2019年9月14日 (土)

マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee

エアラウフゼー Erlaufsee ~マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg 3.3km
軌間1435mm(標準軌 Normalspur)、直流650V電化(一部区間)
1981~85年 マリアツェル駅~エアラウフゼー間開通
2015年 マリアツェル・プロメナーデンヴェークへ延伸

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マリアツェル駅構内
背景の山は標高1626mのゲマインデアルペ Gemeindealpe
 

マリアツェル駅構内の、駅舎とは反対側に幅広の側線が数本敷かれている。マリアツェル鉄道が760mm狭軌のためにことさら広く感じるが、1435mm、紛れもなく標準軌の線路だ。ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf のように、本線格の路線が標準軌で、接続する支線が狭軌という駅はよくあるが、逆のケースは珍しい。

線路の所有者は、「ムゼーウムストラムウェー(保存路面軌道)利益共同体 I.G. Museumstramway」という、保存鉄道を運営する団体だ。毎年5月~10月の週末、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee(下注)」の名で、ここに古典列車を走らせている。

*注 Erlaufsee の訳について、鉄道名や停留所名は「エアラウフゼー」、湖の名(自然地名)は「エアラウフ湖」としている。

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この日の保存列車が行く
 

公式サイトに掲げられた紹介文を引用すると(ドイツ語原文を和訳)、「マリアツェルとエアラウフゼーの間の路線は、保存運行のために再建された廃線ではない。1976年から2015年にかけて一から新設され、線路でさえも保存路面軌道の活動家がボランティア作業で造ったものである。使用されている施設設備は、オーストリアの路面軌道および地方鉄道会社の技術の歴史を映し出している。」

路線は現在3.3kmの長さがあり、部分的に架空線も張られている(下注)が、上記のとおり保存鉄道のために新たに造られた線路だ。走る車両こそ古いが、建設後30年ほどしか経っていない。

*注 マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg ~フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum 間。ただし、電気トラム運行時のみ通電。

同じサイトに、これまでの経緯が記されている。それによれば、保存鉄道の活動は1968年春、後に団体を主宰することになるアルフレート・フライスナー Alfred Fleissner(下注)が、廃車予定だったバーデン路面軌道の100号電車を救い出したことに始まる。次いで、ウィーン市電その他の引退車両を収集し、ウィーンのオッタクリング Ottakring 駅構内の車庫を借りて保存するとともに、事業に当たる協会組織を設立した。

*注 現在は同名の息子と二人で協会を主宰している。

その後、彼がザンクト・ペルテン路面軌道会社に職を得たことから、協会の活動拠点もザンクト・ペルテンの工場跡地に移された。ところが、会社が経営危機に陥ったため、さらなる移転先を求めた結果が、観光地として知られたマリアツェルだった。自治体との交渉が成立し、市街地と郊外のエアラウフ湖を結んでルートを整備することになった。

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マリアツェル駅舎の反対側に延びる標準軌の軌道
 

1976年2月にザンクト・ペルテン路面軌道会社が倒産したとき、協会は、その車両、軌道、架線設備を一括で購入した。マリアツェルでは車庫と軌道の建設が始まり、1981年に、駅から北側のシュポルトプラッツ(スポーツ広場)Sportplatz までの最初の区間が運行可能になった。その後、1983年にヴァルトシェンケ(森の酒場)Waldschenke まで(下注)、1985年にはエアラウフゼーまで軌道が延伸されて、北区間が全通している。

*注 シュポルトプラッツ、ヴァルトシェンケとも臨時の折り返し場所で、現在は使われていない。

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一方、南区間は、ずっと遅れて2012年に着手された。マリアツェル鉄道の廃線跡(下注)を一部利用するとともに、途中で分岐して谷を横断し、駅と町を結ぶ遊歩道のそばに達するルートだ。大掛かりな築堤造成を含む建設工事も2014年には完成し、2015年8月から定期ダイヤで列車が走り始めた。現在、運行は北区間と通しで行われている。

*注 1988年に廃止されたマリアツェル~グスヴェルク Gußwerk 間のうち、マリアツェル側の約600m。狭軌の線路は2003年に撤去済みだったので、保存鉄道用の標準軌線路が新たに敷設された。

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マリアツェル駅周辺の地形図に保存路面軌道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

2018年9月下旬、マリアツェル駅に着いたその足で、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を一往復してみた。保存鉄道は季節運行で、この年は5月20日~10月28日の土日祝日に、1日6往復+出入庫便1往復が設定されていた。全線往復の所要時間は58分だ。

列車ダイヤは、マリアツェル鉄道と接続するように組まれている(下注1)。駅の構内で、本線列車から降りた客に、女性車掌が案内をしていた。その指さす方向、駅舎の反対側の側線に、客待ちしている列車がある。入換用の小型ディーゼル機関車が、デッキつきボギー客車1両(下注2)を牽くミニマム編成だ。

*注1 なお、時刻表の注意書きによれば、悪天候や客の数によって運休することがある。
*注2 もとプレスブルク線 Preßburger Bahn(ウィーン~プレスブルク(現 ブラチスラヴァ)間)で使用された1913年製客車。

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(左)車掌が本線列車から降りた客を案内
(右)本日の運行車両、入換用機関車が古典客車を牽く
 

保存鉄道には、走行可能な世界最古の路面蒸気機関車といわれる、もとウィーン=メードリング蒸気路面軌道 Dampftramway Wien-Mödling  の8号機がいる。それに加えて、ウィーン、バーデン、ザンクト・ペルテン、ザルツブルクなどから来た希少価値の高い路面電車コレクションも相当数所有している。しかし、それが常に稼働しているわけではないらしい。ともかく構内を横切って、そちらに向かった。

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ウィーン=メードリング蒸気路面軌道の8号機関車
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

客車には先客が3~4組いた。まだ席はあるが、いつものように線路観察のためにオープンデッキへ移動する。まもなく機関車のエンジンがかかって、さっきの車掌ともう一人乗務員が乗り込んできた。切符を求めたら、車内補充券の束から1枚繰って、パンチを入れてくれた。発行機から出てくる味気ないレシートでないのはうれしい。全線往復12ユーロ(片道8ユーロ)というのは、走行距離の割に高めだが、保存鉄道への寄付と思っておこう。

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乗車券(車内補充券)
 

10時58分発の列車は、まず南へ向かう。駅の出口で、狭軌の本線線路といったん並行するが、踏切を渡るとすぐ、狭軌は車止めで途切れた。標準軌がその位置に移って、先へ続く。マリアツェル鉄道の廃線跡であるこの短い区間は、27‰の急な下り勾配がついているから、慎重に進む。

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(左)マリアツェル駅を出発
(右)狭軌と並行する区間
 

線路脇に建つ駅の乗務員宿舎を過ぎると、三角線にさしかかった。列車はここで左に折れ、浅い谷をまたぐ築堤を渡っていく。その谷の東斜面に沿っていくと、早くも終点プロメナーデンヴェークだった。名称どおりマリアツェルの町につながる遊歩道(プロメナーデンヴェーク)に並行して、砂利敷きのささやかなホームが造られている。停留所を示すものは、架線柱に取り付けられた古風な標識と小さな時刻表だけだ。

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(左)マリアツェル鉄道廃線跡区間、場内信号機も残存
(右)三角線
  右の軌道が廃線跡区間の続き、
  左がプロメナーデンヴェークへ行く新設区間
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プロメナーデンヴェーク停留所
レトロな停留所標識がかかる
 

乗降客はなく、数分停車した後、11時05分に列車はバックし始めた。最後尾のデッキに乗務員が立ち、赤い旗を振って誘導する。もう一人はデッキの床に座って、誘導役の人と世間話を交わしていたが、三角線の分岐まで来ると地面に降りて、重い転轍てこを反対側に倒した。列車は分岐を左へ進み、廃線跡地の線路に達する(下注)。こうして方向転換を終えた列車は、再び駅のほうへ走り出した。

*注 ここはスプリングポイントのため、自動で進路が変わる。

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三角線での方向転換
(左)車掌が赤い旗を振って誘導
(右)重い転轍てこを起こす
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(左)後退運転で三角線に進入
(右)列車通過後、転轍機を戻す
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(左)転轍手は機関車に添乗
(右)方向転換を終えた列車が駅へ戻る
 

駅でまた数分停まり、今度は北区間の目的地エアラウフゼーに向かう。構内の建物の間を縫うように進み、車庫から出てくる線路と合流する。修理工場を兼ねる車庫は6線を収容する立派なもので、扉の窓ガラスに、保存されている路面電車が透けて見えた。

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6線収容の車庫
ガラス越しに路面電車の姿が
 

ちなみに、保存鉄道の軌道や架線設備は、廃止された路面軌道からのお下がりが再利用されている。まるでアールヌーボーの意匠のような溝つきレールの分岐や、760mm軌間との交差跡などは、特に貴重なものだ。架線を支えるブラケットもよく見ると、さまざまなデザインが揃い、どれも古風で優雅な曲線を描いている。

駅構内を後にして左に折れると、路面軌道らしい造りの停留所(フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum、休暇センターの意)を通過した。街灯、待合室、給水設備など、鉄道風景を醸し出す小道具が、あたかも野外博物館のオブジェのようにさりげなく置かれている。

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(左)芸術的な溝つきレールの分岐
(右)760mm軌間の交差跡が残る
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(左)架線を支えるブラケットのデザインにも注目
(右)鉄道風景を醸し出す小道具が揃う
 

それから列車は、ひと気のない野原に出ていった。道路の下を土管状のトンネルでくぐった後は、州道に沿って走っていく。おおむね下り坂で、路盤はコンクリートで固めてあったり、草生していたりとさまざまだ。やがて、終端ループの合流点を通り、森のきわに設けられたエアラウフゼー停留所に到着した。

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(左)路線唯一の「トンネル」
(右)ひと気のない野原を行く
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(左)エアラウフゼー停留所に到着
(右)終端ループから分岐する側線
 

停車時間が10分ほどあるので、エアラウフ湖畔まで出てみた。周囲を山に囲まれた静かな湖だが、鴨の群れが泳いでいるだけで、ボート乗り場には人影がなかった。きょうは曇り空で、半袖では少し肌寒い。標高828mの高地では、レジャー客で賑わう夏のシーズンはもう終わってしまったようだ。

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シーズンオフのエアラウフ湖畔
 

保存鉄道の次なる目標は、軌道を、マリアツェル市街地の入口にあるバスターミナルまで延長することだ。これにより駅と市街地の間を直接結ぶことができ、マリアツェルに車で訪れている観光客へのアピールにも効果がある。遊歩道に沿って通せば400mほどの距離だが、傾斜地のため、路盤を載せる擁壁を築かなければならない。まとまった工事資金の調達にはまだ時間がかかるだろう。

参考までに、保存鉄道の資料に基づいて、全体の配線図を下に示す。愛好家が基礎から造り上げた施設は、実物大の鉄道模型といっても過言でない。

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保存路面軌道の配線図
(マリアツェル保存路面軌道資料集 V3.0 2018年 に基づき作成)
 

次回は、イプスタール鉄道とその残存区間を訪ねる。

■参考サイト
マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道  http://www.museumstramway.at/

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 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II
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2019年9月 7日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II

マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn
谷線 Talstrecke

ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf での、西部本線 Westbahn(ウィーン~ザルツブルク)とマリアツェル鉄道との接続はけっこう歩かされる。前者のホームが駅舎の東寄りに伸びているのに、後者の頭端ホームは西端にあるからだ。もしウィーンからの特急列車(レールジェット Railjet)で後方車両に乗ってきたのなら、乗り継ぐのに300m、徒歩4~5分は見ておいたほうがいい。

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鉄道の起点ザンクト・ペルテン中央駅
左がマリアツェル鉄道
右は標準軌トライゼンタール線のホーム
 

マリアツェル鉄道は、同じように南へ分岐する標準軌のトライゼンタール線 Traisentalbahn(11番線)に並行した12、13番線に発着する。20年前に一度訪れたことがあるが、屋根なしの島式ホームは当時とさほど変わっていない。しかし今、乗り換え客を待っているのは、電気機関車が牽くくたびれた客車ではなく、金色に輝く3車体連接の電車ET形だ。

土曜の朝8時台で、乗車率は1ボックスに1組程度だった。行楽に出かけるにはまだ早い時間帯なのかもしれない。座席予約のビラを貼ったボックスがいくつかあるから、途中の駅で団体客が乗り込んでくるようだ。後ろに1等展望車を3両もつないでいるのだが、2等席でこれだと、1等は空気を運んでいるだろう。

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(左)ザンクト・ペルテン中央駅正面
(右)ホームで出発を待つ電車
 

ET形の車内は、狭軌車両としてはかなり広く見える。実際、車体幅は2650mmもあり(下注1)、ÖBBでよく使われている標準軌電車ボンバルディア・タレント Bombardier Talent の幅2925mmと比べても、軌間差を相殺して余りある。これで、わずか760mm幅、且つ急カーブ続出の線路上を何事もなく走れるとは信じられないほどだ。谷線の途中にあるロイヒ Loich まで、かつてロールボック(後にロールワーゲン)方式で標準軌貨車が直通していたから、車両限界が大きく取られているのは確かなようだ(下注2)。

*注1 ちなみに、762mm軌間の四日市あすなろう鉄道(旧 近鉄)内部・八王子線の現有車両の車体幅は2106~2130mm。
*注2 なお、ロイヒ以遠では、トンネルの建築限界がロールボック方式に対応していなかったため、貨物輸送は狭軌車両で行われていた。

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(左)狭軌用連接式電車ET形
(右)広く見える車内
 

発車すると、すぐに短いトンネルを2本抜ける。この間に、トライゼンタール線をアンダーパスするので、次に同線と並行したときは車窓の左側を通っている。最初の停車駅は、ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅 St. Pölten Alpenbahnhof(下注)だ。珍しい名前だが、マリアツェル鉄道の正式名が「ニーダーエースタライヒ=シュタイアーマルク・アルペン鉄道 Niederösterreichisch-Steirische Alpenbahn」であったことを思い出せば、腑に落ちる。ここはザンクト・ペルテン側の運行拠点で、車庫兼整備工場がある。さらに南側には標準軌線への積替えができる貨物ヤードが広がっていたのだが、すでに撤去されている。

*注 開通当初はザンクト・ペルテン地方鉄道駅 St. Pölten Lokalbahnhof と呼ばれた。なお、Alpenbahnhof はアルペン鉄道の駅を意味するので、和訳では「アルペン駅」としていない。同じような例で、ウィーンの西駅 Westbahnhof、(旧)南駅 Südbahnhof なども、本来「西部鉄道 Westbahn の駅」「南部鉄道 Südbahn の駅」という意味だ。

