2016年8月25日 (木)

イタリアの鉄道地図 III-ウェブ版

EUの基本政策に従って、イタリアでも旧 国鉄 Ferrovie dello Stato, FS の鉄道事業が上下分離された。移行段階を経て最終的に、インフラ管理は RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana、2001年設立)が、列車運行はトレニタリア Trenitalia(2000年設立)が担う形に落ち着いた(下注1)。さらに旅客輸送についてはオープンアクセス化に伴い、2012年に NTV(新旅客輸送社 Nuovo Trasporto Viaggiatori)が深紅の高速列車イタロ italo を投入し、トレニタリアのフレッチャ(Freccia、矢の意)シリーズとサービスを競い合っている。また、アルプスの北側諸国に比べて、地方路線に私鉄(下注2)が多いのも特徴だ。この稿では、こうしたイタリアの鉄道網を、ウェブサイトで提供されている鉄道地図(路線図)で見ていくことにしたい。

*注1 RFIもトレニタリアも、国が出資するFS(国有鉄道会社 Ferrovie dello Stato S.p.A.)の子会社。
*注2 私鉄といっても、FSや州、地方自治体が多く出資しており、公営鉄道の性格が強い。

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ミラノ中央駅に勢ぞろいした高速列車
手前からE414機関車(フレッチャビアンカ)、AGV575(イタロ)、
ETR1000、ETR500(いずれもフレッチャロッサ)
海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2016年5月撮影

まず、RFIとその線路を使う鉄道会社のサイトから。

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RFI
http://www.rfi.it/
営業路線網 Rete in esercizio を示す全国図と州別図があり、それぞれインタラクティブマップ(対話式地図)とPDF版が用意されている。

・全国図
伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > Istantanea sulla rete
または、英語版トップページ > The Italian rail network in figuresのバナー

路線は、幹線 Linee Fondamentali が青色、地方線 Linee Complementari(直訳は補完線)が水色、都市近郊線 Linee di Nodo が橙色で表される。全国の路線網を一覧できるのはいいが、駅の記載が少なすぎて実用的とはいえない。また、自社管理外の私鉄線は描かれていない。

・州別図
伊語版トップページ > Naviga nella rete RFI(RFI路線網へ移動)のクリッカブルマップで州を選択
または、伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > 左メニューの Nelle regioni > クリッカブルマップかドロップダウンリストで州を選択

州(レジョーネ Regione)ごとに作成された路線図だ。さすがに全国図より詳しく、ベースマップでおよその地勢もわかる。路線は上記全国図の3分類に加えて、電化/非電化と複線/単線の組合せで区分している。記載する駅の数も決して十分ではないが、全国図よりは多い。

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RFI営業路線網図 トスカーナ州の一部

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トレニタリア Trenitalia
http://www.viaggiatreno.it/

上記URLは、トレニタリアの列車時刻表や発着状況を調べることができる「ヴィアッジャトレーノ Viaggiatreno(列車の旅の意)」というサイトだ。初期画面では、全国旅客路線網が現れる。残念ながら地図を拡大しても、多少駅名表記が増える程度で、情報量はさほど変わらない。なお、右上の言語選択では日本語を含む9か国語に対応している。左から伊(イタリア)、英、独、仏、西(スペイン)と来て、次の青・黄・赤の見慣れない三色旗はルーマニア語を意味している。イタリア語と同じラテン語系の言語なので、イタリアへの旅行者が多いのだろうか。

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NTV(イタロ Italo)
http://www.italotreno.it/

トップページ > Destinazioni e orari(英語版はDestinations & Timetable)
高速列車イタロのサイトには、簡単な系統図しかなかった。走行ルートが限られており、主要都市にしか停まらないから、これで用が足りるのだろう。

 

地方私鉄はどうだろうか。

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フェッロヴィーエノルド(北部鉄道)Ferrovienord
http://www.ferrovienord.it/

トップページ > La rete(路線網)
または直接リンク http://www.ferrovienord.it/orari_e_news/mappa_interattiva.php

ミラノMilanoとブレッシャ(ブレシア)Brescia から北へ路線を広げる主要私鉄で、ミラノ北駅 Milano Nord ~サロンノ Saronno 間21kmは堂々たる複々線が敷かれ、北イタリアの空の玄関口ミラノ・マルペンサ空港 Aeroporto di Milano-Malpensa へも乗り入れている。路線図はコーポレートカラーの黄緑を使って、運行系統を示すものだ。

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チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェズヴィオ環状鉄道)Circumvesuviana
http://www.eavsrl.it/

ナポリからヘルクラネウム Herculaneum(伊語:エルコラーノ Ercolano)やポンペイ Pompei、ソレント Sorrentoなど著名観光地へのアクセスにもなっている歴史ある鉄道だが、現在はナポリ地下鉄などとともにヴォルトゥルノ公社 Ente Autonomo Volturno, EAV の一部門だ。残念ながらEAVのサイトには系統ごとの図しか見当たらないので、ウィキメディア収載の図を紹介しておこう。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Circumvesuviana_maps.png

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スド・エスト鉄道(南東鉄道)Ferrovie del Sud Est
https://www.fseonline.it/

トップページ > Orari e tariffe(時刻表と運賃)> / Download linee e orari
または直接リンクhttps://www.fseonline.it/downloadorari.aspx

南部プッリャ(プーリア)Puglia 州の幹線網を補完する役割の鉄道で、長靴形をしたイタリア半島のかかとに当たるサレント半島に路線網を築いている。上記ページの Le nostre linee(自社線)に系統図(png画像)と路線網のPDFがある。系統図のほうが色分けされてわかりやすいが、拡大はできない。

 

都市交通では、代表的な3都市を見てみよう。いずれも地方鉄道に比べればしっかりしたデザインで、好感が持てる。

ミラノ Azienda Trasporti Milanesi, ATM
http://www.atm.it/

トップページ > Viaggia con noi > Schema Rete
または直接リンク http://www.atm.it/it/ViaggiaConNoi/Pagine/SchemaRete.aspx

ページの最下段の、マウスオンすると "Scarica lo schema di rete(路線網図をダウンロード)" と出る画像からリンクしている。地図は、メトロ(地下鉄)の色を目立たせ、連絡するトレニタリアの列車系統は控えめに描くという、オーソドックスなデザインだ。

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ローマ ATAC
http://www.atac.roma.it/

トップページ > per te
またはトップページ > Linee e Mappe(路線と地図)

市街地や郊外のバス路線図、メトロ路線図など、充実したラインナップを提供していて見ごたえがある。

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ナポリ Azienda Napoletana Mobilità, ANM
http://www.anm.it/

トップページ > Metro(Mのマーク) > Linee metro e funicolari > 本文中の "rete metropolitana" のリンク

自社運営する2本のメトロと4本のケーブルカーだけでなく、トレニタリアやEAVなど他社線も分け隔てなく描いた総合路線図にしているところを特に評価したい。

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ANM市内路線図の一部

個人サイトでは、「ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版」で紹介したウェブ版鉄道地図帳である「Railways through Europe」のサイトに、イタリア編もある。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_italy.php

