2009年10月 8日 (木)

ベルギー フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史

Blog_vennbahn_minimap ベルギーの詳しい地図を眺めた人は、2か所の奇妙な国境線に目を奪われる。一つは北部で、オランダ領の町の中にガラスの破片のように散乱しているベルギーの飛び地だ。これはバールレ・ヘルトフBaarle-Hertogと呼ばれる地区で、錯綜していた貴族の旧所領が、オランダからの独立で固定化されたことに由来する。もう一つは東部で、ドイツ領内に回廊状にはみ出しているベルギー領だ。それにブロックされる形で、ドイツの領土は本体と切り離されて飛び地になっている。

この不思議な回廊は、もとはプロイセン王国(当時はドイツ帝国の一部を構成)の鉄道の線路敷きだったのだが、第1次大戦後の国境を画定する際に、ベルギーの強い主張で帰属が変えられた経緯をもつ。鉄道は、強風と冷たい霧雨が襲う森と湿原の国境地帯、ホーエス・フェン(上フェン)Hohes Vennを越えている。ドイツ語でフェンバーンVennbahn、すなわちフェン鉄道と呼ばれるのはそのためだが、建設の主要な目的は観光用でも、地域の足としてでもなかった。そして20世紀前半の激動する国際情勢の中で、次々とその性格を変えていった。時代に翻弄され続けたフェン鉄道、そこに託された使命とは、いったい何だったのだろうか。話は1885年からスタートする。

Blog_vennbahn1 右の図をご覧いただきたい。ともすると飛び地の部分にスポットが当てられがちだが、フェン鉄道の最初の計画は、アーヘンAachen付近とアイフェルEifel地方のプリュムPrümを結ぶという、延長100kmを越える大規模なものだった。次いで、南のルクセンブルク領に至る連絡線が追加され、近傍の町への支線も同時に建設されて、一帯のネットワークが形成された。図では当時のドイツとベルギーの国境を赤の+で示しておいた。ルートがベルギー領内に一切かかっていないことに留意したい。

鉄道は、最小半径300m、最急勾配16.7‰(1/60)で設計された。最初に開通した区間は、アーヘン郊外のローテ・エルデRothe Erdeからフェン高地の東側にあるモンシャウMonschau(Montjoie)までで、1885年のことだ。その後、順次延伸され、1889年にはルクセンブルク領のトロワヴィエルジュTroisvierges(ドイツ語ではウルフリンゲンUlflingen)で、首都ルクセンブルクLuxembourgへ通じる路線に接続を果たして、計画はいったん完了した。

ひたすら南を目指した理由は、北のアーヘンやルールRuhr地方を南のルクセンブルクとロレーヌ(当時はドイツ領ロートリンゲンLothringen)とを最短距離で結ぶためだった。貨物列車は北で産出する石炭やコークスを南の製鉄所へ運び、帰路はロレーヌの鉄鉱石や粗鋼をルールの工業地帯に送り込んだ。産業鉄道として成功し、輸送量は順調に増加した。1894年から複線化が開始されたことがそれを実証している。

ただし、輸送力の増強にはもう一つ隠された意図があった。というのは、普仏戦争(1870~71)以来、ドイツはフランスと常に緊張関係にあり、有事に備えた西部国境線の軍備増強を着々と進めていたからだ。フェン鉄道はそのための輸送路と位置づけられ、複線化と並行して、荷解きのための側線整備や待避線の延長など、軍用列車の運行を想定した駅機能の拡張が行われた。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ軍はベルギーに侵攻し、占領を開始した。鉄道は予定どおり軍事輸送に集中的に使われたが、同時に、近隣の路線への連絡支線が、初めから複線で次々と建設されていった。ヴァイヴェルツWeywertz~ユンケラートJünkerath(通称、フェン横断鉄道Vennquerbahn)、ヴィエルサルムVielsalm~ボルンBorn、ザンクト・フィトSt Vith~グーヴィGouvyなど、当初の計画線以外の路線はこのときに開通したものだ。

ドイツの敗北と1919年6月に調印されたヴェルサイユ条約は、フェン鉄道の運命を一変させることになる。鉄道の沿線、オイペン郡Kreis Eupenとマルメディ郡Kreis Malmedyがベルギーに帰属することになったからだ(ベルギーでは東部地方Cantons de l'Est / Ostkantoneと呼んだ)。新たな国境がヴァルハイムWalheimとレーレンRaerenの間に引かれたため、両駅が国境駅となった。

Blog_vennbahn2 ところが、ルートの北部には、まだドイツ領を通過する区間が残っていた。これに対してベルギーは、条約によって得られた領土の南北を連絡するのだから、この鉄道は自国領になると強く主張した。条約第35条には、両国間の新たな境界線について、経済的要因と交通手段を考慮しながら調停する国際調査委員会の設立がうたわれていた。委員会はベルギーの主張を認め、1921年11月に鉄道の所有地はベルギーに割譲された。その結果、ドイツの領土は分断されて、大小5個の飛び地が生じることになった(右図)。

異例の措置は、ドイツ側の周辺住民を大いに戸惑わせた。当該区間には北からレトゲンRoetgen、ラマーズドルフLammersdorf、コンツェンKonzen、モンシャウMonschau、カルターヘルベルクKalterherbergの5つの駅が含まれていた。鉄道の両側に住む者は国境(すなわち踏切)を越えて行き来できるのか、鉄道を今までどおり利用できるのか、運賃はどの国の通貨で支払うのか...。委員会はその調整に1年を費やし、次のように取り決めた。

当該区間の駅名はドイツ語とする(フランス語由来のモンジョワMontjoieから1918年に改称したばかりのモンシャウMonschauを含めて)。鉄道敷地の通行や横断はベルギーの警察や税関の審査を受けない。駅窓口に関するドイツの鉄道規則はベルギー鉄道でも準用する。区間各駅からドイツ国内へ向かう旅行者にはドイツの国内運賃制度を適用する。運賃支払いは両国の通貨が使用できる。ベルギー国鉄が全ての列車を運行する。各駅停車列車は区間の両端で両国の税関検査を行う。通過列車については区間走行中は施錠する(いわゆるコリドアツークKorridorzug)等々。

軍用列車の通行は続いていた。荷主はベルギー軍となり、ドイツから接収したエルゼンボルンElsenborn演習場に向けて、レーレン西方に作られた短絡線経由で最寄のズールブロットSourbrodtまで走った。一方、産業鉄道としての役割は、ベルギー国鉄に移管されたことで大きな影響を受けた。ロレーヌはフランスに返還され、ルクセンブルクもドイツとの関税同盟を離脱してしまい、何度も税関を通らなければドイツに到達できない貨物輸送は、とても現実的とは言えなかった。1926年には優良顧客であったアーヘンの製鉄所も閉鎖された。

1929年に起こった世界恐慌とそれに続くナチズムの台頭は、通行量のさらなる衰退を招いた。ドイツ領沿いの区間では、ナチの信奉者による妨害が多発し、軍用列車も安全のため、迂回を強いられた。過剰な設備を維持する意味が薄れ、ベルギー国鉄は1937~38年にかけて、レーレン以南の単線化に踏み切った。

1939年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに、ヨーロッパは第二次世界大戦に突入する。1940年5月、ドイツによるベルギー占領と同時に、東部地方はドイツに強制併合された。フェン鉄道の運行もドイツ国営鉄道Deutsche Reichsbahnの手に渡り、フランスやベルギーに駐留する軍隊の補給路として利用された。ドイツの敗色が濃くなった1944~45年の冬、濃霧が支配する高地の気候を利用して、ドイツ最後の反撃といわれるバルジの戦いがこの地方で仕掛けられた。結果は失敗に終わり、戦場となったフェン鉄道沿線では、後退するドイツ軍と進攻する連合軍の双方によって、鉄道施設は大きな被害を蒙った。ドイツ軍の撤退後、順次復旧が進められたが、トンネル内部が崩壊した南のロマーズヴァイラーLommersweiler~ロイラントReuland間や一部の支線はついに再開されることはなかった。

産業路線から国威を発揚する政治路線へ、そして軍事路線へと時代の要請に黙々と応えてきたフェン鉄道だが、第二次大戦後はその存在理由をほとんど失ってしまう。1950年代以降、地方の鉄道に降りかかった運命はどれも似たようなものだ。とりわけフェン鉄道にとって致命的だったのは、国境地帯に沿って延びているために貨客の流動方向に合わないことだった。

飛び地の前後では定期の旅客列車は二度と設定されず、各駅を回る貨物列車だけが週3回のペースで細々と存続した。しかしこれも、線路状態が悪化したため、レーレンからズールブロットの間の運行が1989年6月で中止された。すでにウェームWaimes(ヴァイスメスWeismes)以南も廃止されており、この結果、フェン鉄道「本線」は、レーレン以北の存続区間を除くと、トロワ・ポンTrois-Ponts方面に接続するズールブロット~ウェーム間、わずか12.4kmにまで縮小してしまった。

飛び地をめぐるルートは、これで永遠に草むらに埋もれてしまったのだろうか。いや、そうではない。フェン鉄道がなしえた最後の貢献、それはこの地方に観光客を呼び寄せることだった。欧州地域開発基金ERDFからの交付金を受けて線路が再整備され、1993年から夏の間、観光列車の運行が開始された。オイペンEupenを始発駅としてビュリンゲンBüllingenを着地にするか、またはトロワ・ポンTrois-Pontsへ直行するコースで、蒸気機関車も登場して、いっとき人気を博した。

ところが、沿線にあった昔の地下坑道の崩壊で路盤が一部不安定になっていることが明らかになり、2003年をもってこのイベントは終焉を迎える。そして2007年、ついにこの区間の線路を撤去し、他の廃線跡とともにワロン地域の遊歩道ネットワーク(RAVeL)に組み込むことが発表された。

こうして、フェン鉄道の苦難の歩みは過去の記憶となった。線路敷のベルギー領土はそのまま残されているが、シェンゲン協定によって国境の検問が不要となり、標石以外に両国の国境であることを示すものはない。2009年現在、レーレン~カルターヘルベルク間の敷地は整備され、林や野を縫う静かな遊歩道に姿を変えている。カルターヘルベルク~ズールブロット間7.1kmはレールが残され、足漕ぎ台車draisine、当地でいうレールバイクRailbikeを使った体験ツアーが催されている。今ではこれが、ありし日のフェン鉄道をしのぶ数少ない手がかりだ。

■参考サイト
フェン鉄道:ドイツを通るベルギーの鉄道The Vennbahn: Belgium's railway through Germany
http://www.avoe05.dsl.pipex.com/be_venn.htm
 英語で書かれたフェン鉄道の通史。本稿の記述の多くはこのサイトに拠っている。
上フェンの旧 観光保存鉄道Die ehemalige touristische Museumseisenbahn im Hohen Venn
http://www.vennbahn.de/
 旧観光鉄道の公式サイト。サイトだけはまだ残っている。収載されているベルンハルト・ダーフィト氏のフェン鉄道の記事Die Vennbahn von Bernhard David (PDFファイル)も本稿の参考にした。

フェン鉄道の現在の状況を伝える個人ブログ
http://borderhunting.blogspot.com/2007/07/vennbahn-roetgen.html
世界の飛び地Enclaves of The World 西ヨーロッパ編
http://enclaves.webs.com/westerneurope.htm
 ページ冒頭で、バールレとフェン鉄道のことが記されている。

オート・ファーニュのレールバイクRailbike des Hautes Fagnes
http://www.railbike.be/
 フランス語のHautes Fagnesは、ドイツ語のHohes Vennと同意。また、普通名詞のfagneやVennは沼地を意味する。

モンシャウ旧駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.5635,6.2312&z=16
 駅の前後で(等高線に沿って)蛇行している廃線跡が見える。廃線跡の国境線は省略されている。

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2009年8月20日 (木)

ベルギー アン鍾乳洞トラム II

Blog_hansurlesse_map1 アルデンヌ山中の鍾乳洞を見に行くトラムについて、前回は周辺の路線群とともにその歴史を追ってみた。1950年代に接続路線はすべて廃止され、アン・シュル・レッスHan-sur-Lesse~アン鍾乳洞Grottes de Han線だけが唯一営業を続けることになった。路線廃止に伴ってSNCVから委託を受けていた運営会社が解散したため、新たに設立されたアン鍾乳洞地方鉄道会社S.A. du Chemin de Fer Vicinal des Grottes de Hanが委託契約を引き継いだ(2008年からは、鍾乳洞を運営するアン鍾乳洞会社S.A. de la Grotte de Hanの直営形式に変更)。

鍾乳洞線が残りえた理由はほかでもない、クルマという強敵を排除し、独占的な地位を守ることができたからだ。実際、列車の運賃は鍾乳洞の入場料に含まれており、周辺は自然動物保護区で立入りが制限されていることもあって、この列車に乗らない限り入洞することができない。とはいえ、1906年に登場したままの状態で、今日を迎えているわけではなく、この間に二度の大きな路線変更を経験し、存続の危機にも直面したことがある。

Blog_hansurlesse_map2 路線変更の一つは、1968年3月31日に終点側(鍾乳洞方面)のルートで実施された(右図参照)。前回紹介したように、終点は、創業者の意図で森と谷を眺望する山上に設定されたのだが、すでに1956年、数百mルートを短縮して、鍾乳洞の入口により近くなるように終点を移設していた。それでも訪問者は、下車してから山を歩いて下りなければならないことに変わりなかった。そこで鍾乳洞会社は、アクセスを根本的に改良するために、洞窟入口前に駐車場を造成して、バスと車をそこまで引き入れようと考えた。計画が明らかになると、アンの町の人々は反対の声を上げた。路線を守る意図もあっただろうが、何よりも観光客が町を素通りしてしまうことが大きな問題だった。

その代案として建設されたのが、現行の路線だ。ルート中盤から180度回転して山を上っていた区間を廃止して、谷底に沿いながら洞窟入口に直接向かうように改めた。新線部分は1.7kmあるとされ、距離で見れば、全線の半分近くを置き換えた計算になる。地表の徒歩区間を最小限にしたことは、訪問者の負担を軽減するだけでなく、動物保護区の厳格な運用にも寄与しただろう。旧線は、終端部に車庫があったため、1969年のシーズンの終わりまで維持され、車庫が鍾乳洞出口付近の現在地に移設されてから廃止された。ちなみに、列車で見ることができなくなったアルデンヌの森の眺望は、動物を見て巡るサファリカーに乗車することで、今でも体験できる。

Blog_hansurlesse_map3 もう一つの路線変更は、起点の移転だ(右の拡大図参照)。創業時から使われたのは、教会前から北に延びる道沿いで、往時はここがロシュフォールRochefortとウェランWellinを結ぶ軌道の中間駅だった。古い地図を見ると、ここでは軌道はウェランに向かって右(西)側に寄せて敷かれていたようだ。本線からの客を受けた鍾乳洞線の列車は、教会前の交差点を右に曲がりながら、道路を斜めに横切り、今度は道路の左(南)側に張り付く。そして直後に左へ分岐して、専用線となる。鍾乳洞線としての道路併用区間はごくわずかだが、町の中心部で交差点を横断することや、単線のため車と逆方向に走行することなどが危険と指摘されていた。そこで、1989年7月に路面区間を廃止して、道路の南側の公園に新たなループ線を設け、方向転換とともに乗降ができるように整備した。多客時に続行運転を行う場合は、このループ線に列車を直列に停車させている。

一方、存続の危機は路線の廃止というより、近代的な交通機関へ脱皮させてはどうかと問いかけるものだった。一つは、ケーブルキャビンtéléphériqueの運行で、ケーブルに吊るされた数人乗りのゴンドラが一定の間隔を置いて空中を行く。発表するや同じように強硬な反対運動に遭ったため、トラムと並行して運行するという譲歩案が示された。これとは別に、路線の刷新のために電化計画が提案されているが、中でも、地上設備を大幅に簡略化できるGLT、すなわち誘導型軽快電車Guided Light Transitは魅力的なものだった。架線からの直接受電またはディーセル発電でエンジンを回すハイブリッド型で、1本のガイドレールか、レールなしでも運行が可能とされた。ロシュフォールの国鉄廃線跡でガイドレール方式による走行試験が行われるなど、地域でも期待をかけられ、あわやトラムの置き換えかと噂された。

結局どれも実現することはなく、結果的に1930年代に製作されたトラムが引き続き稼動している。歴史遺産としての価値を考えれば、これはこれで貴重な存在だ。

さて、ここでトラムの話を一時中断して、鍾乳洞のシチュエーションを知るために、レッス川が創り出したアン付近の地形を概観しておきたい。先述したアンの地図では、路線の変遷とともに、1:10 000官製地形図を参考に20m間隔の等高線を書き込んだので、およその地形がわかるだろう。レッス川Lesseは図の右下から流れてきて、ベルヴォーの裂け目Belvaux Chasm(ベルヴォーは付近の地名)と注記した場所から地中に吸い込まれる。そして、図の中央にある洞窟出口Exit of the Caveで再び地表に現れ、アンの町をかすめるようにして広い盆地に流れ出していく。

大昔、川は、標高180mの等高線が囲む谷を蛇行しながら、地表を北へ流れていたはずだ。そして図の右上で南西に方向を転じて、洞窟の出口付近で現在の流路に合していたと考えられる。しかし、川が取り巻く標高280mほどのボワーヌ森Boine Forestは、しみこんだ雨水が石灰岩を溶かし込んで、胎内に無数の空洞が作られている。川の水はやがてそちらに流れ込むようになり、谷の表面を通らなくなった。蛇行が激しくなると、攻撃斜面どうしが接近して、ついに流路が短絡してしまうことがある。この図でも、ベルヴォーの裂け目のすぐ北東に、古い蛇行跡と撓谷(じょうこく)丘陵が見られる。レッス川の流路変更はそれとは異なるタイプの短絡だが、このように地上から消える川は石灰岩地帯、いわゆるカルストでしばしば出現する。

公開されている鍾乳洞探索コースは、レッス川の流入口より少し下流の山腹に開いた洞窟入口Entrance of the Caveから地中に入り、複雑に絡み合った洞内を巡ったあと、行程の最後の方でようやく川の本流に出会う。そして、地底湖を経て、レッス川とともに洞窟出口から地表に回帰する(図にある入口~出口間の点線は対応関係を示したもので、実際の径路を表してはいない)。

筆者は20数年前に一度このトラムに乗ったことがある。古い話で恐縮だが、本稿を締めるにあたって、当時のメモをもとにトラムで行った鍾乳洞見学を紹介しておきたい。

Blog_hansurlesse1
町のトラム乗り場
(左が教会)
Blog_hansurlesse2
マロニエの並木道
Blog_hansurlesse3
車庫前を通過
Blog_hansurlesse_leaflet
地底湖を行くボート
(当時のリーフレット)

「ロシュフォールから乗ったバスは、わずか数名の客を乗せてアンに着いた。アンのバス停を降りると、目の前に鍾乳洞入口ゆきのトラムが停まっている(注:当時はまだループが完成する前で、教会前の路上に乗り場があった)。切符は教会の向かいのインフォメーションで買うように言われた。鍾乳洞とサファリツアーを込みにした切符もあったが、時間の余裕がないので鍾乳洞だけにする。指定された13時発は乗客が多かったらしく、続行運転になった。観光客を満載したオープントロッコを牽引するのは、ディーゼル動力の小さな機関車だ。教会前を出てまもなく通りをはずれ、緑の並木道(注:当時、マロニエ通りRue des Marronniersは麗しい並木道だった。写真参照)をくぐって、山中へ入っていく。がたがたとよく揺れるが、少しの辛抱だった。

列車は山の中の、側線のあるところで停まった。山すそに小さな洞窟の入口があった。洞内はガイドが引率するので、ここでオランダ語班かフランス語班かを決めなければならない。英語班はないが、後で聞いたら英語のパンフレットももらえるそうだ。パリから来たというだけの理由で、フランス語のガイドに付いて、洞内へ出発した。

けっこう距離は長かった(注:洞内の歩行距離3km)。説明はほとんどわからないが、くらげや海草のような不思議な形の鍾乳石を眺めながらどこまでも歩く。手近な鍾乳石はあらかた折られているのが痛々しい。背丈の3倍はあるみごとな石の柱があって、ミナレー(注:ミナレット、モスクの尖塔)だと言っていた。これだけなら日本の鍾乳洞と変わらないが、足が疲れた頃に大天井の空間に出た。なんとそこは地底のカフェだった。テーブルにつくと巨体のおばさんが飛んできて、注文をとって回る。要らないとは言えない迫力。カフェオレを頼む。一息ついてからしばらく進むと、ガイドさんが急に明かりを落とした。突然、暗闇のはるか上方に火が点った。それが風になびきながら下ってくる。男がたいまつを掲げて駆け下りてきたのだ。ガイドさんがひとしきり高さや何かをアピールしている(注:天井の高さ62m、幅145mの洞内最大の広間)。

まもなく地底の湖を行くボートの乗り場に出た(注:ボートは老朽化のため2008年限りで廃止。歩行路を新設)。電動モーターで音もなく進むが、まるでジュール・ヴェルヌの世界だ。しかし、この舟旅はあっけなかった。洞の出口までものの5分もなかったからだ。やれやれと思ったそのとき、大きな爆音が洞内に轟いた。一行は度胆を抜かれた。大砲を放つのは、洞窟に反響させて悪霊を追い払う古いおまじないだそうだ。たいまつ男のパフォーマンスといい、これといい、鍾乳洞めぐりを一編のショーに仕立てるところが、日本と違ってあくどくもあり、面白くもあった。

ボートを降りると、出口に『ガイドをお忘れなく』と立て札があって、ガイドさんがチップを受け取っている。ここから歩いて町へ戻る。雲間から日差しがもれ始めた草原は、牛が草をはむのんびりした風景。狭い洞内をくぐってきた身には妙に新鮮に感じた。」

Blog_hansurlesse_walkingmap アン・シュル・レッスの旅行地図は、ベルギー国土地理院IGNが刊行している(右写真、表紙は鍾乳洞出口近くのレッス川。現行第2版は表紙が異なる)。縮尺1:10 000の地形図で、裏面に市街地の拡大図もついている。

車でないと行けない場所のように見える(実際、ほとんど車か観光バスで来訪)が、首都ブリュッセルからの公共交通の便は意外に悪くない。2009年夏の時刻表によれば、ブリュッセル中央駅8:37(毎日)発ルクセンブルク行きICで、ジュメルJemelle10:22着、駅前10:29(土休日は10:34)発ウェランWellin行きTECバスで、アン10:43(同10:48)着。所要2時間強。帰りのTECバスは、アン発16:17(水曜除く)、17:17(毎日)、18:17(毎日)など。ジュメルでブリュッセル行きICに接続している。
国鉄SNCB時刻表番号162:ナミュールNamur~ルクセンブルクLuxembourg線、TECバス29系統:ジュメルJemelle~グリュポンGrupont線を参照。

■参考サイト(再掲)
アンのトラム(個人サイト) http://www.tramdehan.net/
 本稿のウェラン路線群の歴史は、このサイトの記述を参考にした。
アン鍾乳洞(観光局サイト) http://www.grotte-de-han.be/
 英語版あり。洞内の案内やオンライン予約がある。
アン・シュル・レッス付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1245,5.1890&z=15

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2009年8月13日 (木)

ベルギー アン鍾乳洞トラム I

Blog_hansurlesse1 ベルギー南部のアルデンヌ山中に、鍾乳洞を見に行くトラムが走っている。延長わずか4km足らず、遊戯施設にさえ見えてしまうささやかな施設だが、かつてベルギー全土で活躍していたメーターゲージ(1m軌間)の地方軌道vicinal tramの系譜を引く貴重な存在だ。同じ軌道でも前回紹介したキュストトラムは、海岸リゾート地帯を貫いていたがゆえに、現代的なLRT仕様へとみごとな進化を遂げた。対照的にこちらは当時のひなびた姿を保ったまま、観光地への足として生き延びている。奇跡ともいうべきトラムの過去と現在を、現地サイトなどの資料により2回に分けて紹介しよう。

*注 Les grottes de Hanを「アン洞窟」「アンの洞窟」と訳した資料もあるが、日本ではこのような洞窟を鍾乳洞と言い習わしているのでそれに従う。

Blog_hansurlesse_map1 トラムは、アン鍾乳洞トラムTram des grottes de Hanと呼ばれる。舞台は、北海に流れ下るマース川Maas、フランス語でムーズ川Meuseの支流であるレッス川Lesseの中流域にある盆地だ。その一角に、アン・シュル・レッスHan-sur-Lesse(「レッス川に臨むアン」の意)という小さな町がある。町の中心部から山の裏側にある鍾乳洞の入口まで、洞内見物に出かける人々を運ぶのがトラムの日課だ。いまは接続する鉄道のない孤立した小路線になってしまっているが、かつては広範な路線網に組み込まれて、幹線の列車で訪れる観光客をリレーする最終ランナーだった。

トラムの説明をするには、この地方の路線網の盛衰を振り返っておく必要があるだろう。右上の概略図をご覧いただきたい。この盆地に最初に敷かれた鉄道は、図中、右側を南北に横切っているナミュールNamur~アルロンArlon線で、1858年のことだ。この路線はブリュッセルとルクセンブルクを最短距離で結ぶ標準軌の幹線だが、地形の関係で、盆地に点在する町からかなり離れた谷筋を通り、ジュメルGemelle、グリュポンGrupontなどの駅はまともな集落すらない場所に設けられた。その後、1885年にSNCV(Société nationale des chemins de fer vicinaux地方鉄道公社、オランダ語ではNMVB)が設立されて地方軌道の整備体制が確立すると、建設コストの面で有利な軌道敷設の機運が各地で高まりを見せる。ここレッス盆地でも、リュクサンブールLuxembourg州に属する南部の町や村をグリュポンGrupont駅に接続する路線が提案され、1894年にウェランWellin~グリュポン間が開通した。

一方、ディナンDinant州に属する盆地の北部では、ジュメルJemelleからレッス川沿いにウイエHouyetを通り、ディナンに向かう標準軌線(図の上部を東西に走る)の建設が進んでいた。1880年のジュメル~ロシュフォールRochefort間の開業を皮切りに、1896年までにディナンに到達するのだが、これによって北部の中心であるロシュフォールの町から南下してウェランに至る軌道のプランが議論されることになる。ウェランを目的地にしたのは既存の車庫や車両を共用できるからだが、もくろみの一つに、途中にあるアンへの観光客の獲得があったのは当然のことだ。案の定、1904年2月にウェラン~ロシュフォール線が開業すると、それまで馬車しかなかった鉄道駅からの交通手段が改善され、認知度が上がったこともあって、アンの町に旅行者が続々とやってきた。

しかし、急速な発展が町の人々を困惑させたのもまた事実だった。町から洞窟まではまだ数km離れていて、馬車か自動車で行き来したものの、田舎道は混雑し、農家は以前のように家畜を移動させることもかなわなくなってしまったのだ。陳情を受けて、その年の10月には、早くも鍾乳洞線の最初の計画が公表された。計画は、町の中心を走るロシュフォール線から分岐して、背後の山を巻くように上ってフォール岩Rochers de Fauleに達するものだった。谷の山際にある洞窟入口に直接付けなかったのは、SNCVの委託を受けてロシュフォール線の運営会社を率いていたド・ピエルポンde Pierpontの意向だったと言われる。彼は、乗客にアルデンヌの谷と森を見下ろす眺めを提供しようとしていたのだ。「パノラミークpanoramique(展望のいい)」という愛称がつけられた路線は、1906年6月1日に開業し、道路問題は沈静化した。軌道の終点には、ローマ近郊の景勝地の名を取った「ル・ティヴォリle Tivoli」という休憩所も設けられ、乗客はここで一休みしてから洞窟の入口へと山道を下っていった。

その後は、第一次大戦でのドイツ軍占領により4年間(1916~20年)、周辺の路線を含めて休止の憂き目に遭った以外、第二次大戦中も列車の運行は続けられた。開通時から活躍していたHL型蒸気機関車は、1935年以降、徐々にオートライユAutorail(ディーゼル駆動のレールカー)に置き換えられた(1957年に完全無煙化)。このとき導入された最古参の1台とともに、各地の軌道の車両更新や廃止に伴って引き取られた計6台が現役で、お客を載せたトロッコ客車をいまも引っ張っている。

その間に、周辺の路線には転機が訪れていた。戦後、自動車交通が普及して、道端軌道であるグリュポン線、ロシュフォール線、それに1908年開業のウェラン~グレードGraide間を含むSNCVウェラン路線群Groupe SNCV de Wellinの運営は不振を極めるようになる。1955年8月31日限りでついに旅客営業は廃止され、細々と続けられた貨物営業も1957年に止められた。ウェランの車庫が使えなくなったため、鍾乳洞線の終点付近に新たに車庫が建設された。また、ロシュフォールで接続していた標準軌の国鉄ジュメル~ウイエ間も同じ運命をたどり、1959年に廃止された(ウイエ以西はベルトリクスBertrix~ディナン線の一部として存続)。

これらの廃止区間にはSNCV直営の代替バスが導入された。SNCVが言語圏別に分割されてTEC(ワロン地域交通会社Société Régionale Wallonne du Transport)となってからも、29系統(ジュメル~ロシュフォール~アン・シュル・レッス~ウェラン~グリュポン)、166a系統(ジュメル~ロシュフォール~ウイエ)として運行が継続されている。