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(左)ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅
(右)麦畑の丘陵地を越える(ザンクト・ペルテン方向を撮影)
 

アルペン鉄道駅を後にして、列車は右へそれ、麦畑の広がる丘陵地を越えていく。早くも細かいカーブの連続で、PC枕木のよく整備された線路でも、きしみ音が断続する。再び平野に出ると、オーバー・グラーフェンドルフだ。ここはマンク Mank 方面の支線(グレステン線 Grestnerbahn またの名を「クルンぺ Klumpe」)の分岐駅だったが、2010年に廃止されてしまった。

現在、駅構内北側の転車台と扇形車庫があるエリアが、保存団体「鉄道クラブ Mh.6」の拠点になっていて、そこで、蒸機Mh.6をはじめとする760mm軌間のさまざまな車両の保存活動が展開されている。

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(左)オーバー・グラーフェンドルフ駅
Photo by GT1976 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)廃止されたグレステン線が分岐
 

オーバー・グラーフェンドルフの前後は貴重な直線区間だが、右に急カーブすると、次第に山が近づいてくる。さらにラーベンシュタイン・アン・デア・ピーラッハ Rabenstein an der Pielach あたりまで来れば、列車はもうピーラッハ川 Pielach の谷間を走っている。

多くの駅がリクエストストップ扱い(下注)のため、乗降がなければ通過してしまうが、地域の中心地であるキルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ Kirchberg an der Pielach は固定の停車駅だ。ここで団体客が乗車して、一気に予約席が埋まった。キルヒベルクにもE形(1099形)電気機関車と旧型客車が静態保存されていて、車窓からも見える。

*注 乗降するときは、車内(降車時)または駅(乗車時)のボタンを押して知らせる必要がある。

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キルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ駅
E形(1099形)電気機関車を静態保存
ヘッドマークは戦前のBBÖのもの
 

狭い渓谷の中で短いトンネルを二つくぐったところで、ピーラッハ川と別れて、列車は支流ナタースバッハ川 Nattersbach の谷に入る。ずっと連れ添ってきた州道B39号線が右へ姿を消すとまもなく、谷線と山線の境界となるラウベンバッハミューレ Laubenbachmühle に到着だ。

まず旧駅舎が見えてくるが、列車は前をそっけなく通過して、大屋根の建物の横に停まる。山里に似つかわしくないこの大規模施設は、ラウベンバッハミューレ運行センター Betriebszentrum Laubenbachmühle といい、ET形電車運行に際して造られた車庫兼整備工場だ。駅の機能もここに移され、運行事業者ニーダーエースタライヒ運輸機構 NÖVOG の資料によれば「マリアツェル鉄道の心臓部 Herz der Mariazellerbahn」になっている。

峠下の駅とあれば、蒸機なら給水作業のために長い停車時間をとるところだ。しかし、電車はわずか2分で出発してしまうので、施設を観察する暇もなかった。

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ラウベンバッハミューレ駅
(左)使われなくなった旧駅舎
(右)鄙びた駅だった20年前(1999年撮影)
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(左)現在のラウベンバッハミューレ運行センター
(右)車庫内でも発着可能に
Photo by Grubernst at wikimedia. License: CC0 1.0

山線 Bergstrecke

いよいよ鉄道の名物であるZ字状の3段折り返しによる山登りが始まる。ラウベンバッハミューレ駅の標高535mに対して、サミットは891.6mで、実に350m以上の高度差がある。最急勾配28‰、最小曲線半径は78m、狭軌とはいえかなり厳しい線形だ。

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山線 ラウベンバッハミューレ~ゲージングトンネル間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

折り返しの1段目は、ナタースバッハの谷底をそのままおよそ3km進み、2本の短いトンネルを介したヘアピンカーブで折り返す。2段目は、ナタースバッハ谷の西側の山腹を逆向きに約5km上っていく。途中にオーバー・ブーフベルク Ober Buchberg 信号所(下注)があり、通常ダイヤでは、ここで列車交換が行われる。

*注 1975年までは停留所で、乗降を扱っていた。

尾根の先のへアピンで再び反転すると3段目で、すぐにヴィンターバッハ Winterbach 駅にさしかかる(ただしリクエストストップ)。森に遮られて、車窓から下の段を眺望できるところがほとんどない中で、この駅のマリアツェル方では、さっき出てきたラウベンバッハミューレ駅の大屋根が見下ろせる。しかしパノラマはいっときのことで、後はまた森に覆われた斜面を、ひたすら急カーブでなぞっていく。

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(左)1段目の折り返しヘアピンカーブ(後方を撮影)
(右)ラウベンバッハミューレ駅を見下ろす
  大屋根が運行センター、左に旧駅舎
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車窓からナタースバッハ谷を眺望
中央の谷底集落にボーディング Boding 停留所がある
 

山脈を貫くゲージングトンネル Gösingtunnel は長さ2369m、線内では飛び抜けて長大だ。路線のサミットもこの中にある。息苦しくなりそうな長い闇を抜けると、ゲージング Gösing 駅だ。エアラウフ(エルラウフ)川 Erlauf の谷底から350mの高みに位置していて、石灰岩の断崖も露わなエッチャー山 Ötscher(標高1893m)が初めて車窓に現れる。

鉄道工事の作業員宿舎が、開通後に開放されて、ハイカーや巡礼者を泊めるようになった。それが改築されて、1922年にアルペンホテル・ゲージング Alpenhotel Gösing として開業した。ゼメリング峠の南部鉄道ホテル Südbahnhotel のようだと言われた眺望絶佳のホテルは今もあり、列車からだと、その屋根越しにエッチャーを望む形になる。

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(左)アルペンホテル・ゲージングとエッチャー山
(右)エアラウフ谷を隔ててエッチャー山の眺望
   山頂は雲に隠れている
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山線 ゲージングトンネル~ミッターバッハ間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道はここで下り勾配に変わり、森に覆われた急斜面の山腹を慎重に進む。ゲージンググラーベン高架橋 Gösinggrabenviadukt、クラウスグラーベン高架橋 Klausgrabenviadukt、ザウグラーベン高架橋 Saugrabenviadukt(下注)と、鋭く切れ込む谷筋にいくつもの高架橋が弧を描いている。

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ザウグラーベン高架橋を渡るE形(1099形)電気機関車
(2003年撮影)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

鞍部に載ったアンナベルク・ライト Annaberg-Reith 駅を過ぎると、ヴィーナーブルック貯水池(ラッシング貯水池 Lassingstausee)のほとりに差し掛かる。1911年からの電化初期に、鉄道に電力を供給していたヴィーナーブルック水力発電所 Kraftwerk Wienerbruck のための貯水池の一つだ。

*注 グラーベン graben はここでは渓谷、峡谷を意味する。

池の周りのへアピンカーブに面して、ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク Wienerbruck-Josefsberg 駅がある。エッチャーグラーベン Ötschergraben の峡谷を巡るハイキングルートの下車駅になっていて、マリアツェル駅との間にハイカーのための区間列車も運行されている。また、アンナベルク Annaberg の峠を越えてきたウィーンからの巡礼道ヴィア・サクラ Via Sacra(聖なる道の意)の旧道とも、ここで合流する(下注)。ヴィーナーブルックとは、ウィーンの巡礼者が渡る橋を意味する地名だ。

*注 ヴィア・サクラ旧道の概略位置を、上掲の地形図に破線で示した。なお、19世紀の新道(馬車道)は勾配を避けて、ライト Reith 地内を迂回している(現 州道B20号線のルート)。

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ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅に
貯水池の対岸から対向列車が接近
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上掲写真の反対側から見た
ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅
 

そのヴィア・サクラは、巡礼地へ向け、最後の峠ヨーゼフスベルク Josefsberg を越えていくが(下注)、鉄道はそれを避けて、峡谷の側を迂回する。山中にトンネルとガーダー橋が連続する中、エアラウフクラウゼ Erlaufklause 停留所の手前では、「ツィンケン Zinken(鹿の角の意)」と呼ばれるエアラウフ川の荒々しい峡谷の岩肌が垣間見える。

*注 巡礼道はこうして、アンナ、ヨセフ(ヨーゼフ)の名をもつ山(いずれも峠集落がある)を越えて、マリアの聖地に至る。

ようやく谷が明るく開けたところに、ミッターバッハ Mitterbach の町がある。谷の中央を流れるエアラウフ川が州境になっていて、川向うの町本体はまだニーダーエースタライヒ州だが、駅はすでにシュタイアーマルク州に入っている。林に覆われた浅い谷間を再びゆっくりと登っていくと、終点マリアツェル駅だ。ザンクト・ペルテンからは2時間15分の長旅だが、車窓の変化を追っていれば、退屈することはない。

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(左)マリアツェル駅に到着
(右)今より賑わっていた20年前(1999年撮影)
 

駅舎の軒下にフラワーバスケットが吊るされ、遠来の客を迎えている。しかし、待合室は閉ざされ、出札業務も行われていない。乗車券は、無人駅と同様、車内で巡回してきた車掌から買う方式だ。もちろんウェブサイトで事前購入もできるから、窓口がなくても支障はないのだろう。

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マリアツェル駅構内(南側から撮影)
 

さて、ここまで来たからには、信者でなくてもマリアツェルの町を見てみたい。中心部まで1.5km、駅前から連絡バスが出ているが、歩いても20分ほどだ。もし歩くなら車道を伝っていくより、駅前広場から延びる木陰の散歩道を行くのがお薦めだ。かつてグスヴェルクへ行く列車が下っていたグリューナウバッハ Grünaubach の谷を俯瞰しながら、ハイキング気分でのんびり歩ける。

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(左)マリアツェルの町へ通じる散歩道
(右)グリューナウバッハ谷の眺め
 

郵便局の建つ町の入り口から坂道を上がっていくと、バジリカの尖塔が姿を現す。広場を囲んで、品の良さそうな宿屋や巡礼者相手の土産物屋が軒を連ねているのは、門前町らしい光景だ。正面の階段を上ってバジリカの重い扉を開けると、ちょうど礼拝の最中で、きらびやかな装飾に囲まれた堂内に聖歌の清らかな歌声がこだましていた。

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マリアツェルの聖堂前広場
(左)立派な宿屋が立ち並ぶ
(右)門前の土産物屋街
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正面の階段を上ってバジリカへ
 

次回は狭軌鉄道の旅から寄り道して、マリアツェル駅に拠点を置いている標準軌の「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を訪ねる。

本稿は、Hans Peter Pawlik and Josef Otto Slezak, "Schmalspurig nach Mariazell" Verlag Josef Otto Slezak, 1989、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マリアツェル鉄道  https://www.mariazellerbahn.at/
鉄道クラブMh.6  Eisenbahnclub mh.6  http://www.mh6.at/

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2019年8月31日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I

マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn

ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf~グスヴェルク Gußwerk 間 91.4km

軌間760mm、交流6.5kV、25Hz電化
1898~1907年開通、1911年電化
1988年 マリアツェル~グスヴェルク間廃止

【現在の運行区間】
ザンクト・ペルテン中央駅~マリアツェル Mariazell 間 84.3km

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「天国への階段」連節式電車ET形
 

「天国への階段 Die Himmelstreppe」、マリアツェル鉄道の2012年に導入された新型電車の側面にそう大書してある。路線を運営するニーダーエースタライヒ運輸機構 NÖVOG が、観光鉄道として活性化を図るにあたり、立ち上げたコンセプトだ。

列車が向かうマリアツェル Mariazell は、オーストリアで最も重要なカトリックの巡礼地で、それをイメージしていることはいうまでもない。それとともに、この列車で旅したことのある人には、ヘアピンカーブを介した3段の折り返しを含む、760mm路線屈指の険しい山道がそのフレーズにダブって見えるだろう。

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マリアツェル鉄道は、現在、ÖBBの幹線に接続するザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf とマリアツェルを結んでいる84.3kmの路線だ。標高868m、北石灰岩アルプス Nördliche Kalkalpen の深い山中にたたずむマリアツェルの町に、鉄道は、大小無数のトンネルと高架橋で、山脈と峡谷を文字どおり縫うようにしてたどり着く。

歴史を遡れば、マリアツェルにあるバジリカ(聖堂)は、19世紀の帝国時代から領内で外国人が最も多く訪れる場所と言われるほど、広く尊敬を集めていた聖地だ。それで、鉄道敷設の構想も、西部鉄道 Westbahn がウィーン~リンツ間で開業した1858年にはすでにあり、その後も、標準軌の建設計画がいくつか生まれては消えた(下注)。

*注 標準軌のトライゼンタール線 Traisentalbahn の終点ケルンホーフ Kernhof(下掲の路線図参照)も、1893年の開通当時はマリアツェルの最寄り駅とされ、多くの利用者があった。

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マリアツェルのバジリカ(聖堂)Basilika von Mariazell
12世紀に創建されたローマカトリックの聖地の一つ
 

一方、1895年にニーダーエースタライヒ州の鉄道法 Landeseisenbahngesetz が施行されると、760mm軌間の軽便規格で、ザンクト・ペルテンから南西方向のキルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ Kirchberg an der Pielach に至る路線が計画される。これはオーバー・グラーフェンドルフ Ober-Grafendorf ~マンク Mank 間の支線(下注)とともに1898年に完成して、運行が始まった。

*注 後に「クルンペ Krumpe(ドイツ語で「曲がりくねった」を意味する単語クルム krumm のニーダーエースタライヒ方言)」あるいはグレステン線 Grestner Bahn と呼ばれたオーバー・グラーフェンドルフ~グレステン Gresten 間の760mm路線の最初の区間。

当初の計画はこれで完了だったのだが、その後、建設費が抑制できる軽便鉄道の利点を生かしてマリアツェルへ延伸する案が具体化し、1903年に州議会を通過した。翌04年春に全線で着工され、1905年にラウベンバッハミューレ Laubenbachmühle までが先行開業した。並行して行われていた山岳地帯での難工事は1906年に終わり、翌07年5月から待ち望まれていた旅客輸送が開始された。グスヴェルク Gußwerk までの残りの区間は、少し遅れて同年夏に開業した。これがマリアツェル鉄道だ。

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マリアツェル鉄道路線図
 

路線の正式名は「ニーダーエースタライヒ=シュタイアーマルク・アルペン鉄道 Niederösterreichisch-Steirische Alpenbahn」と言った。というのは、建設、運行ともニーダーエースタライヒ州営鉄道 Niederösterreichische Landesbahnen が行い、ルートも大半が同州域を通るものの、終端のマリアツェルやグスヴェルクは、グラーツ Graz が州都のシュタイアーマルク州に属するからだ。

