2014年11月26日 (水)

コンターサークル地図の旅-百瀬川扇状地

舞鶴を歩いた翌日5月4日は、滋賀県北西部の高島市へ出かけた。吹く風は爽やかだが、初夏の日差しがまぶしく、ちょっと汗ばむほどの陽気になった。

コンターサークルS「地図の旅」本日の目的地は、百瀬川(ももせがわ)扇状地。百瀬川というのは、滋賀・福井県境の野坂山地から流れ出て、琵琶湖の北端近くに注ぐ小河川だ。後で述べる理由で山から大量の土砂を運び出し、山麓に扇を開いた形の堆積地、いわゆる扇状地を造りあげた。模式的な形状から、甲府盆地の京戸川(きょうどがわ)などと並び、地理の教科書に取り上げられることも多い。

加えて扇端では、河床が周囲より高い天井川になっている。横切る道路は橋ならぬトンネルで川底をくぐり抜け、しかも、車道用と歩道用が親子のように並んでいるそうだ。地図の旅には、かなり魅力的なエリアであることは間違いない。

堀さんのおしらせには、湖西線近江今津駅に11時18分集合、車で百瀬川扇状地に移動して、扇頂から扇端に向かって歩く、と書かれていた。持参する地形図は、1:25,000「海津」図幅だ。

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百瀬川扇状地付近の地形図(原図は1:25,000)に、歩いたルートを加筆
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同じ範囲の旧図 1975(昭和50)年修正測量

車窓に映える湖の風景を愛でながら、京都から普通電車で約1時間、近江今津に降り立つ。改札前に集まったのは全部で6人。堀さんのほか、地図研究家の今尾さん、30年来の会員である相澤さん、廃道・隧道愛好家(!)の石井さん、廃道と火の見櫓マニア(!)の外山さん、そして私。いずれ劣らぬユニークでパワフルなメンバーだ。

相澤さんと外山さんの車に分乗して、さっそく扇状地へ向けて出発する。今津駅から現地まで6kmほどの距離がある。旧街道から左に折れて、水田の中の一本道を上っていく。山林との境に張り巡らされた獣避けのものものしいフェンスを抜け、百瀬川の河原に突き当たったところで、車を降りた。

若葉萌える季節で、山肌を覆う緑のグラデーションが目に優しい。川の上流に目をやると、何段にも組まれた堰堤から、かなりの幅をもって水が流れ落ちているのが確認できる。「ここは水量がたっぷりありますね」。誰からともなくこの言葉が出たのは、水量が本日観察すべきお題の一つだからだ。

扇状地は砂礫の堆積なので、扇頂では水量が豊富でも、流下する間にどんどん地中に浸透していく。しまいに地表から水流が消失して、涸れ川になってしまう。1975年の旧版地形図(上の地形図参照)では、扇端から約800m下流で涸れ川を表す破線記号に変わっているが、実際にどのあたりで水が消えるのかを、この目で確かめたいと思っている。

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扇頂にて (左)緑の山肌と水量たっぷりの堰堤 (右)本日のメンバー

右岸の砂利道を、下流へ向かって歩き始めた。林道のようだが、右側(川の反対側)を見ると、数mの落差がある。道は堤防上に載っているのだ。昔はおそらく、大水のたびに濁流が、旧河道を通って扇端の集落を襲っていたのだろう。それで、被害を防ぐために堤防を築いて、集落がない北東方向へ流路を固定させたのだと思われる。地形図で等高線を読み取ると、河床も周囲より高い。絶え間ない砂礫の堆積で、扇状地上ですら天井川と同じ状態になっているようだ。

ところで、この1:25,000「海津」図幅の新刊は、見慣れた図式とはかなり趣きが違う。昨年(2013年)11月から、デジタルデータ(電子国土基本図)からの出力イメージを使用した新図式に切り替わったからだ。多色化やぼかし(陰影)の付加など、相当手が加えられているが、今尾さんは、「地名の階層が無視されているし、新図式には、まだいろいろと改善すべき点があるんですよ」と指摘する。1:25,000の改革は、A1判の折図(1998年~)といい、世界測地系移行に伴う図郭拡大版(2003年~)といい、どれも全国を一巡しないうちに頓挫している。今回の企画は果たして長続きするのだろうか。

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少し歩いたところで、草むらに腰を下ろして昼食にした。コンビニで軽食を買ってきている人が多いなか、崎陽軒のシウマイ弁当を開ける今尾さんに、羨望の視線が注がれる。私は、堀さんの著書「誰でも行ける意外な水源・不思議な分水」(東京書籍、1996年)をリュックから取り出した。実は百瀬川には、ほかにも地形ファンにとって興味深い場所がある。それが、隣の石田川の上流を奪った河川争奪の跡だ。この本には堀さんが、地形の変化で山上の湿原と化した石田川源流域を見に行かれたときのことが記されている。

争奪後、百瀬川は旧 石田川の上流部を激しく侵食していき、谷の出口に土砂をうず高く積み上げた。これが扇状地発達の原因だ。地形図では、山中に多数の砂防堰堤が描かれているが、これも侵食に伴う山腹の崩壊を食い止めるための対策に他ならない。

百瀬川の不思議はまだある。地形図(下の1:50,000地形図参照)で、最上流部に注目していただきたい。通常なら谷が狭まり急傾斜になるところだが、この川は遡るにつれ、等高線の間隔が開いていき、福井県との県境は広い谷間が別の谷で断ち切られた、いわゆる風隙(ふうげき)になっている。どうやら百瀬川自体(あるいは争奪以前の石田川)も、ここで河川争奪に遭ったらしい。

