2019年7月13日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要

ウィーン地方鉄道(バーデン線)
Wiener Lokalbahnen (Badner Bahn)

ウィーン・オーパー Wien Oper ~バーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz 間 30km(ウィーン市電への乗入れ区間 5kmを含む、下注)
軌間1435mm(標準軌)
直流600V電化(ウィーン市電区間(オーパー~シェディフカプラッツ間))
直流750V電化(シェディフカプラッツ~インツェルスドルフ間)
直流850V電化(インツェルスドルフ~バーデン間)
1899年全通、1907年全線交流電化、1945年直流化

*注 路線長については、ウィーン市電区間の正確な数値が不明なため、ÖBB時刻表 1999/2000年版掲載のキロ数によった。

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ウィーナー・ノイドルフ駅
小ぶりな駅舎が郊外色を醸し出す
 

街路を走る路面電車(トラム)を普通鉄道線に乗入れさせて、都心と郊外を乗り換えなしで結ぶ列車運行システムを、トラムトレイン Tram-train と呼ぶ。1990年代にドイツのカールスルーエ Karlsruhe で導入されたのをきっかけに、世界各地に広まった。それが注目されたのは、ライトレールとヘビーレールという規格の違いを現代の技術で克服した斬新な方式だったからだ。

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ところが、今から100年以上も前にこのコンセプトを実現していた鉄道が、オーストリアの首都ウィーン Wien と近郊の保養地バーデン Baden の間で、今も走っている。正式にはウィーン=バーデン地方鉄道 Lokalbahn Wien–Baden というのだが、運行会社名から「ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn (WLB) 」として知られ、さらにウィーン市民は親しみを込めて「バードナー・バーン Badner Bahn」、すなわちバーデン線と呼ぶ。これから2回にわたり、この古くて新しいトラムトレイン(下注)を紹介したい。

*注 ただし、イギリスのLRT協会 Light Rail Transit Association は、この鉄道をインターアーバン・トラム(都市間トラム)Interurban tram に分類している。

まずは、路線図をご覧いただこう(下図)。

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ウィーン~バーデン間の鉄道路線の位置関係
赤がWLB線(市街地の電停は省略)
 

上方がウィーン旧市街で、ウィーン地方鉄道(以下 WLB)のターミナル、ウィーン・オーパー Wien Oper があるのはその南端だ。そしてこの電停は、ウィーン市電62系統(オーパー Oper ~ラインツ Lainz)の起点でもある。WLBの列車は、市街地を抜けるウィーン・マイドリング Wien Meidling(下注)まで、62系統と同じルートを走っていく。

*注 正確にはマイドリング~シェディフカプラッツ間で62系統の軌道と分岐する地点。

そこから先は自社の専用線になり、郊外の商業地を直線的に南下する。ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf、グントラムスドルフ Guntramsdorf、トライスキルヘン Traiskirchen といった昔からある町を経由した後、バーデンの市街地に達する。ここで再び路面軌道となり、旧市街に接した終点ヨーゼフスプラッツ(ヨーゼフ広場)Josefsplatz で旅を終える。全線30km、所要1時間の道のりだ。

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始発駅オーパー
リング(環状道路)沿いの一等地にある
 

だが、この直通ルートは最初から意図して造られたわけではない。WLB線のルーツは、ウィーン南郊の煉瓦を運んでいた路面軌道と、バーデン市内の路面軌道という、全く性格の違う二つの独立した路線だ。

前者は1886年に開業した、ウィーン・ガウデンツドルフ Wien-Gaudenzdorf(下注)からウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf に至る蒸気路面軌道に始まる。当時はまだ市街地を半円に囲む外側の市壁 Linienwall が残っており、まさにそれを撤去して、環状道路(ギュルテル Gürtel)と新市街地の建設が進められようとしていた。軌道の主な目的は、ノイドルフにある煉瓦工場から拡張を続けるハプスブルクの首都へ、建築資材の煉瓦を運搬することだった。

*注 市街南西端、現在のマルガレーテンギュルテル Margaretengürtel 付近。

しかしその2年後、ウィーン地方鉄道(WLB)が設立され、路線は地方鉄道 Lokalbahn(下注)に性格を変えて、延伸が図られることになる。1893年にはウィーン側でマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz へ、1895年には南側でグントラムスドルフへ線路が延びた。