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非常に有益な旧版鉄道地図のコレクションも見つかる。
http://www.stagniweb.it/

トップページ > 左メニューの MAPPE STORICHE(歴史地図)> Carte ferroviarie(鉄道地図)

ここには最も古いもので1876年、新しいもので1989年の、イタリアの鉄道網を描いたさまざまな図面が収集されている。各図の Apri la mappa ad alta risoluzione / Open full size map のリンクから拡大画像をダウンロードすれば、より詳細に路線網の構成や変遷を追うことができる。眺めているうちに、時の経つのを忘れてしまうだろう。

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 フランスの鉄道地図 III-ウェブ版
 フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 スイスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2016年8月13日 (土)

イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

専門家やコアな鉄道愛好家向けに、魅力的な鉄道地図帳を刊行し続けてきたドイツのシュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall (S+W) が、ヨーロッパアルプスの南の路線網に初めて取り組んだのが、この「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia / Eisenbahnatlas Italien und Slowenien」だ。192ページ、横23.5×縦27.5cmの上製本で、2010年1月に初版が刊行された。

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イタリア・スロベニア鉄道地図帳 表紙

鉄道地図には大別して、列車や路線のネットワークを表現するものと、路線のインフラ設備を詳述するものの2種類がある。S+W社の鉄道地図帳シリーズは後者に相当し、対象国内の全鉄道路線、全駅を含む主要鉄道施設が、正縮尺の美しいベースマップの上に表現されている。徹底的に調査され、細部まで描き込まれた鉄道インフラの最も詳しい地図帳として定評を得ている。

本書はタイトルのとおり、イタリアと東の隣国スロベニアの鉄道がテーマだ。イタリア半島にあるサンマリノとバチカン市国はもとより、歴史的に関連が深いイストラ半島(イタリア語ではイストリア Istria、大部分がクロアチア領)や地中海のマルタ島 Malta も範囲に入っている(下注1)。イタリアの鉄道地図は、長い間ボール M.G.Ball 氏の地図帳(下注2)以外に満足できるものがなかったので、S+W版の参入で一気に書棚が充実した印象がある。

*注1 現在、マルタ島には鉄道はないが、1931年まで1000mm軌間の鉄道がバレッタ Valetta から内陸に延びていた。
*注2 ボール鉄道地図帳については、「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」参照。

さらに、旧ユーゴスラビア連邦の一部だったスロベニアまで範囲が広げられているのも嬉しい。もちろんこの国もボール地図帳のほかに詳しい鉄道地図はなかった。電化方式がイタリア在来線と同じ直流3000Vなので、今回一体的に取り扱ったものと推測するが、そもそもスロベニアの地はハプスブルク帝国領の時代が長い。最初に開通した鉄道は、帝国の首都ウィーンとアドリア海の港町トリエステ(現 イタリア領)を結んだ東部鉄道 Südbahn だ。その史実からすれば、オーストリア編のときに出ていてもよかったくらいだ。

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ローマ~ナポリ間カッシーノ Cassino 付近 (表紙の一部を拡大)

イタリア・スロベニア編のページ構成だが、地図のセクションは全部で157ページある。縮尺1:300,000で描いた全国区分図のほかに、路線網が錯綜する主要都市とその周辺について1:100,000、一部は1:50,000の拡大図がかなりの数挿入されている。余白にはそのページの図に記載された私鉄の社名、軌間、電化方式、開業年/廃止年のメモがつく。地図ページに続いては、駅その他の鉄道施設の名称索引が24ページある。

内容については、まず本書ドイツ語序文の該当箇所を引用させてもらおう(迷訳ご容赦)。

「路線は、各図でインフラの所有権と関係づけて描かれている。その際、記号や配色はドイツ、スイス、オーストリアの地図帳からおおむね引き継がれている。

RFI(下注)の非電化線は黒で、私鉄はオレンジで描かれる。電化線は、適用される架線電圧方式に応じて、異なる色で記される。直流3000VのRFI国鉄路線網の路線は青、私鉄は明るい青で描かれ、交流25kVの路線(高速線)は緑で描かれる。それ以外の電圧、例えば1500Vまたは1650Vは紫で示される。引込線は茶色の破線、狭軌鉄道や路面軌道は独自の記号をもっている。イタリアに多数ある私鉄は、地図の縁にあるテキスト欄で簡潔に説明している。略号は地図で使用される略号を示している。」

*注 RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana)は、旧 国鉄の線路等インフラ管理を担う企業。

イタリアの在来線の電化方式は直流3000Vなので、図を支配するのは青色(印刷色はウルトラマリン=紫味の強い青)だ。交流15kV 16.7Hzの赤色が目立つドイツ語圏の国々とは違って、落ち着いた雰囲気を醸し出す。イタリアと言えば、鮮やかな赤をまとう高速列車が目に浮かぶが、高速線の交流25kV 50Hz(下注)も緑色で、クールなイメージは崩れない。

*注 最初に完成したフィレンツェ~ローマ間の高速線(直流3000V)を除く。

その高速線は、本書の時点(2009年秋)ですでにトリノからミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマを経てナポリまで延び、さらにミラノから東へ、ヴェネツィアの手前までが予定線(下注)として描かれている。在来線でも、山が地中海に迫るジェノヴァ Genova~ヴェンティミーリア Ventimiglia 間やアドリア海岸のペスカーラ Pescara~フォッジャ Foggia 間、アルプスの谷間のウディーネ Udine~タルヴィジオ Tarvisio 間やブレンネロ/ブレンナー Brennero/Brenner~ボルツァーノ/ボーツェン Bolzano/Bozen 間などで、長大トンネルを含む大規模な別線建設が行われていることがわかる。

*注 2016年現在、すでに一部区間が供用中。

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ミラノ拡大図 (裏表紙の一部を拡大)

序文はさらに続く。「廃止線は灰色で描かれる。インフラはまだ一部残っているがもはや運行できない路線(例えばポイントの欠如)も廃止線として扱っている。廃止線では、すべての旧 鉄道施設が図面に表されているわけではなく、キロ程も同様である。さらに言えば灰色の路線記号は、かつて線路がどこを通っていて、鉄道網とどのように接していたかだけを示そうとするものである。鉄道地図帳の重点は、現在運行中の路線網に置かれている。したがって視認性を優先するため、主要都市におけるかつての接続カーブまたは線路位置の再現は断念した。」

表示は完璧なものではないとは言うものの、今は無き廃線のルートや廃駅の位置がわかるのも、この地図帳の大きな特色だ。灰色で示される廃止線は、ほぼどのページにも見つかる。中には極端な蛇行を繰り返し、ときにはささやかなスパイラルまで構えて高みをめざすものがある(下注)。筆者にとって、その軌跡をさらに縮尺の大きい官製地形図や空中写真で確かめるのは、大いなる楽しみの一つだ。