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上流にある2か所の河川争奪跡(1:50,000地形図)

奪った相手は、若狭湾に注ぐ耳川だ。さらに地形図を追うと、この争奪跡の北の尾根筋に、緩傾斜の鞍部が2か所見いだせる(下の1:25,000地形図の円で囲んだ場所)。百瀬川の谷頭よりいくらか標高が高いので、少なくとも近接している1か所は、耳川の侵食を辛うじて免れた百瀬川か、その支流の旧河道ではないだろうか。

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旧河道(?)の残る最上流部(1:25,000地形図)

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(左)堤防道路を下流へ向かう (右)流れが消失した堰堤

再び歩き出してまもなく、流れはほとんど見えなくなり、扇端から約700mの堰堤(冒頭の新版地形図に位置を記載)で早くも消失してしまった。山から送り出される水量によって消失地点が移動するとはいえ、旧版地形図の描写がほぼ正確であることがこれでわかった。それに比べて新図では、河口まで水が流れているように描かれている。過去の現地調査の成果がきちんと継承されていないのは残念だ。

問題が一つ解決したので、次のお題、「120.0mの三角点を探せ」に移る。地形図には、百瀬川の堤防道路の上に120.0の数値を添えた三角点が描かれている。それを実地で探そうというわけだ。堰堤の横なのでわけなく発見できるはずだったが、意外にも見当たらない。あちこち探し回った末、あったのは草むらに隠れていた県の基準点のみ。結局それが、地形図の三角点に代わるものかどうかはわからなかった。

とはいえ、基準点を置くだけあって、このあたりは見晴らしがいい。南東方向は、田園地帯ごしに琵琶湖と竹生島、北は、近辺の観光名所になったマキノのメタセコイヤ並木が望める。展望台でもなんでもない場所だけに、少し得をしたような気分になった。

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(左)メタセコイヤ並木を遠望 (右)琵琶湖に浮かぶ竹生島

右手に国道161号線(湖北バイパス)が近づいてきたところで、道路は堤防から降りていく。本格的な天井川の始まりだ。「水が流れているかどうか見てきます」。廃道探索よろしく、石井さんと外山さんは、生い茂る背丈の高い草をものともせず川の堤を上っていった。

突き当りが県道で、本日の旅の終点、百瀬川隧道がある。トンネルの暗闇というのは、不安や畏怖の念と同時に、冒険心、探究心を掻き立てずにはおかない。このトンネルは長さこそ36mと短いが、河底を潜るという特殊な形態が人を惹きつける。昨日の北吸トンネルより時代が下って、竣工は1925(大正14)年。そのため、ポータルはそっけないコンクリート製だ。隧道名を書いた扁額も、北口は面目を保っているが、南口のそれは雑草に覆われてよく見えない。天井高は3.3m、横幅も十分でなく、内部で車どうし離合するのは困難だ。

これが親トンネルだとすると、子トンネル(歩道トンネル)はどこにあるのだろうか? 見回すとそれは、親から少し間隔を置いた東側に掘られていた。こちらは思い切り小型だ。天井の高さはわずか2m程度、背の高い人なら自然と頭を屈めたくなる。内部は蛍光灯が点っているとはいえ、昼間でも薄暗く、ましてや夜に一人で通るのは勇気が要るだろう。

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百瀬川隧道 (左)親トンネル南口 (右)右側にあるのが子トンネル
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(左)天井高は大人の背丈ぎりぎり (右)薄暗い内部
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(左)子トンネルを示す標識 (右)親トンネル北口
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(左)トンネルの脇で、つがいの(?)ミヤマカワトンボが見送ってくれた
(右)帰りにメタセコイヤ並木をドライブ

百瀬川では今、大規模な改修事業が進行している。1975年の地形図(冒頭の地形図参照)では、北隣の生来川と並行しながら単独で湖に注いでいるが、その後、バイパス建設の際、バイパスの手前に仮の落差工を組んで、生来川へ合流するように流路が変更された。合流した後の川幅も拡張された。現在は、河底トンネルよりさらに上流に落差工を設けて、水を生来川に落とす工事が行われており、それに伴い、トンネルの上はすでに廃河川になっている模様だ。

機能しなくなった天井川は、やがて取崩される運命にある。それと同時に、通行のネックになっている百瀬川隧道も、子トンネルもろとも撤去されてしまうに違いない。車を回すために戻ってくださった相澤さんと外山さんを待つ間、私たちは湖北に残った天井川トンネルの最後の姿を、しっかりと目に焼き付けた。

■参考サイト
百瀬川扇状地&マキノ夢の森 http://www.eonet.ne.jp/~otto/
 地元の方が書かれた百瀬川と扇状地に関する情報サイト
地理B問題解答解説
http://blog.goo.ne.jp/morinoizumi22/
 「百瀬川の天井川」「百瀬川の扇状地」と題するページに地理的な解説がある
旧道倶楽部-百瀬川隧道
http://www.kyudou.org/KDC/kokoku/momosegawa_00.html

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図海津(平成25年11月調製および昭和50年修正測量)、駄口(昭和51年修正測量)、熊川(昭和50年修正測量)、三方(昭和53年修正測量)、5万分の1地形図竹生島(昭和47年編集)、熊川(昭和47年編集)、西津(昭和50年編集)、敦賀(昭和50年編集)を使用したものである。

