2008年7月10日 (木)

バルト三国の地図-エストニアの旅行地図

バルト三国で最も北に位置するエストニアの旅行地図は、EOマップ社 EOMapとレギオRegio社が多く手がけている。サンプル画像を見る限り、地勢表現を省略し、緑地に赤の道路を巡らせるといった地図のスタイルは、よく似ている。

レギオ社については、紙地図に関する情報がウェブサイトにもあまり載っておらず、詳しくは知らないが、全土をカバーする道路地図帳が、1:150 000(スパイラル綴じ)と1:200 000(平綴じ)の2種類ある。1枚もののレパートリーは10点程度のようだが、その中にタリン公共交通路線図Tallinna ühistranspordikaart / Public transportation map of Tallinn(縮尺1:25 000)が含まれているのが興味をそそる。これは、交通局の窓口などで配布しているような、道路網を描いた市街図の上にトラムやバスのルートを系統番号とともに描いたものだ。

一方、EOマップ社の道路地図帳は、全76ページの1:150 000区分図と1:20 000の主要市街図という構成だ。別に、1枚ものの区分図も刊行されていて、こちらの縮尺は1:200 000、全土を5面でカバーする。

Blog_estonia_saaremaa エストニアの行政区は、本土13郡(マーコンドmaakond)と西岸沖にある島嶼部の2郡(ヒーウマーHiiumaa=ヒーウ郡、サーレマーSaaremaa=サーレ郡)に分かれている。地名語尾のmaaは英語ならlandというような意味だ。先述の区分図では島嶼部2郡が1面にまとめられているが、筆者の手元にあるのはそれとは別の、サーレマーだけに的を絞った1:150 000の旅行地図だ(右写真)。カバーは赤をベースに、補色である濃緑の帯を入れた目立つ装いで、最近発行のものはこれで統一されている。用紙は合成紙を使用する。

エストニア最大の島、サーレマー(本島)は面積2,673平方キロで、神奈川県(2,416平方キロ)より少し広い。リガ湾Liivi Laht / Gulf of Rigaをふさぐように広がっていて、本土とは、ムフMuhu島を介してフェリーで連絡する。ソ連時代、西側諸国と対峙する閉鎖地域だったことでかえって素朴な風光が残り、それを好んで観光客が行き交うようになったのだそうだ。

EOマップの旅行地図も、道路網を見せるだけでなく、沼地、泥炭湿地、森林・低木林、空地といった地表の状況を描いて、土地のイメージを伝えようとしている。主題である観光情報については徹底的に記号化されて、その数は62個にもなる。見どころInteresting placesは、図上に連番で示され、図郭外に内容リストが載っている。リストや凡例集は、エストニア語のほか、フィンランド語、英、独、露語の5ヶ国語併記で、これを図中に書き込んでしまうと、非常に錯雑としたものになるに違いない。番号検索は不便に思えるが、地図に国際的な通用性を持たせながらも、すっきりと見せるための一つの方策なのだ。

裏面には、島随一の町クレッサーレKuressaareの1:15 000市街図(中心部は1:6 000)が載っている。この縮尺なら、町の前面を、4つの稜堡と3つの半月堡をもつ見事な城郭Linnusが守っている様子がよくわかる。本図にしろ拡大図にしろ、等高線のような地勢表現が一切ないことを除けば、過不足のないできばえだ。

EOMAP社は1991年末に設立、1992年に登記された会社で、官製地図の作成を請け負う技術力をもつ。現在は地理情報(ジオデータ)Geodata、販売Kaubanduse、土地測量センターMaamõõdukeskusの子会社3社を有し、ジオデータが地図の作成編集、販社が刊行と販売を受け持っている。販社はオンラインショップも開いているのだが、エストニア語版しかないので購入は難しい。それで筆者も、ラトビアのヤーニャ・セータ社に頼ることにした。

■参考サイト
レギオ http://www.regio.ee/
EOマップ  http://www.eomap.ee/
同社ショップ  http://www.eomap.ee/epood/ エストニア語のみ
EOマップ社が提供するタリン市街図 http://kaart.tallinn.ee/

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2008年7月 3日 (木)

バルト三国の地図-リトアニアの旅行地図

Blog_lithuania_briedis_indexmap リトアニア国内の旅行地図が必要なときは、ブリェディス社Briedisのカタログに当たれば間違いない。道路地図や市街図に関しては、ラトビアのヤーニャ・セータ社の品揃えも決して負けてはいないが、首都ヴィリニュスVilniusにあるブリェディス社は地元の強みを生かして、旅行者向けの地図を特に充実させているからだ。

リトアニアのエクスカーション適地は、東部の台地と西部の海岸沿いに大きく二分される。東部の一帯は、バルト高地Baltijos aukštumos / Baltic Highlandsと呼ばれる標高150~250m程度の高まりが、北東から南西にかけて横たわっている。森の中に氷河の置き土産である大小の湖が点在し、人々はキャンピングやウォータースポーツを楽しむためにやってくる。アウクシュタイティヤAukštaitija国立公園からモレタイMolėtai周辺、そして南部のズーキヤDzūkija国立公園あたりが中心だ。一方、バルト海に面した西の海岸線は砂浜がどこまでも続いている。夏の首都とまで言われるパランガPalangaや、弧を描く砂州の上に載るニダNidaは、バカンス客で賑わうリゾートだ。

旅行地図のシリーズはこれらのエリアをすべてカバーし、今のところ15種出ているようだ(上写真は旅行図裏面にある索引図の一部)。その一例として、アウクシュタイティヤ国立公園Aukštaitijos Nacionalinis Parkasを見てみよう(中写真)。折図の表紙と同じ面には、観光関連スポットの連絡先と図上位置を示す参照コードの一覧がある。余白に地図の凡例が付されているが、リトアニア語と英、独、露の4ヶ国語表記で、読み取りに不自由はない。

Blog_lithuania_aukstaitija 地図は中面を全面使って、対象となる国立公園のほぼ全域を収めている。縮尺が1:50 000で感覚的に使いやすいだけでなく、10m等高線と標高点が記入され、植生も森林、畑地、採掘・処分場、泥炭湿地、沼地と細分化されて、地形図としても使えるのがいい。もちろん、観光情報は案内所、宿、休憩所、キャンプサイト、貸しボート、釣り場などの記号が設けられ、ハイキングやサイクリングルート、自然観察路Botanical path、それにカヌーやボートの愛好者のために水上ルートが湖や小川を縫うように描かれている。

筆者がブリェディスを推奨する理由は、まだ他にもある。それは、同社の市街図シリーズの半数以上に添えられている、鳥瞰図形式のイラストマップだ。ラトビアの項でリガ旧市街の絵図を紹介したが、おそらく同じ作者によるものだろう、やわらかいペン画に水彩や色鉛筆で彩色した、どことなくひなびた風情も漂う味わい深いイラストが、旅心を誘う。歴史都市カウナスKaunas、西海岸のクライペダKlaipeda、保養地パランガと琥珀の浜シュヴェントーイPalanga ir Šventoji、芸術都市パネヴェジースPanevėžys、どこでも鳥になった気分で図上散歩ができる。首都ヴィリニュスはないのかと思ったら、こちらは別の意匠の表紙で「日帰りヴィリニュスOne Day in Vilnius」と題した専門地図になっていた。しかも英語版とロシア語版の2種が用意されている。

