マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道
スネーフェル登山鉄道 Snaefell Mountain Railway
ラクシー Laxey ~サミット Summit 間7.5km
軌間3フィート6インチ(1,067mm)、直流550V電化、最急勾配1/12(83.3‰)
1895年開通
マウンテンロードからスネーフェル山の眺め 正面奥はバンガロー駅 |
◆
ノルド語で雪山、Snow hill を意味するスネーフェル山 Snaefell は、マン島の最高峰だ。といっても、標高は2036フィート(621m)しかなく、見かけは草に覆われるこんもりとした山に過ぎない。しかし、アイリッシュ海の中央に位置するところから、大気の澄んだ日には足元のマン島はもとより、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがすべて見え、心に曇りなければ天国さえ見える、と言い継がれてきた。
19世紀の鉄道フィーバーはこの山をも開発の対象に加えようとした。1887年に、首都ダグラスからラクシーを経て蒸気動力で山頂まで行く路線について、登山鉄道の専門家に調査が依頼されている。作成された計画はマン島議会 Tynwald の承認を得たものの、実現することはなかった。このとき調査を引き受けたのはジョージ・ノーベル・フェル George Nobel Fell という土木技師で、急勾配に対応したフェル式鉄道の発明者ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell の息子だった。
この構想は、ダグラスからラクシー Laxey 間 まで鉄道(後のマンクス電気鉄道 Manx Electric Railway, MER)が延長された1894年になって復活した。鉄道を経営するマン島軌道・電力株式会社 Isle of Man Tramways & Electric Power Co. Ltd が、先の調査に基づいて電気動力の登山鉄道を造ると発表したのだ。そのための別組織が設立され、再びフェルが工事の技術監督に招かれた。
スネーフェル登山鉄道 Snaefell Mountain Railwayと呼ばれた路線は、ラクシーからサミット(山頂)駅まで延長4.7マイル(7.5 km)、軌間3フィート6インチ(1,067mm)、直流550Vで電化されていた。全線の85%が1/12(83.3‰)の勾配を持ち、ラクシーから山上まで標高差1820フィート(555m)を克服する。
(左)標準色の5号車、ユニークなビューゲルを載せる * (右)開通から1899年まで使われた本来色に戻された1号車 クリームとプルシャンブルーのストライプで、RAILWAYではなくTRAMWAYと書かれている * |
工事は山麓と山頂の両方から線路を順次延長する形で行われ、わずか7か月の工期で完成した。開通式は1895年8月20日で、さっそく翌日から一般営業が始まると、たちまち人気を呼び、初年は1日あたり最高900人が山頂に運ばれたという。なお、最初の山麓駅は現在のラクシー駅の位置ではなく、少し上手の車庫の隣にあった(下注)。その後、仮駅を経て、1898年に電気鉄道のラクシー延伸に伴い、新たに造られた現 ラクシー駅に乗入れを果たした。
*注 当時電気鉄道はまだグレン・ロイ Glen Roy(グレン渓谷)の南の旧駅で止まっていて、登山鉄道旧駅との間は約400mの徒歩連絡が必要だった。
こうして登山鉄道は、開業以来常にマンクス電気鉄道と一体で運営され、会社の経営危機に伴い、1957年に国有化されて今に至る。
1897年の2代目ラクシー駅 * (サミット駅舎の展示パネルを撮影) |
ラクシー~スネーフェル山周辺の地形図 官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図 87 Isle of Man 1957年版 に加筆 |
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ラクシー駅は今も2つの鉄道の乗換駅になっている。4本並ぶ線路のうち、北に向かって左側2本が登山鉄道用、右側2本が電気鉄道用だ。マンクス電気鉄道の軌間は3フィート(914mm)で、実際に見ても登山鉄道のほうがやや広いのがわかる。登山鉄道は2本のレールの間にフェル式レールを抱えるため、同じ3フィートに揃えることができなかったのだ。