実際、グスヴェルクへの延伸はシュタイアーマルク州が要望し、工事費も負担している。これは、山向こうを走る同じ760mmのテルル鉄道 Thörlerbahn と接続するための布石でもあったのだが、さらなる延伸は、第一次世界大戦勃発のため、実現せずに終わった。

*注 テルル鉄道は、南部本線に接続するカプフェンベルク Kapfenberg とアウ・ゼーヴィーゼン Au-Seewiesen の間22.7kmを走った軽便鉄道。テルル Thörl は経由する町の名。1893年開通、1995年廃止(旅客輸送は1959年休止)。保存活動も長くは続かず、線路は2004年までに撤去された。

鉄道は、通過する地形の違いから、ラウベンバッハミューレを境に二つの区間に分けられる。前半はピーラッハ川 Pielach とその支流が流れる谷を忠実にたどっていくため、谷線 Talstrecke と呼ばれる。後半は長さ2,369mのゲージングトンネル Gösingtunnel で山脈を貫き、高度のある山腹を渡っていくルートで、山線 Bergstrecke の名がある。

開通当初は蒸気運転だった。先に開通した谷線では、すでにムーアタール鉄道 Murtalbahn で実績のあった動輪3軸のタンク機関車U形4両(下注)が投入され、2軸の客車や貨車とともに定期列車が編成された。しかし、急勾配の連続する山線には、より強力な機関車が必要となる。リンツのクラウス Krauss 社が開発にあたり、動輪4軸の支持式テンダー機関車Mh形(過熱式、後にÖBB 399形)とMv形(複式)が造られた。Mはマリアツェルの頭文字で、同線向けの特別仕様だったことを物語る。

*注 U形の形式名は、ムーアタール鉄道の拠点駅ウンツマルクト Unzmarkt の頭文字。

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Mh形蒸気機関車
現在ヴァルトフィアテル鉄道で動態保存されている4号機(Mh.4)
 

しかし、それでも十分な準備ではなかったのだ。開業すると予想以上の乗客が殺到して、広告宣伝を中止しなければならないほどだった。旅客だけでなく木材や鉱石など貨物輸送も好調で、鉄道はたちまち輸送力不足の対策を迫られた。

複線化や機関車の高性能化などの案が検討される中で、州鉄道局のE・エンゲルマン・ジュニア(ユーニオア)E. Engelmann junior は、単相交流で電化するという大胆な提案をした。この時代、路面軌道や地方の軽鉄道はともかく、長距離で幹線並みの交通量がある鉄道の電化はほとんど例がなく、反対の声を押し切って事業が進められた。

電源は、沿線の豊富な水力を利用した。山線沿線のエアラウフ川 Erlauf 本支流に貯水池を設け、そこから導水して、谷底に建設したヴィーナーブルック発電所 Kraftwerk Wienerbruck のタービンを回した(下注)。ボギー台車を装備した電気機関車E形(後のÖBB 1099形)も開発され、1914年までに16両が導入された。こうして全通からわずか4年後の1911年に、マリアツェル鉄道は交流6.5kV、25Hzの電気運転に切り替えられたのだ。

*注 後の1924年に、さらに下流(ゲージング駅直下)にエアラウフボーデン発電所 Kraftwerk Erlaufboden が造られ、鉄道にはそこから給電されるようになった。なお、2014年以降は公共電力網に接続されたクランゲン変電所 Umformerwerk Klangen からの供給に切り替えられている。

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エアラウフ峡谷にあるヴィーナーブルック発電所
© Bwag/CC BY-SA 4.0
 

電化に伴い、蒸気機関車は早くも仕事を失った。そのため、一部が支線に移されたほかは、各地の狭軌鉄道に転籍していった。現在、ヴァルトフィアテル鉄道(下注)で観光列車を率いているMh.4(399.04)は、その一台だ。マリアツェル鉄道にもMh.6が戻り、保存団体により動態で維持されて、夏のシーズンの特別運行に登場する。

*注 ヴァルトフィアテル鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I」で詳述。

蒸機に取って代わった電気機関車E形は、かけがえのないマリアツェル鉄道の顔となった。760mm軌間でこの電化方式の鉄道は他に例がない。第一次世界大戦中、同軌間の他線区から蒸気機関車や車両が多数徴用され、バルカン半島に送られたが、E形は特殊性のおかげで対象とされず、地元にとどまった。そしてその後ÖBB 1099形として、2013年に定期運用を退くまで、実に100年以上も現役で走り続けたのだ(下注)。

*注 ただし、1959~62年の間に車体の更新と機器の近代化が図られている。

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定期運行を担っていたE形(1099形)電気機関車
(左)ラウベンバッハミューレ駅
(右)マリアツェル駅
(いずれも1999年撮影)
 

なお、2007年からそのうち3両がオリジナル塗色の茶色に戻され、交替で夏の観光列車「エッチャーベーア Ötscherbär(エッチャーの熊の意)」の運行を担うようになった。これは現在も継続されている。

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観光列車「エッチャーベーア」がマリアツェル駅に入線
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オリジナル色をまとうE形が牽引
 

さて、電化後に話を戻すと、ニーダーエースタライヒ州営鉄道の経営難から、鉄道の運行は、1922年にオーストリア連邦鉄道 Österreichische Bundesbahnen(BBÖ、後にÖBB) に引き継がれた。1950年代には、老朽化した機関車の換装や客車の上部構造更新、支線のディーゼル化など、近代化対応が取られている。しかし、戦後の地方路線に見られる衰退傾向は、マリアツェル鉄道も例外ではなかった。1988年5月にÖBBは、山線区間での貨物輸送を中止した。主に製材所からの木材輸送のために存続していた末端のマリアツェル~グスヴェルク間は、旅客列車も含めて廃止とされた(下注)。

*注 当区間は2003年に線路も撤去されたが、別項で紹介する「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell – Erlaufsee」が一部区間を標準軌で復活させている。

2000年代には、残る全線もニーダーエースタライヒ州がÖBBに委託する形で運行が続けられたが、2010年1月にÖBBと州の間で引継ぎ協定が締結され、存廃問題にひとまず終止符が打たれた。同年12月以降、州が設立したニーダーエースタライヒ運輸機構 NÖVOG が、鉄道の新たな所有者かつ運行事業者となっている。奇しくも開通当時の体制に戻ったわけだ。その傍らで、長年マリアツェル鉄道の支線として扱われてきたグレステン線の最後の狭軌残存区間(オーバー・グラーフェンドルフ~マンク間)が廃止されてしまった。

NÖVOGの徹底した梃入れによって、マリアツェル鉄道に染みついていた古典的な地方軽便線のイメージは大きく変貌した。まず車両が、シュタッドラー・レール社製の部分低床、3車体連接式の新型電車ET形9編成に置き換えられた。これが冒頭で紹介した「天国への階段」だ。山線の雄大な眺望を楽しめるように、一部の編成には1等展望車 Panoramawagen も連結された。旅客列車の電車化は2013年10月に完了し、その後は、週末に運行される1往復の観光列車(蒸機列車またはエッチャーベーア)を除いて、運行はすべてET形で賄われている。

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3車体連節のET形電車
ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルクにて
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1等展望車
 

ET形の導入に伴い、これを格納・整備できる大規模な車庫兼整備工場が、谷線/山線の境にあるラウベンバッハミューレに建設された。旅客駅の機能も統合されて、ラウベンバッハミューレ運行センター Betriebszentrum Laubenbachmühle と称している。

2011年冬から等時隔ダイヤが導入されたことで、時刻表も面目を一新した。以来、谷線では正確に1時間間隔で運行され、ザンクト・ペルテンで西部本線の列車と接続している。列車はラウベンバッハミューレ行きとマリアツェル行きが交互に設定されており、そのため山線では2時間間隔(区間列車を除く)の運行となる。山線はともかく谷線区間の性格は、今や近郊路線と遜色のないレベルまで引き上げられているのだ。

では次回、ザンクト・ペルテンからマリアツェル鉄道の車窓旅を楽しむことにしよう。

本稿は、Hans Peter Pawlik and Josef Otto Slezak, "Schmalspurig nach Mariazell" Verlag Josef Otto Slezak, 1989、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マリアツェル鉄道  https://www.mariazellerbahn.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II
 マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

 オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道

2019年8月17日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 III

ヴァルトフィアテル鉄道 南線 Waldviertelbahn Südast

ヴァルトフィアテルの山中には、大陸ヨーロッパを南北に分ける中央分水界が通っている。南線はこれを越えていくので、寄り添う谷は見るからに深く、線路にも急勾配と急曲線が連続する。景色の穏やかな北線に比べて、全般的にダイナミックで乗りごたえのあるルートと言えるだろう。

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ブルーデルンドルフの給水作業
(帰路撮影)
 

南線の蒸機列車は、北線の前日に当たる第1、第3土曜が運行日だ。距離が43.3kmと長いことから、1日1往復しかない。グミュント Gmünd を昼下がりの13時15分に出発し、終点グロース・ゲールングス Groß Gerungs に15時10分に到着する。復路は17時発で、グミュント帰着が18時45分になる。ニブロク蒸機の奮闘ぶりをたっぷりと楽しめる往復約4時間の長旅だ。

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南線路線図

発車の1時間前にグミュントのターミナル駅に戻ってきたら、ちょうど客車がホーム兼車庫の屋内から引き出され、隣の屋外ホームに据え付けられるところだった。蒸気機関車 Mh.4 にとっては、2週間ぶりの出番になる。6両ある客車(下注)は、窓のそこかしこに予約の貼り紙がしてあるものの、まだまるごと空席の車両も見られる。

*注 列車編成は北線と同じで、2軸古典客車6両、中間部にビュッフェ改造車、最後尾に緩急車がついた。

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グミュント駅
(左)客車の引き出し作業
(右)屋外ホームに据え付け完了
 

定刻を少し過ぎて発車した。北線を右に分けてすぐ、チェコ国境の手前に遺された三角線(前々回の記述参照)を通過する。それから ÖBB線をアンダーパスし、グミュント新市街をかすめ、後はしばらくのどかな耕作地の中を進む。車掌が巡回してきたので、乗車券を買うついでに空席のことを聞くと、次の駅で満席になります、とのこと。

川沿いの林の中を通り抜け、アルト・ヴァイトラ Alt Weitra(旧ヴァイトラの意)の停留所を見送ると、風景は緩やかな起伏を伴った丘陵のそれになる。左手には池があり、岸に点々と植わる木々が、水辺にほのかな影を落としている。

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(左)アルト・ヴァイトラは通過
(右)岸辺の木々が水面に影を落とす
 

ここから線路は、蛇行しながらその丘陵をじりじりと上り始める。60~70mの高低差がある、通称ヴァイトラ坂 Weitraer Berg だ。途中にある右回りのオメガループでは、最もくびれた部分で今通ってきた線路が間近になる。グミュントを出て初めての連続勾配だが、マリアツェル鉄道向けに造られた強力な蒸機にとっては、小手調べのたぐいかもしれない。

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ヴァイトラ坂を上る
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オメガループでは上ってきた線路が見える
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ヴァイトラ周辺の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

坂を上り切ると、ヴァイトラ Weitra に停車した。13世紀初めに築かれた城下町で、駅の西500m、ラインジッツ川の渓谷に臨む要害の地に城と市街地がある。コーラルレッドのあでやかな塗り壁の保存駅舎も、グミュントを別とすれば、沿線のどの駅よりも堂々としている。車掌の言葉どおり、ここでざっと40~50人の団体客が乗車して、予約席は一気に埋まった。

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ヴァイトラ駅
(左)駅舎はコーラルレッドの塗り壁
(右)大口団体客が乗車
 

駅を出ると、車窓から丘の上にすっくと建つ白壁の城がよく見える。それとともに、このあと渡る2本の石造アーチ橋にも注目したい。一つ目はファイツグラーベン高架橋 Veitsgraben-Viadukt(長さ70m、高さ15m)、二つ目がヴォルフスグラーベン高架橋 Wolfsgraben-Viadukt(長さ72m、高さ14m)という。サイズだけでなく、どちらも7径間で線路がカーブしていて、まるで双子のようだ。列車のデッキからでは全貌を捉えるのは無理だが、アーチの一部を見届けることはできる。

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ファイツグラーベン高架橋を渡る
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(左)丘の上に建つヴァイトラ城
(右)ザンクト・マルティンの教会
 

ヴァイトラから上流で、川は丘陵地を30~40mの深さに刻んで流れているが、ザンクト・マルティン・バイ・ヴァイトラ St. Martin bei Weitra でようやく平たい谷に戻る。少し進むと、シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ Steinbach-Bad Großpertholz だ。ここは周りに小さな集落しかないようなところだが、鉄道の運行にとっては昔から重要な中継地だった。駅に設置されたパネルの説明文を引用させてもらおう(ドイツ語原文を和訳)。

シュタインバッハとラングシュラーク Langschlag の間(下注)にあるヴァルトフィアテル鉄道の山線は、ユネスコ世界遺産ゼメリング鉄道になぞらえ、愛情を込めて「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」あるいは「小ゼメリング Kleiner Semmering」と呼ばれている。

*注 両駅間の距離は11.9km。

最急勾配28‰の狭軌鉄道は、本物のゼメリング鉄道に匹敵する。最小半径86mの数あるカーブで、線路は曲がりくねりながら標高806mまで上る(下注)。その際、大小のブルーデルンドルフトンネルを通り抜け、ヨーロッパの分水界を乗り越える。

*注 当駅の標高は626mで、最高地点との標高差は180mある。

この急勾配線では、重量列車が山を越えるのに、今日でも機関車と機関士に特別な力が要求される。特に重い列車は、昔も今も同じように、いわゆる補機と呼ばれる補助機関車の連結を必要とした。しかし、2000年まで維持されていた貨物輸送で2台目の機関車がないときは、列車はシュタインバッハ駅で分割され、2本の列車でヴァルトフィアテルのゼメリングを越えたのである。

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シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ駅
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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」の説明パネル
(上記和訳の原文)
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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」周辺の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

乗ってきた列車もここで20分ほど停車し、頼みの機関車に対して給水と点検が行われた。その間、乗客はみな車外に出て、思い思いに休憩する。作業の撮影にいそしむ人もいれば、駅舎の横の倉庫で展示しているユニークな木彫りの作品を鑑賞する人もいる。狭い車内ですでに1時間揺られてきたので、手足を伸ばすいい機会だ。

乗車を促す車掌の声が響いて、出発の時刻になった。上り勾配は駅構内の出口からすでに始まっているので、機関車は早くも出力全開だ。その様子を撮影するために線路脇で待ち構える人たちを見送って、列車は深い森に突入していく。