このような経緯で、鍾乳洞線はただ一つ、盆地の中に取り残された。接続する路線が姿を消し、時刻表にも載らなくなって、すでに50年が経過している。アン鍾乳洞は、日本で言えば秋芳洞のような存在で、ベルギー国内ではよく知られているが、国際的な知名度はさほどでもない。まして、そこを走っている小さな軌道の存在を知る人は少ない。鍾乳洞トラムはどのようにして今日まで存続したか、その身に降りかかった危機や改変を含めて、次回詳述しよう。

■参考サイト
アンのトラム(個人サイト) http://www.tramdehan.net/
 本稿のウェラン路線群の歴史は、このサイトの記述を参考にした。
アン鍾乳洞(観光局) http://www.grotte-de-han.be/
TEC(公式サイト) http://www.infotec.be/
  各路線の時刻表horairesもある。
アン・シュル・レッス付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.1245,5.1890&z=15

ベルギー アン鍾乳洞トラム II

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2009年8月 6日 (木)

ベルギー キュストトラム-地図に載らない世界一の軌道

Blog_kusttram ベルギーに、北海沿岸の主要都市を結んでいる電化・複線の鉄道路線がある。延長は68kmと、東海道線なら東京~大磯間にも相当する距離だ。夏のシーズン中は10分間隔で電車がしげく行き交い、300万人が利用する。このようなスケールを持っているのに、ベルギー国内の鉄道地図にも、1:50 000地形図にも載っていない。それが、キュストトラムKusttramだ。オランダ語のKustは海岸、沿岸の意味なので、ベルギー沿岸軌道と訳されている(写真はパンフレット表紙)。

キュストトラムが地図に載らない理由は、国鉄の路線でないことと、1m軌間(メーターゲージ)のライトレールだからだ。以前紹介したベルギーの鉄道地図はどれも国鉄の路線図だったし、地形図も1:50 000の図式では軌道の記号そのものが設定されていない。もちろん全ての地図が軌道のありかを無視しているわけではなく、これも以前紹介した本格的なヨーロッパ鉄道地図や1:20 000以上の大縮尺地形図では掲載の対象になっている(ミシュランの道路地図にもある!)。とはいえ、1:20 000の軌道の記号などは蜘蛛の糸のような微細線で、そのつもりで捜さない限り見逃してしまうから、やはり標準軌の鉄道に比べると、扱い方が軽いと言わざるを得ない。

Blog_kusttram_map キュストトラムの起点は、フランス国境間近のデ・パンネDe Panneだ。そこから東へ向かって点在する海浜リゾートやオーステンデOostendeのような港湾都市を経由し、オランダ国境に近いクノッケKnokkeまで、ベルギーの海岸線をほぼカバーしている。SNCB(国鉄)線は内陸から沿岸の町を突き刺すように扇状に延びているが、扇の先端同士はトラムで連結されているのだ。デ・パンネ、オーステンデ、ブランケンベルヘBlankenberge、クノッケの4か所で、国鉄の駅前に停留所があり、利便性も抜群だ(ただし、クノッケは駅前広場の北側の大通りを渡った先)。今では特別な存在とさえいえるトラムだが、かつては、国内に網の目のように張り巡らされた郊外軌道の一つに過ぎなかった。その沿革は19世紀に遡る。

北海沿岸の路面軌道は、オーステンデを起点にして東西に広がっている。最初に開通したのはオーステンデの西、ニーウポールト=スタットNieuwpoort-Stadまでで1885年のことだ。ただし、この路線は内陸の街道筋をたどる別の線であり、海岸に近接する現路線は1897年、オーステンデ(皇帝桟橋)Oostende(Keizerskaai)~ミッデルケルケ=バートMiddelkerke-Bad間に始まる。また東側では、1886年にブランケンベルヘまで通じているが、これもオーステンデ近郊で、海岸に沿う路線が1905年に新設されている。その後、海浜の保養地開発に伴って軌道の延伸が繰り返された結果、1908年に東側のオーステンデ~クノッケ間が、1926年には西側のオーステンデ~デ・パンネ間が全通した。さらに国境を越えてオランダ側への連絡線も造られた。電化も1909年から順次進められ、1930年に全線で完了した。

ところで、ベルギーの路面軌道は最初から国営の地方鉄道会社Nationale Maatschappij van Buurtspoorwegen(NMVB) の手で建設されたものが多い。私鉄として開業した路線も段階的に統合されていき、第二次大戦直後の1945年に最盛期を迎える。当時の路線総延長は4815kmにも及び、標準軌鉄道を動脈とすれば、毛細血管のように地方の隅々に行き届いていた。しかし、1950年代になると、トラックやバス、自動車の普及に押されて、急激な衰退の道をたどることになる。1960年には最盛期の1/5の981kmにまで落ち込み、その後も減り続けて、1990年にはわずか110kmを残すだけとなった。

内陸の軌道網が壊滅していく中でもキュストトラムの運行は続けられたが、1970年代は1時間に1本しか走らない閑散線のままだったという。ところが、バカンスシーズンの道路渋滞を緩和するために軌道系交通機関を活用しようとする潮流に乗って、トラムは息を吹き返す。1980年前後に新たな連接車が大量に導入され、運行頻度の大幅な向上が図られる。1987年の時刻表では、すでにシーズンの日中は7~15分間隔に強化されている。

また、鉄軌道間の乗継ぎを改善するために、1998年、西端のデ・パンネの中心街で終わっていた軌道が3km先の国鉄駅まで延伸され、SNCBの列車と同一ホームでの乗換えが可能となった。並行して、停留所整備、パークアンドライド、電車優先信号など、快適性や速達性を追求する対策が次々と講じられていった。

現在、キュストトラムの路線は、1つの系統として見ると世界最長と言われる。70の停留所があり、全線を乗り通すと2時間20分強を要するが、都市の分布状況からしても短距離の利用が主だ。市街地の軌道はセンターリザベーション(道路中央に設けられた専用路)化され、郊外に出ると道路際の専用線になる。中央部を低床化した現代的な連接車が、海からの風を切ってさっそうと走り去る姿は見るからに頼もしい。

終点の線路はループ(オランダ語でケールリュスkeerlus)になっていて、到着したトラムはぐるりと回って折り返す。途中にも区間運転用に数か所、ループや三角線が設けられている。これは、NMVB時代の旧型車両が、電動車の後ろに付随車を最大3両つなぐ構成で、運転台が一方にしかなかったからだ。全線複線のメリットで、乗降扉も片側だけ設けられていた。その後は両端に運転台、両側に乗降扉がある一般的な車両が導入されている。

かつての運営会社NMVBの路線網は連邦主義の厳格化で言語圏別に分割され、1991年にフラマン語圏は、フランデレン運輸会社「デ・レイン」Vlaamse Vervoersmaatschappij "De Lijn" に引き継がれた。キュストトラムは、ヘントGentやアントヴェルペンAntwerpenのトラムとともにデ・レインが運営する軌道事業の一つとなった。デ・レインは2007年に、西フランデレン州West-Vlaanderenの交通網充実のための意欲的な将来計画(ネプチューン計画)を発表している。

わがトラムの関連では、2014年までの向こう7年間に、軌道強化と停留所のアクセシビリティの改善を図り、混雑区間で運行本数を増やす。次の7年間(2014~22年)で、さらなる運行頻度と速度の向上に投資を行う。そして4つの路線、すなわちコークセイデKoksijdeからフェルネVeurne方面、東岸Oostkust~ブルッヘBrugge間、オーステンデ~ブルッヘ間、デ・パンネまたはフェルネ~フランスのダンケルクDunkerque間の新設をめざす、としている。1番目は海岸と国鉄駅をつなぐ短い新線だが、2番目と3番目は国鉄線と競合し(あるいは転換?)、4番目は旅客運輸が廃止された国境越えを復活させるものだ。果たして10数年後には、この地方にどのような鉄道地図が描かれるのだろうか。

■参考サイト
キュストトラム http://www.dekusttram.be/
 トップページで降車ボタンを押すと次のページへ。画面最下部にメニューがある。路線図はKusttram-route、時刻表はDienstregeling
キュストトラムの写真集 http://www.kusttram.eu/foto's.htm
デ・レイン http://www.delijn.be/
 トップページ > Reisinformatie > Netplannen en perronindelingen にバスを含む路線図が多数ある。キュストトラムのルートはページ下部、West-Vlaanderenの段の"Algemeen netplan West-Vlaanderen" に表示されている0系統(赤の破線)。
デ・レインのネプチューン計画 http://www.delijn.be/nieuws/archief/neptunusplan.htm

デ・パンネ駅付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=51.0777,2.6010&z=17
 画面中央の駅前駐車場を取り囲んでいるループ線がキュストトラム。南辺が始発駅。 東西に延びる鉄道は国鉄SNCB。

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2009年7月23日 (木)

オランダの鉄道地図 II

鉄道による貨物輸送を促進するために設立されたオランダ・鉄道貨物情報財団Rail Cargo Information Netherlands Foundationは、貨物輸送に関する鉄道地図を公開している。

■参考サイト
鉄道貨物情報財団 http://www.railcargo.nl/
トップページ > Railinfrastructuur > Spoorkaarten > Nieuwe spoorkaart van Nederland > posterrailcargo.pdf

Blog_netherlands_railmap_hp3 「オランダの新鉄道地図Nieuwe spoorkaart van Nederland」と称するこの地図は、道路と水系で構成した単色のベースマップの上に、赤や緑の実線で鉄道路線を描いている。タイトルを見る限り何の変哲もなさそうだが、凡例(蘭・英併記)に目を通せばユニークな地図であることは明らかだ。

赤い線は旅客線ではなく、オープンアクセス鉄道網Open access rail networkと説明されている。オープンアクセスとは、列車運行事業者が使用料を支払って線路使用権を得ることができるシステムで、EC指令で示された目標に沿って、加盟各国が上下分離と併せて鉄道事業に適用した政策だ。ほとんどの路線が旅客列車の運行に供されているのだが、貨物事業者にも門戸が開かれている。それに対して、緑色は貨物鉄道専用線Dedicated freight railway lineを表している。このほか、設定された記号を操車場、コンテナターミナル、トラックとの積替駅、私有側線と追っていくと、おのずと鉄道にもう一つの重要な役割があることを再確認させられる。

もう一つ目を引くのは、国土の中央を東西に貫くベテュヴェルートBetuwerouteが描かれていることだ。これは2007年6月に開通した延長160kmの貨物専用線で、ドイツ国境に近いゼフェナールZevenaarとヨーロッパ最大の貿易港であるロッテルダム港を最短距離で結んでいる。旅客列車の運行頻度が高いオランダ国内では、鉄道の機能向上に貨物輸送の分離が求められ、特に需要の大きいドイツルートをバイパスする新線が計画された。環境に配慮した設計変更などで工費が見込みの2倍に膨れ上がったことや、電化方式も信号方式も新しいEU標準を採用したため、在来線仕様の機関車は通行できなくなるなど、難産を伝えられながらの開業だった。しかし、この地図上ではあたかも主役のように遇されていて、実際もレイン(ライン)=ヴァール川Rijn-Waalの水運を補完する物流の動脈に成長していくのだろう。

なお、上記ページからリンクしている「オランダの詳細鉄道地図Detailspoorkaarten van Nederland」には、この地図の都市部の拡大図が多数用意されている。

オランダの鉄道施設管理は、2003年に設立されたプロレール社ProRailが行っているが、そのHPに、ファイルサイズが5MBもある鉄道地図が用意されている。

■参考サイト
プロレール社 http://www.prorail.nl/
トップページのPubliek > Spoorkaart  またはトップページの直接リンクdirect naarから

Blog_netherlands_railmap_hp4 縮尺は1:300 000で、ベースマップには同国の測量局Topografische Dienst Kadasterが編集した1:250 000道路地図を縮小使用している。道路地図といっても日本で言えば1:200 000地勢図に相当する公式地図で、道路、集落、水系、植生、行政界などが詳細に書き込まれたものだ。地図の見栄えで他と一線を画しているだけでなく、オランダの鉄道インフラの大要が概観できるという意味で注目に値する資料だ。どのような内容が盛り込まれているかは、凡例にある地図記号を見ていくのが手っ取り早い。表記がすべてオランダ語なので、参考のために、鉄道に関する地図記号の意味を日本語で付しておこう(厳密な訳ではないのでご了承を)。

Spoorwegen鉄道の部
- geëlektrificeerd (enkel- / dubbel- / meersporig) 電化(単線/複線/多複線)
- niet geëlektrificeerd (.... 非電化(同上)
- uitsluitend goederenvervoer (.... 貨物専用線(同上)
- museumspoorweg 保存鉄道
- niet in exploitatie 休止中
- lightrail 軌道

Station旅客駅の部
- station zonder inhaal- of kruisingsmogelijkheld ook wel halte genoemd 交換不可能(行き違いできない)で、合図により停車する駅(リクエストストップ?)
- station / groot station mét inhaal-... 交換可能な駅/主要駅
- evenementenhalte (facultatieve halte) 臨時設置の乗降場(仮乗降場)
Functionaliteit spoor 運行機能の部
- Inhaalspoor op de vrije baan. bijv. ... (本線上の、あるいは駅機能のない)待避線、その例
- overloopwissel. bijv. ... 渡り線、その例
- aansluiting (splitsingspunt op vrije baan) 接続点(本線上の分岐点)

voorzieningen施設の部
- emplacement (rangeerstation / opstelterrein) 操車場/貨車組成施設
- laad- en losplaats voor goederenvervoer (openbaar) 貨物積み降し施設(非専有)
- containeroverslagmogelijkheld コンテナ積み降し施設
- revisiebedrijf 修理工場
- onderhoudsbedrijf 分解修理(全般検査)工場
- servicelocatie サービスステーション(?)
- tankplaats 給油施設

これまで紹介した鉄道地図と重複する情報も含まれているが、動力方式、線路数、駅の機能など鉄道施設の基本的なデータを包括的に表示しているところが得がたい。それに、位置情報だけだが保存鉄道やライトレールまでカバーしているので、およそ郊外路線と呼ばれるものは網羅していると考えられる。前回紹介したTreinreiziger.nlの列車系統図と併用すれば、旅行用としても十分に役立ちそうだ。印刷版の配布が案内されていないのがまことに惜しい。

最後に、私的サイトで過去の時刻表添付地図とおぼしきファイルを発見した。日付は2004年9月になっている。印刷物のスキャニングではなく、印刷用のデータファイルから直接PDF化したものなので、拡大しても鮮明な画像が得られる。トップページからのリンクで紹介すべきだが、リンクが見つからないので、やむをえずPDF(131KB)の直接リンクを記すことにする(リンク切れご容赦)。

■参考サイト
http://www.astro.rug.nl/~islands/spoorkaart.pdf

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2009年7月19日 (日)

オランダの鉄道地図 I

オランダの列車というと、筆者などはドッグノーズと呼ばれた黄色の電車を思い浮かべる。丸く膨らんだ前面の形状が犬の顔を思わせるのでそのあだ名がついているのだが、一世を風靡したこの形式も、スマートな新車に押されて現在は主に各停に運用されているようだ。

しかし注目すべきは顔の形ではなく、これが動力分散型の電車だという点だ。日本では特急でも電車が用いられるが、ヨーロッパの郊外列車や急行列車は、電気機関車が動力を持たない客車を牽引するスタイル(動力集中型)をとることが多い。その役を敢えて電車に担わせているのは、日本のように短距離高頻度の列車ダイヤが組まれていることの証しだろう。事実、オランダはヨーロッパで最も鉄道が利用されている国で、単位面積当りの路線の密度はベルギーやドイツに及ばないが、旅客輸送密度では鉄道王国スイスをも凌いでいる。発車時刻が等間隔のいわゆるパターンダイヤが採用され、国内のインターシティは特別料金が不要であるなど、気軽に使える鉄道が強く意識されている。

Blog_netherlands_railmap1 オランダ2800km余の鉄道路線を表示している鉄道地図(オランダ語でスポールカールトSpoorkaart)を見てみよう。印刷物で筆者が知っているのは、公式時刻表Spoorboekjeの添付地図ぐらいだ。手元にあるのはあまりにも古い1988年版だが、表紙のすぐ後ろに折りたたんだ鉄道地図がはさんであり、拡げると本のサイズの約6倍(縦41.5cm横37.5cm)の大きさになる(右写真、右上は時刻表表紙)。路線網が水平、垂直および斜め45度の直線に単純化された、いわゆるスキマティックマップ(位相図)だ。オランダの鉄道のシンボルカラーというべき濃い黄色の地の上に旅客用の全線全駅が表示され、路線ごとの時刻表番号が添えられている。ラントスタットRandstadと呼ばれるアムステルダムAmsterdam、ロッテルダムRotterdam、ハーグ(デン・ハーフDen Haag)、ユトレヒトUtrechtの4大都市圏は、拡大図がある。

ウェブ版はなかなか充実しているので、2回に分けて紹介しよう。

Blog_netherlands_railmap_hp1 オランダもインフラ管理と列車運行の事業者を分ける上下分離が実行されているが、後者の旅客輸送の大部分を担当するのがオランダ鉄道Nederlandse Spoorwegen (NS) だ。NSのサイトでは、時刻表添付と同じデザインを用いた地図がPDFファイルで提供されている。

■参考サイト
オランダ鉄道 http://www.ns.nl/
トップページのService > Folders over diensten (= Brochures on service) > Spoorkaart van Nederland

図の左上にあるタイトルは、直訳すると「オランダの運賃単位地図Tariefeenhedenkaart van Nederland」だ。運賃単位Tariefeenheidは基本的には営業キロ数なのだが、若干補正があるらしく、より正確に言うなら運賃計算キロだ。地図上の各駅間に書かれた数字がそれを表している。

20年前の路線図と比較すると、変化が2点目に付く。1つは、ローカル線にNS以外の会社が運行する区間が出現していることだ。北部フローニンゲン州Groningenとフリースラント州Frieslandのアリーヴァ社Arriva、東部ヘルダーラント州Gelderlandのシンテュス社Syntus、南東部リンブルフ州Limburgのヴェオリア交通社Veolia Transport(もとのコネックスConnex)などが、NSの運行路線とは色を変えて示されている。多くは国際交通企業で、路線バスなどと一体で地方の公共輸送を請け負っているのだ。

もう一つは、首都アムステルダムからベルギー国境へ、一直線に南下する南高速線HSL-Zuidの存在だ。地図ではHST(高速列車Hogesnelheidstreinの略)と記されている。パリから来るタリスThalysがここを疾走することになるのだが、2009年中に運行予定と注釈があるものの、現時点ではオランダ領内はまだ開通していない。
なお、上記ページで並べて紹介されている「オランダの運賃単位地図に付随する詳細図Detailkaarten behorende bij Tariefeenhedenkaart van Nederland」は、4大都市部の拡大図と全国図で、印刷図では先述の図の裏面に配置されるものだろう。全国図には、主要駅間の運賃単位が記されている。

Blog_netherlands_railmap_hp2 一方、独立系の鉄道旅行情報サイトTreinreiziger.nlでは、趣向の違う鉄道地図(PDF)が提供されている(Treinreizigerは英語ならtrain travelerの意)。オランダ国内の鉄道旅行に持っていくとすれば、NSの運賃地図よりこちらのほうだろう。なぜなら、これはオランダの旅客列車のルートを一覧できる優れものだからだ。

■参考サイト
Treinreiziger.nl   http://www.treinreiziger.nl/
トップページ > Reisinformatie > Spoorkaart >
文中の "De spoorkaart is vanaf nu te downloaden op treinreiziger.nl"(意味は「鉄道地図はtreinreiziger.nl ですぐにダウンロードできる」)、または "U kunt de kaart hier downloaden"(同「ここからダウンロードできる」)のリンクから

地図の裏面(PDFの2ページめ)に「鉄道地図をどう使うかHoe werkt de Spoorkaart?」という説明文がある。それによると、「この地図では、線の色を追うことによって、列車系統がどこを走るかを容易に確かめることができる。線が、ある駅で途切れていればその系統の起終点であり、駅を通り抜けていれば経由地だ。線の太さで、その列車系統の運行頻度(月~金、およそ7~19時の間。凡例の説明では7~20時)がわかる。夜間や週末には列車数が削減されることがある。すなわち、ラントスタット(4大都市圏)の頻発区間では30分、ラントスタット圏外のより本数の少ない区間では少なくとも1時間毎になる。この地図では発着時刻を示していないので、時刻表の代用にはならない。旅行計画にはNSなどのサイトを参照のこと。」

説明中の、線の太さで運行頻度を表す方法については、図の凡例で具体的に示されている。すなわち、細線は1時間に1本(per uur = per hour)、中線は同2本、太線は同4本、そして中線の破線は通勤通学のピーク時のみ2本(alleen in spitsuren = only in peak)などとなる。

列車を利用する際に、目的地まで直行できるのか、できない場合はどこで乗り換えるのかは大きな関心事だ。筆者はこれを見て、国際空港のあるスヒポールSchipholからアムステルダム中央駅を経由せずに東部の都市へ行く系統がいくつも設定されていることを初めて知った。昔の感覚でどの列車でも中央駅を通ると信じて乗っていたら、きっと慌てたことだろう。この地図が現地で容易に入手できるのかどうかは知らないが、返信用封筒を同封して請求すれば、印刷版の送付もしてくれるようだ(ただし、国外への対応は不詳)。

次回は貨物輸送とインフラ管理部門の鉄道地図を紹介する。

オランダの鉄道地図 II

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2009年7月12日 (日)

ベルギーの鉄道地図

Blog_belgium_railmap1 20年ほど前にパリからベルギーの首都ブリュッセルBruxellesへ旅したときは、EC(ユーロシティ)で2時間半、野を越え丘を越えて行く旅だった。現在は、高速線を経由するタリスThalysで1時間22分、ずいぶん速くなったものだ。その頃参考にと買ったポスターサイズの路線図Carte du résaeu(右写真。上は全体、下は一部拡大)が、筆者の持っている唯一のベルギー鉄道地図だ。縮尺1:300 000で、1988年11月1日現在の全線全駅が表示されている。駅は等級別の管理駅、被管理駅に分類され、路線は電化・非電化、単線・複線を記号化している。貨物線や休止線も載っているので、地形図で鉄道の軌跡をたどるときにも参考になる資料だった。残念だが、最近はこのような紙地図を目にしたことがない。それで本稿では、ウェブで見られるものを紹介しておきたい。

Blog_belgium_railmap_hp1 ベルギー国鉄SNCBの公式サイトに、インタラクティブ形式の路線図がある。ベルギーの公用語であるオランダ語、フランス語、ドイツ語のほかに英語版も用意されていて、抵抗なく使える。さらに、表形式の時刻表のリンクもあるので、鉄道旅行に最低限必要な情報が揃う。ところが、公式サイトの英語版ではなぜかリンクが欠落していて、英語版の路線図を見るのに、わざわざオランダ語(NLと略記)かフランス語版(FR)から入っていかなければならない。

■参考サイト
ベルギー鉄道SNCB(フランス語版)
http://www.sncb.be/ または http://www.b-rail.be/main/F/
 路線図はページ左下 "Carte réseau (= network map) "から
 表形式の時刻表は同じく "Brochures horaires (= timetable brochures)"

路線図の初期画面は全国図だ。部分拡大するにはCtrlキーを押しながら、任意の範囲をマウスでドラッグする。縮小するには右メニューの虫眼鏡ボタンを使う。また、右メニューのスケールバーでも倍率を変えられる。画面移動は同じ並びの一番左、八方向の三角印(▲)をマウスオーバーする。クリックすると移動速度が早くなる。路線をクリックすると対応する時刻表が見られる...、などと説明してはあるのだが、筆者のパソコンの性能が低いのか、使い方が間違っているのか、Ctrlキー+ドラッグの範囲指定拡大は反応がひどく鈍いし、対応する時刻表もいっかな出てこない。いろいろ機能を盛り込んだのはいいが、便利さを追求するあまり、かえって操作性を低下させてしまったようだ。

Blog_belgium_railmap_hp2 幸いなことに、路線図の古いバージョンがまだ残っている。こちらの方が機能が少ない分、ストレスなしに作動する。デザインを見る限り旧バージョンとは信じられないが、2007年開通のアントウェルペンAntwerpen中央駅を通過する新線が描かれていないので、それ以前の製作のようだ。

■参考サイト
SNCB路線図旧版(リンク切れご容赦)
http://www.b-rail.be/nat/F/common/netcard_flash/index.php

インタラクティブマップは一覧性の点で不満が残るという方に、個人サイトに挙がっている「1枚もの」を紹介しておこう。

Blog_belgium_railmap_hp3 一つは、駅舎を写した古い絵葉書を集めた「昔のベルギーの駅Les gares belges d'autrefois」というサイトにある。トップページの最下段に、「草創期から今日までのベルギー鉄道地図Carte du réseau belge depuis sa création jusqu'à nos jours」と「ベルギー旅客鉄道地図(2002年)Carte du réseau voyageurs belge (2002)」がリンクされている。特に前者は、廃止線を含めた普通鉄道の全路線を描きこんだ力作で、全盛期の鉄道網を回顧できる。

■参考サイト
昔のベルギーの駅 http://users.skynet.be/fa058639/

Blog_belgium_railmap_hp4 もう一つは、「ベルギー鉄道非公式サイトChemins de fer belges - Site non officiel」というベルギーの鉄道を紹介する個人サイトで、その中に「国鉄路線網地図Cartes du réseau SNCB」という鉄道地図を集めたページがある。最上段にある時刻表の添付地図をはじめ、多くは紙地図をスキャンしたものだが、唯一、「鉄道網の変遷Évolution du réseau」は、1830~2000年までの鉄道網の変遷を1年1秒の速度で見せるユニークな動画像だ。

■参考サイト
ベルギー鉄道非公式サイト「国鉄路線網地図」
http://www.belrail.be/F/infrastructure/index.php?page=cartes

ベルギーは、ヨーロッパ大陸でも早期に鉄道を導入した国の一つに数えられる。1830年、オランダから一方的に独立を宣言したベルギーは、北海に通じるスヘルデ川Schelde河口の封鎖に遭い、大きな打撃を受けた。水運に代わる輸送手段として注目したのが、イギリスで成功を収めていた鉄道だった。1835年にブリュッセル~メヘレンMechelen間が開通して、ベルギーの鉄道時代が幕を開けた。動画像に目を凝らしていると、1870年ごろまでに、路線が全国に張り巡らされる様子がよく分かる。時が流れて20世紀、1950年代からは直流3000Vの電化区間がずんずん延びていき、最後に交流25KVの高速線が西からすうっと現れて、全編が終わる。

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2009年7月 5日 (日)

アイルランドの鉄道地図

Blog_ireland_map アイルランド共和国の鉄道網を運営しているのは、国有のアイルランド鉄道だ。英語ではIrish Railだが、正式にはアイルランド語によるイルンロード・エールンIarnród Éireann(読み方はウィキペディア日本語版による)と称している。Iarnródは英語のIron Roadから来ていて、Iarnród Éireannはエール(アイルランド)の鉄道という意味をもつ。運行路線は首都ダブリンDublinから放射状に広がり、内陸を貫通して沿岸の主要都市に達している。

一方、1922年のアイルランド共和国独立に際して袂を分かった北アイルランドでは、北アイルランド鉄道NI Railwaysが鉄道事業を行っている。1990年代に極端な民営化が推し進められたイギリスで、唯一残る国有かつ上下一体経営の鉄道会社だ。首都ベルファストBelfastから延びる長短4方向の路線を維持する。

鉄道が盛んに建設されていた19世紀はまだ全島がイギリス領だったので、主要路線は1846年の鉄道規制法で定められた1600mm(5フィート3インチ)軌間、いわゆるアイリッシュ・ゲージで統一された。最盛期であった1920年には、島全体に狭軌を含めて計5500kmもの路線が存在したという。1950~60年代に不採算となっていた多くのローカル線が廃止された結果、路線規模は1/3にまで縮小した。現在の運行形態は首都中心で、アイルランド鉄道はDARTなどの近郊通勤列車、50~80km圏の郊外列車、地方都市へのインターシティを走らせている。また、ダブリンとベルファストの首都間は、両鉄道が共同で、ユーロスターなみの設備をもつ「エンタープライズEnterprise」号を投入している。

鉄道地図でもアイルランド島は、1つのくくりで扱われることがほとんどだ。単独の出版物になっているものでは、1997年にアイアン・アラン出版社から刊行された「ジョンソンのアイルランド鉄道地図帳・地名録Johnson's Atlas & Gazetteer of the Railways of Ireland」が知られているが、残念ながら今は絶版で、古書店を当るしかない。グレートブリテン島と合冊・併載になっているものは数種ある。下記リンクの記事を参照願いたい。

・トーマス・クック社の鉄道地図 Railmap Britain & Ireland
 アイルランド島は縮尺1:1 000 000(100万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。旅行地図の性格をもつため、長距離バスルートも記載。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/i_7b92.html

・アイアン・アラン社の「Rail Atlas 1890」
 1890年当時(イギリス領時代)の全線全駅を表示。とうに廃止された路線が多数描かれた貴重な資料。ダブリンは拡大図あり。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/ii_6b6b.html