*注 その一例を本ブログ「サンマリノへ行く鉄道」で紹介している。

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凡例の一部

このように実際に列車が走れる線路だけでなく、建設中や計画中の路線を拾い上げ、廃止線が自転車道に転換されればその記号まで付して、鉄道網の過去・現在・未来を一つの図面に示そうとする。この実直で緻密で徹底した編集方針は、類書の遠く及ばないところだ。なにぶんドイツの刊行物のため、序文と解説はドイツ語とイタリア語のみだが、凡例(記号一覧)には独・伊・仏語とともに英語表記があり、読図に大きな支障はない。イタリアの鉄道路線について調べるつもりなら、まず座右に置くべき書物の一つだろう。

なお、刊行から時間が経ち、初版の入手はやや難しくなっているようだ。古書店に当たるか、改訂版の刊行を待つ必要があるかもしれない。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳については、以下も参照。
 ヨーロッパの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 スイスの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 オーストリアの鉄道地図 I
 フランスの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社

2016年8月 7日 (日)

イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

アルプスの麓の緑の谷間から、シロッコが吹く地中海の岸辺まで、イタリアの鉄道の守備範囲はとても広い。路線網の総延長は19,400km、営業中のものに限定しても16,700kmあるという。その性格も、フレッチャロッサ Frecciarossa(赤い矢)やイタロ Italo が最高時速300kmで突進する高速線から、半島の周辺部や離島の山懐を健気に走る950mm狭軌のローカル線まで、変化に富んでいる。

イタリアの鉄道網を一定の詳しさで表した印刷物の鉄道地図(路線図)は、2016年現在、筆者の知る限りで3種ある。

1.ボール M.G.Ball 氏の「ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」の地域シリーズ Regional Series の1巻「イタリア編」
2.バイルシュタイン社 Beilstein の「レールマップ・イタリー Railmap Italy」
3.シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall の「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia」

1については、すでに本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」で全般的なレビューをしているので、そちらを参照いただくとして、今回と次回で残りの2種を紹介しておきたい。

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レールマップ・イタリー表紙

2015年4月の新刊である「レールマップ・イタリー Railmap Italy / Carta Ferroviaria Italia(イタリア鉄道地図)」は、1枚ものの鉄道地図だ。横75cm×縦113cmの大判用紙に印刷され、折図にしてハードカバーがつけられている。冊子形式の他2種とは異なり、1枚でイタリア全土を一覧できるのがポイントだ。地図のデザインは一見地味だが、よく練られていて、主題となる路線情報がしっかり目に飛び込んでくる。

バイルシュタインの名はあまり聞き慣れない。実は、キュマリー・ウント・フライ(キュメルリ・フライ)社 Kümmerly+Frey (K+F) 刊行の「レールマップ・ユーロップ Railmap Europe(ヨーロッパ鉄道地図)」(2008年)と「ドイツ鉄道旅行地図 Rail Travel Map Deutschland」(2009年)の製作を担当したスイスの地図製作会社だ(下注)。これらはシートや表紙にバイルシュタインのロゴが見られるものの、あくまでK+Fブランドの出版物だった。それに対して、イタリア図はK+F社と関係なく、バイルシュタインが独自に企画制作、刊行したもののようだ。

*注 K+F社のレールマップ・ユーロップについては本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社」で、また、ドイツ鉄道旅行地図は「ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社」で紹介している。

内容はどうだろう。用紙寸法に収めるために、縮尺は1:1,300,000(130万分の1)と、少し小さめだ。ベースマップはベージュのぼかし(陰影)で地勢を手描きし、そこに水系(川や湖)を加えている。シンプルながら、色合いといい、明暗を際立たせた描法といい、イタリア官製1:100,000を彷彿とさせる美しさがある。森の緑に細かいぼかしで錯雑感が出てしまったドイツ図に比べると、はるかに見やすい。

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サンプル図(ローマ付近)
画像は http://beilstein.biz/ から取得

主役たる鉄道路線はまず、色で電化方式を表す(上図参照)。イタリアの在来線は直流3000Vで赤色が使われているが、高速線や一部の私鉄は緑や橙になっていて、方式が異なることがわかる。また、非電化線は黒色だ。色分けによって、周辺諸国の路線との接続状況も明らかになる。たとえば、国境のトンネルをはさんでどちら側で電源が切り替わるかも一目瞭然だ。

線の形状は、高速線や標準軌/狭軌を区別するのに用いられる。高速線は太い二重線、標準軌は太線、狭軌は輪郭つきの破線だ。建設中または計画中の路線は細い二重線になる。また、旅客列車の走らない路線は、たとえば非電化線なら黒をグレーにするなど、トーンを落として表現する。これらも感覚的に無理のない設定だ。

高速線の記号は目立つので、路線が輻輳している地域でも識別が容易だ。筆者は、イタリアの高速線は交流25kV 50HzのフランスTGV方式だとばかり思っていたのだが、この地図で、最初に開通したフィレンツェ Firenze~ローマ Roma 間だけが在来線と同じ直流3000Vであることに初めて気づいた。また、在来線では、北西部ピエモンテ州のいくつかのローカル線や、アペニン山脈南部の山岳路線で、旅客列車が廃止されているという現実も教えられる。

1:1,300,000という縮尺の制約上、すべての駅や停留所を表示するのは難しい。他の資料と見比べると、旅客駅、すなわちかつての基準で駅舎があって駅員がいる(昨今は条件を満たさないものも多いが)という、イタリア語でいうスタツィオーネ stazione だけが表示の対象のようだ。停留所(フェルマータ fermata、英語の stop, halt)や貨物駅などは描かれていない。一方で各路線には、トレニタリア(旧 国鉄)の時刻表番号、地方の時刻表番号、ヨーロッパ鉄道時刻表の路線番号といったインデックスが丁寧に振られ、時刻表とのリンクが配慮されている。

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サンプル図(メッシーナ海峡)
画像は http://beilstein.biz/ から取得

また、観光大国の鉄道地図とあれば、沿線の旅行情報にも抜かりはない(上図参照)。路線に緑の点線が添えられているのは、景勝路線だ。アルプスの谷間や湖沿い、アペニンの山越え、地中海岸など、目を凝らせばかなりのルートで記号が見つかり、旅心を刺激する。また、保存鉄道を示す蒸気機関車のマークも各所にある。そのほか、著名観光都市には星印が打ってあり、郊外には城、古代遺跡、修道院、景勝地など多数の記号が配されている。鉄道網と合わせてこうした周辺情報を追っていけば、地図を読む楽しみも倍加するだろう。

価格は19.90ユーロ(1ユーロ120円として2,388円)と少々高めの設定だ。しかし、列車で旅をしたいのだが、ウェブサイトにあるような主要路線と主要駅だけのラフな路線図では物足りないとか、イタリア全体を一覧できるものがほしいという向きには最適ではないだろうか。この地図は、バイルシュタイン社の自社サイトのほか、ドイツのアマゾン(Amazon.de)などで発注できる。

■参考サイト
バイルシュタイン社 http://beilstein.biz/

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

バイルシュタイン社の作品群
 ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社
 ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社

2016年7月23日 (土)