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2011年6月24日 (金)

日本の地形図はどこへ行くのか

Blog_japantopo_fig 最近、1:25,000地形図の刊行点数が減っているのが気になる。ここ8年間の推移をグラフ(右図)に示した。赤の折れ線が1:25,000だ。2005~07年度には月平均で40点前後出されていたのだが、今年度は月平均8.5点、ピーク時の1/5までしぼんでいる。地表の様子は日々変化しているので、地図は実用性を維持するために、定期的に更新されなければならない。日本の1:25,000地形図は、全部で4,356面(2011年6月1日現在)という膨大な数だ。1か月に10点弱のペースでは、更新が一巡するまでに何年かかるか計算するまでもない。

周知のとおり、1:25,000地形図は、「ウォッちず」という愛称でウェブ上でも閲覧できるようになっている。しかしこのシステムも、今年(2011年)2月から電子国土基本図のフォーマットに切替えられており、旧来の1:25,000地形図のイメージ提供は7月末をもって打ち切られる。テレビのアナログ放送と期を同じくして、使い慣れた地形図もついに放棄されてしまうのだろうか。

その懸念を抱くのには理由がある。2007年8月に地理空間情報活用推進基本法が制定され、それに基づいて、国土地理院の地図政策がその後大きく転換したからだ。この法律では、地理空間情報を国民の生活向上と経済発展を図るために不可欠な基盤と位置付け、その整備と提供、利用の促進等の施策を総合的、体系的に行うとしている(同法第3条)。とりわけ注目すべきは、情報の記録を電磁的(デジタル)方式に限定し、提供方法もインターネットを利用して無償で(第18条)、と明記していることだ。これによって紙地図の刊行事業は、拠りどころを失ってしまった。さらに地理空間情報の規格についても、省令で都市部とそれ以外で異なることを許容し、全国統一基準で製作されてきた地形図体系とは別の、割り切った考え方を導入した。

デジタル化の必要性は、紙地図のもつ限界と表裏一体をなすものだ。資料(下注)では、明治期以降、紙地図が果たしてきた重要な役割を評価しつつも、急速に進展する高度情報化社会で活用していくには制約が大きいとして、5つの例示をしている。いわく、紙地図に用いる地形図図式は、縮尺に応じて真位置をずらして描かれることがあるため、GPS利用に適応しておらず(位置精度の制約)、都市部の建物群は総描のために個々の建物を特定できない(空間解像度の制約)。紙地図は、製作から流通まで日数を要し、情報の鮮度が落ちてしまう(時間精度の制約)。また、情報の場所の検索にかかる時間は、デジタルとは比較にならず(検索の制約)、情報の共有、情報の多層化など、拡大する多目的利用に対して柔軟度が低い(多目的活用における制約)。

*注 村上広史「デジタル時代の地理空間情報体系」月刊地図中心441号(2009.6)p.6-10

情報のデジタル化は、技術革新に伴う必然的な流れだ。地図の世界でも、デジタル画像の配信が主流になり、分厚い道路地図帳はカーナビに移行し、山岳地図はGPS端末に取って代わられている。地図は、紙ではなく画面で見るものという意識は、一般にもすっかり浸透した。大型書店には平棚が並ぶ地形図コーナーがまだ残っているとはいえ、最近、客が張りついているのをほとんど見たことがない。筆者自身、広い範囲を見渡すことができる紙地図の特性を評価しながらも、常に新図を手元に置くわけにはいかないので、最新情報はウェブのデジタル地図を併用しているのが実情だ。

紙の地形図の今後について、国土地理院の方針は明らかにされている。まず、主要な縮尺シリーズの廃止だ。長く人々に親しまれた1:50,000地形図は、すでに2008年度をもって更新作業が中止となり、1890(明治23)年に全国整備の方針が出て以来118年の歴史に終止符が打たれた。それに伴い、更新版の刊行も2009年6月の8面が最終となった。同様に、都市部をカバーしていた1:10,000地形図も、2009年1月をもって刊行が途絶えた。1:50,000については、刊行済みの図の在庫補給(増刷)を行う方針だが、情報が古くなれば骨董品でしかない。

これに対して、当面更新を続けることになったのが、1:25,000地形図だ。1:25,000は全国をカバーする最大縮尺の地形図であり、上記の1:50,000もこれをもとに編集されていたので、その意味で地形図体系上の基本図に当たる。それに、2003年11月から、隣接図との重複を持たせて図郭を拡げた新しい規格での刊行が始まり、新旧の切替えが進んでいる最中だった。図式の項目の見直しはする(下注)ものの、紙地図全廃といったような徹底的な整理を見送ったのは、妥当な判断だったといえる。

*注 植生界、郵便局、送電線の情報は更新されない。

しかし、上記資料によれば、1:25,000についても「今後の利用動向を踏まえ、オンデマンド提供への全面的な移行に加えて、更新の中止等も視野に入れた検討が数年後に必要になる」としていて、それが冒頭で紹介した刊行点数の漸減の背景になっているのは間違いない。国土地理院に、今後の更新の見通しについて問合せてみた。すると、電子国土基本図の提供が主体となっているため、更新結果を反映した地形図の製作に時間を要している。1:25,000の今年の新刊は昨年並み、もしくはやや減となる見込みだという回答があった。なお、廃止を免れているもう一つのシリーズ、1:200,000地勢図については、5年で全国更新するという目標に変更はないとのことだ。