・M.G.Ball氏によるabc英国鉄道地図帳abc British Railways Atlas
 ポケット版の鉄道地図帳。アイルランド島は縮尺約1:1 670 000(167万分の1)で4ページを充てる。全駅表示。ダブリンは拡大図あり。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/iii_4389.html

・M.G.Ball氏によるヨーロッパ鉄道地図帳
 アイルランド島に1ページを割く。縮尺約1:2 220 000(222万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。分冊版はイギリスと合冊で「Atlas of Britain & Ireland」となる。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/01/i-0b3a.html

・S.K. Baker氏による鉄道地図帳
 アイルランド島は1:495 000で全線全駅を表示。コークCork、ダブリン、ベルファストは拡大図あり。数年おきに改訂版が出されるので、直近の状況がチェックできる。
 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/11/iv_6a46.html

ウェブ版では、鉄道会社のサイトで提供されているものしか見当たらなかった。

Blog_ireland_railmap_hp1 アイルランド鉄道
http://www.iarnrodeireann.ie/your_journey/intercity_map.asp
旅客営業している全駅を結んだだけの簡素な鉄道地図だ。ダブリン近郊と、南岸のコークCork~コブCobh間の支線は別図になっている(左メニューで選択)。ただし、このサイトは旧版かもしれない。下記のサイトでは、時刻表検索Reservations & Timesでポップアップ表示される。また、起終点を選択するときにも使われている。
http://www.irishrail.ie/

Blog_ireland_railmap_hp2 北アイルランド鉄道
北アイルランド鉄道の持株会社のブランド名であるTranslinkのサイトに、路線図NI Railways Route map(PDF)へのリンクがある。地図は系統を色分けしたもので、実際の距離は考慮されていない。
http://www.translink.co.uk/translinknetwork.asp
また、直接のURLは次のとおり(リンク切れご容赦)。
http://www.translink.co.uk/resources2005/20060821routemapnir.pdf

ヨーロッパ全域の鉄道地図を提供するTrainspotting Bükkesのイギリス諸島編も参照。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_british-isles.php

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2009年6月28日 (日)

イギリスの鉄道地図 VI-コッブ大佐の鉄道地図帳

人気を博した「日本鉄道旅行地図帳」は、現役の鉄道を描いた地図もさることながら、今はなき路線を網羅した廃線地図にも大きな反響があったようだ。鉄道が陸上輸送を独占した時代、その存在は地域の都市形成や産業構造に計り知れない影響を与えている。廃線地図を見たことをきっかけにして、もっと詳しく歴史を知りたい、軌跡を追いたいという探究心が芽生えても不思議はない。

Blog_britain_railatlas7 同じような思いを抱いた人がイギリスにもいて、彼は、自らの半生をかけて類まれな鉄道地図帳をまとめあげた。「英国の鉄道-歴史地図帳The Railways of Great Britain - A Historical Atlas」、スリップケースに入った全2巻、地図646ページ(両巻の間に8ページの重複あり)、資料・索引47ページにもなる大作だ。トレヴィシックTrevithickが最初の機関車を走らせた1807年から、国鉄British Railが民営化された1994年までに存在した鉄道路線と駅を、地形図上にすべて描き込んでいる。ベースマップにしているのは、1:50 000地形図が登場する以前のイギリスの代表的な地形図である1マイル1インチ地図(いわゆるワンインチマップ1-inch map、縮尺1:63 360)だ。イギリスの鉄道地図は何種類も刊行されているが、全国版でこれほど大縮尺のものは他に例がなく、いわば究極の鉄道地図帳だ。

なぜ、古い地形図を使ったのか。序文によれば、地名、道路網、河川など地誌的背景は、その場所に鉄道が計画された理由や駅が設けられた理由を読み取る際の参考になる。しかし、最近の地形図では、廃線跡に新しい道路や建物が載って、位置が不明瞭になっていることがある。その点、1971年限りで刊行が止まったワンインチマップには、改変前の状態が残っているというのだ。地形図原図は多色刷りだが、地図帳では黒と青の版だけを抽出してグレー1色で印刷してあり、等高線は入っていない。あくまで主題を引き立てる役回りということだ。

鉄道線は、1948年の国有化以前の4大会社、いわゆるビッグフォーThe Big Fourを構成した路線ごとに塗り分けている。ロンドンから東海岸を北上するロンドン・アンド・ノースイースタンLondon & North Eastern (LNER) は緑、西海岸を北上するロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュLondon, Midland & Scottish (LMS)は赤、西方へ向かうグレート・ウェスタンGreat Western (GWR) は青、南部一帯のサザンSouthern (SR) は茶色だ。路線が輻輳する場合は色の濃淡で識別できる。さらに開業時の所有会社名、途中で会社が変わったものは継承した会社名と年、軌間(後に改軌されたものは年も)、区間ごとの開業年、廃止年(clo 1900のように)が図上に注記される。

駅もしかり。すべての旅客駅が地形図と同じように丸印で示され、営業しているものは白抜き、廃止駅は中に斜線を施してある。路線と同時に開業したものは駅名の後にアスタリスクがつき、それ以外は開業年が(1872)、廃止年が[1972]のように注記されている。改称があった場合は、その履歴も付されている。

詳しい変遷を図示できるのも、この縮尺なればこそだ。鉄道のない地域はもとから省略されているが、そうでなくても周辺部では、見開きページに路線が1本のみということもしばしばある。しかし、縮小表示などはあえて行わず、読者に交通網の疎密度を実感させるに任せている。改廃のデータを表形式にしたものなら他にも存在するのだろうが、これは単なる文字の記録とは一線を画する。幹線の成立から培養線の拡大、はたまたライバル会社との絡み合いなど鉄道網のさまざまな事情が、空間と時間のコンテクストを通して把握できる、目で見るイギリスの鉄道発達史というべきものだ。

著者のマイケル・コッブ大佐Colonel Michael H. Cobbとはどんなプロフィールをもった人なのか。書評の略歴によると、第2次大戦に従軍した後、軍で測量と地図製作に携わり、除隊後は陸地測量部Ordnance Surveyに勤めた。同時にイギリスの鉄道全線を乗り尽くした愛好家でもあったので、1978年に人に勧められて、この仕事に着手した。1916年生まれで当時62歳だった彼は、やり遂げるには今の一生と、次の一生の半分が必要だと言ったそうだ。資料の完成には18年かかり、さらに篤志家の援助を得て出版に漕ぎ着けたのはその7年後の2003年だった。右上の写真は、誤りなどを修正した第2版(2006年)だ。大佐は2008年、この業績が評価されて母校のケンブリッジ大学から博士号を贈られたが、満91歳の授与は同大学では最高齢の記録だったという。

書評では、150ポンドという価格にもかかわらず、この地図帳は熱いケーキのように、つまり飛ぶように売れていると書くが、同時に、本屋へ自転車で買いに行こうとする人に対して、持ち帰るには大きくて重すぎると警告している。もちろん、アイアン・アラン出版社のサイトで注文すれば、遠く日本までも届けてくれるので、興味と資金を持ち合わせている限り億劫がる必要はないのだが。

■参考サイト
アイアン・アラン出版社による同書の紹介記事
http://www.ianallanpublishing.com/product.php?productid=55161
 書評へのリンクあり。ページの下部に地図のサンプル画像がある。

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2009年6月21日 (日)

ラ・ミュール鉄道、終着駅のその先へ

前回紹介したフランスのラ・ミュール鉄道には続編がある。60年前はラ・ミュールが終着駅ではなく、その先へまだ30km以上も線路は延びていたのだ。まとまった資料を持ち合わせないが、ウェブ上の断片的な記述を照らし合わせると、全貌は以下のようなものだった。

サン・ジョルジュ・ド・コミエSt-Georges-de-Commier~ラ・ミュールLa Mure 延長30km、1888年開通~現存。
ラ・ミュールLa Mure~コールCorps 延長32km、1932年開通~1949年休止、1952年廃止。
コールCorps~ガップGap 延長48km、未成のまま1942年、公式に工事中止。

また、ラ・ミュール~コール間には次の支線があった。
シエヴォSiévoz~ヴァルボネValbonnais 延長3km、1932年開通~1949年休止、1952年廃止。

Blog_lamure_railway2 グルノーブルGrenobleから地中海岸方面へ抜ける街道は2本ある(右図参照)。ラ・ミュールからドラック川Dracを遡りガップを経由するナポレオン街道Route Napoléon(現在のN85号線)と、西側のラ・クロワ・オート峠Col de la Croix Hauteを越えるルート(D1075号線)だ。古くからの主要道路は前者だが、標準軌鉄道は後者を選択し、1878年にグルノーブル~ガップ間(アルプス線Ligne des Alpes)が完成した。これに対してナポレオン街道沿いの村々でも、鉄道の建設を求める声が高まる。1888年のラ・ミュール鉄道(起終点の頭文字をとってSG-LMという)はその先駆けとなったが、ガップまでの延長(同じくLM-G)は1906年の県による公共事業化まで待たなければならなかった。工事は1910年(1911年とも)から始まり、1932年にようやくコールまで部分開通を果たした。

着工から22年もかかったのは、第1次大戦の影響とともに、この区間が山間部で、人口的にも産業的にも投資効果が疑問視されて、資金調達が難航したためだ。加えて、途中の深い谷を越える難工事に時間と資金を費やしたという。いったいLM-Gはどんなルートを通っていたのだろうか。

ナポレオン街道は、ラ・ミュールの町を出ると、ドラック川の支流が刻んだ深さ200mの峡谷を横断するために、つづら折りの道を谷底まで降りては登る。こうした芸当ができない鉄道は、街道から大きく東にそれて、距離にして約2倍の迂回を強いられた(右下図参照)。それでも、その間に横たわるロワゾンヌ川とボンヌ川の谷に、大きな石造アーチ橋を構える必要があった。2つの橋は、短命に終わった鉄道の最大の遺構で、歴史遺産となっている。

そのうち、ロワゾンヌ橋Viaduc de la Roizonneは長さ260m、中央の大きなアーチが谷を80mの幅でまたぎ、岸と接続する小さなアーチが北側に2個、南側に6個並ぶ。川床から路面までの高さは110mもある。日本で最も高い高千穂鉄橋(廃線)が105mだから、石造なら相当の迫力だ。

一方、ボンヌ橋Viaduc de la Bonneは長さ180m、高さ55mで、7つのアーチが規則正しく並び、ラ・ミュール側から見て大きく右にカーブする(いずれもデータは下記参考サイトより)。いずれも設計は、ピレネーを上るトラン・ジョーヌLe Train Jaune線上の美しい橋で知られるポール・セジュルネPaul Séjournéだ。着工は1913年と1921年だが、完成したのは1928年で、その間に橋梁は鋼製が主流となっていたため、フランス最後の大型石造橋といわれる。いずれの橋も廃線後、道路橋に再利用されて、今も渡ることが可能だ。

また、ボンヌ橋の北詰めからは、橋を渡らずに谷を遡る支線があった。終点のヴァルボネ村は高山に囲まれた小盆地の中心だが、十分な需要は得られず、本線廃止時に運命をともにした。

■参考サイト
2つの記念碑的橋梁については、Wikipédiaフランス語版で概要がつかめる。写真もある。
ロワゾンヌ橋 http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Roizonne
ボンヌ橋 http://fr.wikipedia.org/wiki/Viaduc_de_la_Bonne

ボンヌ橋付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 中央を流れるボンヌ川にかかる弓なりの橋(695mの標高点がある)がそれ。

Blog_lamure_railway3 SG-LMと違って、LM-Gの開通区間にはトンネルが一つもない。かといって、平坦な行程とはとうてい言えず、曲線の最小半径50m(SG-LMは100m)、最急勾配60‰(ヴァルボネ支線は73‰)が許容されていた。電気運転だからこそ可能な厳しい規格といえる。早くからアルプスの豊富な水量を利用して電力開発が行われており、ローカル鉄道もその恩恵を受けられたのだ。

線路敷は現在、ほとんど道路に転用されてしまっている。しかし、谷を回り込む個所は、道路がヘアピンで短絡するため、大回りしていた鉄道用地が取り残されて、地形図に痕跡をとどめる。レ・コート・ド・コールLes-Côtes-de-Corpsの下手では逆S字状にうねりながら坂をのぼっているし、コールCorps手前のそれはハイキング道になって、市街まで続いているのがわかる。

終着駅コールはラ・ミュール以来のまとまった集落だ。ダムで堰き止めたソーテ湖Lac du SautetとオビウーObiouの山塊を遠望する丘の上に、こじんまりと載っている。駅跡は集落の西側に隣接し、駅前広場Place de la gareの名はそのままに、催し場や駐車場に使われているようだ。実はLM-Gがコールまで開通したとき、そこから南の区間はすでに工事が中断してしまっていた(1930年)。ガップとの直通輸送の夢が潰えた以上、鉄道はこの村を経由する貨客に頼って、生き延びなければならない。この地域の中心地とはいえ、村の人口は近年では400人台、1962年の調査でも608人だったというから、かなり小さな村だ。どうやって採算をとるつもりだったのだろうか。

案の定、鉄道は赤字がかさんで休止に追い込まれていくのだが、文字通りの救いはコール近傍の山中にあった。1846年、山中で2人の羊飼いの子どもの前に聖母マリアが出現したという奇跡に基づいて、その地に築かれたノートルダム・ド・ラ・サレット教会Basilique Notre-Dame de la Saletteだ。コールから15kmの山道を登り詰めた標高1760mにある教会には、今も年20万人が訪れるという。鉄道が現役の時代も、遠路はるばるやってくる巡礼者たちが重要な顧客だった。

しかし、石炭輸送という安定収入が得られるSG-LMに比べて、LM-Gの運営には常に困難がつきまとった。1939年に運行が一時止まり、第2次大戦後に再開したものの、1949年に再び休止、1952年2月に正式に廃止となり、地域開発に賭けた夢はついに消えた。

■参考サイト
コール付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 
コールの市街図 http://www.paysdecorps.fr/blog/articles.php?lng=fr&pg=82
ノートルダム・ド・ラ・サレット教会(公式サイト)http://lasalette.cef.fr/

最後に未成線のままとなったコール~ガップ間に触れておこう。工事が進んでいたのはショファイエChauffayer村付近とサン・ボネ・アン・シャンプソールSt-Bonnet-en-Champsaurに近いブリュティネルBrutinel以南だ。特に後者は路盤が完成していた。廃線跡はまっすぐガップに南下する国道から離れ、勾配がより緩くなるマンス峠Col de Manseを越えており、ガップ駅に至るまでのほとんどの区間を地形図や空中写真でたどることができる。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/pages/histoire2.htm
 前回紹介したファンサイトの中に、コール延長区間に関する記述 "De La Mure à Gap par Corps" がある

Wikipédiaフランス語版 シャンプソール鉄道 http://fr.wikipedia.org/wiki/Ligne_du_Champsaur
 LM-Gの未成区間に関する記述。なお、シャンプソールはドラック川上流の地域名称(Champのpは発音する)。

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2009年6月14日 (日)

フランス ラ・ミュール鉄道

Blog_lamure_railway_minimap ラ・ミュール鉄道Chemin de Fer de La Mureは、フランスアルプスの西縁に広がる山岳地帯のダイナミックな風景が堪能できることから、一般旅行者にも人気が高い保存鉄道だ。サン・ジョルジュ・ド・コミエSt-Georges-de-Commiers ~ラ・ミュールLa Mure間、延長は30.1kmある。起点駅の標高は315mだが、終点では881mにもなり、メーターゲージ(1m軌間)で、18のトンネル、あまたのアーチ橋に半径100mの急曲線が延々と続くと聞けば、いかにも登山鉄道の要件を満たしている。しかし、意外にも勾配は27.5‰と、緩くはないものの幹線にもある規格だ。それというのも、これはもともと沿線で産出した石炭を運搬するために敷かれた産業鉄道だったからだ。公式ウェブサイト以外にも詳しいデータを収めたファンサイトがある(下記参考サイト)ので、それらを参考に鉄道のプロフィールを紹介してみたい。

Blog_lamure_railwayラ・ミュールの町が載るマテジーヌ高原Plateau de la Matheysineは、グルノーブルGrenobleの南20~30kmにある標高1000m前後のエリアだ。東西を山脈にはさまれ、北と南は深い谷で周囲と隔絶されている。そして南北に細長い平坦部には、氷河期の痕跡である小湖が連なる。ここは中世から、石炭の中でも純度の高い無煙炭を産する土地だったが、競合する他の産炭地に比べて交通の便が悪く、19世紀半ばから鉄道の開通が待たれていた。1878年、ようやくグルノーブルGrenobleから南下する鉄道がPLM(パリ・リヨン・地中海鉄道Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée、1938年に国有化)によって敷設されたが、ルートは川向こうに設けられ、高原を経由しなかった。

そこでまもなく、この路線がドラック川Dracを渡る手前のサン・ジョルジュ・ド・コミエで分岐して、高原に上る鉄道が企画される。建設工事は1882年に始まり、ドラック川が削り出した比高300mの断崖に、対岸から103発の大砲を撃って建設の足場をつくるという途方も無い難工事の末、1886年に路盤が完成した。車両その他の設備の調達が遅れたため、開通式が行われたのは2年後の1888年7月24日だった。当初は蒸機が牽引していたが、1日17往復が限界で輸送力の不足をきたした。1907年に峠の手前まで直流2400Vという高電圧電化が実現し、1912年に全線の電化を終えた。

標準軌のPLM線へは積替え作業を介するという弱点はあったものの、高品質炭の需要の高まりは鉄道を一気に活性化させていった。輸送量は第一次大戦前後から目に見えて増加し、1916年には30万トン、1940年には57万3千トン、ピークの1966年には79万1千トンに達した。しかし、燃料の主役が石油に移行し、外国産の低価格品の流入もあって、国内の炭鉱は急速に衰退する。1974年のオイルショックがなかったら、当時吹き荒れていた不採算路線閉鎖の嵐がここにも襲いかかったに違いない。石炭輸送が維持されたことで、鉄道は細々と命脈を保つことができた。結局、この地方の炭鉱は1997年に完全に幕を閉じたが、それより早く1988年10月に鉄道輸送は廃止され、ラ・ミュール鉄道は観光用として第二の人生を歩み始めていた。

現在(2009年)の運行スケジュールは4月~10月の間、毎日1~4往復(月によって異なる)、所要は途中のフォトストップを含めて往路110分、復路は90~95分となっている。

Blog_lamure公式サイトは、訪れればここがなぜ「アルプスで一番美しい路線la plus belle ligne des Alpes」と呼ばれるかがわかる、と誘っている。いったいどんな景色が待つというのだろうか。地形図を見ながら、起点サン・ジョルジュ・ド・コミエ(標高315m)からラ・ミュール行きの列車に乗ったつもりで追っていこう。(IGN 1:25 000地形図なら、3336OT "La Mure"に全線が収まる)

起点駅では、意外にも列車はグルノーブル方、すなわち北向きに出発する。右回りしながらトンネルに突っ込み、180度向きを変えて始発駅の真上に現れる。しばらくは木の間に畑地を見ながら、時速30kmで上っていく。ノートル・ダム・ド・コミエNotre-Dame-de-Commiersの村の手前にはトンネルと組合せたS字状の蛇行部があるが、こうした高度のかせぎ方は後で大きく展開されるだろう。村の駅(標高471m)から遠くに、アリゾナのモニュメント・ヴァレーを思わせる切り立った岩山が初めて眺められる。西を限るヴェルコール山地Vercorsの中でもひときわ異様な風貌で知られる2086mのモンテギュイーユ(エギュイーユ山)Mont Aiguilleだ。ドーフィネ地方の七不思議sept merveilles du Dauphinéに数えられる。

■参考サイト
モンテギュイーユの写真
http://photos-dauphine.com/Photos/Vercors/Trieves/Mont-Aiguille.html
モンテギュイーユの地質構造
http://www.geol-alp.com/h_vercors/lieux_vercors/mont_aiguille.html

駅を過ぎると、右手車窓はしばらく、ドラック川を堰き止めた深い青色のダム湖が延びる。線路は谷の斜面にへばりつきながら、じわじわと上っている。ドラックDracとは土地の言葉でドラゴンを意味し、洪水でグルノーブル盆地を苦しめる荒れ川だったことをしのばせる。支谷を利用した180度転回のトンネルを抜けた後はいよいよ高度が増して、水面との高低差は280mにもなり、対岸の山を見下ろせばまるで空中を飛んでいるような感覚だ。

2つ目のダムを過ぎたことは、長めのトンネルを連続で抜けたところで気づくだろう。右後方にアーチの堤が見えるこのダムは、流域で最大規模のモンテナール・アヴィニョネダムBarrage de Monteynard-Avignonetで、堤高153m、湖は上流10kmにも及ぶ。これが1962年に完成するまで、リヴォワール橋梁Viaduc de la Rivoireを通過する線路は、谷底まで300m以上の高さがある斜めの崖に張り出していた。対岸から陸軍の大砲を打ち込んで足場を確保したというのはここだ。湛水してから高さの恐怖は多少減じただろうが、息をのむ景観は変わらず、緑青の湖水とベルコールの山並みを俯瞰する「大バルコニーGrand balcon」として、乗客期待のフォトストップがある。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道の写真があるサイト
http://www.linternaute.com/sortir/chemins-de-fer/chemin-fer-mure/diaporama/1.shtml

起点から寄り添ってきたドラック川ともこれでお別れだ。線路は大きく左へ向きを変え、支流ペライエ川Péraillerの谷へ入っていく。ラ・モット・レ・バンLa Motte-les-Bainsの駅跡(標高705m)は、全行程のおよそ中間地点にあたる。終点まで直線距離であと8kmに迫っているのに、まだ線路長が15kmもあるのは、これから何度も折返しながら峠まで200mの高度をかせいでいくからだ。

最初の折返しは長さ170mのヴォー川橋梁Viaduc de Vaulxで、路線中最長、かつ全体が右に急カーブしているので、誰もがカメラを構える。少し行くと、これも名所になっている上下並んだルーラ橋梁Viaducs de Loulla aval et amontにさしかかる。列車は下の橋を渡った後、180度転回して脚が長く伸びた上の橋を通過していく。上手にアヴェイヤンAveillansの村が見えてくるが、そこまで一気には上れない。広い谷を大回りし、さらにトンネルで180度方向を変えてようやくラ・モット・ダヴェイヤンLa Motte-d' Aveillans(標高867m)の駅に到着する。ここでは15~20分停車する。駅から北向きにノートル・ダム・ド・ヴォーNotre-Dame-de-Vaulxの炭鉱へ行く2kmの支線が分岐していたが、電化対象からもはずされたまま1936年に廃止された。地形図にはサン・ジョルジュ方向に少し戻った地点から、廃線跡が明瞭に描かれている。

休憩を終えた列車は村の家並みをかすめ、峠の下を貫通するラ・フェスティニエールLa Festinièreトンネルに入って行く。長さ1021mはいうまでもなく路線で最も長く、暗闇を利用して鉱山の歴史を紹介する影絵のアトラクションがある。出口付近が路線の最高地点924.53 mで、ついに列車は24kmも続いた片勾配を上りきって、マテジーヌ高原の上に到達した。後ろの山を振り返ると、もう一つのドーフィネの七不思議、ピエール・ペルセーPierre Percée(穴あき岩)が見えるそうだ。最後の区間はこれまでとは違って開けた土地を淡々と走るが、車窓右手にはこの地方で最後まで稼動していた鉱山の廃虚が点在している。終点ラ・ミュールはまもなくだ。

ところで、もしグルノーブルからクルマでラ・ミュールを訪れるなら、N85号線が近道だ。ナポレオン・ボナパルトが1815年に幽閉先のエルバ島から帰還する際に通ったルートで、別名ナポレオン街道Route Napoléonという。ヴィジールVizilleでロマンシュ川Romancheを渡って、マテジーヌ高原の北端ラフレーLaffreyへ、高さ600mの谷壁を斜めに這い上がる。ナポレオンと王党派の軍隊が対峙した有名な「出会いの草原La Prairie de la Rencontre」を過ぎた後は、点在する湖のへりを行く平坦な道だ。ラ・ミュール鉄道が最初から旅客用だったら、きっとこのルートに沿っていたに違いない。6kmのラフレー坂をラックレールで克服すれば、残り17kmは平地に線路を敷くようなものだからだ。貨物鉄道だったがために、勾配を一定にできるルートを探さなければならず、険しいドラック峡谷が選択された。後世に残された大胆で巧妙な設計図を列車でたどれば、ドーフィネの8つ目の不思議がここにあると確信するだろう。

■参考サイト
ラ・ミュール鉄道(公式サイト) http://www.trainlamure.com/
 英語版あり。基本的な情報はここでわかる。
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト)http://www.crdp.ac-grenoble.fr/cfm/
 詳しいデータが盛り込まれており、本稿のデータの多くはこれに拠っている。
ラ・ミュール鉄道(ファンサイト) http://www.railfaneurope.net/lamure/
 英語版あり。本稿で省略した車両に関するデータはこのサイトを参照。

Wikipediaフランス語版Chemin de fer de la Mure
http://fr.wikipedia.org/wiki/Chemin_de_fer_de_la_mure
ラミュール鉄道の紹介ビデオSpectaculaire chemin de fer de la Mure en Isère
http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=Ca4oNuRL44U
「大バルコニー」付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/visu2D.do?
 上(北)へたどれば起点サン・ジョルジュ方面、右(東)へたどればラ・ミュール
「大バルコニー」付近のGoogle地図
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=44.9580,5.6994&z=15

「ラ・ミュール鉄道、終着駅のその先へ」

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2009年1月15日 (木)

フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版

前回はフランスの列車や路線網を表現した鉄道地図を紹介した。今回は路線の設備を詳述した全国鉄道地図2種とイル=ド=フランスの鉄道地図だ。

Blog_france_railmap_hp5 前者の1つめは、フランス国鉄SNCFが製作し、フランス鉄道線路公社Réseau Ferré de France (RFF) が公開している。1997年、旧フランス国鉄SNCFは列車運行とインフラ管理を別組織化する、いわゆる上下分離の対象となったが、その際、インフラ保有の受け皿として設立されたのがRFFだ。その資料サイトに、組織のミッションにふさわしい鉄道地図が収められている。「Réseau ferré national(全国鉄道ネットワーク)」というタイトルで、RFFの管理下にあるフランス全土の鉄道線(一部の地方私鉄を含む)を詳細に図示したものだ。記載項目は比較的シンプルで、線路の本数、待避線、操車場、旅客駅とそれ以外(非営業を含む)といった施設関係と、狭軌線、地方私鉄、休止線、廃止線の区別、それに行政界とSNCFの管理局界が入っている程度だ。しかし、鉄道の公式資料であり、全線全駅が待避線や連絡線の有無を含めて丹念に図示されていることで、注目に値する。

「フランスの鉄道地図 II」に記したように、この地図はかつて同国の国土地理院IGNが、上下左右4分割した印刷図にして頒布していた。現在は全1面にPDF化されて便利な反面、4.5MBという大容量のため、表示に若干時間を要する。旧図では河川や運河、隣接国内の路線網なども描かれていたが、現行版では省略され、県名も番号に置き換えられて、一般図的な要素はすっかり消し去られた。ちなみに縮尺が1:800 000と記されているが、ファイル上は約1:1 200 000(120万分の1)に縮小されている。
■参考サイト
RFFの資料サイトDocument de référence du réseau ferré national
http://rff-document-de-reference.eu/
トップページ > Principales cartes > Carte du réseau ferré national(全国鉄道ネットワーク地図)

地図への直接リンク(リンク切れご容赦)
http://rff-document-de-reference.eu/images/stories/pdf/2010/fr/fr_docref_anx_4_5.pdf
これとは別に、RFFオリジナル地図もある http://www.rff.fr/biblio_pdf/rf_inv_r_carte.pdf

Blog_france_railmap_hp6 もう1つは個人サイトで、「フランス鉄道網Le réseau ferré français」と題する線路配置図だ。上記の地図を各路線の主要駅間ごとに抽出したような体裁で、駅とキロ程を図示している。また、付属資料として開業日、勾配、トンネル、電化方式、最高速度などのデータを揃えているので、資料集として活用できる。
■参考サイト
フランス鉄道網 http://pagesperso-orange.fr/florent.brisou/Lignes.htm

Blog_france_railmap_hp7 最後は、イル=ド=フランス交通連合Syndicat des transports d'Île-de-France (STIF) のサイトにある鉄道地図だ。下記のリンクをたどると、Cartothèqueの括りにさまざまなタイプの路線図PDFが集められており、パリ都市圏の公共交通を知るうえで見逃せない資料集となっている。

