2018年11月30日 (金)

ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル

延長438m(及び中間部待避線70m)、高度差83m、軌間1000mm
ウォーターバラスト方式で運行、リッゲンバッハ式ラックレールをブレーキに使用
最急勾配260‰、平均勾配195‰
1888年開通

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高架橋を上るネロベルク鉄道のケーブルカー

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ドイツ中西部ヘッセン州の州都ヴィースバーデン Wiesbaden は、ローマ時代から続く典雅な温泉保養都市だ。その市街の北郊に、長さ500m足らずのささやかな鋼索鉄道(ケーブルカー)がある。

上る山の名から「ネロベルク鉄道 Nerobergbahn」と呼ばれるこの路線は、ウォーターバラスト(水の重り)を積み、重力を利用して動く古典ケーブルだ。電気での運行制御が可能になる以前、どこのケーブルカーもこうした素朴な仕掛けで坂を上り下りしていた。しかし、今やドイツではここにしか残っておらず、19世紀の先進技術を伝える貴重な存在になっている。

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ヴィースバーデン市街周辺の1:50,000地形図に加筆
(L5914 Wiesbaden 1990年版)
© Hessisches Landesamt für Bodenmanagement und Geoinformation, 2018

5月の晴れた日の朝、ヴィースバーデン中央駅前のB乗り場から、1系統ネロタール Nerotal 行きのバスに乗った。この系統は終点がケーブルカーの駅前なので、土地不案内な者にはありがたい。中心街を経由した後、バスは、緑の中に石造りの瀟洒なヴィラが列をなす静かな通りを進み、ロータリーを回って停まった。

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(左)ヴィースバーデン中央駅
(右)市内バス1系統の終点、ネロタール停留所が鉄道の最寄り

目の前に、ネロタールをまたぐケーブルカーの高架橋が架かっている。長さ97.3m、5個のアーチを連ねたルネサンス風の優美な造りで、鉄道のもつ雰囲気によく似合う。高架橋が降りていく先に、山麓駅の駅舎があった。高架橋と同じ煉瓦素材を使い、木組みの装飾を施した、小ぶりながら趣のある建物だ。

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(左)山麓駅の入口 (右)駅舎は小ぶりながら趣のある建物

鉄道は夏のシーズン中(4月~10月)、毎日9時から20時まで15分おきに運行している(下注1)。バスと同じく、市が出資するESWE交通(下注2)の路線だが、市内の運賃ゾーンには含まれない。窓口で乗車券(大人片道4ユーロ、往復5ユーロ)とともに、絵葉書や解説書を買い込んで、ホームに出た。まだ朝早いので、客は私一人だ。

*注1 冬季(11月~3月)は、需要が少なく、水が凍結する可能性もあるため、全面運休になる。
*注2 ESWE(エスヴェー、SWと同じ発音)の名は、Stadt Wiesbaden(ヴィースバーデン市)の頭文字を採ったもの。

切妻屋根の下、鮮やかな黄色の地に青で模様を描いた車両が据え付けられている。片側4扉、内部はコンパートメントで、木製ベンチが枕木方向に並ぶ。車端のデッキにも乗車できるが、収容人数は全部で上り(山上方向)40名、下り50名限りで、定員を満たした時点で、次の便を待たなければならない。

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山麓駅ホームで客待ちする古典車両
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(左)山側の車端デッキは広め (右)内部は木製ベンチのコンパートメント

上限が定められているのは、駆動機構に関係がある。実際、ウォーターバラスト方式とは、どのようなものだろうか。

2台の車両はちょうど井戸の釣瓶のように、山上駅にある固定滑車を介してケーブルで接続されている。車両の床下、車軸と車軸の間に水タンクが備わっている。運行にあたって、山上駅にいる車両のタンクに水を注ぎ、山麓駅の車両からは水を抜く。この状態でブレーキを解除すると、質量差から重力が作用し、山上駅の車両は勾配線路を下り始める。同時に、ケーブルでつながれた山麓駅の車両は引き上げられる。これが基本的な原理だ。

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鉄道の模式図、左上には焼失して現存しない山上ホテルも
これは駅舎の案内板を撮影したものだが、原図は山麓駅の鉄道博物館(後述)に展示

しかし、実際の運行では様々な条件が加わる。たとえば、必要なバラスト水は、車両とケーブルの自重に加えて、乗客数にも依存するので、山麓駅からも人数の報告を受けて、山上駅で注入する水量を毎回調節しなければならない。タンクの容量は7立方m(7キロリットル)あり、側面の水位計に、80リットルを1単位(1人分)と換算して目盛りが刻んである。

また、線路勾配は一定ではないし、走るにつれて滑車から車両までのケーブルの長さ、すなわち自重も変化していく。それで、許容速度を超過しないよう、適切なブレーキ操作が要求される。2本の走行レールの中間に、梯子状のリッゲンバッハ式ラックレール(歯竿)が設置されているのはそのためで、車両の前後の車軸に取り付けられたピニオン(歯車)がこれと常に噛み合っている。

デッキに立つ乗務員(制動手)がハンドブレーキを操作すると、下側のピニオンに軸ブレーキがかかる。さらに速度が3割超過した場合、上側のピニオンが遠心ブレーキでブロックされる。ケーブルに緩みや断裂が発生したときも、これが作用して確実に停止できる仕組みになっている。

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ハンドブレーキで速度を調節しながら下る

19世紀の作りとはいえ、水の重りで動く鉄道は、理想的なエコシステムだ。しかし実際に山上で、15分ごとに最大7キロリットルの水を確保するのは容易ではない。それで、山麓駅に到着した車両から排出された水は、電気ポンプで山上駅の貯水槽に戻され、再利用されており、そこだけは電力に頼らざるを得ない。ちなみに、1916年までは蒸気機関でポンプを動かしていたので、古い写真では、高架橋のたもとに、そのための高い煙突が写っている。

1888年の開通以来、ネロベルク鉄道はこのスタイルで130年を生き永らえてきた(下注)。その間に、同じ方式を採用していた他の鉄道は、大半が電気駆動に転換された。確かに水の調達は安価だが、反面、冬季は凍結するため運行が困難で、注水・排水にかかる時間や水量調節の手間を考えると頻繁運転には向いていない。さらに、水を積むことで軸重(車軸にかかる重量)が重くなり、軌道が傷みやすく保守費用がかかる点も不利だった。

*注 ウォーターバラスト方式で、ブレーキにリッゲンバッハ式ラックレールを使う鋼索鉄道の先駆けは、スイス、ブリエンツ湖畔にあるギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(1879年開通、1948年電気に転換)とされる。ドイツでは、バート・エムス Bad Ems のマールベルク鉄道 Malbergbahn(1886年開通、1979年廃止)が最も早い。

実際にネロベルク鉄道でも、公営化された後の1939年に、市が大型車両の導入に合わせて電気運転への転換工事を発注している。ところが、折悪しく第二次世界大戦が勃発し、作業は中断された。戦後は逆に希少性が評価されて、積極的な保存策が講じられてきた。老朽化した車両や施設の更新が、原形を尊重しながら行われ、1988年には州の工学文化財にも認定されている。

さて、話を山麓駅のホームに戻そう。結局、他に客は現れなかった。乗務員氏がトランシーバーで山上駅と連絡をとり、9時15分、ケーブルカーは静かにホームを離れた。まずは、会社のシンボルカラーである青と橙の旗がはためく高架橋区間だ。渡り終えると、周りは森に包まれ、勾配も険しくなる。

改めて観察すると、走行レールは3本しかない。中央のレールは、上下車両が共用しているのだ。と思う間もなく、中央レールが二手に分かれ、中間部の行き違い区間に入った。下っていく車両を見送ると、進行方向右側の視界が急に開け、生垣越しにヴィースバーデン市街が望める。しかし、すぐにまた森が復活し、そのまま山上駅のホームに到着した。乗車時間はわずか3分半だ。

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(左)高架橋を渡る。走行レール3本の間にラックレールが並ぶ
(右)中間部で山麓行きと行き違い
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生垣越しにヴィースバーデン市街の眺望
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(左)森の中の山上駅 (右)山上駅入口、右の道を行けば歩いて麓へ降りられる

すかさず始まった注水の音を聞きながら、駅を後にした。石畳道が、芝生の広がる山上公園 Bergpark に通じている。ここにはかつて、1881年築の立派なホテルがあったのだが、1986年に火災で損壊してしまった。中央にあった塔の煉瓦部分のみが保存され、現在ガーデンレストランに使用されている。一方、古典庭園の点景に使われるような古代様式のモノプテロス Monopteros(下注)も目を引く。周りの木々が大きくなかった頃は、麓からの目印だったのだろう。

*注 モノプテロスは、壁がなく、巡らせた列柱で天井を支える構造の神殿建築。円形神殿。

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山上公園 (左)旧 ホテルの塔を利用したガーデンレストラン (右)モノプテロス

ところで、ネロベルクの名を聞くと、ローマ期に遡る町の歴史からの連想で、つい皇帝ネロ Nero を想像してしまう。だが、実際には何の関係もないそうだ。16世紀の古文書に、(町の)後ろの山という意味で Ersberg、Mersberg の地名が記されており、それが、Nersberg、Neroberg と転訛したに過ぎないという。

モノプテロスから見える森の切れ間を少し下ると、レーヴェンテラッセ Löwenterrasse(ライオンテラスの意)に出る。名のとおり、2基のライオン像が睨みを利かせる展望台だ。ここからは、斜面を駆け降りる葡萄畑と、その先に、緑の多い北東部の高級住宅地やヴィースバーデンの中心街が一望になる。

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展望台レーヴェンテラッセ

眺めを楽しんだら、後は歩いて下山することにしよう。駅の脇から明瞭な道がついているので、山中とはいえ迷うことなく降りられる。途中で、さっき車窓から見えた眺望区間に立ち寄ってみたが、線路の両側に金網が張り巡らされていた。高い脚立でもあればともかく、網の間からぎこちなく撮るしか方法がない。

山麓駅に戻ったときには、10時15分発の便が発車するところだった。1時間前の空きっぷりが嘘のように、車内は満席で、デッキに立つ人もいる。なるほど、これなら15分間隔で運行する意味がある。盛況ぶりに納得しながら、朝の陽を浴びて滑るように高架橋を上っていく古典車両を見送った。

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賑わう10時台の山上行き

なお、山麓駅舎のすぐそばに残る旧 化粧室小屋 Toilettenhäuschen が、小さな鉄道博物館になっている。車両の模型と設計図、当時の写真や備品などが展示してあり、ネロベルク鉄道のことをより深く知るために、訪れることをお勧めしたい。

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旧 化粧室を改装した鉄道博物館
(左)外観 (右)内部展示。車両模型の下にあるのはブレーキシュー

本稿は、Klaus Kopp "Die Nerobergbahn - Wiesbadens Drahtseil-Zahnstangenbahn aus dem Dreikaiserjahr 1888" 2. aktualisierte und ergänzte Auflage, Thorsten Reiß Verlag, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ネロベルク鉄道(公式サイト) http://www.eswe-verkehr.de/nerobergbahn

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 ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車

2018年10月13日 (土)

モーゼル渓谷ツェラー・ハムの展望台

ボージュ山地を発してコブレンツ(コーブレンツ)でライン川に合流するまで、約550kmを流れ下るモーゼル川 die Mosel。その中流から下流部にかけての流路は特徴的だ。まるで行く先を忘れて迷子になったかのように、極端な曲流が連続している。

このような地形は「穿入(せんにゅう)蛇行」と呼ばれ、日本でも大井川や四万十川などに見られる。もともと平野部をゆったりと蛇行していた川が、地盤の相対的な隆起に対して水流による浸食で抵抗し、もとの流路を維持している状態だ。見方を変えれば、大昔の自由蛇行を谷の中に閉じ込めた地形の缶詰ということができるだろう。

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マリエンブルクから曲流するモーゼル川を眺望

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あまたある曲流の中でも最大と言えるものが、ピュンダリッヒ Pünderich とブライ Bullay の間にある。経由地ツェル Zell の名を採って、「ツェラー・ハム Zeller Hamm(下注)」または「ツェルのモーゼル湾曲 Zeller Moselschleife」と呼ばれるこの曲流は、始点から終点までの延長が14kmにも及ぶ。ところが、首根っこの、最もくびれた地点間の距離は1kmもないのだ。それで、くびれの所で谷を分けている尾根に上れば、左右に同じ川が見え、かつ流水方向は反対という、鏡像のような光景に出会える。

*注 ハム Hamm は、ラテン語の hamus(鉤、フックなどの意)に由来し、川の湾曲を意味する。

加えてここは、鉄道ファンにとっても注目すべき場所だ。コブレンツから川に沿って走ってきたDBのモーゼル線 Moselstrecke(下注)が、湾曲部をショートカットしている。くびれ尾根をトンネルで貫くとともに、その前後に上下2層の鉄橋や、長い斜面高架橋を構えている。山と川とこれら珍しい構築物が織りなす風光が好まれて、ここで撮られた写真は、昔から路線紹介の定番だ。

*注 モーゼル線のこの区間については、本ブログ「モーゼル渓谷を遡る鉄道 II」で詳述。

どのポイントでどんな構図が得られるかを含めて、今回はこの曲流の周辺を紹介しよう。

図3
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ツェラー・ハム周辺の1:50,000地形図(L5908 Cochem 1989年)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz, 2012

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撮影地周辺の1:25,000地形図(GeoBasisViewer RLPから取得)
撮影位置を①~④で示す
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

コブレンツ中央駅からモーゼル線トリーア方面のRE(レギオエクスプレス、快速列車に相当)に乗ると、車窓に映る穏やかな川面を眺めながら、44分でブライに到着する。地下通路を介して山側にあるブライ駅舎は、20世紀初期に建てられた簡素なデザインの建物だ。アーチ天井のホールの片側は旅行センター、片側はビアレストランが入居するが、降車客の姿が消えると、朝10時の構内はしんと静まりかえる。

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(左)ブライ駅舎の中央ホール (右)大砲鉄道の案内板

ホールの中央にある、カノーネンバーン(大砲鉄道)Kanonenbahn と書かれた案内板が目に留まった。大砲鉄道というのは、19世紀プロイセンの時代に、有事の際の輸送ルートとして、ベルリン Berlin とロレーヌ地方のメス Metz との間に建設された路線の俗称(下注1)で、モーゼル線も実はその一部だ。ブライ駅はツェラー・ハムを巡る周遊トレール(下注2)の出発点とされていて、トレールをたどる人に地域の鉄道史を知ってもらおうと、関連地点に案内板が設置されている。

*注1 大砲鉄道については、本ブログ「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」に概要がある。
*注2 正式名は「大砲鉄道ブライ=ライル鉄道史文化トレール Eisenbahnhistoricher Kulturweg Kanonenbahn Bullay - Reil」。延長23km。

駅舎を出て右へ、鉄道の築堤に沿って進むと、500mほどでさっそくアルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay のたもとに出た。長さ314m、6径間(最大径間72m)の堂々たるトラス橋だ。上が鉄道、下が州道L 199号線という二層構造で、モーゼル川を渡っている。北側の橋台の脇をかつてモーゼル鉄道(下注)がくぐっていたのだが、今は道路に転用されてしまっている。