地形図は、わが国の近代国家への成長に伴う国土の変貌を克明に記録し続けてきた貴重な資料だ。しかし、事業予算の制約もあるなかで、ついに選択と集中の犠牲になってしまったと解釈すべきだろう。地理院は、電子国土基本図も毎年アーカイブとして保存するので、過去データとの比較照合は可能になるとしている。もはや国土の変化の痕跡も、地図棚にではなく、モニター画面の中に残されていく時代だ。

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2008年2月 7日 (木)

日本の山岳地図-立山を例に II

前回は官製の山岳地図を紹介したが、このような主題図は民間の地図出版社のほうが一歩先を走っている。国土地理院の測量成果をベースに利用しながらも、独自の調査データを付加することで個性あふれる地図を生み出しているのだ。2008年1月現在で入手できる1枚ものの地図に絞って比較してみたい。

北海道地図(株) トレッキングマップシリーズ4 「北アルプス 立山・剱岳」

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同社は山岳地域の美しい立体表現を追及した作品群で、地図ファンにはつとに知られているが、このシリーズもその期待を裏切らない仕上がりを誇る。メインとなる縮尺1:25,000のフルカラー地形図がカバーする範囲は、南北が剱岳から五色ヶ原、東西が扇沢駅から称名滝まで。国土地理院の集成図と同じく、連続的に変化する高度彩色とぼかし(陰影)を使って、地形を表現している。全体として集成図よりあっさりした印象を受けるのは、おそらく茶色を配する高度帯を2500m前後以上に絞っているからだが、これがかえって立山連峰の主尾根を強調する効果を生んでいる。

等高線は国土地理院の地形図(ラスタデータ)をベースにしているようだが、崖の表現はそれによらずにオリジナルの繊細な手描きを施し、雪渓(万年雪)の等高線も青に変えるなど、ヨーロッパの山岳地形図を意識した絵画的な配慮が好もしい。登山ルートに上り下りの所要時間と距離が示されるのは当然として、登山道を、一般路、木道、難路、経験者向き難路または廃道、ハシゴと記号を変えて区別している。登山道周辺の植生やお花畑も目立つ記号を設けて、一目で判読できるようにするなど、美的にも情報の点でもたいへん丁寧に造られた地図だ。

裏面は4色刷りで、1:100,000の立山・剱岳周辺案内図、1:25,000の美女平・弥陀ヶ原詳細図(フルカラーの方では図郭外になるため)、主要コース断面図、照会先関係先などが盛り込まれる。別冊付録の高山植物カラー図鑑は95種を花の色別に並べてあり、蛇腹折りのパンフレットながら、実地でも参考にできる楽しい企画だ。ちなみにこのシリーズは、1:25,000が9種と1:100,000北アルプス全体図が刊行されている。

北海道地図 http://www.hcc.co.jp/

昭文社 山と高原地図36 「剱・立山 北アルプス」

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わが国最大手の地図出版社が刊行する山岳地図シリーズはすでに59種にのぼり、日本百名山をすべて収録しているという。最大の特徴は、情報の鮮度を保つために毎年更新が行われていることで、表紙にも「何年度版」とはっきりうたっている。縮尺は1:50,000で縦長の図郭を取っているため、南北の掲載範囲は欅平から黒部五郎岳までとかなり広がる。

中心テーマである剱・立山については、裏面に1:25,000の詳細図がある。登山ルートには、上り下りの所要時間とともに、落石注意、急坂などのワンポイントアドバイスがふんだんに記入されている。両面ともフルカラー印刷なので、ビジュアル的には申し分ない。地勢表現としては、等高線に高度別の段彩を施し、さらにぼかしを加える。スクリーントーンを貼りつけたような雪渓表示など、北海道地図に比べて洗練度では及ばないが、登山地図は山に携帯するものであって、机上の観賞用ではないという製作方針なら、何を優先するかはおのずと違ってくるのだろう。

裏面には、長野市から富山市までを収めた1:300,000周辺図と、アルペンルートの鳥瞰図を併載している。前者は道路、鉄道、地形を詳細に描いたもので、手広い地図製作の実績がある同社ならではのものだ。別冊付録は山とコースの概要、歴史、入山の注意などを詳述した冊子なのだが、本編の地図にある登山道表示に添えられた「冊子何頁」というインデクスに連動している。本格登山には縁遠い筆者も、地図を参照しながら読むと、まるで行ってきたような気分に浸ることができた。

昭文社 山と高原地図Web http://yamachizu.mapple.net/

デージーエス・コンピュータ
ジョイフルマップシリーズ山歩き編34 「剱岳 立山連峰[北アルプス]」

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近年登場したこのシリーズはすでに60点(レジャー編、世界遺産編を含む)が出ていて、非常にユニークな地形描写が売りものだ。先に紹介した2種は段彩という、特定の標高帯を面的に塗り分ける手法をとっているが、こちらは等高線そのものの配色を高度に応じて徐々に変化させているのだ。標高1000m前後までは緑系、高度が増すと茶から褐色になる。山岳地図の多くは、国土地理院が提供するラスタデータ(地図画像)の等高線を使用するので、このような処理は難しいが、同社は50mメッシュの標高データで独自に等高線を描くことで、不可能を可能にした。