サイトは5ヶ国語に対応しているが、地図が見られるのはフランス語版だけだ。簡単に内容を記すと、Les transports aujourd’hui(今日の交通)として、Le réseau de trains(近郊列車網)、Le réseau RER(RER網=パリ市内を通過する地域急行線)、Plan de métro(メトロ=パリ地下鉄)、 Plan de lignes tramways(トラム)、Le bus : lien vers l’atlas pour la cartographie complète des bus en Île-de-France(イル=ド=フランスのバス全線を示したアトラスへのリンク)、Noctilien(夜間バス)、Plan des lignes de bus Mobilien à Paris(パリへのモビリアンバス=サービス改善のための新政策による路線バス)、Plan des lignes de bus Mobilien en Petite Couronne(プティット・クロンヌ=パリ市に接する県のモビリアンバス)、Plan des lignes de bus Mobilien en Grande Couronne(グランド・クロンヌ=パリ市に接しない県のモビリアンバス)と、STIFに参加する公共交通の路線図がずらりと並んでいる。そのほか、Zones tarifaires(運賃ゾーン)、Parcs Relais(パークアンドライド)など利用者の参考情報や、Les transports demain(明日の交通)の項にまとめられた将来計画図などもある。ビジュアル化によって地域交通への親しみを深めてもらおうという組織の意思が汲み取れる。

■参考サイト
イル=ド=フランス交通連合 http://www.stif-idf.fr/
トップページのInformation et Communication > Système d’Informations Géographique > Cartothèque
地図集ページの直接リンク
http://www.stif.info/information-communication/systeme-informations-geographique/84.html

なお、印刷された鉄道地図については、以下参照
本ブログ「フランスの鉄道地図 I」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2006/11/_i_12fe.html

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2009年1月 8日 (木)

フランスの鉄道地図 III-ウェブ版

ウェブサイトで公開されているフランスの鉄道地図は、なかなか充実したラインナップだ。テーマとしては、列車や路線のネットワークを表現したものと路線の設備を詳述するものの2種類に大別できるだろう。量が多いので、2回に分けて紹介したい。

前者の鉄道地図は以下の4つのサイトで見ることができる。
Blog_france_railmap_hp1 まず、フランス国鉄SNCFのサイトには、フランス全国版とイル=ド=フランスÎle-de-France(首都パリを中心とする地域、首都圏)の詳細版がある。全国版は路線網と主要駅を表示しているが、TGVやユーロスターが走る高速鉄道線以外は、すべて細線で区別なく表した単調な地図だ。イル=ド=フランス版はパリと郊外を結ぶRERとTransilienの路線を描いているが、3.5MBもあるPDFファイルにもかかわらず、解像度が低く、実用に耐えない。
■参考サイト
フランス国鉄SNCF http://www.sncf.com/
初期画面でしばらく待つと、詳しいメニューが表示される。
Vie pratique(実用)> Où aller en train?(列車でどこへ?) >
Carte ferroviaire nationale(全国鉄道地図)またはRéseau ferré d'Île-de-France(イル=ド=フランス鉄道網)を選択する。

フランス路線図への直接リンク(リンク切れご容赦)
http://medias.sncf.com/resources/fr_FR/medias/MD0006_20070801/file_pdf.pdf

Blog_france_railmap_hp2 次は、個人サイトの力作だ。フランスとカナダ(およびブラジル、リオデジャネイロ)の有用な鉄道地図が提供されている。列車が走るルートを列車種別や系統ごとに描き分け、同時に主な駅間の所要時間や運行頻度を表示したものだが、スマートな配色と明解なデザイン、それにデータ更新が頻繁に実施されていることにも感心する。

フランス編は全国を18面に分割する。地図はJPEG画像だが、小さい文字も問題なく読めるし、地図の縁にある矢印で隣接図にジャンプできるのも親切だ。地図表現はというと、列車種別や系統によって配色を変えて、同じ路線をTGV、幹線列車(コライユColaille)、ローカル列車(TER)が併走している様子を表現する。また、高速専用線(Ligne à grande vitesse = LGV)は鎖線で区別する。
所要時間は1h30のように表記し、運行頻度(ただし、地方線における平日の列車本数)は列車種別と同じ色の数字で示す。地勢表現はないものの、NASAが提供する衛星写真を下敷きにしているので、山地と平野が、そして拡大図では森林がうっすらと見えている。
主要都市については拡大図があって、地下鉄やLRTの路線と全駅が示され、さらに欄外に幹線時刻表や、各鉄道事業者サイトへのリンク集もある。フランス語版と英語版があるが、地図画像が別々に用意されるなど、たいへん充実した内容を備えている。
■参考サイト
Cartes ferroviaires (Railway Maps)  http://membres.lycos.fr/cartesferro/
フランス鉄道地図の英語版は以下のリンクから
http://membres.lycos.fr/cartesferro/france/france_en.html

Blog_france_railmap_hp3 3番目は「フランスの鉄道地図 II」で紹介したイティネレール・エ・テリトワール社Itinéraires & Territoiresが運営するサイトitransports.comにある、インタラクティブマップだ。メインページはフランス語だが、英語版も用意されているので、そちらで説明しよう。
初期画面では小さなフランス全国路線図が表示されているが、縮尺を上げていくと、道路や水系(川、池など)が描かれたベースマップ上に鉄道路線と駅が浮かぶようになる。駅をクリックすると駅名と停車する列車種別、市内路線では系統番号などが示される。スケールバーを最大にしてみたところ、パリ市内では駅舎の外観を立体的に描いた図が現れた。青い太線はSNCFなどの鉄道線、ピンクはメトロ(地下鉄)、ライトグリーンはバス路線を表している。

インタラクティブマップを使いこなすために、左の入力欄、あるいは上部のメニュータブをいくつか試してみた。
"Journey planner(旅程作成)"では、出発地と到着地、出発日を入力すると、列車時刻とともに地図上のルートを表示してくれる。駅を調べる場合はStationを選択してから、駅名か都市名を入力する。市内に複数の駅があるときは選択肢が表示される。フランスの場合、地方都市間の往来は、距離的に遠回りでもパリ市内を経由したほうが便利なこともしばしばなので、市内の拠点駅間を連絡するRERにも対応している。地図には列車の走るルートが紫で表示されており、道路地図に見られるルートプランナー機能を、鉄道旅行に応用したものと考えればよい。
"Cities"を入力すると、市内交通路線の案内や市内主要駅周辺の市街図などにアクセスでき、鉄道やバスの系統をクリックすると図上にルートが表示される。"Maps"では、地名や駅名を入力して目的地の拡大図を表示する。このように、紙の地図では不可能な個別問合せを実現してくれる、インターネットならではのサービスだ。
■参考サイト
itransports.com 英語版 http://itransports.fr/en

Blog_france_railmap_hp4 最後も個人サイトで、「公共交通アトラスAtlas des transports publics」と題し、鉄道線はもとよりバス路線を克明に描いた正縮尺地図をPDFで提供している。使用言語はフランス語のみ。
冒頭の説明文を引用すると、「このサイトの目的は、もっと網羅的かつ正確にフランスの公共交通を表示することのできる地図を提供することだ。(中略)この作業はインターネットで収集できた交通事業者や運行機関による旅行情報をベースにしている。参考にした資料は地域ごとのページに記してある。サイトには100面を越える地図があり、国土の1/2が表現されているが、個人による無報酬の企画だ。残念ながら情報の完璧さ、正確さは保証できないので、どうか事業者の公式サイトか素材情報を参照されたい。」

地図は大判のPDFファイルで、1:250 000と縮尺が明示されている。凡例Légende des cartesによれば、鉄道線は赤い梯子状の記号で表され、駅の位置には停車する列車の種別、系統番号が記されている。メトロ、トラム、ケーブルカーなどの都市交通はピンクやオレンジ色だ。バスの表示は細分化され、都市間バス路線は緑色で、かつ実線は毎日運行、破線は週・月1回、細かい破線は臨時を表す。近郊バスは黄色、トロリーバスなどはベージュ色だ。地図には運輸連合の範囲も表示している。
山間部のバス路線まで忠実にトレースした努力には脱帽するが、イル=ド=フランスはあまりに路線が多く複雑なためか、リストから欠けている。ぜひ完成を待ちたい。
■参考サイト
公共交通アトラス http://atlastransportpublic.free.fr/
地図はCartesのリンクまたは、Aller directement aux cartes(直接地図に行く)のプルダウンリストから。

フランスの鉄道地図 IV

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2008年11月13日 (木)

スイスの鉄道地図 III-ウェブ版

Blog_swiss_railmap_hp1 www.fahrplanfelder.chは、スイス公式時刻表をPDFファイルで提供するサイトだ。鉄道、バス、湖岸の連絡船などテーブル形式の公共交通機関時刻表Fahrplanfeldが、すべて閲覧できるようになっている。スイスの公用語である独、仏、伊、ロマンシュの4ヶ国語に加えて、英語による案内があるので、外国人にとっても使いやすい。ファイルはドイツのように電話帳1冊まるごとではなく、時刻表番号ごとに分けられていて、地名をキーにしてその町を通る交通機関を検索することも可能だ。

このサイトでは鉄道地図も見ることができる。周囲の青地からスイスの国土が白く浮かび上がる美しいデザインの索引地図だ。地図は2種類あって、一つは鉄道、索道、船の、もう一つはバスの、それぞれ時刻表番号を付した路線図になっている。その意味では、公共交通地図といったほうが正確だろう。

■参考サイト
スイス公式時刻表 http://www.fahrplanfelder.ch/
路線図は、英語版左メニューのExplanations > Synoptic map Railways, Cableways and Boats とSynoptic map Buses

「鉄道、索道、船」版では、鉄道が赤の線で表され、幹線は太く、地方線は細く描き分けられている。たとえば、BLSのレッチュベルクLötschberg越えは、2007年に34,577mの基底トンネルが開通して優等列車が大部分そちらに移ったため、カンデルシュテークKandersteg経由の旧線は、細線表示に変わっている。駅は主要駅しか載っていないので、小さな駅を調べたければ、印刷図の「スイス公共交通公式地図 Offizielle Karte des öffentlichen Verkehrs der Schweiz」(スイスの鉄道地図 I 参照)に拠る必要がある。船も湖に時刻表番号が書き込まれているだけで、航路は示されていない。その一方で、テーマ外であるバス路線は、観光利用が多そうなものを黄色で図示しているが、時刻表番号が添えられていないので、結局「バス路線図」のほうを探すことになる。

調べている過程で同じベースマップを使用した地図を、何種類か発見した。Swiss Travel Systemのサイトにあるのがその一例だ。しかし、上記サイトの地図が最もデータ量が多かった。
■参考サイト
Swiss Travel Systemの一覧図
http://www.swisstravelsystem.com/download_sts/uebersichtskarte_en.pdf
こちらは、鉄道、船、バスが同一図面に表示されている。

Blog_swiss_railmap_hp2

ところで、鉄道地図といえるのかわからないが、Googleマップの上を列車に見立てた記号が動くという興味深いサイトがある。
■参考サイト
swisstrains  http://www.swisstrains.ch/

市街図に赤い線で鉄道が描き加えられている。その上にあるスイス国鉄のマークが駅の位置で、マウスを載せると駅名が表示される。IC、Sなどと書かれた赤丸は、列車の位置を表している。いうまでもなく、ICはインターシティIntercity、SはSバーンS-Bahn=近郊列車の意味だ。デフォルトの画面はチューリヒZürich市街だが、ポップアップの"Station finder" に駅名(都市名でも選択可能)を入力すると、国内各地に飛べる。

見ていると、この赤丸がじわじわと動いているのに気づく。マウスを載せれば、列車番号や起終点、現在地、速度が表示され、クリックするとその列車の時刻表が現れる。説明によると、列車の位置は時刻表に基づいたもので、GPSで実際の列車の動きを反映させているわけではない。しかし、スイスの列車はたいてい時刻どおりに動いているから、おおむね正しい位置なのだ、と言い切っている。

バスロケーションとは行かないまでも、オンラインの特性を生かした臨場感あふれるシステムだ、と一瞬感心したが、ちょっと待て。いま手元の時計は朝の11時、現地時間では真夜中のはずなのに、近郊列車が何本も走っているのはどういうことか。よく注意して見ると、表示されている時刻は日本の、正確に言えば、筆者のパソコンのそれだった。パソコンのタイムゾーンをスイスのそれに変更すると、列車の影は消えた。本国(および同じ時間帯の国々)でなら有益なシステムも、遠く離れた極東の国ではそのまま使うわけにはいかない。

なお、他都市にも同じようなシステムがあると紹介されていたので、ご参考までに。
■参考サイト
ヘルシンキ http://transport.wspgroup.fi/hklkartta/
ダブリン http://dartmaps.mackers.com/

また、印刷された鉄道地図については、以下参照
本ブログ「スイスの鉄道地図 I」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2006/10/_i_9f60_1.html

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2008年11月 6日 (木)

ドイツの鉄道地図 III-ウェブ版

Blog_germany_railmap_hp 以前の記事で、出発地と目的地と乗車日を入力すると最適の列車を表示するオンライン時刻表が、旅を想像する愉しみを奪ってしまったと嘆いたことがある。それを聞き取ってくれたとは思えないが、ドイツ鉄道Deutsche Bahnのサイトにある「電子時刻表Elektronisches Kursbuch」では、冊子にすれば電話帳を超える厚さになるテーブル形式の時刻表を、まるごとPDFで提供し始めた。冊子のほうは今年限りで廃刊にするらしい。時刻表は、地域別におのおの数百ページ、30~40MBもあるような重いファイルだが、それと同時に、ドイツ鉄道の旅客全線を表した鉄道地図も見ることができる。

■参考サイト
ドイツ鉄道時刻表サイト http://kursbuch.bahn.de/
左メニュー上部の"Interaktive Übersichtskarte"(対話式一覧図) > "Streckenkarte"(路線図)
表示された図をクリックすると拡大する

この鉄道地図(旅客線一覧図Übersichtskarte für den Personenverkehr)は、昔から冊子体の時刻表に添付されているものだ。ドイツの鉄道を知るうえでの基礎資料なのだが、一般の書店では扱っていなかった。ウェブ版は1個のPDFファイルではなく、小さな窓で必要に応じてクリックで上下左右に移動する方式だ。操作の手間はあるが、常に最新版が見られるのはありがたい。

地図上で鉄道線は数種の記号に分類されていて、最も太い実線は長距離列車の走る線区、いわば幹線を示す。それより少し細い線は近距離線区(地方線)、最も細い実線は保存鉄道、二重の破線は工事中の高速鉄道だ。いずれの場合も、短いヒゲが立っているのは電化区間という意味になる。そのほか、バス代行、鉄道フェリー、航路、登山鉄道の記号も用意されている。一方、駅の表示は必ずしも全駅を網羅してはいない。特に大都市近郊のように路線が稠密な地域は、1:1 200 000(120万分の1)という縮尺ではとうてい描ききれるものではないからだ。ちなみに、ドイツ統一以前の鉄道地図には全駅が表示されていたが、縮尺は1:425 000と現在よりかなり大きく、さらに主要都市は拡大図があった。

冊子が決してまねのできないのは、地図上の時刻表番号に埋め込んである線区ごとの時刻表へのリンクだ。地図と時刻表をワンストップで接続するこの機能は、単純なことながら非常に便利で、地図をPDF形式にしない最大の理由はここにあるのだろう。

さて、メニューの"Streckenkarte"の下には、"Verbundkarte"(フェアブントカルテ、直訳すると連合地図)というのがある。開いてみると同じような鉄道地図だが、ベースが多色に塗り分けられている。これは地域交通事業者の連合体、「運輸連合Verkehrsverbund」のエリアを表現した地図だ。ヨーロッパを旅すると、一定の区域内で鉄道、トラム、バスなど事業者を問わず使える共通切符が普及している。これを実現しているのが運輸連合で、案内所や時刻表も統一するなど、公共交通機関の利用促進に貢献してきた。組織化が広範囲に及んでいることがこの地図でよく分かる。

なぜかラトビアの旅行社のサイトに、「連合地図」のPDF版が上がっている。インタラクティブマップではまどろっこしいという方は、こちらをダウンロードされるといい。

■参考サイト
Latviatours  http://www.latviatours.lv/
トップメニューのVilcieni (Trains) > Ceļošana pa Vāciju (Travel in Germany) > Dzelzceļu tīkls Vācijā (Railway network in Germany)
ファイルのURLは以下のとおり(リンク切れご容赦)。
http://www.latviatours.lv/upload/Vilcieni/Dzelzcelu_tikls_Vacija.pdf

ドイツ鉄道のサイトに戻ると、地域別の詳しい鉄道地図が左メニューのBand A以下に多数用意されている。それぞれのサブメニューに"Übersichtskarten"(一覧図)あるいは、"Netzpläne"(路線図)とあるのがそれで、Band Aには長距離列車網を表した図があるし、Band Bにはベルリンを含む東北部各州にある運輸連合の路線図が並んでいる。市内交通網まで一つのサイトですべて閲覧できるというのは、会社別のサイトを一つずつ探さなくてはならない日本に比べて、ずいぶん先を行っていると言わざるを得ない。

■参考サイト
印刷された鉄道地図については、以下参照
本ブログ「ドイツの鉄道地図 I」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2006/10/post_3435.html

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2008年10月30日 (木)

オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版

Blog_austria_railmap_hp ウェブサイトで見られる鉄道地図にも言及しておこう。オーストリア連邦鉄道Österreichische Bundesbahnen = ÖBB、すなわち国鉄のサイトに、全国の路線網を描いた地図がPDFファイルで上がっている。

■参考サイト
オーストリア連邦鉄道(旅客部門) http://www.oebb.at/pv/
左メニュー上部の"Fahrplanauskunft"(運行ダイヤ情報)> "Kursbuch aktuell"(現行時刻表)> 線区別リストの最上段に、"Übersichtskarte Bahnnetz Österreich"(オーストリア鉄道一覧図)がある。

ファイルのURLは以下のとおり。定期的に更新される性格のものなので、リンク切れの節はご容赦。
http://www.oebb.at/pv/de/Servicebox/Fahrplanabfrage/Kursbuch_aktuell/Fahrplanbilder_2009/Bahnnetz_200922531930.pdf

ご覧になれば分かるとおり、これは公式時刻表Fahrpläneの索引図だ。私鉄を含めて旅客営業している全線区と主要駅名、それに時刻表番号が添えられている。時刻表に路線図はつきものだが、オーストリアの場合、表示区分が線区の特性にまで踏み込んでいて、鉄道ファンにとっても興味深い。

線の種類による分類では、太い実線が特急が走る線区、細い実線はローカル列車のみの線区を表している。線幅の差が強調されているので、骨格となる幹線網が一目瞭然だ。実線以外は特殊路線で、破線は狭軌、点線はラック式、一点鎖線は季節営業の観光路線などを指し、鉄道好きの旅心を刺激してやまない。色による分類では、赤で国鉄、緑で私鉄を示している。

これらの記号の組合せで、国鉄にもナローゲージの地方線が残っていることが読み取れる。マリアツェル鉄道Mariazellbahn(時刻表番号115)、イプスタール鉄道Ybbstalbahn(同132)がそうだ。ピンツガウ鉄道Pinzgaubahn(同230)も2008年版では赤に塗られているが、同年7月から第三セクターであるザルツブルク株式会社Salzburg AGの運営に移行して、ピンツガウ地方鉄道Pinzgauer Lokalbahnと名乗っている。

Blog_oebb_netzkarte こうして現在もじわじわと地方線整理が進行しているようだが、筆者の手元にある1983年版の鉄道地図と見比べると、特にウィーンの北方、ワインフィアテルWeinviertel地方での撤退状況はすさまじい(図の上は1983年版公式時刻表より。下は2008年版PDFより)。チェコ方面へ向かう北部鉄道Nordbahnの西側の丘陵地を覆っていた支線網は、もはや見る影もない。1988年に実施された合理化で、旅客列車が一斉に廃止され、貨物輸送を続ける線区も限定的になっているのだ。

ほかの鉄道地図としては、ヨーロッパ全域の鉄道地図を提供するTrainspotting Bükkesのオーストリア編がある。路線は電化方式、旅客・貨物線、狭軌などを区別し、主要駅も表示されているが、GIF形式の画像なので拡大縮小は効かない。

■参考サイト
Trainspotting Bükkes http://www.bueker.net/trainspotting/maps_austria.php
ウィーン近郊拡大図は下記。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_vienna-area.php

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2008年10月23日 (木)

オーストリアの鉄道地図 I

Blog_austria_railmap1 鉄道地図のテーマでは各国とも1枚ものの地図から先に紹介してきたが、オーストリアに関しては現在流通しているものはなさそうだ。しかし、かつては「オーストリア鉄道・航路地図Eisenbahn- und Schiffahrtskarte der Republik Österreich」という連邦鉄道(国鉄)ÖBB発行の大判地図があった(右上写真が全体。右下はその一部を拡大)。

Blog_austria_railmap1_detail 筆者の手元にあるのは1958年版とかなり古いが、縮尺1:600 000で、行政界と水系、山名を表示したベースマップの上に、国鉄の全線全駅を表示したものだ。国鉄線は標準軌・狭軌、単線・複線、電化・非電化を線の形状で区別し、さらにウィーンWien、リンツLinz、インスブルックInnsbruck、フィラッハVillachの管理局別に色分けしている。私鉄やロープウェー、それに路面電車のルート(停留所は省略)ももれなく記載している。ユニークな点は、駅を示す丸印が、線路のどちら側に駅舎があるかを表現していることだ。余白には主要都市の拡大図も入って、特色9色刷りの詳細かつ贅沢な鉄道地図だった。堀淳一氏の著書に、機能に徹し、「ドイツやフランスのそれとも一味違った美しさを持って」(『地図と風土』p.248、下注参照)いると言及されているとおりだ。

Blog_austria_railatlas現在、入手できるものとしては、冊子(地図帳)形式の鉄道地図がある。シュヴェーアス・ウント・ヴァル社Schweers+Wallの「オーストリア鉄道地図帳Eisenbahnatlas Österreich / Railatlas Austria」、24cm×28cmの判形、128ページの上製本だ(写真左は表紙、右は裏表紙)。手元にあるのは2005年版だが、まだ次の改訂版は出ていない。同社は、ドイツとスイスについても同じ仕様で刊行しているので、都合、鉄道地図帳のドイツ語圏三部作というべきものだ。

96ページに及ぶ鉄道地図の縮尺は1:150 000で、同じ縮尺のスイス編とぴったりつながる。ちなみにドイツは1:300 000だ。国土面積の違いもさることながら、狭軌の小鉄道が今なお活躍している両国なので、描写に余裕を持たせた縮尺にしてあるのだろう。主要都市とその近郊は、この後に1:50 000の拡大図がある。ウィーンWien、バーデンBaden、グムンデンGmunden、グラーツGraz、インスブルックInnsbruck、リンツLinz、ザルツブルクSalzburg、フィラッハVillachが用意されている。市内を走るトラムのルートまで書き込まれているが、中間の停留所は別ページの系統別路線図を見ることになる。そのほか、世界遺産のゼメリング鉄道Semmeringbahnも、1:150 000では連続するトンネルや橋梁のデータが入りきらないのだろう。1:75 000の挿図を使っての特別扱いだ。

巻頭言で、この地図帳のテーマは現役の鉄道網を描くことだと言っているが、廃止・休止線や計画線もできるだけ収録している。オーストリア最初の鉄道は、1827年にブドヴァイスBudweis(チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェČeské Budějovice)~リンツLinz~グムンデンGmunden間に開通した軌間1106mmの馬車鉄道だ。ザルツカンマーグートSalzkammergutで産出する岩塩を運ぶために敷かれたそうだが、特にリンツ以北の国境越えについては、一定の間隔で置かれた交換所とその距離程、標高に至るまで、現役の鉄道と同等の詳細データを地図から読み取ることができる。

計画線では、ウィーン西駅~リンツ間の西部鉄道新線Neue Westbahnが目を引く。すでに供用中の区間もあるが、ウィーンからザンクト・ペルテンSt. Pöltenまでは、長さ11.6kmのウィーンの森トンネルWienerwaldtunnelをはじめとする大小のトンネルによってドナウの平野に迂回する別線を建設中だ。オメガ線を介在させた現ルートからは最大10km以上も離れている。
もう一つ、大規模なプロジェクトは、同国南部の主要都市であるグラーツとクラーゲンフルトKlagenfurtをつなぐコーアアルム鉄道Koralmbahnだろう。この間には高速道路が整備されているが、鉄道ではかなり遠回りを強いられる。これを長さ32.8kmのコーアアルムトンネルとドラウ川Drau沿いの新線と既存線の改良で直結しようというものだ。2014~18年の完成をめざしている。

はじめにスイスやドイツ編と同一仕様と書いたが、中にはユニークなものもある。複線のときに列車が通る方向が矢印で示されているのだ。その理由は、幹線の場合、ドイツやハンガリーは右側通行、スイスやイタリアは左側通行だが、オーストリア国内では混在しているからだ。ウィーン起点で見れば、ドイツへ直通する西部鉄道Westbahnは右側通行で、ゼメリング峠越えを擁する南部鉄道Südbahnは左側通行だ。ゼメリングの向こう側、ブルック・アン・デア・ムーアBruck an der Murでケルンテン州Kärnten方面への幹線が分岐するが、こちらは西部鉄道に合わせて右側通行に変わる。

もちろん、複線といってもいわゆる双単線方式なので、双方向に運転が可能なのだが、こういう特殊事情も鉄道地図にはちゃんと表現されている。旅行に携帯するには不向きだろうが、オーストリアの鉄道を研究しようとするなら、座右の書であるのは間違いない。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

ブドヴァイス~リンツ~グムンデン馬車鉄道(ドイツ語版Wikipedia)
http://de.wikipedia.org/wiki/Pferdeeisenbahn_Budweis–Linz–Gmunden
道路や列車の通行方向については次のHPの説明が詳しい。
Which side of the road do they drive on? http://www.brianlucas.ca/roadside/

注:堀淳一氏が言及しているのは、鉄道地図に触れた次の著書。
 『地図と風土』(そしえて, 1978. p246-248)
 『一本道とネットワーク』(作品社, 1997. p306-311および巻頭カラー図版V.6.11)

オーストリアの鉄道地図 II

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2008年10月 9日 (木)

ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

Blog_semmering1ウィーン南駅でリュブリャーナ行きEC「エモナEmona」号に乗り込んでから、1時間足らず。すでに左側の車窓にはアルプスの前山が連なり、その中腹にときおり架線柱や高架橋のアーチが見え隠れする。これからあそこへ上っていくのだと思えば、自然に心が躍る。パイヤーバッハ=ライヒェナウPayerbach-Reichenauの駅を見送ると、長い橋梁でシュヴァルツァ川Schwarzaを渡りながら180度方向を変えて、いよいよゼメリングSemmeringの難所にさしかかった。

*Semmeringの日本語表記は、標準ドイツ語風の「ゼメリング」「ゼンメリング」、地元風の「セメリング」「センメリング」などさまざまだが、ここでは日本ユネスコ協会連盟のHPに従う。

ゼメリング鉄道Semmeringbahnは、ウィーンWienからグラーツGraz方面へ向かうオーストリア国鉄ÖBBの南部鉄道Südbahnが、分水嶺を越える区間の呼称だ。日本語で「~鉄道」というと、会社名を連想しがちだが、ドイツ語のBahnは路線名の感覚で使われている。
峠道はウィーン側、つまり東斜面が特に険しい。麓のグログニッツGloggnitzの標高が439mであるのに対して、路線の最高地点は898mで、450mもの高低差がある。この間の距離は直線で10kmしかないが、勾配を22~25‰に抑えるため、迂回によって3倍近い29kmに引き延ばされている。線路はできるだけ地形に逆らわず、R190mの急曲線を入れて山襞を忠実になぞる。そびえ立つ断崖と深い峡谷の間には、峠下のゼメリングトンネル(単線並列)を含めて16本のトンネルと、2層アーチのカルテリンネKalte Rinne橋に代表される16の高架橋が築かれている。列車は、荘重な構築物に敬意を払うかのように、時速60kmでゆっくりと通過していく。

■参考サイト
ゼメリング峠付近の地形図画像(BEV Austrian Map online)
http://www.austrianmap.at/amap/index.php?setTo=1%7E585924%7E420150%7E589168%7E416790%7E%40587559%7C418478%7E0%7ELAM_WGS84
 ウィンドウが小さいときは、マウスで拡げると地図画像も自動で大きくなる(拡大しないときはFenster vergrößernボタン)。地図右側のボタンで表示縮尺が変更できる。

ゼメリング峠付近の空中写真(Multimap.com)
http://www.multimap.com/s/ea3atUpB

南部鉄道は、首都ウィーンとアドリア海の港町トリーストTriest、すなわち現イタリア領のトリエステTriesteを結んでいた路線だ。皇帝フランツ1世の弟ヨハンがこの路線の建設を強く望んだので、「ヨハン大公鉄道Erzherzog Johann-Bahn」とも呼ばれる。ゼメリングはルート中、建設が最も難しいとされた区間だった。すでにグログニッツ以東は1842年、西側のミュルツツーシュラークMürzzuschlag~グラーツGraz間は1844年に開通し、その間の峠道は、最大12頭立ての馬車で中継していた。

この時代、まだ長い山岳路線の実績はなく、歯軌条(ラック)式か索道でなければ天下の険を越えることができないと思われていたという。命を受けたカール・フォン・ゲーガCarl von Ghegaは、大規模な土木工事を起こす傍ら、勾配に強い機関車の開発競争を進めた。難工事で尊い犠牲者を出しながら、1854年、ついに開通にこぎつけた。この区間を特に他と区別して呼ぶのは、それだけ工学的にも戦略的にも画期的な事業だったことの証しで、その後、ゼメリングの名は、蛇行しながら山を上る鉄道の代名詞にさえなった。