*注 地方鉄道(ロカールバーン)とは、幹線網を補完するために、緩和した規格で認可を受けた地方路線。

一方、バーデンではすでに1873年から、レースドルフ Leesdorf からシュヴェヒャト川 Schwechat に沿ってラウエンシュタイン Rauhenstein へ遡る路面軌道が営業していた。当初馬が車両を牽いていた軌道は1894年7月に電化され、オーストリアで2番目の電化路線となった。WLBはバーデン乗入れを実現するために、1897年にこの軌道を買収する。そして1899年に、残された間隙であるグントラムスドルフ~バーデン・レースドルフ間を完成させて、ウィーンとバーデンの間を1本の路線で結んだのだ。後の1919年には、ウィーン側の起点がオーパーまで延長され、現在の運行区間が確立された。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。3番目は1894年8月開業のグムンデン電気地方鉄道 Elektrische Lokalbahn Gmunden(現 グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden、本ブログ「グムンデンのトラム延伸 I-概要」で詳述)。

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バーデン市内の併用軌道
旧馬車軌道時代からの由緒あるルート
 

上の路線図に示した通り、両都市間には、国鉄(現 ÖBB(オーストリア連邦鉄道))の南部本線 Südbahn も走っている。この点で両者は、日本の官鉄とそれに並行して造られた都市間私鉄の関係に似ている。知られているように、こうした私鉄は電車を導入し、運行頻度を高め、停留所をこまめに置くといったサービスを展開して、官鉄から乗客を奪った。

WLBも1907年に全線電化を完成させ(下注1)、1910年に旅客数がピークに達したのだが、この状況は長く続かなかった。というのも、続く1920年代は第一次世界大戦後の国を覆う経済不況に加えて、バスや自動車という道路交通のライバルが登場する時期だからだ。WLBは食堂車を運行したり、入湯割引券つき乗車券を売り出すなど果敢に応戦したものの、併営していたバーデン市内の軌道線は休止に追い込まれた(下注2)。

*注1 南部本線の電化は半世紀遅れて、1956年にまず南駅 Südbahnhof ~グロクニッツ Gloggnitz 間で実施された。
*注2 ラウエンシュタイン線(ヨーゼフスプラッツ以西)は1931年、市内環状線 Ringlinie は1928年、フェスラウ線 Elektrische Baden–Vöslau は1951年に廃止。

第二次世界大戦中は、沿線に集積する軍需産業の通勤客で混雑したが、戦争末期にこれらが連合軍の空爆の目標となり、鉄道施設も大きな被害を受けた。全線が復旧したのは、1947年9月のことだった。しかし、貨物輸送が途絶えたうえ、モータリゼーション進行の影響で、1950年代にかけて旅客数も減少が続いた。

輸送実績が持ち直したのは、ようやく1960年代からだ。ウィーン都市圏の拡大によって、沿線で住宅地や商業施設の開発が進んだことが背景にある。それまで日中に1時間空くこともあった列車ダイヤは、1984年に大きく見直された。バーデンまで30分サイクルとなり、連節式車両も初めて導入された。その後、運行間隔は、1989年にウィーン方でピーク時15分、2000年には同 7分30秒まで短縮されている。列車の最高速度も、郊外区間で80km/hに引き上げられた。

1984年のダイヤ改正以前、全線を走破する列車は、片道あたり平日28本(一部はヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 入出庫)、休日26本しかなかった。現在は平日73本、休日64本で、区間便も多数設定されている。その結果、1954年に350万人だった年間利用者数は、2014年に1200万人を超え、昨年(2018年)は1270万人に達したという。

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ÖBB線(高架)と交差するバーデン市内の併用軌道
 

中でも、乗客増に貢献しているのが、沿線のフェーゼンドルフ Vösendorf で1976年に開業したショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd(ジュートは南部の意。略称SCS)だ。増設を重ねて、オーストリア最大の商業施設となり、最寄りの電停(下注)は、平日日中でも電車が到着するたびに、ホームが人であふれる。ここはウィーン市域外で、本来ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien のみ有効の乗車券類は使えないのだが、SCSのカスタマーカードなどを所持すれば、特別に区間外乗車が認められている。

*注 商業施設と同時に開設されたフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd 電停。略して Vösendorf SCS と書かれることが多い。

WLBの近年の盛況ぶりは、列車編成でも実感できる。現在の運行車両は、1979年から1993年にかけて製造された、いわゆるマンハイムタイプの100形24編成と、2000~2010年に導入されたボンバルディア製400形14編成だ。どちらも両運転台の3車体連節車ではあるものの、時代を反映して、前者は出入口にステップのある高床、後者はノンステップの低床になっている。