谷間に力強いドラフト音がこだまする中、二つめの支谷を渡るところで、アプシュラーク Abschlag 停留所に停車。森のハイキングに出かけるのだろうか、子ども連れで降りた人がいた。

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急坂での発車は出力全開
アプシュラーク停留所にて
 

短いトンネル(小ブルーデルンドルフトンネル Kleiner Bruderndorfer Tunnel、長さ44m)を抜け、谷の奥へ回り込んだ地点に、ブルーデルンドルフ Bruderndorf の給水所がある。ここはかつて停留所だったが、1986年にそれが2.4km先の集落により近い場所に移転した後、乗降を扱わない給水所になった。谷筋で水源には事欠かないとみえ、給水クレーンの先から、機関車のタンクに入るのと同じくらいの水量が漏れ落ち、大きな水音を立てている。

右側の横取りしたレールの上に大きな木のやぐらが置かれているのは、すぐ先にあるトンネルの検査用足場だという。再び走り出すと、急な右カーブの先に、その大ブルーデルンドルフトンネル Großer Bruderndorfer Tunnel が現れた。長さ262mあり、中は真っ暗で一寸先も見えなくなった。

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ブルーデルンドルフ給水所
(左)給水と同じくらいの量が漏れ落ちる(帰路撮影)
(右)木のやぐらはトンネルの検査用足場
 

最後の山脚を曲がり切れば、機関車の力闘も終わりが近い。切通しを抜けるとにわかに空が開け、列車の行く手に牧草地が広がった。このあたりが最高地点で、同時にヨーロッパ中央分水界でもある。北側斜面はエルベ川 Elbe 水系で、チェコとドイツを通って北海に注ぎ、南側はドナウ川 Donau 水系で、東へ流れて黒海に出る。想像すれば壮大な話で、この鉄道が世界遺産の向こうを張るのもわからないではない。

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最高地点付近を通過
(帰路撮影)
 

列車の歩みは重しが取れたように軽やかになり、ツヴェットル川 Zwettl の谷に沿って降りていく。小ぎれいな集落のあるラングシュラーク Langschlag で、また10分ほど停車した。

駅の側線に、1902年製の複式機関車 Uv.2(ÖBB 298.206)が静態保存されている。案内板によれば、最初この路線で走った後、イプスタール鉄道 Ybbstalbahn へ移籍し、1963年の引退後、ラングシュラークの自治体が保存のために買い戻したのだという。Uv.2は貨車を1両連れていて、その中は備品や歴史資料を集めたささやかな鉄道博物館になっている。給水も乗降もない駅に停車するのは、これらを見学するための時間をとっているのだ。

ヴァルトフィアテル鉄道の施設設備が2010年に州に移管された後、主要な駅建物や敷地などの固定資産は順次、沿線自治体が取得して保存と同時に活用し始めた。南線ではここラングシュラークをはじめ、ヴァイトラ、ザンクト・マルティン、グロース・ゲールングスなど、駅は公共施設として管理され、列車運行時のほか、地元のイベントやコミュニティ活動などにも利用されている。

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ラングシュラーク駅
(左)静態保存の Uv.2、後ろの貨車は鉄道博物館
(右)鉄道博物館内部
 

長い蒸気列車の旅も、いよいよ最後の一区間を残すのみだ。列車はヴァイトラ坂を思わせるようなオメガループを通り、なおも浅い谷を降りていく。そして、集落のへりを回り込むようにして、終点グロース・ゲールングスの構内に滑り込んだ。定刻15時30分のところ、着いたのは20分遅れの15時50分だった。

到着早々、機回し作業が始まる。駅は無人で、鉄道の要員は機関士と助士と車掌の3人しかいない。それで、ポイントの切替えも、機関車の誘導も、客車との連結も、みな車掌の仕事だ。一連の作業が終わると、構内の動きが止まった。乗客は、貨物倉庫を利用した小さな博物館に立ち寄ったり、駅舎で営業している軽食堂の客になる。

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グロース・ゲールングスに到着
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機回しを待つ Mh.4
背景の建物はシアターに改造された旧 車庫
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(左)グロース・ゲールングス駅舎は軽食堂に
(右)貨物倉庫の中は博物館に
 

空いた時間に、町の中央広場 Hauptplatz まで出かけてみた。グロース・ゲールングスは、高原の街道筋に成立した宿場町だ。広場を囲んで端正な建物が建ち並んでいるが、車が頻繁に通過することもあって、リッチャウのような心潤う情景には乏しい。

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グロース・ゲールングスの中央広場
 

ヴァイトラからの大勢の団体客は、さっき駅前に迎えに来たバスで去っていった。観光列車でよく見かける、ハイライト区間だけを体験するツアーだったようだ。それで復路の車内は空席だらけになる。機関車はバック運転だ。途中、ブルーデルンドルフの給水所でたっぷり水を補給した以外、乗客が車外に出られる休憩停車はなく、グミュントまで列車は淡々と走り抜けた。

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帰り道、列車の長い影が畑に落ちる
 

次回は、アルプスの巡礼地へ向かうマリアツェル鉄道に舞台を移す。

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト) https://www.waldviertelbahn.at/

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2019年8月10日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 II

ヴァルトフィアテル鉄道 北線 Waldviertelbahn Nordast

北線(下注)の舞台は、チェコとの国境に横たわる緩やかな起伏の高原地帯だ。深緑の針葉樹林とそれを切り開いた耕作地が交互に現れ、線路は浅い谷間の小川や池に沿って敷かれている。今回は、毎月第1・第3日曜に運行されている蒸機列車で、グミュント Gmünd から北上しようと思う。

*注 北線、南線は両者を区別するために用いる便宜的呼称であり、正式な路線名ではない。

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気品漂うニブロク蒸機 Mh.4
リッチャウ駅にて
 

列車はグミュント発が10時と14時30分の2本あり、終点リッチャウ Litschau で折り返し13時と16時発になる単純なダイヤだ。1本目の列車に乗るべく、市街地の宿を出てÖBB駅前のターミナルへ向かった。開放的な雰囲気の待合ホールには、すでに多くの客が集まっている。

やがて外側ホームに通じる扉が開いたらしく、ぞろぞろと移動が始まった。オープンデッキつき2軸客車6両、中間部にビュッフェ改造車、最後尾に自転車が積載できる貨車(緩急車?)という編成だが、よく見ると、たいていの客車の窓には予約済みを示す紙がペタペタと貼られている。これなら待合ホールが賑わうはずだ。もちろん、予約していなくても乗車は可能なので、慌てる必要はない。

ニブロク蒸機(下注)を撮ろうと前へ行くと、正面に "Western Express" と書かれた円いプレートを付けていた。観光鉄道らしく、さまざまな催し列車が年に十数回運行されていて、今日はたまたまその日だった。「ウェスタン・エクスプレス」というのが何を意味するのかは、後で知ることになる。

*注 ニブロクは2フィート6インチ(762mm)軌間の日本での俗称。メートル法を用いる大陸系(とりわけオーストリア=ハンガリー)の鉄道では、この軌間を760mmと定義した。

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Western Express のプレートをつけて走る
アルト・ナーゲルベルク駅にて
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(左)2軸客車内部
(右)ビュッフェ車
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北線路線図
 

定刻10時、短い汽笛とともに列車はホームを後にした。ディーゼル機関車も憩う構内を通り抜ければ、まもなく南線を見送って北へ大きくカーブする。1950年に開通したチェコ領を通らない新線区間だが、もう70年近く経つから、風景に完全に溶け込んでいる。市街裏手の草原に沿って進んだ後は、森の中に入り、いつのまにかラインジッツ川 Lainsitz を渡った。

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新線区間を行く蒸機列車
(動画からのキャプチャー)
 

チェコとの国境にある旧 オーストリア税関前を通るも、一瞬のことだ。シェンゲン協定により国境検査が廃止された今は、車も無停車で行き交っている。住宅街の中にあったはずのグミュント・ベームツァイル Gmünd Böhmzeil 停留所もしかり。ここは、旧市街の最寄り駅として設けられ、国境が確定した1920年から2年間は北線の臨時ターミナルを受け持ったほどだが(前回の記述参照)、現在、列車がここで徐行し汽笛を鳴らすのは、単に踏切の手前だからだ。

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国境の旧税関前を通る線路
 

ベームツァイルの住宅街をくねくねと抜けると、もう人家の密集地はない。再びラインジッツ川を渡り、畑地の中をゆっくり上がっていき、まもなく線路は針葉樹の森に埋もれてしまう。車掌が巡回してきたので、さっそく往復の乗車券を求めた。昨日もそうだったが、くれるのはポータブルプリンタから出てくる薄紙のレシートだ。

観光鉄道化されたときに中間の停留所が廃止されたため、最初の停車駅は 8.4km先のノイ・ナーゲルベルク Neu Nagelberg になる。ここもチェコ国境が間近で、何人かのグループが乗り込んで発車した。

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(左)ラインジッツ川のほとりから山手へ
(右)森を切り開いた畑地を上る
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(左)ノイ・ナーゲルベルクに停車
(右)ガムスバッハ川を堰き止めた池が連なる
 

ガムスバッハ川 Gamsbach を堰き止めた池が、谷間に長く連なる。それを見ているうちに、アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg に到着した。17世紀から、地元産の石英を原料にしたガラス製造の伝統をもつ町で、駅の向かいに、グミュントのターミナルの前庭で見たのと同じ色ガラスのオブジェが並んでいる。北線にとってガラス製品は、かつて木材と並ぶ貨物輸送の主要産品だった。

機関車への給水が始まる。乗客もみな車外に出て、作業を見学しながら思い思いにくつろいでいる。時刻表上の停車時間は7分なのだが、機関車の点検作業も含めて倍の15分は停車しただろう。ようやく「Alle Fahrgäste, aufsteigen!(乗客のみなさん、ご乗車ください!)」と車掌の大声が響いた。全員客車に戻ったのを見計らって、車掌がオープンデッキの閂を下ろしに回る。それから円い標識を掲げて、発車合図の笛を吹く。列車は再びゆっくりと動き出した。

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アルト・ナーゲルベルクで長い給水停車
0kmポストはハイデンライヒシュタイン支線の起点を示す
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(左)停車中もメンテナンスを欠かさない
(右)円い標識を掲げて発車の合図(ブラントにて撮影)
 

駅を出て2km弱の間、右側にもう1本の線路が複線のように並行する。これはハイデンライヒシュタインに至る支線で、非営利団体のヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会 Waldviertler Schmalspurbahnverein (WSV) が、夏のハイシーズンに、旧型ディーゼル機関車による「ヴァッケルシュタイン急行 Wackelstein-Express」を走らせている。

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ハイデンライヒシュタイン支線
(左)本線との並走区間(復路撮影)
(右)分岐地点には支線のみ停留所(アルト・ナーゲルベルク・エルゴ Alt Nagelberg Ergo)がある
 

支線の運行日は、この並行区間を利用した両線列車のレースが呼び物になっている。駅を同時に発車して、途中抜きつ抜かれつした後、分岐地点で汽笛の挨拶を交わしながら分かれていく(下記参考サイトの動画参照)。定期運行時代から行われていた余興で、観光列車でも再現されているのだが、残念ながら今は6月初旬、支線はまだ休眠中だ。

■参考サイト
YouTube - アルト・ナーゲルベルクでの同時発車 Doppelausfahrten in Alt Nagelberg
https://www.youtube.com/watch?v=KdpER-j0D_M

その支線が右手に去ると、すぐにまた森が開けて、ブラント Brand 駅に停車した。ドイツ語でブラントは火事、火災のことだが、この地名は山火事によって開けた土地(入植地)という意味だ。

何やら列車の前方が騒がしい。デッキから覗くと、カウボーイハットに覆面の、西部劇に出て来るような格好の男女が乗り込もうとしている。どうやら列車強盗団の襲撃らしい。彼らはおもちゃのピストルをかざしながら各車内を回り、乗客を巻き込んで緊迫の(?)寸劇を繰り広げた。ところが仕事を終えたとたん、客車の前に全員整列し、車掌が構えるカメラにおとなしく収まったのには笑える。

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ブラント駅の西部劇
(左)列車の前方が騒がしい
(右)列車強盗団の襲撃
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(左)ピストルをかざして車内を回る
(右)最後はキャスト一同で記念写真
 

ウェスタン・エクスプレスのこのメインイベントのために、また15分ほど停車した。所定ダイヤからかなり遅れたが、誰一人気に留める乗客はいないだろう。列車は、ライスバッハ川 Reißbach が自然のままに流れる小さな谷を遡っていく。リクエストストップ扱いのシェーナウ・ドルフヴィルト Schönau Dorfwirt と、製材所への引込線跡が残る旧 シェーナウ・バイ・リッチャウ Schönau bei Litschau 停留所(廃止)は、続けて通過した。最後に短い坂道を上り、右に大きくカーブすると、終点リッチャウの駅舎が見えてくる。10時55分定刻のところ、到着は11時20分だった。

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ライスバッハ川の谷を遡る
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(左)シェーナウ・ドルフヴィルトを通過
(右)シェーナウ・バイ・リッチャウには製材所への引込線の痕跡が
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(左)リッチャウ城の望楼が顔を覗かせる
(右)終点リッチャウ到着
 

青空に綿菓子のような雲がいくつも浮かんでいる。きょうは絶好の行楽日和だ。駅舎では、町の人たちが食卓をこしらえて待っていた。シチューとヴュルステル(小ソーセージ)が大鍋で煮えている。列車から降りてきた客で、たちまち受付に行列ができた。豆やサラミをたっぷり煮込んだ酸味のあるシチュー(ボーネンアイントプフ Bohneneintopf)は、素朴ながら食欲を満たすには十分だ。その後、留置してある客車の中の小さな博物館をのぞいて、路線の諸元や歴史のデータを仕入れる。

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(左)帰路に備えて給水作業
(右)給水元は消防署のタンク車
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豆のシチューとヴュルステルが乗客たちを待つ
 

時間にまだ余裕があるので、駅前の坂を下ってリッチャウの小さな市街地へ出かけることにした。それは、地形図で想像していたとおりの、いい町だった。中心にある広場(シュタットプラッツ Stadtplatz)はそれ自体が急な坂道で、高い側に教会の白い塔がそびえ、谷向うにある城の望楼と対峙している。

町の裏手(北側)にはヘレンタイヒ Herrenteich という大きな溜池があり、波静かな水面に雲を映していた。堤の上は木漏れ日揺れる散歩道で、そのまま池の奥のほうまで延びている。木陰のベンチに腰を降ろして、堰から落ちる涼しげな水音を聞いていると、旅の途中であることを忘れてしまいそうになった。