*注 モーゼル鉄道 Moselbahn または モーゼルタール鉄道 Moseltalbahn は1962年に廃止された標準軌の私鉄路線。トリーアから、鉄道のないモーゼル右岸を忠実になぞって、ブライに達していた。現 ブライ駅の正式名が Bullay (DB) と表記されるのは、南に少し離れていたモーゼル鉄道の駅(Bullay Kleinbahnhof または Bullay Süd)と区別していた名残。

二層橋の道路部分では、車道の両脇に一段高くなった歩道がある。突き刺さるトラスの太い梁がやや邪魔になるものの、スピードを上げて通る車を気にしなくていいのはありがたい。渡り終えたところで、連邦道53号線を横断する必要がある。

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アルフ=ブライ二層橋
上を鉄道(モーゼル線)、下を道路(州道L199号線)が通る

地図で見ると、曲流の展望地へは、右手に見える小さな葡萄畑の急斜面を上っていくのが近道なのだが、私有地らしく、トレールには認定されていない。正規ルートは、左手の車道脇から山中に入り込む登山道だ。少し上ったところで、右から来る小道に合流するが、この小道は、プリンツェンコプフトンネル Prinzenkopftunnel(長さ458m)の北側ポータルの前に通じている。寄り道すれば、二層橋を渡る列車をほぼ同じ高さで捕えることができるだろう。

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アルフ=ブライ二層橋を渡るモーゼルワイン鉄道の旅客列車
上図①の位置で撮影

一方、トレールはくびれ尾根の森の中を、一部ジグザグに上っていき、最終的に尾根筋のマリエンブルク Marienburg に出る。マリエンブルクには、トリーア司教区の青少年研修施設があり、そのテラスに立つと、葡萄畑の山腹に張り付くピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt が見渡せる。この形式ではドイツで最も長く、延長786m、内径7.2m のアーチを92個連ねた見ごたえのある構造物だ。高架橋の眺めは、尾根筋に限ればここがベストで、西へ進むにつれて視角が浅くなり、アーチ全体がきれいに見えなくなる。

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マリエンブルクから望むピュンダリッヒ斜面高架橋
上図②の位置で撮影
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(左)南向き斜面に整列する葡萄の苗木
(右)尾根伝いのトレール。遠方にプリンツェンコプフの展望塔が見える
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ピュンダリッヒ斜面高架橋を走る列車から見たマリエンブルク(右の山上の建物)

マリエンブルクの眺望を満喫した後は、いよいよプリンツェンコプフの展望塔 Aussichtsturm へ向かおう。尾根伝いの道は、葡萄畑越しに、対岸に広がるピュンダリッヒの町と、左に大きく曲がっていく川のパノラマが楽しめる景勝ルートだ。700m、約10分行ったところで、展望塔に通じる坂道が左に分岐している。少し上れば、鉄骨で組んだ塔の足もとに出る。

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プリンツェンコプフに建つ展望塔

プリンツェンコプフ Prinzenkopf(王子の山頂の意)はツェラー・ハムの付け根にある小さなピークだ。標高220m、19世紀からすでに人気の見晴らし台だった。1818年に皇太子、後のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 Friedrich Wilhelm IV. がラインラント行啓の際に立ち寄り、仮設のあずまやで昼食を取った。その故事から山の名がある。

1888年に、最初の展望塔が中古の木材を使って建てられたが、1899年に石造りの堅固な塔に建て替えられた。展望階には屋根がかかり色ガラスが嵌められて、風雨や、初夏のやっかいな羽蟻から護られた快適な施設だった。しかし、第二次世界大戦末期の1945年3月に、米軍によって爆破されてしまった。その後しばらくして1983年に、地元自治体によって塔が再建された。景観に配慮して木造とされたが、それが仇となって2005年の嵐で破損したため、2009年に鉄骨組みで建て直されたのが現在の塔だ(下注)。

*注 展望塔の歴史は、現地にあった鉄道史文化トレールの案内板を参照した。

四代目となるこの展望塔は、高さが27.3m、最上階の展望デッキは基礎から18m、モーゼル川からは145mの高さがある。人気は今も続いているらしく、塔には入れ替わり立ち替わり見物客が訪れていた。最上階のデッキからは360度の展望が得られる。とりわけ東方向は、手前からまっすぐ伸びる緑濃い細い尾根の先に、マリエンベルクの修道院風の建物が見え、その両側に、葡萄畑を斜面に載せたモーゼルの深い谷が奥まで通っている。予想通り、鏡像のようなみごとな光景だ。

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プリンツェンコプフの展望塔から見たツェラー・ハムのパノラマ
正面の建物がマリエンブルク。川は右手前から中央奥の山の後ろを回って、左手前へ流れてくる。上図③の位置で撮影

展望塔の建つ位置は、モーゼル線のプリンツェンコプフトンネルの真上に当たる。少し期待していたのだが、意外にも鉄道の撮影に向いていないことがわかった。二層橋はちょうど木の陰になり、斜面高架橋は手前のアーチが隠れてしまうのだ。

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展望塔から下流方向を望む
川の右岸はブライの町だが、手前の木に隠れる
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展望塔から上流方向を望む
斜面高架橋の手前のアーチが見えない

塔を後に、アルフ=ブライ二層橋を遠望できる場所を求めて、アルフの町へ降りる道を少したどった。森が途切れたところにレストランを兼ねた農家があり、その前が、さっき二層橋を渡ったときに右手に見えていた葡萄畑の斜面だった。まだお昼時でやや逆光にはなるものの、形よくカーブするモーゼルの谷を背景に、二層橋が川面に堂々とした姿を映している。

実はここへ来る前に、順光になるマリエンブルク側で二層橋の展望地を探してみたのだが、北斜面は森に覆われているため、研修施設に入らない限り、そのような場所はなかった。施設内に望楼のような建物を見かけたので、そこならブライやアルフの町を背景に、二層橋を渡る列車の写真が撮れるのではないだろうか。

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葡萄畑の上から望むアルフ=ブライ二層橋
上図④の位置で撮影

モーゼルの伸びやかな風光に心行くまで浸った後で、同じ道をとぼとぼ帰るのも芸がない。このままアルフに降りて、モーゼル川を横断するフェリーで対岸のブライに戻るか、あるいは斜面に付けられたトレールを上流(南)へ歩いて、ライラーハルス Reiler Hals の鞍部からモーゼルワイン鉄道のライル Reil 駅まで、もう少しハイキングの時間を楽しみたい。

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 ライン渓谷ボッパルダー・ハムの展望台
 ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線
 モーゼル渓谷を遡る鉄道 I
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2018年9月16日 (日)

ライン渓谷ボッパルダー・ハムの展望台

ドイツ観光のハイライトの一つ、ライン川クルーズは、世界遺産にも登録された渓谷(下注)の、両側から荒々しい岩肌が迫る速くて豊かな流れの上を、遊覧船が進んでいく。上流のリューデスハイム Rüdesheim あたりから乗船した人は、ザンクト・ゴアール St. Goar  か対岸のザンクト・ゴアールスハウゼン St. Goarshausen で降りてしまうことも多いが、KDラインの船便はさらに下流へ進み、ボッパルトあるいはコブレンツ(コーブレンツ)Koblenz を終点にしている。

*注 「ライン渓谷中流上部 Obere Mittelrheintal」の名で、ビンゲン・アム・ライン Bingen am Rhein ~コブレンツ間が登録されている。本ブログ「ドイツの旅行地図-ライン渓谷を例に」でも言及。

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ライン川の湾曲に面するボッパルトの町

このルート後半は、古城群やローレライなど見どころの多い前半に比べて、地味な区間と思われがちだ。しかしそこにライン渓谷で唯一、川が大きく湾曲するボッパルダー・ハム Bopparder Hamm の奇観があるのを忘れてはいけない。

ドイツ国内でライン川は、おおむね北ないし北西方向に流れているのだが、細部はそうとも限らない。ここボッパルトの町の前では西を向いており、その直後、右に180度転回して、一時的に東へ向かう。深い渓谷の中とあって、両岸を走る鉄道も道路もショートカットするすべがなく、川に従い大迂回を強いられている。

半径約1kmの半円を描く曲流の景観は、渓谷のへりの高みから眺め降ろすのがいい。ボッパルト近くの左岸の崖の上に、その条件を満たす「ゲーデオンスエック Gedeonseck」という展望台がある。

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展望台へ上るチェアリフトから右岸線を走る列車を望む

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ボッパルト周辺の1:25,000地形図 (5711 Boppard 2009年)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

その日は、船ではなく左岸線の列車で、ボッパルト中央駅 Boppard Hbf に着いた。ボッパルトは帝国都市の経歴をもつ古都(下注1)で、今はライン河畔に開けた上品なリゾート都市の一つだ。中央駅とは名ばかりの小さな駅前広場から西へ歩くこと15分、ミュールタール Mühltal の鉄道ガードをくぐると、水車の回る鄙びたレストランの隣に、展望台へ上るチェアリフトの乗り場がある。妻壁にゼッセルバーン・ボッパルト Sesselbahn Boppard(下注2)と大書してあるから、見落とすことはない。

*注1 帝国都市 Reichsstadt は中世、神聖ローマ帝国の直轄都市。ただし、ボッパルトが帝国都市の地位を得ていた時期は短く、1309年以降はトリーア選帝侯国 Kurtrier に属した。
*注2 ゼッセルバーン Sesselbahn はチェアリフトのこと。ゼッセルリフト Sessellift ともいう。

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(左)ボッパルト中央駅 (右)チェアリフトの乗り場

リフトは1954年に開設されたもので、長さ915m、高低差は232mある。片道20分のけっこう長い空中遊覧だ。並行して登山道も整備されているのだが、周辺の地形を理解するには、往路は空中リフトに身をゆだね、復路で歩いてゆっくり景色を楽しむのがいいだろう。

乗り場の係員に見送られて、リフトはまず葡萄畑の斜面を這い上がり、まもなくライン川とミュールタールを見下す細い尾根の上に出る。そしてそのまま、尾根伝いに北上していく。両側が鋭い角度で落ち込んでいるので、視界を遮るものはなく、すでに見晴らしは抜群だ。

右手はライン渓谷で、遠心力を感じるほど大きなカーブを描いている。さっき歩いてきたボッパルトの白い町並みがじわじわと遠ざかる。はるか下の川を行く貨物船や河岸を走る列車や自動車は、もはやミニチュアか何かのようだ。

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(左)まず葡萄畑の斜面を這い上がる (右)その後は尾根伝いに北上(帰路写す)

左手は山また山だが、直下ミュールタールの山腹に、注目すべきDBのフンスリュック線 Hunsrückbahn(下注)が通っている。ボッパルトを起点とし、高原上のエンメルスハウゼン Emmelshausen まで行く路線だが、ラインの谷壁を克服するために、1:16.4(60.9‰)と粘着式では破格の急勾配が用いられている。運よく単行の気動車がその坂道を下ってくるのに遭遇した。

*注 フンスリュック線は延長14.7km。現在は交通企業レーヌス・ヴェニーロ Rhenus Veniro が、左岸線のボッパルト・ジュート(南駅)Boppard Süd まで旅客列車を運行している。

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フンスリュック線の連接気動車が60.9‰の急勾配を行く(帰路写す)

リフトが徐々に高度を上げていくにつれ、足元の斜面も険しさを増してくる。見る位置によってはほとんど尾根線の外側に乗り出しているかのように感じられる。残り1/3でルートがミュールタール側の斜面に移った後も、やや深い谷を渡るスリリングな区間があった。日本なら、リフトの動線に沿って落下防止用のネットが張られていそうなものだが、ここには何もない。その上、チェアはスキー場にあるような簡易構造で、足を預けているのは1本の細い鉄棒に過ぎない。それで、深く腰を掛け、動かないでいることが唯一、高所の恐怖を払いのける方法だった。

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(左)チェアリフトの終点 (右)オークの森を歩いて展望台へ

リフトの終点は標高302mのヒルシュコプフ Hirschkopf で、オークの深い森を背負っている。木漏れ日の林道を5分足らず歩いていくと、前方の視界が開けて、ゲーデオンスエックに出た。あいにく開放されている展望台は北の端の狭い場所で、一等地は軽食堂のテーブルが占拠している。しかし、午後3時で客がまばらだったので、飲み物なしで少しばかり景色を眺めさせてもらった。

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ゲーデオンスエックの展望台はレストランが占拠。開放された展望台は左奥にある

なるほど、噂通りここからはボッパルダー・ハムの大湾曲が一望になる。ライン川は右から左へゆったりと流れている。リフトからも見たように、右手にボッパルトの町、その奥の山かげから対岸のカンプ・ボルンホーフェン Kamp-Bornhofen が顔を覗かせる。一方、正面は円盤のような整った形が印象的なフィルゼン Filsen の村と畑で、その後ろにオスターシュパイ Osterspai の村も見える。左は、川沿いの急斜面に、ボッパルト自慢の良質なワインを産む葡萄畑が広がっている。

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ゲーデオンスエックから見たラインの湾曲、ボッパルダー・ハム
右はボッパルトの町、正面はフィルゼンの村、左は良質ワインを産む葡萄畑

ボッパルダー・ハムの「ハム Hamm」というのは、ラテン語の hamus(鉤、フックなどの意)に由来するそうだ。つまり、本来はボッパルトの湾曲地形を意味する言葉なのだが、一般にはこの一帯の葡萄畑、あるいは特産のワインのことを指すと思われている(下注)。

*注 地形図でも、斜面の葡萄畑に掛かるようにボッパルダー・ハムの注記がある。

ライン中流では、川沿いの南向き斜面は貴重な存在だ。川の流路が東西方向のところに限られるからだ。ボッパルダー・ハムは直射光とともに、スレート質の地面から反射光がたっぷり得られ、そこに川の蓄熱効果が加わる。さらに湿気をもたらす西風が西側の山地で遮られるため、温暖で乾燥した環境を好む葡萄の栽培には最適なのだという。

昔から南北交通の大動脈だったライン渓谷では、両岸に複線の鉄道が通っている。東側がライン右岸線 Rechte Rheinstrecke、西側がライン左岸線 Linke Rheinstrecke だが、大部分のICEが2002年に開通した高速新線(下注)に移った後も、ここをIC(インターシティ)や貨物列車が頻繁に往来する。少々遠目にはなるものの、この展望台は、ライン川と周辺の風景を入れてそれらの列車を撮るにもいい場所だ。

*注 ケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main。ケルン Köln とフランクフルト Frankfurt am Main を結ぶ高速新線。

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葡萄畑の下の左岸線を列車が行き交う

近くにもう1か所、展望台があるという情報が気になっていた。「フィーアゼーンブリック Vierseenblick(四つの湖の眺めの意)」と名のつく場所だ。再び林道を北へ5分ほど歩いていくと、入口に看板が立っていた。

そこも同じように軽食堂が居座っていて、開放された展望所は小さなスペースだったが、なるほど山かげに隠れて、ライン川が見かけ上、4つの断片に分かれる。上流側からカンプ・ボルンホーフェン、ボッパルト、フィルゼン、オスターシュパイと、沿岸の町や村がどれ一つ省かれることなく、公平に見えるのも絶妙といっていい。

