マン島の鉄道を訪ねて-マン島鉄道
マン島鉄道 Isle of Man Railway
ダグラス Douglas ~ポート・エリン Port Erin 間24.6km
軌間3フィート(914mm)、非電化
1874年開通(ダグラス~ポート・エリン間)
13号機「キサック」が牽く列車がホームに入ってきた カッスルタウン駅にて * |
◆
ダグラス Douglas は、かもめの甲高い鳴き声で目覚める街だ。しかし、昨日までの晴天とは違って、けさの港町は雨模様で、海鳥たちの飛び交う姿もなかった。島の南へ行くマン島鉄道 Isle of Man Railway, IMR(下注)に乗るために、路線バスで始発駅へ向かう。駅はダグラス川の河口から1km足らず引っ込んだ位置にあり、街が載る高台から見れば川に臨んだ崖下になる。未開発だった低湿地を利用したのだろうが、海運との接続も考慮されたに違いない。かつて駅前にあった船溜りは、今ではボートやヨットの停泊場所に転用されている。
*注 マンクス電気鉄道 Manx Electric Railway と区別して、蒸気鉄道 Steam Railway と呼ばれることがある。
大時計を埋め込んだ立派な煉瓦アーチの門から階段を下りると、同じ赤煉瓦造りの立派な駅舎が客を迎える(下注)。扉回りをアイボリーとインディアンレッドのツートンできりっと固め、優雅な装飾を施した軒庇にはフラワーバスケットも下がる。鉄道の全盛時代を彷彿とさせる美しさだ。しかし内部は、首都の玄関口にしては意外に狭い。昔の投薬窓口のような小さな切符売り場があり、壁に大きな最盛期の路線図がかかっている。隣はカフェで、天井近くに回された鉄道模型のレイアウトには、19世紀のオープン車両が休んでいた。
*注 高台の街へ通じるこの門は、2016年現在閉鎖されているようだ。
レトロな雰囲気をかもし出す駅舎を出ると、頭端式のプラットホームとの間を仕切る柵のところで、改札をしている。今は雨晒しのホームが1面延びているだけだが、古い写真を見ると、駅舎を背にして左側にもう1面ホームがあり、どちらも覆い屋根が渡されていたことが知れる。かつてはこの駅から島の主要な町すべてが、軌間3フィート(914mm)の蒸気鉄道で結ばれていたのだ。
ダグラス駅 (左)港に面する正門 * (右)高台の街に通じるアーチの門 |
(左)優雅な装いのダグラス駅舎正面 (右)待合室、梁にトラム客車の模型が |
(左)ダグラス駅ホームは1本だけ残った (右)ホームの先には車庫や整備工場がある * |
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島の交通の近代化を牽引したのは、1870年に設立されたマン島鉄道会社 Isle of Man Railway Company だった。会社はまず1873年に、ダグラス~ピール Peel 間11.5マイル(18.5km)を開通させた。ピールは西岸の港町で、線路はダグラスとの間に横たわる回廊のような浅い谷を通る。続いて翌74年に開通したのが、今も残るダグラス~ポート・エリン Port Erin 間(南部線 South Line)だ。本来の計画ではカッスルタウン Castletown が終点だったが、水深の深い岸壁が造成されたポート・エリンの港まで延長するよう計画が変更され、15.3マイル(24.6km)の路線となった。
客車側壁にあるマン島鉄道会社の紋章 3本の脚はマン島のシンボル * |
さらに、ピール線の途中駅セントジョンズ St. John's から、1879年に北東岸のラムジー Ramsey(北部線 North Line)へ、1886年にはフォックスデール Foxdale 鉱山へと、路線が分岐するようになる。両線とも別会社が建設したが、1905年にマン島鉄道に引き継がれ、全部で46マイル(74km)を超える大きな路線網ができあがった。
各線とも初期の運行本数は1日4~5往復だったが、1920~30年代には7往復に増便されていた。イギリス本土へ向かうフェリーに連絡する朝8時前がダグラス駅の最も賑わう時間帯で、2本のホームは、狭苦しい列車(下注)から吐き出された人波で溢れたことだろう。
*注 フェリー接続の列車は、ボートトレイン Boat train と呼ばれて親しまれた。
最盛期の鉄道・バスの路線図が 駅舎内の壁に掲げてある |
ダグラス周辺の地形図 官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆 |
ピール周辺の地形図 この時代、セント・ジョンズから4方向に線路が延びていたが、すべて廃線に 官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆 |
