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2007年7月26日 (木)

インドの登山鉄道-マーテーラーン登山鉄道

マーテーラーン登山鉄道 Matheran Hill Railway
(ネーラル=マーテーラーン線 Neral - Matheran Line)

ネーラル Neral ~マーテーラーン Matheran(下注)間 19.97km
軌間610mm(2フィート)、非電化
1907年開通

*注 マーテーラーンは、「マテラン」とも書かれるが、筆者のわかる範囲で原語に合わせて、長母音と短母音を区別して表記した。他の地名も同様。

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ウォーターパイプ駅に停車中のトイトレイン
 

狭軌鉄道のなかでも軌間が2フィート(610mm)というのは、ミニサイズの部類だ。インド鉄道ファンクラブ IRFCA のリストによると、この軌間を採用した路線はインド国内に3本残っている。

世界遺産にも登録されて有名な「ダージリン・ヒマラヤ鉄道 Darjeeling Himalayan Railway」(延長88km)、北部のいわゆるマハーラージャ鉄道 Maharaja Railways の一つである「グワーリヤル軽便鉄道 Gwalior Light Railway」(延長200km)、そしてもう一つが今回のテーマである「ネーラル=マーテーラーン線 Neral - Matheran Line」だ。

通例、マーテーラーン登山鉄道 Matheran Hill Railway、あるいはマーテーラーン軽便鉄道 Matheran Light Railway の名で呼ばれ、観光列車としても人気が高い。日本語では「マテラン丘陵鉄道」とする文献も見受けるが、「Hill」という語は丘ではなく、山上の避暑地というニュアンスで使われている。後述するとおり、地形も丘陵地のそれよりもっと険しく、規模は小さくとも、やはり登山鉄道というのがふさわしい。

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鉄道が目的地と定めたマーテーラーンは、インド西海岸の主要港ムンバイ Mumbai(旧称ボンベイ Bombay)から東へ約90kmの地点にある。インドがイギリスの植民地であった時代、支配層が夏の酷暑から逃れるために各地に建設した高原都市、ヒルステーション Hill Station の一つだ。

背後に連なる西ガーツ山脈 Western Ghats から切り離される形で平野に浮かぶマーテーラーン山 Matheran Hill には、周囲からの侵食を免れた比較的平らな山頂が残っている。標高が750~800mあり、夏に気温が40度を超える下界に比べればずいぶん涼しい。1850年に発見されると、ムンバイに近いことから、支配層の避暑地として開発が進められていった。

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マーテーラーン山上の町
 

マーテーラーンの名は、現地の言葉で「頂の森」を意味する。山麓から緑うるわしい頂の町への足となったのが、1907年3月に開通した軽便鉄道だ。綿業で財を成したアダムジー財閥 Adamjee Group が資金をつぎ込み、3年の工期を費やして建設された。鉄道は当初、マーテーラーン蒸気軌道会社 Matheran Steam Tramway が所有し、グレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道 Great Indian Peninsula Railway (GIPR) が運行していた。インド独立に伴って1948年に国有化され、1951年からGIPRの後身である中部鉄道 Central Railway(下注)の管轄下に置かれている。

*注 グレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道は、ムンバイ(ボンベイ)を拠点としたインドの鉄道会社の草分け。また、中部鉄道は、国有のインド鉄道 Indian Railways のゾーン別組織(地域鉄道)の一つになっており、本部はムンバイCST(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)駅にある。

ムンバイと内陸のプネー Pune を結ぶ広軌幹線の途中駅、ネーラル Neral から、トイトレイン Toy Train(豆列車)は出発する。ネーラルの標高は39m(121フィート)だが、山上のマーテーラーン駅は757m(2484フィート)あり、この高低差を克服するために、急勾配と急曲線の厳しい線形がどこまでも続く。

勾配は平均1/25(40‰)、最急で1/20(50‰)。カーブも半径18.25mという極端な個所があり、あるカーブに立てられた標識には「ああ、何という急カーブだろう Ah, what a sharp curve」と書かれているそうだ。起終点間の直線距離は7kmあまりに過ぎないのに、路線延長は19.97kmにもなる。列車はちょうど2時間かけて、羊腸の難路を上りきる。