Blog_lithuania_trakai_2 観光地も例外ではない。ヴィリニュスの西約30kmにあるトラカイTrakaiは、湖に浮かぶ小島に築かれた古城で有名だ。絵図は通常とは逆の、北から眺める形をとり、美しいシチュエーションを現実以上にロマンチックに描きあげている。親切にも城内の拡大図や歴史解説もついているので、携行するのにこれ以上望むものはないだろう(右写真はその表紙)。同様の地図は、世界遺産登録で旅行者が増加しているクルシュー砂州Kuršių Nerija / Curonian Spitのニダについても、刊行されている。

リトアニア語のブリェディスbriedisは、ヘラジカElk, Mooseのことだ。シベリアから北欧にかけての森林地帯に広く生息しているヘラジカは、掌のように枝分かれした角と立派な体格で、森の王と言われる。同社の商標にあしらわれた雄雄しいシルエットは、創業者の地図出版にかける思いを託したものかもしれない。実り豊かな成果物の数々を前にすると、その心意気がひしひしと伝わってくる。

■参考サイト
ブリェディス社 http://www.briedis.lt/ リトアニア語のみ
ヤーニャ・セータ地図店(英語版) http://www.karsuveikals.lv/en/
 各市街図のページに入ると、鳥瞰図のサンプル画像も見られる。
アウクシュタイティヤ国立公園 http://www.anp.lt/
トラカイ(英語版Wikipedia)http://en.wikipedia.org/wiki/Trakai

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2008年6月26日 (木)

バルト三国の地図-リトアニアの地形図

リトアニアの測量機関である空中測地研究所Lietuvos aerogeodezijos institutas / Lithuanian Institute of Aerial Geodesyは、百数十年に及ぶ現リトアニア領の地形図の歴史をたどるサイト「リトアニア領の地形図Topografiniai žemėlapiai Lietuvos teritorijai / Topographic maps of Lithuanian territory」を開設している。見かけはそっけないが、内容はたいへん興味深いものだ。
■参考サイト
リトアニア領の地形図 http://www.agi.lt/topo/

各ページに、地図索引図Žemėlapio lapų išsidėstymo schema、サンプル地形図Topografinio žemėlapio pavyzdysのリンクが用意されている。説明は残念ながら全てリトアニア語表記なので、筆者には読み取れないが、収められた地図資料によって大要は把握できる。大見出しに沿って紹介すると、

1. Carinės Rusijos žemėlapiai
2. Vokietijos išleisti žemėlapiai
第一次大戦までリトアニアの国土の大部分はロシア領で、クライペダKlaipeda(ドイツ名メーメルMemel)以南のバルト海沿岸がドイツ領東プロイセンだった。項番1は当時、ロシア帝国が作った地形図だ。1:21 000、1:42 000などという半端な縮尺になっているのは、ロシアの伝統的な度量衡に拠っているためで、地図に表示された距離の単位はサージェンсажень(約2.1m)、500サージェンが1ヴェルスタверста(約1.1km)となる。1:21 000は、図上1デュイムдюйм(2.54cm)が実長250サージェンを表す。
項番2の標題はドイツ製地図という意味で、サンプル図は主として1910年代の日付が入っている。

3. Antrojo pasaulinio karo laikmečio vokiečių žemėlapiai
1940年代のドイツ軍用地図で、タイトル部分に公開不可nicht für die Öffentlichkeit bestimmt、内部専用Nur für den Dienstgebrauchなどの注記がある。1:100 000には、バルト三国とベラルーシを含む地域の呼称だったオストラント(東部地方)Ostlandの名が見られる。ソ連とドイツに交互に占領されて多数の犠牲者が出た受難の時期だ。

4. Lenkijos išleisti žemėlapiai
5. Lietuvos topografiniai žemėlapiai
6. Latvijos išleisti žemėlapiai
7. Sovietų Rusijos išleisti topografiniai žemėlapia
第一次大戦と第二次大戦にはさまれたいわゆる戦間期の地形図が集められている。項番4は首都ヴィリニュスVilniusを含むリトアニア東部に関するポーランド製軍用地図だ。この地域は当時、ポーランドの占領下だったため、リトアニアの首都はカウナスKaunasに置かれていた。
項番5はリトアニア自身が作成した地形図で、1:100 000の索引図を見ると、作成範囲はポーランド占領地を含んでいる。項番6は北隣のラトビアが作成した国境付近の地形図だ。
項番7はソ連製の地形図で、一部には項番1の時代からの改訂履歴が残る。縮尺はメートル法に変わっている。

8. Sovietų Sąjungos išleisti topografiniai žemėlapiai
9. JAV išleistas žemėlapis
項番8は第二次大戦後、ソ連時代の地形図で、1:5 000から1:1 000 000まで徹底的に整備されていたことがよくわかる。用意されたサンプル図は1980年代のものが多い。
一方、項番9は、アメリカ国防省地図作成局Defence Mapping Agencyが作成した1:50 000だ。最も有用な資料から1981年に編集したとあり、冷戦期の諜報活動を垣間見る思いがする。左下に「合衆国政府はリトアニアのソ連への編入は承認していない」という注記が見える。図名のカプスカスKapsukasは南部の町だが、再独立後、旧名のマリヤーンポレMarijampolė(聖母マリアの町)に戻された。

Blog_lithuania50ksatellite10. Lietuvos topografiniai žemėlapiai
11. Lietuvos topografiniai žemėlapiai (LKS-94 koordinačių sistemoje)
リストの最後が現代のリトアニア地形図で、項番10はソ連図をベースに改訂を加えた第1期、項番11は新たな座標系に準拠した第2期(現行図)を示す。

第1期のうち項番10.3は、他のバルト諸国の項でも紹介した衛星写真地図Kosminio vaizdo žemėlapisで、今も入手できる(右写真は首都ヴィリニュス、1998年版)。サンプル図は国土の西端に近いシルーテŠilutėで、右端に見える水面は、砂州(図郭外)によりバルト海と隔てられている内海、クルシュー海Kuršių marios / Curonian Lagoonだ。図の中央にあるシルーテの町は、オレンジ色の塗りの下からモノクロ写真が透けて見えるため、重くて暗い表情をしている。市街地には主要道路と鉄道、それに教会が1つ描かれているばかりで、情報量は乏しい。衛星写真の上に比較的低精度のディジタルマップを重ねたこの地図は、地形図整備が進んだ今となっては古めかしくなってしまった。しかし、旧体制の崩壊で基本図の維持体制が空洞化したあの時代には、国土開発のために必要なインフラだった。

Blog_lithuania50k 過渡的な第1期に比べると、項番11の2種の現行地形図は、精度が高いだけでなく、見るからにスマートさが感じられる。市販用1:50 000は厚紙のカバーまでついている(右写真)。

1:50 000のサンプル図を見ると、森林に地籍図のような境界と地番らしき数値が付されているのに気づく。この表示は数値化を徹底的に行うソ連図にあったものだが、現在は他国の同縮尺図には見られず、ここだけに残っている。一方、配色は地味だ。市街地はグレー、道路は茶色で塗られ、せっかくの明るい黄色は、目立たない里道だけに使われている。
第1期からの大きな変更点は、測地基準が切り替えられたことだ(リトアニア測地系 LKS-94)。図郭も全く異なり、測地系に合わせて1:10 000は5km四方、1:50 000は25km四方のサイズとなった。図番体系は1:10 000の図郭が基準で、西から東へ、南から北へ番号を振る。サンプル図を例にすると、1:10 000の79/32は、西から79列め、南から32行めの交点で、ヴィリニュス市の東端に当たる。同様に1:50 000の50-54/30-34は、50~54列と30~34行の交点の図郭を表している。

