ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
ライヘンバッハ滝鉄道(ケーブルカー)Reichenbachfall-Bahn (RfB)
ヴィリンゲン Willingen~ライヘンバッハファル(ライヘンバッハ滝)Reichenbachfall 間714m
高度差244m、軌間1000mm、最急勾配579‰、平均勾配369‰
1899年開通
![]() ライヘンバッハ滝へ向かうケーブルカー |
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「一週間のあいだ、ローヌの渓谷をさかのぼって愉快にさまよい歩き、それからロイクで横にそれて、まだ雪のふかいゲミ峠をこえ、インターラーケンを経てマイリンゲンへやってきた。」
(「最後の事件」阿部知二訳 創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』)
ベルナー・オーバーラントのアーレ川 Aare を遡った谷間にあるマイリンゲン Meiringen の町は、シャーロキアンにとって聖地の一つだ。1891年5月3日、犯罪のナポレオン、モリアーティ教授の魔の手を避ける大陸旅行でホームズと相棒のワトスンが訪れて、町の「英国館 Englisher Hof」に投宿した。翌4日、宿の主人の勧めで、鉱泉が湧くローゼンラウイ Rosenlaui へ向かう途中、立ち寄ったライヘンバッハの滝 Reichenbachfall で事件が起きる。
瀕死の病人の診察を懇願する手紙を受け取ったワトスンは、ホームズと別れて町に戻るが、それは偽の知らせだった。悪い予感に襲われた彼は、急いで滝に取って返す。しかしそこにホームズの姿はなく、愛用の登山杖と、深い滝壺の前で誰か二人が争った跡があるだけだ。そして彼は、ホームズが遺した置手紙を目にする…。
![]() (左)「最後の事件」が収録された短編集 『シャーロック・ホームズの回想 The Memoirs of Sherlock Holmes』表紙 (右)「最後の事件」ストランド・マガジン掲載時の シドニー・パジェット Sidney Paget による挿絵 Photos from wikimedia. License: public domain |
これがよく知られた「最後の事件 The Final Problem」のクライマックスだ。ストランド・マガジン The Strand Magazine 1893年12月号に発表された。作者アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle は、2年半にわたったホームズ譚の連載を打ち切りたくてこの結末にしたそうだが、名探偵を死なせたという読者の猛烈な抗議に屈して、後に執筆を再開する。
ホームズが宿敵と闘ったとされる現場は町の約2km南にあり、U字谷の切り立った側壁をライヘンバッハ川が落下している。全体は7つの落差から成り、高さは約300mに及ぶが、そのうち最上部にあるのがライヘンバッハ滝だ。高さ120m、ベルナーアルプス Berner Alpen の氷河を水源にしているため、圧倒的な水量を誇る。
![]() ライヘンバッハ滝 |
当時、話題の小説の舞台になったことで一躍その名が知れ渡り、今でいう聖地巡礼ブームが巻き起こった。そこで見物客の需要を当て込んで1899年に、観瀑台に上がるライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn (RfB) が開業する。単線交走式のケーブルカーで、長さ714m、高度差244m、片道7分でその高台まで乗客を運んだ。
しかし、期待したほどの集客は叶わず、運行会社が二度も倒産し、数年にわたる運休期間もあった。第一次世界大戦後、地域の水力発電会社が直接運営に乗り出したことで、ようやく状況が安定化して現在に至る(下注)。1998年以降、劣化が進行した車両や施設の更新が行われ、それに合わせて開業当時のイメージが復元されている。
*注:現在はオーバーハスリ電力会社 Kraftwerke Oberhasli AG (KWO) の観光部門「グリムゼルヴェルト Grimselwelt」の一事業として運営されている。
![]() ライヘンバッハ川をまたぐケーブルカーのアーチ橋 © 2025 www.sherlockholmes.ch |
![]() ライヘンバッハ滝鉄道周辺の1:25000地形図 © 2025 swisstopo |
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ブリューニック線 Brünigbahn でマイリンゲンまで行った機会に、このケーブルカーでライヘンバッハ滝を訪ねてみようと思った。山麓駅までは道なりに1.4km、路線バスが1時間ごとに走っているが、歩いても20分かからない。
ちなみに1912年、山麓駅前を経由するマイリンゲン=ライヘンバッハ=アーレ峡谷路面軌道 Trambahn Meiringen–Reichenbach–Aareschlucht (MRA) が開通している。マイリンゲン駅から滝と峡谷という近郊の二大名所に通じる観光客向けのトラムだったが、1956年に廃止されてしまった。
![]() かつて路面軌道があったマイリンゲンの駅前通り |