折り込まれた地図の片面は広域図で、南北が欅平駅から野口五郎岳、東西が大町市街地から千寿ケ原までをカバーする。分数表示の縮尺が見当たらないが、図上1.5cm程度で実長1kmなので、1:66,667ということになる。この縮尺にもかかわらず等高線間隔は10mのままだから、急傾斜地は超過密になり、逆に尾根筋や弥陀ヶ原のような高原が周囲から白く浮き出るという作用をもたらす。

裏面は同じ着色法をとる剱・立山付近の拡大図で、縮尺は1:28,600程度だ。登山道には所要時間の表示はなく、代わりに実距離(水平距離ではなく)が注記されている。山小屋、お花畑、水場などの記号や注記は明瞭だし、転落、増水、有毒ガスなどの注意を喚起するいわゆる「びっくり」マークは、他の2種に比べて視覚的に優れている。

通常の段彩の場合、高地は濃い色彩になるため、等高線や注記が見にくくなりがちだが、等高線着色ではその心配はない。しかし、面塗りに比べて、地形の実感度という点でインパクトが弱いように感じる。広域図が効果的に見えたのは、等高線が重なって遠目には面塗りに近くなっているからだ。縮尺が大きくなると等高線の間隔が広がるので、メリットが出なくなる。

もう一つの問題は、等高線が甘い(細部の凹凸が描けていない)ことだ。50mメッシュ標高データというのは、1:25,000地形図を経度緯度とも200等分した方眼(図上約2mm、実長約50m四方)の中心の標高を記録したものだ。そこから等高線を描き起こすと、当然原図より精度が落ちる。その結果、ラスタデータから取った標高点や細かい山襞に沿う道路などと重ねたときに、等高線がずれるという現象が生じる。また、狭い谷底での等高線の乱れ(円状に閉じてしまう)も称名川上流などで顕著だ。むろんこれらは重箱の隅を楊枝でほじくるたぐいの指摘なので、山歩きにはほとんど影響はなく、無視してもよいのだが。

以上、3種の山岳地図を紹介した。鑑賞派である筆者は北海道地図の精巧な美しさに軍配を上げたいが、実用性を基準にするなら、情報の鮮度や表示の明瞭さなどの点で、他の2種にもそれぞれ優位な点がある。判断は各自にお任せしよう。

デージーエス・コンピュータ http://www.dgs.co.jp/

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2008年1月31日 (木)

日本の山岳地図-立山を例に I

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1:30,000山岳集成図
「剱・立山」表紙

深田久弥の『日本百名山』がブームになって、山をめざす人が増えたそうだが、山を主題とする地図も競い合うように書店の地図棚を賑わせている。今回、立山黒部アルペンルートに出かけるに際して、いくつか手にとってみた。

「地図展2007 in富山」の会場で売っていたのが、1:30,000山岳集成図「剱・立山」だ。剱岳測量100年を記念して2007(平成19)年7月に財団法人日本地図センターが発行したものだが、原本は国土地理院の製作(同院技術資料の複製という扱い)なので、官製の山岳地図といえる。A1判の両面刷り(A4折図)で、表面には表紙と剱山測量に関する記事、裏面には1:25,000を1:30,000に縮小した地形図を配している。アルペンルートを通常の1:25,000地形図で揃えようとすれば、小見、立山、黒部湖の3面が必要なので、1面で継ぎ目なしに見られるのはメリットだ。

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同 収載範囲

1:30,000(図上1cmが実長300mに相当)という珍しい縮尺になったのは、決定していた用紙サイズの中にできるだけ周辺地域まで取り込もうとしたからだという。その結果、掲載範囲は東が赤沢岳や鳴沢岳(扇沢駅は図郭外)、西は千寿ケ原(富山地鉄立山線の終点、立山駅)、北は猫又山と辛うじて黒部峡谷鉄道の終点、欅平駅が含まれることになった。これでも南の五色ヶ原は残念ながら一部しかかかっていない。

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同 地図の一部

山岳地図だけあって地勢表現はなかなか美しい。等高線に加えて、彩色を高度に応じて連続的に変化させ、ぼかし(陰影)も入っている。完成品に落ち着くまでの試行錯誤の経緯は、同センターの月刊誌「地図中心」2007年6月号で報告されているが、ちょっとした色相や濃度のさじ加減でも全体の印象はずいぶん変わるものだ。別バージョンの彩色地形図が、同センターのHPで公開されている(下記 参考サイト)ので比べてみるとおもしろい。モニター画面では解像度その他で制約があるのを反映しているだろうと思うが、集成図のほうが標高2000mぐらいから濃いめに色付けされて、高さ感覚がよりはっきりと表現されている。

山歩きや観光に必要な情報として記号化されたのは、登山道、バス路線、山小屋、休憩所、駐車場、水場、キャンプ場、宿舎、トイレなどだ。独立記号の多くは白く縁取りをして、濃い塗りのなかでも埋没しないように考慮されたようだ。実長500mのグリッドが全面に施されているので、目分量で水平距離を測ることができるが、あくまで記念図ということか、登山地図にはつきもののルートの所要時間までは採用されていない。一方で描写の正確性についてはこだわりがあって、登山道の位置その他が一部間違っていたというので、訂正版への無償交換を実施したほどだ。