ぽつんと接続列車の到着を待っている電車は電気鉄道のそれに似たクラシックなスタイルだが、集電装置はトロリーポールではなく、珍しい形のビューゲル(ホプキンソン式ボウコレクター Hopkinson bow collector)を2基付けている。補修を経てはいるものの、開通時に配属された6両(下注)がいまだに活躍しているのには驚く。
*注 本文の記述は2007年現在のため、改稿した2016年の状況を注で補足する。2016年3月30日に3号車がサミット駅から暴走し、バンガロー駅の北方で脱線して大破するという事故が発生した。幸い乗員、乗客は車内におらずけが人はなかったが、運行は当面5両体制を余儀なくされる。
登山鉄道(左側)とマンクス電気鉄道(右側)の車両が出会うラクシー駅 * |
(左)線路幅(軌間)比較 * 左の登山鉄道のほうが右2本の電気鉄道よりやや広い (右)フェル式センターレールの終端 * |
駅には嵩上げしたプラットホームなどはなく、路面電車並みに砂利引きの地面から直接ステップで乗り降りする。日中10時15分から15時45分まで30分おきの発車(下注)で、ダグラスから来る電気鉄道と5分で接続するダイヤだ。山頂までの所要時間は30分。私たちは近くのパブで食事を取って早めに車内に入っていたが、電気鉄道の列車が着くと、乗換え客が続々と移ってきて、座席は一気に埋まった。
*注 30分毎は最繁忙期のダイヤで、中間期は1時間毎となる。ちなみに2016年の運行期間は3月24日~10月30日(中間期は運休日あり)。
(左)私たちも車内におさまる (右)座席は大人2人で掛けると窮屈 * |
ラムジー方面へ去っていく列車を見送って、13時15分発車。同じ北向きに走り出るが、幹線道路A2(ラムジー・ロード Ramsey Road)を横断すると、電気鉄道の複線が右に分かれていく。こちらは直進で、複線に分かれると同時にフェル式レールが現れた。線路の中央に、錆の浮いた双頭レールが横向きに敷かれている。これを車両の床下に設置された水平動輪で両側からはさむことで、急勾配での推進力を高める仕組みだ。建設当時、電車の登坂性能がまだ十分知られていなかったため、蒸気鉄道で使われていたこの方式が採用された。しかし、通常の粘着運転でも十分昇り降りできることがわかり、それ以来このレールは、非常ブレーキをかけるとき以外、用途はない(下注)。
*注 フェル式鉄道のニュージーランドでの採用例について、本ブログ「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」で詳述。
車両側のフェル式装置 (左)補助ブレーキ * (右)駐車ブレーキ * |
この登山鉄道は、イギリスでは珍しい右側通行だ。上り始めてすぐ、左後方に向けて延びる1本の線路に気づく。奥にあるのはこの鉄道の車庫で、非番の電車が休んでいるのがちらと見えた。開通当時はこれが本線で、現 車庫の左隣に山麓のターミナルがあったのだ。
(左)本線から車庫への分岐線 * (右)現在の車庫 * |
視界はしばらく右手に開ける。なだらかな谷の向こう、緑の森の中から異様に大きな赤い水車が顔をのぞかせている。水車の直径が72フィート6インチ(22.1m)もあるというラクシー・ホイール Laxey Wheel だ。島の副総督の奥さんの名にちなみ、レディー・イザベラ Lady Isabella とも呼ばれる。鉱山の縦坑から水を汲み出すために作られたもので、稼働するものでは世界最大なのだそうだ。
登山鉄道の車窓から遠望するラクシーホイール |
ラクシーホイール (左)直径22.1mの大水車 * (右)接続するアーチは用水路ではなく、縦坑のポンプにつながるロッドを渡すもの * |
2km地点で尾根の張り出しを回り込むと、いよいよ目的地スネーフェル山が右前方に姿を見せる。とはいえ、頂上に電波塔が立つ以外、代わり映えしない山なので、言われなければ気づかないかもしれない。線路は山の左裾にある鞍部に向かっている。すぐ下に見えてくる石造りの建物は、開業当時、鉄道に電気を供給していた火力発電所だ。独自の電源は、1935年に整備された公共送電網からの受電に切り替えられて、廃墟となった。
