イギリスの鉄道地図 I-トーマス・クック社
トーマス・クック Thomas Cook の社史は、旅行業の歴史そのものだ。旅行者の手引きとして考案されたヨーロッパ鉄道時刻表は1873年の創刊以来、未だに刊行され続けている。同社が理想の道連れ ideal companion とうたう大判折図の「ヨーロッパ鉄道地図 Thomas Cook Rail Map of Europe」もすでに16版を数える。いずれも日本のユーレイルパスユーザーには必須アイテムとしてつとに知られているものだ。
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「イギリス・アイルランド鉄道地図 Rail Map Britain & Ireland」はヨーロッパ版の姉妹品として、1989年に発刊された。2007年現在、第5版が出ている(写真左は1992年第2版「Visitor's Rail Map of Great Britain & Ireland」、右は2007年第5版)。時刻表添付地図を別とすれば、1枚もののイギリスの鉄道地図としては、筆者が知る限りこれしかない(下注)。そして、旅行者向けに編集されている点でも唯一のものだ。
*注 その後、2008年にトラックマップ社 Track Maps から"Rail Map of Britain"が刊行された。
縮尺はイングランド、ウェールズが1:750,000、スコットランドとアイルランドは1:1,000,000(100万分の1)。グレートブリテン島の南2/3を表面に、同じく北1/3とアイルランド、それにロンドン地域の拡大図を裏面に配置する。
初版のころは、まだイギリス国鉄 British Rail(BR)が健在で、都市交通や地方の小鉄道、貨物鉄道を除いて、全国の鉄道網は一括運営されていた。それで鉄道地図も、国鉄の列車種別で路線を区分するのがごく自然な考え方だった。
クックの地図では、インターシティ(IC)が平均時速90マイル以上で最低1時間ごとに走る区間を「高速 High-Speed」、地域間の速達列車が60マイル以上で最低2時間ごとに走る区間を「急行 Express」、などと分類している。優等列車区間は赤色の線、その他は黒い線を用い、その結果、色で幹線、支線を見分けることができた。地図デザイン自体は、配色やベースマップとの相性を含め、いかにも野暮ったかったが、実用性はそれなりにあったといえる。
1980年代はサッチャー首相率いるイギリス政府が、国有企業の民営化や規制緩和政策を推進した時期にあたる。国鉄も例外とはならず、次のメージャー政権で成立した1993年鉄道法 Railways Act 1993 により、1994年4月をもって解体が実行された。イギリスの鉄道改革は、事業にフランチャイズ制を導入したのが大きな特徴で、旅客輸送に参入した会社は25社に及んだ。地方の拠点都市とその周辺に路線網を固める会社もあれば、長距離路線を主体とする会社もあり、大都市間を結ぶ幹線には何社もの列車が行き交うことになった。
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鉄道地図もその影響で、列車速度や運行頻度で一括りに表しきれなくなったらしい。現行版は列車種別による区分を止めて、列車運行会社(TOC)ごとに色分けする方式に切り替えている。複数社が運行する路線は、色の線が並行してカラフルな帯状を成している。各社のテリトリーが一目瞭然なのはおもしろいが、もはや優等列車が走る区間という形では判別できなくなった。
デザインは初期に比べてずいぶん改良されている。うるさかったベースマップのトーンが下がって路線図と駅名が引き立つようになり、クックの特色の一つである景勝区間 Scenic Route の表示も点線化したので、路線表示と混同されるおそれがなくなった。イギリスの鉄道シーンを印象付けている各地の保存鉄道 Heritage railways は、旧版では緑の線を使い、景勝区間と紛らわしかった。今は日本の私鉄記号のように赤の実線に短線を施し、名称も入ったので、広い図面の中でもすぐに見つけられる。
難をいえば、1:750,000というスケールでは都市部の表示が難しいのだから、バーミンガム Birmingham、マンチェスター Manchester・リヴァプール Liverpool、グラスゴー Glasgow のような路線稠密地域は、ロンドンに準じた拡大図がほしいところだ。また、主な町について、欄外に観光案内所の連絡先と市内・郊外の見どころが細かく記述されているが、関連のウェブサイトのURLがあればなお便利だろう。
トーマス・クックは合併連衡を繰り返して、今では旅行業でヨーロッパ第二の規模に成長した。その一部門が刊行する鉄道地図も老舗の知名度とあいまって、同種の地図の中では最も入手しやすいものとなっている。日本でも、アマゾンその他、洋書を扱うショップで扱っている。
■参考サイト
トーマス・クック出版社 http://www.thomascookpublishing.com/
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コメント
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コメントありがとうございます。
イギリスの鉄道改革は極端なところがあります。2000年のハットフィールド事故以来、遅延が恒常化して著しく評価を落としたわけですが、まだその後遺症から回復していないんですね。
投稿: homipage | 2007年10月18日 (木) 23時12分
民営化後の鉄道は、混乱続きですね。
特にこの夏は洪水もあいまって、
所々で遅延や運休が・・・・・。
同じ路線を走っていても、
オペレーターによって料金が異なったり。
もっとも、消費者の選択肢が広がったという見方もできますが。
投稿: ナローボーター | 2007年10月17日 (水) 13時28分