輸送力の確保と同時に、バリアフリー環境を保証するために、通常、全線を走破する便は100形と400形を連結した全長50m超の長い編成が用いられる。前後どちらのユニットが低床車(400形)であるかは、電停の列車接近案内の表示でわかるようになっている。混雑する時間帯にはさらに3ユニット連結も投入される一方、区間便は100形または400形の1ユニットで賄われている。2021年から2023年にかけて、新たにボンバルディア製低床車両(500形)18編成が導入され、古くなった100形を順次置き換える予定だという。

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100形とその車内
1+2席で通路が広い
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100%低床の400形は2+2席
Right photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

WLBの鉄道・バスを運営するウィーン地方鉄道有限会社 Wiener Lokalbahnen GmbH は、1942年にウィーン市により公有化され、現在はウィーン都市公社 Wiener Stadtwerke GmbH 傘下の公営企業だ。一方、ウィーン市内交通の運営主体、ウィーン市交通局 Wiener Linien も、組織形態は有限・合資会社 GmbH & Co KG で、都市公社が所有する。すなわち、WLBとウィーン市電は姉妹鉄道の関係にある。敢えて統合しないのは、WLBが市域外に路線を延ばしているからだろう。

乗車券も、市内交通の1回券や24時間券などがWLBでも有効で、市境のフェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten 電停まで使える(下注)。その先はVOR(東部地域運輸連合 Verkehrsverbund Ost-Region)の運賃ゾーンに従って、別途運賃が必要になる。列車はワンマン運行だが、車内に券売機が設置されているので、無札で乗った場合でも乗車券の購入が可能だ。

*注 言い換えれば、WLBのオーパー~フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン間は、ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien(Kernzone 100)に含まれる。

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車内に設置された券売機
右上には"SCHAFFNERLOS(車掌不在=ワンマン運転)"の表示

ライトレールとヘビーレール、二つの顔をもつWLBのルートは、意外に変化に富んでいて興味深い。次回、それをウィーン・オーパーから順に見ていこう。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道 http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局 https://www.wienerlinien.at/

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 グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って

2019年7月 6日 (土)

列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

アッターゼー鉄道 Atterseebahn

フェクラマルクト Vöcklamarkt ~アッターゼー Attersee 間13.4km
軌間1000mm(メーターゲージ)、直流750V電化
1913年開通
2018年 アッターガウ鉄道 Attergaubahn からアッターゼー鉄道に改称

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アッターゼー駅からの坂を上る連節車両

前回の到達地カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 駅前から、アッター湖南端のウンターアッハ Unterach へ行く561系統のバスに乗った。アーガー川の橋を渡り、湖の西岸に沿う地道を淡々と走っていく。20分弱で、アッターゼー・バーンホーフ Attersee Bahnhof という停留所に着いた。アッターゼー鉄道 Atterseebahn の駅前だ(下注)。

*注 湖の名は「アッター湖」としたが、居住地名や鉄道名は「アッターゼー」「アッターゼー鉄道」と記す。

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アッターゼー駅
(左)人影少ない駅前
(右)旧駅舎
 

ここは村の中心から少し距離があり、周りに人家や駐車場が見えるものの、あまりひと気が感じられない。バス停の右手に、古典電車の写真を壁貼りした大屋根の建物が目につく。奥へ回ると、4線を収容する鉄道の車庫だった。西側の2線は運行時間中、開放されて、乗降場を兼ねる。ちょうど、赤帯を巻いた5車体連節の低床車が停車中だ。一方、東側2線は扉つきで、開いているほうを後で覗いたら、旧形車23 111が整備を受けていた。

車庫の横には伝統的な造りの旧 駅舎も残っているが、使われなくなったようだ。切符は車内で買えるし、大屋根の下のホームに待合室代わりのベンチも置かれている。旅客サービスの合理化で、駅といってももはや停留所と大差ない。そろそろ発車時刻だが、少し周辺を歩いてみたいので、1本見送ることにした。

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(左)大屋根の建物は車庫
(右)駅の全貌
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(左)車庫で整備中の旧車
(右)西側は乗降場に使用
 

