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2007年12月 6日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道

マンクス電気鉄道 Manx Electric Railway

ダービー・カッスル Derby Castle ~ラムジー Ramsey 間28.8km
軌間3フィート(914mm)、直流550V電化
1893~1899年開通

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電気鉄道沿線にいざなう昔の広告
(ダービー・カッスル駅舎のパネルを撮影) *

オートバイが島の公道を駆け巡るマン島TTレースは、年に一度行われる島最大の行事だ。首都ダグラス Douglas を発ち、時計回りに一周するコースの後半は、北東の港町ラムジー Ramsey からダグラスまで山を越えて一直線に戻ってくる。スネーフェル山 Snaefell から南北に連なる尾根の鞍部を縫いながら、標高400m前後をキープする見晴らしのよい自動車道は、マウンテンロード Mountain Road と呼ばれる。

観光案内所でもらった時刻表と路線図を照合すると、ダグラス~ラムジー間をつなぐ路線バス約25便のうち、北行きは平日の1日3便、南行きは2便だけがX3系統として、急行扱いでそのルートをなぞる。朝9時50分発でラムジーまで乗っていき、戻りをマンクス電気鉄道 Manx Electric Railway (MER) にすれば、車窓が変化して家族も退屈しないだろうと、その日の計画は即座に決まった。

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電気鉄道の山側を短絡するマウンテンロード
 

X3系統の始発駅は、時刻表に「バンクス・サーカス Banks Circus」と書かれているが、これはマン島鉄道(蒸気鉄道)ダグラス駅の駅裏に当たる。蒸気鉄道が経営難から再建される際に、駅の敷地の一部をバス操車場に転用したからだ。かっきり時刻どおりに来たダブルデッカーのバスに乗り込むと、客は私たちを含めて10名足らずだった。陣取った2階の最前列は最高の展望席だが、郊外に出ると結構飛ばすので、右に左によく揺れる。

すっきりと晴れた空の下、道は緩やかにうねる山並みにとりついて、しだいに高度を上げていく。ブランディーウェル Brandywell の峠に出ると、草原の前方にひときわ大きな高まりが現れた。島の最高峰、標高621mのスネーフェル山だ。登山鉄道の踏切を横断し、ラクシー渓谷 Laxey Glen の向こうに光る海原を右手に眺めながら、しばらく進む。その先は、北端の岬ポイント・オブ・エアー Point of Ayre を遠くに仰ぐ、爽快な下り道だった。

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2階バス正面からの展望
ラムジーの町とポイント・オブ・エアー(北端の岬)
 

10時40分、予想通りの絶景を満喫した私たちはラムジーのバスターミナルに到着した。分かれ道を南へ戻ると、駅前広場はすぐに見つかった。町の中心から見れば裏手に当たるので、いたって静かなターミナルだ。駅舎は寄棟平屋造りの地味な建物だが、ヴィクトリア朝の文字で書かれた「トラムステーション Tram Station」の駅名看板(下注)がノスタルジックな雰囲気を盛り上げている。

*注 これは、後述するマンクス・ノーザン鉄道の旧 ラムジー駅と区別するためだったが、駅は、東隣(現 駐車場)に存在したプラザ映画館 Plaza cinema にちなんで、ラムジー(プラザ)駅 Ramsey (Plaza) Station とも呼ばれていた。

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(左)ラムジー駅舎 *
(右)ヴィクトリア朝風の駅名看板

鉄道は、延長17.9マイル(28.8km)で、ローカル線にもかかわらず全線が複線だ。歴史を遡ると、1893年に馬車軌道の終点ダグラスのダービー・カッスル Derby Castle ~グラウドル・グレン Groudle Glen 間が開通したのを皮切りに、1894年にラクシー Laxey、1899年にここラムジーまで達している。

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ラムジー周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図
87 Isle of Man 1957年版 に加筆

 

最初はマン島軌道・電力株式会社 Isle of Man Tramways & Electric Power Co. Ltd が経営し、ラクシーに設けた自前の発電所から電力を供給していた。当時、すでに町には蒸気鉄道のマンクス・ノーザン鉄道 Manx Northern Railway(1879年開通)の駅があり、ダグラスへの直通列車も設定されていた。しかし、西岸を経由する遠回りなルートのため、時間を要した。東岸のほうが距離的にはずっと近いものの、海際まで張り出した山地が断崖と深い谷を形成する険しい地形が続いている。勾配に比較的強い電車が登場するまでは、鉄道の敷設が難しかったのだ。