サンマリノへ行く鉄道

長靴形をしたイタリア半島の東の付け根に近いところに、その国はある。地図で見ると、国土はイタリアの中にぽっかり浮かんでいて、似た境遇のバチカン市国などとともに、エンクラーヴェ Enclave(包領)と呼ばれる特異な地理環境の独立国だ。正式国名をサンマリノ共和国 Serenissima Repubblica di San Marino(下注)といい、アドリア海沿岸のリミニ Rimini の町から内陸へ約10km走ると、その国境に達する。豊かに波打つ丘陵地を突き破るようにそそり立つティターノ山 Monte Titano、その上に、古くからある町の城壁が見えるはずだ。

*注 イタリア語の発音に従えばサン・マリーノだが、外務省の表記に倣ってサンマリノと記す。

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サンマリノ市街のあるティターノ山を遠望
Photo by Annunziata from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

現在、この国に公共交通機関だけで向かおうとすると、FS(旧 イタリア国鉄)線でリミニまで行き、駅前で路線バスを待つしかない。しかし、第二次世界大戦で中断されるまで、リミニ駅の1番線にはサンマリノ行きの電車が停まっていた。白と空色のツートンカラーをまとう車体を見れば、誰しも目的地の国旗を思い浮かべたに違いない。

路線はリミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino といい、31.5kmの長さがあった。国鉄線の一つであり、2国間を連絡するという意味で国際路線でもあったが、軌間はイタリアのメーターゲージである950mm軌間で、幹線との直通は想定されていなかった。急勾配路線のため、最初から直流3000Vで電化され、TIBB社の子会社カルミナーティ・エ・トセッリ Carminati & Toselli 製の電車4両、AB01~04が運行を担った。

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復元された電車AB03
Photo by Aisano from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

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サンマリノに鉄道が通じたのは古い話ではない。建設認可は1913年に下りていたものの、話が進んだのは、ムッソリーニのサンマリノ公式訪問がきっかけだ。1927年に二国間協定が締結され、建設費は全額イタリア政府の資金で賄われることになった。翌28年12月から建設工事が始まり、4年後の1932年6月、市民の歓喜に包まれて開通式が挙行された。

しかし、鉄道が市民に貢献した時間はあまりに短かった。というのも、第二次世界大戦末期の1944年6月26日、連合軍によって空爆の標的にされたのだ。サンマリノは1920年代からイタリアの影響でファシスト政権下にあったとはいえ、戦争に対しては中立を宣言していた。しかしドイツ軍が越境して備品や弾薬を集積しているという誤った情報が伝わり、攻撃の対象になった。鉄道施設が破壊されたため、7月4日から全線で運行が停止した。列車が来なくなったトンネルはイタリアから逃れてきた人の臨時の避難所になり、チフスが流行した秋には、車両も患者を収容するためにあてがわれた。

戦後、鉄道復旧の要望は多々あったものの、当局の動きは鈍く、部分的な修復が行われるにとどまった。道路整備が優先された時代であり、後述するように線形の制約が大きいこの路線には将来性を見出せなかった、というのが本音だろう。そのうち1958~60年に、イタリア側で道路用地に転用するために線路の撤去が始まり、市民の一縷の望みも絶たれた。結局電車は12年間走っただけで、2両は博物館の展示品になり、2両は他の鉄道に売却されてしまった。

路線の起点リミニ国鉄駅は標高3m、一方、終点のサンマリノ駅は標高643mだ。この大きな高低差をレールと車輪の粘着力だけで克服するために、ルートはすこぶる変化に富んでいる。地形的に見ると、平地に直線を引いただけのリミニ~ドガーナ Dogana 間、山の裾野を蛇行しながら上るドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ Borgo Maggiore 間、山本体にとりつき、ぐるぐる巻いていく最終区間の3つに分けられるだろう。いったいどんなところを走っていたのか、当時の地形図や空中写真で追ってみることにしたい。

*注 駅の標高は、同鉄道の保存団体「白青列車協会 Associazione Treno Bianco Azzurro」の資料に拠ったため、地形図記載の標高数値とは若干の相違がある。

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リミニ=サンマリノ線路線図

第一区間(リミニ~ドガーナ)

リミニを出て約1.2km、最初の停留所リミニ・マリーナ Rimini Marina までは、アンコーナ Ancona 方面の国鉄幹線に沿って走る。リミニ・マリーナにはこの路線の車庫と修理工場が置かれ、運行の拠点になっていた。構内は種苗園に転用されたが、駅舎は今も残されている。線路は右に大きくカーブした後、アウーザ川 Ausa の平たい谷をまっすぐ山をめざして進んでいく。

次のコリアーノ=チェラソーロ Coriano-Cerasolo 停留所の手前まで、直線が8km以上も続く。今は住宅や工場が点在しているが、当時は一面葡萄畑に覆われていた。3つ目の駅が、税関を意味するドガーナ Dogana(標高69m)だ。線路はすでにサンマリノ領内に入っているが、地名が示すように、道路はここで国境を越えてくる。車窓景観としては、実質的に2kmほど先のメリーニ橋 Pont Melini が転換点になる。

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ドガーナ~ドマニャーノ間の1:25,000地形図
イタリア官製1:25,000 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版)

第二区間(ドガーナ~ボルゴ・マッジョーレ)

メリーニ橋で正面に見える丘の上の村は、セラヴァッレ Serravalle という。線路は左手から回り込み、町の真下をスパイラル(ループ線)で一周巻いて、標高135mのセラヴァッレ駅に達する。今は丘全体がすっかり宅地に埋まっているが、湾曲した街路の一部はスパイラルの廃線跡を転用したものだ。駅の手前にあるサンタンドレアトンネル Galleria Sant' Andrea(長さ258m)は通り抜けることができ、その先に旧セラヴァッレ駅舎も修復されて残っている。

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セラヴァッレ付近のルート。図中×印のトンネルは通行不可(以下同じ)
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

線路はこの後、ティターノ山の裾野を舞台に、のた打ち回るような軌跡を描いて上っていく。第二区間の平均勾配は30‰あり、半径100mの急カーブによる折返しもたびたび現れる。折り返すごとに視点が上昇して、車窓の見晴らしもよくなっていったことだろう。幸いにも、セラヴァッレの少し上手から、リジニャーノトンネル Galleria Lisignano(長さ246m)を経て次のドマニャーノ Domagnano 停留所(標高315m)の手前までは、自転車道として整備されており、当時の車窓を追体験できる。

ヴァルドラゴーネ Valdragone 停留所(標高393m)をやり過ごす頃には、目の前に、ティターノ山の絶壁が威嚇するように立ちはだかる。まもなく共和国のメルカターレ Mercatale(ショッピング街)、ボルゴ・マッジョーレだ。駅の標高は493mで、高度でいえば全体の3/4まで来たことになる。

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ドマニャーノ~サンマリノ間の1:25,000地形図
イタリア官製1:25,000 108-I-NE S.Marino(1949年改訂版), 109-IV-NO Montescudo(1948年改訂版)

第三区間(ボルゴ・マッジョーレ~サンマリノ)