リトアニアの地形図の作成元、空中測地研究所の前身はソ連時代に遡る。航空写真を使って農地改革に必要な地籍図を作成するために、1950年に設立された国営企業だ。ソ連から独立した1991年に、国立空中写真測地研究所National Institute of Aerial Photo Geodesyとなり、一貫して国の基本図作成業務を担ってきた。1996年には政府出資会社に再編されて、現在に至っている。

■参考サイト
リトアニア空中測地研究所 http://www.agi.lt/
「官製地図を求めて」 リトアニア
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_lithuania.html

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2008年6月19日 (木)

バルト三国の地図-ラトビアの地方図・市街図

ラトビアの首都リーガRīgaは、ドイツ騎士団によって築かれた町だ。騎士団の保護のもとに宣教師や商人が集まり、ハンザ同盟にも加わって内陸部との交易の中心となった。旧市街は、ベラルーシから流れてきたダウガヴァ川Daugavaに面し、反対側は川の水を引く堀(都市運河Pilsētas kanāls)で守られた城塞だ。ドイツ・ゴシックの街並みで世界遺産に登録されている旧市街の一角に、古い煉瓦の城壁が保存されていて、アーチの入口をくぐると、中世の面影を残す石畳の小ぢんまりした広場がある。すぐそばの聖ヨハネ教会にちなみ、ヤーニャ・セータJāņa Sēta(聖ヨハネの中庭)と呼ばれる。

表紙を黄色と紺色に塗り分けた地図で知られる出版社の名は、これを戴いたものだ。ラトビアとリトアニアの詳しい旅行地図を求めようとすると、必ずこの名に行き当たるほど、出版社はこの地域を代表する存在に成長している。リーガ市内では同じ名称の地図店も有名で、バルト諸国の地図や旅行書を揃えるなら、見過ごすわけにはいかない。

Blog_latvia_rigasrajons ヤーニャ・セータ地図出版社Karšu izdevniecība Jāņa Sētaが刊行する一般利用者向けの主力商品は、地方図Reģionālās kartes だろう。縮尺1:200 000の6面でラトビア全土をカバーしているし、リトアニアも1:200 000~1:250 000で全土が揃う。さらに詳しい1:100 000は州別のシリーズRajona Karte / Map of Regionで、ラトビア26州を網羅しているわけではないが、官製図に欠けている縮尺のバラエティを補う役割を果たしているのは事実だ。

その一つ、「リーガ州Rīgas Rajons」を見よう。両面刷りのおもて面は、縮尺1:100 000の州全体図で、見栄えは調和感がある一方、メリハリもついていて悪くない。その理由は、画面全体を支配しているアップルグリーンの樹林域に対して、オレンジと黄の道路網が画面をうまく引き締めているからだ。蚕食が進んではいるが樹林はまだ比較的豊富で、この国の主要産業の一つが木材加工であることが思い起こされる。

国土がおおむね平坦という事情もあるのだろうが、同社のすべての地図を通して、等高線やぼかし(陰影)などの地勢表現は一切入っていない。しかし、土地は東に向かって緩やかに高まって、図の東端にある町シグルダSiguldaですでに標高100mほどある。すぐ西を流れるガウヤ川Gaujaが平原を侵食して、深さ70~80m、幅1kmほどの谷を造っている。地図の上でもここだけは崖の記号が連続して、変化の大きい地形であることを示している。ちなみに、町から川の対岸にあるクリムルダKrimuldaの城跡まで、谷の上を横断するロープウェイで空中散歩を楽しんだあと、古城と洞窟のある森の中を散策できる。

Blog_latvia_riga 州全体図の周囲と裏面には、主な町の拡大図が所狭しと並び、地名索引、観光地ガイド(ラトビア語のみ)と、1枚ものの地図としては情報が盛りだくさんだ。しかし、この地図には残念ながら首都の拡大図は載っていない。それは、リーガ市が政府直轄の独立した行政区域になっているからだ。

ヤーニャ・セータ社はラトビアとリトアニアの市街図も多数刊行していて、リーガ市に関するものが何種類もカタログに載っている。筆者の手元にあるのは、市域の大部分を1:20 000、中心部を1:7 000で描いた「リーガ市街図Rīga pilsētas plāns」で、厚紙カバーと地名索引が付された片面刷りの折図だ。この図は、先述の地域図に比較すると、薄めの色を多用している。主要街路は赤の縁取りに黄色の塗りがあるのでまだしも、路地は市街地のベタ塗りにほとんど埋没してしまっている。書き込みをするにはいいが、実際に移動しながらでは読み取りにくそうだ。バスやトロリーバス、路面電車の市内交通網も表現するために、塗りのインパクトを抑えようとしたのかもしれないが、全体としては眠たげな印象の地図になった。

Blog_latvia_riga_panorama 一方、リトアニアのブリェディス社Briedisが作る旅行地図の一つに、「日帰りリーガOne day in Rīga」というのがある。旧市街Vecrīgaを俯瞰するイラストマップで、表紙にも中身の一部が抜粋されているから、これで全体を想像していただこう。絵図の中央に他を圧する大きさで鎮座するのは聖ペテロ教会、その左下に隣接する茶色の屋根が、冒頭で触れた聖ヨハネ教会だ。タイトルでもわかるように、これは完全英語版(地名はラトビア語併記)なので、裏面に載っている観光案内も理解できるし、添えられた1:10 000市街図もヤーニャ・セータ版より色遣いが明快で、使いよい。リーガ観光にはこれが最適かもしれない。

これらの地図は、ヤーニャ・セータ地図店のオンラインショップで購入できる。

■参考サイト
ヤーニャ・セータ地図出版社 http://www.kartes.lv/
ヤーニャ・セータ地図店(英語版) http://www.karsuveikals.lv/en/
ヤーニャセータ社が提供するラトビア地図サイト uzkartes
http://www.uzkartes.lv/

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2008年6月12日 (木)

バルト三国の地図-ラトビアの地形図

世界地図ではほんの小国に見えるラトビアLatviaだが、面積は64,589平方キロとオランダやスイスの1.5倍、身近な比較では北海道の8割近くの広さがある。筆者にとっては、別項で紹介するヤーニャ・セータ社の旅行地図が手元にあったことや、官製の地図成果がウェブで公開されていたことで、バルト三国の中でも近しい存在だった。

まず、そのウェブ版官製図を見ていただこう。
■参考サイト
ラトビア観光情報サイトviss.lv  http://viss.lv/latvija.php

最初に表示されるラトビア全図Latvijas karteで任意の場所をクリックすると、詳細図が現れる。これは家の記号で示される宿泊施設をはじめ、さまざまな観光スポットの位置を確認するためのツールだが、ここで言及したいのは地図そのものだ。一見、概略的な印象があるが、よく見ると10m間隔の等高線が入り、交通網ばかりか地物や植生もきちんと描かれ、無料閲覧用としては立派なものであることがわかる。地図に、国の測量局である「国土サービスValsts zemes dienests / State Land Service」のコピーライトが添えてあることで、ソースが官製であることがはっきりする。