とはいえ、今しがた湾曲の雄大な全貌を目の当たりにして感動したばかりだ。この景観は、せっかくの自然の造形を出し惜しみしているようで、案外つまらなかった、と正直に告白しておこう。

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フィーアゼーンブリックからの眺め

■参考サイト
ボッパルト・チェアリフト(公式サイト) http://www.sesselbahn-boppard.de

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2018年9月 3日 (月)

火山急行(ブロールタール鉄道) II

車掌氏からもらった火山急行 Vulkan-Express の沿線案内は続く("Tour-Info on Brohltalbahn" 英語版を和訳、内容一部略)。

「私たちの旅は、標高67mのブロールBEで始まります。ここに鉄道の本部があり、絵のような小さな駅舎、側線、機関庫、修理工場があります。ここで機関車と客車は保守され、修理されています。

駅を勾配で離れると、すぐに線路はブロールバッハの谷へ左折し、続く12kmの間それに沿って走ります。少し行くと、初めて主要道を横断し、すぐに鉄橋でブロールバッハ Brohlbach を渡ります。線路は主要道と並行しており、時速20kmで安定して走るので、追い越していく多くのドライバーに手を振るチャンスがあります。機関車の警笛がドライバーに、踏切で停止するよう促すでしょう。」

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整備工場の前の蒸気機関車 11sm
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ブロールバッハの谷を行く火山急行(帰路撮影)

「もう少し上り、小川を渡ると、近くの城の名にちなんだシュヴェッペンブルク Schweppenburg 停留所(下注)に着きます。続いて、今でもトウモロコシを粉に挽くのに水力を使用する数少ない製粉所の一つ、モーゼンミューレ Mosenmühle があります。テーニスシュタイン鉱泉 Tönissteiner Sprudel の看板は、ローマ人が既に2千年前に使っていたドイツ最古の鉱泉の一つへ行く道を示しています。」

*注 正式名はシュヴェッペンブルク・ハイルブルンネン Schweppenburg-Heilbrunnen。リクエストストップにつき、実際には通過することが多い。後述のヴァイラー Weiler とブレンク Brenk も同じ。

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ブロールタール鉄道ブロール~ニーダーツィッセン間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年、L5510 Neuwied 1983年を加工)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

「ここで谷が狭まり、勾配が1:40(25‰)に高まります。エンジン音からそれが聞き取れ、速度の低下に気づくはずです。約1km進んだ後、谷の高みにある次の停留場バート・テーニスシュタイン Bad Tönisstein で停まります。小さな緑色のブリキ小屋が、列車を待つ旅人に休む場所を提供します。谷の反対側に、柔らかい凝灰岩に掘られたいくつかの洞穴が見えますが、この地質は、ラーハ湖火山 Laacher See Vulkan の激しい噴火の後(下注1)、谷を巻き下りてきた火山灰がとどまってここに堆積したものです。柔らかい石は最初ローマ人が建築用の石に用いましたが、粉砕すれば、水中で硬化するコンクリートとして使えます(下注2)。」

*注1 爆発により火山は陥没し、カルデラ湖である現在のラーハ湖 Laacher See が生じた。ブルクブロールの南5kmに位置するこの湖は、面積3.3平方kmでアイフェル最大。
*注2 トラス Trass と呼ばれる特産の凝灰岩で、特にオランダで干拓事業に用いられた。

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(左)バート・テーニスシュタイン停留所の緑色の待合所
(右)テーニスシュタイン高架橋を渡る

「カーブを回り、着実に上るとすぐ、長さ120m、高さ12mの『テーニスシュタイン高架橋 Tönisstein Viadukt』で再び谷を渡り、いったん長さ95mのトンネルに潜ります(下注)。さらに少し上ると、標高145mのブルクブロール Burgbrohl 駅に着きます。駅舎は、地元産の石材とハーフティンバーの塔部から造られ、一部にスレートを葺いた、路線で最も美しいものです。

短時間停車した後、また上り、谷のへりに沿って家並みの裏手を進むと、向こう側に古城のそびえるブルクブロールの村を見渡すことができます。」

*注 テーニスシュタイン高架橋は路線で最大規模の高架橋で、蒸気列車の撮影ポイントでもある。また、テーニスシュタイントンネルは路線で唯一のもの。

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(左)テーニスシュタイン高架橋、列車の最後尾から撮影
(右)渡り終えると路線唯一のテーニスシュタイントンネル

「次はヴァイラー Weiler に停車します。ここにある側線は、巨大なヘルヘンベルク Herchenberg の採石場が使っていたかつて非常に多忙だった積み出し駅の唯一の忘れ形見です。ここから谷が広がり、遠方にもう火山起源のアイフェル山地の丸い山頂が見えています。A61号線を載せる巨大な道路橋の下を通ります。」

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(左)見栄えのするブルクブロール駅舎 (右)A61号線の高架橋の下を通る

「右手、その隣に高さ340mのバウゼンベルク Bausenberg のクレーターがあります。約14万年前のもので、ヨーロッパで最もよく保存された馬蹄形の火口です。ニーダーツィッセン Niederzissen(下注)を通り、しばらく主要道と小川に沿ってオーバーツィッセン Oberzissen へ進んでいくと、アイフェルの高い山々に囲まれた畑や牧草地や小さな森のある美しい田園風景が楽しめます。」

*注 ニーダーツィッセンは往路の休憩地で、時刻表では7分停車。通常施錠されている駅のトイレがこのときだけ開放される。

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ブロールタール鉄道ニーダーツィッセン~ケンペニッヒ間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年を加工)
廃止されたエンゲルン~ケンペニッヒ間は黒の破線で表示
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

「オーバーツィッセン駅を発車後、この路線が山岳鉄道と呼ばれる理由を実感することができるでしょう。というのは、鋭い左カーブで谷を離れ、美しい3径間のアーチ橋で通りをまたぎ、最後の、そして最も壮大な旅の区間にさしかかるからです。勾配は、続く5.5kmの大部分で 1:20(50‰)と険しくなります。1934年までここはラック鉄道でしたが、より強力なエンジンによってラックなしで上れるようになりました(下注)。」

*注 開通時はアプト式(2枚レール)ラック区間だったが、マレー式機関車や旅客輸送用の気動車の導入により、ラックレールは1934年に撤去された。

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(左)ニーダーツィッセンは往路の休憩地
(右)オーバーツィッセンの町を後にして、50‰の急勾配に挑む

「それが見えるとともに、エンジンが必死に働いているのが聞こえてきます。速度は徒歩並みに落ちますが、これは、ほかにはないアイフェルの田舎、畑や牧草地や森がゆっくりと客車の窓を通り過ぎるのを眺める時間を与えてくれます。列車の騒音で鹿がたいてい逃げていく一方で、線路のそばに放たれている馬はそれに慣れています。

右手には、古い火山の丘の上にオールブリュック城 Burg Olbrück が見えます。それは975年に遡り、何度か増築されました。フォン・ヴィート伯爵 Graf von Wied によって建てられたこの城は、1689年にフランス人によって破壊され、その後は地元民が石採り場として使っていました。2000年に城の欠損部が復元されて、今では巨大な塔に登り、上から壮大な景色を楽しむことができます。晴れた日には約50km離れたケルン大聖堂が見えるのです!!」

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古火山に立つオールブリュック城と麓の村ハイン Hain

「列車は3km上った後、ブレンク Brenk で側線と採石場の建物を通過します(下注)。ここではフォノライトが採掘されています。火山岩は粉砕されて細粒となり、コンテナでガラス工場に出荷されて、高品質のガラスの生産に使われます。利点の一つは融点を下げることで、コスト削減に役立ちます。採石場は、路線上の定期貨物輸送で唯一残っている顧客です。

*注 ブレンクの採石場はシェルコプフ Schellkopf という火山をまるごと採掘しており、すでに山の形を成していない。乱開発を防止するため、他の火山群は自然保護区に指定されている。

もうひと踏ん張りです! 美しい森の中を少し上り、それから高い築堤で谷を渡り、木々が列をなす切通しを抜けて再び開けた土地へ出ていきます。警笛の爆音が、17.5kmの旅を終えて標高465mの終着駅エンゲルン Engeln に到着したことを伝えてくれます。」

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(左)複線に見えるのはブレンク貨物駅の側線
(右)木々が列をなす切通しを抜ける。終点まであと少し

「ここが路線の終点ですが、かつてはケンペニッヒ Kempenich の村まであと5km(下注)走っていました。残念ながら、その区間の線路は1974年に撤去されました。

*注 ドイツ語版ウィキペディアでは、エンゲルン~ケンペニッヒ間は6.32km、廃止日が1974年10月1日で、撤去は1976年としている。

エンゲルンからは、バスで旅を続けるか、標識の整ったハイキングルートを歩くか、あるいは駅のビュッフェで短い休憩と軽食をとった後、起点のブロール駅に列車で戻りましょう。」

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エンゲルン駅 (左)乗客は火山食堂で休憩 (右)すぐに機回し作業が始まる
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折返しの発車準備完了

そのエンゲルンでは折返しの発車まで30分の待ち時間があり、その間に機回し作業が行われる。駅舎は1997年に改築された木造の平屋で、ブルカーンシュトゥーベ(火山食堂) Vulkanstube と名付けられた軽食堂が開いている。乗客はここで休憩をとることができる。

駅の周囲は緩やかにうねる農地が広がり、人家は、西へ少し行った丘の麓にあるエンゲルンの小さな集落だけだ。地形的には高原の分水界で、なぜここが終点なのか、不思議に思う人もいるだろう。ケンペニッヒへの末端区間が廃止されたとき、ここに線路が残されたのは、一つ手前のブレンクでフォノライト(響岩)の貨物扱いが継続中だったからだ。ブレンクは急勾配区間に挟まれて手狭なため、坂を上り切ったエンゲルンを折返し駅にしたようだ。

線路に沿ってケンペニッヒ方へ少し歩いてみる。線路は駅舎から200mほどで途絶え、跡地はいったん畑に取り込まれた後、農道に姿を変えて続いていた。北を望むと、火山起源ののっぺりとした緑の丘(エンゲルナー・コプフ Engelner Kopf)を背景に、菜の花が満開で畑を黄色に染めている。のどかな春の景色に心が和んだ。

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エンゲルン駅周辺、火山起源の丘を前にして黄色に染まる菜種畑

復路では、予定通りオーバーツィッセンで蒸気機関車 11sm に引き継がれて、ブロールに着いた。一仕事終えた蒸機は、側線を伝ってエンゲルン方にある修理工場の前まで行き、石炭と水の補給を受ける。工場の扉は開放されていて、見学が可能だ。4軸ボギーの大型ディーゼル機関車 D5 や、改修中の気動車 VT30 がこの中にいた。

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ブロール駅構内で、石炭の補給を受ける蒸気機関車 11sm
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ブロール駅の整備工場
(左)大型ディーゼル機関車 D5 (右)気動車 VT30 は改修中

工場の手前から、ライン河港へ行く支線が右へ急カーブしていく。このいわゆる港線 Hafenstercke は、河畔まで実質500mほどの間に、DB線、連邦道と、難しい障害物をまるで軽業師のようにクリアしていくのがおもしろい。ブロールタール鉄道探訪の最後に、鉄道模型顔負けのこのユニークな軌跡を歩いて追ってみた。

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ブロール付近の1:25,000地形図(基図は GeoBasisViewer RLP から取得)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

まず線路はS字カーブを切りながら、高架に上がった連邦道412号線と平面交差する。次に、その高度を維持したまま、駅前通り Bahnhofstraße とDB線を乗り越える。高架橋の橋台には鉄道名の立体文字板が誇らしげに掲げられ、DB線を走る列車からも一瞬見える。かつてこれは、仕込まれたネオン管で光っていたらしい。

DB線に並行して下り勾配を下りたところが、ブロール積替駅 Brohl Umladebahnhof のヤードだ。標準軌のDB線と接続しているので、線路は大部分3線軌条化されている。構内北端にはブロールタール鉄道の機関庫の建物も残っているが、もはや使われていない。

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(左)工場の手前で右へ分かれていく港線
(右)連邦道412号線と平面交差(ブロール方を望む)
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(左)右上写真の反対側を望む。下路トラス橋はDB線を越えている
(右)左写真のトラス橋を412号線の跨線橋から望む
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(左)トラス橋の橋台にある鉄道名の立体文字板
(右)ブロール積替駅、構内はほとんど3線軌条

港へ向かう線路は、構内の北東で分岐する。ここでもS字を切りながら、通行量の多いライン左岸の主要道、連邦道9号線を大胆にも平面で横断し、河畔に出る。岸辺のビアガーデンの前に低いプラットホームがあり、「ブロール・ラインアンラーゲン(ライン埠頭)Brohl-Rheinanlagen」と記された駅名標が立っていた。毎週火曜日になると、ここに火山急行の特別列車が停まり、ライン川の観光船から降りてきた客を迎えるのだ。訪れた日曜日はビアガーデンが大賑わいで、ホームはすっかり客用駐車場にされていたが…。

3線軌条は、港の護岸に沿ってなおも北へ延び、ブロール・ハーフェン(港)Brohl Hafen の貨物駅に達する。粉塵の飛散を防ぐため、鉄道が運ぶフォノライトはコンテナ方式に移り、ブロール積替駅でトラックに引き継がれるようになった。それ以来、港の駅は仕事を失い、吹き通るラインの川風が、静かな水面にさざ波を立てるばかりだ。

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(左)港へ向かう3線軌条、連邦道9号線と平面交差
(右)ライン河畔を走る
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ラインアンラーゲン(ライン埠頭)停留所
(左)プラットホームと駅名標(画面左端)
(右)河岸には、火山急行のロゴを掲げたライン川観光船の船着き場が
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(左)3線軌条は河港へ延びる (右)静まりかえるブロール・ハーフェン(ライン河港)

■参考サイト
火山急行 http://vulkan-express.de/

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 火山急行(ブロールタール鉄道) I

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2018年8月27日 (月)

火山急行(ブロールタール鉄道) I

本線(谷線 Talstrecke) ブロール Brohl BE ~エンゲルン Engeln 間17.51km
 軌間1000mm、非電化、最急勾配50‰、1901年開通

支線(港線 Hafenstrecke) ブロール~ブロール・ハーフェン Brohl Hafen 間1.95km
 軌間1000m、標準軌との3線軌条区間あり、1904年開通

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ブロールBE駅の火山急行、先頭に立つのは蒸気機関車 11sm

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DB(ドイツ鉄道)ライン左岸線の、普通列車しか停まらない小駅から、その狭軌鉄道は出発する。ブロールバッハ Brohlbach という川が流れる谷を遡っていくので、路線名はブロールタール鉄道 Brohltalbahn だが、列車のブランドは「ヴルカーン・エクスプレス Vulkan-Express」、直訳すると火山急行だ。