現在は、もと駅前から右手に少し上ったところにロープウェーの乗場があり、空中を伝ってサンマリノの町へ一気に着地できる。しかし、鉄道はそうはいかなかった。山裾に取り付き、裏側に回り込んで高度を稼がなければならず、平均勾配は40‰に達した。実はティターノ山は、表と裏で表情が違う。人を寄せつけない険しさを見せる表(東)側に対して、裏(西)側は比較的緩やかな斜面で、サンマリノの市街もそちらに展開しているのだ。

ボルゴ・マッジョーレ駅の先にあった道路をまたぐ高架橋は解体されたが、その先のボルゴトンネル Galleria Borgo(長さ173m)とモンタルボトンネル Galleria Montalbo(長さ186m)は遊歩道に活用されている。線路はそれからすぐ、第二のスパイラルであるピアッジェトンネル Galleria Piagge(長さ515m)に突入するが、これは現在通行できない。

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ボルゴ・マッジョーレ付近のルート
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

次の1km強の間は、アペニーノの支脈モンテフェルトロの山並みをはるかに望みながら、斜面に忠実に沿って走る区間だ。最後にモンターレトンネル Galleria Montale の中で半回転して、サンマリノ駅に到着する。

駅前広場 Piazzale della Stazione は名称ともども健在だが、ロータリーは鉄道廃止後に拡張されたものだ。当時の駅舎は、現在の広場の南半分を占めており、その南側の駐車場になっている区画に、1面2線の発着ホームや車庫等が配置されていた(下の空中写真に、駅舎等の配置を書き添えてある)。施設はすべて取り壊され、跡形もない。広場の西に面するホテルジョリ Joli のレストランが、旧駅 Ristorante Vecchia Stazione を名乗っているのがせめてもの慰めだ。

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サンマリノ駅付近のルート
空中写真はGoogle Mapより取得(2016年7月)

最近サンマリノでは、鉄道を一部復活させようという動きがある。2012年が鉄道開通80周年に当たることから、それに向けて、保存団体である白青列車協会が中心になり計画が進められた。まず、駅の200m南にあるモンターレトンネルの前後、距離にして800mの区間で、線路の復元工事が実施された。架線柱はオリジナルの様式を再現し、直流480Vに減圧されはしたものの、架線も張られた。その間にサンマリノの博物館に保存されていた電車AB03が全面改修を受けて、現地に復帰したのだ。

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復元区間の起点に電車が配置され、当時を彷彿とさせる
Photo by Aisano from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

この事業はサンマリノ政府の支援を受けていて、次の段階ではボルゴ・マッジョーレまでの延長を検討していると伝えられる。すでに廃線跡の大半は車道や遊歩道に転用されており、前進は容易ではないだろうが、開通すれば新たな観光資源としての活用も期待できる。短命に終わった鉄道だけに、国旗色の電車に再び山を上らせるという夢が、サンマリノ市民の誇りとして実現することを祈りたい。

(2006年2月28日付「サンマリノへ行く鉄道」を全面改稿)

■参考サイト
リミニ=サンマリノ ある国際鉄道の日々
Rimini - San Marino  Una Ferrovia Internazionale di Ieri
http://www.clamfer.it/02_Ferrovie/Rimini/Rimini-San%20Marino.htm
リミニ=サンマリノ線 LA FERROVIA RIMINI- SAN MARINO
http://www.ferrovieitaliane.net/ferrovia-rimini-san-marino/
Structurae - Rimini-San Marino Railway
https://structurae.net/structures/rimini-san-marino-railway
 廃線跡に残る構造物の写真多数
サンマリノ:鉄道の旧線跡 San Marino: il vecchio percorso della ferrovia
http://www.viaggi-lowcost.info/cosa-fare/san-marino-vecchio-percorso-ferrovia/
ferrovie.it(イタリア鉄道情報サイト) http://www.ferrovie.it/portale/

2009年4月23日 (木)

ギリシャのラック式鉄道 オドンドトス

がりがりとラックを噛んで素掘りのトンネルを抜けると、断崖のどてっ腹に空けられたオーバーハングの異様な通路が待ち構える。頭上にのしかかる岩の塊におののきながら左の窓を覗き込めば、何十mもある奈落の谷底で早瀬がしぶきを立てている。まれに見るスリリングな車窓が展開するのは、ペロポネソス半島北部の山の中へ分け入るディアコフト・カラヴリタ鉄道 Diakofto - Kalavrita Railway だ。ギリシャ唯一のラック式鉄道であるこの路線は地元で、「鋸刃の(列車)」という意味のオドンドトス Οδοντωτός / Odondotos と呼ばれている。ここでもこの愛称に従おう。

Blog_odondotosrailway_map1

アテネからギリシャ鉄道の幹線で半島に渡り、コリンティアコス湾(コリント湾)Korinthiakos Gulf (Gulf of Corinth) に沿ってパトラ Patra 方面へ向かう。その途中に、ディアコフト Διακοπτό / Diakopto (Diakofto) の駅がある。オドンドトスはここから南へ、ヴライコス川 Βουραϊκος / Vouraikos の谷の中を標高714mの避暑地カラヴリタ Καλάβρυτα / Kalavrita まで行く、延長22.3kmの路線だ。山岳線のため750mmの狭軌が採用され、3.4km(3.6kmとする文献も)のアプト式ラックレールにより最急勾配1/6.9=145‰(175‰とする文献も)を克服する。1896年に開業したが、当初10ヶ月で完成すると見込んでいたところ、予想外の難工事で5年の歳月と見積りの3倍以上の費用を要した。その影響で、分水嶺を越えて半島中部のトリポリ Τρίπολη / Tripoli までの延長計画は実現しなかった。ちなみに、治安が不安定な時代で、工事現場の警備員は強盗団の襲撃に備えるのが任務だったそうだ。

登山鉄道でもないのに、ラックレールが必要なルートとはどのようなものなのだろうか。ウェブサイトを参照しながら、列車に乗ったつもりで追っていこう。

■参考サイト
Blog_odondotosrailway_hp 写真(カラヴリタ観光案内サイト)
http://www.ekalavrita.gr/EN/photos_odontotos.html

前方車窓ビデオ(Diakopto Kalavrita Rack Railway SPAP Odontotos)
http://www.youtube.com/watch?v=0gNMFeSZfNc
 極端なコマ落としにより、全行程を7分で見せる。後述するpoint A は2分付近、point B は4分40秒付近。

オドンドトスは東に向けてディアコフト駅を出発する。幹線に並行するのもつかの間、すぐに右にそれていき、果樹園の中を南へ直進する。両側から山が迫ってくると同時に、右手にはヴライコスの川原が見え隠れする。線路はカーブを繰り返しながら、緑多い谷間を縫っていく。やがて、空が広くなりやや開けた場所に出ると、大きな右カーブで支流を横切り、交換所(添付地図の表記は passing loop)に入る。ここまでが序盤だ。起点から5km以上進んだが、標高はまだ120m程度に過ぎない。

行く手を比高1000m以上の山塊がふさいでいて、この先しばらく並行する道がない。早や深山の気配が漂う中、ヴライコス川の最初の鉄橋を渡る。ラックレールに乗るために、時速は12kmにまで落ちる。切り立った灰色の断崖絶壁の際をぐいぐい上り始めてまもなく、右上から岩が覆いかぶさってきたかと思うと、列車は素掘りのトンネルに吸い込まれる。その出口が、冒頭に記した驚異のオーバーハングだ(添付地図 point A)。オドンドトスの紹介に必ず引用される見せ場なので、上記サイトの写真(中段右)やビデオでその迫力をご確認いただきたい。