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1:50,000集成図
「立山」表紙

ところで、国土地理院による立山の集成図は、1980(昭和55)年に1:50,000で刊行されたことがある。縮尺が小さい分、掲載範囲は東側が大町や仁科三湖、北が白馬岳まで広がり、その結果、立山・後立山連峰全体の概観図というべきものになっていた。地勢表現は、ベースである地形図の等高線にぼかしを加えている。この時代、ぼかしは手描きだったので、今回の新刊と比べれば精密度の点で及ばないが、山襞をくっきり浮かび上がらせる筆さばきが、むしろコンピュータ描画に勝る立体感を実現していた。彩色は高度ではなく植生の有無を表し、森林には緑、他はベージュを配する。こうすることで、森林限界を越える高峰が、山麓の緑の中におのずと浮かび上がった。

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同 地図の一部

このころは同じような山岳地域の集成図が何種類もカタログ(地図一覧図)に載っていて、ヨーロッパの美しい官製図の向こうを張って、鑑賞に堪える地図を作ろうという意気込みが感じられた。21世紀の集成図もこれっきりの試作品で終わってしまっては惜しいと思う。

山岳集成図「剱・立山」は、国土地理院の地形図取扱店(通販は日本地図センターなど)で購入できる。1980年の集成図「立山」は絶版になっている。

掲載の地図は、国土地理院著作、日本地図センター発行の3万分の1山岳集成図剱・立山(平成17・18年調査・編集)および5万分の1集成図立山(昭和53年編集)を使用したものである。

■参考サイト
国土地理院 山岳集成図「剱・立山」刊行告知
http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2007/0710.htm
国土地理院北陸地方測量部 山岳集成図「剱・立山」の内容訂正とお詫び
http://www.gsi.go.jp/LOCAL/hokuriku/100syuunen/syuseizu2.html
日本地図センター 彩色地形図閲覧  http://net.jmc.or.jp/saishiki/

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2008年1月13日 (日)

或る地図店の閉店

京都の地図専門店が今月末(2008年1月)で地図の販売をやめる。東本願寺にほど近い下京区鳥丸通上珠数屋町東入ルの小林地図専門店、京都ばかりか関西一円の地図ユーザーに知られていた老舗だった。地形図ファンの筆者にとっても、一時代が終わるという感慨がある。

国土地理院の地形図を扱う店はほかにもあるが、全国を揃えているところはごく少ない。現在の地図店事情はよく知らないが、かつて関西で全国の1:25,000が確実に入手できたのはここだけだったと思う。小林のような専門店では、たいてい地図棚はカウンターの奥にあり、店員にこちらの具体的な要望を言って、商品を出してもらわなければならない。一見不便なようだが、最適の地図にめぐり合うには実はこのほうが手っ取り早い。地図にはさまざまな種類があるからだ。それに、大して売れない国土地理院の地図は、セルフサービスの店だと、繰った人の手垢で汚れたり、端が皺々になることがままあるし、出し入れで順序も入れ替わっている。専門店との差は大きい。

それまで梅田の旭屋書店本店に通っていた筆者が、小林を知ったのは、大学に入学する年だった。京都駅の本屋で、地形図はありませんかと聞いたところ、店番の人が「ここには置いてないけど、烏丸六条に地図屋さんがあるよ」と教えてくれたのだ。当時、地図店は烏丸通に面していた(現在の代々木ゼミナールの北側)。広い間口をもった木造の古い店構えで、正面に店の名を毛筆風の文字で書いた大きな看板がかかっていた。カウンターの向こう側では何人もの人が働いていて、そのうちの一人(後に店の主人の奥さんと知った)に、一度出してもらった地図をこれは要りません、と返すと、買わないんですか、と睨みつけるように言われたのを、なつかしく思い出す。

愛想の悪さにもめげず、筆者はその後足繁く通って、節約したバス代でそのつど1枚2枚大事に持って帰った。小売店の地形図を新刊と交換する在庫更新制度が始まる以前、回転の悪い店の地図棚には旧版地図が長く残っていたが、ここならひと月も待てば新刊が入った。在庫管理の手腕もさることながら、それだけよく出ていたということなのだろう。

烏丸通は南北のメインストリートだが、1970年代、五条、六条あたりはまだ2階家が軒を並べていたように思う。しかしバブル期の地上げのあおりだったのだろう、表通りから1本東の不明門通に移転し、しばらくして再度動いて現在地に店を構えた。地下鉄の五条駅からはだんだん遠ざかったが、それでも交通至便の地で、通うのに支障はなかった。せっせと買い集めたことで、1980年には1:50,000地形図が、1991年には1:25,000地形図が全図葉、書棚に揃うまでになった。その後は関心が海外の地形図へ移行して、小林に通う頻度もおのずと減っていった。

店の人によると、かつては学校の需要が盛んで、クラス全員分の地形図の受注が毎年必ずあったが、今は教室で地形図を教えないし、使い方を知らない先生もいるのだそうだ。民間地図なら駅前の大型書店やインターネットショップで手に入り、カーナビや携帯型GPSの普及で地図販売の先行き自体が明るいとはいえない。個人商店にはことさら厳しい時代になっているようだ。膨大な在庫はどうするのか聞いたら、元売に引き取ってもらうのだという。ずらりと並んだ平たい地図棚を見渡して、筆者も一抹の寂しさを覚えた。京都にはもう1つ、左京区の京大近くに、関西地図センターがある。もともと六条の小林から独立した店だが、こちらは盛業中だ。

■参考サイト
関西地図センター http://www11.ocn.ne.jp/~kanchizu/

なお、小林地図専門店のサイトはすでに閉じられている。

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2007年5月24日 (木)