せっかく聖地に来たので、まずは駅のすぐ近くにあるシャーロック・ホームズ博物館 Sherlock Holmes Museum を見ていこう。入館料とケーブルカー往復の割引セット券を売っているから好都合だ。
駅前通りに向いた敷地で、トレードマークの鹿撃ち帽をかぶり、パイプを咥えたホームズの銅像が人目を引いている。奥に控える小塔のついた建物は、もとアングリカンチャーチ(英国教会)だ。1階に礼拝堂が復元され、映画の名シーンを含むホームズ譚の概要や、教会の由来を説明するパネルが置いてある。地下階は、名探偵にまつわるさまざまなアイテムを展示する博物館だ。ロンドンのベーカー街221Bにあったとされる彼の書斎が、ヴィクトリア朝をしのばせる多数の小道具とともに事細かに再現されていて、しばらく見とれてしまった。
![]() 名探偵の銅像とシャーロック・ホームズ博物館 |
![]() (左)博物館はもと英国教会の建物 (右)入館とケーブルカー往復のセット券 |
![]() (左)解説パネルが置かれた礼拝堂 (右)シンプルな意匠の側窓 |
![]() 地下階につくられたホームズの書斎 |
博物館を辞した後は、むかし軌道が通っていた市街の通りを歩いていった。インナートキルヘン線(下注)の踏切とアーレ川に架かる橋を渡ると、ヴィリンゲン Willingen 村に入る。ケーブルカーの駅は、右手の山裾にあるささやかな平屋の建物だ。
*注 ツェントラール鉄道マイリンゲン=インナートキルヘン線 Meiringen-Innertkirchen-Bahn。アルプバッハ Alpbach 駅がケーブルカー山麓駅の最寄りになり、徒歩7分。
運行は15分間隔と、案外頻度が高い。ベンチに腰を下ろしている数人の先客の中に混じって待つうち、上方から茜色のケーブルカーがゆっくりと降りてきた。降車客と入れ換えに、切符に鋏を入れてもらってホームに出る。
ケーブルカーの車体は2000年代に実施された全面改修の折、古写真を参考に開業当時の仕様に戻された。オープンタイプのコンパートメントが階段状に三つ並んでいる。座席は向かい合せの4人掛け木製ベンチで、窓枠に巻かれた白いカーテンがさりげなく優雅だ。両端のデッキには、係員が使う操作盤とハンドブレーキがある。
![]() (左)ケーブルカー山麓駅 (右)その傍らにあるホームズ記念碑 |
![]() 山上行きケーブルカーが到着 |
![]() (左)旧観に復元された車両 (右)車内は三つのコンパートメントに分割 |
時間になり駅を出ると、すぐに人家は遠ざかり、森と牧草地の間をするすると上っていく。二つ目の跨線橋をくぐり、左へカーブしてまもなく、退避側線が現れた。客の姿がない1号車と行き違った頃から、激しい水音が頭上から聞こえてきた。
その正体は、滝壺から流れ落ちてきたライヘンバッハ川で、ケーブルカーはアーチ橋でこれを斜めに渡っていく。橋の上では、岩場に小さな落差を連ねながら白く泡立つ川筋が見下ろせた。いくらかの量が上手で発電用に取水されているはずだが、その残りだとしてもけっこうな勢いだ。
後半は、眼下にアーレ川が流れるマイリンゲンの谷の風景が開けてくる。線路勾配はいよいよ険しさを増し、山上駅の手前で579‰の最大値に達する。
![]() 山麓駅を後にする |
![]() ライヘンバッハ川をまたぐアーチ橋 |
![]() 山上駅に接近する車両、右の谷川は滝の下流 |
駅に到着して駅舎を出ると、そこはまさに大滝が目の前だった。見上げる高さのごつごつした巨大な岩盤に、豪快な滝が掛かっている。最初、水はその凹みに沿って太い束で滑り落ち始めるが、中ほどでその支えがなくなると、シャワーのように広がりながら自由落下していく。駅前から延びる観瀑用の見学路にも、風に吹き上げられた水煙が舞い、しばらくいたらずぶ濡れになってしまいそうだ。
![]() 山上駅に到着 |
![]() ライヘンバッハ滝の観瀑台 |
実は、モリアーティとの決闘場所はここではなく、谷を挟んで反対側にある。対岸の岩壁に見える星印がそれだ(下の写真参照、下注)。当時ケーブルカーはまだなかったし、その日ワトスンと向かう予定だったローゼンラウイへの山道も、対岸を通っていたからだ。
*注 もちろん登場人物も事件もフィクションだが、原著の記述をもとに現場を特定してある。
![]() 決闘場所を示す星印が見える(赤の矢印) |
しかし現実問題として、山上駅前から向こうの現場へ行くには、いったん滝口まで上って大回りする必要がある。残念だが帰りの電車の時刻を考えると、往復する時間が足りない。
とりあえず森の中を上る階段道を進んだ。数分歩くと、滝口のすぐ上の、川を跨いでいる小さな橋の前に出た。背後の岩の狭間からとてつもない水量が押し出されてきて、足もとを走り抜け、空中に忽然と消えていく。奈落の底から響いてくる地を揺るがすような轟音とあいまって、その先を想像すると足がすくんだ。
決闘地も崖っぷちなので、きっと同じようにスリリングな場所に違いない。だが、ここで引き返したとしても後悔することはないだろう。そう納得させるほど、自然の威力みなぎる空間だった。
![]() (左)滝口へ向かう小道 (右)滝口で川を跨ぐ小橋 |
![]() 小橋から見るライヘンバッハ川 (左)上流側 (右)滝の落下口 |
![]() ツェントラール鉄道と周辺路線図 |
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