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2007年9月 6日 (木)

スノードン登山鉄道 II-クログウィン乗車記

ウェールズの地図を見ると、スランで始まる地名が無数に見つかる。パダルン湖 Llyn Padarn のほとりに開けた小さな町スランベリス Llanberis もその一つだ。スラン Llan はウェールズ語で、教会または教会のある村や教区を意味している。この地に庵を編んでいた隠者聖ペリス St. Peris を祀る教会が、スランベリスという地名の由来だ。

かつてこの町の経済を支えていたスレート鉱山の跡が、今も湖の向こうの山肌に醜い姿をさらしているが、もう長い間、町はスノードン山の玄関口という別の顔で知られている。実際、町外れにある登山鉄道の駅前のほうが、街道沿いの町なかよりよほど人で賑わっているのだ。

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スランベリス駅で出発を待つ列車
 

町から東へ歩いていくと真っ先に、ラックレールのマークを掲げた、緑の垂木にスレート屋根の建物が目に入る。スノードン登山鉄道 Snowdon Mountain Railway の始発駅だ。といってもこの建物は鉄道のグッズショップになっている。切符売り場はベンチが並ぶ広場の左奥だ。山に上る前から土産は買わない、と決めている人でも、ショップの奥にあるささやかな鉄道資料室はお薦めだ。展示資料もさることながら、線路の車止めに面しているので、ガラス越しに発着線を出入りする列車の様子を目の当たりにできて愉しい。

ちなみにこのショップ、町のほかの土産物店よりよほど品揃えがよくて、長居をしてしまいがちだ。切符を買って列車に乗るまで待ち時間があるので、つい足が向いてしまう。そのうえ、下山してきて列車を降りると、日本の観光地によくあるように必ず店内を通って外に出る構造になっている。結局、商魂という魔の手から逃げおおせることはできないのだ。

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スランベリス駅
(左)まず目に入るグッズショップの建物
(右)駅前広場の奥の切符売り場
 

スノードン登山鉄道は、延長7.53km、軌間800mmのアプト式ラック鉄道だ。山頂駅の標高は1,065mで、長年イギリスの鉄道で到達できる最高地点だった。2001年12月にスコットランドで、標高1,097mまで上るケアンゴーム登山鉄道 Cairngorm Mountain Railway(下注)が開通したときに、最高地点のタイトルは譲ったが、山麓駅との高低差957mのレコードはいまだに破られていない。

*注 ケアンゴーム登山鉄道はラック式ではなく、ケーブルカー(鋼索線)。

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スノードン登山鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網
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スノードン登山鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 107 Snowdon 1959年版 に加筆
 

スランベリスに着いた日の夜は、大粒の雨が降っていた。しかし、朝食を終えるころには雲の切れ間が見えるまでに天気は回復してきたので、運を頼みに登山鉄道の駅へ行ってみた。10時半ごろ切符売り場を覗くと、11時30分発のチケットを発売しているではないか。ハイシーズン中の日曜日なので長蛇の列を覚悟していたのだが、窓口に並んでいるのは10人足らずで、やはり多くの人は雨模様を敬遠しているようだ。それにサミット駅が2008年春まで駅舎改築のため閉鎖されており、運行が1駅手前のクログウィン Clogwyn 止まりなのも、客足に響いているのかもしれない。

発車は多客時が30分毎だ。11時発の列車を柵越しに見送ったあと、11時10分に次便の改札が始まった。この鉄道では開通当時からの蒸気機関車が健在なのだが、1986年以降、小型ディーゼル機関車も導入されている。この便は、ディーゼルの10号機イェティ Yeti が後尾に付いた。イェティとは雪男のことだ。車窓の眺めは主に進行右側に開けるのだが、そうでない側の景色も興味があるから、行きは右、帰りは逆側に座ろうと思う。次々とお客が乗り込んできて、小さな客車はすぐに満席になった。こんな天気だから、みな長袖のパーカーやジャンパーを着込んでいる。

列車は定刻に発車した。蒸機がたむろする機関庫を右手に見送ってフーフ川 Afon Hwchを渡り、しばらくこの川に沿って走る。平均時速は8kmだ。まもなく前方に167‰(1:6)の急勾配が見えてくる。長さ152mの石造アーチ橋の上をぐいぐい攀じ登るとともに、林に囲まれた民家の並びが下方へ遠ざかる。

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蒸機がたむろする機関庫を見送る
 

やがて谷川は深まっていき、ほとばしるカイナント・マウル Ceunant Mawr の滝に姿を変えた。線路は滝壺のへりに橋を架けて敷かれ、数少ない左手車窓の見どころの一つを提供している。開通のとき、すぐ川上の左カーブの先に、滝見の客のための、その名もウォーターフォール駅 Waterfall Station が設けられた。だが、駅はとうに廃止され、今は軌道資材の倉庫が残っているだけだ。