その後も連続するトンネルをしのいで、再び鉄橋で川の左側(右岸)へ移る。はるか眼下で泡立っていた川床がいつのまにか線路のすぐ際まで上ってきているのに気づく。水の滑り落ちる勢いは激しく、間近で見ると恐ろしいほどだ。山肌はいかにも荒れていて、カーブを切るたびに落石被害を防ぐ短いトンネルが現れる。三度めの鉄橋を渡り、またも素掘りのトンネルを抜けたところで、第一の、そして最も長いラック区間は終わる。地図を読むと、開始点から2km強の間に300m近い高度をかせいだことになる。しかし、険路はまだ半ばだ。

ラックが外れてもけっこうな坂道で、川幅が細って岩が張り出し、小規模ながらオーバーハングもある。四度めの鉄橋を渡ったところで交換所(参考サイト、中段左の写真に末端が写る)、そして第二ラック区間の始まりだ。こちらは距離が短く、谷もいくぶん広まって緊迫感はないのだが、資料によると、この間に最急勾配175‰が存在するという。

ラックが再び去ると、もう一つの奇観にさしかかる。石灰岩の巨大な扉をヴライコス川が鋭く切り裂いていて、扉の隙間はわずか数mしかない。アルプスでシュルフト schlucht と呼ばれる地形に見られるものだ。これを突破するために、間の峡谷に橋をかけ、立ちはだかる岩壁にトンネルをうがっている。興味深いのは、左側に廃線トンネルと橋梁が残っていることだ。下流側から行くとあたかもこのトンネルに入っていきそうに錯覚するが、現在線はその手前で右にそれて、新しい鉄橋と長めのトンネルで通過していく(添付地図 point B、参考サイト上段3枚の写真)。

地形上の難所はこれでほぼ尽きるのだが、谷の勾配はなおきつく、六度めの川渡りの手前から短いラック区間を構えなければならない。距離的には全行程の半分に達したばかりだが、ラックの終端で標高はすでに580mを示している。

行く手にザフロル Zachlorou の民家が見えてきた。降りる支度をする乗客もいる。緑の木陰にたたずむ小駅から山道を1時間弱、約400mの高さを登ると、岩壁に築かれた修道院メガ・スピレオン Μεγα Σπήλαιον / Mega Spileon の威容に出会えるはずだ。駅の先にある鉄橋で、線路は川の右側(左岸)に移る。残り10kmの距離で上る高さは100mしかなく、まだ山肌が迫る個所は残っているものの、奥へ進むにつれて周りの山容もおだやかさを増していく。

運営者のサイトでは、オドンドトスの途中の停車駅は、先ほどのメガ・スピレオンと、この後、路線で唯一の下路トラス橋で最後の川渡りをした後にあるケルピニ Κερπινή / Kerpini の2つとなっている。全線の所要時間は1時間10分で、平日1往復、週末は3往復が設定されている。1958年と1967年に導入された車両が長らく使われていたが、2003年から始まった設備更新の一環で、スイスのシュタッドラーレール社 Stadler Rail 製の新型車に交換された。

終点カラヴリタは意外に大きな構えの駅舎を持っている(参考サイト下段の写真)。夏は避暑、冬はスキーの拠点としてなかなかの賑わいを見せる町だが、旅行者のほとんどは自家用車や大型バスでやって来る。カラヴリタは、ギリシャ現代史の幕開けの舞台だ。1821年3月25日、郊外4.5kmにある修道院アギア・ラヴラ Αγία Λαύρα / Agia Lavra で支配者オスマン帝国に対して企てられた反乱が戦争へと拡大し、1830年のギリシャ独立に結実した。3月25日は今も独立記念日として祝われ、この日翻った白地に青十字の反旗は国旗の意匠に取り入れられている。

道路事情が格段によくなった現代でも、19世紀のラック鉄道を維持し、改良しようという意思の原点は、もしかするとギリシャ人のこの土地に寄せる特別の感情に見出せるのかもしれない。

■参考サイト
Odontotos Rack Railway http://www.odontotos.com/
 ギリシャ語版紹介サイト
ギリシャ鉄道 http://www.ose.gr/
 ギリシャ語版  ΤΡΑΙΝΟΣΕ(車両運行会社 TRAINOSE)> Τουριστικά(旅行)> Οδοντωτός(オドンドトス)
時刻表(ディアコフト観光案内サイト)
http://www.ediakopto.gr/index.php/en/Time-table-of-Odontotos-train.html
ディアコフト付近のGoogleマップ 
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=38.1916,22.1993&z=15

このほか、Hagen von Ortloff, "Eisenbahn-romantik: Die faszinierende Welt der Schienen" Schlütersche Verlag, 2006 p.88-91 'Griechenland: mit der Zahnradbahn durch den Peloponnes' を参照した。

添付した路線図は官製1:50,000地形図を参考にしたが、より入手しやすいのは、アナーヴァシ社 Anavasi の旅行地図だ。Topo50シリーズ(縮尺1:50,000)8.2 " Chelmos - Vouraikos "に、オドンドトスの全区間が収まる。

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2009年4月16日 (木)

ギリシャ ピリオン鉄道

陽光きらめく波静かな内湾を見下ろしながら、機関車に牽かれた小柄な列車が、のんびりとオリーブの林を縫っていく。2006年9月の「世界の車窓から」で紹介された素朴な風情の狭軌鉄道は、筆者の心に深い印象を残した。ナレーションの記憶を頼りに地図を当たり、それがギリシャ中東部テッサリア地方、エーゲ海から山地を一つ隔てたパガスティコス湾沿いを走る、軌間600mmの観光鉄道であることを知った。

ギリシャ鉄道 Οργανισμός Σιδηροδρόμων Ελλάδος / Organismos Sidirodromon Ellados (OSE) が運行しているこの路線の正式名は定かでない。英語の文献には The Little Train of Pelion(ピリオンの小列車)と紹介されていることが多いが、ここでは仮に「ピリオン鉄道」としておこう。

Blog_pelionrailway_map

参考サイトによると、ハイシーズンの7~8月は毎日、9~10月は土日と休日に運行しており、アノ・レホニア Άνω Λεχώνια / Ano Lechonia(Anoは上の意)11:00発、途中、アノ・ガゼアス Άνω Γατζέας / Ano Gatzeas とオグラ Ογλά / Ogla で休憩して、ミリエス Μηλιές / Milies 到着は12:35だ。帰りはミリエス16:00発、アノ・レホニア17:00着となっている。運賃は往復で13ユーロだ(「地球の歩き方」A24 ギリシャ編p.14にも同鉄道の紹介があるが、運行日の記載が異なるので、乗車される方は現地での再確認をお勧めする)。現在は郊外の集落が起点だが、かつてはそうではなく、地域の中心都市ヴォロス Βόλος / Volos に発着する、小規模ながらも立派な地方鉄道だった。前回の記事とも一部重複するが、その生い立ちを記してみたい。