Blog_latvia50ksatellite 実は、このディジタルマップと衛星画像を重ね合わせた、前回のエストニアと同じような地図シリーズ(右写真)が市販されているのだ。ラトビアでも全土をカバーしている地形図(印刷図)の縮尺は1:50 000だが、やはり衛星地図satelītkarte と地形図topogrāfiskā karteの2種類が存在する。しかも本来応急版の位置づけだったはずの前者が、今も更新され続けているというのが興味深いところだ。

衛星地図の初版は1994年に刊行が開始され、1998年に全国131面が揃っている。その年に正式版地形図(民生用)が現れたので、これが全土を覆うころには衛星地図は廃刊かと思われたが、2002年に第2版として6面が改訂されたのを皮切りに、2007年現在で71面まで切り替わったという。第2版でも図式の変更はほとんどないが、主要データであるディジタルマップは全面的にベタ塗りされているので、衛星画像がほとんど裏に沈んでしまい、生で見えるのは産業地区だけだ。市街地にはコーラルレッドが配され、ウェブ版に比べても落ちついた色調に調整されている。

Blog_latvia50k では、完成度を高めた衛星地図に対して、地形図はどのような特徴があるのだろうか。両者は図郭、図番体系とも同じなので並べてみると、地形図のほうが情報量の点で優れていることは明らかだ。前者で写真のままだった産業地区の建物が図化されているのは当然として、居住地や耕作地の描写も詳細になり、等高線は10m間隔で変わらないが補助曲線を多用して、微細な地形を表現している。それでもなお、写真地図の更新を維持しようとしているのは、ディジタルマップとしての汎用性とともに、直感的な識別性で地形図を補う機能があると考えているのだろう。地形図を読み込むには少々慣れが要るが、衛星地図は一瞥で土地の概要がつかめるからだ。

地形図も第2版の刊行が進んでいて、2008年5月現在で北西部を中心に28面が切り替えられた。新版では市街地の配色が、グレーから写真地図と同じコーラルレッドに改められ、図全体の印象が明るくなった(右写真は第2版)。

Blog_latvia10k さらに大きい縮尺の地形図として、2002年に1:25 000が6面試験刊行されたが、広域整備には至らなかった。それに代わるのが、2001年から順次拡大されてきた1:10 000地形図だ(右写真はリーガ旧市街)。最初は各地域の資料を使った簡易版を作ったようだが、現在では正式版が、ロシアやベラルーシとの国境地帯、首都周辺、地方都市などで完成している。地方都市の中心部は正規の図郭にこだわらず集成図とするなど、利用者本位の編集が図られている。

ラトビア共和国国土サービスLatvijas Republikas Valsts zemes dienests / State Land Service of the Republic of Latviaは、再独立後間もない1992年に設立され、その後再編を受けながら、同国の測地と地図作成を担ってきたが、2005年12月にラトビア地理空間情報局Latvijas Ģeotelpiskās informācijas aģentūra / Latvian Geospatial Information Agencyが新設されて、機能が移管された。地形図には国土のシルエットをデザインした新組織のシンボルマークがついている。

なお、ラトビアのリーガにあるヤーニャ・セータ社Jāņa Sētaのオンラインショップで、これら民生用の官製地図を販売しており、国外からも購入できる。

■参考サイト
ラトビア地理空間情報局 http://www.lgia.gov.lv/
「官製地図を求めて」ラトビア
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_latvia.html
 関連サイト等をまとめている。

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2008年6月 5日 (木)

バルト三国の地図-エストニアの地形図

北欧の内海、バルト海Baltic Seaを奥へたどると、ストックホルム沖で二手に分かれる。東側の湾入をフィンランド湾というが、その南岸はエストニアEstoniaが占めている。フィンランドの首都ヘルシンキとエストニアの首都タリンTallinnは海を隔てて80km強の距離しかなく、高速艇を使えば日帰り観光ができるほど近い。

Blog_estonia20k エストニアの地形図のサンプルとして、そのタリンを含む数葉を購入した。普通に入手できる最大縮尺は、1:20 000基本図Eesti põhikaart / Estonian Basic Map(写真右)だ。北方の海を想わせる涼しげな緑青の表紙には、国章である金の盾と3頭の青いライオンの傍らに、この国の測量機関であるエストニア国土局Eesti Maa-amet / Estonian Land Boardの名が記されている。地形図の紹介が国土局のホームページにあった(以下、英語版から引用)。

「エストニアの基本図は全土をシームレスにカバーするディジタル地形データベースで、道路、送電線などのユティリティ、居住地、水系、地形、地名および土地利用に関する情報を含んでいる。精度と内容は縮尺1:10000の地図に相当するものだ。」
「印刷図は1:10 000デジタルデータから1:20 000に編集したもので、作成過程は1996年以降、完全にディジタル化されている。(略)1997年に、国土全域のオルソフォトとベクトルデータベースが完成したが、同時に資源の集中化を図るため、印刷図は最もニーズの高い地域のみ作成するという戦略的な意思決定がなされた。その要求に応えて、2002年に、新しい印刷図のレイアウトがエストニア国防軍と共同で設計された。国防軍はその後、多数の図幅を作成し、作業が完了したものから、ディジタルデータを地図にプロットして頒布できるようになった。2007年の第3四半期までに、全部で339面の基本図が刊行されている。」

地形図は原データに50%縮小をかけただけあって、2.5m間隔の等高線や土地利用区分、工場建物の正確な形状など、かなり精密な描写が施されている。しかし、国土局の手になるのは、2006年現在で主に東南の内陸部や西の島嶼部(ヒーウマー島Hiiumaa、サーレマー島Saaremaa)などに限られており、残る地域は索引図に載っていない。別の資料ではバルト海沿岸部一帯が国防軍の担当区域になっているが、一般人に入手可能かどうか定かでない。それで、刊行図で全土を見ようとすると、もう一段縮尺を小さくして1:50 000に頼らなければならない。

Blog_estonia50ksatellite 右の写真は国土局の1:50 000で、ベースマップBaaskaart(上記のBasic Mapと区別しにくいので英語名称のままにしておく)と称しているが、表紙に併記されているように内容は衛星写真図Satelliit-fotokaartだ。1991年の主権回復後、短時間で地理情報基盤を整備するため、1:50 000相当のやや粗い精度でディジタルマップが作成された。これに、スウェーデンの技術協力によるSPOT衛星画像を重ね合わせたものだ。森、湿地、耕地などを色面で区分しているので土地利用図のように見えるが、10m間隔の等高線が入り、地形図の性格も失ってはいない。とはいえ、黒ずんだ画像に主要街路のみを上書きした市街地の簡易な描写がどうしても目につき、急ごしらえの印象は否定できない。

実はエストニアの1:50 000にはもう一つのシリーズ(写真右下)が存在するが、不思議なことに国土局のホームページでは一切扱われていないのだ。ちなみに国土局の地図作成は1:20 000がEOマップ社、1:50 000ベースマップはエストニア地図センターEesti Kaardikeskus / Estonian Map Centreに業務委託されている。この別の1:50 000シリーズの表紙にも同じセンターのロゴがあるが、その上に紫で書かれたEesti Päevalehtは、エストニアの新聞社の名だ。同社のホームページで地形図の国内向け販売を行っているところから推測すると、地図センターが製作し、新聞社が発売元となっているようだ。