すでに、列車はスノードニア国立公園の区域内を進んでいる。フーフ川を再び渡った後、列車は、緩やかに傾斜する広い谷の中をじりじりと上り詰めていく。天気が良ければこのあたりから、スノードンの頂きが姿を現すはずなのだが…。乗馬道と交差してまもなく、近くの小さな礼拝堂の名を付けたヘブロン Hebron 駅を通過した。谷側に張り出した列車の待避線がある。周辺の土地が湿原状で地盤がよくないため、定期的な線路点検と保守作業が欠かせないという。

直線主体だった線路に、盛り土をしたS字カーブが現れる。スランベリス・パス Llanberis Path と呼ばれるスノードン山頂への登山道の上をまたいでいくのだ。トレッキングを愉しむ人たちがニコニコと手を振ってくれるので、こちらも手を振り返す。列車旅ならではの光景だ。

深い切通しを抜けると、ハーフウェー Halfway 駅に達する。全線の中間地点付近に位置していて、蒸機のための給水設備もある。多客時はネットダイヤが組まれ、各駅で列車交換があるのだが、待つのは山からの下り列車(=スランベリス行き)で、上りはさっさと通過していく。乗車した便も往きはクログウィンまで30分で着いたが、帰りは各駅で対向待ちがあり、続行運転する2本の列車(下注)を退避したので55分もかかった。

*注 続行運転のことを現地では「ダブラー Doubler」と呼ぶ。待避線は2本の列車の収容に適応した長さを持っている。

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(左)ハーフウェイ駅で列車交換
(右)駅名標はラック・アンド・ピニオンのデザイン
 

線路は斜面を回りこむように上っていき、一面黒い岩がごろごろ転がるロッキー・ヴァレー Rocky Valley を進む。一瞬、プラットホームのようなものが右側に見えるが、これはロッキーヴァレー・ホールト Rocky Valley Halt という名で、気象状況が悪く、列車がクログウィンまでたどり着けないときに折り返すための設備だ。

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眼下にスランベリス峠道が走る
 

いつのまにか列車は、スノードンの北尾根の上を走っている。左手はるか眼下にスランベリス峠道 Llanberis Pass と呼ばれる、比高550m以上の深い谷が口を開けている。乗客が身を乗り出すようにして覗き込む、左の車窓第二の見どころだ。まもなく石造りの小屋が見えて勾配が緩み、クログウィン駅に到着する。ここは中間駅の中で唯一、運転要員の配置された駅だ。

スノードンを隠す厚い雲のほうに目をやると、険しい斜面を斜めに這い上っていく線路が見える。サミット駅までは、最急勾配1:5.5(182‰)という胸突き八丁が、約2kmの間続く。とはいえ、残念ながら現在は、ここが終点だ。山頂と同じように30分の休憩をとった後、列車はもと来た道を帰っていく。

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クログウィン駅に到着、現在はここが終点
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山頂への胸突き八丁が見える
 

今年のような特殊事情でなくても、悪天候や積雪のために、山頂への運行が打ち切りになることはままある。海からの湿った西風が山にぶつかって雲を生むため、スノードン山の年間平均降水量は5,000mmを超える。それで日照時間も少なく、しばしば年間1,100時間を割るのだという。きょうのクログウィンも時折り強風とともに濃霧が襲い、ウェールズ人のいう巨人の石塚を拝むことはついにかなわなかった。しかし、折り返しを待つ間に麓のほうの視界が開け、山を上ってくる次の蒸機列車をパノラマの点景に捕らえることができた。望外の喜びだった。

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大パノラマの中を後続の蒸機列車が上ってきた
 

(2017年1月28日改稿)

【追記 2017.1.28】

2007年の訪問当時、改築工事中だったサミットの新駅舎は2009年6月に完成し、ハヴォード・エラリ Hafod Eryri(スノードニアの高地の家の意)の名で供用されている。当時走っていた旧型客車は2012年のシーズンをもって引退し、翌2013年に定員74名の新型客車4両が導入された。それとは別に古典風客車2両が新造され、「保存蒸機体験 Heritage Steam Experience」と呼ばれる特別料金の蒸機列車で使われている。

本稿は、Keith Turner "The Way to the Stars - The Story of the Snowdon Mountain Railway" Gwasg Carreg Gwalch, 2005および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
スノードン登山鉄道 http://www.snowdonrailway.co.uk/

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