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坂道に築かれたリッチャウ旧市街
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ヘレンタイヒ Herrenteich
(左)雲を映す水面
(右)堤は木陰の散歩道
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堰を落ちる小川
 

帰りの列車は13時発車だ。間に合うように駅に戻ると、列車の予約席は2両きりになっていた。団体で来た人の多くはまだ町でくつろいでいたから、次の便(16時発)に乗るのかもしれない。復路はおおむね下り坂なので、機関車のドラフト音も心なしか軽やかに聞こえる。途中、アルト・ナーゲルベルクの給水時間も短めで、13時55分、列車はほぼ定刻にグミュントのターミナルに戻ってきた。

次回は、南線を訪ねる。

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グミュントに帰着
 

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト) https://www.waldviertelbahn.at/
ヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会(ヴァッケルシュタイン急行) http://www.wsv.or.at/cms/

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 ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史

2019年8月 3日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I

ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn

北線 Nordast:
グミュント Gmünd NÖ(下注)~リッチャウ Litschau 間 25.5km、1900年開通
アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg ~ハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein 間 13.2km、1900年開通
南線 Südast:
グミュント Gmünd NÖ ~グロース・ゲールングス Groß Gerungs 間 43.3km、1902~03年開通

軌間760mm、非電化

*注 NÖ はニーダーエースタライヒ Niederösterreich(州)の略。

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蒸機列車がヴァルトフィアテルの森を行く
 

これからしばらく、オーストリア各地で今なお稼働している760mm軌間、いわゆるボスニア軌間(下注)の軽便鉄道をいくつか訪ねていこう。最初に紹介するのは、ドナウ川の北側を走る唯一の路線、ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn だ。

*注 ボスニア・ヘルツェゴビナには、1880~90年代に760mm軌間による大規模な路線網が築かれており、そのため、ドイツ語圏ではこの軌間を「ボスニア軌間 Bosnische Spur / Bosnaspur」と呼ぶ。

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起点はグミュント Gmünd という田舎町で、首都ウィーンから西北西へ直線で120km(下注)、チェコとの国境がもう目前に迫っている。ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の最速列車で行っても約2時間かかるその町から、狭軌のか細い線路が北と南へ分かれていく。

*注 鉄道の路線距離は、ウィーン(フランツ・ヨーゼフ駅)~グミュントNÖ 間で162km。

一般輸送はすでに旅客・貨物とも廃止され、今は観光鉄道としての機能しか持っていない。だが、数年前に完成した明るく立派なターミナルからは、嬉しいことに夏のシーズン中、毎日欠かさず列車が運行されている。総延長82kmに及ぶ路線網は、まさしく辺境に残された孤高のナロー王国だ。

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グミュント周辺の鉄道路線の位置関係

6月最初の土曜日、グミュントを訪ねるために、ウィーンの静かなターミナル、フランツ・ヨーゼフ駅 Franz-Josefs-Bahnhof からチェスケー・ヴェレニツェ České Velenice 行のREX(レギオナルエクスプレス、快速列車)に乗り込んだ。Uバーン(地下鉄)に接続する次のシュピッテラウ Spitterau で多数の客を拾うと、列車はものの数分でウィーン市内を抜け出し、ドナウ右岸の河畔林に沿って走っていく。

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ウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅
 

トゥルン Tulln で北を向き、ドナウ川を渡った後は、ヴァインフィアテル Weinviertel の緩やかにうねる丘陵地をじわじわと上る。中でもリンベルク・マイサウ Limberg-Maissau 駅の前後は大きなU字ループで、ちょうど谷向こうの鉄橋を降りてくる対向列車の姿を捉えることができた。

この路線はフランツ・ヨーゼフ線 Franz-Josefs-Bahn といい、プラハとウィーンを最短距離で結んでいる。しかし、山地を横断しなければならず、カーブの多いルートになった。それで国際特急はすべて、距離は長くなるものの高速走行が可能な北部本線 Nordbahn、ブルノ Brno 経由で走っており、こちらは実態としてローカル線だ。

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谷向こうを降りてくる対向列車
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目を和ませる菜の花の絨毯
 

遠望が利くのは、ジクムンツヘルベルク Sigmundsherberg あたりまでだろう。後は、畑や林の交錯する中を延々と走る。今は菜の花の咲く季節で、大地を覆うレモンイエローの絨毯が目を和ませるが、沿線に町らしい町は現れないまま、いつしか車窓は平原の風景に変わっていた。

グミュントNÖ 駅で、乗客のほとんどが降りた。駅舎を出ると、道路を隔てて、大屋根をアーチで支えた正面ガラス張りの建物がひときわ目を引く。「ヴァルトフィアテル鉄道」と書かれたパネルも下がっている。2014年に構内を整理縮小し、新たに造ったターミナルの駅舎兼車庫だ。

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(左)グミュントNÖ 駅到着
(右)ポップに改装された駅正面
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ヴァルトフィアテル鉄道のターミナル
 

建物の中に入ると、案内カウンターもある開放的な待合ホールの奥に、島式ホームを挟んでナローゲージが2線並んでいる。車庫を兼ねているので、線路の出口はシャッターつきだ。これとは別に、建物の外側にも、片側にホームをもつ1本の線路が延びている。後で知ったが、蒸機が牽引する列車はここで乗降するのだった。確かに屋内では、煙がこもってしまうに違いない。

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建物内部
(左)待合ホール
(右)プラットホーム 兼 車庫
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建物の外にある蒸機列車用のホーム
 

乗車券を買おうとカウンターで尋ねると、車内で売ります(下注)、と言われた。客の大半は団体かグループで、席を確保するために予約を入れていて、飛び込み客は少ないらしい。満席になっては困るからと、ウィーンを早めに出てきたが、拍子抜けした。空いた時間に市街へ行って、宿に荷物を預けてくることにしよう。

*注 車掌が手売りするので、現金払いのみ可。

列車に乗る前に、ヴァルトフィアテル鉄道の基礎的知識を仕入れておきたい。

まず、鉄道名になっているヴァルトフィアテルだが、これはこの地方の名称だ。ニーダーエースタライヒ Niederösterreich(下オーストリア)は、歴史的に4つのフィアテル(地方)Viertel に区分され、それぞれ主要産業の名で呼ばれてきた。すなわち、

北西部:ヴァルトフィアテル Waldviertel(森林地方の意=林業、鉱業を指す)
北東部:ヴァインフィアテル Weinviertel(葡萄酒地方の意)
南西部:モストフィアテル Mostviertel(果汁地方の意=リンゴ、ナシなどの果実酒醸造を指す)
南東部:インドゥストリーフィアテル Industrieviertel(工業地方の意)

■参考サイト
Wikimedia - ニーダーエースタライヒのフィアテル(エリア図)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vierteleinteilung_in_Niederösterreich.png

ヴァルトフィアテルは、ドナウ川 Donau の北側、マンハルツベルク山 Manhartsberg の西側の、文字どおり山がちな一帯を指す。その地方を鉄道が東西に貫いたのは1869年だった。ボヘミアとウィーンを結んで建設された勅許皇帝フランツ・ヨーゼフ鉄道 k.k. priv. Kaiser Franz-Josephs-Bahn (KFLB、下注)、いうまでもなく現在のフランツ・ヨーゼフ線だ。

*注 勅許皇帝フランツ・ヨーゼフ鉄道は、ヘプ Cheb(ドイツ語名:エーガー Eger)~プルゼニ Plzeň(同 ピルゼン Pilsen)~グミュント~ウィーン間およびプラハ Praha ~グミュント間が主要路線で、1884年に国有化された。

鉄道は、グミュントの町の南西でラインジッツ川 Lainsitz を横断し、左岸に駅が設けられたが、それは静かな田舎町を一変させる出来事だった。なぜなら、ただの中間駅ではなく、プルゼニ方面とプラハ方面からの幹線どうしが合流する駅だったからだ。鉄道の運行拠点として機関庫や修理工場が配置され、グミュントはにわかに鉄道の町の様相を呈した(地理的位置は下図1段目参照)。

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ヴァルトフィアテル鉄道のルート変遷
 

経済効果が明らかになるにつれ、周辺の地域でも鉄道建設を求める声が高まるのは、当然の成り行きだった。1895年に公布されたニーダーエースタライヒの鉄道法 Landeseisenbahngesetz で、建設費に対する公的補助制度が確立すると、実際、次々と地方路線が誕生していく。

グミュント周辺では、地元のガラス産業界の要請を受けて、まずグミュントからリッチャウ Litschau とハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein に至る北線の計画が具体化された。これは1900年7月に実現した。次いで1902年に南線のグミュント~シュタインバッハ=バート・グロースペルトホルツ Steinbach-Bad Großpertholz 間、1903年にはグロース・ゲールングス Groß Gerungs までの全線が開通した(上図2段目参照)。さらに北と南へ延伸する構想も立てられていた(下注)のだが、第一次世界大戦の勃発で実現せずに終わった。

*注 北線では、ボヘミアのノイビストリッツ Neubistritz(現 ノヴァー・ビストジツェ Nová Bystřice)で既存の狭軌路線への接続、南線では、ドナウ河畔のクレムス Krems やグライン Grein への延伸が構想された。

その戦争中、オーストリア一円の760mm軌間鉄道から機関車や車両が徴発され、バルカン半島の主戦場へ送達された。しかし、それよりも大きな問題をヴァルトフィアテル鉄道にもたらしたのは、戦後処理だった。

1919年に結ばれたサン・ジェルマン条約で、ラインジッツ川左岸のグミュント中央駅 Gmünd Hbf(および狭軌線のグミュント地方鉄道駅 Gmünd Lokalbahnhof)とその周辺が、ニーダーエースタライヒから分離され、新生チェコスロバキア共和国(以下、チェコという)に属することが確定したのだ。それに伴い、駅はチェコ語の地名に基づきチェスケー・ヴェレニツェ České Velenice 駅(下注)に改称された。

*注 もとのドイツ語地名であるヴィーランツ Wielands をチェコ語に言い換えたもので、「チェコのヴィーランツ」を意味する。

グミュントが運行拠点のヴァルトフィアテル鉄道にとって、これは頭を抱える裁定だった。1920年7月の条約発効後しばらくの間、チェコ側では列車を空のまま発車させ、国境を越えたオーストリア側の最初の停留所で客を乗せる措置がとられた。しかし、1922年に国鉄が、オーストリア側に以前からあったグミュント・シュタット Gmünd Stadt 停留所を駅に改修するのに合わせ、狭軌の線路も延伸して、ここを列車の起点とした(上図3段目参照)。

ただしこの時点では、機関庫と修理工場はチェコに残されたままで、北線も一部でまだチェコ領を通っていた。そのため、機関車は相変わらず旧駅の機関庫をねぐらにしており、新駅との間を回送で走った。また、北線の列車は、チェコ領を無停車(下注)で通過するコリドーアツーク Korridorzug(回廊列車)の形で、リッチャウ方面へ向かったのだ。

*注 短絡線ができる1947年までは旧駅で折り返していたので、停車はしたが乗降はできなかった。

なお、この間1921年にオーストリア連邦鉄道 Österreichische Bundesbahnen(BBÖ、後にÖBB) 、いわゆる国鉄が成立し、狭軌鉄道も国鉄に引き継がれている。

第二次世界大戦もまた、ヴァルトフィアテル鉄道に多大な影響を及ぼした。第一に、チェスケー・ヴェレニツェの鉄道施設が、空爆に曝されて使用できなくなった。そのため、グミュント・シュタット(1946年に「グミュントNÖ」に改称)に、新たに狭軌用の機関庫と修理工場が整備された。

第二に、回廊列車の運行を嫌ったチェコスロバキアが、オーストリア側における短絡ルートの建設を促した。チェコが費用を負担して新線が造られ、こうして1950年12月から、北線はチェコ領を通らない現行ルートで走るようになったのだ(上図4段目参照)。

なお、新線開通によりグミュントNÖ 駅西方の三角線は不要となったが、車両の方向転換用にまだ残されている。しかし、蒸機は復路でも向きを変えず、バック運転、いわゆる逆機で戻ってくるため、日常運用でこれが使用されることはない。数奇の歴史を秘めた三角線だが、レールはもはや錆びついてしまっている。

三角線とそれに続くチェスケー・ヴェレニツェ駅前までの廃線跡の現状は、下の写真を参照されたい。

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グミュントNÖ 駅西方の三角線(下図①)
気動車が通っているのが三角形の他の一辺
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(左)立体交差するÖBB線の列車から三角線を北望
(右)三角線の西端は国境手前で途切れている
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(左)国境のラインジッツ川を渡る廃線跡遊歩道(②)
右手前にÖと刻まれたオーストリアの国境標が見える。この付近ではラインジッツ川の中心線に国境があるが、鉄橋とその敷地はチェコ領のため、国境線がこうして川の右岸(東側)に張り出している(南にある標準軌線の橋梁も同様)。
(右)チェコ側も遊歩道に(③)
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チェスケー・ヴェレニツェ
(左)街角の路地が遊歩道入口(④)
(右)駅までの廃線跡は公園化され、マロニエの並木が続く(⑤)
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現 チェスケー・ヴェレニツェ駅舎は戦後の再建(⑥)
駅前にあった狭軌線施設も戦災に遭い、解体撤去された
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グミュント周辺の地形図に廃線跡等を加筆
図中の①~⑥は上掲の写真の撮影位置
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ようやく運行体制を整えたヴァルトフィアテル鉄道だったが、戦後は自動車交通の進展に伴い、緩やかな衰退に向かい始める。蒸気機関車が定期運行を担うオーストリア最後の鉄道(登山鉄道を除く)として、ファンの人気を集めたのもつかの間、1986年にハイデンライヒシュタイン支線を含む北線の一般旅客輸送が、1992年にはハイデンライヒシュタイン支線の貨物輸送が休止となった。2000年には南線の貨物輸送、2001年1月に北線で残っていた貨物輸送の休止と段階的な縮小が実施され、ついに2001年6月9日、南線における一般旅客輸送の終了をもって全線休止となったのだ。

一方、観光列車の運行が1979年に開始されており、一般輸送廃止後は、もっぱら観光による地域開発のために鉄道が維持されている。運行事業者は、州の公営企業であるニーダーエースタライヒ運輸機構有限会社 Niederösterreichische Verkehrsorganisations-Ges.m.b.H (NÖVOG) だが、2010年にはインフラもÖBBから移管されて、鉄道運営の一元化が図られた。

なお、北線のハイデンライヒシュタイン支線(アルト・ナーゲルベルク Alt Nagelberg~ハイデンライヒシュタイン間)については、非営利法人のヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会 Waldviertler Schmalspurbahnverein (WSV) が「ヴァッケルシュタイン急行 Wackelstein-Express」の名で走らせている。