*注 駅の標高、路線長の数値は文献によって少しずつ異なる。標高はダージリン・ヒマラヤ鉄道協会から入手した路線図(出典は1924年測量の陸地測量部インド1インチ地図)、路線長はユネスコ世界遺産(暫定リスト)サイトを引用した。ちなみに、後者サイトではマーテーラーン駅の標高を803.98mとしているが、地形図から推測する限り、マーテーラーン山の最高地点と混同している。

ここからは、鉄道の通るルートを地形図と現地写真で確かめていこう。

地形図については、残念ながらインドの官製図が非公開のため、AMS(旧米国陸軍地図局)と旧ソ連が作成した1950年代編集の地形図(図1、2)が頼りだ。鉄道の位置はAMS図に赤で補筆したが、1:250,000という小縮尺では線形までは描ききれない。そこで、グーグル衛星画像と地形図を参考にして、筆者なりに描いてみたのが図3だ。特に屈曲が激しい登坂区間については、拡大図(図4)を用意した。

【図1】
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AMS 1:250,000地形図に路線と駅名等を加筆
枠は下図3の範囲
【図2】
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旧ソ連1:200,000地形図
【図3】
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路線図
図内の枠は下図4の範囲
【図4】
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路線図(登坂区間詳細)
(c) 2011 Google
 

さて、ユネスコのサイトでは、全線をその性格から3つの区間に分けている。それに従うと、第1は、ネーラルから最初の交換駅ジュンマーパッティー Jummapatti までの5.6kmで、いわば助走に当たる区間だ。

起点ネーラルは、幹線駅に隣接し、狭軌鉄道の基地を兼ねている。トタン屋根の架かったホームの西に機回し用三角線、南に機関庫や工場、留置線、事務所が配置されている。列車は南向きに出発し、まもなく上り勾配が始まる。幹線と徐々に距離を置きながら、ハルダル山 Hardal Hill(これは丘といっても差し支えない)の南へ回り込む。ハルダル山は、マーテーラーンの山裾に延びる低い尾根の一つで、線路はこれを足がかりにして本丸に挑もうとしている。

山襞を忠実になぞる幾多のカーブをやり過ごすうち、いつしかかなりの高みに達する。マーテーラーンに通じる道路が寄り添ってきたら、ジュンマーパッティー駅だ。標高244m、ここで機関車もお客もひととき休憩をとる。構内は珍しく直線で、列車交換が行われることもある。

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広軌幹線ネーラル駅
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登山鉄道ネーラル駅
(左)屋根のある乗降場
(右)機関庫
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(左)出札口
(右)出発ホーム
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前山(ハルダル山)を上る
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ジュンマーパッティー駅
 

第2区間は、ジュンマーパッティーからアマンロッジ Aman Lodge まで、マーテーラーン山本体を上り詰める11.57kmだ(下注)。東向きの急斜面はバリー山 Mount Barry と呼ばれ、難攻不落の本丸の石垣に例えることができる。険しすぎて直登はとうてい不可能なので、線路は何度も折返しながら、じりじりと高度を上げていく。

*注 アマンロッジは密林に覆われているため、衛星画像には現れず、正確な位置は不明。

最初の折返しは、バリー山に取り付く馬蹄形の築堤 Horseshoe Embankment、2度目は路線唯一のトンネルの中だ。ここは、抜けるまでにキスを1回する時間しかないという短さ(延長35.67m)のため、ワンキストンネル One Kiss Tunnel というあだ名がある。

同じく山上を目指す道路と絡みつつ、もう3回の折返しを経て、標高489mのウォーターパイプ駅に至る。給水管という駅名が示すように、蒸気機関車の時代はここで水を補給した。前後が連続勾配のため、下り坂での暴走に備えた安全側線(キャッチサイディング)が設けられている。

