オーストリアの旅行地図-フライターク&ベルント社
ウィーンやザルツブルクのような華麗な文化都市はそれだけで十分魅力的だが、街の周囲に広がるのびやかな野山、それに続く気高いアルプスへと足を向ける人も多いだろう。オーストリアの旅の案内役となる地図をいくつか紹介したい。今回は、一番の老舗であるF&B、フライターク・ウント・ベルント社 Freitag & Berndt の旅行地図 Wanderkarte について。
「ダッハシュタイン周辺」 ハルシュタットをあしらった表紙(左)と裏面(右) |
自社ブランドをつけた地図は、縮尺の大小を問わなければ全世界をカバーしているが、レパートリーの中心はやはりオーストリアだ。1:50,000で国土の大半が揃い、北部に少し残る空白部も順次、作成が進んでいる。人気の山岳地域には、2倍に拡大した1:25,000がある。歴史的経緯で現在はイタリアに属する南チロル Südtirol(イタリア語では上アディジェ Alto Adige)地方にも、刊行範囲が及んでいる。
ハイキング地図索引図の一部(2015年2月閲覧) |
旅行地図のベースマップは独特の様式だ。地勢表現は100m(平野部は50m)間隔の等高線に、手描きの露岩や崖地を加え、大まかなぼかし(陰影)を薄くつけただけだ。森林は、官製図のようにアップルグリーンのベタがかけられている。道路や市街地はグレーで、拡大コピーのようにかなり太い線を使っている。等高線間隔が20mの官製地形図と比較すれば、精度はかなり粗いといわなければならない。
この上に、テーマである旅行関連の表示が加刷されているのだが、「旅行地図」と言っては少し誤解を招くだろう。より的確に表現するなら、自分の足で移動するあらゆるレクリエーションのための地図だからだ。地図の表紙に Wander-, Rad-, Freizeitkarte(登山・ハイキング、サイクリング、休暇地図)と、効能を並べているのがそれを物語っている。
最も目立つのは赤色を配したハイキングルート Wanderweg で、難易度により易しいほうから実線、破線、点線と区分がある。その他、サイクリングルートは青の点線、マウンテンバイクルートは濃緑の点線、スキールートはラベンダーの実線、クロスカントリーのルートは水色の実線で、それぞれ示される。ルート番号、キャンプサイトが明記され、山小屋は赤丸で囲んで目立たせる。こうして、記号や地名表記が集中する地域は、視覚的に相当賑やかな様相を呈していて、明らかに見栄えより実用を優先した地図といえる。
オーストリア=ハンガリー(二重帝国)全図 表題部 |
冒頭で老舗と紹介したF&Bだが、これまでどんな歴史を歩んできたのだろうか。筆者の手元に、同社が1890年に刊行したオーストリア=ハンガリー二重帝国全図の複製がある(上写真)。精緻なケバ式で地勢を表現した美しい地図で、表題には、彫版師グスタフ・フライターク Gustav Freytag の名が刻まれている。F&Bは、フライタークが1885年に、共同経営者ヴィルヘルム・ベルント Wilhelm Berndt の支援で立ち上げた地図会社がルーツで、この帝国図は設立間もない時期の代表作だ。
F&Bはこの分野で大成功を収め、帝室御用達の地図製作処にもなった。会社はその後1920年に、親会社アルタリア社 Artaria と合併して、まもなく社名をフライターク・ベルント・ウント・アルタリア合資会社 Freytag-Berndt u Artaria KG に変更した。アルタリアが店を構えていたのは、ウィーン市街のコールマルクト Kohlmarkt 9番地で、銅版画を商うために1775年に開いて以来の由緒ある場所だ(2014年に移転。追記参照)。その店は今なお盛業中で、官製地形図を含むさまざまな地図や旅行書を扱う専門店として、オーストリアと周辺諸国を巡ろうとする人にとっては必訪の存在になっている。
【追記 2018.12.11】 同社は2014年5月に、近くのヴァルナー通り Wallnerstraße 3番地に移転した。跡地にはファッションブランドが入居している。
コールマルクト9番地の旧店舗 Photo by Gryffindor at wikimedia. |
ヴァルナー通り3番地の現店舗 |
旧シリーズの1点 「バラトン湖」 1994/95年版 |
F&Bは1990年代に、社会主義を脱した中欧諸国でグループ会社を次々と立ち上げて、国際企業に成長する礎を築いた。筆者にとっても同社の地図は、中欧圏を知る手がかりとなったことで印象深い。
先述の帝国図もそうだが、代表的な旅行先、たとえばチェコとポーランド国境のリーゼン山地、スロバキアとポーランド国境のタトラ山地、ハンガリーのバラトン湖、スロベニアのユリアンアルプスなどは、いち早く縮尺1:50,000前後の地形図(等高線が入った地図)が提供された。図式が国ごとに全く違ったのは、現地の地図会社(下注)と提携して、図版をまるごと流用していたからに他ならない。
*注 たとえばバラトン湖はブダペストのカルトグラフィア Cartographia 社、ユリアンアルプスはスロベニア測地研究所 Geodetski Zavod Slovenije の図版を使用していた。いずれも各国の代表的な地図出版社。
しかし今では、このような他流地図のいくつかはカタログから姿を消してしまった。現地発のオリジナルな旅行地図の入手が容易になり、しかもたいていドイツ語が併記されているので、あえて維持し続ける意味がなくなったのだろうか。F&Bの公式サイトにある製品カタログの最新版を見ると、守備範囲がヨーロッパを超えてグローバルに拡大しているのが確められる。味わいのある地方色がそっくり残っているのは、もう旅行地図の中だけのようだ。
■参考サイト
フライターク・ウント・ベルント社 http://www.freytagberndt.at/
出版カタログ:トップページの"f&b Produkte" > "freytag & berndt Verlagskatalog"
索引図: "f&b Produkte" > "Wanderkarten Blattschnitt"
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