ギリシャの鉄道ブームは1880年代に起こり、ペロポネソス、アッティカなどギリシャ各地で相前後して建設の槌音がこだました。テッサリア鉄道もその一つで、港町ヴォロスから内陸のラリッサとカランバカへ通じる主要路線を一気に仕上げた。その後10年ほど遅れて手がけたのが、ピリオンへの支線だった。

しかし通過予定地は、標高1000mを越す山地の斜面で、平地が乏しく点在するのは小さな村ばかりだ。国の補助金がなく、輸送量も多くは期待できないため、ドコーヴィル Decauville と呼ばれる軽規格を採用して、建設費を抑えた。設計者の一人として、イタリア人のエヴァリスト・デ・キリコ Evaristo de Chirico が迎えられた。彼はあのシュルレアリスムの画家ジョルジョ・デ・キリコ Giorgio de Chirico の父親で、ジョルジョは一家がヴォロスに滞在中に生まれ、ここで少年時代を過ごすことになる。

ヴォロスとレホニアの間13kmは、1895年に開通した。路面鉄道と線路を共用することで、市街を縦断してヴォロス駅へ乗入れたので、メーターゲージ線との連絡も万全だった。この区間は町を抜けると小さな岬(Ακρ. Γορίτσα / Cape Goritsa)の波打ち際を進む。次いで、山から押出して海まで達した扇状地に載っていく比較的平坦な行路だ。

1903年にはさらに16kmを延長して、ミリエスまでの29kmが全通した。山地が海岸に迫るこの区間は、細かい山ひだを忠実になぞりながら上るので、最小半径30m、最急勾配28‰(30‰とした資料もある)という険しい道のりになった。この坂道をもくもくと煙を吐きながら時速25~30kmでゆっくりと登る列車に対し、人々は親しみを込めてムズリス Μουτζούρης / Moutzouris、「煙たい(列車)」と呼んだ。

機関車にとっては難路でも、乗客は煙さえ我慢すればすばらしい眺めを満喫できた。張り出した尾根の斜面では蒼い海原が視界いっぱいに広がり、谷を渡るときは重厚な石造りのアーチ橋が景色に華を添える。カーブした線路が載る上路トラス橋が一つ混じっているが、これは後年(1917年)の建造だ。

懸命に上りきった終点ミリエス駅は、標高約280mに達する。りんごの木を意味する地名のとおり、山手をりんごと栗の木々、谷側をオリーブの林に囲まれた古く静かな村だ。しかし、線路は手前の森の中で止まっているので、18世紀の教会がある中心部へは、急な坂道を登っていかなければならない。駅には簡素ながらも転車台が設置され、機関車はここで向きを変えてつなぎ直され、復路の出発を待った。

計画では、鉄道はさらに山を越え、エーゲ海を眼下に望むピリオン最大の村邑ザゴラ Ζαγορά / Zagora まで延長される予定だったが、資金不足で着工には至らなかった。ザゴラへの道程は遠く険しく、どのみち実現は困難だったに違いない。唯一の公共交通機関として地域開発に貢献した小鉄道だが、いずこも同じ自動車の普及によって採算が悪化し、ついに1971年6月、運行休止に追い込まれた。

しかし、復活を求める運動は地道に続けられていた。残存する施設に歴史的な価値が認められ、1985年に文化財に登録されたのも一つの成果といえる。それだけでなく、海岸線が複雑で美しい海景に事欠かないギリシャでも、ピリオン鉄道のようにみごとな展望をもつルートは貴重だ。

1990年代に入り、観光資源としての再生計画にゴーサインが出される。文化財指定が幸いして、旧状が保存されていた後半の区間で、駅舎や橋梁の修復や線路の敷設が行われた。そして1996年、アノ・レホニアとミリエスの間で、列車の運行が再開されたのだった。かつて5両あった蒸機のうち2両は残存しているが、沿線火災の危険を排除するためにディーゼル機関車に切替えられている。時速20kmで素晴らしい眺望をゆっくり堪能できるとあって、週末は予約必須の人気だという。

ピリオン鉄道にはさらなる構想がある。ヴォロスまで全線の再興だ。すでに2004年からヴォロス市街に接したアナヴロス Άναυρος / Anavros(古代ギリシャ神話でイアソンがサンダルをなくしたという小川がある)からアグリア Αγρία / Agria までの海岸線でも整備が終了し、列車が走り始めている。次はアグリア~アノ・レホニア間を接続することになるのだろう。ケンタウルス族の故国として、神話ゆかりの地であるピリオンの山々に、往年の列車の響きが蘇るのを人々は心待ちにしている。

■参考サイト
鉄道の公式サイトは存在しないが、以下のサイトで概略がつかめる。
ギリシャ鉄道 http://www.ose.gr/
 ギリシャ語サイトに比較的詳しい紹介がある(英語版はない)
 ΤΡΑΙΝΟΣΕ(車両運行会社TRAINOSE) > Τουριστικά(旅行)> Πήλιο(ピリオン)
Pelion Nature-Tradition-Legend-Culture
http://www.leventis-hospitality.gr/catalogue/
 観光パンフレット(英語版)の中に "Little Train of Pelion" のページがある。

Ferienhäuser in Pilion http://www.pilion-direkt.de/trenaki.html
 "Fahrplan(時刻表)" から、鉄道の運行スケジュールにリンクしている(ドイツ語)
Youtube  Greek Pelion railway video
http://www.youtube.com/watch?v=yPljYIMZXHg
 石造りアーチ橋の俯瞰や、狭軌がカーブする上路トラスの映像を含む。
アノ・レホニア付近のGoogleマップ 
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=39.3264,23.0547&z=15

Blog_anavasi_pelion ちなみに、ピリオン鉄道が掲載されている最大縮尺の地図は、アナーヴァシ社 Anavasi のTopo25 "Central Pilion" 1:25,000だ。10m間隔の等高線が入っているので地形図としても使える。同社のショッピングサイトで購入できる。アナーヴァシ社については、本ブログ「ギリシャの旅行地図-アナーヴァシ社」を参照。

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 ギリシャのラック式鉄道 オドンドトス
 ギリシャの旅行地図-アナーヴァシ社
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2009年4月 9日 (木)

ギリシャ 失われた4線軌条

Blog_volos_map ギリシャには、メーターゲージ(軌間=線路幅1m)の列車が独占的に活躍していた地方がある。地中海に突き出たペロポネソス半島と、今回のテーマであるギリシャ中東部のテッサリア Θεσσαλία / Thessalia (Thessaly) だ。長らくメーターゲージ王国だったペロポネソスは現在、1435mm標準軌への変更と交流電化が進行中で、すでに首都アテネ Αθήνα / Athina (Athens) から半島北岸のキアト Kiato 間の改軌が完成している。その先も、西海岸のピルゴス Πύργος / Pyrgos までが計画に盛り込まれているそうだ。