イタリアではなくて、ドイツにも火山がある? と訝しく思う人がいるかもしれない。実はこのライン川からベルギー、ルクセンブルク国境にかけてのアイフェル Eifel 地方は、第三紀の5000万年前から火山活動が続いていて、地表はその噴出物で覆われている。地形図をざっと眺めるだけで、火山起源の円錐丘やマールの湖(下注)が至るところに見つかる。マール Maar という地理用語自体、アイフェル方言で湖を指す言葉(標準ドイツ語では Meer)から採られたものだ。

*注 マールは、爆発的噴火により生じた、周囲に環状丘を持たない円形火口をいう。水を湛えるマールは、伊豆半島の一碧湖や男鹿半島の一ノ目潟などわが国にも見られる。

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火山起源の円錐丘に建つ城(オールブリュック城)を背景に走る火山急行
Photo by Simeon Langenbahn from http://vulkan-express.de/

火山急行は、そのようなヴルカーンアイフェル(アイフェル火山帯)Vulkaneifel の高みへと上っていく列車だ。命名はスイスの有名な観光列車、氷河急行 Glacier Express に倣ったのだが、急行と言いながら曲線と勾配のきつい狭軌線をのんびり走るところは、本家のそれに似ていないでもない。

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ブロールタール鉄道ブロール~ニーダーツィッセン間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年、L5510 Neuwied 1983年を加工)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018
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ブロールタール鉄道ニーダーツィッセン~ケンペニッヒ間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年を加工)
廃止されたエンゲルン~ケンペニッヒ間は黒の破線で表示
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

火山急行の舞台となるブロールタール鉄道は、メーターゲージ、非電化の小鉄道だ。ライン河畔の村ブロールを起点に、谷を遡る本線(谷線 Talstrecke)と、河港へ行く支線(港線 Hafenstrecke)から構成される。

本線は、ブロールから終点のエンゲルン Engeln まで17.5kmを結び、1901年に先行開通した。最奥部のオーバーツィッセン Oberzissen とエンゲルンの間は、50‰の急勾配が5.5kmもの間続く難所だ。開通当初はアプト式(2枚レール)のラック区間とされ、1934年から粘着式運転に切り替えられた。また、1902年にはエンゲルンから先、ケンペニッヒ Kempenich まで6.3kmが延長されたが、残念ながら利用の低迷により、1974年に廃止されて今は無い。

一方、支線はブロールからブロール・ハーフェン(ブロール港)Brohl Hafen に通じる1.95kmの短い路線で、1904年に開通している。中間部には、国鉄(のちDB)との間で貨物を積み替えるヤード、ブロール積替駅 Brohl Umladebahnhof が造られた。標準軌貨車を直通させるための3線軌条が1933年に積替駅と港の間に設置され、今も残っている(下注)。

*注 ブロールタール鉄道の本線方面に標準軌貨車を直通させるために、他の狭軌鉄道と同様、ロールボック(1928年まで)やロールワーゲン(1978年まで)も使われていた。

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火山急行を牽いてテーニスシュタイン高架橋を渡る蒸機
Photo by Walter Brück from http://vulkan-express.de/

ブロールタール鉄道の敷設目的は貨物輸送で、沿線で採掘された石材を運び出し、国鉄やラインの川船に引き渡すことだった。開通以来、トラス Trass(特産の凝灰岩)の切石やモルタルに使う細骨材、あるいはガラス生産の添加剤として使われるフォノライト(響岩)など、有用資源が鉄道を通して出荷されてきた。

他方、旅客輸送は、人口の少ない山間地域のため、当初から細々としたもので、その後の経済不況や戦争の間に、休止と再開を繰り返した。そして車両の老朽化などを理由に1961年9月に一般旅客列車は廃止され、バスに置き換えられた。

その後、鉄道に残っていた客車を使って、1977年から観光客向けの列車が運行されるようになる。これが火山急行の始まりだ。この間も貨物輸送は続いていたが、道路輸送への転換や他国産との競合による操業中止などで輸送量が減少し、残る顧客はフォノライトだけになっていた。

鉄道は1987年に廃止の危機に瀕した。このときは持ちこたえたものの、1991年に会社は再度廃止方針を表明する。だが最終的に、観光資源としての可能性を評価する地元自治体から新たな出資を得て、存続が決まった。

1995年には裁判所から、粉塵公害を理由に河港での積替え作業を禁止する裁定が出たことで、フォノライト輸送が中断する事態も起きた。これはコンテナ方式に変更し、ブロールでトラックに積み替える方法をとることで、4年後の1999年に再開された。

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ブロール港の静かな水面。堤防の右はライン川

現在、鉄道は上下分離方式で運営され、インフラはブロールタール連合自治体 Verbandsgemeinde Brohltal が、運行事業はボランティアベースの利益共同体が設立した運行会社(ブロールタール狭軌鉄道運行会社 Brohltal-Schmalspureisenbahn Betriebs-GmbH)が、それぞれ責任を負うことになっている。

ドイツにも保存鉄道は相当数あるが、月1回とか日曜祝日のみなど、運行日が限定されているものが多い。その中で火山急行はシーズン中、特定曜日を除き毎日運行していて、旅行者にとって比較的訪問日程が取りやすい鉄道と言えるだろう。ただし、運行本数は少なく、最大でも一日3往復しかない(下注)。所要時間は、往路が一方的な上り坂のため90分、復路は下りで72分だ。

*注 ダイヤは日ごとに変化するので、公式サイトで前もって調べておく必要がある。

列車を牽くのは基本的にディーゼル機関車だが、2018年のダイヤでは、シーズン中の一部の土・日曜に、鉄道の虎の子的存在であるマレー式蒸気機関車 11sm(下注)が登場する。11sm は1906年製で、1960年代までこの路線で定期列車を牽いていたオリジナル機だ。1966年の引退後、ドイツ鉄道史協会DGEGに引き取られ、長らく博物館で静態展示されていたが、買い戻されて長期にわたる解体修理の上、2015年に現役に復帰した。

*注 マレー式蒸気機関車は、動輪群を前後2組配置し、後部はボイラーに固定、前部は関節でつないで可動式にしたもので、牽引力が高く、急勾配・急曲線に適応する。なお、車両番号の sm は重量マレー schwere Mallet の略。

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マレー式蒸気機関車 11sm

蒸気機関車は、負担の大きい急勾配区間には入らず、ブロール~オーバーツィッセン間を往復している。たとえば午前中の便では、ブロール10時30分発の二番列車を牽いてオーバーツィッセンまで行く(11時27分着)。そこへ、ディーゼル牽引の一番列車がエンゲルンから戻ってくる(11時34分)ので、その客車を自らの列車の後ろに併結する。こうして長い編成となった列車を従え、11時55分、蒸気機関車はブロールへ向け帰っていくのだ。ちなみに、列車を蒸機に託してフリーになったディーゼル機関車は、エンゲルン行き二番列車(12時00分発)を牽いて、再び急坂を引き返していく。

一方、港線は基本的に貨物専用だが、火曜日に限りブロール・ライン埠頭 Brohl Rheinanlagen の停留所まで旅客列車が運行され、ライン川の観光船と連絡している。

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オーバーツィッセンでの交換風景
(左)復路の一番列車が駅に到着したとき、すでに蒸機は帰り支度を整えていた
(右)ディーゼルが解結され、この後蒸機が転線して併結作業に入る
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長い編成でブロールに戻る火山急行。復路の蒸機は後退運転

2018年5月の旅行中、日曜日に時間が空いたので、火山急行に乗りに出かけた。朝9時10分発の一番列車に間に合うように、ライン左岸線のブロールでRB(普通列車)を降りる。DB駅前の狭い広場から数十段の階段を上ったところが、ブロールタール鉄道の起点駅だ。DBと区別するために、ブロールタール鉄道(会社)Brohltal-Eisenbahn(-Gesellschaft)  の頭文字を採って、ブロールBE駅と書かれる。

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ブロールBE 駅 (左)DB駅前からBE構内へ上る階段 (右)駅舎のチケットカウンター

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(左)エンゲルン往復の乗車券
 (右)蒸機追加料金券

発車時刻が迫っているので、さっそく駅舎に入って切符を買い求めた。2等往復13ユーロだが、先述のとおり、復路が蒸機列車になるため、その追加料金3ユーロが必要だ。

ホームには、乗るべき列車がすでに待機している。急勾配に備えてディーゼル機関車は重連編成だ。このD1とD2は、1965年オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社製の50歳を超えた古参機だが、まだ頑張っている。港線で標準軌貨車と連結できるように、先頭のバッファーの位置を狭軌線路の中心線からずらしてあるのが特徴だ。

機関車の次は、自転車その他の手荷物が積み込まれた有蓋貨車、その後に客車が3両つながっている。1両目はスイスのBOB(ベルナー・オーバーラント鉄道)の旧車で、内部は1等室と2等室に分かれ、窓下のテーブルにBOBの路線図がそのまま残る。2両目は食堂車(といっても軽食と飲み物)、3両目は車長の短いベンチシートの2軸客車、いずれも、車端のデッキから乗降する形式の古典車両だ。

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ディーゼル機関車D1、バッファーの位置が中心線からずれている
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(左)有蓋貨車は主として自転車運搬用 (右)BOBの旧型客車、右1/3は1等室
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(左)BOB客車の1等室 (右)窓下テーブルに路線図が残る
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2軸客車はレトロなベンチシート

観光バスからの客が乗り込んだので、BOB車は賑わっていたが、後ろの車両はガラガラで、週末旅行で来たというオランダ人の鉄道ファンと、地元の親子連れが1組だけだ。車掌が巡回してきた。どこから来たのかを聞きとると、日本語版がないのは残念だが、と言いながら、英語で書かれた沿線案内をくれた。

「乗客のみなさま、1901年に正式開業した『火山急行』にご乗車ありがとうございます! ドイツに残る数少ないメーターゲージ列車の一つで、おそらく最も急勾配の列車の旅をお楽しみください。

乗車中にご体験いただけるとおり、『ブロールタール鉄道』は本物の山岳鉄道です! 興味深いことに、あなたは『火山公園 Vulkan Park(下注)』の一部を通って旅しています。アイフェル山地のこの地域では、鉱泉のような『熱い過去 hot past』の多くの遺物や火山活動のあらゆる種類の痕跡を見つけることができます…。」

注:正式名は、アイフェル火山帯自然公園 Naturpark Vulkaneifel。

読んでみるとけっこう充実した内容で、車窓風景の理解に役立った。次回は、この沿線案内を参照しながら、エンゲルンまで旅することにしよう。

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一番列車まもなく出発

■参考サイト
火山急行(公式サイト) http://vulkan-express.de/

★本ブログ内の関連記事
 火山急行(ブロールタール鉄道) II
 ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車

2018年8月21日 (火)

ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車

ケーニヒスヴィンター Königswinter(下注)~ドラッヘンフェルス Drachenfels 間1.52km
軌間1000mm、750V直流電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道、最急勾配200‰
1883年開通、1953年電化

*注 同名のDB駅と区別するために、正式駅名はケーニヒスヴィンター・ドラッヘンフェルス鉄道 Königswinter Drachenfelsbahn という。

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ドラッヘンフェルス鉄道の中間駅シュロス・ドラッヘンブルク

ビンゲン Bingen から130km続くライン川中流 Mittelrhein の長い渓谷が終わろうとする東岸に、最後の砦のようにドラッヘンフェルスの岩山が聳えている。標高321m、川からの高さはおよそ270m。ジーベンゲビルゲ Siebengebirge と呼ばれる火山起源の山地の中で、これだけが河岸に面している。数値以上の威圧感があるのはそのためだ。

ドラッヘンフェルス Drachenfels は、ドイツ語で竜の岩を意味する。ワグナーの楽劇の題材にもなった中世の叙事詩ニーベルンゲンの歌 Nibelungenlied で、英雄ジーフリト Sîfrit(現代語ではジークフリート Siegfried)が山の洞穴に棲んでいた竜を退治し、その血を浴びて不死身になったことが語られる。その舞台がここだという。

*注 ドイツ語版ウィキペディアでは、竜伝説は後付けで、ドラッヘンの語源は Trachyt(トラカイト、粗面岩)だとしている。粗面岩は昔からこの山で採掘されており、ケルン大聖堂の築造にも用いられた。

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ライン川から見たドラッヘンフェルス山頂の廃墟(右)とドラッヘンブルク城(左)

山はラインの流れを見下ろす要害の地で、中世に築かれた古城がうらぶれた姿を曝している。19世紀、ロマン主義が一世を風靡した時代に、この風光が旅人の心の琴線に触れた。バイロン卿がチャイルド・ハロルドの巡礼 Childe Harold's Pilgrimage に表し、画家ターナーが水彩の筆を揮った。それらをきっかけにして、岩山は国際的に知られるようになる。

*注 ターナーが描いたドラッヘンフェルスの水彩画は以下のサイトで見られる。TW0496とTW0606は対岸(左岸)上流から見た構図。TW0606では手前の岩山の上に有名な廃墟ローランツボーゲン Rolandsbogen も描かれている。それに対して、TW1311は対岸やや下流からの構図。
TW0496 https://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-the-drachenfels-tw0496
TW0606 https://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-the-drachenfels-tw0606
TW1311 https://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-drachenfels-from-the-rhine-tw1311

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早くも1883年に、この岩山の上まで登山鉄道が通じた。山の名を採ってドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn と呼ばれるこの鉄道の出現は、フィッツナウ・リギ鉄道全通の10年後だ。ドイツではかなり早い時期で、当地での観光需要の高まりが実感される。果せるかな、鉄道が開通するとたちまち人気が沸騰し、夏のシーズン3か月で6万人以上の客を運んだという。

1913年にオーデコロンの代表ブランド4711のオーナーが経営権を握り、ドラッヘンフェルス鉄道は、同じ方式で隣の山に上っていたペータースベルク鉄道 Petersbergbahn(下注)と合併して「ジーベンゲビルゲ登山鉄道株式会社 Bergbahnen im Siebengebirge AG」となった。電化は1953年で、70年以上走り続けた蒸気機関車は1960年までにすべて引退した。その後、ペータースベルク鉄道は経営不振で廃止されてしまったため、現在この会社は、社名の「登山鉄道」は複数形のまま、ドラッヘンフェルス鉄道だけを運行する。

*注 ペータースベルクは、ケーニヒスヴィンターの東にあるジーベンゲビルゲの山の一つ。登山鉄道は1889年開通、1958年廃止。1000mm軌間のリッゲンバッハ式で、ドラッヘンフェルスと双子のような鉄道だった。

ドイツ国内のラック鉄道は他に、シュトゥットガルト市内と、バイエルンアルプスのツークシュピッツェ Zugspitze、同 ヴェンデルシュタイン Wendelstein(下注)に残っているが、その中でドラッヘンフェルス鉄道は最古の存在になっている。

*注 ヴェンデルシュタイン鉄道については、本ブログ「ヴェンデルシュタイン鉄道でバイエルンの展望台へ」で詳述。上記のほか、ヴィースバーデンのネロベルク鉄道 Nerobergbahn では、ラックレールがブレーキのために使用される。

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ドラッヘンフェルス鉄道の行程(山麓駅の案内板を撮影)