Blog_estonia50k このように、官製図の範疇からは外れるのだが、内容は「エストニア軍用地図および国土局基本図資料を使用して編集」という注記の期待にたがわず、上記のベースマップとは比較にならない本格的なものだ。1:20 000と照合すると、市街地の総描化は当然のこととして、その他の地物はおおよそ忠実に再現されていることがわかる。平坦な地形を反映して等高線間隔は5mで、微細な起伏も表現されている。ただ1つ決定的に違うのは図郭の切り方で、官製図が一貫して測地系の座標で区切っているのに対して、こちらは緯度20分、経度30分の経緯度で分割しており、そのため方位が微妙にずれてくる。折り方が横長34.5cmと極端に細長く、筆者としては収納に少々困るが、些細なことを傍らに置けば、高い精度で全土をカバーするという点から、エストニアの事実上の基本地図と言っても過言ではない。

Blog_estonia_maplegend ところで、官製1:20 000と民間の1:50 000、製作者も仕様も違う2種の地形図に、ある共通点を見出せる。それはコントラストを際立たせた色使いだ(写真は両者の凡例)。濃茶で塗りつぶされた道路や、鮮やかな紫の市街地など独特の外見は、湾を隔てて隣り合うフィンランドの地形図の派手な紙面を連想させる。これも地域色というべきだろうか。

■参考サイト
Eesti Maa-amet エストニア国土局 http://www.maaamet.ee/(英語版あり)

「官製地図を求めて」エストニア
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_estonia.html

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2008年5月29日 (木)

バルト三国の地図-序章

Blog_balticstates_map バルト三国とまとめて扱われることはあっても、エストニア、ラトビア、リトアニアという国名、さらには三国の地理的な位置関係を知っている人はどれくらいいるだろうか。正直なところ筆者も正確に言う自信はなかった、少なくともこの本を読むまでは。志摩園子氏の「物語 バルト三国の歴史」(中公新書, 2004年)は、ドイツとロシアの勢力が常に拮抗してきたバルト海の東南岸で、三国のフレームが形づくられていく過程を明解に説き起こしている。筆者の理解した範囲では、三国を区別する主な要素は宗教と言語のようだ。

最も北に位置するエストニアと中央にあるラトビアは、古くはリヴォニアLivoniaと呼ばれてドイツ騎士団の入植により開発が進んだ地域だ。現在首都となっているタリンTallinn(旧名レヴァルReval、独語読みはレファル)やリーガLigaは、13世紀からハンザ同盟に加盟して、バルト海を仲立ちとする東西ヨーロッパの交易の拠点として栄えた。特権階級であったバルト・ドイツ人の影響でプロテスタント(ルター派)の勢力が強い。

一方、南のリトアニアは、隣国ポーランドと歴史を共にすることが多かったため、カトリックが主流を占める。首都ヴィリニュスVilniusに他の2首都のような天を衝くゴシック教会の尖塔が見えないのは、そのためだ。しかし、言語分布はまた別で、ラトビアとリトアニアがインド・ヨーロッパ語の系統(バルト語派)なのに対して、エストニアは全く出自の違うウラル語族で、対岸のフィンランド語に非常に近いという。

すなわち、三国(とその主要構成民族)の特徴を端的に示すと、
エストニア:プロテスタント、ウラル語族
ラトビア :プロテスタント、印欧語族
リトアニア:カトリック、印欧語族
ということになる。

しかし、現在のような3つの国家としてまとまったのは、それほど昔の話ではない。18世紀、この地域は、プロイセンの領土となったリトアニア沿岸部を除いて次々とロシア帝国の版図に組み込まれ、県(グベールニヤгуберния)単位の地方行政が敷かれていた。第一次大戦でドイツに侵攻されると、片やロシアでは社会主義革命が勃発する。混乱のさ中、ソヴィエト・ロシアは、1918年にドイツを含む同盟国側と結んだ休戦条約で西部の領土を放棄し、三国は独立を果たすことができた。

国際連盟のメンバーでもあった自主国家の歴史は、不幸にも20年余りで中断する。1939年、ドイツとの秘密協定で三国を影響下に置く合意を得たソ連が、1940年、強制併合に踏み切ったからだ。第二次大戦中はナチスドイツに占領されたものの、その敗退後は再び連邦内にとどめられ、疲弊した国土の復興に合わせてロシア人の混住が進んだ。

1980年代の終わりから本格化した民主化の機運は、1990年のリトアニアによる独立宣言へと発展する。ソ連軍の介入を受けたものの、1991年8月、モスクワでのクーデター失敗を契機に、一気に三国の主権回復が実現した。社会主義のくびきを脱した三国は、西欧諸国との強調路線に舵を切り、2004年にNATO、EUへの加盟を果たしたことは、私たちの記憶に新しい。

激動の現代史を反映して、この地域の地図作成も1990年前後を境に大きく変化した。ソ連時代は、連邦の測量機関により、1:1 000 000(100万分の1)といった広域図から1:10 000の市街図まで徹底した基準で整備されていた。軍事機密として一般市民の目に触れることのなかった膨大な資料の片鱗は、現在、下記の記事に引用したサイトで閲覧することができる。

■参考サイト
本ブログ「旧ソ連軍作成の地形図 II」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2008/04/ii_fa28.html

独立後は、技術者が去って半壊状態になった旧体制の組織を立て直すことからのスタートだった。最初に手がけた地形図は1:200 000で、ソ連図を利用して、エストニアでは1992年、ラトビアも翌年に完成している。国土の基本図としては詳細な地形図が必要だが、正式測量を実施するには時間と費用を要するため、三国の測量局が協調して、まず縮尺1:50 000の写真地図が作成された。スウェーデン宇宙公社Swedish Space Corporation(SSC)から提供された衛星画像のオルソフォトをベースに、ソ連が残した地形図や新たな現地調査の成果を加えて編集したものだ。地図記号など内容表現は少しずつ違うが、図番体系は三国共通だった。

現在では正式測量成果を編集した1:50 000も刊行され(ラトビアは写真地図も更新しているようだが)、さらに大縮尺の地形図整備が進んでいる。ソ連時代のような画一的な地図に比べると、ずいぶんと個性が感じられる仕様になってきた。これから数回にわたって、バルト三国で作られている官製と民間出版の地図を、筆者の手元にあるサンプルで見ていくことにしたい。

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2008年5月 8日 (木)

ロシアの鉄道を地図で追う

以前、旧ソ連軍参謀本部が作成した地形図でユーラシア大陸を西から東へと旅したが、今回はロシアの大地を疾駆する鉄道の軌跡に的を絞ってレポートしてみよう。(Map images courtesy of maps.vlasenko.net)

Blog_genshtab_murmansk世界最北端の鉄道
ムルマンスク
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-115_116.jpg ほか1面
ペチェンガ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-36-087_088.jpg
1:100 000(×80%)
旅客列車で行ける北端の駅として有名なのが、ロシア北西部のムルマンスクМурманск / Murmanskだ。駅の位置は北緯68度58分。サンクトペテルブルクのラドジスキー駅からここまで1438km、約28時間かかる。レールはさらに北に延びて、北緯69度5分のセヴェロモルスクСевероморск / Severomorskの港に達する。
Blog_genshtab_pechengaしかし、最北端はここではない。ムルマンスク・ニケリ鉄道で西へ150km進んだペチェンガПеченга / Pechenga付近にある。地形図で見る限り、その北6kmにある湖のほとりが鉄路の最果てで、69度37分の緯度を示す。D. Zinoviev氏の鉄道地図ではペチェンガ湾に面する漁港リイナハマリЛиинахамари / Liinakhamariの名が付されている。ムルマンスク・ニケリ鉄道はニッケル鉱山のための貨物鉄道で、旅客輸送もしているようだが、ペチェンガへの支線(線形から判断するとこちらが先に開通したと思われる)は貨物専用だ。
コラ半島はノルウェーと国境を接し、不凍港のため軍事施設が点在する地域だが、1:50 000地形図が堂々と閲覧に供されている(本稿では1:100 000を使用)。
■参考サイト
Кольские карты / Kol'skiy maps http://biarmia.narod.ru/
コラ半島に関する地図サイト。地形図(vlasenko.netとは別ソース)や古地図の画像がある。英語版あり。ムルマンスク付近は "Kola bay 1:50 000" のページで見ることができる。