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長い歳月が過ぎ、すっかり静かになった始発駅のホームで、ポート・エリン行きの客車が早くもスタンバイしていた。車内に貫通路がないコンパートメントタイプで、1両につき区画が6つ切られている。扉のハンドルは外側にしかない。乗るときはいいが、降りるときはベルトを引いて窓を下ろし、外壁に手を回す必要がある。発車が近づくと車掌が巡回してきて、開いたままの扉を一つずつ閉めていった。こうしてたくさんの扉がバタバタと音を立てる(英語で slam という)ところから、この形式の車両はスラムドアキャリッジ slam-door carriage と呼ばれる。
ややあって、本日の主役となる蒸機が車庫の方から、シュッシュッという軽快なリズムとともに登場した。「ロッホ Loch」の名を戴く4号機だ(下注)。他の仲間とも共通の、先輪1、動輪2の軸配置をもつ小柄な機関車だが、美しく磨かれたインディアンレッド色の車体といい、大きなベル状のスチームドーム(ベルマウス bell-mouth)が放つ黄金色の輝きといい、1874年の開通当時から働く古参の威厳を十分に備えている。
*注 2016年現在、4号機「ロッホ」はボイラー証明書が期限切れのため、運行から撤退している。同年7月の撮影日には、同じインディアンレッドをまとう8号機「フェネラ Fenella」(1894年製)と、ホリーグリーンの13号機「キサック Kissack」(1910年製)が列車を牽引していた。
(左)ベルマウスのドームを持つ4号機関車「ロッホ」 (右)スラムドアキャリッジに乗車 |
発車までにどのコンパートメントもふさがったようだ。定刻の10時15分、ゆっくりと動き出した。同僚が休む機関庫を横目に旧ピール線跡を分け、ダグラス川を渡ると1:65(15.4‰)勾配の長い上り坂にかかる。切通しを抜けた先1km足らずが、沿線で唯一、海岸の間近を走る区間だ。海を背景にした蒸気機関車の写真は、必ずここで撮られている。島の南東部は比較的穏やかな地形で、路線はおおかた内陸を通っている。前半はのびやかな丘陵の間の鞍部を縫っていき、後半は海岸平野のまん中を貫く。そのため、車窓から海が見晴らせる時間はごく限られているのだ。
再び谷のはざまに戻り、標高70m足らずのサミットを抜ける。もう一度海が見えるが、かなり遠のいている。途中の小駅はリクエストストップ(乗降があるときだけ停車)だが、利用者は通しの観光客ばかりと思っていたので、どの駅にも客が待っているのには驚いた。地元の男性が一人、私たちのコンパートメントに入ってきたので聞くと、ポート・セントメアリー Port St. Mary の駅裏にある農場へ行くために利用しているという。ささやかながら、列車は住民の足にもなっているのだ。
サントン駅 (左)ダグラス方を望む * (右)ポート・エリン方は、この道路橋をくぐると下り一方 * |
これもよく写真の被写体になっている石造りの跨線橋をくぐって、サントン Santon 駅へ入る。ここを過ぎれば、道は1:60(16.7‰)の下り一方だ。と突然、駅でもないところで列車に急ブレーキがかかり、そのまま動かなくなった。どうしたことかと、乗客たちは窓から首を出す。線路脇の牧場から、無鉄砲な牛か何かが飛び出してきたのだろうか。
牧場の中で突然急停車 |
心配をよそに10分ほどで再び走り出し、まもなく対向列車が待つバラサラ駅 Ballasalla にすべり込んだ。列車ダイヤは日中2時間ごとの4往復で、両端駅を同時に出発してここで交換する。小さな村の駅というのに、他にもまして整備が行き届いている。ガス灯風の照明が立ち、駅舎の軒やホームの柵に色とりどりの小花が盛られ、思わずカメラを向けたくなる光景だ。
バラサラ駅 (左)花で飾られたホーム (右)8号機「フェネラ」と列車交換 (2枚とも帰路写す) |
機関車が後ろ向きになったダグラス行きを見送って走り出すと、次の停車駅はカッスルタウン Castletown。鉄道の当初の目的地だった町は南部の中心地で、1863年までマン島政府が置かれていたという古都だ。駅からは見えないが、少し街路を歩いて港に出れば、中世の城も公開されている。
カッスルタウン駅 (左)城下町らしい石造りの駅舎 * (右)13号機「キサック」入線 * |
カッスルタウンの港に面したルシェン城 Castle Rushen * |
城の塔屋からの眺め (左)南西方向 遠方にアイリッシュ海に突き出たスカーレット・ポイント Scarlett Point * (右)北方向 駅へ続く街路と東西に広がる平野 * |