一方、北の王国テッサリアは、ペロポネソスよりも早く、2001年までに改軌の波に洗われてしまった。その過程で一時期、ヴォロス Βόλος / Volos の町に軌間の異なる3つの鉄道が乗り入れていたことがある。2種の軌間を合流させる3線軌条はおろか、3種を1本の線路に集約した4線軌条まで存在していた。このユニークな饗宴はどのようにして形成され、なぜ解消してしまったのだろうか。その背景をさぐるために、少し視点を引いて、この地方の鉄道網の変遷を俯瞰してみたい。

Blog_thessalianrailways ギリシャの鉄道は1869年、アテネとその外港ピレウス Πειραιάς / Peiraias (Piraeus) 間9kmの開通で幕を開けるが、議論の末、線路幅(軌間)1mのいわゆるメーターゲージが採用された。当時のギリシャは国土が今の4割ほど(ラミア以南とキクラデス諸島)の小国で、産業も未発達であり、輸送量は小さくても、建設コストが抑制できるほうが有利と考えられたのだ。

初期の鉄道の起点は、港に置かれるのが常だ。建設資材の陸揚げはもとより、長距離輸送の主役であった海運と連絡をとるのが使命だからだ。テッサリア地方の場合、エーゲ海から回り込んだパガシティコス湾の奥に位置するヴォロスがその場所となった。1881年、この地方がオスマン帝国の支配から解放され、ギリシャに併合されると、まだ人口5000人足らずだった村の港から、内陸の諸都市へ向けて鉄道建設が始まる。

まず1883年に、フランス資本のテッサリア鉄道 Σιδηροδρόμι Θεσσαλίας / Sidirodromi Thessalias が、ヴォロスから、地方の中心都市ラリッサ Λάρισα / Larisa (Larissa) までの61kmを完成させた。ついで1884年には途中のヴェレスティノ Βελεστίνο / Velestino で分岐して西方へ向かう路線に着手する。数次の延伸を経て、1886年に、いまは世界遺産メテオラの玄関口となっているカランバカ Καλαμπάκα / Kalambaka までの142kmを全通させた。狭軌鉄道網の完成とともにヴォロスの町も発展を遂げる(図の1段目参照)。

一方、アテネから北をめざした国鉄幹線は、バルカン半島の鉄道網に接続することを視野に入れて(当時マケドニア地方はまだトルコ領)、標準軌を採用していた。路線は、テッサリアの内陸部を南北に貫いて1907年、ラリッサに到達する。メーターゲージとの連絡は、ラリッサと、ヴォロス~カランバカの中間にあるパレオファルサロス Παλαιοφάρσαλος / Paleofarsalos の2ヶ所で行った(図2段目)。幹線の開通は、テッサリアの物流が海運から内陸の鉄道経由へと移行するのを促し、これ以降、線区相互の接続の改善が重要な課題になっていく。

テッサリア鉄道の標準軌化を求める声は早くからあり、1920年から始まったカランバカ以北、コザニ Κοζάνη / Kozani までの延伸工事(未成に終わる)もそれを想定して行われていた。しかし、世界恐慌とその後の政治混乱、そして第二次世界大戦と続く内戦のために一向に進捗しないまま、1955年に会社は倒産し、事業は国鉄に引き継がれた。ラリッサ~ヴォロス間の標準軌化工事が完了するのは、ようやく1960年のことだ(図3段目)。

改良方法も興味深い。ラリッサ~ヴェレスティノ間は旧線を単純に改軌したが、ヴェレスティノ~ヴォロス間はカランバカ方面へメーターゲージの直通列車を走らせるために旧線をそのまま残し、新たに標準軌の別線を建設した。この間には標高140mほどの峠がある。ヴェレスティノから峠までは新線を旧線に腹付け(すぐ脇に新設)したが、峠から下るルートは旧線の線形が悪く、新線は山側を迂回させたうえで大きな逆S字カーブを切って、ヴォロスへ降ろした。旧線と合流するヴォロス駅構内の前後では、3線軌条が生じた。

ところで、ヴォロスの東には、標高1000mを越えるピリオ山地(ピリオン Πήλιο / Pilio (Pelion))が横たわる。山地は半島状に長く連なり、エーゲ海とパガシティコス湾を隔てている。時代は戻るが、テッサリア鉄道は1895~1903年の間に、この地域の足となる軌間600mmの小鉄道(いわゆるピリオン鉄道、下注)を敷いた。ヴォロス市内を走る路面鉄道に一部乗り入れながら郊外へ延長し、ミリエス Μηλιές / Milies まで29kmの路線としたものだ。これもヴォロス駅が起点だったので、その結果、3種の異なる軌間を走る列車が顔をそろえることになった。

*注 ピリオン鉄道については、本ブログ「ギリシャ ピリオン鉄道」で詳述。

港へ向かう一部区間では、3つの軌間が線路を共用する4線軌条が存在しており、証拠写真をウェブ上で見ることができる。饗宴は、標準軌が到来した1960年から11年間続いたが、自動車交通の普及に伴って小鉄道が1971年に休止されたことで終焉を迎えた。

■参考サイト
ヴォロス市内の4線軌条 http://apostolos.fotopic.net/p44916155.html
*注 その後このサイトに接続できなくなったため、あらかじめDLしておいた画像を下に掲載させていただく。

Blog_volos_quadruplegauge
ヴォロス市内の4線軌条 (c) Dimopoulos Apostolos

その後、ギリシャの幹線網整備は、1981年に加盟した欧州共同体(EC、現EU)からの財政支援を受けて再開された。メーターゲージのヴォロス~カランバカ間のうち、南北幹線と接続するパレオファルサロス以西を標準軌に転換する計画が決まり、2000年4月にカルディッツァ Karditsa、2001年1月に残るカランバカまでの全線が改軌された。

それに対して、幹線の東側のヴォロス~ヴェレスティノ~パレオファルサロス間は、改良の対象から外されてしまった。ヴォロスと幹線間の連絡機能をもっぱらラリッサに奪われて、輸送量の少ないローカル線と化していたからだ。そしてこの区間は廃止となり、ヴォロス駅の狭軌設備も2001年内に撤去された(図4段目)。

これが、テッサリア地方における鉄道の120年間にわたる栄枯盛衰の略史だ。かくして、ヴォロスに姿を見せるのは、標準軌の列車だけになった。しかし、地域の動脈であったかつての路線が完全に見捨てられてしまったわけではない。1996年からミリエスへ行く小鉄道の一部区間で、観光列車の運行が始まり、ゆくゆくはヴォロスまで全線を再建する予定になっている。ヴェレスティノ付近に残存するメーターゲージ線でも、愛好家たちがレールカーで特別運転を実施しているそうだ。

いったんは公式時刻表からも消え去った異軌間の列車だが、今、港町から少し足を延ばせばわけなく再会を果たすことができる。
(ピリオン鉄道については次回詳述する。)

■参考サイト
ギリシャ鉄道 http://www.ose.gr/
 英語版 "History" > "The Railway of Thessaly (STh)"
Wikipedia ドイツ語版「テッサリア鉄道 Thessalische Eisenbahnen」
http://de.wikipedia.org/wiki/Thessalische_Eisenbahnen

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