Blog_semmering_widearea ゼメリング鉄道は最初にアルプスを越えた鉄道として紹介されることが多い。しかし、この表現から、氷河を戴く大山脈が列車の行く手を阻んでいるように想像したなら、それは無邪気な勘違いだ。この付近はフランス南東部から延々と続いてきたアルプスの東の果てで、周囲のピークもせいぜい1500m程度まで下がっている。峠の標高は984mに過ぎない。路線と山地の位置関係を知るために、広域図を描いてみた(右図)。濃く塗った山地は厳密な標高データに拠ってはおらず、概略であることをご了解願いたいが、鉄道が通過するのは山脈の末端で、アルプス「横断」とは呼べないことが明らかだ。当時は、東に広がるハンガリー平原も帝国領内だった。仮にルートをもう少し東に寄せれば、山越えに伴う艱難辛苦も必要なかったはずだ。なぜ、ゼメリング鉄道はわざわざアルプスを越えなければならなかったのだろうか。

以下は筆者の推論だが、答えの鍵となるのは、やはり提唱者のヨハン大公だろう。宰相メッテルニヒに疎んじられた彼は中央を離れて、後半生をオーストリア南東部、シュタイアーマルク州の発展に捧げている。州都グラーツには、彼が収集品を寄贈したことから、その名にちなんでヨアネウムJoanneumと通称される州立博物館がある。彼はまた、この町に学校や研究所、銀行や保険会社を設立し、州内で製鉄所や金属加工場の経営を行い、エルツベルクErzbergの鉄鉱山やケフラッハKöflachの炭鉱にも関与した。1851年には州都の市長に選出されている。鉄道の誘致は、彼にとって地域振興の大きな柱だったに違いない。

トリエステは、帝国が領土を減らした1860年代以降、自国領に残された貴重な海港として発展し、国内では「世界への窓」に例えられた。しかし、鉄道が構想された19世紀半ばまでは、アドリア海への到達が悲願というほどではなかったと言う説もある。それは1851年、北海沿岸のハンブルクからプラハを経由して、ウィーンまで鉄道が通じていたからだ。工業化が進展していた西欧諸国との交易には北回りのほうが距離的に有利で、期待をもって迎えられた。それに対して、580kmも離れ、港が未整備だったトリエステへ、莫大な費用を投じて鉄道を延ばす目的は、軍事以外にはあまりなかったというのだ。

南部鉄道のルートをたどると、当時スロベニアの東部に及んでいたシュタイアーマルク州Steiermark(図中、緑の点線で囲んだ領域)を見事に貫いていて、大公の意図が如実に表れている。確かに、グラーツが実質的な目的地だったとすれば、ゼメリング経由が最短ルートになる。しかし、高度差の克服という技術上の難題を背負ってまで、峠越えに固執した理由はそれだけではないようだ。遠回りになっても建設が容易なハンガリー平原には、出たくても出られない事情があったのだ。

ハンガリーは16世紀以来、段階的に帝国に編入されてきたのだが、たびたび独立運動を起こしては鎮圧にあっていた。1848年にはフランス2月革命の影響を受けたブダペストでの蜂起が大規模化して、急進的な独立派が実権を握るなど、不安定な情勢がとみに強まっていた。その反乱軍は翌年降伏し、1867年にはアウスグライヒAusgleich(和議)により二重帝国として自治権が拡大されるのだが、産業の生命線を通過させるには、リスクが大きすぎただろう。そのうえ現在オーストリアの東端にあるブルゲンラント州Burgenlandは、1921年になってハンガリーからオーストリアに割譲された土地で、19世紀の境界線はもっと西寄りにあった(図中、赤の点線)。つまり、鉄道を難なく敷けるような平地はオーストリア側には存在しなかったのだ。

それから150年が経ち、エモナ号は今、ゲーガが造ったとおりのルートを走り抜けている。ゼメリング鉄道は、鉄道初期の課題の解決に貢献したことが評価されて、1998年、世界遺産に登録された。第1次大戦のころにはもう迂回線の構想があったというし、長大な基底トンネルでバイパスする工事も着手されているが、いまのところ、現役引退の予定は示されていない。

■参考サイト
Wikipediaドイツ語版
http://de.wikipedia.org/wiki/Semmeringbahn
魔の山ゼメリングZauberberg Semmering http://www.semmering.or.at/
ゼメリング鉄道写真集
http://www.eisenbahnen.at/bilderalben/semmeringbahn.shtml

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2007年12月20日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-マン島蒸気鉄道

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ダグラス駅舎正面
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駅舎内部
梁に客車の模型が
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駅舎の壁の路線図
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4号機関車「ロッホ」
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牧場の中で突然停車
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交換駅バラサラ
(帰路写す)
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終点ポートエリンで

ダグラスDouglasはかもめの甲高い鳴き声で目覚める街だ。しかし、昨日までの晴天とは違って、けさの港町は雨模様で、鳥たちの飛び交う姿もなかった。島の南へ行くマン島蒸気鉄道Isle of Man Steam Railwayに乗るために、路線バスで昨日ラムジー行きの路線バスを待った始発駅へ向かう。駅はダグラス川の河口から1km足らず引っ込んだ位置にあり、街が載る高台から見れば崖下になる。未開発だった低湿地を利用したのだろうが、海運との接続も考慮されたに違いない。駅前にあった船溜りは、今ではボートやヨットの停泊場所に転用されている。

大時計を埋め込んだ立派な煉瓦アーチの門から階段を下りると、同じく赤煉瓦の駅舎が迎えてくれる。白とインディアンレッドのきりっとした配色で優雅な装飾を施した軒庇には、フラワーバスケットが吊り下げられて、全盛時代もかくやと思われる美しさだ。中は決して広くないが、投薬窓口のような小さな切符売り場の壁に、額縁入りの当時の路線図が掲げられ、同居するカフェの天井近くに回された鉄道模型のレイアウトには、19世紀のオープン車両が休んでいた。レトロな雰囲気をかもし出す駅舎を出ると、頭端式のプラットホームとの間を仕切る柵で改札をやっている。今は野ざらしのホームが1本しかないが、古い写真を見ると、左側に別のホームがあり、どちらも覆い屋根が渡されていた。全盛時代、この駅から島の主要な町すべてが、軌間3フィート(914mm)の蒸気鉄道で結ばれていたのだ。

客車はすでにスタンバイしている。車内に貫通路がないコンパートメントタイプで、1両につき6つの区画がある。ドアのハンドルは外壁にしかないので、降りるときは窓を下ろして外側に手を出す必要がある。発車前に車掌が巡回して、開いたままのドアを閉めていく。たくさんのドアがバタバタと音を立てる(slam)ところから、このタイプの車両はスラムドアキャリッジslam-door carriageと呼ばれる。ややあって、機関車が連結された。「ロッホLoch」という名を戴く4号機関車だ。軸配置が先輪1、動輪2の小柄なタイプだが、美しく磨かれたインディアンレッド色の車体といい、大きなベル状のスチームドームが放つ黄金色の輝きといい、1874年の開通当時から働く古参の威厳を十分に備えている。

発車までにはどのコンパートメントもふさがった。10時15分、定刻に動き出す。機関庫を横目に、旧ピール線跡を分けてダグラス川を渡ると、長い上り坂にかかる。切通しの先1km足らずが、海を間近に見下ろして走る区間だ。海を背景にした蒸気鉄道の写真は必ずここで撮られている。島の南東部は比較的おだやかな地形で、路線の前半はのびやかな丘陵の鞍部を縫い、後半は海岸平野の中央を貫く。それで、車窓から海の見える時間はごく限られているのだ。

再び谷の中に戻り、標高70m足らずのサミットを抜ける。もう一度海が見えるが、かなり遠のいている。途中の小駅はリクエストストップ(合図したときだけ停まる)だが、利用者は通しの観光客ばかりと思っていたので、どの駅も客が待っているのには驚いた。途中から地元の男性が一人、筆者たちのコンパートメントに入ってきたが、聞くと、ポートセントマリーPort St. Maryの駅裏にある農場へ行くために利用しているという。ささやかながら住民たちの足にもなっていたのだ。

これもよく写真の被写体になっている石造りの跨線橋をくぐるサントンSantonを出れば、道は下り一方になる。と、駅でもないところで停車し、動かなくなった。乗客がどうしたことかと窓から首を出す。隣地の牧場から線路に牛でも出てきたのだろうか。心配をよそに10分ほどで再び動き出し、対向列車が待つバラサラ駅Ballasallaにすべりこんだ。列車ダイヤは日中2時間毎に4往復あり、両端駅を同時に出発してここで交換する。小さな村の駅なのだが、ガス灯風の照明が立ち、ホームの柵にはフラワーバスケットが飾られるなど、他より整備が一段と行き届いていて、絵になる。

機関車が後ろ向きについたダグラス行きを見送って走り出すと、次の停車はカッスルタウンCastletownだった。1863年までマン島の政府が置かれていたところで、記録上1090年まで遡れるという古都だ。港には中世の城が残っている。この先は、遠くに山並みを見やりながら、牧場や農地の広がる中を坦々と進んでいく。終点ポートエリンPort Erinまで全線15.3マイル(24.6km)の所要時間は、時刻どおりなら57分だ。エリンとはアイルランドのことで、夕景が美しい入江は海の彼方にあるアイルランド島を向いている。筆者たちは訪問できなかったが、機関庫を兼ねた鉄道博物館の散策も愉しいだろう。

Blog_isleofman_railways序章でも触れたように、1873年のダグラス~ピールPeel間12マイル(19km)の開通に始まるこの蒸気鉄道は、1905年に他の鉄道会社を合併して、島の南北をつなぐ46マイル(74km)もの路線網を築き上げた。しかし、自動車交通の発達と旅行者減少の荒波をかぶり、1965年11月をもってついに全線休止に追い込まれる。その後、経営者が交代して運行を再開し、政府の補助金で辛うじて命脈を保っていたが、1977年に「国」有化される直前の営業区間は、末端のカッスルタウン~ポートエリン間だけだったという。

たくましく走り続ける島の鉄道群は、どれもこうした危機を乗り越えてきた過去をもっている。筆者は訪れてみて、どの車両もていねいに手入れされ、施設が美しく保たれているのに感心したが、19世紀の遺産を現在まで伝える原動力となった要因が、旅行者や鉄道愛好家たちの強い支持であることは確かだ。旅を終えてもなお筆者の心には、マン島への憧れが強く残っている。それはこの島を訪れ、列車の旅を楽しんだ人々に共通の想いであるに違いない。

■参考サイト
「マン島案内」蒸気鉄道 http://www.iomguide.com/steamrailway.php
ダグラス付近の地形図(Multimap.comのサイト)
http://www.multimap.com/s/fUNCBHTo
 官製地形図が現れないときは、地図画面左上の"Map >"ボタンをクリックすると、切替できる。

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2007年12月13日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

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スネーフェル山
(正面はバンガロー駅)
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山頂駅の登山電車
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ラクシーホイール
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フェル式レール
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山腹でのすれ違い

ノルド語で雪山、Snow hillを意味するスネーフェル山Snaefellは、マン島の最高峰だ。といっても、標高は2036フィート(621m)しかなく、見かけは草に覆われたこんもりとした山に過ぎない。しかし、アイリッシュ海の中央に位置するところから、大気の澄んだ日にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがすべて見え、心にも曇りなければ天国さえ見える、と言い継がれてきた。

19世紀の鉄道フィーバーはこの山をも開拓の対象に加えようとした。実現したのは1895年。前年にラクシーLaxeyに到達したマンクス電気鉄道Manx Electric Railway(以下MER)の乗客を当て込んで、山上までわずか7ヶ月の工期で完成させた。延長は4.7マイル(7.5 km)、軌間3 フィート6インチ(1067mm)、直流550V電化のスネーフェル登山鉄道Snaefell Mountain Railwayだ。全線の85%が1/12(83.3‰)の勾配を持ち、ラクシーから山上までの標高差1820フィート(555m)を、片道30分かけて上る。

ラクシー駅は2つの鉄道の乗換駅だ。4本ほど並ぶ線路のうち、北に向かって左側を登山鉄道が使用している。両鉄道は軌間が違うので相互直通はできないが、構内の一部が3線軌道になっている。客を待っている電車はMERによく似たクラシックなデザインだが、集電装置はポールではなくて、大振りのビューゲルbow collectorだ。補修を経ているものの開通当時から活躍している車両だという。駅には嵩上げしたプラットホームなどはなく、路面電車並みに地べたから直接乗降する。日中10時15分から15時45分まで30分おきの発車で、ダグラスから来るMERと5分で接続するダイヤだ。筆者たちは近くのパブで食事を取って早めに電車に乗り込んでいたが、MERが着くと、乗り換え客で席は一気に埋まった。

13時15分発。北向きに走り出てすぐ幹線道路A2を横断すると、ラムジーへ向かうMERの複線が右に分かれていく。こちらも複線になり、同時にフェル式レールが現れる。フェル式とは、線路の中央に敷いた1本の双頭レールを、駆動車の床下に設けられた水平動輪で両側からはさむことにより、急勾配での推進・制動力を高めるシステムだ。当初、この装置を備えた蒸気機関車で運行する計画だったが、最終的には電化による開業が決定し、蒸機は建設工事の資材運搬に使われただけだった。電車は通常の粘着運転で上れるため、この装置は現在、非常ブレーキ以外に用途はない。すぐ左手後方に電車が休む車庫が見えるが、初めはここに駅があり、下のMER駅との間を徒歩連絡していたそうだ。

視界は右手に開けて、なだらかな谷の向こう側、緑の中に大きな赤い水車が顔をのぞかせている。水車の直径が72フィート(22m)もあるラクシーホイールLaxey Wheelで、鉱山の鉱道から水をくみ出すために作られ、今も島の名物の一つだ。2km地点で尾根の張り出しを回り込むと、いよいよスネーフェル山が右前方に姿を見せる。しかし、頂上に電波塔が立つ以外、変わり映えしない山なので、言われなければ気づかないかもしれない。

線路は山の左側の裾野にある鞍部に向かっている。石炭による火力発電で鉄道に電気を供給していた発電所の石造りの廃墟を過ぎると、まもなく、ダグラスとラムジーを直結する道路、通称マウンテンロードとの平面交差だ。筆者たちにとってはけさ、路線バスで通ったばかりだが(前回の記事参照)、角度を変えて見るのはまた新鮮だ。踏切に接近すると列車は徐行し、けたたましいベルを鳴らしながら通過する。すでに標高は412m、山中で濃霧がかかる日も多いが、警報機のような設備はない。道路脇の建物は唯一の中間駅バンガローBungalowで、自動車道が頂上に通じていないため、マイカー族もここで登山電車に乗れるようにしている。

この先は視界が左側に移り、スネーフェル山の斜面を時計回りのらせん状に巻きながら上っていく。遮るもののない眺望は文句なしにすばらしい。草を食むやせた羊たちの背後にマン島の水甕であるサルビー貯水池を見下ろし、半回転すると、上ってきた東側の谷が眼下に広がる。そしてSnaefell Summit House 2036 feet highと大書した平屋の建物の前で、電車は停まった。

なにげなく電車を降りたとたん、横殴りの風に体がよろけた。運行休止となる冬期は、強風による損傷を回避するため、この間の架線を撤去するという話に、改めて納得する。高木の生えていない草原のような山並みに雲の影が足早に流れ、海の上を覆う白い雲の間から遠く対岸の山の連なりがシルエットを引いている。駅の周辺が自然保護のため通行止めになっている上に、日差しがあるのに風が体温を容赦なくさらっていく。ほとんどの乗客は目の前のダイナミックなパノラマに酔う余裕すら無くして、そそくさと駅舎に逃げ込んでしまうのだった。電車が下界へ戻るのは30分後だ。

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山頂からのパノラマ。右尾根の道筋は登山鉄道

■参考サイト
「マン島案内」スネーフェル登山鉄道 http://www.iomguide.com/mountainrailway.php
スネーフェル山付近の地形図(Multimap.comのサイト)
http://www.multimap.com/s/cTDEjeDA
 官製地形図が現れないときは、地図画面左上の"Map >"ボタンをクリックすると、切替できる。

マン島の鉄道を訪ねて-マン島蒸気鉄道

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2007年12月 6日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道

Blog_manxelectricrailway_map 1:25 000地形図には、年に一度のモーターサイクル競技、マン島TTレースのコースが書かれている。ダグラスDouglasを発ち、時計回りに一周するコースの後半は、北東部の港町ラムジーRamseyからダグラスへ山越えで一直線に戻っていく。スネーフェル山Snaefellから南北に連なる尾根の鞍部を縫いながら、標高400m前後をキープする、見晴らしのよいマウンテンロードMountain Roadだ。

観光案内所でもらった時刻表と路線図を照合すると、ダグラス~ラムジー間をつなぐ路線バスのうち、北行きは平日の1日3便、南行きは2便だけがX3系統として、急行便でそのルートをなぞる。朝9時50分発でラムジーまで乗って、戻りを電気鉄道にすれば、車窓が変化して家族も退屈しないだろうと、その日の計画は即座に決まった。

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急行バスの車窓から
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クラシックトラム
(ラムジー駅で)
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付随車の車内
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バルガム湾の眺望
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ラクシー駅へ進入
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付随車(ラクシー駅で)
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ダグラスの町へ帰る

バスの始発駅はバンクスサーカスBanks Circusと書かれているが、これは蒸気鉄道の駅裏に当たる。蒸気鉄道が経営難から再建される際に、駅の敷地の一部をバス車庫に転用したからだ。かっきり時刻どおりに来たバスに乗り込むと、客は筆者たちを含めて10名足らず。2階の最前列は最高の展望席だが、郊外に出ると飛ばすのでよく揺れる。晴れた空の下、道は緩やかにうねる山並みにとりついて、徐々に高度を上げていく。峠に出ると、前方にもっこりとしたスネーフェル山が現れた。登山鉄道の踏切を渡り、右手ラクシー谷Laxey Glenの向こうに光る海面を眺めながらしばらく進み、その先は北端の岬を遠くに仰ぐ、下り一方の坂道だった。

10時40分、予想通りの絶景を満喫した筆者たちはラムジーのバスターミナルに到着した。分かれ道を南へ戻ると、駅前広場はすぐに見つかった。町の中心から外れているので、いたって静かなターミナルだ。待つこと暫し、カーブの向こうからクラシカルな容貌のトラムが姿を現した。トロリーポールの立つ電動車もさることながら、付随車は屋根つきオープンカーで、趣のある板張りダブルルーフに裸電球、そしてクロスベンチの座席の側面には安全柵すらない。なにしろ新しいものでも製造は1906年より下らないというヴィンテージ揃いの車両群なのだ。

マンクス電気鉄道Manx Electric Railwayは、1893年に馬車軌道の終点ダグラスのダービーカッスルDerby Castle~グルードルグレンGroudle Glen間が開通したのを皮切りに、1899年にここ、ラムジーに達している。延長は17.9マイル(28.8km)。軌間3フィート(914mm)で、全線複線だ。当時、町にはすでにマンクスノーザン鉄道Manx Northern Railwayが通じており、ダグラスへの直通列車が設定されていたが、西岸を経由する遠回りのルートをとるため、時間を要した。電気鉄道が走る東岸は、海際まで張り出した山地が断崖と深い谷を形成する険しい地形で、勾配に比較的強い電動車でなければ克服できなかったのだ。

11時10分、ラムジー発。眺望が売り物の鉄道なので、オープンカーの最後尾に陣取った。天気がいいので油断していたが、走行中は風がビュンビュン入って、けっこう寒い。住宅地を道端軌道風に抜け、海べりの高みを走り、牛や羊が草を食む牧場に沿い、緑濃い谷の中へ分け入る。地形図を手にしているので景色の変化は予測できるとはいうものの、確かに飽きない眺めだ。後ろを振り返ると、街路に似合うセンターポールのトロリー線が大自然の中に敷かれているというミスマッチも面白い。

やがて、沿線一番の見どころ、この鉄道の最高地点でもあるバルガム湾Bulgham Bayの断崖上に出た。線路は海面から約180mの高さにあり、大海原が視界を占有する。前回紹介した堀氏が訪れたときは、路盤崩壊のため徒歩連絡を余儀なくされた場所だ。そのような難所を通過すると、電車は坂をぐんぐん下り始め、深い谷に沿うラクシーLaxeyの町に入っていく。筆者たちはここで途中下車して昼食後、登山電車でスネーフェル山に上ることにしたが、それは次回に書くとしよう。

駅のベンチで見ていると、電車が30分ごとに到着しては、傍らで待つ登山電車への乗換え客を吐き出して去っていく。周りを木々に囲まれた駅も、昼間はなかなかの賑わいを見せている。筆者たちは15時55分発のダグラスに戻る電車に乗った。

ここからは1894年に先行開通した区間で、地形がいくらか穏やかになって、風景のスケールとしてはラクシー以北に一歩譲る。しかし、道路との交差で鍵形の無理な線形をとっていたり、谷を急カーブで巻いたりと、ルート設定はいっそう軽便鉄道らしさを増している。グルードルGroudle以南は再び、海から立ち上がった斜面の中腹を走る区間だ。道路が海側に張り付いて眺望がややそがれるものの、前半のバルガム湾を思い出す。ガラス越しではない生の景色を、風が運ぶ土地の匂いとともに堪能できるのが、この鉄道の最大の魅力なのだ。ふと前方に目をやると、下り坂のかなたに見覚えのある弧を描くダグラスのプロムナードが白く浮かんでいる。計1時間15分の夢の旅から覚める頃合だった。

■参考サイト
「マン島案内」マンクス電気鉄道 http://www.iomguide.com/electricrailway.php
マンクス電気鉄道協会 http://www.mers.org.im/
ラムジー付近の地形図(Multimap.comのサイト)
http://www.multimap.com/s/dWPC9JRi
 官製地形図が現れないときは、地図画面左上の"Map >"ボタンをクリックすると、切替できる。

マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

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2007年11月29日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス馬車軌道

2007年8月8日、筆者たちはガトウィックGatwickからフライビー社Flybeの小型機で、島の小さな空港に降り立った。町へのバスを待つ間に、空港の案内所で、島のほとんどのバス路線と鉄道がフリーになるチケット"Island Explorer"を購入する。有効期間は1日、3日、5日から選べて、3日間なら24ポンド(1ポンド240円として5760円)だ。切符といっしょに、公共交通がすべて掲載された時刻表ももらった。マン島交通Isle of Man Transportが運行する2階建てバスは、のびやかな丘の間に時折ひなびた村が現れる道を30分ほど走ったあと、ダグラスDouglasの町に入った。

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マン島の2階建バス
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シーターミナルの電停
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颯爽と走るトラム
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「馬の背」に揺られて
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終点へ一直線
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牽き馬マーク君を激励
ダグラスはマン島第一の都会だ。海辺に出ると、イングランドの南海岸にあるような、白い瀟洒な建物が整然と並ぶプロムナードが、弓なりに遠くまで続いている。かつての島の玄関口、ダグラス川の河口にあるシーターミナルSea Terminal(乗船場)の近くで待っていると、まもなくカッカッとひづめの音が通りに響いて、馬に牽かれたかわいいトラムが現れた。エンジンは正真正銘の1馬力。車両は、屋根と床に目立つ広告帯を巻き、前後の御者席と、客用の板張りベンチが8列に並ぶだけの簡素なものだ。

馬車軌道は転車台も機回し側線も必要ない。馬を前後に付け替えれば発車準備完了だ。大した休みも取らずに馬もお疲れだろうな、と同情しながらさっそく最前列に乗り込む。蛍光色のジャケットを着用した乗務員が二人いて、一人は御者役、もう一人は1乗り2ポンドを徴収して回る。フリー切符はここでも有効だ。

走り始めは足を踏ん張って重そうだが、スピードがつくと軽快な足取りになる。レールの上を走っているので、乗り心地も悪くない。車両はオープンタイプで、ドアどころか安全ロープすら渡していない。馬の速足では、万一落ちても大したケガにはならないだろうが、脇をすり抜けていく車に轢かれる可能性は排除できない。軌道は全線複線で、道路の中央に敷かれている。プロムナードは車道も歩道も十分な幅があるが、けっこう路駐が多いので、トラムを追い抜けない車が後ろに連なるのを何度も見た。

見ると途中から乗る人がいる。バス停と同じような場所に乗降場を示す小さな標識があって、手を挙げれば停まってくれるリクエストストップ方式なのだ。快い海風に吹かれている間に、ずっとかなたに見えていた終点ダービーカッスルDerby Castleがいつのまにか近付いている。ミニトリップの最後は道路から離れて直線で突っ込んでいく。山側には車庫があり、海側にはマンクス電気鉄道Manx Electric Railwayの優雅な車両が休んでいる。そちらに気を取られて、1往復した馬がどこへ休憩に行くのか、見届けるのを失念した。

馬車軌道Douglas Horse-Drawn Tramsは、ダグラスの発展を見越した技師トーマス・ライトフットThomas Lightfootによって、1876年に創設された。その後所有者が何度か代わったが、1902年にダグラス市が購入したことにより、最終的に運行体制が安定した。軌間が同じ3フィート(914mm)のマンクス電気鉄道が直通化を目論んで、1906年と08年の二度にわたって電化の提案を行ったが、市議会は都度これを退けた。開業以来通年運行していた軌道も、1927年からは季節営業に変更されている。1960年代には利用者減少に悩んだが、100周年を祝ったあたりから持ち直し、創設当時のまま同じ場所、同じスタイルで動く貴重な遺産として、現在では広く認知されている。

ファンのホームページによれば、馬は34頭おり、そのうち25頭がトラムの牽引に携わっているそうだ。馬にはそれぞれ名前がつけられ、業務中は首に名札を下げている。軌道の全長は1.6マイル(2.6km)で、片道約20分かかる。馬は2往復すると交替し、繁忙期には最大、週6日働くという。一方、動ける車両は全部で26両で、窓のあるサロンカー、オープンタイプのバルクヘッドBulkhead(屋根つき)、「トースト台Toasttrack」と呼ばれる屋根なし、ダブルデッカーDouble Decker(2階建)など各種揃っている。

運行は、ハイシーズンで9時から19時ごろまで。筆者たちはプロムナードの中ほど、ヴィラマリーナVilla Marinaの近くに宿をとっていたので、滞在中何かと利用した。この間だけの移動なら、路線バスより頻繁に来るから、使い勝手はなかなかよかった。ところで、生き物だから当然、排泄物がある。毎日頻繁に往復すれば、道路にはその山ができても不思議ではないが、意外にも気になるほどは落ちていない。その理由は? 筆者の1ヶ月前に島を訪問されたnarrowboat氏のブログに答えを発見した。下記サイトをご参照あれ。

■参考サイト
英国運河をナローボートで旅するには?マン島日記 その①
http://narrowboat.exblog.jp/6949714/

「マン島案内」馬車軌道の紹介 http://www.iomguide.com/horsetram.php
馬車軌道のファンサイト http://www.douglashorsetramway.net/
ダグラス市議会Douglas Borough Councilサイトのフォトギャラリーにある馬車軌道の歴史的写真
http://www.douglas.gov.im/GalleryShowCat.asp?Cat=Tramways

マン島の鉄道を訪ねて-マンクス電気鉄道

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2007年11月22日 (木)

マン島の鉄道を訪ねて-序章

Blog_isleofman_railways マン島という鉄道愛好家の楽園があることを知ったのは、はるか昔に読んだ堀淳一氏の「英国・北欧・ベネルックス軽鉄道の旅」(交友社,1971)という本の一節からだ。名著「地図のたのしみ」に2年先行するこの本には、1960年代のイギリスにおけるローカル鉄道のありさまが克明に描かれていて、まだ見ぬ国への憧れをいやが上にも誘われたものだ。マン島は第4章に、「サツマイモのような形をした」島で「軽鉄道ファンにとってはメッカというべきところ」と紹介されている。

堀氏が訪れた当時とは少し顔ぶれが変わっているが、マン島には現在も、6本のユニークな鉄道がある。
島の訪問者をおそらく最初に迎えてくれるのが、今や世界でも珍しい公道上の馬車軌道Douglas Horse Tramだ。首都ダグラスDouglasの海岸道路(プロムナード)をのんびり走っている。
馬車軌道の北の終点ダービーカッスルDerby Castleでは、クラシカルな路面電車風情のマンクス電気鉄道Manx Electric Railwayが待ち受ける。北岸の町ラムジーRamseyまで1時間15分かけて海を見晴らしながら行く路線だ。
途中のグルードルGroudleで下車すると、遊園地の遊具のようなグルードル・グレン鉄道Groudle Glen Railwayが、風吹きすさぶ海辺の断崖の上へ連れてくれる。
電気鉄道の中間地点ラクシーLaxeyは、ちょっとしたターミナル駅で、標高621mある島の最高峰をめざす登山電車のスネーフェル登山鉄道Snaefell Mountain Railwayとの間、電車を乗換える人で賑わう。
さらにこの近くに、2004年9月から大ラクシー鉱山鉄道Great Laxey Mine Railwayという鉱山列車が復活した。名前は大きいが、軌間1フィート7インチ(483mm)、全長1/4マイル(400m)の超ミニ鉄道だ。
一方、レンガ造りが美しいダグラス駅から島の南端ポートエリンPort Erinへは、マン島蒸気鉄道Isle of Man Steam Railway(マン島鉄道Isle of Man Railway)が延びる。丹念に磨かれ、艶やかな姿を保つ古参の蒸気機関車が、スラムドアの客車を連ねて、牧野を駆け抜けていく。