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ドラッヘンフェルス鉄道周辺の1:25,000地形図(5309 Königswinter 2012年)
© Land Nordrhein-Westfalen 2012

2018年5月のある日、コブレンツ中央駅 Koblenz Hbf の109番線(下注)から、ボン・ボイエル Bonn-Beuel 行きのRE(レギオエクスプレス、快速列車に相当)に乗った。最初、南へ向かうのでとまどうが、すぐにライン川を渡り、トンネルで方向を変えて、ライン右岸線 Rechte Rheinstrecke の北行き線に合流する。川沿いに走り続け、50分ほどでケーニヒスヴィンター駅に着いた。

*注 109という大きな数字に一瞬驚くが、9番線ホームの南端にある切り欠きホームのこと。コブレンツ中央駅には同じように104、105番線もある。

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(左)コブレンツ駅109番線に停車中の右岸線RE
(右)ライン川にモーゼル川が合流するドイチェス・エック Deutsches Eck を対岸に見て

ケーニヒスヴィンター Königswinter の町はボンの南東10km、ドラッヘンフェルスのお膝元で発展したライン河畔のリゾートだ。ケーニヒ König は王という意味だが、ヴィンター Winter は冬ではなく、ラテン語の Vinetum(葡萄畑)が転訛したもので、一説にはここにカール大帝の葡萄畑の御料地があったという。ひっそりとしたDB駅から線路に沿って南へ歩き、踏切を渡ると、登山鉄道の山麓駅が見えてきた。

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ケーニヒスヴィンター (左)河畔のプロムナード (右)市街地の落ち着いた街並み

ドラッヘンフェルス鉄道は、ケーニヒスヴィンターにある山麓駅とドラッヘンフェルスの山上駅を結んでいるリッゲンバッハ式のラック鉄道だ。長さ1520m、高度差220m、片道の所要時間は8分。夏のシーズン(5~9月)中は9時から19時まで、30分毎に山麓駅を発車し(多客時は増発あり)、復路はその15分後に山上駅を出る。他のシーズンは営業時間が短縮され、11月後半から12月にかけては運休になる。

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ケーニヒスヴィンター・ドラッヘンフェルス鉄道駅(山麓駅)

まずは、駅前に置かれている蒸気機関車を見ておきたい。かつてこの鉄道で使われていたラック機関車2号機だ。文化財として1968年からここに静態保存されている。プレートには、エスリンゲン機械工場1927年製とあった。

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かつて活躍した蒸気機関車2号機の屋外展示

駅舎は2005年に改築された現代的な2階建ての建物で、ドラッヘンフェルス観光駅 Drachenfels Tourismus-Bahnhof と呼ばれている。19世紀からある鉄道にしては、山麓駅だけでなく、クラシックな外観の施設が見当たらない。首都移転に伴う補償協定(下注)によって地元に交付される資金を一部充当し、近年精力的に整備が進められたからだ。

*注 1994年のベルリン/ボン法に基づき、西ドイツの首都であったボンからベルリンに政府機能を移すにあたり、ボン地域の振興資金として、1995年から2004年の間に14億3,700万ユーロを支出する「ボン地域の補償措置に関する協定 Vereinbarung über die Ausgleichsmaßnahmen für die Region Bonn」が結ばれた。

1階(日本で言う2階)にはチケットオフィスやグッズショップがあり、ガラス戸の向こうは乗り場になっている。階段を上がると、鉄道の舞台である山域全体を模型にしたレイアウトがあった。古い時代を表しているらしく、玄関前にいるのと同形の蒸機が2両の客車を押している。

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山麓駅1階、奥に出札兼案内所、階段を上るとレイアウト展示がある
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ドラッヘンフェルス鉄道の模型レイアウト
(左)手前はDB右岸線、中央に山麓駅舎、右奥にドラッヘンフェルスがそびえる
(右)手前の建物はニーベルンゲンハレ Niebelungenhalle で、その位置からかつての中間駅は現在より下手にあったことがわかる

構内では、ラック式の電動車が客待ちをしている。両運転台車で、ドアは片側(山に向かって右側)にしかない。磨かれ艶光りしているが、実は1955~60年の製造だ。1999~2001年に全面更新を受けているものの、内装はなつかしいレールバスのそれを思わせる。

電車は、混雑度に応じて単行または2両連結で運転される。最後尾に車掌が乗っているが、戸閉めの後でチンチンとベルを鳴らすくらいで、手持無沙汰の様子だ。中間駅や山上駅は無人なので、そこでの出改札が主な仕事なのだろう。

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(左)山麓駅構内に停車中の電車、1950年代後半の製造
(右)内装はレールバスを思わせる

山麓駅を出発すると、電車はいきなり上向きになり、ぐんぐん高度を上げていく。線路の周りは森で、残念ながら見通しはあまり利かない。勾配は決して一本調子ではなく、いくらか行ったところで緩やかになる。

森が開け、石造アーチの跨線橋をくぐって停車した。中間駅のシュロス・ドラッヘンブルク Schloss Drachenburg(ドラッヘンブルク城)だ。2011年に改装された駅で、LRTの停留所と間違えそうなモダンな造りに驚く。2線に分かれ、列車交換が可能だが、多客期以外は対向列車がないので、上下列車とも山上に向かって右側のホームに停まる。

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(左)山麓駅を出発 (右)少し上ると緩勾配に
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中間駅 (左)城に通じる石橋をくぐって中間駅に接近
(右)ベンチの風防に竜のシルエットが

ここはドラッヘンブルク城の最寄り駅だ。城といっても、1884年に株式仲買人で銀行家だったシュテファン・フォン・ザルター男爵 Baron Stephan von Sarter が建てた邸宅で、19世紀後半、グリュンダーツァイト Gründerzeit の古典主義的傾向を反映した壮麗な建物だ。

前城 Vorburg と呼ばれる玄関建物を抜けると、斜面を覆って整えられた庭園が広がり、その先に堂々たる本館がある。室内の豪華な調度品は見ごたえがあるし、贅沢にも各部屋からライン渓谷が望める。螺旋階段で北の塔の屋上に登ると、ジーベンゲビルゲやボン市街など北側の眺望がよかった。

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壮麗さを誇るドラッヘンブルク城
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城の北塔からの眺め
(左)南望。ライン川の中州ノンネンヴェルトが見える
(右)北望。右奥の山はペータースベルク、左端にケーニヒスヴィンター市街

それはさておき登山鉄道に戻ろう。中間駅を再び発車すると、電車は8径間の石造アーチ橋を渡って、再び森に入る。跨線橋をくぐったところから200‰の最大勾配になる。高い切通しに沿って右にカーブしていくと、まもなく終点ドラッヘンフェルスだ。駅は簡素な造りで、出札窓口があるものの、ふだんは人がいない。切符の必要な人には、折返しの列車が到着した後、車掌が改札で手売りしてくれる。

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(左)中間駅の山上側 (右)8径間の石造アーチ橋を渡る
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(左)山頂直下の跨線橋から (右)跨線橋の下で始まる200‰の最急勾配
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山上駅 (左)1面1線の簡素な構造 (右)駅舎

駅前には、広い展望広場とレストラン施設がある。一部が階段状になった広場からは、ライン渓谷の上流側(南側)が一望になる。フランシスコ修道院のあるノンネンヴェルト Nonnenwerth の中州がアクセントとなって、単調な流路に変化が加わるのがおもしろい。

この広場もごく最近整備されたものだ。ドラッヘンフェルスはオランダ人観光客に特に人気があり、ライン川を遡ると最初に目に入る高い山なので、「オランダで一番高い山」というあだ名さえあった。その人出を受け入れるために、1970年代、ここに展望台やレストランを備えた大規模な観光施設が造られた。しかしその後、観光客が減り、麓からの景観を損ねているという理由もあって、2011年から撤去工事が始まり、2013年に展望広場に生まれ変わったのだ。

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展望広場と、眼下に広がるライン渓谷のパノラマ
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岩山の直下に葡萄畑とライン川。貨物列車が右岸線を通過中

レストランの裏の道を少し上ると真の山頂で、麓からも見えていた古城の廃墟がある。もとは南の護りを固めるために1138年にケルンのアルノルト1世大司教 Erzbischof Arnold I が建てさせたものだが、30年戦争中の1633年に破壊され、以来再建されなかった。今は自然公園の中で保護され、ライン川を見下す静かな展望台の一つになっている。

足元はるか下の川面を、大型客船がゆっくりと下っていくのが見える。それと交差するように貨物列車が岸辺を駆けていく。後でケーニヒスヴィンターに降りたら、このライン川を横断するフェリーで、対岸のメーレム Mehlem に渡るつもりだ。ターナーが描いたように岩山を少し距離を置いて眺め、ドラッヘンフェルスの半日観光を締めくくりたいと思う。

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ドラッヘンフェルス山頂に立つ古城の廃墟

■参考サイト
ドラッヘンフェルス鉄道 http://www.drachenfelsbahn.de/
ドラッヘンブルク城 https://www.schloss-drachenburg.de/

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2018年7月20日 (金)

北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

(旧)シュピーカーオーク島鉄道 Spiekerooger Inselbahn
 駅 Bahnhof ~埠頭 Anleger 3.5km
 非電化、軌間 1000mm
 1885年開通(馬車鉄道)、1949年ディーゼル化、1981年廃止

(現)保存馬車鉄道 Museumspferdebahn
 延長1.0km、軌間 1000mm、1981年開通

「緑の島 grüne Insel」。大きく育った樹木が村の家並みを覆うシュピーカーオーク Spiekeroog は、好んでそう呼ばれてきた。島は、ランゲオークとヴァンガーオーゲの間に位置する。面積は18平方kmで、ランゲオークよりやや小さいだけだが、人口は800人に満たない(2016年)。年間旅行者数も東フリジアの有人7島中、バルトルムに次いで少なく(2016年、94,055人)、それが、静けさを求める人にとって至高の場所とされるゆえんだ。

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緑に包まれるシュピーカーオーク村の中心部。右奥の建物は村役場 Rathaus

その環境を守るために、島では徹底した交通政策がとられている。カーフリー(下注1)はいうまでもない。自転車にすら制限が課されていて、村(下注2)の中心や北岸のビーチに通じる一部の道は走行禁止だ。旅行者向けのレンタサイクルは存在せず、本土から持込む場合は30.90ユーロが徴収される。居住圏はせいぜい2km四方なので、島内の移動は歩きが前提になっている。

*注1 カーフリーのどの島もそうだが、業務用電動車は走っている。
*注2 小さな自治体 Gemeinde なので、本稿では「村」の語を使用する。

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シュピーカーオーク島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

そのような島にも、ほんの30年前までディーゼル動力の列車が走っていた。他の島と同じように、フェリーが着く旧埠頭と村の入口との間3.5kmを結んでいたのだ。さらに驚くことに、鉄道が導入されたのは1885年で、東フリジア諸島ではボルクムに次いで早かった。もとよりそれは馬車鉄道で、村の中心部からヴェストエント Westend(西端の意)に開設された紳士用ビーチ Herrenbadestrand(下注)まで長さ1.6km、1000mm軌間の鉄道だった。その上を、馬に牽かれた華奢な客車がころころと走った。目的からして、夏の間だけの運行だった。

*注 当時、紳士用ビーチとは長さ500mの緩衝地帯を隔てて婦人用ビーチ Damenbadestrand があり、そこへ向かうダーメンパート Damenpad(婦人の小道の意)の入口にも、馬車鉄道の停留所が設けられた。

1891年、南の干潟に新しい桟橋が開かれると、上記路線の途中で分岐してそこに達する支線が、翌92年に開通する。これが航路接続の始まりだ。初期の線路は干潟の上に直接敷かれており、船が着く満潮時には、馬は胴体まで、車両はしばしば車輪の上まで、水に漬かっていた。

一方、村では1907~08年に正式の駅舎が建てられたが、狭い街路の併用軌道は通行の妨げになった。それで1924年にルートを短縮し、起点が村の西端に移された。その後、ヴェストエントのビーチが海岸浸食を受けて村の北側に移転したため、ビーチ列車は1931年に運行を取り止めたが、桟橋との連絡は継続された。いつしかシュピーカーオーク島鉄道は、ドイツで定期運行する最後の馬車鉄道になっていた。

第二次世界大戦後はさすがに増加する訪問客をさばききれなくなり、1949年、新しい埠頭の建設に合わせて、ついにエンジン駆動に転換される。現在ハルレジール Harlesiel の港で静態展示されている小型ディーゼル機関車(下注1)は、このときの導入機だ。同時にルートも変更され、当初の終点ヴェストエントの手前で分岐して、西側の砂丘沿いに南下するようになった。干潟では、初めて線路が杭桁 Pfahljoch(下注2)の上に置かれ、列車は桟橋に直接乗り入れた。

*注1 「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」で言及している。
*注2 直訳で「杭桁」としたが、干潟に打ち込んだ木杭の上に梁を渡した構築物のこと。

1960年代に入ると、「赤列車 roten Zug」「緑列車 grünen Zug」と呼ばれた編成が、旅客輸送を担った。腰に赤色をまとうヴィスマール車両製造所製の中古気動車に、付随客車3両と長物車1両がつくのが「赤列車」だ。ふだんはこの列車で往復するのだが、多客期には、シェーマ社製の小型機関車が、緑色を巻いた2軸客車を牽いて応援に入った。

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(左)赤列車 roten Zug。桟橋で気動車を「機回し」中
Photo by Anton aubers at wikimedia. License: CC0 1.0
(右)緑列車 grünen Zug
Photo by Drehscheibexxx at wikimedia. License: CC0 1.0

残念なことに、この島でディーゼル運行が行われたのは32年間に過ぎない。そのころ、常時波に洗われる桟橋や杭桁軌道は、全面改修が必要な時期に来ていた。村議会は港湾施設を同じ場所で改築するのではなく、より村に近い位置に新たに建設することを決めた。待望の新港は1981年に完成し、村の中心へ歩いて7~8分で到達できるようになった。これに伴い、鉄道は仕事を失い、同年5月29日に正式に廃止された。

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(左)本土との間を結ぶフェリー (右)島の新港。訪問客は徒歩で村へ向かう
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(左)目抜き通りノールダーローク Noorderloog は最初の馬車鉄道ルート
(右)移転後の駅へ通じるヴェスターローク Westerloog。左側の道が馬車鉄道跡

しかし、シュピーカーオークの鉄道史にはまだ続きがある。というのも、廃止を見越して、馬車鉄道を復活させる準備作業が進んでいたからだ。プフォルツハイム Pforzheim 出身で元教師のハンス・ロール Hans Roll 氏のリーダーシップにより、その計画は実現する。

車両は、シュトゥットガルト路面電車博物館協会 Verein Straßenbahnmuseum Stuttgart から16人乗りのオープン車両が調達された。線路は旧線のうち、村の駅からヴェストエントまで約1kmの区間が再利用されることになった。そして牽き馬の通路にするため、線路沿いの溝が埋められた。

*注 利用されなかった区間の軌道は撤去された。旧桟橋は長く残っていたが、最終的に2009年に撤去された。

車庫は当初、旧 貨物倉庫が使われたが、後に新築された駅舎棟に引込線と専用のスペースが設けられた。ちなみにこの貨物倉庫は、その続きで線路の北側にあった旧駅舎とともに現在、ピザレストラン「デア・バーンホーフ Der Bahnhof(駅の意)」になっている。