Blog_genshtab_talnakh http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/r-45-23_24.jpg
1:100 000(×60%)
最北から2番目は、エニセイ川河口に最も近い港町ドゥディンカДудинка / Dudinkaから、ノリリスクНорильск / Norilskを経て、タルナフТалнах / Talnakhに通じる産業鉄道で、延長約120km、他の鉄道と接続のない孤立線だ。終点タルナフはニッケルなどを生産する鉱業の町で、北緯69度30分。これらの町は現在、外国人が立入れない、いわゆる閉鎖都市に指定されているので、図上旅行以外に方法はない。

Blog_genshtab_zsarsfinger 「皇帝の指」カーブ
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-042.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/o-36-054.jpg
1:100 000(×80%)、挿図は1:1 000 000
モスクワとサンクトペテルブルク間649.7kmの幹線は、1851年にロシアで2番目に開通した古い鉄道だ。ロシア革命以前は、建設を命じた皇帝ニコライ1世にちなんで、ニコライ鉄道Николаевская железная дорогаと呼ばれていた。鉄道は両都市間をほぼ最短距離で結んでいるが、ただ1個所、サンクトペテルブルクから200kmの地点に妙な曲線が設けてあった。言い伝えによると、皇帝は最初に設計者の描いたルートが気に入らず、自ら地図の上に定規で直線を引いた。そのとき、置いた指の周りをなぞったために、そこだけ線が歪んでしまった。怯えた設計者は指摘もできず、線路はそのまま曲げて建設されたのだという。
しかし、伝説が作り話であることは、1:100 000地形図を見れば明白だ。盛り土と切り通しの直線的な連なりが当初のルートを示している。事実、この迂回線は、4連の機関車を必要とした急勾配を解消する目的で、開通から26年後の1877年に完成したものだ。しかし2001年に、列車の高速化を進めるために再び直線に戻されて、距離が5km短縮したそうだ。

Blog_genshtab_uralウラル山脈の欧亜境界
http://download.maps.vlasenko.net/smtm50/o-41-109-1.jpg
1:50 000(×80%)、挿図は1:1 000 000
シベリア鉄道がウラル山脈を乗り越える地点に、ヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスクが建っている。車窓から見える一瞬のシャッターチャンスを狙う旅行者も多い。
幸運にもこの辺りは1:50 000地形図が使えるので探してみると、ペルヴォウラルスクПервоуральск / PervouralskとスヴェルドロフスクСвердловск / Sverdlovsk(現名称はエカテリンブルクЕкатеринбург / Yekaterinburg)の間、370mの等高線を線路が横切るところ(図に矢印)に、"Вершина" すなわちサミットの注記がある停留所(?)と記念碑の記号が見つかった。広域図と照合すると、変哲のないなだらかな鞍部の西側はカスピ海に注ぐボルガ川水系、東側は北極海に流れ下るオビ川水系で、実に雄大な分水嶺なのだった。

Blog_genshtab_baikalバイカル湖を廻る鉄道
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/n-48.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/m-48.jpg
東をめざすシベリア鉄道は途中、バイカル湖によって行く手を阻まれる。現在のルートはイルクーツクから南下して湖の西端に達するが、1905年に完成した初期のルートはアンガラ川を遡り、湖岸にぴったり張り付いて、湖を半周していた(詳細は下記の記事にて)。
■参考サイト
本ブログ「バイカル環状鉄道」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2008/04/post_bf18.html

Blog_genshtab_severomuysky バム鉄道、ロシア最長のトンネル
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/o-49-36.jpg
1:200 000(×100%)
第2シベリア鉄道ともいわれるバム鉄道БАМ / BAM(正式名はバイカル=アムール幹線Байкало-Амурская Магистраль)で、バイカル湖畔から東へ約300km。セヴェロムイスキー山脈を貫く同名のトンネルСеверомуйский туннель / Severomuysky Tunnelは、1977年に着手され、永久凍土を掘り進む難工事の末、2003年にようやく開通した。15343mあり、ロシアで最も長い。
トンネルの完成までは標高1100mを越える峠の上を越えていたが、旧線は40‰の急勾配があり、補助機関車を必要とする難所だった。貨物優先のため、乗客は峠の手前で降ろされ、20kmの未舗装道を車で運ばれたという。1989年、勾配を18‰以下に抑えた迂回路が完成して、旅客列車も走るようになった。しかし、悪魔の橋Чёртов мостと呼ばれる橋梁をはじめとして急カーブが連続し、依然としてツンドラ地帯の峠道が運行上の隘路であることに変わりはなかった。新トンネルの開通により、2時間半かかったこの区間の所要時間が、わずか15分に短縮された。
この付近は1:100 000が閲覧できるのだが、1978年編集のため、新トンネルが予定線として描かれているばかりで、旧線の姿はなかった。1:200 000は1986年に編集されており、改良前の旧線と工事中のトンネルとの関係がわかる。改良後の旧線ルートは資料がないため、衛星画像を参考に筆者が書き込んでみた(図のimproved old line)。
■参考サイト
改良後の旧線の現場写真 http://bam.railways.ru/eng/egalery.html

Blog_genshtab_khabarovsk大河アムールを渡る
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-33.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-53-34.jpg
1:200 000(×80%)
東方をめざすシベリア鉄道の列車はアムール川Амур / Amurを長大鉄橋で渡って、ロシア極東で2番目の都市、ハバロフスクХабаровск / Khabarovskに到着する。1916年に完成した18連のトラス橋は、長さ2590mで当時としてはユーラシア大陸最長だったが、1999年に、長さ2612mの新しい道路併用橋に架け替えられた。地図に描かれているのはもちろん旧橋で、川幅が最も狭まる地点に架橋されていることがわかる。前後の奔放な流路は、広範囲を収める1:200 000の図郭さえもはみ出す勢いだ。
ちなみに、戦略上の理由で、橋に並行する河底トンネル(長さ7km以上)が1942年に完成し、上り線として使用されてきた。地形図には記載がないが、ハバロフスク側の入口は、橋の東のたもとにある短いトンネルの南側と思われる。川岸に背を向けた行き止まりの側線が描かれているが、衛星画像によると、この先にトンネルのポータルが推定される。

Blog_genshtab_sakhalin サハリン島のループ線
(引用したのは1:100 000のI-54-033、I-54-045だが、vlasenko.netには該当図幅の画像がないため、maps.poehali.orgの画像を使用した)
1:100 000(×80%)
サハリン島南部、ユジノサハリンスクЮжно-Сахалинск / Yuzhno-SakhalinskとホルムスクХолмск / Kholmskを結ぶ南部横断線は、日本領樺太であった1928年に豊真線として全通した。途中、分水嶺を横断する個所が2個所あり、西側の山越えでは宝台(たからだい)ループ線と通称されるスパイラルを構えている。残念ながら1994年に一部を除き、運行が中止された。
サハリン島の地形図で閲覧できる最大縮尺は1:100 000だ。地図ではスパイラルが平面交差のように描かれているが、実際は上部の線路が鉄橋でまたいでいる(豊真線の詳細は下記の記事にて)。
■参考サイト
本ブログ「樺太 豊真線を地図で追う」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/11/post-541a.html