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ワンキストンネル
(左)素掘りのトンネルで折り返し
(右)今通ってきた線路がすぐ下に見える
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急崖を折り返す線路
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遠くにネーラルの町を見下ろす
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(左)マーテーラーン道路の踏切
(右)餌を求めて猿が出迎え(復路撮影)
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ウォーターパイプ駅
(左)対向列車を待ち合わせ
(右)ネーラル方にあるキャッチサイディング
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(左)対向列車がやってきた
(右)対向列車の側から撮影(復路にて)
 

駅を出た後の2kmあまりは、バリー山の急崖に沿って、沿線で最も眺望のきく区間を走る。眼下には先ほど通った線路、かなたにはネーラルの村も確かめられるはずだ。そうこうするうちに、列車は山の北端、夕日の名所であるパノラマポイント Panorama Point 直下の尾根を、切通しで鋭く回り込み、今度は西斜面に出る。

視界はやがて深い森に閉ざされていき、貯水池シンプソンズタンク Simpson's Tank の横をかすめる頃、辺りは山上の気配となる。アマンロッジのホールトHalt(停留所)では、「マーテーラーンへようこそ Welcome to Matheran」と大書したアーチが列車の客を迎えてくれるだろう。

最後の区間は、山上りの苦行を終えて、弾んだ息を整える2.83kmだ。深い森の中を淡々と走っていくが、途中、左手に南斜面を眺望できる場所がある。民家やホテルが見え隠れし、傍らの道を歩く人の姿を認めるようになれば、終点マーテーラーンは近い。

切妻屋根に覆われた小ざっぱりとした風情の駅舎の前に、トイトレインはゆっくりと到着する。構内はそこそこ広く、プラットホームの先に、留置線を囲む形で方向転換用のループも設けられている。駅を出たら、そこはもう賑やかな避暑地のただ中だ。

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アマンロッジ駅
(左)歓迎アーチ「Welcome to Matheran」
(右)島式ホームだが、右側の側線は使われていない
  歓迎アーチの裏側には「Return to Matheran」の文字(復路撮影)
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マーテーラーン山南斜面の眺望がいっとき開ける
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マーテーラーン駅
(左)ネーラル行きが停車中
(右)構内。奥には転回線(ループ)もある
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(左)駅舎に面した片面ホーム
(右)駅入口

マーテーラーンの町は環境保護のため、自動車の乗入れができない。ネーラルから乗合タクシーで行ったとしても、山を上りきったダストゥリーポイント(ダストゥリーナーカー)Dasturi Point (Dasturi Naka) で車を降りる必要がある。ここで入域料、大人25ルピーを払った後は、馬の背に揺られるか、リクシャ(人力車)に乗るか、でなければ紅土で靴が染まるのを恐れず、地道を自分の足で行くしかない。唯一エンジン動力で進入することを許されているのが、このトイトレインだ。

2010年3月のダイヤでは1日5往復が設定され、マーテーラーン行きのネーラル発時刻は7:30、8:50、10:15、12:15、17:05と午前中に集中している。客車は1等、2等指定、2等自由の区別がある。ウィキトラベル(英語版)によれば、国営旅行社IRCTCのサイトで切符の予約ができるが、しばしば満席になるので、当日、駅で買うつもりなら適切な時間に行くこと。もし出札口の行列が動かなかったら、迷わず行列を飛び越えて1等席を買い求めよ、とアドバイスしている。

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客車
(左)1等車 (右)2等車
 

鉄道の最大の悩みは、モンスーン(雨期)の大雨による土砂崩れだ。風化が進んだ急斜面を縫う区間では、しばしば橋や線路の流失、あるいは崩土による埋没に見舞われてきた。2005年7月26日に全線の5~7割の線路が損壊するという甚大な被害を蒙ったことは、記憶に新しい。

土砂に埋もれたり、折れ曲がり浮き上がったまま放置されたか細いレールの無残な有様がIRFCAの投稿写真でも報告されていた。不通は長期間にわたり、地元紙は、鉄道当局が同様に被害を受けた幹線の復旧を優先し、赤字に苦しむマーテーラーン線を後回しにしていると伝えた。