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(左)保存馬車鉄道の駅。右側にささやかなホームと線路がある
(右)本日の時刻表。当駅発15時と16時、帰着は15時50分と16時50分のみ

島内鉄道の黎明期を彷彿とさせるユニークな保存馬車鉄道はこうしてスタートした。しかしその歩みは常に順調とはいかず、車両を所有する協会が解散して、1997~98年の2年間、休止をやむなくされたことがある。幸い1999年に復活し、隣のランゲオーク島鉄道の改修で出た中古の資材を使って、2005~06年の冬に線路の更新も実施された。今や運行年数はディーゼル運行のそれに匹敵するまでになり、すっかり島の名物として定着している。

シュピーカーオーク観光局その他のサイトの情報を総合すれば、運行期間は4月中旬から10月中旬までだ。列車は村の駅を毎日13時、14時、15時、16時ちょうどに出発し、45分後に戻ってくる。片道12~15分程度かかるので、たとえば13時発の列車なら、西の終端(ヴェストエント)に着くのは13時15分ごろ、折り返しの出発が13時30分ごろ、村の駅への帰着は13時45分ごろになる(下注)。もちろん片道だけの乗車も可能だ。

*注 現地の案内板では、村の駅への帰着時刻を50分後と記載しており、生き物のことなので多少の時間的余裕を見込んでいるようだ。

ただし、「風と天候次第で変更がありうる」と注意書きされているように、必ずしも全便が運行されるとは限らない。実際、私が訪れた日は、上天気だったにもかかわらず、15時と16時発の列車しか設定されていなかった。13時前に勇んで駅へ行ったものの、駅舎のドアは閉ざされて、人の気配が感じられない。このまま列車を待つと本土へ帰る船に間に合わなくなってしまうため、空の線路と、囲い場でくつろぐ2頭の牽き馬を写真に収めただけで、その場を立ち去らざるを得なかった。

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かつて側線が張り巡らされていた旧駅構内。右の2頭の馬が交替で馬車を牽く
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防潮堤の外側の草原を直進する線路

運行状況についてウェブサイトやSNSで告知は行われておらず(下注)、島の観光パンフレットの記述も「実際の運行時刻は、駅の掲示板でご確認ください」とそっけない。考えてみれば、島の訪問者の平均滞在日数は6.43日(2016年)だ。長期滞在客の気晴らしが目的の運行なら、乗る側もそのつもりでのんびり構えるしかないのだ。

*注 ここには挙げないが、駅の掲示には、連絡先のメールアドレスと電話番号が書かれていた。

主役のいない線路の写真ばかりではつまらないので、別の日にシュピーカーオークを訪れて、運よく乗車と撮影に成功したT氏の作品をお借りした。草原を貫くか細げな線路の上を、愛らしい牽き馬に連れられて華奢なオープン客車がのどかに転がる光景を、じっくりご覧いただきたい。

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(左)出発を待つ「列車」。エンジンは1馬力、名前はタンメ Tamme、これはフリジア語で、英語なら Tommy とのこと
(右)車内は4人掛けベンチが背中合わせに並ぶ
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(左)ヴェストエントに向けて出発。右の線路は車庫への引込線
(右)馭者と車掌と案内人を兼ねるクリスツィアン・ロール Christian Roll 氏。創設者の息子で、馬車鉄道の運行を引き継いだ
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陸閘 Deichschart を越えようとする「列車」
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(左)陸閘の上は恰好のお立ち台 (右)乗客に島の自然を案内していく
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(左)唯一のカーブを曲がれば終点は近い
(右)板張りのささやかなホームがあるヴェストエントに到着

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
spiekeroog.de  https://www.spiekeroog.de/
シュピーカーオーク博物館協会 Museumsverein Spiekeroog
http://www.inselmuseum-spiekeroog.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

★本ブログ内の関連記事
 北海の島のナロー I-概要
 北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編
 北海の島のナロー III-ボルクム軽便鉄道 後編
 北海の島のナロー IV-ランゲオーク島鉄道
 北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編
 北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編

 マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス・ベイ馬車軌道
 開拓の村の馬車鉄道

2018年7月 8日 (日)

北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編

東フリジア諸島の地形を縦断面で見れば、北が高く、南が低い。砂を運んでくる海流に面した北側に、砂丘が発達するからだ。対する南側は陸化が進まず、潮位が高い時に海水が入り込む草地や沼地、いわゆる塩性湿地 Salzmarschen が広がっている。それは沖に向かうにつれ、徐々に泥の干潟に移行していく。

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防波堤のベンチは、塩性湿地とそれに続く干潟の展望台

鉄道は、沖合に設置された島の船着き場まで、陸と海のあいまいな境目をしばらく走らなければならない。最初のころは、地面に直接か、そうでなくても干潟に打ち込んだ木杭の上に、線路が置かれた。大潮ではしばしば冠水し、列車が水を掻き分けながら走る光景が古い写真に残されている。

しかし現在、ボルクム Borkum でもランゲオーク Langeoog でも、湿地や干潟の上を行くという感覚はほとんどない。前者は道路と並行する頑丈な築堤の上を走っているし、後者は港の駅の直後に防潮堤の内側に入ってしまうからだ。ところが、ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn は違う。港と町を結ぶ最短ルートとして、今でも線路は、防潮堤の外側の広大な塩性湿地を貫いていく。

この湿地は、何千羽もの海鳥たちの繁殖地だ。世界遺産でもあるニーダーザクセン・ワッデン海国立公園 Nationalpark Niedersächsisches Wattenmeer の一級保護区域(ルーエツォーネ Ruhezone)で、指定通路以外の立入りは厳しく規制されている。ふつうは目にし得ない風景の中を、列車は時速20kmでそろそろと横断していく。ヴァンガーオーゲ駅まで約15分、乗客だけに許されるユニークで貴重な体験だ。

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特別保護区域の案内板

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ヴァンガーオーゲ島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

14時20分、先頭についたシェーマ・ロコに牽かれ、列車は西埠頭 Westanleger 駅を離れた。埠頭の敷地が保護区域に隣接しているので、いきなり大自然の中に放り出された気分になる。丈の低い草や苔で覆い尽くされた湿地が目の届く限り広がり、その間を自由に縫う澪筋は、強風に煽られてさざ波立っている。機関車のエンジン音に驚いて、草むらからカモメたちがばらばらと飛び立つが、慣れてしまったのか、反応しない鳥のほうがずっと多い。

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塩性湿地の横断は列車だけに許される特権
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広大な湿地は野鳥の繁殖地に

寒さを我慢して、デッキに出てみた。足元を、PC枕木で強化された軌道が流れていく。1995年から10年間かけて改良工事が実施された結果だ。流失を防ぐために、路肩に大きな割石も撒かれているが、線路はわずかな盛り土とバラストの厚みの分、周囲より高いだけだ。潮位が上がれば今でも水に浸かるらしい。列車は、湿地の中心の、澪が集まるヴェストラグーネ Westlagune(西の潟湖の意)の上を、いくつかの小橋でまたいでいく。

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(左)ヴェストラグーネを渡る (右)潮が満ちると海中を走るような感覚

右へ大きくカーブするところで、左側から別の線路が合流してくるのが見える。ここはザリーネ分岐 Abzweigung Saline といい、1832年から1854年まで、近くでザリーネ Saline、すなわち製塩所が操業していた。分かれる線路は、島の西端ヴェステン Westen に向かう支線だ。定期列車は走っておらず、林間学校へ行く子供たちを乗せて、臨時列車が運行されるに過ぎない。

緑の低い堤防とワッデン海の間を少し走った後、陸閘にさしかかる。ここでも左後方へ、ごみ処理施設 Müllpressstation への短い引込み線がある。堤防の内側に入れば、早くも駅の構内側線が展開し始める。車両がいくつか留め置かれている中、列車はゆるゆるとヴァンガーオーゲの駅に滑り込んだ。

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陸閘から湿地を横断してきた線路を望む
右に分岐するのはごみ処理施設への引込み線

デッキから地表のホームに降り立つ。列車は折り返しで使われるらしく、入れ替わりに待っていた客がまた乗り込んだ。ホームの後部に立てられた柵の向こうでは、フォークリフトがせわしなく動き、長物車から貨物を降ろしている。

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(左)ヴァンガーオーゲ駅に到着 (右)ホームの後部では貨物を降ろす作業中

駅舎は、片側に塔を従えた煉瓦壁、寄棟屋根の2階建てで、どこかメルヘンチックな気配が漂う。建てられたのは1906年、ユーゲントシュティール Jugentstil(青春様式)が建築界をも席捲していた時代だ。ファサードに用いられた複雑な曲線や2階窓枠の上下に見られるシンプルな矩形の装飾が、その風潮を反映している。正面の時計の上にはフラクトゥール(ドイツ文字)で「Kehre wieder(帰っておいでの意)」と記され、列車で本土へ旅立つ人の心に何かを訴えかける。

駅舎も、2003年に大規模な改修が施された。外観の歴史的景観を復元する一方で、内部では、観光局とDBの窓口に機能的なオープンカウンターが導入された。ショーウィンドーに飾られた客車の鉄道模型も一旅行者の心に強く訴えかけるものがあるが、そこはぐっとこらえて絵葉書の購入で代えることにした。

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ヴァンガーオーゲ駅舎
(左)正面 (右)玄関上部には Kehre wieder の文字と鷲のレリーフ
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(左)駅舎の反対側に機関庫がある
(右)踏切から東望。線路はかつて東桟橋まで続いていた
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鉄道グッズのショーウィンドー

ヴァンガーオーゲは、有人島として東フリジア諸島の最も東に位置する。そのため、歴史的な位置づけも他の島々と異にしてきた。他がプロイセン領(1866年の普墺戦争以前はハノーファー王国 Königreich Hannover 領)だったのに対し、この島だけはオルデンブルク大公国 Großherzogtum Oldenburg に属していたのだ。この国も1871年からプロイセンが主導するドイツ帝国の一員となったとはいえ、行政上の区分は残された(下注)。

*注 連邦制のドイツ帝国のもとで、オルデンブルク大公国は、君主制が廃止される1918年まで存続した。

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赤の縁取りがオルデンブルク領。東フリジア諸島でヴァンガーオーゲだけが含まれる
「オルデンブルク及び北海のドイツ湾口 Oldenburg und die Deutschen Strommündungen der Nordsee, 1:850,000」図より
from vol. 12 of Meyers Konversations-Lexikon (4th ed.)

1890年代、大公国は他の島に倣って、ヴァンガーオーゲのリゾート開発に力を入れた。その施策の一つが交通路の整備で、すでに開通していた本土側の連絡鉄道(前回紹介した標準軌のイェーファー=ハルレ線 Bahnstrecke Jever–Harle)を邦有化するとともに、島の側では、桟橋から町までメーターゲージの蒸気鉄道を自ら建設した。これが現在のヴァンガーオーゲ島鉄道で、1897年7月のことだ(下注)。

*注 国鉄組織の改組により所有者は次のように変遷している。1897~1920年 オルデンブルク大公国邦有鉄道 Großherzoglich Oldenburgische Eisenbahn → 1920~1949年 ドイツ帝国鉄道 →1949~1993年 ドイツ連邦鉄道 → 1994年~ ドイツ鉄道グループ

ただし、今のルートとは、かなりの区間で異なっていた。まず、使われる桟橋が季節によって変わり、夏の桟橋 Sommeranleger は現在より約1km西の干潟の中に、海が荒れる冬場の桟橋 Winteranleger はより砂丘に近い位置に、それぞれ造られた。町の駅も今より約300m北に置かれ、現在のバラ公園 Rosengarten の場所にあった。

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新旧路線の位置関係
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

ヤーデ川 Jade 河口に位置するヴァンガーオーゲ島は、帝国海軍によって軍事拠点ともみなされた。島の西に要塞が建設されることになり、資材輸送のため、1901年にヴェステン支線が敷かれた。東の浜でも1904年に、軍港ヴィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven やブレーマーハーフェン Bremerhaven と航路で直結する東桟橋 Ostanleger(下注)が築かれ、鉄道(オステン支線)が延長された。

*注 和訳では桟橋(架設物)と埠頭(固定施設)を区別したが、原語はどちらも Anleger(船着き場の意)。

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(左)建設当時の駅舎。ドームの右側は平屋だった(ヴァンガーオーゲ駅の展示を撮影)
(右)東桟橋に到着した列車
Photo by 60cent at wikimedia. License: CC0 1.0

こうして町なかの頭端駅に、西と東から線路が集中する形になったが、あまりに手狭なため、1906年に現位置に、通り抜けが可能な新駅が造られた。旧駅に通じていた線路は、すぐに撤去されて跡形もない。

海軍はヴェステンの要塞に重砲を配置するため、1912年に冬桟橋の東方150mの位置に新しい桟橋(西桟橋)を設けた。そこへ向けて、ザリーネ分岐から干潟を横断する新しい線路が延ばされた。これは1917年から民生輸送に開放され、それまでの季節替わりの桟橋の機能を代替した。これが現在の軽便鉄道のルートになる。

第二次世界大戦中の1945年、軍事拠点のヴァンガーオーゲは連合軍の総攻撃に遭い、焦土化されてしまう。しかし戦後、同じ北海のリゾートであったヘルゴラント島 Helgoland がイギリスの占領下に置かれたため、ヴァンガーオーゲが代替地として脚光を浴びた。島の復興は、この俄か景気によって促進されることになった。

東桟橋からも多数の旅行者が上陸したが、1952年のヘルゴラントのドイツ返還後は利用が激減する。加えて砂が絶えず堆積する場所だったため、1959年をもって廃止され、オステン支線も運命を共にした。それ以降、ヴァンガーオーゲ島鉄道の運行は、西側の2線だけになっている。

宿に荷物を置いて、歩きに出た。すっかり叢林と化した海岸砂丘を縫う小道をたどり、島の南岸に築かれた堤防に上ってみる。外側にはさっき列車で通った塩性湿地が見渡す限り広がっていて、2本のレールだけが例外的な人工物だ。南面は遠浅で海岸浸食のおそれがないので、堤防は高潮による浸水を防ぐのが主目的だ。そのため、見かけは草に覆われた土堤に過ぎず、湿地との境も不分明なくらい、自然に溶け込んでいる。

少しでも風当たりの少ない場所を探して堤防の内側斜面をうろうろしながら、ヴァンガーオーゲ駅行きの列車が来るのをしばらく待った。なにしろ視界を遮るものが何もないから、西埠頭を出発するところから、ずっと姿を追うことができる。17時ごろ、埠頭の高床建物の横から今日の最終列車が動き出した。干潟の向こうをじりじりと移動し、西塔 Westturm を背にして、大カーブを回ってくる。そして、目の前に延びる草原の直線路をゆっくりと通過していった。

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西塔を背景に、列車が湿地内の大カーブを回ってくる
手前の線路はヴェステン支線
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ワッデン海の前を町の駅へ向かう