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2008年4月10日 (木)

旧ソ連軍作成の地形図 III

閲覧サイトにある旧ソ連の「参謀本部地図」を使って、ユーラシア大陸の図上旅行に出かけてみた。地形図が入手しにくい地域を広範囲にカバーするソ連図は、どこをとっても目新しく、興味の尽きることがない。(Map images courtesy of maps.vlasenko.net)

Blog_genshtab_santorini サントリーニ(ティーラ)島 Santorini (Thira)
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/j-35-32.jpg
1:200 000(原画像を80%に縮小)
紺碧の海と断崖上の白い家並みのコントラストが美しく、エーゲ海でもとりわけ人気がある島の一つだ。紀元前1600年前後に起きた火山の爆発で、生じたカルデラに海水が侵入して、現在のような形になった。エーゲ海域のソ連図は1:200 000が最大だが、等深線が記入されているので、海面下300~400mから急傾斜で立ち上がるカルデラ壁の様子がよくわかる。
■参考サイト
カルデラ壁を上るゴンドラ
http://www.santorini.com/holidays/cablecar.html

Blog_genshtab_istanbul イスタンブル Istanbul
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/k-35-106.jpg ほか3面
1:100 000(×80%)
かつての東ローマ帝国、そしてオスマン=トルコの首都であり、今もヨーロッパとアジア、地中海と黒海を結ぶ要衝イスタンブル。図の右側の太い水路がボスポラス海峡で、1973年に開通した海峡をまたぐ橋(第一ボスポラス橋)が描かれている。図中央、北に向かって切れ込む入江が金角湾Golden Horn。旧市街はその南側に突き出した半島に築かれた。ソ連図ではトルコ全土の1:100 000が公開されている。

Blog_genshtab_donaudelta ドナウデルタ Danube Delta
http://download.maps.vlasenko.net/smtm500/l-35-4.jpg
1:500 000(×80%)
中欧を貫くドナウ川が、ドイツ南部から延々2850kmの旅の果てに黒海に注ぐところで、広大なデルタを形成する。手付かずの自然が残り、世界遺産に登録されている。この地域のソ連図は1:100 000があるが、面積が広大なので1:500 000で概観してみた。図上で、北側の分流キリアChiliaの上に引かれた赤のラインはウクライナ(北)とルーマニア(南)の国境線だ。

Blog_genshtab_yalta ヤルタ Ялта/Yalta
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/l-36-129.jpg
1:100 000(×80%)
黒海に突き出したクリミヤ半島南岸にある町の名は、第二次大戦の戦後処理について米英ソ首脳が会談した場所として知られる。町は、標高1200~1500mあるヤイラ山地の急峻な海側斜面に開ける。山が北風をさえぎるため、冬も比較的温和で、古くから保養地として名を馳せてきた。なお、山地の北にあるシンフェロポリSimferopol'から標高752mの峠を越え、海岸沿いにこの町に至る世界最長のトロリーバス路線が今もある(延長86km、所要2時間)。
■参考サイト
Крымтроллейбус / Crimean Trolleybus http://www.trolleybus.krym-info.com/ (ロシア語)

Blog_genshtab_chernobyl チェルノブイリ Чернобыль / Chernobyl'
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/m-36-013.jpg ほか1面
1:100 000(×80%)
ウクライナ語でチョルノーブィリЧорнобиль。首都キエフから北へ110km、1986年に起きた史上最悪の原発事故の現場だ。発電所は町の北8kmに建設され、近くに従業員の居住区プリピャチПрипять / Prypiatがあった。図の右下がチェルノブイリの町、中央に広大な冷却池、その右上の中島に黒円で描かれている冷却塔2基が目を引く。

Blog_genshtab_volgadoncanal ヴォルガ=ドン運河 Волго-Донской канал / Volga-Don Canal
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/m-38-125.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/m-38-126.jpg
1:1 000 000(×100%)
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/m-38.jpg
1:1 000 000(×80%)
1952年、ヴォルガ川とドン川の間に造られたヴォルガ=ドン運河は、ウラル山脈の西側を黒海・地中海に連結する役割を果たしている。運河の東の入口はヴォルゴグラードВолгоград / Volgograd南郊にあり、9個所の閘門で、ヴォルガ川水面から88mの高さまで一気に上る様子が、1:100 000地形図で確認できる。閘門はギリシャ文字のΛ(ラムダ)に似た記号で示され、イタリック体でшлюз(閘門)No.1~9の注記がある。最高地点に達した船はこのあと、閘門4箇所を経てドン川へ降りていく。

Blog_genshtab_capechelyuskin ユーラシア大陸最北の地 Northernmost point of Eurasia
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/t-48-19_20_21.jpg
1:200 000(×80%)
タイミル半島の北端、チェリュスキン岬мыс Челюскина / Cape Chelyuskinで大陸は尽きる。北緯77度43分、ユーラシア、アメリカ両大陸を通して最も北に位置するが、海峡を隔ててセヴェルナヤ・ゼムリャ諸島が横たわり、北極点までまだ1370kmある。地名は18世紀にこの地域を訪れた探検家の名にちなんでいる。最果ての地を1:200 000地形図で確認すると、岬の東南側に無線局(箱から稲妻形矢印の記号)、灯台(星形記号)、そしてチェリュスキン極地観測所полярн. ст. (= полярная станция) Челюскинの注記がある。

Blog_genshtab_pamir パミールの山々と巨大隕石孔 Great Meteor Crater in Pamir Mountains
http://download.maps.vlasenko.net/smtm1000/j-43.jpg
1:1 000 000(×80%)
ここはキルギスタン、タジキスタン、中国が接するパミール高原の北部。このような秘境でも1:100 000地形図が用意されているのは驚きだが、ここでは全体を概観するために1:1 000 000を使用した。
画像の上半分はキルギスタン領で、西方のバクトリアや北方のフェルガナ盆地から中国のカシュガルへの交易路が通過する。下半分はタジキスタン領だ。右寄りにある湖はカラ=クルKara-Kulで、標高3900mの高地にある。直径45kmのこの盆地は、およそ2500万年前に起きた巨大隕石の衝突で生じたものだ。湖から南側に溢水の古い痕跡があるが、現在は流出する川がない。
周囲には6000~7000m級の高山が連なっている。最高峰は図の左端に顔を見せる7495mのイスモイル・ソモニ峰Ismoil Somoni Peakで、この図ではソ連時代の、コミュニズム峰пик Коммунизмаの名が記載されている。
■参考サイト
NASA Earth Observatory
http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/images.php3?img_id=16564

Blog_genshtab_vladivostok ウラジオストク Владивосток / Vladivostok
http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/k-52-036.jpg
1:100 000(×80%)
ソ連時代は軍港で閉鎖都市の一つだったが、現在は極東ロシアの玄関口として、日本との往来も盛んだ。シベリア鉄道の終着地としても知られている。日本ではかつてウラジオ(浦塩)と略したが、ロシア語のヴラディ・ヴォストークは、東方を支配する者という意味をもつ。地形図を見ると、港は、突き出た岬に守られた奥まった入江に発達している。水深もあって、天然の良港であることがわかる。