2006年の開通100周年には復旧が間に合わなかったが、ようやく2007年3月5日、約1年8か月ぶりの運行再開が報道された。工事予算がついたのは、世界遺産「インドの山岳鉄道群」の登録拡大をめざしていたこととも関係しているだろう。

こちらは惜しいことに、2010年に撤回されてしまったのだが(下注)、開ける車窓の雄大さにかけては、マーテーラーンのトイトレインもダージリンやカールカー=シムラーのような登録組に決して引けを取らない。これからも避暑客の目を楽しませながら、末永く走り続けてくれることを祈りたい。

*注 2010年、国際記念物遺跡会議(イコモス ICOMOS)はユネスコに対し、マーテーラーン登山鉄道(暫定リストの名称はマーテーラーン軽便鉄道 Matheran Light Railway)の不登録を勧告するとともに、「インドの山岳鉄道群」の今後の拡大登録を中止するようインド政府に要請した。

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(左)時刻表
(右)鉄道の歴史と諸元を記した看板
 

(2012年1月5日改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびWikipedia英語版の記事(Matheran Hill Railway, Matheran)、Wikitravel英語版の記事(Matheran)を参照して記述した。
地形図は、AMS 1:250,000地形図NE43-5 BOMBAY(1954年編集、Map images courtesy of University of Texas Libraries)、旧ソ連1:200,000地形図E-43-VIII(1954年編集)を用いた。
図4の基図はGoogle Mapを用いた。

写真はすべて、2011年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けたものだ。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ユネスコ世界遺産暫定リスト-インドの登山鉄道群(拡張)
http://whc.unesco.org/en/tentativelists/5919/

鉄道の写真集
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Matheran_Hill_Railway
http://www.irfca.org/gallery/Steam/mlr/
http://www.irfca.org/gallery/accident/mlr/
http://www.irfca.org/gallery/Trips/west-konkan/VivekMatheran/

YouTube  ネーラル~マーテーラーン登山鉄道の登坂
全線を5部に分けた、マーテーラーンに向かって左側の車窓映像。高画質で臨場感がある。
Part 1 of 5  http://www.youtube.com/watch?v=GEjqYltAp_I
Part 2 of 5(ジュンマーパッティーまで)
http://www.youtube.com/watch?v=qGTGQLW2TMg
Part 3 of 5(ワンキストンネルを越え、次の踏切まで)
http://www.youtube.com/watch?v=fmnaD5xOGy0
Part 4 of 5  http://www.youtube.com/watch?v=iwTDa2S7V5c
Part 5 of 5  http://www.youtube.com/watch?v=rxyrTIrE6lI

★本ブログ内の関連記事
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コメント

コメントありがとうございました。このサイトが少しでもお役に立てたとしたら光栄です。


先日、マテラン鉄道に乗ってきました。事前に詳しい情報を本記事から得ることができて、とても助かりました。
2等車は満員でしたが、1等車は私一人だけ、のんびりムード。

コメントありがとうございます。
開通直後の写真は、山麓のネラル駅を出発するところですね。右上へ離れていくレールは幹線の中央鉄道Central Railwayでしょう。
マテランとダージリンは軌間が同じなので、ロコの関係もあるようです。ダージリン・ヒマラヤン協会の発行する冊子にも、ダージリンにDLを導入する際に、マテランでの使用状況を参考にしている趣旨の記述がありました。

http://www.catskillarchive.com/rrextra/odmath.Html
↑上記は開通直後の様子です。
コッペル製機関車は急曲線に備えて、日本陸軍でお馴染みのクリンリントナー機構を持っていたようです。

http://www.irfca.org/docs/locolists/steam-india.html
↑上記はインドの残存蒸気機関車ですが、
表のかなり下の方に
「16017 JH 11 1999 Matheran W. India Germany - India Orenstein and Koppel 」
が記載されてます。もしかしたらこの機関車はクリンリントナー付きかも知れません。

ご紹介のページリンクにあった
http://www.irfca.org/gallery/Trips/VivekMatheran/NMLR_steam_Loco_Neral.jpg.html
↑はダージリンからの移籍みたいですね。

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