用している方法で、崖地を表す絵模様と重ねることで生じる錯雑感を避ける目的がある。工数増をも厭わないのは美しさにこだわっている証拠で、コンパスも官製図もここまでは踏み込んでいない。
岩場の表現自体も、官製図は写実的であっさりしているが、タバッコはそれを流用せず、やや模式的で濃厚な独自様式で描き直している。離れて眺めると立体感が強調されて、確かに見栄えがいい。
1:25,000旅行地図の例 (地図カタログ 2014年版より) © 2014 Casa Editrice Tabacco |
旅行情報の充実度はどうだろうか。コンパスの方針が観光資源をくまなく記号化することなのに対して、タバッコは登山道の表示に集中しているようだ。ドロミティは、侵食に耐えて屹立する岩山の周りに、緩やかな裾野が展開する。アルタ・ヴィア Alta Via(高い道の意)といわれる長距離ルートをはじめ、トレッキングに適した小道が縦横にめぐっているのだ。
タバッコ地図では、登山道の分類が難度に応じて6種類もある。道標のあるラバ道 mulattiera あるいは通行容易な小道 sentiero、道標のある小道、道標の少ない小道、道標はあるが経験者向きの難路、道標の少ない経験者向きの踏み跡 traccia、(戦時の行軍用に整備された)鉄梯子道 via ferrata、局所的には岩登りの記号もつけて万全を期している。
イタリアきっての人気山岳リゾートが、このような美しい地図に恵まれているのは喜ばしい。そう思って、しばらくぶりにタバッコの最新カタログを見たら、従来の領域を越えて港町トリエステ付近の新図が追加されているではないか。今度はカルスト地形だ。どのように表現されているのか、さっそく手配しようと思う。
タバッコの地図は、イタリアの地図商はもとより、スタンフォーズ Stanfords ほか主要地図商で扱っている。
■参考サイト
タバッコ出版社 http://www.tabaccoeditrice.it/
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