Blog_genshtab_mtklyuchev

カムチャツカ火山群 Volcanoes of Kamchatka
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/o-57-35.jpg
1:200 000(×50%)
カムチャツカ半島には160体の火山があり、富士山のようにきれいな円錐形をした成層火山も多く見られる。中でもクリュチェフスカヤ山Ключевская сопка / Klyuchevskaya Sopkaは標高4688m(活動中のため諸説ある)と、他を圧する高さをもつ。裾野の周囲が100kmほどもあって、縮尺1:200 000でも全容が収まらない。主峰の南麓や西隣にも4000m級のピークが見られ、氷河も発達している。想像するだけでも壮観な風景だ。
■参考サイト
Global Volcanism Program - Kliuchevskoi
http://www.volcano.si.edu/world/volcano.cfm?vnum=1000-26=

Blog_genshtab_onekotan オンネコタン島のドーナツ湖 Doughnut Lake in Onekotan Island, Kuril
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-56-23.jpg
http://download.maps.vlasenko.net/smtm200/m-56-29.jpg
1:200 000(×50%)
西のカルデラ、サントリーニに対して、東は、千島(クリル)列島にあるオンネコタン島(日本名 温禰古丹島、ロシア名Онекотан / Onekotan)の南半を見てみよう。地形図を見ると、一瞬、島に穴でも開いているのではと錯覚するが、もちろんカルデラ湖だ。湖の中央西寄りに標高1324mの成層火山があり、横から見ると、洞爺湖に富士山が出現したような不思議な風景が鑑賞できる。日本領時代、湖は幽仙湖、中央の山は黒石山と呼ばれていた。島の北側にもカルデラ火山があるが、中央火口丘が成長して湖は北側に残るだけになっている。
■参考サイト
カルデラの写真 http://lkirchner.de/onekotan/onekotan/krenitsyn/krenitsyn.html

(2008年5月6日改稿)

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2008年4月 3日 (木)

旧ソ連軍作成の地形図 II

以前、ウクライナとベラルーシの地形図を閲覧するサイトを紹介したが、底なし沼とさえ形容したくなるソ連軍参謀本部地図のジャングルに筆者が足を踏み入れたのは、このサイトのリンクをたどったのがきっかけだった。

■参考サイト
ウクライナの地図 http://maps.vlasenko.net/

画面左下のリンク
Топографические карты России, Европы - несортированные (soviet military topographic maps of Russia, Europe - unsorted): 1:50000~1:1000000
が各縮尺のインデクスマップへのリンクになっていて、全部で18000点ほどもある膨大な地形図画像にアクセスできる。しかし、実際にご覧になると実感できると思うが、広大なユーラシア大陸、さらにアフリカ大陸にまで及ぶ地図集成に対するに、このインデクスマップはあまりにも小さく、また国境以外に目印になるものがない。1:500 000程度の縮尺ならまだしも、1:50 000の1図幅を特定するのは針穴に糸を通すがごときだ。

そこで、同じ画像を閲覧できる別のサイトがある。

■参考サイト
Поехали! (Poehali!) 英語版 http://maps.poehali.org/en/

Blog_genshtab_poehali ここではインデクスにベクトルマップが使われており、主要な都市名も記載されている。ロシア語と英語版を切り替えられるのが、非キリル文字圏の人々にとっては何よりありがたいシステムだ(地名はロシア語版のほうが多そうだが)。

使い方は画面右に書かれている。初期画面の地図はベラルーシのミンスクだが、地図は拡大縮小自在なので、スライドバーを下(マイナス)側に動かして、できるだけ広域表示にしてから、見たい地域を絞っていくといい。スライドバーを再び上へ動かすと、地図上にグリッド(方眼)が現れる。グリッドの左上隅にあるプラスまたはマイナスの記号をクリックすると、地図の右欄に閲覧可能な地形図の一覧が表示される。

地図の上欄のラジオボタンで縮尺の選択ができるので、もし右欄にMaps are not foundとメッセージがでたら、小さい縮尺(分母の大きいもの)を選びなおす。たとえば西欧エリアは1:500 000が最大縮尺なので、たとえ1:100 000を選んでも地図は見つからない。また、それとは逆に、右欄に多数表示されたときは、地図上でエリアをさらに絞りこむ必要がある。スライドバーを1段階上へ動かしてから、もう一度グリッドの+-をクリックしてみる。これを繰り返して、右欄がFounded: 1 mapになれば、当該グリッド全体をカバーする地図を選択できたことになる。

では、画像を表示してみよう。Download(2.70Mb)などとあるリンクをクリックすると、次画面でウェイティングサインが5秒ほど現れた後、プロテクションコード(自動サイトからのアクセスを防ぐ手入力コード)の入力を求められる。半角数字で入力すると、開くか保存するかを聞くポップアップが表示される。これに応答するとGIF形式の地図画像がダウンロードされる。ちなみに、縮尺に200kなどと使われているのは、200kilo(200×1000)=200000のことだ。

ここで得られる画像はvlasenko.netと同じもの(ただしvlasenkoはJPG形式、PoehaliはGIF)だが、惜しいことに左上と右下にウォーターマークが刻まれている。vlasenko.netの方はほとんどそれがないか、痕跡は残るもののマークが潰されているので、より「きれいな」画像を好むなら、Poehaliのプロテクションコード画面で表示される図番を調べて、vlasenko.netで直接ファイル名を指定するといい。
<例>
1:100 000の場合 モスクワ
 http://download.maps.vlasenko.net/smtm100/n-37-004.jpg
1:50 000の場合 サンクト・ペテルブルク
 http://download.maps.vlasenko.net/smtm50/o-36-001-2.jpg

Blog_genshtab_index 参考までに、ソ連軍参謀本部地図の図番体系Nomenclatureを、1958年の米軍総司令部資料に基づいて説明しておこう(右画像参照)。

1:1 000 000の各図幅は極北を除いて緯度4度、経度6度のエリア(1グリッド)をカバーし、「M36」のように付番される。Mは赤道から北へ4度ごとに区切って(アルファベットで)13番目、36は経度180度から東回りに6度ごとに区切って36番目という意味だ。

それより大縮尺の場合は、次のように付番される。
・1:500 000: 1グリッドを4等分した図郭。図番は後ろにА Б В Г(ロシア語アルファベットの最初の4文字)がつく。例:M36-В
・1:200 000: 1グリッドを6×6=36等分。図番は後ろにI~XXXVI(36)がつく。例:M36-XXXI
・1:100 000: 1グリッドを12×12=144等分。図番は後ろに1~144がつく。例:M36-133
・1:50 000: 1:100 000の図郭を4等分。図番は1:100 000の図番の後ろにА Б В Гがつく。例:M36-133-А
・1:25 000: 1:50 000の図郭を4等分。例:M36-133-А-3

上記サイトが提供する画像は鮮明で、詳細な読み取りにも不自由はないが、どうしても現物を手に取りたいなら、所蔵している図書館等を訪問することだ。日本では、岐阜県図書館世界分布図センターの収集が充実している。なお、旧ソ連はベルヌ条約に署名しなかったため、ロシア政府が遡って主張しているものの、ソ連時代に作成された地図の著作権はあいまいなままになっている。筆者も画像掲載にあたって、許諾を求めていない。

次回はソ連図でユーラシア大陸を散歩してみる。

■参考サイト
岐阜県図書館世界分布図センター http://www.library.pref.gifu.jp/map/

旧ソ連軍作成の地形図 III

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