狭軌鉄道の車両群は、基本的にグミュントが拠点だ。日常的に使われるのは、1986年ノッツ Knotz 社製5090形気動車3両(VT08、VT11、VT13)で、その塗色から「金色のディーゼルカー Goldener Dieseltriebwagen」と呼ばれる。オーストリアの多くの760mm軌間で運行の主力を担っているものと同形式の車両だ。

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5090形気動車
 

北線で日祝日、南線で水・土曜に走る古典列車編成は、蒸気機関車またはディーゼル機関車が牽引する。前者はクラウス社 Krauss & Co による1906年製のテンダー蒸機で、Mh.1 および Mh.4(下注)の2両が在籍している。もともと山岳路線のマリアツェル鉄道 Mariazellerbahn 向けに造られており、連続勾配・急曲線に適応した性能をもつ。南線の「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」と呼ばれる山登り区間が、一番の見せ場だ。後者は1950~60年代製の機械式ディーゼル機関車で、V5とV12の2両が就役している。

*注 形式名の M はマリアツェルの頭文字、h は過熱式 Heißdampflok を表す。マリアツェル鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I」参照。

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蒸機 Mh.4 が2軸客車を牽く
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ディーゼル機関車 V5 と V12
 

観光輸送に特化されたヴァルトフィアテル鉄道は、シーズン限定の運行だ。2019年の場合、北線は5月1日~9月29日、ハイデンライヒシュタイン支線は7月13日~9月1日、南線は4月27日~10月27日で、しかも7月~9月第1週のハイシーズン以外は平日(水曜を除く)運休になる。また、1日の運行本数も1本から多くて3本までなので、訪問する際は、運行日と時刻表をよく確かめておく必要がある。

では次回、まず北線から、路線の特色や車窓風景について紹介しよう。

本稿は、Paul Gregor Liebhart und Johannes Schendl "Die Waldviertelbahn - Eine nostalgische Reise mit der Schmalspurbahn" Sutton Verlag, 2017 、鉄道内各駅設置パネル、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ヴァルトフィアテル鉄道(公式サイト)  https://www.waldviertelbahn.at/
ヴァルトフィアテル狭軌鉄道協会(ヴァッケルシュタイン急行) http://www.wsv.or.at/cms/

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2019年7月27日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)III-郊外ルート

前回の続きで、ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn の郊外ルートを追っていこう。

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グントラムスドルフの併用軌道を行く
 

シェディフカプラッツ Schedifkaplatz 電停を出発すると、WLBの列車は専用線の上を、これまでとは見違えるような速度で走り出す。そして電停を二つ過ごした後、右に折れて南下を始める。最初の直線コースにあるインツェルスドルフ・ロカールバーン Inzersdorf Lokalbahn 電停の周辺は、前回述べたヴォルフガングガッセに代わるWLBの新しい運行拠点だ。駅の北側に修理工場、駅前に新社屋、南側に各200mの留置線6線をもつ車庫が整備されている。

ノイ・エアラー Neu Erlaa で4車線道路を横断し、その左側をしばらく並走する。この道は連邦道B17号線、トリエスター・シュトラーセ(トリエステ通り)Triester Straße という。ハプスブルク帝国の時代、自国領だったアドリア海の港町トリエステ Trieste(現 イタリア領、ドイツ語名:トリエスト Triest)に向かっていた主要道路だ。

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(左)ノイ・エアラー電停の南でトリエステ通りを横断
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン電停から北望
  左をトリエステ通りが並走する
Photo by Linie29 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

WLBのルートを大局的に眺めると、起点オーパーからずっとこの天下の大道に沿っていて、途中でマイドリングに寄り道する形になっている。最初は国鉄との間で、煉瓦など取扱貨物の受渡しをするのが主な目的だったのだろうが、マイドリング駅が近年にわかに重要性を高めたことを思えば、ルート選定に先見の明があったと言わずにはいられない。

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WLB線のルートと電停(市街地の電停は省略)
 

輸送の動脈としての役割を並行するアウトバーン(A2号線)に譲ったとはいえ、B17号線は今も交通量の多い道路で、沿線には商業施設が林立する。前回も触れたフェーゼンドルフ Vösendorf のショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd (SCS) はその代表的なものだ。郊外区間の前半、WLBの車窓は、日本にもありがちなロードサイドの風景が続くのだが、その中で、昔からある町の中心部だけは古い駅舎が残っていて(下注)、のんびりと走っていたであろう郊外鉄道の面影をとどめている。

*注 古い駅舎が残るのは、フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten、ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf(後述)、グントラムスドルフ Guntramsdorf(後述)、トライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn(後述)、トリーブスヴィンケル・ヨーゼフスタール Tribuswinkel-Josefsthal など。

たとえばウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf の駅舎は、小ぶりながら、切妻をいくつも交差させた凝った構造が目を引く。妻面の瀟洒な意匠といい、ホーム側の屋根庇といい、鉄道模型にしたくなるような愛らしい建物だ。屋内で新聞やタバコの売店、いわゆるトラフィク Trafik が営業しているのもレトロな趣きを加える。ここを終点とする区間便も多いので、駅舎のウィーン方には、頭端式ホームが設けられている。

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ウィーナー・ノイドルフ駅舎
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ウィーナー・ノイドルフ電停
(左)ウィーン方にある当駅始発の列車が入る頭端式ホーム
(右)バーデン方を望む
 

グントラムスドルフ Guntramsdorf のそれは、寸胴型の切妻造りだが、軒下の葡萄模様の飾りにひと工夫が感じられる。線路側には本物の葡萄の蔓が差し渡され、柔らかいレモン色の壁に彩りを添える。町の西側、ウィーンの森 Wienerwald の南東斜面には葡萄畑が広がっていて、テルメンレギオーン Thermenregion(温泉地方の意、下注)として括られるワインの産地であることを思い起こさせる。

*注 ウィーン盆地と東部アルプスの間の断層を通って、バーデン Baden やバート・フェスラウ Bad Vöslau などの温泉が湧出するため、この名があり、ワインの産地名にもなっている。

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グントラムスドルフ・ロカールバーン駅舎
軒先の柱頭飾りは葡萄の葉を象る
 

話のついでに、グントラムスドルフでは、南にある長さ約400mの併用軌道にも注目したい。ウィーン市内でずっと通ってきたので目に慣れてしまっているが、普通鉄道にそれがあるのは、実は異例だ。そのため、この区間では厳しく速度が制限され、旅客列車は25km/h、貨物列車を通す場合は、19.8‰の下り勾配であるバーデン方向が10km/h、ウィーン方向は20km/h以下で走行しなければならない。

現地で観察してみると、このフェルトガッセ Feldgasse という通りは、車道の幅が線路2本分ぎりぎりだ。車が退避できる余地はどこにもない。しかも中途にあるカーブで見通しが悪いから、通行は要注意だ。走る車がやや飛ばし気味だったのは、列車を警戒しているからだろうか。なお、坂道でレールの溝にはまる恐れもあるので、自転車は通行不可になっている。

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グントラムスドルフの併用軌道
(左)軌道が街路を占領
(右)車は列車の後につく
 

続くアイゲンハイムジードルング Eigenheimsiedlung とメラースドルフ Möllersdorf 両停留所の間では、珍しく線路の両側に耕作地が広がる。わずか700mほどだが、都市化が進む以前の車窓風景が体験できる貴重な区間だ。

*注 メラースドルフは、WLBの旧車両や資料を展示しているトライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の最寄り電停でもある。

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両側に耕作地が広がる風景
 

トライスキルヘン Traiskirchen も昔からの町で、同じように古い駅舎が残る。町の東のはずれにあるÖBBの駅(トライスキルヘン・アスパングバーン Traiskirchen Aspangbahn 駅、下注)と区別するために、電停の正式名称はトライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn という。ちなみにこのÖBBインネレ・アスパング線 innere Aspangbahn とWLBは、トライスキルヘン駅南方の貨物線でつながっている。

*注 ここを通るインネレ・アスパング線は、平日のみ運行の近郊ローカル線だが、歴史を遡れば、ウィーンとテッサロニキ(ギリシャ)を結ぼうとした壮大な鉄道計画の断片。

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トライスキルヘン電停
 

まっすぐ南下していた軌道が右に左にと大きくカーブを切る頃には、旅もいよいよ終盤だ。左車窓に多数の側線が見えてくる。インネレ・アスパング線から来る貨物列車の目的地だったバーデン・レースドルフ貨物駅 Baden Leesdorf Frachtenbahnhof だが、貨物輸送が途絶えた今は、保線用の資材置き場にされている。

南端にあるバーデン・ランデスクリーニクム(州立病院)Baden Landesklinikum は、2014年に開業したWLBで最も新しい電停だ。線路はここで単線になり、ヴァルタースドルファー・シュトラーセ(ヴァルタースドルフ通り)Waltersdorfer Straße の右端にすっと収まる。ここからは再び路面軌道で、旧市街に向けて西へ最後の2kmとなる。路上最初の電停バーデン・レースドルフ Baden Leesdorf は、南側(進行方向右側)にクリーム色をしたWLB車庫の壁面が長く続いている。

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(左)バーデン・レースドルフ貨物駅は資材置き場に
(右)車庫の壁に面するバーデン・レースドルフ電停
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バーデン市街地のWLBルート
破線は廃止された路線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

前々回にも触れたように、バーデン市内の併用軌道の歴史は古く、バーデン・トラムウェー会社 Badener Tramway-Gesellschaft による1873年開業の馬車路面軌道に遡る。それは、ここレースドルフを起点に、ヨーゼフスプラッツ Josefsplatz を経て、西郊のラウエンシュタイン Rauhenstein に至るものだった。レースドルフ車庫の建物は、馬車軌道が電気運転に転換される際(1894年)に建てられている。

そうと知れば、どうしてこの位置に車庫があるのか、そしてなぜ車庫の入口がバーデン側を向いているのかも腑に落ちる。馬車軌道のころは町はずれで、しかも横にシュヴェヒャト川 Schwechat の水場があり、馬を飼うには格好のロケーションだったに違いない。WLBは1897年にこの軌道会社を買収し、運行設備を引き継いだ。それから1世紀を越えてなお、車庫は同じ場所で綿々と使われ続けているのだ(下注)。

*注 近年では、1986年に列車の長編成化に対応するために増築された。

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レースドルフ車庫の正面
右側はシュヴェヒャト河岸の木立
 

レースドルフ車庫のファサード(正面)は、煉瓦で三基の小塔が組まれ、半円の明り取り窓が三つ開いている。屋根部の縁取りや水平に渡した帯の装飾も、繊細で見ごたえがある。前回紹介した1942年築の旧 ヴォルフガングガッセ車庫のファサード(裏側)も、この歴史的な建物のデザインを継承したことが明らかだ(下注)。

*注 なお、同車庫の表側は、裏側に比べてデザインが単純なため、後年の修復であろう。

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意匠が似る車庫のファサード
(左)レースドルフ車庫
(右)旧 ヴォルフガングガッセ車庫の裏側
 

通りを西へ進み、ÖBB南部本線の高架をくぐると、バーデン・ヴィアドゥクト(高架橋)Baden Viadukt 電停がある。この前だけは複線で、併用軌道区間で唯一、列車交換が可能だ。右手後方には、2004年にスマートな駅舎に建て替えられたÖBBのバーデン駅が見える。WLBの前身の一つ、バーデン路面軌道はヴィアドゥクト電停からこの駅前に入って、バーデン南部鉄道駅 Baden Südbahnhof という電停を設けていたが、1928年という早い時期に廃止されてしまった。

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ÖBB南部本線の高架をくぐる
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ÖBBバーデン駅
 

駅前を含め、バーデン旧市街を取り巻く通りは、ウィーンのそれを真似てリング Ring と呼ばれてきた(実際は矩形に近いが)。リングの南辺に当たるのが、WLBが通っているカイザー・フランツ・ヨーゼフ・リング Kaiser Franz Joseph-Ring で、どことはなしに上品な雰囲気が漂う。ここでは軌道は道路の中央に敷かれている。もとは複線だったのだが、道路交通の妨げになるとして、1968年に単線化されて以来、そのままだ。

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(左)待避線のあるバーデン・ヴィアドゥクト電停
(右)カイザー・フランツ・ヨーゼフ・リングの併用軌道を行く
 

ヴィアドゥクトから約600mで通りから右にそれ、終点のバーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz に到着する。以前あった終端ループは1989年に廃止され、現在は、広場に突っ込む形の2本の頭端線をもつターミナルだ。ループ跡は広場と街路に整備され、痕跡をとどめない。

電停前にはWLBのオフィスがあって、観光案内にも応じてくれる。電停からまっすぐ北へ行く街路は、三位一体柱 Dreifaltigkeitssäule のそびえるハウプトプラッツ(中央広場)に通じる。そこが、バーデン旧市街の中心部だ。

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終点バーデン・ヨーゼフスプラッツ
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(左)頭端式ホームはかつての終端ループの一部
(右)電停横にあるWLBのオフィス
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バーデン旧市街
三位一体柱と市庁舎(中央)
 

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

★本ブログ内の関連記事
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

 マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

2019年7月20日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

ウィーンの街は、シュテファン大聖堂 Stephansdom を中心として同心円状に拡がっている。そのうち、旧市街をあたかも年輪のように縁取っているのが、リング Ring(英語と同じく環の意)と呼ばれる幅広の環状道路だ。1860年代に古い市壁を取り壊すとともに、その外側にあった緩衝地帯を再開発するにあたって造られた大通りで、国会議事堂、市役所、大学、博物館など街を代表する豪壮な建築が建ち並ぶ。

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ウィーン国立歌劇場(左)の前を出発するバーデン行きの列車
 

ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn のターミナルはその一角、ケルントナー・リング Kärntner Ring の南側にある。電停名「ウィーン・オーパー Wien Oper」は、筋向いで威容を見せるオペラの殿堂、ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)Wiener Staatsoper から取られている。

ここは昔から旧市街の南口として、市壁があった時代はケルンテン門 Kärntnertor が置かれていた(下注)。今もUバーン(地下鉄)や市電の主要系統が集まる、まさに交通の一等地だ。

*注 ケルンテン Kärnten の名はオーストリア南部の地方(現在は州)名に由来する。門を通過していたケルントナー・シュトラーセ(ケルンテン通り)Kärntner Straße は、ウィーンの目抜き通りの一つ。