この先は、遠くに山並みを見やりながら、牧場や農地の広がる中を坦々と進んでいく。ポート・セントメアリーでは、相客が「いい旅を」と言って降りていった。終点ポート・エリン Port Erin までの所要時間は、時刻表どおりなら57分だ。エリンはアイルランドのことで、夕景が美しい入江は、海の彼方にあるアイルランド島を向いている。土産物のほうに気をとられて行けなかったが、同じ駅構内にある鉄道博物館の訪問もきっと愉しい体験になるだろう。
ポート・セントメアリー駅(左画面外)を出てカッスルタウンへ向かう蒸機列車 * |
終点ポート・エリン駅 * |
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今は元気に野を駆ける蒸気鉄道だが、第二次世界大戦の後は、自動車交通の発達とリゾート客の減少という荒波に翻弄され、一時廃線寸前まで追い詰められた過去も持っている。マン島鉄道は子会社を通じて島のバス路線の大半を併営していたので、戦後しばらくはその収益で鉄道から出る赤字を埋め合わせていたというのが実情だ。すでにフォックスデール線では1940年に旅客輸送が廃止されていたが(貨物を含めた全面休止は1960年)、1949年の外部専門家による報告書で、ピール線と北部線についても運行を止めるように勧告されていた(下注)。
*注 北部線はマンクス電気鉄道との競合で旅客輸送が不振を極め、ピール線も1911年の鉱山閉鎖で輸送実績が低迷していた。
経費の節約と併せて、寿命が近づく設備の延命のために行われたのは、列車の削減だ。まず夜間や日曜日の列車が廃止され、1961年の冬は南部線を除いて全面休止となり、北部線ではその後もこの措置が続けられた。並行して、蒸気機関車の代役となる中古気動車の導入が進められたものの追いつかず、保守作業を理由に、1966年にはとうとう全線で運行が中止されてしまった。
この事態を憂慮したのが7代エイルサ侯爵 Marquess of Ailsa で、彼は自ら全線を借り受けて鉄道経営に乗り出した。エイルサが私財を投じた1967年の運行再開は、増便実験のような性格をもっていたのだが、残念ながら結果は芳しくなかった。翌68年は再び減便され、特にピール線と北部線については、これが旅客列車運行の最終年となった(下注)。
*注 両線で部分的に行われた石油貨物輸送も1969年限りとなり、1975年に施設は撤去された。
政府はエイルサ卿に対して補助金で支援を続けたが、1971年を最後に彼は手を引いたため、翌72年から再びマン島鉄道が運行する形に戻された。といっても、稼働できるのは今や南部線だけだ。しかも赤字額の大きさから1975年にはカッスルタウン~ポート・エリン間、76年はバラサラ~ポート・エリン間と、運行は需要の残る短区間のみに切り詰められてしまう。どう見ても蒸気鉄道の運命は風前の灯だった。
不安定な運行状況はすでに政治問題化しており、1976年のマン島議会ティンワルド Tynwald の総選挙で争点の一つになった。もしこれで廃止派が多数を占めていたら、鉄道はとうに消えていただろう。開票の結果、存続派が勝利し、成立した新内閣は、鉄道を国有化する方針を打ち出した。翌1977年はこれを受けて、南部線全線で列車の運行が再開された。こうして1978年にマン島鉄道は国に買収され、一足先にこの体制に移されていたマンクス電気鉄道などと同様に、新たな道を踏み出したのだ。
バラサラ~ポート・エリン間の地形図 官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆 |
ポート・エリン駅 (左)給水中の機関車の前で記念写真 (右)かつてアイルランドからの客を迎えた駅舎内 * |
(左)構内の鉄道博物館入口 * (右)同 売店 * |
(左)静態展示の6号機「ペヴリル Peveril」 * (右)客車や鉄道の小道具が所狭しと並ぶ * |
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島内を走る個性豊かな鉄道群を訪れてみて感心するのは、どの車両も丹念に手入れされ、施設が美しく保たれていることだ。旅行者や鉄道愛好者の熱心な支持もさることながら、島の人たちの鉄道に注ぐ深い愛情と理解がなければ、19世紀の交通遺産を今日まで伝えることはできなかっただろう。旅を終えてもなお私の心には、マン島への憧れが強く残っている。それはきっとこの島を訪れ、古典列車の旅を楽しんだ人々に共通の想いであるに違いない。
(2016年9月10日改稿)
掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。
■参考サイト
「マン島案内」蒸気鉄道 http://www.iomguide.com/steamrailway.php
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