(左)右側通行で斜面を上る(後方を撮影) (右)旧 火力発電所跡を通過 |
雄大な風景を背負ってけなげに上ってくる電車 * (マウンテンロードから撮影) |
まもなくその鞍部で、ダグラスとラムジーを直結する道路、通称マウンテンロード Mountain Road と平面交差する。私たちにとっては今朝、路線バスで通ったばかりだが(「マンクス電気鉄道」の項参照)、角度を変えて見るのはまた新鮮だ。踏切に接近すると電車は徐行し、けたたましいベルを辺りに響かせながらごろごろと通過する。すでに標高は412m、山中なので濃霧がかかる日も多いはずだが、警報機のような安全設備はない。
踏切の脇に建つ建物は、唯一の中間駅バンガロー Bungalow だ。自動車道が頂上に通じていないため、マイカー族もここから登山電車に乗れるようにしている。ちなみにマウンテンロードはマン島TTレースのコースで、開催日は線路が閉鎖され、電車は踏切の両側で折返し運転をする。通しで乗る客は、すぐ近くの歩道橋を渡っての徒歩連絡を強いられるそうだ。
バンガロー駅 (左)大音量のベルとともにマウンテンロードの踏切を通過 * (右)バンガロー駅での乗降 * |
この先は視界が左側に移り、スネーフェル山の斜面を時計回りに巻きながら上っていく。最も風に曝される区間のため、運行が止まる冬は、強風と低温で損傷しないよう、バンガロー~山頂間の架線が撤去される。しかし、山頂には空軍のレーダー基地があり、冬もその保守要員を運ぶ必要があるため、電車の代役となる小型気動車が山麓の車庫に用意されている。
最後の上り坂 (左)山頂から降りてくる電車とすれ違う (右)マン島の水甕、サルビー貯水池が眼下に |
じりじりと上る電車の窓から見える遮るもの一つない景色は、文句なしにすばらしい。ヒースが覆う斜面を雲の影が足早に流れ、痩せた羊たちが無心に草を食む。その背後の谷間にはマン島の水甕サルビー貯水池、遠くにうっすらとアイリッシュ海も望める。急曲線で半回転すると今度は、今上ってきた緩やかな草の谷が視線をラクシーの方へいざなう。と、まもなく「Snaefell Summit House 2036 feet high」と大書した平屋の建物の前で、電車は停まった。終点サミット Summit 駅だ。
(左)サミット駅の珍しいシングルブレードポイント * (右)サミット駅に到着 * |
なにげなく電車を降りたとたん、横殴りの風に体がよろけた。慌てて足を踏ん張ったが、冬場に架線を撤去するという話に改めて納得する。せっかく来たのだから外を歩こうと思うけれども、山頂周辺が自然保護のため通行止めになっている上(下注)、日差しがあるのに吹きつける風が体温を容赦なくさらっていく。ほとんどの乗客は目の前のダイナミックなパノラマに酔う余裕すら無くして、そそくさと駅舎の中に逃げ込んでしまった。電車が下界へ戻るのはまだ30分も後だ。
*注 2016年現在、山頂周辺への立入りが可能になっている。
駅のすぐ裏手が山頂 * |
サミット駅舎とレーダー施設、戦闘機はオブジェ? * |
サミット駅からのパノラマ 左の谷の先がラクシー、尾根につけられた筋は登山鉄道の線路、 右で道路と交差するところがバンガロー駅 |
次回は、蒸気機関車が活躍するマン島鉄道に乗る。
(2016年9月7日改稿)
この記事は、Stan Basnett and Keith Pearson, "100 Years of the Snaefell Mountain Railway" Leading Edge Press and Publishing, 1995、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。
■参考サイト
「マン島案内」スネーフェル登山鉄道 http://www.iomguide.com/mountainrailway.php
マンクス電気鉄道オンライン https://manxelectricrailway.co.uk/snaefell/history/
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