これらの古い鉄道を維持していくのは容易なことではない。マンクス電気鉄道とスネーフェル登山鉄道は、自動車交通の普及により1950年代に経営難に陥った。マン島鉄道も同じ理由で1966年に一時全面休止となり、1969年に一部路線の存続を断念した。しかし、これらの鉄道は島の貴重な歴史遺産であり、観光資源としての価値が認められたため、公営に移されて、現在はマン島政府の交通局Isle of Man Transportが、定期バス路線とともに運行に当っている。

今年(2007年)の夏、この奇跡の島を訪問する夢がようやく実現したので、数回に分けてレポートを書こうと思う。

【参考】
地図に表示したように、淡路島ほどの面積の島に、かつては他にも鉄道が存在した。

・マン島鉄道の最初の開通区間であるダグラス~ピールPeel間(1873年開業、1969年に最終的に運行休止、1974年撤去)
・その途中駅、セントジョンズSt. John'sから西回りでラムジーに向かったマンクスノーザン鉄道Manx Northern Railway(1879年開業、1905年マン島鉄道に合併、1969年休止)
・その子会社で、鉛と銀を運ぶ鉱山線であったフォクスデール鉄道Foxdale Railway(1886年開業、1905年マン島鉄道に合併、1940年休止)、
・ダグラスの南の岬を回って海景を愉しむ観光鉄道であったダグラスヘッド・マリンドライブ電気軌道Douglas Head and Marine Drive Electric Tramway(1896年開業、1939年休止)

Blog_isleofman_oldmap ダグラス~ピール間はフットパスになり、他も道路に転用されたか、地形図上に痕跡を残している。

なお、最盛期の状況を記した地形図を求めたければ、カッシニ出版社Cassini Publishingが刊行している復刻地形図シリーズがある(右上写真)。「普及版Popular Edition」の95番「Isle of Man」(1921年版)には、上記の鉄道がすべて記載されている。ただし、ダグラスヘッド・マリンドライブ電気軌道は併用軌道につき注記のみ。カッシニ出版社の地図については、本ブログの「イギリスの復刻版地形図 I」にまとめてある。

■参考サイト
「マン島案内」交通機関のページ  http://www.iomguide.com/transportation.php
マン島交通時刻表・路線図 http://www.iombusandrail.info/
マン島の鉄道写真 http://www.manxrailways.info/
本ブログ「マン島の地形図」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/04/post_015f.html
本ブログ「イギリスの復刻版地形図 I」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/post_400f.html

マン島の鉄道を訪ねて-ダグラス馬車軌道

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2007年11月 8日 (木)

イギリスの鉄道地図 V-ウェブ版

ウェブ上で見ることができるイギリス鉄道地図を紹介する(いずれもアイルランドは範囲外)。

■ナショナルレール路線図 National Rail Network Maps
http://www.nationalrail.co.uk/tocs_maps/maps/network_rail_maps.htm
Blog_britain_railmap_hp1 ナショナルレールNational Railは単一の鉄道会社ではなく、イギリス国鉄の解体後に参入した列車運行会社(ATOCと呼ばれ、現在24社ある)が共通で使用するブランドだ。長年なじまれた2本の矢のマークも国鉄から引き継いでいる。ナショナルレールは独自のウェブサイトを開設して、時刻検索やサービスの案内を行っているが、その中にPDFによる全国鉄道地図が含まれている。

Great Britain:Map of the National Rail network
グレートブリテン島の鉄道網全図。都市近郊は拡大図が別にあるため、主要駅のみだが、それ以外は旅客営業している全駅を表示している。

National Rail Map (schematic)
主要路線を図式化したもの。サイズも小さいので鉄道網の概略が一目でわかる。フェリー、空港とのリンクも表示されている。

National Rail Passenger Operators
列車運行会社ごとに運行路線を表示した地図。現在掲載されているのは、2007年11月からの事業者変更を反映した第7版だが、過去の版(2005年2月以降)も作成者Barry S. Doe氏のサイトにある。
http://www.barrydoe.plus.com/rail.pdf
ちなみに、この親サイトはイギリスの交通に関する網羅的なディレクトリ(リンク集)だ。
http://www.barrydoe.plus.com/

■新アドルストロップ鉄道地図帳New Adlestrop Railway Atlas
http://www.systemed.net/atlas/
Blog_britain_railmap_hp2 地図帳と名乗っているがウェブ上で公開している1枚ものの鉄道地図だ。イギリスの営業線と休止・廃止線の全線全駅(メトロとライトレールは路線のみ)を克明に描いていて、旅客線、保存鉄道線、貨物線を区分する。作者は「著作権のある鉄道地図帳から情報を得ることはしない方針」と書いているので、おそらく当時の時刻表や路線図、地形図などから調べ起こしているのだろう。残念ながら、今のところイングランド北部とスコットランドは未完成で、東岸はヨーク北方、西岸はマンチェスター、リヴァプールの手前で終わっている。

■プロジェクトマッピングProject Mapping
http://www.projectmapping.co.uk/
Blog_britain_railmap_hp3 独自のコンセプトで作成されたイギリス鉄道路線図が各種提供されている。いずれもスキマティックマップ、すなわち距離や方角をデフォルメした図式化地図(位相図)だが、未来的なデザインで古い鉄道のイメージを打ち破るものだ。路線網図Network MapにはA4サイズの簡略版とA2の詳細版が用意されているほか、会社(TOC)別に運行路線を色分けした地図Franchise Map、建設中または予定線を図示した地図などもある。後者では、北ウェールズのカナーヴォンCaernarfonや、湖水地方のケジックKeswickへ行く廃止線の復活構想があることもわかる。

このほか、ヨーロッパ全域の鉄道地図を提供するTrainspotting Bükkesにもイギリス編がある。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_british-isles.php
路線(電化方式、旅客・貨物線の区別あり)と分岐駅が表示されているが、GIF形式の画像なので拡大縮小は効かない。

(ウェブ画像は2008年11月2日現在)

イギリスの鉄道地図 VI-コッブ大佐の鉄道地図帳

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2007年11月 1日 (木)

イギリスの鉄道地図 IV-ベーカー鉄道地図帳

Blog_britain_railatlas5 《S.K. Baker(OPC)系統》
イギリスの普通鉄道で最も標高の高い駅として知られるデントDent。雄大な風景が続くヨークシャー・デイルズYorkshire Dalesを縦断するセトル・カーライル線Settle and Carlisle Line の中ほどにある。その写真を表紙に配したのが、スチュアート・ベーカーStuart K. Baker著「イギリス・アイルランド鉄道地図帳Rail Atlas Great Britain & Ireland」(写真)だ。全128ページ(図版104ページ、索引19ページほか)、判型17.8×25.2cmのハードカバーで、今年(2007年)、30周年記念版と銘打った第11版が刊行された。

1977年の初版以降、今に至るまで改訂が重ねられてきたことは、研究者や愛好家の支持の高さを証明している。いかにもイギリスらしい広告記事によれば、クリケットファンには「ウィズデンWisden」、アンティーク収集なら「ライルLyle」、そして鉄道好きには「ベーカー」といえば通じるのだそうだ。

*注:Wisdenはクリケット年鑑、Lyleはアンティーク・ディーラー向けガイドブックの名称。

過去2回にわたって紹介した鉄道地図帳と同じように、これもまた白地図に全線全駅を図示しているが、特徴を挙げるとすれば、拡大図が豊富なことだろう。グレートブリテン島の区分図は縮尺1:350 000で統一されているのだが(スコットランドのハイランド地方のみ1:700 000)、主要都市域はほとんど1:70 000~1:90 000の別図面が用意されている。というのも、側線sidingsや操車場marshalling yardなど貨物設備をもらさず書き込むためだ。引込み線が発電所、石油、セメント、鉱山などと用途別に記号化されているかと思えば、アイルランドでは、泥炭採掘のために敷かれた運搬軌道が、緑のひび割れのように描かれている。

区分図の鉄道記号には電化・非電化の区別がないが、その代わり、巻末に電化地図Electrification Mapとしてまとめてある。このほうが、例えば南東イングランドの特徴的な第3軌条がどこまで及ぶかが概観できておもしろい。この電化方式が遠くウェーマスWeymouthまで延びているとは、筆者もこれを見て初めて知った。

この地図帳は、OPCすなわちオックスフォード出版社Oxford Publishing Companyの看板商品の一つだが、1998年にアイアン・アランがOPCブランドを買い取った結果、同社は鉄道地図帳シリーズをいくつも抱え込むことになった。それぞれ特徴を持っているとはいえ顧客は重なるので、これらが交通整理の対象になるのはやむをえないことだっただろう。定期的に改訂版が出るところを見ると、「ベーカー」がどうやら存続の優先権を勝ち得ているようだ。

Blog_britain_railguide さて、ペーパー版鉄道地図の最後に、時刻表の鉄道地図にも触れておこう。「OAG鉄道案内 OAG Rail Guide」(写真)は、1853年に創刊されたABC鉄道案内 ABC Railway Guideをルーツとするイギリス鉄道時刻表だ。1996年から航空時刻表で知られるOAG(Official Aviation Guideの略号に由来)の名を冠するようになったが、2007年10月号を最後に惜しくも廃刊となった。

時刻表には索引地図がつきものだが、全駅を掲載しているもの(日本、韓国、ベネルクス諸国など)もあれば、途中駅を省略した概略版(スイス、オーストリアなど)もある。OAGの場合は、方位や距離をデフォルメしない正統派のイギリス全国路線図と、直線状にデフォルメされた都市近郊路線図を備えていて、両方で旅客線の全線全駅表示を達成していた。さらに巻末にはヨーロッパ各国の路線図があり、いずれも単色ながら、全体としてみればトーマス・クックの鉄道地図に匹敵する情報量を有していた。最終号には、12月からミドルトン・プレス社Middleton Pressが引き継ぐと案内されていたが、果たしてどのような内容になるのだろうか。

■参考サイト
アイアン・アラン出版社  http://www.ianallanpublishing.com/
ミドルトン・プレス社 http://www.middletonpress.co.uk/

イギリスの鉄道地図 V-ウェブ版

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2007年10月25日 (木)

イギリスの鉄道地図 III

引き続き、アイアン・アラン出版社Ian Allan Publishingの刊行する鉄道地図帳を紹介する。

Blog_britain_railatlas3 《M.G. Ball系統》
筆者の本棚の隅に埋もれている地図帳があった。M. G. Ball著「ヨーロッパ鉄道地図帳-英国諸島編European Railway Atlas - British Isles」(写真は第2版、1996年)、かれこれ10年も前に買ったものだ。A4判、72ページ、地図は黒と赤の2色刷り。掲載範囲はイギリスとアイルランドで、全線全駅の詳細なデータが図示されている。

英、伊、独、仏、西の5ヶ国語を併記した凡例によれば、路線の記号は単線・複線の別、貨物線、狭軌線、電化線、計画線を区別する。休止中、電化工事中、休止予定線については略号で注記されている。保存鉄道や観光鉄道は、○にT(Tourist Railway)の記号を付して、鉄道名と軌間を書いている。記号が赤色なら蒸気鉄道だ。駅も普通鉄道が○の記号に対して、観光用はその中に十字を入れている。2色刷りという制約の中で、できるだけ容易に判別できるように工夫されているのだ。さらに興味深いのは、おそらくすべてのトンネルと主な鉄橋の名称と長さ、サミットの高度が、それぞれ記載されている点だ。

初版が1992年と比較的新しいのに地図自体は意外にも手描きだが、けっして読みにくくはない。前書きにOSの1:250 000地形図をベースにしたとあるので、これがフルカラーで水系や地勢が加刷されていたら、さぞすばらしい鉄道旅行地図になっただろうに、と欲張りな筆者は思う。

本書の裏表紙に広告されているとおり、このヨーロッパ鉄道地図帳はシリーズもので、英国諸島編のほかに大陸編4冊(注参照)があった。しかし、残念なことに現在はすべて絶版で、古書店ではけっこうな値段がついている。
(注)M. G. Ball著「ヨーロッパ鉄道地図帳」大陸編
European Railway Atlas: Denmark, Germany, Austria and Switzerland
European Railway Atlas: France, Netherlands, Belgium, Luxembourg
European Railway Atlas: Spain, Portugal, Italy, Greece
European Railway Atlas: Scandinavia and Eastern Europe

【追記 2009.1.1】
「ヨーロッパ鉄道地図帳」は2008年12月に新装版として復活した。国・地域別の分冊版も入手できる。次の記事参照。
本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図-M.G.Ball地図帳」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/01/i-0b3a.html

Blog_britain_railatlas4Mike G. Ball氏の著作はしかし、別の形で存続している。写真は「abc英国鉄道地図帳abc British Railways Atlas」という名のポケットブック(判型12×18.5cm、新書版に近い)だ。1995年初版で、現在は2004年第3版が出ている。abcというタイトルは、アガサ・クリスティのミステリーでもおなじみのABC時刻表 ABC Railway Guideを思い起こさせる。区分図の切り方はヨーロッパ鉄道地図帳と全く同じで、路線網や駅名も省略していないが、構築物のデータなどマニアックな内容を排除した簡略版だ。区別しているのは、旅客線、貨物線、計画線と保存鉄道線だけで、蒸気鉄道にはイラスト風のSLマークが添えられている。判型といい、地図といい、いたってシンプルな体裁なので、持ち歩き用を意図しているのだろうか。
これはアイアン・アラン社のオンラインショップその他で購入できる。

■参考サイト
アイアン・アラン出版社  http://www.ianallanpublishing.com/

イギリスの鉄道地図 IV-ベーカー鉄道地図帳

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2007年10月18日 (木)

イギリスの鉄道地図 II

アイアン・アラン出版社Ian Allan Publishingは趣味系書籍・雑誌の大手で、鉄道分野でも月刊誌「レールウェイズ・イラストレーティッドRailways Illustrated」や「モダン・レールウェイズModern Railways」でおなじみだ。近年、ミッドランドMidland Publishing やオックスフォードOxford Publishing(OPC)など鉄道書の中小出版社を傘下に収めて、規模を拡大している。

アイアン・アラン社が刊行している鉄道地図帳が、筆者の知る限り3系統ある。どれも白地図に鉄道網だけを表示した辞書的な地図帳だ。それぞれ、
・Sectional Atlas系統
・M.G. Ball系統
・S.K. Baker(OPC) 系統
と勝手に名づけたうえで、順に紹介していこう。

Blog_britain_railatlas1 《Sectional Atlas系統》
「英国鉄道区分地図2002 Sectional Maps of Britain's Railways 2002」(写真)は64ページ(図版45ページ、索引16ページ)、判型17.5×24.2cm、グレートブリテン島全体をカバーした鉄道地図帳だ(アイルランド島は不掲載)。中表紙にアイアン・アラン社創業60周年のロゴが入っているところを見ると、記念出版なのだろう。

巻頭辞は次のように記している。「1980年代後半まで、アイアン・アラン出版が定期刊行していた地図帳に、区分地図帳Sectional Atlas (of British Railways)がある。現存の鉄道路線と休止・廃止線がともに描かれていたので、歴史家や愛好家にとって両者の関係を検証する資料になっていた。区分地図帳は1980年代後半に出版されたのが最後で、それから10年以上が経過した。その間、鉄道業界は、民営化が完了し、鉄道の各部門にフランチャイズ制が導入されるなど、大きく変化してきた。貨物専用線はそれほど急激ではないものの、規模縮小が続き、その一方で、次世代LRTの計画が進捗し、休止線が保存鉄道として復活している。この区分地図帳の最新版は、鉄道網を記録したアイアン・アラン出版の新しいデータベースを使用して準備され、最近、同社で出版された鉄道地図帳と同じフォーマットを使っている。」

地図の凡例を見ると、現役の旅客線、貨物線のほか、工事線・計画線、その他の営業線(列車線に対する近郊電車線を指す)、保存鉄道線、休止・廃止線の区別がある。配色も、現役線のグレーに対して、休・廃止線はクロームイエローが用いられて、よく目立つ。駅名は旅客駅、貨物駅、休・廃止駅(ただし主要駅のみ表示)で色分けし、巻末の駅名索引も3種に分けて編まれている。このように、過去に存在した路線を網羅しているところが、Sectional Atlasの、類書にはない最大の特色だ。索引図がついておらず、ノンブルが数字(1, 2, 3...)ではなく英語(one, two, three...)表記であるなど、いささか使いにくい点もあるが、興味深い資料であることは確かだ。

Blog_britain_railatlas6 実は、この鉄道地図帳にはルーツが存在する。1958年に初版が出された「英国鉄道集約化以前地図帳・地名録British Railways Pre-Grouping Atlas and Gazetteer」(写真)だ。これは、1921年鉄道法によって4大鉄道会社、いわゆるビッグフォーに集約化される前(プレ・グルーピング)の状況を表したものだ。

ここでは、縮尺が8マイル1インチ(図上1インチが実距離8マイルを表す。1:506,880に相当)と明記されている。しかしこの縮尺でも、全線全駅を掲載しようとすると描ききれない。首都ロンドンはもとより、ウェールズ南部、ヨークシャー南部といった炭鉱地域や、マンチェスター、グラスゴーのような産業革命の中心地は、路線網が稠密すぎるからだ。45ページの区分図のうち、最後の7ページはそのための拡大図に充てられている。これによって、1923年の集約化や1948年の国有化に伴って姿を消した駅や支線の現役時代を振り返るのも難しいことではなくなった。路線は所有会社別に色分けしたうえ、会社の略称が添えられていて、会社のフルネームを知りたければ、巻末の地名録の中にある一覧表が役に立つ。

上述した2002年版は図郭、ページ設定を含めてこの仕様を踏襲したものだ。索引図が省かれたり、ノンブルが英語だったりするのも、旧来の地図帳の利用者を前提にしていると考えれば納得がいく。上で引用した巻頭辞のとおり、地図帳のオリジナルはとうに絶版になっているが、1967年第5版を復刻したものが、現在もアイアン・アラン社から入手可能だ。

Blog_britain_railatlas2一方、この地図帳のデータを改めてコンピュータ上に展開した上で、特定の時代に焦点を当てて当時の鉄道地図を再現したものも数点刊行されている。Britain's Railwaysシリーズとして同社から刊行された「Rail Atlas 1890」(写真)、「British Railway Atlas 1955」、そして「Rail Atlas 1970」だ。

手元には1890年版があるが、2002年版と同じ図版に、1890年1月1日現在の営業路線の全線全駅がプロットされている。所有会社ごとの路線の彩色は、プレ・グルーピング版に準じたものだ。復刻版ではいささか見づらくなっていた駅名の細かい文字も、クリアに読める。1890年といえばヴィクトリア朝の後期で、鉄道網はほぼ完成しており、かつ自動車交通が台頭する以前のいわば鉄道黄金時代にあたる。2002年版では路線の位置と終端駅程度しか描かれていない休止線、廃止線も、ここでは全ての駅の場所と駅名、それに運営する会社名が記されていて壮観だ。縦横に張り巡らされた路線網を追うと、貨客を満載した列車がひっきりなしに行き交うさまが目に浮かぶ。

この1890年版は、プレ・グルーピング版で割愛されたアイルランド全島(1890年当時はイギリスに併合されていた)や、王室属領のチャンネル諸島も掲載範囲に含まれていて、イギリス諸島の鉄道の全貌を知る上でたいへん貴重な資料になっている。
(M.G. Ball系統、OPC系統は次回以降に)

■参考サイト
アイアン・アラン出版社  http://www.ianallanpublishing.com/

イギリスの鉄道地図 III

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2007年10月11日 (木)

イギリスの鉄道地図 I-トーマス・クック社

トーマス・クックThomas Cookの社史は、旅行業の歴史そのものだ。旅行者の手引きとして考案されたヨーロッパ鉄道時刻表は1873年の創刊以来、未だに刊行され続けている。同社が理想の道連れideal companionとうたう大判折図の「ヨーロッパ鉄道地図Thomas Cook Rail Map of Europe」もすでに16版を数える。いずれも日本のユーレイルパスユーザーには必須アイテムとしてつとに知られているものだ。

Blog_thomascook_uk_railmap 「イギリス・アイルランド鉄道地図Rail Map Britain & Ireland」はヨーロッパ版の姉妹品として、1989年に発刊された。2007年現在、第5版が出ている。1枚もののイギリスの鉄道地図としては、筆者が知る限りこれしかない。縮尺はイングランド、ウェールズが1:750 000、スコットランドとアイルランドは1:1 000 000(100万分の1)。グレートブリテン島の南2/3を表面に、北1/3とアイルランド、それにロンドン地域の拡大図を裏面に配置する。

初版のころは、まだイギリス国鉄British Rail(BR)が健在で、都市交通や地方の小鉄道や貨物鉄道を除くと、全国の鉄道網を一括運営していた。この鉄道地図では、インターシティ(IC)が平均時速90マイル以上で最低1時間ごとに走る区間は「高速High-Speed」、地域間の速達列車が60マイル以上で最低2時間ごとに走る区間は「急行Express」といったように、路線表示を国鉄の列車種別で区分していたが、これも自然なことだった。デザインも配色も決して洗練されてはいなかったが、幹線と支線を見分けるのに不自由はなかった。

しかし、サッチャー政権が推し進めたサービス民営化政策の一環として、1993年に成立した鉄道法Railways Actによって翌年、国鉄は解体された。イギリスの鉄道改革は、事業にフランチャイズ制を導入したのが大きな特徴で、参入した旅客鉄道会社は25社に及んだ。地方の拠点都市とその周辺に路線網を固める会社もあれば、長距離路線を主体とする会社もあり、大都市間を結ぶ幹線には何社もの列車が行き交った。

鉄道地図もその影響で、列車速度や運行頻度で一括りに表しきれなくなったらしい。現行版は列車種別による区分から、運行する旅客鉄道会社で色分けする方式に切り替えている。複数社が運行する路線は、色の線が並行してカラフルな帯に見える。各社のテリトリーが一目瞭然なのはおもしろいが、優等列車が走る区間という形では判別できなくなった。

デザインは初期に比べてかなり改良されている。うるさかった基図のトーンが下がって路線図と駅名が見分けやすくなり、クックの特徴の一つである景勝区間Scenic Routeの表示も点線化したので、路線表示と混同されるおそれがなくなった。難をいえば、1:750 000というスケールでは都市部の表示が難しいのだから、バーミンガムBirmingham、マンチェスターManchester・リヴァプールLiverpool、グラスゴーGlasgowのような路線稠密地域は、ロンドンに準じた拡大図がほしいところだ。

トーマス・クックは合併連衡を繰り返して、今では旅行業でヨーロッパ第二の規模に成長した。その一部門が刊行する鉄道地図も老舗の知名度とあいまって、同種の地図の中では最も入手しやすいものとなっている。日本でも、アマゾンその他、洋書を扱うショップで扱っている。

■参考サイト
トーマス・クック出版社  http://www.thomascookpublishing.com/
本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図-トーマス・クック社」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/03/ii-1bbd.html

イギリスの鉄道地図 II

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2007年9月20日 (木)

スランゴスレン鉄道乗車記

Blog_llangollen_map

スランゴスレンLlangollenはウェールズ北部、カンブリア山脈の東側にある小さな町だ。幹線道路A5が通っている。A5ルートの前身は、首都ロンドンとアイルランドのダブリンDublinを結ぶ郵便馬車道で、1801年のアイルランド併合をきっかけに整備された。1815年から始まった工事で町は建設基地となり、完成後も重要な中継地点として栄えた。

しかし、まもなく鉄道の時代が幕を開ける。A5ルートは確かに、ダブリンとの連絡港であるホーリーヘッドへ至る近道なのだが、地形が険しく、鉄道敷設には適さなかった。西海岸のリヴァプールLiverpoolまで鉄道が完成すると、郵便運搬はリヴァプールから海路を採るルートに移される。さらに1850年には北部の海岸沿いにチェスター・ホーリーヘッド鉄道Chester and Holyhead Railway(現在の北ウェールズ海岸線North Wales Coast Line)が全通して、主要輸送路の地位を完全に奪ってしまった。

スランゴスレンにも1865年に鉄道がやってくるが、シュルーズベリー~チェスター線Shrewsbury to Chester Lineの支線という扱いで、かつての賑わいには届かなかった。時は流れ、鉄道の斜陽期に入ると、この路線は、不採算路線を廃止するいわゆる「ビーチングの斧Beeching Axe」の対象に挙げられる。1965年に旅客営業を休止、1968年には貨物も休止となり、大部分の設備は撤去された。

Blog_llangollenrailway1
スランゴスレン駅
Blog_llangollenrailway2
ホームから町を望む
Blog_llangollenrailway3
ベルウィン駅の「二重橋」
Blog_llangollenrailway4
車窓に広がる美しい牧野
Blog_llangollenrailway5
カロッグ駅に到着
現在のスランゴスレン鉄道は、この時廃止された路線のうち、スランゴスレンから西側を復活させたものだ。1975年から始まった再開のプロセスは、1985年にディー川River Deeを渡ってベルウィンBerwynに届き、その後も1駅ずつ延長されて、現在は駅にして始発から3つ目のカロッグCarrogに達している(Glyndyfrdwy~Carrog 間は1996年開業)。

スランゴスレンを訪れたのは今年(2007年)8月13日。国際音楽祭や運河巡りの基地としても知られるとおり、見るからに観光地らしく飾り立てられた町だった。中心街の北側、淵をつくりながら流れ下るディー川を石橋で渡ると、左手に始発駅の全貌が見渡せる。相対式のプラットホームに跨線橋、引込み線に大きな駅舎まで備えた立派な構えだ。そこに折り返し13時ちょうど発の列車を牽く蒸気機関車が停まっている。この光景を目にすれば、過去を知らない世代でも何十年かタイムスリップした気分になるに違いない。

さて、スタンバイしている蒸機も客車も標準軌用なので、これまで狭軌の保存鉄道ばかりを見てきた目には、堂々とした姿に映る。オープンタイプの車両に乗り込むと、ゆっくり動き出した。なかなかスピードが出ないのは、まもなく渡るディー川鉄橋が老朽化していて、速度制限を敷いているからだ。それを過ぎると徐々に調子が出てくる。片道約30分の旅の前半は緑陰深い川べりを行くのだが、最初の停車駅ベルウィンでは、渓谷で鉄道と道路のアーチ橋が直角に交差している。対岸から写真を撮ってみたい場所だ。地図によるとその先に、運河の取水口になっている馬蹄形の堰Horseshoe Fallsが見えるはずだが、うっかり見過ごした。

右手の木立が途切れると、ゲインズバラGainsboroughの絵さながらの洋館と美しい牧野が現れて、心を和ませる。と突然、闇。ディー川の大きな蛇行を683ヤード(625m)のトンネルで短絡しているのだ。闇を抜けると、車窓は一転しておだやかな川に沿った広く明るい谷に変わり、その景色が終点まで続く。終点カロッグは周囲に畑と牧場しかないようなところだが、再興計画によって立派に復元されている。ホームが緩くカーブしていて、その先端に里道の陸橋があり、駅舎を出てその上に上がると、なかなかいい構図が得られる。ここに20分ほど停車して、機関車を付け替えたのち、列車は始発駅に戻っていく。

スランゴスレン鉄道はカロッグから西方、分岐駅でもあったコルウェンCorwenへの延長計画を持っている。現在、地権者との交渉を進めているようだが、沿線にはかわうその生息地があって慎重な工事を求められるなど工程が遅れており、まだ完成のめどは示されていない。

■参考サイト
スランゴスレン鉄道 http://llangollenrail.llangollen-railway.co.uk/
同鉄道付近の地形図(Multimapのサイト)
http://www.multimap.com/maps/#t=l&map=52.9761,-3.19855|14|4&dp=841
 官製地形図が現れないときは、地図画面左上の"Map >"ボタンをクリックすると、切替できる。

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2007年9月13日 (木)

ウェルシュ・ハイランド鉄道の挑戦

Blog_welshhighlandrailway スノードン山の西側の谷を走るウェルシュ・ハイランド鉄道Welsh Highland Railwayは、ウェールズで最も新しい観光鉄道だ。597mmのナローゲージながら、壮大な構想を持っている。現在の運行区間は北と南に分かれていて、北側はカナーヴォンCaernarfonからリード・ジーRhyd Dduまでの19.5km、南側はポースマドッグPorthmadogから今年(2007年)3月にトライス・マウルTraeth Mawrまで延長された。残る山越え区間も現在着々と工事が進んでおり、完成すれば全長39.7kmの長大路線となる予定だ。注目のプロジェクトとあってHPも充実しているので、それを参考にレポートしよう(今回の旅では訪問しておらず、机上の作業であることをお断りしておく)。

■参考サイト 同鉄道路線図  http://whr.bangor.ac.uk/whrroute.htm

この鉄道はかつての営業路線の線路敷を利用しているとはいえ、その来歴はさまざまだ。北端のカナーヴォンとディナスDinas(もとのディナス・ジャンクション)の間は最初1067mm、その後標準軌1435mmに改軌され、廃止前は国鉄線だった。ディナスからリード・ジーまでは1877~81年に北ウェールズ狭軌鉄道North Wales Narrow Gauge Railways(NWNGR)が敷設した。南側のポースマドッグPorthmadogからクロイソル・ジャンクションCroesor Junctionまでは、1864年開業のクロイソル軌道Croesor Tramwayが前身で、スレートを運搬する馬車軌道だった。