電気鉄道の到来は町に新時代をもたらしたが、工事費に加えて設備が高価で、会社は銀行から多額の資金を借入れていた。ところが運の悪いことに、翌1900年にその銀行が破綻してしまう。たちまち会社は資金難に陥り、併営していた採石場やダグラス市内の馬車軌道(下注)を含め、全資産の売却を余儀なくされた。1902年に新会社「マンクス電気鉄道 Manx Electric Railway」が設立されて、鉄道の経営権はそちらに移った。

*注 このとき馬車軌道はダグラス市が購入し、経営が切り離された。そうでなければ、馬車軌道は早々に電化され、電気鉄道の車両が直通していたに違いない。

出だしで躓いたものの、その後鉄道は、第一次世界大戦中を除いて順調に走り続けた。ただし1930年だけは厄年で、4月にラクシーの車庫が火災に遭って多数の車両を失い、9月の大雨では、直営発電所の堰から溢れた濁流が村に大きな損害を与えている。

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ラクシー周辺の地形図
官製1マイル1インチ(1:63,360)地形図
87 Isle of Man 1957年版 に加筆

 

次の転換期は、第二次大戦の後にやってきた。マン島を訪れるリゾート客が減少し、そのうえ車両や線路の老朽化が進行してきたのだ。改修費用は膨大で、会社はやむなく1955年の終わりに、マン島議会ティンワルド Tynwald に対し、来シーズンをもって運行を中止すると通告した。議会が買収に向けて動き出したことで、電気鉄道は1957年に国有となる。

買収自体はわずか5万ポンドで合意に至ったとはいえ、改修の再見積り額は議会の想定をはるかに超えていた。経費圧縮のために減便ダイヤが実施されたが、あまりに不評なため、翌1959年に早くも元に戻されている。この問題は後々までくすぶり続け、1975年にはいったんラクシー~ラムジー間の休止が決まり、郵便輸送も廃止された。ところがこれが翌年の議会選挙の争点になり、存続派が勝利したことで、77年に運行が再開されるという混乱もあった。また、冬場も平日は走っていたが、1998年に中止となり、これはいまだに復活していない。

現在(2007年)のダイヤは、4月初めから11月初めまでの旅行シーズン限定だ。地域の日常交通手段はとうに自家用車や路線バスに移行し、旅行者や滞在客向けの観光資源として残されているのだ。

待つこと暫し、カーブの向こうから、至ってクラシカルな風貌をした2両編成の列車が姿を現した。トロリーポールが直立する電動車もさることながら、付随車は屋根つきオープンカーだ。趣のある板張りダブルルーフに裸電球、そしてクロスベンチが置かれた客室の側面には安全柵すらない。なにしろこの鉄道の運行は、製造が新しいものでも1906年より下らないというヴィンテージ車両ですべて担われている。

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(左)5号動力車 *
(右)40号付随車 *
 

折返し運転するために、電動車を前に付け直す機回し作業が必要だが、構内には並行する2本の線路の間に渡り線が1か所あるだけだ。これでどうやって機回しするのだろうか。観察していると、連結が解かれた後、運転士は電動車を線路の終端まで進ませた。車掌が降りてポールを回した後、電動車はすぐに後退して渡り線を通り、いったん隣の線路へ移る。またポール回し。次に残っている付随車を運転士が後ろから一押しすると、重力で転がり始める。乗り込んでいた車掌が、線路の終端でブレーキをかける。そこへ運転士が動力車を後退させていって、再び連結、最後にまたポール回しという手順だ。文章にすると結構面倒そうなのだが、操作する本人たちは手慣れたもので、ものの3分ほどで作業は終わった。

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ラムジー駅での機回し風景(写真5点)*
(左)連結を解かれた動力車はいったん線路の終端まで行って折り返し、渡り線を通っていったん隣の線路へ
(右)ポール回しは車掌の担当
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(左)付随車を運転士が一押しして線路の終端へ
(右)付随車のブレーキは乗り込んでいる車掌が操作
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運転士が動力車を後退させていって、再び連結
 

眺望が売り物の鉄道なので、オープンカーの最後尾に陣取る。11時10分、定刻に列車はラムジーを出発した。天気がいいのですっかり油断していたが、走行中は風がビュンビュン通り抜けて、けっこう寒い。住宅地の中を道端軌道のように通り抜け、海べりの高みに上ったかと思うと、牛や羊が草を食む牧場の脇をかすめ、緑濃い谷の中へ分け入っていく。地形図を手にしているので景色の変化はある程度予測できるとはいうものの、どこまでも飽きない眺めだ。後ろを振り返ると、街路にこそ似合うセンターポールのトロリー線が、大自然の空中に張られているというミスマッチも面白かった。