堤防道をそのまま進めば、西塔のあるエリアに行き着く。島の風景写真にしばしば登場する西塔だが、実はユースホステルの建物だ。高さは56mあり、1932年に建てられた。デザインは、17世紀初めに造られ、第一次世界大戦前まであった教会の塔にちなんでいる。この先代の西塔は長らくヴェーザー川に入る船の目標とされていたのだが、激しい海岸浸食を受けて海に没してしまった。以来、この新しい西塔が、島のシンボルを継承しているのだ。

*注 14~16世紀には、現在の西岸からさらに約5km西(現在は海の中)に教会塔があった。17世紀の塔はそれを継ぐもので、その意味で現在の西塔は三代目になる。

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西塔は島のシンボル

この付近にはユースホステルや林間学校施設がいくつか立地し、滞在している子どもたちが、町との間を自転車や徒歩で行き来するのを見かける。支線の終点駅ヴェステンも、その一角にひっそりとある。線路はそこからさらに続き、水路・航路局  Wasser- und Schiffahrtsamt (WSA) が管理する資材ヤードに引き込まれていく。

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ヴェステン駅
(左)左側がホーム。「34」の標石はオルデンブルク時代に設置された100m単位の距離標 Hektometerstein
(右)駅の先は水路・航路局の資材ヤードに引き込まれる

翌朝少し早起きして、町の中を散策してみた。今日もスマートフォンの天気予報は横風マークで、強風が吹き抜けて肌寒い。通りで出会う人とは「モイン Moin !」と声を掛け合う。一日中使える北ドイツの挨拶ことばだ。手押し車やリアカーに朝の荷物を積んで、人が行き交う。前かごが巨大化した自転車も目撃した。

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ヴァンガーオーゲの街路
(左)駅前のツェーデリウス通り (右)前かごが巨大化した自転車、リアカーつき

駅を覗くと、客車はホームに据え付けられているものの、人影はなく、構内はまだ静まり返っている。今日の始発は10時だ。駅前のツェーデリウス通り Zedeliusstraße を戻る途中、保存されている旧灯台 Alter Leuchtturm の敷地に、古い蒸気機関車を見つけた。1929年ヘンシェル Henschel 製の99 211号機だ。蒸気時代の主力機だったが、1957年にディーゼル機関車にバトンを渡して引退した後、1968年から町の文化財として静態保存されている。ボルクム号のように修復され、また走れる日が来ることを祈りたい。

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(左)静態保存の99 211号機
(右)カッセルのヘンシェル・ウント・ゾーン株式会社の銘板

宿で帰り支度を整えて、再び駅へ向かった。朝の車内はすいていたが、ガラス越しでない景色を見たくて、最後尾のデッキに移った。列車は陸閘から堤防の外へ出て、あの野鳥の楽園を横断していく。

この島でも、ユーストやシュピーカーオーク島の例に倣って、町に近い港をもつべきだという議論が、過去繰り返されてきた。そうすれば到達時間が一気に短縮され、物流が効率化され、鉄道の維持費も不要になる。しかし、ヴァンガーオーゲはその道を選ばなかった。2012年11月、町議会は最終的に、新しい港湾建設の計画を否決したのだ。

列車は右にカーブしていき、並行して走る澪の先に、西埠頭駅の高床に載った建物が見えてくる。町は新港を造る代わりに、この埠頭の近代化を進める予定で、ホーム扛上によるバリアフリー化や貨物の積替え設備の改良などの計画が発表されている。鉄道が今後も存続するのは確実だが、懐かしい島の軽便のイメージは何年後かに塗り替えられてしまうのかもしれない。

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帰路、西埠頭駅へ進入する

次回は、保存馬車鉄道のあるシュピーカーオーク島を訪ねる。

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
DB Schifffahrt und Inselbahn Wangerooge  https://www.siw-wangerooge.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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 北海の島のナロー I-概要
 北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編
 北海の島のナロー III-ボルクム軽便鉄道 後編
 北海の島のナロー IV-ランゲオーク島鉄道
 北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編
 北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

 火山急行(ブロールタール鉄道) I
 火山急行(ブロールタール鉄道) II

2018年7月 3日 (火)

北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編

ヴァンガーオーゲ Wangerooge ~西埠頭 Westanleger 3.4km
支線(不定期運行):ザリーネ分岐 Abzweigung Saline ~ヴェステン Westen 2.0km
非電化、軌間 1000mm、1897年開通

東フリジア諸島の東の端で、ようやくイメージどおりの島の軽便に巡り合えた気がした。ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn は、非電化、1000mm軌間の鉄道路線だ。ヴァンガーオーゲ Wangerooge ~西埠頭 Westanleger 間3.4kmを結ぶ本線と、途中のザリーネ分岐 Abzweigung Saline~ヴェステン Westen(下注)間2.0kmの支線があるが、一般の旅客列車が運行されるのは本線のみだ。

*注 ヴェステン Westen は(町の)西を意味するが、地名化しているので原語読みで記す。

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ヴァンガーオーゲ島の塩性湿地を横断する列車

この島内鉄道には、二つの際立った特徴がある。その一つは、航路とともにドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによって運営されていることだ。もともと19世紀末にオルデンブルク大公国邦有鉄道 Großherzoglich Oldenburgische Eisenbahn が開通させ、戦前のドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn を経て、DB(ドイツ連邦鉄道→ドイツ鉄道)に引き継がれた(下注)。これまで見てきた民営のボルクムや公営のランゲオークに対して、生粋の国鉄路線であり、DBとして今や唯一のナローゲージでもある。

*注 現在は、DB長距離輸送株式会社 DB Fernverkehr AG が運行する。

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ヴァンガーオーゲの駅名標もDB仕様

二つ目は、運行ダイヤが毎日違うという点だ。本土と島の間の航路が浅いため、船は潮位が高いときしか航行できない。そのため、接続する列車の発着時刻も日替わりになる。DBサイトには、ザンデ Sande 発着の本土側の連絡バスを含めた1年間のダイヤが一覧表で掲載されている。旅行計画を立てるときは要注意だ。

*注 島への航路が潮汐に依存するのはヴァンガーオーゲのほか、ユースト Juist、バルトルム Baltrum、シュピーカーオーク Spiekeroog だが、これらの島には島内鉄道がない。

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日替わりの時刻表(一部)。ab は発時刻 Abfahrtszeit の意

ヴァンガーオーゲ島行きの船が出る本土の港は、ワッデン海に面したハルレジール Harlesiel だ。ノルデン Norden から路線バス K1系統で向かった。今日の船は13時発なので、空き時間を使って、2km内陸にある旧港カロリーネンジール Carolinensiel を見に行こうと思う。ハルレジールは船の大型化に伴って1890年に築かれた新港で、それまではカロリーネンジールがこの役を果たしていたのだ。

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カロリーネンジール旧港

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カロリーネンジール~ハルレジール付近の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)。なお、描かれている鉄道はイェーファー=ハルレ線だが、すでに廃止されている(詳細は後述)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

北海の島のナロー I-概要」でも記したが、北海沿岸では、内陸の水が干潟に出ていく位置に、高波を防ぐ水門を構えたジール港 Sielhafen が多数造られた。それは島へ渡る船の乗り場であると同時に、漁港であり、貨物港でもあった。周りに宿屋が建ち並び、物資の交易で賑わった。その後、干拓の沖合への進行や、船舶の大型化などで港の機能は失われたが、昔の情景が残され、観光地化しているところも多い。

カロリーネンジールもその一つで、ワッデン海に通じるハルレ川が拡幅され、そこが船溜まりになっている(下注)。堤に沿って歩いてみると、係留中の帆船と、それを取り囲む赤屋根の家並みの組み合わせが絵になる。その一角で、外輪蒸気船 Raddampfer と大書した案内プレートに目が留まった。観光用にハルレジールのヨットハーバー Yachthafen との間を往復しているらしい。連日の快晴から打って変わって、きょうは雲が空を覆い、強い風にときどき雨粒も混じる。ハルレジールまで歩く予定をあっさり変更して、これに乗っていくことにした。

*注 訪れる時間がなかったが、ここにはジール港に関する博物館 Sielhafenmuseum もある。

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(左)外輪蒸気船の案内板 (右)蒸気船コンコルディア2世号が到着

コンコルディア2世号 Concordia II は、舷側に水車(外輪)をもつ小型船だった。小型といっても、後で聞くとデッキとサロン室で100人乗れるそうで、見かけによらず輸送力がある。今のようなフェリーが就航する以前は、こうした船が本土と島を結んでいたのだ。

狭い水路に波を立てない配慮もあるのか、船はほとんど人が歩くくらいの速度で進んだ。途中、跳ね橋のかかるフリードリヒ水門 Friedrichsschleuse を通過する。これが外海の高波からジールを護る水門で、1765年に初めて造られた。今でこそ内陸だが、昔はここが河口だったのだ。その外側は川幅が一気に広がり、停泊するヨットの群れの先に、近代的だが不愛想な雰囲気の水門が見えてきた。途中1か所、桟橋に寄港したとはいえ、外輪船は約2kmの水路を、実に40分かけてその水門前に到着した。

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(左)狭いフリードリヒ水門を通過
(右)帆船が通れるよう跳ね橋になっている(通過後撮影)
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(左)ハルレジール・ヨットハーバー。ハルレジール水門が正面に
(右)40分の小旅行を終えて下船

堤防を越えて、東埠頭のフェリーターミナル Fährhaus へ歩いていくと、ヴァンガーオーゲで使われていたと思しき旧型車両が静態展示されていた。長物車、普通客車が1両ずつと、その奥に少し離れて2軸のディーゼル機関車だ。軌間の違いを示す解説プレートがあるだけで、車両については何ら言及がない(下注)。

*注 深緑色の小型ディーゼル機関車は、ドイツ Deutz 社 OMZ 122 F、1941年製。シュピーカーオーク島で1965年に廃車となり、1969年にドイツ鉄道協会 DEV に引き取られていたが、2000年当地に設置。ヴァンガーオーゲにもごく短期間いたことがある。客車はヴァイヤー Weyer 社1913年製で、ヴァンガーオーゲ島で1992年まで使われていた。1997年設置。

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ハルレ旧駅の保存車両
3線軌条は展示用に後補したもの。軌間の違いを説明するパネルも設置

ただし、昔を知る人にとっては、車両が問題ではなく、この場所が保存されていることに意義を認めるはずだ。というのも、ここはかつてDB線の終着駅ハルレ Harle だったからだ(上の地形図参照)。イェーファー=ハルレ線 Bahnstrecke Jever–Harle と呼ばれるその支線は、オルデンブルク大公国時代の1890年にハルレまで開業し、1957年に港の拡張に伴って、現位置へ延長された。航路に接続するティーデツーク Tidezug(潮汐列車の意、下注)がここに発着し、本土での連絡手段となっていた。

*注 潮汐に依存する船の発着に合わせて、ダイヤは毎日変動するため、この名がある。一方、固定ダイヤで走る列車はカロリーネンジール止まりだった。

しかし自動車の普及で、利用者数は減少の一途をたどる。1987年に定期旅客列車が消え、2年後の1989年には貨物列車も廃止となった(下注)。その後、ハルレ駅舎は航路専用になり、線路は構内の今ある部分だけが残された。現役時代は普通の標準軌だったが、メーターゲージ車両を展示するためにレールを1本追加し、3線軌条にしてあるのだ。

*注 列車廃止に伴ってDBの代行バス(ティーデブス Tidebus)が、今もザンデ~ハルレジール間を走り、航路に接続する。

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「ティーデブス Tidebus」の表示を掲げた代行バス。ザンデ駅前にて

その駅舎ならぬフェリーターミナルの窓口で、島に渡る往復券(35.10ユーロ)を求める。DBが日帰り専用の時刻表 Tagesfahrpläne を作成しているくらいだから、割安の1日券(26.70ユーロ)もあるのだが、運航が1日2~3便きりなので、日程がうまく組めなかった。今日はキャリーバッグを引いて、島に泊ることにしている。

ここも紙の切符ではなく、ランゲオークと同じく、使い回しの「ヴァンガーオーゲカード WangeroogeCard」を渡された。改札機は本土側にのみ設置されているので、帰路この埠頭に戻ってきたときにカードが回収される。

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(左)旧駅は今、フェリーターミナル専用に (右)ヴァンガーオーゲカード

接岸していたのは760人乗りのヴァンガーオーゲ号、この航路の主力船だ。タラップから乗り込み、すぐにデッキに上がってみるものの、昨日までとは大違いでほとんど誰もいない。なにしろ気温は12度、ベンチは雨で濡れている。5月中旬の北ドイツだからと持参したダウンベストが、ここでようやく役に立った。

ちなみにグーグルマップでは、ヴァンガーオーゲ航路が水路の西側の埠頭から出るように描かれている。まったくの誤りではないが、西から出る便はごく少数で、DB日帰り時刻表にしか掲載されていない。ターミナルと主要埠頭は東側で、路線バスの停留所もそちらにある。

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(左)ヴァンガーオーゲ号に乗船 (右)あいにくの天気で乗客はみな客室に避難

フェリーは、13時定刻を少し遅れて出航した。例の不愛想な水門と埠頭の施設群が後方に遠ざかると、視界は一面、泥を巻き込んだような土色の海原になった。潮位が上がるタイミングで出たのだから、当然のことだ。船は、航路を示す杭の間をまっすぐ進んでいく。島まで1時間ほどかかるので、いったん暖かい船室に避難する。

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ハルレジール港を出航

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ヴァンガーオーゲ島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

次にデッキに上がったときには、もう島の砂浜に近づいていた。遠く曇り空を背景に、島のシンボルになっている西塔 Westturm と灯台がそびえる。まもなく埠頭(正式には西埠頭 Westanleger)も見えてきた。すぐそばに乗換え客を待つ客車が6両、忘れられたように停まっている。次の本土行きの船にはまだ早いので、ほとんど人影もなくうら寂しい雰囲気だ。

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ヴァンガーオーゲ西埠頭に到着。軽便鉄道の客車が待機していた
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(左)乗客はフード付きの防寒ジャケットを着込む
(右)貨物の積替作業が手際よく進んでいく

埠頭に降り立ち、強風に飛ばされそうになりながら、そそくさと客車のほうへ向かった。車端のデッキを上って車内に入り、一息つく。

この客車、一見古典的だが、実は1992~93年の新造だ。外装のコバルトブルーとクリームのツートンカラーは、そのころ本土の幹線を疾駆していたインターレギオ Interregio(地域間急行)を連想させる。ブランデンブルク州ヴィッテンベルゲにある旧東独国鉄の修理工場 Reichsbahnausbesserungswerk Wittenberge から計14両が納入され、それによって旧型車が島から一掃された(下注)。

*注 ハルレジールに置かれていた車両もその一部。

しかし、シートや照明その他の内装は、1990年代とは思えない無粋さだ。想像するに、ドイツ再統一前に確保されていた部材も使って安価に仕上げたのではないか。ただ、今ではそれが、離島の旅情を掻き立てる舞台装置の一つになっている。

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(左)コバルトブルーとクリームに塗り分けた客車
(右)安っぽい内装がかえって旅情を掻き立てる
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機関車が付くのを静かに待つ