中間部、すなわちリード・ジーとクロイソル・ジャンクションの間は、南側からポートマドック・ベズゲーレルト・南スノードン鉄道Portmadoc, Beddgelert and South Snowdon Railway(PBSSR)が延長しようとしたが実現しなかった。1922年にNWNGRとPBSSRが合併して(旧)ウェルシュ・ハイランド鉄道が誕生し、大戦後の失業対策の一環として工事が進められて、翌1923年にようやく北ウェールズを縦断する狭軌鉄道が全通した。鉄道は夏の観光客を収入源に見込んでいたが、シーズンオフは空気を運んでいる状態だったそうで、経営は早々に行き詰まり、1937年には運行廃止、施設も1941年までに撤去された。

復活の道のりは1960年代に始まった。愛好家たちによりウェルシュ・ハイランド鉄道協会が組織され、1980年から南端ポースマドッグの短区間で保存蒸機の運行が始まった。1990年にフェスティニオグ鉄道Ffestiniog Railwayが持株会社を作り、WHRに資本提供する体制が整った。1997年にスノードニア鉄道Snowdonia Railwayの名称でカナーヴォン~ディナス間を開業したのを皮切りに、北側からの路線延長が進んでいる。

ウェールズは保存鉄道の王国と言われるが、人口の少ない山間部に今新たな鉄道を敷く意味は何なのか。HPは次のように答える。「今日のウェールズは観光が主要な産業で、鉄道それ自体が重要なアトラクションであり、そこにWHRにとってのマーケットがある。加えて、新生WHRは歴史の町カナーヴォンを始発駅とする。そこは旧WHRが到達できなかった交通の要衝だ。商業面だけでなく、鉄道は地域社会にも役立ち、スノードニア地方の自動車交通を代替することで環境保護の対策にもなるだろう」

現在の北側の終点リード・ジーは、かつて南スノードンという駅名で、北隣のスノードン・レンジャーSnowdon Ranger駅とともに、ウェールズ最高峰の西の登山口になっている。列車ははろばろとしたクウェスリン湖Llyn Cwellynを遠望しながら11~13‰(1:90~1:75)の坂道を上って、この高台に到着する。

Blog_welshhighlandrailway_map しかし地図系鉄道ファンにとっては、この先の未開業区間のほうがずっと興味深い(右図参照。Image reproduced with kind permission of Ordnance Survey)。あと1km少しで南北の分水地点(標高200m)なのだが、その南側は一気に高度が下がるため、25‰(1:40)の下り勾配が連続し、緩斜面に馬蹄形ループが4個所設けられているのだ。下方のそれはPBSSRが建設後に放棄した急勾配区間を迂回するもので、電化を前提に設計されたPBSSR線との線路条件の違いがわかる。坂道を降りきると、スノードンに源を発する2つの谷川が合流する小邑ベズゲーレルトBeddgelert、ここにも駅が復活する。その南方では、アベルグラスリンの細道Pass of Aberglaslynと呼ばれる比高200m近い峡谷が行く手をふさぎ、鉄道を通すために3つのトンネルがうがたれている。トンネルを抜けると南岸から続く平地が広がり、景色はがらりと変わる。

ウェルシュ・ハイランド鉄道の全線完成は2009年の予定だ。バンガーBangorとカナーヴォン間だけバスでつなげば、あとはポースマドッグ、ブライナイ・フェスティニオグBlaenau Ffestiniog、スランディドゥノ・ジャンクションLlandudno Junction、そしてバンガーと鉄道による北ウェールズ周遊の旅が可能になる。

【後記】ウェールズ語では、バンガーBangorはバンゴル、カナーヴォンCaernarfonはカイルナルヴォン、ポースマドッグPorthmadog(旧綴Portmadoc)はポルスマードグのように発音する。また、Llanもスランというよりシャンとヒャンの間の音に聞こえるが、いずれも慣用表記とした。その他の地名は筆者自身が聞きとったものを転写している。

■参考サイト
ウェルシュ・ハイランド鉄道(ポースマドッグ)http://www.whr.co.uk/
ウェルシュ・ハイランド鉄道(カナーヴォン)http://www.welshhighlandrailway.net/

ウェルシュ・ハイランド鉄道プロジェクト http://whr.bangor.ac.uk/
 同鉄道の再建に関する豊富な資料を公開するサイト。
ウェルシュ・ハイランド鉄道の整備状況レポート http://www.isengard.co.uk/
 全区間の過去から現状までの写真多数

ウェルシュ・ハイランド鉄道のルート詳細地図
http://www.steven.harris.dsl.pipex.com/
全線にわたる地図と勾配表も閲覧可能。WW1 Mapsは、第1次大戦当時の25インチ地図(1:2530)で旧線の現役時代の状況が確認できる。TMA Mapsはそれに新線のルートを加筆したもの。両者を比較すると、例えばリード・ジーでは旧駅跡が駐車場に転用されたため、新駅は東の隣接地に設けられたことがわかる。

リード・ジー付近の地形図(Multimapのサイト)
http://www.multimap.com/maps/#t=l&map=53.05428,-4.13574|14|4&dp=841
 官製地形図が現れないときは、地図画面左上の"Map >"ボタンをクリックすると、切替できる。

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2007年9月 6日 (木)

スノードン登山鉄道乗車記

スランベリスLlanberisの名は、この地に庵を編んでいた隠者聖ペリスSt.Perisにちなむ。スランLlanはウェールズ語で教会を意味し、転じて村そのものを指すようになった。それでウェールズにはLlanのつく地名が無数にある。かつて、パダルン湖Llyn Padarnのほとりに開けた小さな町の経済を支えていたのはスレート鉱山で、いまも湖の向こうの山肌は、採掘のために人工的に削られた醜い姿をさらしている。しかし、現在この町はスノードン山の玄関口としてその名を知られている。街道沿いに続く町の中より、登山鉄道の駅前のほうがよほど賑わっているのだ。

Blog_snowdonrailway2
グッズショップ
Blog_snowdonrailway3
スランベリス駅
Blog_snowdonrailway4
機関庫
Blog_snowdonrailway5
ハーフウェイ駅で交換
(帰路写す)
Blog_snowdonrailway6
クログウィン駅に到着
Blog_snowdonrailway7
後続列車が上ってくる
Blog_snowdonrailway8
折り返す後続列車
(クログウィン駅で)

スノードン登山鉄道Snowdon Mountain Railwayの始発駅は、町の東のはずれにある。町から歩いて来ると真っ先に、ラックレールを配したマークを掲げるしゃれた建物が目に入る。これは鉄道の本屋というよりグッズショップだ。しかし、このショップ、町のほかの土産物店よりよほど品揃えがしっかりしていて、鉄道ファンでなくてもつい長居させられる。山に上る前から土産を買うこともないが、下山してきて列車を降りると、日本の観光地にもよくあるように必ず店内を通って外に出る構造になっている。結局、商魂という魔の手からは逃れられない仕組みだ。ショップの奥はささやかな鉄道資料室だが、ちょうどプラットホームの先端に位置していて、ガラス越しにホームに出入りする列車の様子を目の当たりにできるのが愉しい。

その日は朝から大粒の雨が降っていた。しかし、朝食を終えたころには雲の切れ間が見えるほどに天気は回復してきたので、運を頼みに駅へと急いだのだった。10時半ごろ、駅前広場の奥にあるチケットオフィスへ着くと、11時30分発のチケットを発売していた。ハイシーズン中の日曜日につき長蛇の列を覚悟していたが、窓口に並んでいるのは10人足らずで、やはり雨模様を敬遠しているようだ。それに山頂駅が2008年春まで駅舎改築のため閉鎖されており、運行が1駅手前のクログウィンClogwyn止まりなのも、客足に響いているのだろうか。

発車は多客時30分毎。11時発を柵越しに見送ったあと、11時10分に次便の改札が始まった。この鉄道ではまだ開通当時のSLが健在なのだが、1986年にDLを導入しており、この便もDLが後尾に付いた。車窓の眺めはほとんど進行右側に開ける。しかし、筆者としてはそうでない側の景色も興味があるから、行きは右、帰りは逆側と決めていた。次々とお客が乗り込み、小さな客車はすぐに満員になった。みな長袖のパーカーやジャンパーを着込んでの重装備だ。

定刻に発車すると、SLが出動を待つ機関庫を右手に見送って小川を渡り、しばらくこの川に沿って走る。まもなく前方に167‰(1:6)の急勾配が見えてくる。石造りのアーチ橋でぐいぐいと攀じ登っていくと、木々に囲まれた民家が下方へ遠ざかる。やがて谷川は深まり、水量の豊かな滝に姿を変える。数少ない左手車窓のハイライトの一つで、滝見の客のためにすぐ川上に駅も作られたが、現在は使われていない。

進行方向をめざす山の方角に変えたあたりから、スノードニア国立公園の区域に入る。川をアーチ橋でひとまたぎした後、列車は緩やかな傾斜をもつ広い谷の中をひたすら上り詰めていく。晴天ならこのあたりからスノードンの頂きが姿を現すはずだ。近くの小さな礼拝堂の名を付けたヘブロンHebron駅は列車の対向設備がある。直線主体のレールの先に盛り土をしたS字カーブが現れ、登山道がその下をくぐるあたりでは、トレッキングを愉しむ人たちが手を振ってくれる。全線の中間地点近くには、その名もハーフウェイHalfway駅が設けられている。多客時はネットダイヤが組まれるが、待つのは山からの下り列車で、上りはさっさと通過していく。筆者の乗った便も上りの所要30分のところ、下りは各駅対向待ち、しかも続行運転を退避したので55分かかった。

線路は斜面を回りこむように上り、一面にごろごろと黒い岩が転がる、通称ロッキーヴァレーRocky Valleyの中を行く。いつのまにか列車はスノードンの北尾根の上を走っている。左手はるか眼下にスランベリス峠Llanberis Passと呼ばれ、比高550m以上ある深い谷が口を開ける。客たちが身を乗り出すようにして覗き込む左手車窓第二のハイライトだ。まもなく石造りの小屋が見えて勾配が緩み、クログウィン駅に到着する。行く手に立ちふさがる斜面を線路が斜めにはい上っていくのが見えるが、残念ながら現在はここが終点だ。30分休憩した後、列車はもと来た道を帰っていく。

今年のような特殊事情でなくても、悪天候や積雪のためこの先の運行が打ち切りになることはままある。湿気を含んだ海からの西風が山地にぶつかって雲を生むため、年間の日照時間がしばしば1100時間を割るのだという。きょうのクログウィンも時折強風とともに濃霧が襲い、スノードンの頂きを拝むことはついにかなわなかった。しかし、折り返しを待つ間に霧が遠のき、山を上ってくる次のSL列車をパノラマの点景に捕らえることができたのは望外の幸せだった。

【データ】 スノードン登山鉄道は軌間800mm、最急勾配182‰(1:5.5)、延長7.5 kmのラック式鉄道(アプト式を採用)。山頂駅は標高1065mで、2001年12月にスコットランドのケアンゴーム登山鉄道Cairngorm Mountain Railway(鋼索線)が開通するまでは、イギリスの鉄道最高地点だった。山麓駅との高低差は957mある。ウェールズの保存鉄道に含めて紹介されることがあるが、厳密にはそうではなく私企業により商業ベースで運営されている。

■参考サイト
スノードン登山鉄道 http://www.snowdonrailway.co.uk/
同鉄道付近の地形図(Multimapのサイト)
http://www.multimap.com/s/dZIKDJRm
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2007年8月31日 (金)

スノードン山をめぐる鉄道小史

8月の休みを利用して、イギリスに出かけた。その際の見聞と入手した資料類をもとに、しばらくイギリスの地図と鉄道について書いていこう。まずは北ウェールズのスノードン山をめぐる鉄道の話だ。

Blog_snowdonia_2 スノードン山Snowdonは標高1085m。山名は英語で文字通り「雪の山」の謂いだが、現地のウェールズ語では(伝説の巨人の)墓を意味するアル・ウィズヴァYr Wyddfaと呼ぶ。山塊は周辺にも広がり、1000mに満たないとはいえ、イングランドとウェールズを通して最も標高の高い土地となっている。登山基地は山裾のパダルン湖Llyn Padarnに面したスランベリスLlanberisという町だが、この静かな山里に登山客が訪れるようになったのは、1830年に東方の峠を通る近代的な道路が開かれてからだ。

1869年になって町に最初の鉄道が延びた。ユーストン駅を首都のターミナルとするロンドン・北西部鉄道London & North Western Railway(当時)で、西岸のカナーヴォンCaernarfonで分岐した支線だった。これ以降、スランベリスの名が旅行地図に掲載され、登山基地として知られるようになる。一方、1877~81年、もう1本西側の谷筋に、北ウェールズ狭軌鉄道North Wales Narrow Gauge Railwaysが開通する。スノードンに最接近する地点には、南スノードンSouth Snowdon(Rhyd Ddu)駅が設けられ、登山道も整備された。スランベリスより山頂までのアプローチが短いことから、旅行者獲得の点でライバルの出現となった。

アメリカではこの頃すでにラックレールによる登山鉄道(ワシントン山コグ鉄道)が実用化され、次いでスイスでも建設が始まったが、意外にイギリスへの導入は遅かった。実はスイスのリギ鉄道が開通した1871年を皮切りに、スランベリスから山頂を目指す鉄道敷設計画が、二度発表されてそのつど潰えていたのだ。地方の大地主が資金提供に関心を示さなかったことが要因だが、その背景には鉄道が自然美を破壊する、あるいは案内人やポニーが失業し、日帰りできるようになって宿も廃れるという人々の反対の声があった。

この地方の主な産業はスレートの生産で、スランベリスの周辺でも大規模な採掘が行われていた。現在、湖の向こう岸をスランベリス湖鉄道Llanberis Lake Railwayの観光列車が走っているが、もとは4フィート(1219mm)軌間のパダルン鉄道Padarn Railwayで、メナイ海峡Menai Straitの積出港までスレートを運ぶために建設されたものだ。しかし1880年代になると、スレートに代わる建築材料の普及や安価な輸入品の流入によって、当地の鉱業は深刻な打撃を受けるようになる。苦境の中で注目されたのが、諸外国における登山鉄道による観光開発の効果だった。

1894年初め、ようやく大地主アシュトン=スミスも腰を上げて、建設資金のめどがつき、同年11月にスノードン登山軌道・ホテル株式会社Snowdon Mountain Tramroad & Hotels Co Ltdが設立される。その名からわかるように、麓と山頂でホテルを経営し、両者を鉄道で結ぼうとしたのだ。1894年12月に着工され、1年余の工事期間を経て、1896年1月に待望のラック式登山鉄道が完成した。最初の列車は1月9日に来賓らを乗せて頂上に到着した。

時は過ぎ、鉄道の全盛時代が去ると、スノードン山の周辺からも列車の姿が消えていく。北ウェールズ狭軌鉄道の旅客輸送は1916年に中断、その後別会社で再開されたが、経営が思わしくなく1937年には完全に廃止となり設備の大部分も撤去された。パダルン鉄道は1961年に休止、国鉄に統合されたスランベリス支線も、ビーチングの斧Beeching Axeと呼ばれる政府のコスト削減政策の中で1964年に廃止された。一時はこの登山鉄道が唯一残る鉄道だった。その後、保存鉄道としての復活が始まり、スランベリス湖鉄道が1971年に開業、スノードンの西側を走っていた狭軌線も2003年8月に、新生ウェルシュハイランド鉄道Welsh Highland Railwayとして再開されて、現在に至っている。

(以上の記述は、Keith Turner "The Way to the Stars - The Story of the Snowdon Mountain Railway -" Gwasg Carreg Gwalch, 2005ほかを参照した)

■参考サイト
Snowdon and Snowdonia Guide  http://www.snowdon.com/
Llanberis付近の地形図(Multimapのサイト)
http://www.multimap.com/maps/#t=l&map=53.11947,-4.14064|13|4&dp=841&loc=GB:53.1205:-4.1348:13
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2007年4月26日 (木)

チャンネル諸島の鉄道

Blog_jersey_railway ジャージー島の地形図を眺めていたら、首都サンテリエSt.Helier(英語読みはセントヘリア)から東に伸びる一条の線に目が止まった。道路ではないが、地籍界が直線的に断続し、その先でコンパスでなぞったような正確なカーブを描いている。明らかに鉄道の廃線跡だ。たどっていくと、島の南東端ラ・ロックLa Rocqueで北に転じ、河岸段丘が行く手を阻むゴレイGoreyの村まで続いているようだ。
これは1873年に開通したジャージー東部鉄道Jersey Eastern Railwayの跡だ。サンテリエ~ゴレイ間6マイル(9.7km)を走る標準軌の路線だったが、会社がバス事業に乗り出して失敗したあおりを受けて1929年に廃止されている。

サンテリエから西方へはサイクリング道が、遠浅の海岸沿いに小さな港町サントーバンSt. Aubinまで伸びる。さらに町の裏から谷を分け入り、台地の上を島の南西端ラ・コルビエールLa Corbièreまで続いている。
これは東部鉄道とは別会社の、ジャージー鉄道Jersey Railwayの路盤だ。1870年にサントーバンまで開通した当時は標準軌だったが、1884年、採石運搬用として建設中に倒産した軌間3フィート6インチ(1067mm)のサントーバン・ラ・モワ鉄道St. Aubin & La Moye Railwayを引き継いだとき、同じ軌間に改修された。1885年に両線の接続が完成して、延長は12.5kmとなった。1936年まで残っていたが、サントーバン駅の火災で車両を焼失したのを機に廃止となった。廃線跡は地図上に「推奨遊歩道Recommended Walk」の表示があるとおり、砂浜、港、短いトンネルを抜けて緑の谷、そして岬の突端へと、進むにつれて景色が変化する魅力的なルートのようだ。

Blog_alderney_railway こうしてジャージー島の鉄道はすべて過去の記憶となったが、面積では3番目の島、オルダニーAlderneyには現役の鉄道が存在する。その名もオルダニー鉄道Alderney Railwayは、1847年という比較的早い時期に開通した、由緒ある標準軌鉄道だ。ブレイ湾Braye Bayの防波堤を造るために、島の東端にある石切り場との間に敷かれ、その後も港へ石材を運ぶために使われていた。ずっと貨物専用だったが、1980年3月に観光客向けの旅客営業を始めて今に至る。

前回紹介した地形図にも当然描かれている。線路は、1/2マイル(800m)も続く長い防波堤Breakwaterの突端を始点として、島の中心にある唯一の集落サンタンヌ(セントアン)St.Anneには見向きもせずに、東の方向へ延びる。東海岸は大陸に面しているので防御用の古い砦が点在しているのだが、内陸側は長年の採掘で地形がすっかり変貌してしまっている。鉄道記号はその中に突っ込む形で終わる。

現在、観光列車が運行されているのは、港(ブレイロードBraye Road駅)からマネ石切り場Mannez Quarryまで約2マイル(3.2km)の区間で、片道の所要時間は15分。イースターから9月の終わりまでの毎週末、小さな島には不釣合いな広いゲージの上を、ずんぐりしたロンドンの地下鉄車両が小型ディーゼル機関車に牽かれていく。マン島にも負けないたいへんユニークな鉄道風景だ。

■参考サイト
ジャージー東部鉄道の資料 http://www.jeron.je/Local/RAIlwaysEastIllus.htm
ジャージー鉄道の資料 http://www.jeron.je/Local/RAIlwaysWestIllus.htm
オルダニー鉄道公式サイト http://www.alderneyrailway.com/
同鉄道の写真(ファンサイト) http://www.sbrobinson.pwp.blueyonder.co.uk/Alderney.html

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2006年11月24日 (金)

フランスの鉄道地図 II

Blog_france_railatlas 各国鉄道地図の2回目は地図帳を紹介してきたので、フランス編もそれに倣おうと思う。イティネレール・エ・テリトワール社Itinéraires & Territoiresが、A5サイズの「交通地図帳-旅行用交通ガイドAtlas des Transports - Guide des transports de voyageurs」を刊行している。詳細な情報源であることは間違いないのだが、前2か国のような「上級鉄道ファン向け」ではない。

全192ページの内容を目次に沿って紹介すると...
A. 鉄道ネットワークの概念図
B. フランス国鉄営業ガイド
C. 国内交通ネットワークの詳細図
D. TER(域内急行列車)のガイド
E. 都市交通路線図
F. 駅周辺図
G. 主要都市(隣国を含む)の交通機関データ
H. 空港、島嶼、名所、海水浴場、スキー場への交通機関データ

Cの「国内交通ネットワークの詳細図」はメインの鉄道路線図で、全国を見開き16面に分割している。前回紹介したIGNの「列車でフランスLa France en train」と同じベースマップを使い、鉄道ルートや駅の表示もほぼ同じだ。国鉄以外では、規模の大きいプロヴァンス鉄道Chemins de fer de la Provence(ニース~ディーニュ間)と、地中海に浮かぶコルシカ(コルス)島のコルス鉄道Chemins de fer de la Corseだけが描かれている。もとより1:1 000 000(100万分の1)程度の縮尺では小さな観光鉄道は描ききれないだろう。IGNの地図にない特徴は、主要路線バスのルートが、国鉄との連絡切符のあるなしで区分表示されていること。その代わり、IGNにちりばめられていた観光地の表示は最小限にとどめられ、雰囲気の盛り上げより実用性を重視した編集になっている。

Eの都市交通路線図は、イル=ド=フランスに始まり、主な都市の路線図と停留所名を掲載している。ストラスブールStrasbourgやボルドーBordeauxなど、それぞれご自慢のLRV(新型路面電車)や新交通システムの写真が添えられているのも楽しい。初めて訪れる町では、駅に到着しても、まずトラムやバスの乗り場を探して右往左往することが多いが、Fの駅周辺図で運行系統別の乗り場との位置を確かめておけば、スムーズにたどり着けるだろう。時刻や所要時間などより詳しい情報を事前に知りたければ、Gの交通機関HPや電話番号が手がかりになる。

Blog_france_railatlas2このように、IGNの地図が鉄道網、特に高速列車のネットワークをテーマにした広報的色彩の強いものであるのに対して、こちらはそれ以外の交通機関にも目配りする。表紙のコピーを借りれば、「国内をクルマなしで(en France sans voiture)」旅する人のためのガイドブックなのだ。

地図帳とは別に、折図形式の「フランスの交通-フランス旅行用交通地図France Transports - Carte de France des transports de voyageurs」もある。上で箇条書きした内容のうち、CとE、すなわち路線図だけを1枚の大判用紙に配置したものだ。フランスの鉄道網は首都パリを中心にして四方へ広がっているので、国土の隅々まで一覧できるという点では、地図帳より使い勝手がいいかもしれない。

【追記 2009.1.21】
Blog_france_railatlas3 2007年に、同社から待望の「列車でフランス-全線全駅Le Train en France - Toutes les lignes, toutes les gares」が刊行された。IGN発行のものと同じタイトルだが、特に関連はない。こちらはスパイラル綴じで、上記の交通地図帳より一回り小さい12cm×17cmのポケットサイズの地図帳だ。全国を見開き27面に分割し、国鉄路線の全駅を表示している。約1:1 000 000(100万分の1)という小縮尺なので、主要都市近郊は拡大図がある。巻末には、この年開業のTGVヨーロッパ東線が詳しく特集され、データ集とともに路線図や駅周辺図を見ることができる。

これらの冊子は、出版元のサイトから入手できる。

■参考サイト
イティネレール・エ・テリトワール社 http://www.itineraires-et-territoires.com/
 オンラインショップは、acheter en ligne (buy online) から

フランスの鉄道地図 III

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2006年11月17日 (金)

フランスの鉄道地図 I

Blog_france_railmapフランス国土地理院Institut Géographique National (略称IGN)の地図カタログでは、地形図をベースにした観光地図が幅をきかせている。1:25 000のような正統な地形図でさえ観光情報がたっぷり含まれているぐらいだから、編集方針に迷いはない。最も小縮尺の地図は1:1 000 000(100万分の1)だが、こちらも修道院、城砦、庭園、戦跡、歴史街道、公園、カヌー・カヤック、ゴルフ、魚釣り、ハイキングルートなどなど、ジャンルを特化した観光用主題図のみごとなコレクションを構成している。価格が5ユーロ(750円)ぽっきりと、比較的低価格に抑えられているのも嬉しい。

このシリーズに、鉄道地図「列車でフランスLa France en train」(写真は1996年版)がある。大判用紙の片面にフランス全土を収めた折図だ。ホームページのキャッチコピーによれば、「ガラビ鉄橋から英仏海峡トンネルまで、フランスを鉄道で旅するためのフランス全図。鉄道を愛する人のためのフランス全図」。

英仏海峡トンネルLe tunnel sous la Mancheはいまさら説明するまでもないとして、ガラビ鉄橋Viaduc de Garabitというのは、フランス中央高地にある大規模な上路アーチ橋で、エッフェル塔で高名なエッフェル技師の代表作の一つだ。橋とトンネル、つまり空中と地中(海底)を対比して、フランスの鉄道風景を立体的に読み込んだ巧いコピーだと思うが、同時にこの地図が、ドイツやイギリスで見られるように鉄道網を忠実に描くのではなくて、旅行者に照準を合わせたものなのだと強調しているようにも聞こえる。

事実、この地図では路線の扱い方が特徴的だ。TGV用の高速新線、在来線でTGVまたは特急が走るルート、ユーロスターEurostar、タリスThalysのルートが色分けされて目立つ一方、ほかの国鉄路線は十把ひとからげに黒の実線で示される。地方私鉄に至ってはかわいそうに、描く対象にもされていない。駅についても、プロットされているのは特急が停車する主要駅だけで、それ以外はベースの地図にある町の位置から類推するしかない。それに比べて観光情報の記号は多彩だ。鉄道博物館や鉄橋といった関連ものに限らず、全国の観光地がまんべんなく紹介されている。SNCF(フランス国鉄)の協力でIGNが製作した、というクレジットが物語るように、国鉄が世界に誇る高速鉄道網の広報企画なのだろう。

Blog_france_railmap2 というわけで、筆者がこれを入手したとき、鉄道地図としては物足りなさを覚えたのも確かだ。そのIGNも1970年代までは、縮尺1:800 000で全線全駅を表示した「フランス鉄道図Carte des chemins de fer Français」を作成していた。これは、北東、北西、南東、南西の4図で1セットになるもので、SNCFの著作権表示がある公式地図だった(右写真は1978年版の北西編)。現在は「全国鉄道ネットワーク地図Carte du réseau ferré national」と改題して、フランス鉄道線路事業公社RFFのサイト上でPDFファイルにより提供されている。鉄道網をより詳しく調べようとする向きには、大容量のため少々扱いにくいが、こちらをお薦めする(「フランスの鉄道地図 IV」で詳述。下記リンク参照)。

■参考サイト
フランス国土地理院 IGN http://www.ign.fr/
「列車でフランス La France en train」
http://www.ign.fr/rubrique.asp?rbr_id=1555&GRA_ID=1M912
官製地図を求めて-各国地図事情 フランス
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_france.html

英仏海峡トンネル(ユーロトンネル社のサイト) http://www.eurotunnel.fr/
ガラビ鉄橋 http://www.garabit.com/viaducgarabit/viaduc.htm

本ブログ「フランスの鉄道地図 IV」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/01/iv-1ed5.html

フランスの鉄道地図 II

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2006年11月 3日 (金)

ドイツの鉄道地図 II

昨年、ドイツの保存鉄道について調べる機会があった。蒸機の本線走行から軌間600mmの森林鉄道まで、多様な形態の動態保存が至るところで行われている。それは筆者の想像を超えるボリュームだった。リスト編集の際に参考にしたのは、10年ほど前に買ったシュヴェーアス・ウント・ヴァル社Schweers+Wallの「ドイツ鉄道地図帳Eisenbahn Atlas Deutschland / Railatlas Germany」。去る10月20日の項で同社発行のスイス鉄道地図帳を紹介したが、そのドイツ編だ。

Blog_germany_railatlasここで紹介するにあたって、ドイツのアマゾンAmazon.de から2005/2006年版と銘打った新版を取寄せた(写真)。旧版(1994年版)は現存線中心の淡々とした記述だったが、新版はスイス編と同様、多色刷りで、休止線や廃止線のルートも可能な限り描かれていて、充実度は格段に向上している。ハードカバー、208ページ。そのうち、鉄道地図が151ページを占め、残りは駅名索引や鉄道会社一覧などの資料に充てられている。スイス編の地図の縮尺が1:150 000なのに対して、ドイツ編は1:300 000だ。スイスの8.6倍の面積を有するヨーロッパの大国なので、1冊に収めるための判断によるものだろう。精度を補うために、都市部については、縮尺1:50 000~1:100 000の拡大図が多数用意されている。

使われている記号はスイス編とほぼ同じで、幹線・地方線、単線・複線、電化方式、狭軌、貨物専用、休止・廃止線、予定線、運行者と線路所有者(日本でいう第二種、第三種)、DBの線区番号と時刻表番号など、路線関係の記号だけでも豊富に設定されている。これに旅客駅・貨物駅、操車場などの施設記号が加わる。都市部ではトラムや地下鉄が青色で表示されていて、区別が容易だ。