米軍の日本1:250,000地形図

前回、ペリー・カスタネダ図書館地図コレクション Perry-Castañeda Library Map Collection のことを書いたが、その真髄というべきものにまだ触れていなかった。旧米国陸軍地図局 U.S. Army Map Service(AMS)が1940~60年代に作成した世界各地の1:250,000地形図が鮮明な画像で公開されているのだ。同じものが日本の国立国会図書館にも所蔵されている(NDL-OPAC請求記号 YG713* など)が、自宅で自由に閲覧できるという点でこの存在は貴重だ。次のURLに公開資料の一覧がある。

■参考サイト
Army Map Service Topographic Map Series
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/

地形図は地域ごとにシリーズ化されて、アルファベット+数字3桁のコードがついている(例:L500 China、M501 Western Europe)。一覧の13行目に"Series L506 Japan"が見つかるはずだ。

■参考サイト
Japan 1:250,000  http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

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京都周辺の索引図

開けてみると、1図葉ごとに図番+図名のリストがずらりと並ぶ。例えば、筆者の地元京都が載っているのは、"NI 53-3 KYOTO" だ。図番のNI 53というのは1:1,000,000(100万分の1)国際図のコードで、Nは北半球、Iは赤道から緯度4度ごとに区切ってA、B、Cと名づけた9番目の区画を、53は経度180度から東回りに6度ごとに区切って53番目となる区画を表している。AMSの1:250,000は、さらにこれを横4×縦4=16分割した範囲が1図葉となる。コード末尾の3は、NI53区画の左上隅(北西角、MATSUE 図葉に相当)を1として右へ3番目の図葉という意味だ。索引図 Index Map を見ると、その位置関係が理解できるだろう。

サイトのページに戻ると、画面上方にリンク"Japan clickable map"がある。この索引図から、それぞれご自分の身近な地域の地図を選ぶといい。ここでは京都の図で説明を続けよう。

Blog_amsmap_kyoto
上半分はNI53-3 KYOTO、下半分はNI53-7 OSAKAの一部
(いずれも1953年編集)

北緯35度線が市街を横切っているせいで、"NI 53-3 KYOTO"図葉には京都市街の北半分しか表示されていない。経緯線で忠実に区切る区分図の宿命だ。四条通から南の市街は"NI53-7 OSAKA"図葉のほうに含まれるため、上の参考図では両図葉を貼り合わせておいた(下注)。

*注:筆者蔵の地図を使用しているので、OSAKA図は、ペリーコレクションと異なり、地勢のぼかしが入ったバージョンになっている。

地図記号はいまもアメリカの1:250,000地形図で用いられている様式とほぼ同じで、行軍や補給のために不可欠な交通、地勢、植生などの情報を中心としたシンプルなものだ。植生はその土地に典型的なものが追加される。この図では田圃 Rice Paddy がそれに当たる。

Blog_amsmap_kyoto_legend
凡例

市街は黄色に塗られてよく目立つ。主要道路も赤で図全体のアクセントとなっているが、まだほとんどがくくり(縁取り)のない線、すなわち未舗装道 Loose Surface だ。図郭左下の図歴には、「1924~44年陸軍陸地測量部および1945~48年国土地理院作成の1:50,000地形図、1945年米国水路部海図2733番を使用して1953年に編集」とある。戦後10年も経った1956年のワトキンス調査団のレポートにさえ「日本の道路は信じがたいほど悪い」と書かれたのだから、敗戦直後なら、さもありなんと思わせる。しかし、そのような道路にも堂々と NAKASENDŌ HWY などと注記が施されている。雨が降ればぬかるみとなる「街道」でも、アメリカ風にいえばハイウェイなのらしい。

鉄道は、日本の地形図で(JR以外の)民営鉄道を表す細い実線に短線を交差させた記号で、軌間(線路幅)別に3' 6"(3フィート6インチ=1067mm)と2' 6"(762mm)の2種類ある。それ以外の軌間や電化の有無は注記で補われる。軌間が違えば列車は直通できないから、これは軍事上重要な情報だ。鉄道ファンとしては、今はなき江若(こうじゃく)鉄道が琵琶湖西岸に延び、上図の範囲から外れるが、北陸本線旧線の難所だった敦賀をはさむ山間ルート、柳ケ瀬越えや山中越えも見えて、興味深い。

地名は当然ローマ字表記だが、手描きの漢字地名が赤で加刷されているのも大きな特徴だ。小さな集落まで几帳面にフォローされている一方で、大都市「京都」の文字は市街の右肩に遠慮がちに書かれている。自然地名は現地の読みを使っているので、欄外に日英の対照表が掲載されているのだが、これも相当に細かい。mountain に当たるのは -san、-zan、-yama、 -dake、-take、-mine、-ho、北海道の図葉には -fuji まであげられていた。なるほど地名は一筋縄ではいかないものだ。

等高線の間隔は国土地理院の1:200,000と同じ100mで、精度は遜色ない。それに、上図で示したOSAKA図葉のように、地形のぼかし(陰影)を加えたバージョンも多くて、軍用とはいえ、なかなか美しく丁寧に作られている。なお、地図リストの中で[verso]と注記されている項目は、地図の裏面に単色で印刷されている主要都市の市街略図だ。

このような地図が、ペリー・カスタネダ図書館のサイトでは全75面欠けることなく閲覧できるようになっている。L506シリーズは千島(クリル)列島の北東端から始まっていて、北から南へ緯度にして30度、東から西へ経度32度分の壮大な旅を居ながらにして楽しむことができる。

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 ペリー・カスタネダ図書館地図コレクション
 米軍のアジア1:250,000地形図