機関車はまだ来ない。さっき下船したときは、埠頭の先端で長物車を3両牽いて、船からの積替作業をしていた。この島では、貨物輸送もまだ鉄道が担っている。使われているのはシェーマ Schöma 社の1999年製小型ディーゼル機関車CFL150形で、2両が在籍する(車両番号399 107および108)。すでに他の島でおなじみの顔だが、側面につけたDBのロゴがちょっと誇らしげだ。ほかに、やや無骨な風貌をしたルーマニアのファウル Faur 社製機関車も2両いる(1990年製造、399 105および106)。

エンジンの唸り音で気がつくと、シェーマ・ロコの赤い車体が車窓を横切っていく。埠頭の作業が完了したようだ。機回しされて列車の先頭に付けば、間もなく出発の合図が聞こえてくるはずだ。

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(左)DBのロゴを付けたシェーマ・ロコ
(右)機回し線を通って客車の先頭へ移動していった

続きは次回に。

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
DB Schifffahrt und Inselbahn Wangerooge  https://www.siw-wangerooge.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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 北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

2018年6月24日 (日)

北海の島のナロー IV-ランゲオーク島鉄道

ランゲオーク Langeoog ~埠頭 Anleger (Anlegestelle) 間 2.6km
非電化、軌間 1000mm
1901年開通(馬車鉄道)、1937年ディーゼル化

ランゲオーク Langeoog は、文字どおり長い(lange)島(oog)だ。地図で見ればユーストやノルダーナイのほうがより長いのだが、ワッデン海の沖に砂丘がどこまでも伸びるさまを見て、昔の人が素直に名付けたのだろう。ところが地名とは対照的に、ランゲオーク島鉄道 Inselbahn Langeoog は、3島の鉄道の中で最も短い。ランゲオーク駅と埠頭 Anleger (Anlegestelle) 駅の間 2.6km、ゆっくり走っても7分で着いてしまう。

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ランゲオーク島鉄道のカラフルな旅客列車

宿泊していたエムデン Emden から朝、ランゲオーク島をめざした。まずは船が出る本土側の港までたどり着かなければならない。東フリジアの各島の港と本土の港は、ほぼ1対1で対応している。この島に渡るにはこの港からというのが決まっているのだ。ボルクム島であればエムデン、ノルダーナイ島はノルトダイヒ・モーレ Norddeich Mole、そしてランゲオーク島の場合はベンザージール Bensersiel になる(下の地図参照)。

エムデンやノルトダイヒ・モーレへは本土の鉄道網が通じているが、その他の港はもはや鉄道では行けない。実際、旅行者の多くが自家用車で直接港まで来てしまうので、需要が細っているのだ。その分、港の周辺には大規模な駐車場が用意され、テーマパークの前かと思うほど車が並んでいる。

しかし感心するのは、片や公共交通機関のネットワークもしっかり維持されていることだ。各港を一つ一つ回っていくバス路線があり、列車も船もそれに連絡するようにダイヤが組まれている。ノルデン Norden からは、K1系統が日中1時間毎に、エーゼンス Esens を経由して、最終的に最東端ヴァンガーオーゲ島への港であるハルレジール Harlesiel まで行く。

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東フリジアの鉄道路線
"Personenverkehr Deutschland", DB Vertrieb, 12/2016

エムデン中央駅から、7時42分発のノルトダイヒ・モーレ行き列車に乗った。ブレーメン Bremen からやって来たダブルデッカーのIC(インターシティ)だが、案の定、車内はガラガラだ。ノルデン Norden で下車し、駅北側のターミナルで8時15分発のバスに乗り継ぐ。ベンザージールまで1時間近くかかる。

バスは数えるほどの客を乗せて、広大な平野をひた走った。一帯は干潟や塩性湿地が長い時間かけて干拓され、見渡す限り緑の農地に姿を変えている。エーゼンスでは駅前に入り、ヴィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven から来る列車(下注)の到着を待った。

*注 ノルトヴェスト鉄道 Nordwestbahn が連接気動車を運行している。ブレーメン Bremen やオルデンブルク Oldenburg 方面からはこのルートが近い。

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(左)島への港を回っていくバスK1系統 (右)緑の平野をひた走る

改めて北へ進んだバスは、高い防波堤を乗り越えて、ベンザージール港の旅客ターミナルの前で停まった。見ると、切符を求める人の列が玄関からはみ出している。出航は9時30分。あと20分しかないので少々焦る。しかし、中に入ると窓口が3つ開いていて、思ったより早く順番が回ってきた。

島内鉄道込みで大人往復25.20ユーロ(リゾート税 Kurtaxe 別)。日帰り券 Tagesrückfahrkarte は22.50ユーロだ。ただ、渡されるのは皆同じICチップの入ったランゲオークカード LangeoogCard で、レシートを見ないと何の切符かわからない。しかもこれは使い回しなので、帰りの船に乗る際、ターミナルの改札機で回収されてしまう。

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(左)ベンザージール港の旅客ターミナルには切符を買う人の列
(右)ランゲオークカード

ランゲオーク島の年間訪問者数は約21万人(2016年)で、ノルダーナイ、ボルクムに次いで諸島で3番目に多い。それで夏季(5~10月)は、本土との間を船が6~7往復しており、比較的自由に旅程が組める。この港からランゲオークの町まで、船と列車を介して約1時間というのも手軽でいい。

平日というのに、乗り込むとすでにデッキのベンチにも客があふれていて、人気ぶりが窺える。後部デッキの端に陣取って、海を眺めた。ちょうど干潮のタイミングらしく、周りは泥の干潟だ。船は防波堤の間の長い水路をたどり、十分沖合まで出たところでようやく速度を上げた。行く手にはすでに島の白い帯が見えていて、次第に輪郭がはっきりしてくる。30分もすればもう、島の港の突堤に迎えられる。

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(左)船はデッキまで満員 (右)長い水路を進む。防波堤の外側は干潟が広がる
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ランゲオークの埠頭
中央やや左、ランプウェーの陰に赤色の機関車が見える(帰路撮影)

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ランゲオーク島の1:50,000地形図(L2310 Esens 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

ランゲオーク島は、港、鉄道、市街を含めて全体がボルクムのミニ版という印象だ。規模は小さくても、公共交通機関がスムーズに相互接続している点は同じだし、ましてやカーフリーの島なので、それなしでは移動もままならない。

埠頭に建つ、本土側と同じデザインの旅客施設を通り抜けると、駅のプラットホームに直結している。だだっ広い島式ホームはかさ上げされ、車両との段差が小さい。トラムのようだったボルクムの軽便に比べて、いくぶん普通鉄道の雰囲気がある。ここも機関車が列車の両端に付くプッシュプル運転なので、町に向かって左側の発着線には機回し用の側線もなかった。

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(左)埠頭駅の島式ホーム (右)ホームの両側に列車が停車中

ホームの両側に列車が停まっている。右の列車は客車5両のみの編成、左は客車6両とその後ろに、託送手荷物の小型コンテナを載せる長物車が連結されている。小ぶりの客車はデッキ付きで、内部は2人掛けクロスシートの木製ベンチが並ぶ。また、中央の車両はバリアフリーの特別仕様だ。ホームとの空隙を埋める踏み板が出て、座席も1人掛けで通路が広く取られている。塗装は1両ごとに色が違い、紺、青、赤、黄、緑とカラフルだ。それに赤いディーゼル機関車(シェーマ・ロコ Schöma-Lok)が付くと、軌間1000mmでも遊園地の列車のように見える。

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(左)シェーマ・ロコ CFL 250形
(右)託送手荷物を積む長物車(ランゲオーク駅で撮影)
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(左)客車はデッキ付き (右)車内は2人掛けのクロスシート
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(左)バリアフリー車両は中央に両開き扉、踏み板つき
(右)1人掛け席で通路を広げている

船を降りた客のほとんどが右側の列車に乗り込んでいくので、それに従った。出発すると、右にカーブしながら、フリントヘルン防潮堤 Flinthörndeich の陸閘を通過する。それから堤防前地 Deichvorland に広がる牧草地の中を走っていく。緑の波に無数のタンポポが揺れる。その中で馬が悠々と草をはみ、野鳥の群れが羽を休めている。実にのどかな景色だ。

踏切を渡って、ハーフェンシュトラーセ(港通り)Hafenstraße 沿いに進む。右の車窓に、セスナ機が駐機している滑走路が見えた、と思う間に側線が左右に分かれ、ランゲオーク駅のホームが近づく。実際乗ってみても、遊覧列車並みの感覚だった。

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(左)列車は牧草地の中を行く (右)ハーフェンシュトラーセ(港通り)を横断
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(左)堤防前地の広大な牧場 (右)島の飛行場を右に見る

鉄道の規模に比べて、駅はかなり大きい。列車は1面1線のホームのどん詰まり(町側)に停車するが、後方(港側)にも広いスペースがあり、倉庫のような建物が続いている。ここでは2008年まで鉄道貨物の受け渡しが行われていたのだ。取扱いが廃止されて以降、貨物輸送は、本土側で仕立てたコンテナトレーラーを船に載せ、島に着いたら電動カートでそれを目的地まで牽いていくロールオン・ロールオフ方式が取られている。駅で扱うのはもはや託送手荷物だけなので、広い作業場は遊休化している。

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ランゲオーク駅に到着
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(左)駅舎内部。出札窓口の右側は託送荷物の受付
(右)駅前にある手荷物運搬用のリヤカー置き場
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島の道を行く車両は馬車と電動車

ボルクムの経験から、埠頭に残っていたもう1本の列車が続行してくると予想し、カメラを手に構内の南にある踏切で待った。線路を横切るのは馬車か、電動車が牽くトレーラーだ。カーフリーの島ならではだが、肝心の列車はいっこうに現れなかった。さんざん待たされた挙句、見送ったのは埠頭から来る列車ではなく、ランゲオーク11時30分発の埠頭行きだった。とすると埠頭にいたあの列車は、次の船を待っていたのだろうか…。

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埠頭行き列車を見送る

駅前の幅広の通りを西へ向かった。中央通り Hauptstraße の名のとおり、町を貫くちょっとしたショッピング街だ。滞在客もそぞろ歩いていて、明るく開放的なリゾートの雰囲気が漂う。突き当りの坂の上にレトロな意匠の給水塔 Wasserturm があり、見晴らしが利く。起伏の多い海岸砂丘(カープ砂丘 Kaapdünen の名がある)はすっかり植生に覆われていて、その間を縫っていく遊歩道の先に、海も望めた。

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(左)給水塔から見下す市街地
(右)かつて馬車軌道が通ったバルクハウゼン通り Barkhausenstraße
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(左)町のはずれの給水塔 (右)給水塔から海岸砂丘と海を望む

ここランゲオーク島でも、最初に造られたのは馬車鉄道だ。渡船を運営していたエーゼンス=ランゲオーク航運 Reederei Esens-Langeoog の子会社により、1901年6月に開通した。諸島では最も遅い登場になる。当時の桟橋は今の位置ではなく、やや北東にあった。そこから軌道は干潟と湿地を横断して現駅付近で中央通りに入り(併用軌道)、さらに角を曲がってバルクハウゼン通り Barkhausenstraße を北上し、ロックム修道院の宿泊所 Hospiz des Klosters Loccum(下注)に達していた。延長3.62kmのルートだった。

*注 ニーダーザクセン州レーブルク=ロックム Rehburg-Loccum にある修道院が建てた宿泊施設で、現在も残っている。

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波に洗われる桟橋と馬車軌道(ランゲオーク駅舎の展示写真)

当初は冬場運休するなど、細々と走っていたが、1909年に本土の港ベンザージールに1000mm軌間の軽便鉄道(下注)が開通すると、急増した旅行者で運行も安定していった。1925年には他の島のような機関車の導入が計画されたが、町民の反対にあった。騒音に対する懸念も一つの理由にされたが、それより彼らは、船賃が高く旅行者が他の島に流れていると、会社の方針に不満を抱いていたのだ。結局、1927年に町は航路と馬車鉄道を一括で買収することで、公営化に踏み切った。ただ、懸案の動力転換は資金不足のために先送りされた。

*注 レーア=アウリッヒ=ヴィットムント軽便鉄道 Kleinbahn Leer-Aurich-Wittmund のオーゲンバルゲン Ogenbargen ~ベンザージール Bensersiel 間の支線。途中エーゼンス Esens で国鉄に接続した。1967年廃止。

1936年10月、嵐が二度も襲来し、桟橋へ通じる線路は高波をかぶって完全に流失してしまう。復旧に当たって、町は動力化を決断する。その際、町なかの併用軌道は廃止され(下注)、町の南口、すなわち現在位置に駅が設置されることになった。1937年7月15日が馬車鉄道の運行最終日で、ついにランゲオーク島に、ディーゼル機関車が列車を牽く時代が訪れた。

*注 一説では、中央通りからバルクハウゼン通りへの急カーブを列車が曲がれないことも理由にされた。

新しい線路は馬車軌道に並行して敷かれたが、ルートはその後二度変遷する。最初のそれは同じ年、空軍が島に飛行場を設置すると決めたことが原因だ。水害から飛行場を護るために防潮堤が築かれ、資材を陸揚げする新港の建設が始まった。工事は1939年に完成し、同時に鉄道も全面的に移設され、その埠頭に向かうようになった。

この軍用埠頭は戦後、民間開放されてしばらく使われたが、1951年、約400m西に新たな埠頭が建設され、線路も再び移動した。港通りの踏切の手前でカーブする今のルートは、このとき使われ始めたものだ。

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埠頭駅に揃う客船と列車

この間、機関車はドイツ Deutz 社やシェーマ Schöma 社製新車のほか、廃止された近隣の鉄道(シュピーカーオーク、ユーストを含む)からの譲渡でも調達されてきた。1960年代から気動車が運用されたが、現在の主力はシェーマ・ロコ CFL 250形5両だ。これは1994年に州の財政支援を受けた整備の一環で、同時に客車10両、長物車1両も新造された。さらに2005年にバリアフリー車両2両が追加された。

並行して施設の整備も実施されている。1995年にランゲオーク駅舎が今ある姿に改築され、線路配置も変更された。埠頭駅の拡張は2000年で、片面ホームから現在の島式2線になり、多客時の混雑緩和が可能になった。

こうしてランゲオーク島鉄道は、近年見違えるように近代化された。その一方で、長く島の鉄道を記録してきたサイト Inselbahn.de は、「その際、この島だけに残っていた軽便鉄道らしさ Kleinbahn-Flair の多くが失われた」と言って、惜しむ気持ちを隠さない。古典車両を走らせて観光鉄道の側面も強化するボルクムに比べて、こちらは見かけはともかく、中身は機能的で実用本位だ。往年のファンは、理解しつつもそこに一抹の寂しさを感じてしまうのだろう。

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ランゲオーク駅舎

次回は、最東端のヴァンガーオーゲ島鉄道を訪ねる。

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
Langeoog Tourismus Service  https://www.langeoog.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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 北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編
 北海の島のナロー III-ボルクム軽便鉄道 後編
 北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編
 北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編
 北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

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