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2008年4月17日 (木)

バイカル環状鉄道

バイカル湖畔は、シベリア(横断)鉄道 Транссибирская магистраль / Trans-Siberian Railway(略称 Транссиб / Transsib)の車窓最大のハイライトだ。モスクワのヤロスラヴリ駅から東へ5153km、イルクーツク Иркутск / Irkutsk を発車すると、列車は山間を抜けてゆるゆると高台へ上って行く。ふと気がつくと、左手下方に「シベリアの青い瞳」が視界のかなたまで広がっていて、乗客たちの目はしばらく釘付けになる。

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晩秋のバイカル湖畔
シベリア鉄道スリュジャンカ Slyudyanka 付近
Photo by Алексей Задонский at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

シベリア南東部にあるバイカル湖 Озеро Байкал / Lake Baikal は、周囲2100kmもあるアジア最大の淡水湖だ。地学的にも生態系の点でもユニークな特徴をもち、世界遺産に登録されている。世界一深い湖で、最深地点はなんと水面下1637m、そのため貯水量はアメリカ五大湖の合計より多く、地球上の淡水量の1/5にも及ぶという。この湖岸に鉄道が到達したのは1900年のことだった。

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青マーカー:1898~1900年開通の、湖上を船で連絡する初期ルート
赤:それに代わる1901~1904年開通のバイカル環状鉄道
緑:現在のシベリア鉄道である1949年開通の山越え新線
灰色の枠は下記拡大図の範囲
基図は旧ソ連1:1,000,000 M-48, N-48(原画像を60%に縮小)

最初のルートは、湖水の唯一の流出口であるアンガラ川の左岸をイルクーツクから遡るもので、延長72km。湖に臨む岬の突端に「バイカル駅」と船着場が設けられた。同年には、対岸のムィソーヴァヤ Мысовая / Mysovaya の港(後に町はバブシュキン Бабушкин / Babushkin に改名)からさらに東進する路線が開通した。この間の往来に充てるため、イギリスから砕氷能力をもつフェリーを購入して、湖上連絡が実施された。しかし、1903~04年はことのほか厳冬で、砕氷が叶わず、凍結した湖面にレールを敷いて役畜に客車を曳かせたと記されている。

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冬のバイカル港(バイカル駅)
カメン・チェルスキー山から
Photo by LxAndrew at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

その一方で、バイカル環状鉄道 Кругобайкальская железная дорога / Circum-Baikal Railway と呼ばれる陸上の連絡路を建設するために、調査が進められていた。ムィソーヴァヤから湖の西端クルトゥク Култук / Kultuk までは湖岸に沿うのが順当だが、そこから先は4つの案が比較検討された。最終的に、山越えしてイルクーツクと短絡する3つのバリエーションは斥けられ、湖岸を東に進んでバイカル駅につなぐ計画が採用された。経済効率の点で優位だったとはいうものの、このルートも平地には恵まれず、湖に落ち込む断崖がほとんど切れ目なく続いている。

建設事業は、1899年にムィソーヴァヤ側から始まった。問題の北岸区間では、岩をうがち、33本のトンネルと248個所の橋梁を築く難工事となった。陸上の運搬路がないため、現場で調達できる石材以外の資材は、夏は船、冬はそりに載せて運んだ。1904年2月の日露戦争勃発後は、兵力の安定的な輸送が喫緊の問題となり、完成が急がれた。その年9月、ついに「鉄のベルトを留める金色のバックル」が開通を果たし、翌10月からは定期運行が開始された。

シベリアを横断する大動脈の成立は、東部の開発を促進し、まもなく輸送力の増強を求められるようになる。単線では1日14往復が限度のため、複線化して最大48往復とする工事が進められ、1914年に終了した。

1940年代には軌道のさらなる改良が計画された。しかし、険しい地形を縫う路線では落石や土砂崩れなどが頻発し、安全性を抜本的に高めようとすると費用は莫大なものとなる。調査報告書は、湖岸ルートの更新を断念し、クルトゥクの手前のスリュジャンカ Слюдянка / Slyudyanka からイルクーツクへ通じる短絡線に付け替えることを提案した。こうして初期の構想から50年を経て、1949年に山越えの新線が日の目を見たのだった。