2006年12月 1日 (金)

国土地理院の集成図「京都」

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「”色づく秋”京都の街を歩いてみませんか」と、国土地理院から京都の1:25 000集成図(右写真)が刊行された。前回の刊行が1995(平成7)年だったので実に11年ぶりだ。

集成図というのは、等間隔の経緯度で区切った地図を複数つなげて1枚に仕立てた地図のことだ。同じ縮尺の地形図なら京都市街が4面に分割されてしまうところを、A全判の用紙を使ってすっぽり収めている。単に既存の地図を接ぎ合わせるだけではなく、通常版の地形図にはない陰影(ぼかし)や彩色を施して、地形を立体的に見せる工夫がされているのが特徴だ。昨今はデジタル標高データで3D画像を容易に描くことができるが、筆で手描きしていた時代には、この種の集成図は特別の刊行物だった。

1970年代には、槍穂高、立山、尾瀬など山岳地域を中心に何点もの集成図が作られていたのだが、その後ぱったり更新が途絶えてしまった。唯一の例外が「京都」で、1979(昭和54)年の初版から修正が重ねられてきた。国際観光都市らしく、英語版も並行して作成されている。

収載範囲は、京都駅の南西にある東寺を中央にして、北は岩倉、南は宇治、東は山科、西は嵐山まで、東西14.5km×南北22kmに及ぶ。北の山中にある鞍馬や大原を除けば、およそ名所といわれるスポットはすべてカバーしている。主要な寺や神社、御所・離宮、旧宅・茶室、皇陵などはオリジナルの記号が使われて、観光地図らしさを醸し出しているし、バス路線と主要バス停が書き加えられているので、名所へのアプローチを知る上で参考になる。さすがに目的地へ行くのに何番のバスに乗ればいいか、まではわからないが、実地に応用したい方は別途、京都市交通局の案内所で手に入る市バスの路線図で照合されるとよい。

裏面は、広域図、名所索引、年中行事、花だより(暦)など、いずれも旧版から引き継がれた項目だ。広域図は「地域概念図」のタイトルがいかにも硬いが、1:200,000地勢図を使っているので、大阪、神戸、関西国際空港を含む周辺地域を詳しく見ることができる。名所索引は、社寺その他の名所を五十音順に並べていて、おもての地図上の掲載位置が調べられる。正式名とともに、地元での通称(賀茂御祖神社は下鴨神社というように)や見どころ、国宝・重文指定などを添えてあるのも親切だ。

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東山一帯 (上)1979年初版 (右)2006年版

図全体の印象は、1995年までの旧版と2006年新版でかなり異なる(上図参照)。旧版では、市街地の赤色に対して点在する神社仏閣の境内が鮮やかな緑色に塗られ、補色効果でとても目立った。その反面、少々落ち着きのない配色だったことは否めない。新版は一転して、市街地を卵色(明るい芥子色)に変え、緑地も若竹色へとトーンを落とした結果、色調の調和がとれて目になじむものになった。鉄道の表示がJRとその他の私鉄という分類ではなく、新幹線以外は旗竿記号をやめたのも、スッキリ感に影響しているのだろう。

京都を訪れる観光客はこのところ毎年増加しているそうで、この秋もカメラとガイドブックを手にした人々で紅葉の名所はごった返した。集成図のベース(基図)となっているのは、多用途を想定してできるだけ詳しく正確に描かれた官製地形図だ。この地図をてがかりに、みんなが行く有名どころばかりではなく、あなた自身が発見した古都を訪ね歩くのもいいのではないか。

■参考サイト
国土地理院のリリースニュース
http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2006-1027.html
京都市交通局路線図 http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000019770.html
京都市観光文化情報システム http://kaiwai.city.kyoto.jp/raku/sight.php

【追記 2009.12.8】

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日本語版に遅れること4ヶ月、2007年3月に英語版が刊行された。表紙は「1:25,000 KYOTO」の文字が目立つが、Tourist Map ぐらいは書き添える配慮がほしいところだ。もちろん裏面には英語による内容説明がある。メインの地形図は、日本語版の文字注記をほぼ忠実に英語に変えたものだ。文字の書体、色、大きさを変えて、注記が集中する中心部でも読み取れるように工夫してある。

地名表現に関しては、現地呼称のフル表示に接尾辞の英訳を足す方式を採用している。大文字山は Mt. Daimonji でも Daimonji-yama でもなく Mt. Daimonji-yama だし、清水寺も Kiyomizu-dera Temple だ。ただし、鴨川は Kamo River で、川の名だけは方針が一貫していない。地図を見れば川だとすぐに分かるからだろうか。

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広域図の一部 (上)日本語版(下)英語版

裏面の広域図は、日本語版ではトーンが明るすぎて落ち着かなかったが、英語版では改善され、1:200,000の原図に近い色調になった(上図参照)。日本語の地名表記は残されているもののごく薄い色にされ、その代わり英字が濃く大きく表示されて、わかりやすい。名所索引は正式名などを省いて、例えば Shimogamo-jinja という見出しにしてあるが、検索機能は損なわれていない。

全体としてこの英語版は、もともとベースが官製図なので精度に問題がなく、注記もていねいに英訳されていて、及第点をもらえる水準に達していると思う。国外の地図商のカタログでは見たことがないが、もっとアピールに力を入れてもらいたいものだ。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1集成図京都(昭和54年編集、平成18年更新日本語版および英語版)を使用したものである。

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