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(左)付随車の車内、板張りダブルルーフに裸電球
(右)座席は簡易なクロスベンチ
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(左)まずは道端軌道を走る
(右)街路にこそ似合うセンターポールが大自然の中に
 

やがて、沿線一番の見どころ、この鉄道の最高地点でもあるバルガム湾 Bulgham Bay の断崖上に踊り出た。線路は海面から約180mの高さにあり、まぶしいほどの大海原が視界を占有する。しかしここは、1967年1月に路盤が崩壊して、半年間乗客が徒歩連絡を強いられた場所だ。いわくつきの難所を今日は無事通過すると、電車は坂をぐんぐん下り始め、左手にラクシー川の深い渓谷に沿うラクシー Laxey の家並みが、そして巨大な赤い水車が見えてくる。並行道路と複雑に交差しながら急カーブを切って、ラクシー駅に到着した。

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沿線随一の眺望、バルガム湾の断崖
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ラクシー駅近くの大型水車
ただし有名なラクシーホイールとは別
 

私たちはここで途中下車して、登山電車でスネーフェル山に上ったのだが、それは次回記すとしよう。駅のベンチに座って眺めていると、電気鉄道の列車が30分ごとに到着しては、傍らで待つ登山電車へ乗換え客を吐き出して去っていく。周りを高い木立に囲まれ、ひなびた風情の駅構内(下注)も、昼間はなかなかの賑わいを見せている。

*注 西側2線がスネーフェル登山鉄道用、東側2線がマンクス電気鉄道用だが、ホームはなく地面から直接乗り込む。

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ラクシー駅は登山鉄道と乗換えのときだけ賑わう *
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(左)ラクシー駅舎 *
(右)出札兼売店のある室内 *
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ラクシー駅でしばし休憩
 

ダグラスに戻る後半の旅は、1894年に先行開通した区間を行く。しかし、開通当時のラクシー駅はここではなく、駅の南端を限るグレン・ロイ Glen Roy(ロイ渓谷)の向こう側にあった。グレン・ロイを渡る無骨で頑丈な高架橋はまだ建設中だったからだ。現在旧駅跡には、資材倉庫が建っているほかは空地になっている。

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グレン・ロイをまたぐ重厚な高架橋
(左)一見橋には見えないが *
(右)実はかなりの高さがある
 

再び海を見下ろす高台に躍り出る。しかし、地形がいくらか穏やかなので、風景のスケールとしてはラクシー以北に一歩譲る。その代わり、道路との交差がひどく急角度だったり、谷をヘアピン状に巻いたりと、ルート設定はいっそう軽便鉄道らしさを増してくる。

やがて、グラウドル Groudle の停留所。近くの谷間から出発する保存鉄道グラウドル・グレン鉄道 Groudle Glen Railway の最寄り駅だ。森を抜けると、海から立ち上がった斜面の中腹を走っていく。鉄道とセットで造られた車道が海側に張り付いて、眺望がややそがれるものの、前半のバルガム湾を思い出す。ガラス越しではない生の景色を、風が運ぶ土地の匂いとともに堪能できるのが、この鉄道の最大の魅力なのだ。

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(左)道路と急角度で交差 *
(右)ミニ保存鉄道への乗換駅、グラウドル駅 *
 

ふと前方に目をやると、下り坂のかなたに見覚えのある弧を描くダグラスのプロムナードが白く浮かんでいる。馬車軌道のトラムが待つダービー・カッスル、計1時間15分の夢の旅の終点はまもなくだ。

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ダグラスの町が見えてきた
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終点ダービー・カッスルに到着
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(左)ここでの機回しは通常方式、奥に見えるのは電気鉄道の車庫 *
(右)車庫全景。ハリウッド風の文字看板はアピール力抜群 *
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ダービー・カッスルから南へ延びるダグラスのプロムナード *
 

次回は、電気登山鉄道でスネーフェル山に上る。

(2016年9月4日改稿)

掲載した写真のうち、キャプション末尾に * 印のあるものは、2016年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。それ以外の写真は、2007年8月に筆者が撮影した。

■参考サイト
「マン島案内」マンクス電気鉄道 http://www.iomguide.com/electricrailway.php
マンクス電気鉄道オンライン https://manxelectricrailway.co.uk/

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