ターミナルとはいっても、大通りの一部を使っているので、構造は狭い敷地に2線を並べた簡素なものに過ぎない。進行方向右側がウィーン地方鉄道(以下、WLBという)、左側がマイドリング Meidling まで同じルートを走る市電62系統のホームだ。前後は街路を利用した大きな単線ループで、反時計回りの一方通行になっている。WLBも市電も頻繁運転しているから、遠路はるばる到着した列車でも長居はできない。ものの数分で、後の列車に場所を空けるために出発していく。

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ウィーン・オーパー電停
(左)市内ではWLBと62系統が同じルートを走る
(右)ウィーン市電の電停標識
 

ちなみに、市電の電停は、Uバーンの駅名を取り入れて 「オーパー、カールスプラッツ Oper, Karlsplatz」だ。片やその手前300mに、WLBと62系統の「カールスプラッツ」電停(オーパー方面の列車のみ停車)もあるから、注意を要する(下図参照)。

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ウィーン・オーパーおよびカールスプラッツ周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 
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ウィーン市街地のWLBルート(オーパー~シェディフカプラッツ)
薄赤は地下区間
破線は廃止された旧ルート
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

オーパーを発車すると、列車は交差点を左折して、ケルンテン通り Kärntner Straße、次いでヴィーデン中央通り Wiedner Hauptstraße を南下する。4つ目の電停、「ワルツ王」ゆかりのヨーハン・シュトラウス・ガッセ Johann-Strauß-Gasse(下注)の後、軌道は道路の下へ潜っていく。1969年に開通した、ウーシュトラープ Ustrab(舗道下路面軌道 Unterpflaster-Straßenbahn の略)と呼ばれる地下区間だ。

*注 この通りに、ヨハン・シュトラウス2世が1878年からその死(1899年)まで暮らした邸があった。跡地の建物の壁に記念プレートが嵌め込まれている。

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ヨーハン・シュトラウス・ガッセ電停
(左)オーパー方面のホーム
(右)電停の南で地下区間へ潜る
 

地上にはギュルテル Gürtel(帯、ベルトの意)という、ウィーン市街地を半周する環状道路が走っている。19世紀末から20世紀初めにかけて、外側の市壁(リーニエンヴァル Linienwall)の跡地に整備されたもので、リングとそれに隣接するいわゆる2号線 Zweierlinie を「内環(うちかん)」とすると、ギュルテルは「外環(そとかん)」に相当する。シュピッテラウ Spittelau、ウィーン西駅、旧 南駅・東駅(現 中央駅)など、鉄道の主要駅を連絡していて、市内でも特に混雑が激しい大通りだ。

地下区間は、交通渋滞の緩和と列車の円滑な運行を目的として造られた。全体で3.4kmの長さがあるが、そのうちWLBが通過するのは、ラウレンツガッセ Laurenzgasse からアイヘンシュトラーセ Eichenstraße まで4か所の電停を含む約2kmだ。途中のクリーバーガッセ Kliebergasse では、中央駅方面から来る18系統の軌道に急曲線で合流し、次のマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz で、1、6両系統を左に分ける。地上の設備をそっくり移設したと言えばそれまでだが、地下の直角分岐というのは非日常感を漂わせる。

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ウーシュトラープ(地下区間)
(左)クリーバーガッセ電停の直角カーブ
(直進は中央駅方面(18系統)、左折はオーパー方面)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)アイヘンシュトラーセ、地下区間の西端
 

アイヘンシュトラーセの先で軌道は地上に復帰するが、近くに重要な見どころがある。それはヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 車庫の跡だ。もとは1942年に都心区間をいったん廃止した際に代替として造られたターミナルで、1947年の全線再開後もウィーン側の車庫として使われていた。敷地内に電停もあり、この前後区間だけWLBは、62系統と別れて独自の軌道を通っていたのだ。

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ヴォルフガングガッセの旧拠点
(左)WLB旧社屋(右)車庫裏側
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かつてのヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2018年2月25日撮影)
Photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

しかし、郊外のインツェルスドルフ Inzersdorf に新しい車両基地が完成したことから、ヴォルフガングガッセ車庫と前後の軌道は2018年3月末で廃止された。翌4月1日からWLBの列車は、62系統のルートを通ってマイドリングへ向かうようになった。

今年(2019年)5月末に現地を訪れたところ、まだ電停や車庫はまだ原形をとどめていたが、軌道には草が生え、一部で地面の掘り起こしが始まっていた。北隣の公園を含む車庫跡地約3.5haは、WLB旧社屋のある南側の区画1.4haとともに、市当局からすでに再開発計画が発表されている。車庫は残して商業施設に活用する意向だが、周辺は更地化されて、アパートや老人福祉施設の建設が始まるようだ。

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廃止1年後のヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2019年5月31日撮影)
 

アスマイヤーガッセ Aßmayergasse で、上下線は二手に分かれて狭い街区を走り抜ける。500mほどで再び合流すれば、もうÖBBのマイドリング駅が目の前だ。

マイドリングは、かつて南部本線 Südbahn と市電の乗換駅に過ぎなかった。ところが、U6号線(地下鉄)の延伸とSバーン(市内・近郊列車)の充実に加え、近年は、ウィーン中央駅 Wien Hbf と西部本線ラインツトンネル Lainzer Tunnel の完成によって、東西南北すべての幹線(下注)から優等列車を受け入れるようになった。今や、市内交通と近郊・長距離交通の重要な結節点だ。

*注 北部本線 Nordbahn=チェコ方面、東部本線 Ostbahn=ハンガリー方面、南部本線 Südbahn=グラーツおよびスロベニア・クロアチア方面、西部本線 Westbahn=ザルツブルクおよびドイツ方面。

実際、中央駅出発時にはまだ空席が目立つザルツブルクあるいはグラーツ行きのレールジェット Railjet(特急列車)も、次のマイドリングで大勢乗り込んできて、席が埋まる。Sバーンと長距離線の乗換えは中央駅でも可能だが、両者のホーム間にかなりの距離がある。それでホームが近接しているマイドリングでの乗換えが断然便利なのだ。

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(左)ÖBBマイドリング駅
(右)駅前のマイドリング中央通り Meidlinger Hauptstraße
 

そのマイドリング駅に対応するWLBの電停は、おもしろいことに3か所もある(下図参照)。一つ目は東側のデルフェルシュトラーセ  Dörfelstraße で、ÖBB駅東口の前だ。二つ目がずばりバーンホーフ・マイドリング(マイドリング駅)Bahnhof Meidling で、ÖBB駅の実質的な中央口である西口、U6号線、そして駅前商店街に直結している。

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ウィーン・マイドリング周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 

WLBの列車はこの後、フィラデルフィア橋 Philadelphiabrücke(下注)でÖBB線をまたぎ越し、その南詰で、オーパーから延々62系統と共用してきた市電軌道と別れる。左へ右へと急曲線が連続するので、3ユニットの長い編成が通ると、まるで大蛇がのたうち回っているようだ。路面軌道では原則的に目視走行だが、ここからは地方鉄道 Lokalbahn で、法規上は普通鉄道 Vollbahn の扱いとなるため、鉄道信号機が現れる。

*注 南部本線の前身、ウィーン=グロクニッツ鉄道 Wien–Gloggnitzer Eisenbahn で最初に使われた蒸気機関車が米国フィラデルフィア市から来たことから、この名がある。ちなみにU6号線のマイドリング駅は、2013年までフィラデルフィアブリュッケ(フィラデルフィア橋)駅だった。

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フィラデルフィア橋を渡れば、市内軌道ともお別れ
 

自前路線の最初の電停は、シェディフカプラッツ Schedifkaplatz だ。名前からは想像できないが、ここがマイドリング駅の三つ目の乗換電停になっている。西口地下道の南端で地上に上がると、この電停の前に出られる。WLBの郊外区間(バーデン方面)とSバーン・U6号線とを乗り継ぐ客は、もっぱらここを利用するので、利用者数はWLBの電停の中で最も多く、年間130万人に上る。近年、施設が改修され、屋根付きのモダンなホームに生まれ変わった。地下道から屋根がつながったので、雨に濡れずに乗り継げるのも人気の理由だろう。

ちなみに、2番目に利用者が多いのは南へ7つ目、大型ショッピングセンター最寄りのフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd (Vösendorf-SCS) で、年間120万人だ。すなわち、この2電停の間が現在、WLBの最混雑区間となっている。

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シェディフカプラッツ電停
 

次回は、シェディフカプラッツから先、郊外区間の見どころを紹介する。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

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 マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

2019年7月13日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要

ウィーン地方鉄道(バーデン線)
Wiener Lokalbahnen (Badner Bahn)

ウィーン・オーパー Wien Oper ~バーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz 間 30km(ウィーン市電への乗入れ区間 5kmを含む、下注)
軌間1435mm(標準軌)
直流600V電化(ウィーン市電区間(オーパー~シェディフカプラッツ間))
直流750V電化(シェディフカプラッツ~インツェルスドルフ間)
直流850V電化(インツェルスドルフ~バーデン間)
1899年全通、1907年全線交流電化、1945年直流化

*注 路線長については、ウィーン市電区間の正確な数値が不明なため、ÖBB時刻表 1999/2000年版掲載のキロ数によった。

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ウィーナー・ノイドルフ駅
小ぶりな駅舎が郊外色を醸し出す
 

街路を走る路面電車(トラム)を普通鉄道線に乗入れさせて、都心と郊外を乗り換えなしで結ぶ列車運行システムを、トラムトレイン Tram-train と呼ぶ。1990年代にドイツのカールスルーエ Karlsruhe で導入されたのをきっかけに、世界各地に広まった。それが注目されたのは、ライトレールとヘビーレールという規格の違いを現代の技術で克服した斬新な方式だったからだ。

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ところが、今から100年以上も前にこのコンセプトを実現していた鉄道が、オーストリアの首都ウィーン Wien と近郊の保養地バーデン Baden(下注1)の間で、今も走っている。正式にはウィーン=バーデン地方鉄道 Lokalbahn Wien–Baden というのだが、運行会社名から「ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn (WLB) 」として知られ、さらにウィーン市民は親しみを込めて「バードナー・バーン Badner Bahn」、すなわちバーデン線と呼ぶ。これから3回にわたり、この古くて新しいトラムトレイン(下注2)を紹介したい。

*注1 バーデン Baden は普通名詞では湯治、水浴を意味し、他にも同じ地名があるため、バーデン・バイ・ウィーン Baden bei Wien (ウィーン近傍のバーデン)と呼んで区別することがある。
*注2 ただし、イギリスのLRT協会 Light Rail Transit Association は、この鉄道をインターアーバン・トラム(都市間トラム)Interurban tram に分類している。

まずは、路線図をご覧いただこう(下図)。

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ウィーン~バーデン間の鉄道路線の位置関係
赤がWLB線(市街地の電停は省略)
 

上方がウィーン旧市街で、ウィーン地方鉄道(以下 WLB)のターミナル、ウィーン・オーパー Wien Oper があるのはその南端だ。そしてこの電停は、ウィーン市電62系統(オーパー Oper ~ラインツ Lainz)の起点でもある。WLBの列車は、市街地を抜けるウィーン・マイドリング Wien Meidling(下注)まで、62系統と同じルートを走っていく。

*注 正確にはマイドリング~シェディフカプラッツ間で62系統の軌道と分岐する地点。

そこから先は自社の専用線になり、郊外の商業地を直線的に南下する。ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf、グントラムスドルフ Guntramsdorf、トライスキルヘン Traiskirchen といった昔からある町を経由した後、バーデンの市街地に達する。ここで再び路面軌道となり、旧市街に接した終点ヨーゼフスプラッツ(ヨーゼフ広場)Josefsplatz で旅を終える。全線30km、所要約1時間の道のりだ。

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始発駅オーパー
リング(環状道路)沿いの一等地にある
 

だが、この直通ルートは最初から意図して造られたわけではない。WLB線のルーツは、ウィーン南郊の煉瓦を運んでいた路面軌道と、バーデン市内の路面軌道という、全く性格の違う二つの独立した路線だ。

前者は1886年に開業した、ウィーン・ガウデンツドルフ Wien-Gaudenzdorf(下注)からウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf に至る蒸気路面軌道に始まる。当時はまだ市街地を半円に囲む外側の市壁 Linienwall が残っており、まさにそれを撤去して、環状道路(ギュルテル Gürtel)と新市街地の建設が進められようとしていた。軌道の主な目的は、ノイドルフにある煉瓦工場から拡張を続けるハプスブルクの首都へ、建築資材の煉瓦を運搬することだった。

*注 現在のU4号線マルガレーテンギュルテル Margaretengürtel 駅付近。

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復元された煉瓦貨車
(トライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の展示)
Photo by Karl Gruber at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかしその2年後、ウィーン地方鉄道(WLB)が設立され、路線は地方鉄道 Lokalbahn(下注)に性格を変えて、延伸が図られることになる。1893年にはウィーン側でマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz へ、1895年には南側でグントラムスドルフへ線路が延びた。

*注 地方鉄道(ロカールバーン)とは、幹線網を補完するために、緩和した規格で認可を受けた地方路線。

一方、バーデンではすでに1873年から、レースドルフ Leesdorf からシュヴェヒャト川 Schwechat に沿ってラウエンシュタイン Rauhenstein へ遡る路面軌道が営業していた。当初馬が車両を牽いていた軌道は1894年7月に電化され、オーストリアで2番目の電化路線となった(下注)。WLBはバーデン乗入れを実現するために、1897年にこの軌道を買収する。そして1899年に、残された間隙であるグントラムスドルフ~バーデン・レースドルフ間を完成させて、ウィーンとバーデンの間を1本の路線で結んだのだ。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。

その後、1906年にバーデン側の終点がヨーゼフスプラッツ Josefsplatz まで、1913年にはウィーン側の起点がオーパーまで延長され、現在の運行区間が確立された。

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バーデン市内の併用軌道
旧馬車軌道時代からの由緒あるルート
 

上の路線図に示した通り、両都市間には、国鉄(現 ÖBB(オーストリア連邦鉄道))の南部本線 Südbahn も走っている。この点で両者は、日本の官鉄とそれに並行して造られた都市間私鉄の関係に似ている。知られているように、こうした私鉄は電車を導入し、運行頻度を高め、停留所をこまめに置くといったサービスを展開して、官鉄から乗客を奪った。

WLBも1906年に全線電化を完成させ(下注1)、1910年に旅客数がピークに達したのだが、この状況は長く続かなかった。というのも、続く1920年代は第一次世界大戦後の国を覆う経済不況に加えて、バスや自動車という道路交通のライバルが台頭する時期だったからだ。WLBは食堂車を運行したり、入湯割引券つき乗車券を売り出すなど果敢に応戦したものの、併営していたバーデン市内の軌道線は休止に追い込まれた(下注2)。

*注1 南部本線の電化は半世紀遅れて、1956年にまず南駅 Südbahnhof ~グロクニッツ Gloggnitz 間で実施されている。
*注2 ラウエンシュタイン線(ヨーゼフスプラッツ以西)は1931年、市内環状線 Ringlinie は1928年、フェスラウ線 Elektrische Baden–Vöslau は1951年に廃止。

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バーデン露天浴場 Thermalstrandbad Baden 前を行く
ラウエンシュタイン線(バーデン=ラウエンシュタイン路面軌道)
(1926~31年ごろ)
Photo at wikimedia.
 