その後も旧線は使われたが、1950年に、アンガラ川を堰き止める水力発電用のダム建設が始まる。イルクーツクからバイカル駅までの区間の大部分が水没する運命となり、1956年に廃止された。残されたスリュジャンカとバイカル駅の間は行き止まりの閑散線と化し、幹線であればトンネルや橋梁に配置される監視員もすべて撤退してしまった。1962年には崖崩れの被害で、複線の片方が使用不能となり、撤去された。

ここで、旧ソ連軍参謀本部の1:100,000地形図を用いてルートを見ておこう。

拡大図1では、右端のアンガラ川左岸に廃止線が4kmばかり水没を免れている。線路が湖岸に回りこむ位置にバイカル駅があり、かつて連絡船が発着した突堤がある。左へ続く湖岸は、比高300~400mの見るからに険しい斜面で、線路は波打ち際にへばりつくように敷かれている。随所に記された分数表示はトンネルの数値で、分子は高さ×幅、分母は長さを示す。

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【拡大図 1】バイカル駅付近
旧ソ連1:100,000 m-48-006(原画像を80%に縮小)
 

拡大図2は新旧路線の分岐点周辺だ。現在の幹線であるイルクーツク短絡線が、反転を繰り返しながらゆっくり上っていく。複線のはずだが、スイッチバック形式の待避線が何箇所も見える。一方、図の右からやってきた旧線はここクルトゥクでようやく、わずかばかりの平地と集落を見出すことになる。

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【拡大図 2】新旧路線の分岐点付近
旧ソ連1:100,000 m-48-004(原画像を80%に縮小)
Map images courtesy of maps.vlasenko.net
 

地図に描かれている通り、旧線、延長89kmはその後も不遇時代を生き永らえた。やがて「バイカル環状鉄道」の名称は、もっぱらこの路線を指すようになった。鉄道の周辺にはダーチャ(自給自足のための別荘)や旅行者の宿泊所があって、買出しに出る人のために1日1本の普通列車「マターニャ」が運行されている。相当にくたびれた車両だが、リクエスト次第で駅でないところでも停ってくれるのだという。

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ポロヴィニー Polovinnyi 駅に停車する
バイカル環状鉄道の普通列車「マターニャ」
Photo by Artem Svetlov at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

さらに、単なる地元民の生活路線からの脱皮も始まっている。すでに1982年に工学遺産および自然保護区域として、州議会により指定の対象に挙げられたが、1996年の世界遺産登録以降、湖の眺望をほしいままにできる鉄道には、観光資源としての見直しがかけられた。

2003年から定期観光列車の運行が始まり、イルクーツク直通で夏季は週に2往復、それ以外は1往復している。これを利用するツアーの旅程によれば、イルクーツクからダム湖西側の道路をバスで走って、湖岸のリストビヤンカ村に滞在、翌日フェリーで湖上を移動してバイカル駅に上陸、そしてこの観光列車に1日たっぷり乗車して、発地に戻る(またはこの逆コース)。

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蒸機が牽く観光列車
ポロヴィニー第2トンネルにて
Photo by Andrei Marhotin at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

鉄道の沿線人口は極小で、災害のリスクも高く、立地条件は非常に厳しい。それだけに、地域にとって近代史の語り部でもあるバイカル環状鉄道のルネサンスに注目したいものだ。

■参考サイト
Circum-Baikal railway http://kbzd.irk.ru/Eng/
バイカル環状鉄道に関するデータ集(英、露語)

The Trans-Siberian Railway (Web Encyclopedia) http://www.transsib.ru/Eng/
シベリア横断鉄道に関するデータ、写真、歴史など非常に充実した資料集(英、露、独語)

バイカル環状鉄道ツアーの一例 Tours to Baikal - Circumbaikal Railway Tour
http://www.baikalex.com/travel/circumbaikal.html

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