スイス編にない新たな記号は、たとえば近郊列車Sバーン S-Bahn、地下鉄U-Bahnの表示がある。スイスでも近郊列車をSバーンと呼んでいるが、地図に表示せず別表にまとめているのだ。可動式橋梁という記号も独特だろう。低地が続く北海やバルト海の沿岸に見られる、船舶を通すために橋桁が動く橋のことだ。橋桁が回転する旋回式、上に引き上げる昇開式、両側に跳ね上げる跳開式と、記号で方式まで分かる。

凡例に上がっていないものでも地図上で使われていることがある。一つは急勾配の表示だ。スイスの山間部に比べれば土地の起伏が緩やかなのは確かだが、ライン川の側壁やテューリンゲン森、黒森(シュヴァルツヴァルト)など局所的に、普通鉄道で60‰前後という相当急な坂道が存在する。そのような区間にはV字を縦に重ねた記号に最急勾配の数値が添えられている。山岳関係ではチェアリフトも凡例にないが、南ドイツのバイエルンアルプス地域には表示されている。

休止線、廃止線の活用法が記号化されているのもユニークな点だ。たとえば、休止線を動力車ではなく保線用の手漕ぎまたは足漕ぎの台車、ドライジーネDraisineで走行する保存鉄道がある。鉄路の上のサイクリングといった趣きで、主に北部の平野で散見される。もう一つは廃線跡の自転車道への転換だ。これはわが国にも例があるので、ウォーキングやサイクリングの盛んな彼の国では当然考えられることだ。基本的に拡幅を伴わないので現役時代の名残をとどめるし、路線の位置が永く地図の上にも残る。しかし、集中しているのはアイフェル山地Eifelなど中西部の山の中が中心で、平野部にはあまり見つからなかった。既存道路に自転車用のレーンが確保されていたりするので、独立した自転車道を設ける必要性が薄いのかもしれない。

【追記 2008.11.2】
ドイツ編は出版社の地元でもあり、読者層が厚いのだろう。この記事を書いていくらも経たないうちに、表紙のデザインもスマートに、2007/2008年版として改訂された。さらに驚くべきことに、DVD版が発売されているのだ。広告では、価格が冊子の40ユーロに対して58ユーロと割高なだけに、それに見合う高機能性をアピールしている。概観図から詳細図へとワンクリックで拡大や並列表示ができたり、現役線のみ、廃止線含む、植生表示や施設の説明表示のオンオフなど、レイヤーを自由に選択できたり、さらに各種データもテキストで利用できたり、と確かに便利そうだ。鉄道地図もディジタル媒体で提供されるのが普通になっていくのだろうか。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/
ミルゼブルク自転車道Milseburgradweg http://www.milseburgradweg.de/
 ヘッセン州にある廃線跡自転車道の一例。峠越えのトンネルあり、馬蹄形ループ(180度転回)あり、と変化に富んだルートが特徴。

鉄道のある地図 ドイツ北部 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_germanyn.html
同 東部 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_germanye.html
同 西部 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_germanyw.html
同 南部 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_germanys.html

ドイツの鉄道地図 III

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2006年10月27日 (金)

ドイツの鉄道地図 I

Blog_germany_railmap3 東西統一前、1980年代の西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道Deutsche Bundesbahn)の全国版時刻表は厚さ5cmもある電話帳のようなしろものだった。筆者のお目当ては付録として差し込まれていた4色刷の鉄道地図Übersichtskarte(右写真。上は全体、下は一部拡大)で、これは今も大切に保存してある。

縮尺1:425 000で、北部編と南部編の2枚に分かれ、それぞれ大判用紙の両面に印刷されている。ベースマップは、国境と水系だけを描いたシンプルなものだ。赤で示された鉄道の記号は、特急列車が走る路線(幹線)、近距離列車の路線(支線)、国鉄以外の鉄道(私鉄、保存鉄道)に分けられ、電化・非電化の区別もある。鉄道から爪のように出ているのは駅の記号で、バス連絡があれば丸、その他は長方形で示される。そして、駅の記号が出る方向で線路のどちら側に駅舎があるかがわかるのだ。鉄道網を補完しているのが緑の二重線で示されるバス路線で、文字通り網の目のように図面を覆っている。時刻表番号がすべての路線に振られて、完璧な索引地図となっていた。

Blog_germany_railmap4 それに対して、最近のドイツ鉄道Deutsche Bahn発行の鉄道地図「旅客線一覧図Übersichtskarte für den Personenverkehr」(右写真は表題と凡例)は、路線こそ網羅しているものの、小さな駅の表示を省略した簡略版になっている。縮尺は1:1 200 000(120万分の1)で、統一ドイツの全土をカバーしても、大判用紙の片面に納まる。ベースマップはフルカラーの効果を出したもので、国境と水系を示すほか、地勢を表すために、山地・丘陵地ではぼかし(陰影)をつけ、平野は薄緑に色を変えている。鉄道の記号は、高速線の記号が追加された以外、旧図と同じ仕様だが、バス路線は記されていない。裏面は、地域交通事業者の連合体(運輸連合Verkehrsverbund)のエリアを表現した運輸連合地図Verbundkarteになっている。

Blog_germany_railmap1 通常の旅行ならこれで十分間に合うとはいうものの、以前のような全線全駅地図はもう作られなくなったのだろうか。そうではなく、時刻表とは切り離して単独で販売されるようになったのだ。

名称は「ドイツ バス・鉄道路線図Fahrplankarte für Bus und Bahn Deutschland」という。ドイツ交通クラブVerkehrsclub Deutschland (VCD) が監修し、ドイツ鉄道のホームページにも紹介されているだけあって、往年の時刻表添付地図Fahrplankarteにさらに磨きをかけた内容だ。縮尺は1:750 000、表面は鉄道の全線全駅と、鉄道網を補完する主要バス路線が描かれる。裏面は観光用と銘打ち、長距離歩道や自然公園のエリアを重ね刷りしている。

表面の鉄道に関する情報はかなり詳細だ。路線ごとに、どのタイプの列車が走っているか、運行頻度は、所要時間は、停車駅は...など基本的な情報が全て盛り込まれている。列車のタイプは遠距離列車(ICE、IC、ECなど)が赤、速達型地域間列車が緑、普通列車は黒の色分けで、運行頻度は線の太さで区別する。主要駅間の所要時間は傍らに添えられた数字でわかる。わが国の電車の車内で見かける路線図と同じように、ICEから各停まですべて走っている路線なら、実線を3本並行させることによって、マトリクスの情報を上手に整理している。

都市エリアの近郊線S-Bahn、地下鉄U-Bahnは、さすがにこの縮尺では表現しきれないので、セットになった別冊Begleitbuchのほうに拡大版を載せている。この別冊にはそのほか、地域ごとの情報源の一覧や駅名索引など豊富な内容を詰め込んで、170ページ以上もあるのだ。

Blog_germany_railmap2 これは全国版だが、地域版も一部で刊行されている。手元にある「ライン・モーゼル バス・鉄道旅行路線図Fahrplankarte für Ausflüge und Reisen mit Bus und Bahn Rhein-Mosel」はドイツ中西部を1:150 000の縮尺で表したものだが、さすがにこの縮尺になると、バス路線も省略なしに描かれ、所要時間や時刻表と対応する路線番号が付されている。別冊にはトラムを含めた市内路線図や観光案内がぎっしり収められて、ドイツらしい徹底ぶりだ。これらの地図はVCDのオンラインショップに挙がっているほか、ドイツのアマゾンなどでも扱っており、容易に入手できる。

■参考サイト
ドイツ交通クラブ(VCD) http://www.verkehrsclub-deutschland.de/
 トップページのshopに、オンラインショップがある。

ドイツ鉄道の公式時刻表PDF http://www.bahn.de/
 トップページのPlanen&Buchen > Reiseplanung > Kursbuch-Aktualisierungen > 地図で地域を選択

ドイツの鉄道地図 II

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2006年10月20日 (金)

スイスの鉄道地図 II

Blog_swiss_railatlas 前回紹介した「スイス公共交通公式地図 Offizielle Karte des öffentlichen Verkehrs der Schweiz」は個人旅行を楽しむ人向きのアイテムだった。もっと詳しく鉄道網について調べたいと思うと、もはや1枚ものの折図では無理で、鉄道地図帳Railway Atlasのような冊子に頼ることになる。

2004年にドイツのシュヴェーアス・ウント・ヴァル出版社Verlag Schweers+Wallから発行された「スイス鉄道地図帳Eisenbahnatlas Schweiz(英語名はRailatlas Switzerland)」が手元にある。

メインは60ページ余に及ぶ縮尺1:150 000の区分図だ。ベースマップは、地形をぼかし(陰影)で表現した上に水系(川、湖)と森林のベタを重ねていて、およその地勢が判読できるのが、これまでの鉄道地図と一線を画している。鉄道のデータはまさに至れり尽くせりで、路線は旅客営業路線(単線複線)、貨物線、休止線、廃止線をそれぞれ標準軌と狭軌の別で描き、ラックレール、私鉄、「上下分離」、保存鉄道、構想線など運行形態の違いはもとより、電化方式、駅の種類も細かく表示されている。欄外に私鉄や登山鉄道、廃止線のデータが載せられているのも貴重だ。主要都市については1:50 000の拡大図があり、巻末には駅名索引もついている。全96ページの冊子から、スイスの鉄道の過去・現在・未来が見えてくる。

隣国ドイツやフランスのような長距離の高速新線ではないものの、スイスの主要幹線も旅客列車の速度向上と貨物輸送の拡大をめざして着実に新線建設が進められている。
チューリヒZürichから南に向かうと、まず中央駅からタルウィルThalwilまで市街の山手を貫く9422mの新トンネルが目を引く。さらにその途中からツークZugへ短絡するツィマーベルク基底トンネルZimmerberg Basistunnel計画もあるという。その先、アルプスを越える延長57kmのゴッタルドGotthard基底トンネルのルートも描かれている。それによれば、トンネルは現在よりかなり東寄りのコースを採って峠の北側のアルトドルフAltdorfから南のビアスカBiasca付近に直接抜けるため、名物のループ線やオメガカーブはすべてパスされてしまう。

チューリヒから西の方面では、首都ベルンBernの手前まで曲線を緩和した新線が完成して、速達を旨とするインターシティはそちらを通るようになった。ブルグドルフBurgdorfは旧線に取り残され、浅い谷あいをくねくねと行くローカル線的な風景は、インターレギオ、つまり「急行列車」に乗らないと見られない。

新線建設の影で、ひっそりと使命を終えたローカル線も目につく。中央部では、ウォーレン・マイスターシュワンデン鉄道Wohlen - Meisterschwanden-Bahn(1999年廃止)、ゼータル線Seetalbahnの北の端、レンツブルクLenzburg~ウィルデックWildegg間(1984年廃止)、同 ベロミュンスターBeromünster支線(2000年廃止)など。この本では、廃止時期のデータは西暦の前に十字架の印をつけて示されているのがおもしろい。

ところで余談になるが、ベロミュンスター支線は、メーターゲージのウィネンタル・ズーレンタル鉄道Wynental- und Suhrentalbahn(WSB)と一部で並行しており、前者が専用線なのに対して、後者は道路上の併用軌道で道路交通上の障害となっていた。前者の営業廃止に際して、この区間を活用して後者を専用軌道化することになり、新たに連絡線が作られた(2002年開通)。名鉄美濃線の先端区間廃止の際に、並行する長良川鉄道の関駅まで連絡線を作った経緯に似ている。かくしてこのライナハReinachとメンツィケンMenzikenの間ではWSBのほうが廃線になり、ベロミュンスター支線は別の形で生き延びることになった。

■参考サイト
Verlag Schweers+Wall http://www.schweers-wall.de/
WSBを運行するAAR bus+bahn http://www.aar.ch/

スイスの鉄道地図 III

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2006年10月12日 (木)

スイスの鉄道地図 I

スイスは誰もが認める鉄道王国だ。路線網の骨格を形成するのは、国鉄に当たるスイス連邦鉄道Schweizerische Bundesbahnen (SBB)だが、それ以外におびただしい数の私鉄が地方交通、ときには幹線交通をも担っていて、その個性の豊かさが大きな魅力となっている。

スイスを旅するときは必ず鉄道のお世話になる。プランニングに時刻表と地図は必需品だ。ウェブ上で出発地と目的地や乗車日を入力すると、お望みの列車はこれです、とばかりに表示されるオンライン時刻表が大はやりだ。現在のSBBのサイトでもまずこれが出てくる。利用者の多くはこのサービスを求めていると考えてのページ構成だろう。しかし、鉄道ファンにとって、最適の1本を機械的に選ぶシステムというのは、闇夜を懐中電灯の光だけで歩かされているような焦燥感を伴う。一覧表形式の時刻表を繰りながら、接続は、待ち時間は、と道中のあれこれに思いを巡らせることからこそ、私たちの旅は始まるのだと言いたい。

かつて旅の友であったスイス公式時刻表Offizielles Kursbuch Schweizは現在もあるが、ホームページではCD-ROMしか紹介されていない。板を買わなくてもPDFファイルでダウンロードできるので、非常に手軽になったが、年鑑的な性格が薄れつつあるのは少し残念だ。

Blog_swiss_railmap 一方、鉄道地図のほうは、キュマリー・ウント・フライ社Kümmerly+Freyが刊行する「スイス公共交通公式地図 Offizielle Karte des öffentlichen Verkehrs der Schweiz(英語名はSwitzerland, the official map of public transport)」がある。写真は筆者が1995年に購入したものなので、いささか内容が古いが、同社のサイトを調べてみると、主題図Thematische Kartenのリストの中に今も健在だった(現時点の価格は19.80スイスフラン)。簡単な路線図でよければスイスパスのような割引切符におまけでついてくるパンフレットで用が足せるが、途中駅もきちんと表示されたものとなると「公式地図」の出番だ。スイス国内の鉄道、バス、航路が公式時刻表の路線番号とともに図示されていて、時刻表の索引図としての用途を併せ持っている。

鉄道は、幹線を太く、地方線を細く描きわけ、駅もインターシティ(IC)停車の主要駅と急行停車駅は赤で塗って識別しやすくしている。ラック式鉄道、ケーブルカー、チェアリフトも、時刻表に載っているものはすべて掲げてある。旅にアクセントをつける湖の定期船航路は青の線で、バス路線は道路記号の内側を橙色に塗って表現している。スイスは鉄道の密度が高いことで知られるが、それにバス路線を組み合わせれば、たいていの町や村に行けそうだ。拡げると横130cm×縦92cmにもなる大判の地図だが、スイスの鉄道を知るうえでの必須アイテムであるのは疑いない。

この地図は縮尺が1:301 000と妙な端数を伴っているのが気になるが、わが国で普及している方角をデフォルメした鉄道地図とは違って、区間距離や周辺路線との位置関係を正確に把握できるのがいい。地勢をぼかし(陰影)で表現していることもあって、筆者などは眺めているだけで早や旅した気分になってしまうのだ。

■参考サイト
スイス連邦鉄道 SBB  http://www.sbb.ch/
公式時刻表 http://www.fahrplanfelder.ch/
英語版あり。メニューの "List of localities" で駅名を選ぶと、その駅を通る路線の時刻表リストが表示される。
Kümmerly+Frey  http://www.swissmaps.ch/
英語版あり。メニューのThematische Karten (Thematic maps)に上記地図があり、オンラインショッピングができる。

スイスの鉄道地図 II

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2006年7月28日 (金)

フランスの巨大橋と人力鉄道

Blog_millau_map いまや南仏の新名所となっているミヨー橋Viaduc de Millau。2004年12月16日に開通した全長2460mの道路橋で、最も高い主塔は343mとエッフェル塔を20mしのぐ。世界の橋の情報を集めたドイツのサイト「橋ウェブBrueckenweb.de」では登場以来、閲覧回数の首位をキープしている。日曜朝の番組「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)で流れる出光興産のCMにも出てくるから、ご記憶の方も多いだろう。雲海に浮かぶ吊り橋(斜長橋)があまりに現実離れしているので、あれはCGで作ったのだろうと思った人もいたとか。

■参考サイト
ミヨー橋(施工したエファージュ社の広報サイト) http://www.viaducdemillaueiffage.com/
「橋ウェブ」ミヨー橋 http://www.brueckenweb.de/datenbank/bruecken/brueckenblatt.php?bas=3800
出光興産CM http://www.idemitsu.co.jp/tvcm/  「更なる高みへ 編」を参照

橋は中央高地の中心都市クレルモン=フェランClermont-Ferrandから南仏ベジエBéziersに通じる高速道路A75号線上にある。総工費4億ユーロ(約600億円)という巨費を投じた壮大な橋がなぜ必要だったのか。Wikipediaに紹介されているので、引用する。

「タルン川渓谷一帯はフランス中央山塊南東部にある「グラン・コース(Grands Causses)」と呼ばれる石灰岩の高原地帯であり、パリからフランス南西部、更にスペインへ向かう道路がその上を走っている。ミヨー橋の完成前、国道N9号線を通る自動車は高原の上からタルン川に向かって高低差300m以上の非常に長い坂道を下り、ミヨーの街の近くを通って再び300mの高さへ坂道を上がっていたため交通の難所となっており、特に7月後半から8月にかけてのバカンスシーズンは激しい渋滞が発生していた。このため、タルン川渓谷をいちばん低い地点で渡り、コース・デュ・ラルザック高原(causse du Larzac)とコース・ルージュ高原(causse rouge)を直結する長大な橋が構想された。」

フランス国土地理院(IGN)の1:100 000地形図で当該地域が載っているのは58番。南に接合する65番を併せ見れば、地形の概要がわかる。タルン川TarnというのはボルドーBordeauxを通って大西洋に注ぐガロンヌ川Garonneの支流で、ミヨーMillauの町の周辺では高原の平坦面を刻んで、比高400~500mにもなる深い谷を作っている。既存の国道(N9号線)がこの谷を底まで降りて再びつづら折りで上るのに対して、谷の上空を一気に渡ろうとしたらこの規模になったというわけだ。架橋位置がこれより西では南側の高原が途切れてしまうし、東に寄ればミヨーの町に近づくため景観上の問題が生じる。町を越えると谷が二手に分かれるので、こんな橋を2つも作るわけにはいかない。無鉄砲にさえ思える構造物だが、できるべくしてできたものなのだ。

■参考サイト
ミヨー橋付近のIGN 1:25 000地形図
http://www.geoportail.fr/5061750/visu2D/voir.htm?
画像縮尺は1:20 000。橋は工事中の記号で描かれている。ミヨー市街はさらに右(東)方。

タルン川に沿って鉄道が走っていて、その車窓からもこの橋を見上げることができる。この路線は高速道路と同じ都市間を結んでいるが、筆者の手元にある1991年の時刻表でさえ直通の特急は1本だけ(ほかに季節便1本)。あとは2~3時間ごとに普通列車が通るだけの閑散路線だ。少し南にトゥルヌミール=ロクフォールTournemire-Roquefortという鄙びた駅があるが、かつてここから東方へ支線が延びていた(1954年廃止)。その一部が「ラルザックのヴェロ・ライユVélo Rail du Larzac」という名の保存鉄道となっている。フランス語でヴェロは自転車、ライユは英語由来のレール(転じて鉄道)のことだが、その正体は保線用の手漕ぎまたは足漕ぎの台車。映画「小さな恋のメロディ」のラストシーンでダニエルとメロディが乗って行ったあれだ。ドライジーネDraisine(フランス語読みはドレジーヌ)ともいい、廃止路線を観光に活用する方法としてよく用いられている。

現代土木技術の粋を集めた巨大橋をドライブしたあと、2つめのインターチェンジで降りて5~6kmほど走ると、この素朴な人力鉄道が迎えてくれる。高原の風通る広々とした大地に、いったいどちらの存在が似合うのだろう。

■参考サイト
ラルザックのヴェロ・ライユ http://gites34.free.fr/velorail_d.html

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2006年6月29日 (木)

スイス・エンゲルベルク線(LSE)のバイパストンネル

Blog_engelberg_map スイス中央部を走るルツェルン・シュタンス・エンゲルベルク鉄道Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(LSE)は、2005年1月にスイス連邦鉄道SBBから分離されたブリューニック線Brünigbahnを併合して、中央鉄道Zentralbahn(ZB) となった。LSE線はベネディクト派修道院の門前町、いまは山岳リゾートの拠点でもあるエンゲルベルクをめざして、アー川に沿う平たい谷底を坦々と走る路線だが、終点の手前4kmのところに突如現れるのが、高低差300mもある胸突き八丁。リッゲンバッハ式のラックレールを使って、電車は深い森の中をぐいぐい上っていく。この鉄道随一のハイライト区間だ。

■参考サイト LSE線ハイライト区間の地形図(swissgeo.ch)  Blog_chmap

しかし、観光客にとっての見どころは、列車運行にとっては隘路であることが多い。鉄道会社はこの難所を解消するために、延長4043mのバイパストンネルを建設する計画を実行に移した。トンネル内に2ヶ所の交換所も設ける。ZBのパンフレットではトンネルによる改良点として、246パーミルの勾配が105パーミルに緩和されること、毎時1本の運転に従来3編成を要したのが2編成で実現すること、1時間当り400人の輸送力が1000人に増加すること、ダイヤが組み易く所要時間が短縮すること、落石や積雪、強風時の倒木など天候の影響を受けず軌道の保守が容易になること、の5点をあげている。

現在、ラック区間が始まるオーバーマットObermatt駅では、エンゲルベルク行きの列車が山から下りてくる対向列車を待つシーンが見られる。しかし、トンネルができるとその2km近く手前から地中にもぐり、ラック区間の終点を1kmほど過ぎたあたりに出て現在線に合流するので、車窓の楽しみは完全に消滅してしまう。

2002年の時点では、2006年初めにも開通予定と発表されていたので、そろそろ新線に切替えられる頃と思いきや、その後、掘削中に数度の出水事故や水害に見舞われるなど予想外の難工事となり、工期はたびたび延期されてきた。2006年4月の記者発表では、開通が2009~2010年までずれ込み、工事費も当初予定の6800万フラン(63億円)から1億6000万フラン(149億円)に膨張する見通しが示されている。あるライターは、所要時間を10分ばかり短縮するためにとびきりの魅力を台無しにする工事を、鉄道ファンや旅行者たちは泣き笑いの目で見ている、と書いているが、皮肉にもここしばらくは、観光客の関心をつなぎとめることができそうだ。

■参考サイト
中央鉄道Zentralbahn http://www.zentralbahn.ch/
2002年当時のパンフレット http://www.zentralbahn.ch/downloads/Durchblick_01.pdf

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2006年6月21日 (水)

ハルツ狭軌鉄道のクヴェトリンブルク延伸

Blog_selketalbahn 2006年6月26日、サッカーワールドカップに沸くドイツで、狭軌鉄道の延伸線が開業する。

ドイツ北部のハルツ狭軌鉄道では、メーターゲージの蒸気機関車が今も活躍しているが、総延長130km余の路線のうち、観光客に人気があるのは、ヴェルニゲローデWernigerodeを発してブロッケン現象で知られるハルツの最高峰ブロッケン山Brockenに上っていく路線(ハルツ横断線+ブロッケン線)。それに比べて、ゲルンローデGernrodeから出発するゼルケタール線Selketalbahnは、アプローチの不便さからいささか影が薄かった。

しかし、今回の延伸は、不遇の路線が一躍脚光を浴びる可能性を秘めている。というのは、延伸の目的地クヴェトリンブルクQuedlinburgは世界文化遺産に登録された観光都市だからだ。10世紀にドイツ王国(ザクセン朝フランク王国)の初代ハインリヒ1世が即位した由緒に加えて、20世紀の二度の大戦でも災禍を免れたため、中世の街並みを現代に伝えている。自ら「ドイツのゆりかごDie Wiege Deutschlands」と称する歴史の町に、新たな観光資源が誕生するのだ。

さらに興味深いのは、上図でわかるようにこの延伸が、軌間1435mmのDB線をわざわざ軌間の狭いメーターゲージ(1000mm)に改修することによって実現したことだ。同路線のホームページから建設の経過(要点)を引用すると...

「2005年4月18日、ゲルンローデ駅で関係者が見守る中、ゼルケタール線延伸の起工式が執り行われた。ザクセン・アンハルト州が600万ユーロ(8億4000万円)を投じて進められたプロジェクトの目的は、同路線を世界文化遺産都市に接続して、新たな観光ルートの可能性を開くことだ。
延伸計画は1994年に公けにされたが、当時は標準軌線が営業していたので、標準軌のレールの間に3本目のレールを敷く3線軌道方式が検討された。しかし、2004年1月にフローゼFrose~ゲルンローデ~クヴェトリンブルクを結ぶ標準軌線の運行は休止されてしまった。
資金調達のめどが立って工事が始まり、2005年5月にゲルンローデ駅の改造、続いて8月にはクヴェトリンブルク駅構内の改軌が完了した。8月末には会社設立が認可され、12月のはじめには全区間の線路が敷設された。2006年3月4日、8.5kmの延伸線の上を最初の公式列車が走った。定期運行は6月26日に始まる。」

時刻表では同区間に下り9本、上り10本の運行ダイヤ(所要15分)が設定されているが、その半数はゲルンローデ以南の山中に入らない区間便で、観光客の試し乗りが想定されているようだ。その一方で、クヴェトリンブルクからブロッケン山頂を日帰り往復する長距離旅行も不可能ではない。8時34分に始発駅を出て途中1回乗り換えで13時28分に山頂に着き、帰りは山頂14時35分発、直通で19時24分にクヴェトリンブルクに戻る。乗車時間10時間、滞在時間1時間という強行軍なので、持久力に自信のある方にのみお薦めしたい。

■参考サイト
ゼルケタール線延伸 http://www.selketalbahn.de/streckenverlaengerung.htm
ゼルケタール線時刻表 http://www.selketalbahn.de/fahrplan.htm
鉄道のある地図 ドイツ東部
http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_germanye.html

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2006年2月24日 (金)

ザルツカンマーグート地方鉄道

廃止された鉄道の中には、存続していれば観光鉄道として人気が上っていただろうと思 われるものがある。オーストリアのザルツカンマーグート地方鉄道Salzkammergut-Lokalbahn、略称SKGLB もそのひとつ。ザルツブルク中央駅に接していた駅Lokalbahnhofから、モント湖Mondsee、ヴォルフガング湖Wolfgangsee南岸を通ってバート・イシュルBad Ischlまでの本線63.2kmと、途中のザンクト・ロレンツSt. LorenzからモントゼーMondsee市街に向かう支線3.5kmをもつ軌間760mmの蒸気鉄道だった。

Blog_salzkammergutbahn

モント湖からヴォルフガング湖に抜ける峠越えの勾配区間は、車窓から湖を俯瞰する景勝ルートだったし、ザンクト・ヴォルフガング駅前の桟橋から船で対岸に渡れば、今もあるラック式の登山鉄道、シャーフベルク鉄道Schafbergbahnが待っていた。この辺り、かつてはウィーン宮廷の奥座敷として、今もこの国の代表的な観光地として草木もなびく土地。そう遠くないところでは、ツィラータール鉄道をはじめ、ナローゲージのSLが元気に走っている。

blog_salzkammergutしかしこの鉄道は1957年に廃止された。どうしてなくなってしまったのか。原因は、自動車交通の発達で乗客が減少したこと、戦時中の酷使で傷んだ施設や車両を更新するには莫大な費用が必要だったこと、狭軌で蒸気運転の鉄道を時代遅れとみなす風潮があったことなどにあるという。取寄せた資料(J.O.Slazak "Von Salzburg nach Bad Ischl" Verlag Josef Otto Slazak, 1995)には1896年の時刻表が載っている。全線通しは6往復、例えばザルツブルク発9時5分に乗ると、バート・イシュル着は12時9分。東京~平塚(電車で約1時間)に相当する距離に3時間かけている。近代化の波に取り残されて消えていった不運の鉄道だったのだ。

現在のオーストリア官製1:50 000地形図にも廃線跡の一部を見出すことができるが、これでは物足りない。現役時代の地図はあるかと連邦度量衡測量制度庁BEVのアーカイブに問合せたら、1915~1923年版の1:75 000図(4850 Salzburg、4851 Gmunden und Schafberg、4951 Bad Ischl und Hallstatt)のモノクロコピーを送ってくれた。起伏がケバ式で描かれているので、けっして見易くはないが、ひととき往時をしのぶことができる。右上の路線図はそれをもとに描いたものだ。

地元ではこの廃線跡の一部、バート・イシュル~サンクト・ギルゲン St. Gilgen間を路面鉄道として復活させようという「イシュル鉄道 Ischlerbahn」構想がある。実現への道のりは険しそうだが、いつの日か、この美しい湖畔に観光客の歓声を乗せた列車がもどってくることを期待したい。

■参考サイト
ザルツカンマーグート地方鉄道の紹介サイト http://www.skglb.at/
シャーフベルク鉄道 http://www.schafbergbahn.at/
「鉄道のある地図-オーストリア」 http://homepage3.nifty.com/homipage/map/map_rail_austria.html

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