第二次世界大戦中は、沿線に集積する軍需産業の通勤客で混雑したが、戦争末期にこれらが連合軍の空爆の目標となり、鉄道施設も大きな被害を受けた。全線が復旧したのは、1947年9月のことだった。しかし、貨物輸送が途絶えたうえ、モータリゼーション進行の影響で、1950年代にかけて旅客数も減少が続いた。

輸送実績が持ち直したのは、ようやく1960年代からだ。ウィーン都市圏の拡大によって、沿線で住宅地や商業施設の開発が進んだことが背景にある。それまで日中に1時間空くこともあった列車ダイヤは、1984年に大きく見直された。バーデンまで30分サイクルとなり、連節式車両も初めて導入された。その後、運行間隔は、1989年にウィーン方でピーク時15分、2000年には同 7分30秒まで短縮されている。列車の最高速度も、郊外区間で80km/hに引き上げられた。

1984年のダイヤ改正以前、全線を走破する列車は、片道あたり平日28本(一部はヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 入出庫)、休日26本しかなかった。現在は平日73本、休日64本で、区間便も多数設定されている。その結果、1954年に350万人だった年間利用者数は、2014年に1200万人を超え、昨年(2018年)は1270万人に達したという。

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ÖBB線(高架)と交差するバーデン市内の併用軌道
 

中でも、乗客増に貢献しているのが、沿線のフェーゼンドルフ Vösendorf で1976年に開業したショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd(ジュートは南部の意。略称SCS)だ。増設を重ねて、オーストリア最大の商業施設となり、最寄りの電停(下注)は、平日日中でも電車が到着するたびに、ホームが人であふれる。ここはウィーン市域外で、本来ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien のみ有効の乗車券類は使えないのだが、SCSのカスタマーカードなどを所持すれば、特別に区間外乗車が認められている。

*注 商業施設と同時に開設されたフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd 電停。略して Vösendorf SCS と書かれることが多い。

WLBの近年の盛況ぶりは、列車編成でも実感できる。現在の運行車両は、1979年から1993年にかけて製造された、いわゆるマンハイムタイプの100形24編成と、2000~2010年に導入されたボンバルディア製400形14編成だ。どちらも両運転台の3車体連節車ではあるものの、時代を反映して、前者は出入口にステップのある高床、後者はノンステップの低床になっている。

輸送力の確保と同時に、バリアフリー環境を保証するために、通常、全線を走破する便は100形と400形を連結した全長50m超の長い編成が用いられる。前後どちらのユニットが低床車(400形)であるかは、電停の列車接近案内の表示でわかるようになっている。混雑する時間帯にはさらに3ユニット連結も投入される一方、区間便は100形または400形の1ユニットで賄われている。2021年から2023年にかけて、新たにボンバルディア製低床車両(500形)18編成が導入され、古くなった100形を順次置き換える予定だという。

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100形とその車内
1+2席で通路が広い
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400形、100%低床で2+2席
Right photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

WLBの鉄道・バスを運営するウィーン地方鉄道有限会社 Wiener Lokalbahnen GmbH は、1942年にウィーン市により公有化され、現在はウィーン都市公社 Wiener Stadtwerke GmbH 傘下の公営企業だ。一方、ウィーン市内交通の運営主体、ウィーン市交通局 Wiener Linien も、組織形態は有限・合資会社 GmbH & Co KG で、都市公社が所有する。すなわち、WLBとウィーン市電は姉妹鉄道の関係にある。敢えて統合しないのは、WLBが市域外に路線を延ばしているからだろう。

乗車券も、市内交通の1回券や24時間券などがWLBでも有効で、市境のフェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten 電停まで使える(下注)。その先はVOR(東部地域運輸連合 Verkehrsverbund Ost-Region)の運賃ゾーンに従って、別途運賃が必要になる。列車はワンマン運行だが、車内に券売機が設置されているので、無札で乗った場合でも乗車券の購入が可能だ。

*注 言い換えれば、WLBのオーパー~フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン間は、ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien(Kernzone 100)に含まれる。

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車内に設置された券売機
右上には"SCHAFFNERLOS(車掌不在=ワンマン運転)"の表示

ライトレールとヘビーレール、二つの顔をもつWLBのルートは、意外に変化に富んでいて興味深い。次回、それをウィーン・オーパーから順に見ていこう。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道 http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局 https://www.wienerlinien.at/

★本ブログ内の関連記事
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)III-郊外ルート

 グムンデンのトラム延伸 I-概要
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って
 マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道
 ロッセタール鉄道-6線軌条を行くトラム
 ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存

2019年7月 6日 (土)

列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

アッターゼー鉄道 Atterseebahn

フェクラマルクト Vöcklamarkt ~アッターゼー Attersee 間13.4km
軌間1000mm(メーターゲージ)、直流750V電化
1913年開通
2018年 アッターガウ鉄道 Attergaubahn からアッターゼー鉄道に改称

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アッターゼー駅からの坂を上る連節車両

前回の到達地カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 駅前から、アッター湖南端のウンターアッハ Unterach へ行く561系統のバスに乗った。アーガー川の橋を渡り、湖の西岸に沿う地道を淡々と走っていく。20分弱で、アッターゼー・バーンホーフ Attersee Bahnhof という停留所に着いた。アッターゼー鉄道 Atterseebahn の駅前だ(下注)。

*注 湖の名は「アッター湖」としたが、居住地名や鉄道名は「アッターゼー」「アッターゼー鉄道」と記す。

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アッターゼー駅
(左)人影少ない駅前
(右)旧駅舎
 

ここは村の中心から少し距離があり、周りに人家や駐車場が見えるものの、あまりひと気が感じられない。バス停の右手に、古典電車の写真を壁貼りした大屋根の建物が目につく。奥へ回ると、4線を収容する鉄道の車庫だった。西側の2線は運行時間中、開放されて、乗降場を兼ねる。ちょうど、赤帯を巻いた5車体連節の低床車が停車中だ。一方、東側2線は扉つきで、開いているほうを後で覗いたら、旧形車23 111が整備を受けていた。

車庫の横には伝統的な造りの旧 駅舎も残っているが、使われなくなったようだ。切符は車内で買えるし、大屋根の下のホームに待合室代わりのベンチも置かれている。旅客サービスの合理化で、駅といってももはや停留所と大差ない。そろそろ発車時刻だが、少し周辺を歩いてみたいので、1本見送ることにした。

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(左)大屋根の建物は車庫
(右)駅の全貌
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(左)車庫で整備中の旧車
(右)西側は乗降場に使用
 

アッターゼー鉄道は、正式名をフェクラマルクト=アッターゼー地方鉄道 Lokalbahn Vöcklamarkt–Attersee という。通称も、従来は地域名に基づく「アッターガウ鉄道 Attergaubahn」だったのだが、路線のプロモーションのために昨年(2018年)、「アッターゼー鉄道 Atterseebahn」に改められたばかりだ。

起点は西部本線 Westbahn と接続するフェクラマルクト Vöcklamarkt で、沿線最大の町ザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウ St. Georgen im Attergau を経由して、アッター湖畔のアッターゼー Attersee まで13.4kmを24分で結んでいる。1000mm軌間(メーターゲージ)、750V直流電化、そしてシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern & Hafferl 社による運行というプロフィールは、以前取り上げたトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注)と共通だ。

*注 トラウンゼー鉄道については、「グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道」参照。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがアッターゼー鉄道
 

車両も同様で、2016年9月から、グムンデンと同形式のフォスロー・キーペ Vossloh Kiepe(現 キーペ・エレクトリック Kiepe Electric)製トラムリンク Tramlink V3が3編成投入され、定期運行を担っている。先述のように、車庫はアッターゼーにある。小規模な修理はここで行われ、全般検査の際は、フォルヒドルフの修理工場へ移送される。

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トラムリンクV3とその車内
 

トラウンゼー鉄道と瓜二つなのは、歴史的な理由がある。ともに「フォアアルペン鉄道 Voralpenbahn」という大規模な鉄道網の一部として計画された路線だからだ。フォアアルペンは、アルペンフォアラント Alpenvorland と同義で、アルプスの前の土地、すなわちアルプス北側の、平野や丘陵が広がる地域を指す。

そのルートは、北西部のリート・イム・インクライス Ried im Innkreis からアッターゼー Attersee まで南下し、アッター湖上を航路でつないで、東岸のヴァイレック Weyregg へ上陸する。それから東へグムンデン Gmunden、フォルヒドルフ Vorchdorf を経て、シュタイア Steyr と進む。今度は北上してザンクト・フローリアン St. Florian、リンツ Linz に至るという、オーバーエースタライヒ(上オーストリア) Oberösterreich の大弧状線構想だった。

このうち、フェクラマルクト~アッターゼー間が1913年1月にアッターゼー鉄道として、グムンデン~フォルヒドルフ間が1912年3月にトラウンゼー鉄道として実現した。さらにザンクト・フローリアン~リンツ間にも電気鉄道(下注)が開通したが、1914年の第一次世界大戦勃発とその後の長期不況により、計画は未完に終わった。

*注 エーベルスベルク=ザンクト・フローリアン地方鉄道 Lokalbahn Ebelsberg–St. Florian(フローリアン鉄道 Florianerbahn)。1913年開通、1974年廃止。軌間は、リンツ市電と直通させるために900mmだった。廃止後、一時保存鉄道として運行されたものの、すでに中止。

開通からしばらく、アッターゼー鉄道を支えていたのは貨物輸送だった。丸太や木材製品のほか、肥料や、沿線の醸造所で造られたビールも扱われた。アッターゼー駅から湖畔の船着き場まで貨物線が延び、近くの製材所から貨車ごと航送する方法で木材が運ばれた。フェクラマルクトに着くと、旅客駅の西にあった貨物駅で、標準軌の貨車に積み替えられた。

トラックへの移行が進み、貨物輸送は1990年代に廃止された。湖畔の貨物線はすでに跡形もなく、フェクラマルクトの貨物駅は、資材置場や留置線に転用されている。

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フェクラマルクト駅西方にある旧 貨物駅跡
 

一方の旅客輸送も、第二次世界大戦後は減少が続いた。しかし、1967年を底にして持ち直し、2015年は年間約30万人が利用したという。2019年7月現在、列車本数は全線通しが平日17往復、土曜10往復、日祝日は6往復だ。ほかに開校日または夏季のみ運行の区間便が若干あり、アッターゼー方ではおよそ毎時1本が確保されている。

区間便はザンクト・ゲオルゲンまたはヴァルスベルク Walsberg 止まりのため、フェクラマルクト方では土休日に2時間間隔となる時間帯が生じる。土休日運休のカンマー線ほど極端ではないものの、幹線から流入する旅行者より、域内の通勤通学者に重きを置いたダイヤだ。

駅から少し歩いたアッターゼーの村で、のびやかな湖の眺めを楽しんだ。午後はこちら(西岸)から見るのが順光だ。ターコイズの湖水にさざ波が立ち、その後ろでは、灰白の岩肌を剥き出しにしたヘレンゲビルゲ Höllengebirge(地獄の山脈の意)が、屏風のように空を限っている。日差しは強いものの、湖面を渡ってくる風が心地いい。

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アッターゼー村の湖岸
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アッターゼー村から湖を東南望
中央奥の山塊がヘレンゲビルゲ
 

名残惜しさを振り切って駅に戻り、列車の客となった。乗客は10人に届かず、定員175名の連節車としては手持無沙汰だ。本来ワンマン運転のはずだが、女性車掌がしっかり検札に回ってきた。

最後尾のかぶりつきで見ていると、列車は、牧草地が広がる緩やかな傾斜地を軽快に上っていく。大きくカーブするまで、蒼い湖面が視界にとどまり続けるのは印象的だ。途中の停留所は、小屋の前に未舗装の乗降スペースがあるだけの、いたって簡素な造りで、リクエストストップのため、たいてい通過する。

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アッターゼー駅出発後、
しばらく湖が見え続ける
 

進行左手に家並みが増えてきた。アッターガウの中心、ザンクト・ゲオルゲンは、駅も島式2線を備えて、拠点らしい雰囲気がある。しかし、1時間間隔のダイヤでは列車交換の必要がないので、短時間停車しただけであっさりと出発した。

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(左)途中の停留所は簡素な造り
(右)ザンクト・ゲオルゲン駅
 いずれも列車後方を撮影
 

また少し上った後、広々とした畑地を貫いて快走する。待避線のある停留所ヴァルスベルク Walsberg を過ぎると、緑の丘のかなたに、湖畔で眺めたヘレンゲビルゲが、高さの揃った山並みとなって再び登場した。のどかで開放的な車窓風景は文句なしにすばらしい。

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緑の丘のかなたに
ヘレンゲビルゲを望みながら
 

やがて線路は下り坂となり、森に覆われた浅い谷間へ入っていった。細かいカーブを次々とかわすうちに、B1号線の踏切を渡る。B1(別名ウィーナー・シュトラーセ Wiener Straße)は、ウィーンからザルツブルクに至るオーストリアの国道1号線で、車が長い列をなして列車の通過を待っていた。

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(左)緩やかな起伏を越えて
(右)B1号線の踏切に車の列
 いずれも列車後方を撮影
 

まもなく左に三角線を分け、右に急カーブすると、終点(戸籍上は起点)のフェクラマルクトだ。山側に小ぢんまりした旧 駅舎と低いホームが残っているが、今は使われておらず、列車は新しいホーム3番線に滑り込む。反対側2番線は西部本線の上り線ホームになっていて、まもなくリンツ行きのレギオナル(普通列車)が到着するはずだ。

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フェクラマルクト駅
左の建物は旧駅舎
 

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
Youtube - アッターゼー鉄道(フェクラマルクト~アッターゼー)運転台からの展望
https://www.youtube.com/watch?v=fpQXaVzXFUI
アッターゼー駅は改修前の状況がわかる

★本ブログ内の関連記事
 列車で行くアッター湖 I-カンマー線

 グムンデンのトラム延伸 I-概要
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って
 グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道
 フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車
 キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム

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