アッターゼー鉄道は、正式名をフェクラマルクト=アッターゼー地方鉄道 Lokalbahn Vöcklamarkt–Attersee という。通称も、従来は地域名に基づく「アッターガウ鉄道 Attergaubahn」だったのだが、路線のプロモーションのために昨年(2018年)、「アッターゼー鉄道 Atterseebahn」に改められたばかりだ。

起点は西部本線 Westbahn と接続するフェクラマルクト Vöcklamarkt で、沿線最大の町ザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウ St. Georgen im Attergau を経由して、アッター湖畔のアッターゼー Attersee まで13.4kmを24分で結んでいる。1000mm軌間(メーターゲージ)、750V直流電化、そしてシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern & Hafferl 社による運行というプロフィールは、以前取り上げたトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注)と共通だ。

*注 トラウンゼー鉄道については、「グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道」参照。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがアッターゼー鉄道
 

車両も同様で、2016年9月から、グムンデンと同形式のフォスロー・キーペ Vossloh Kiepe(現 キーペ・エレクトリック Kiepe Electric)製トラムリンク Tramlink V3が3編成投入され、定期運行を担っている。先述のように、車庫はアッターゼーにある。小規模な修理はここで行われ、全般検査の際は、フォルヒドルフの修理工場へ移送される。

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トラムリンクV3とその車内
 

トラウンゼー鉄道と瓜二つなのは、歴史的な理由がある。ともに「フォアアルペン鉄道 Voralpenbahn」という大規模な鉄道網の一部として計画された路線だからだ。フォアアルペンは、アルペンフォアラント Alpenvorland と同義で、アルプスの前の土地、すなわちアルプス北側の、平野や丘陵が広がる地域を指す。

そのルートは、北西部のリート・イム・インクライス Ried im Innkreis からアッターゼー Attersee まで南下し、アッター湖上を航路でつないで、東岸のヴァイレック Weyregg へ上陸する。それから東へグムンデン Gmunden、フォルヒドルフ Vorchdorf を経て、シュタイア Steyr と進む。今度は北上してザンクト・フローリアン St. Florian、リンツ Linz に至るという、オーバーエースタライヒ(上オーストリア) Oberösterreich の大弧状線構想だった。

このうち、フェクラマルクト~アッターゼー間が1913年1月にアッターゼー鉄道として、グムンデン~フォルヒドルフ間が1912年3月にトラウンゼー鉄道として実現した。さらにザンクト・フローリアン~リンツ間にも電気鉄道(下注)が開通したが、1914年の第一次世界大戦勃発とその後の長期不況により、計画は未完に終わった。

*注 エーベルスベルク=ザンクト・フローリアン地方鉄道 Lokalbahn Ebelsberg–St. Florian(フローリアン鉄道 Florianerbahn)。1913年開通、1974年廃止。軌間は、リンツ市電と直通させるために900mmだった。廃止後、一時保存鉄道として運行されたものの、すでに中止。

開通からしばらく、アッターゼー鉄道を支えていたのは貨物輸送だった。丸太や木材製品のほか、肥料や、沿線の醸造所で造られたビールも扱われた。アッターゼー駅から湖畔の船着き場まで貨物線が延び、近くの製材所から貨車ごと航送する方法で木材が運ばれた。フェクラマルクトに着くと、旅客駅の西にあった貨物駅で、標準軌の貨車に積み替えられた。

トラックへの移行が進み、貨物輸送は1990年代に廃止された。湖畔の貨物線はすでに跡形もなく、フェクラマルクトの貨物駅は、資材置場や留置線に転用されている。

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フェクラマルクト駅西方にある旧 貨物駅跡
 

一方の旅客輸送も、第二次世界大戦後は減少が続いた。しかし、1967年を底にして持ち直し、2015年は年間約30万人が利用したという。2019年7月現在、列車本数は全線通しが平日17往復、土曜10往復、日祝日は6往復だ。ほかに開校日または夏季のみ運行の区間便が若干あり、アッターゼー方ではおよそ毎時1本が確保されている。

区間便はザンクト・ゲオルゲンまたはヴァルスベルク Walsberg 止まりのため、フェクラマルクト方では土休日に2時間間隔となる時間帯が生じる。土休日運休のカンマー線ほど極端ではないものの、幹線から流入する旅行者より、域内の通勤通学者に重きを置いたダイヤだ。

駅から少し歩いたアッターゼーの村で、のびやかな湖の眺めを楽しんだ。午後はこちら(西岸)から見るのが順光だ。ターコイズの湖水にさざ波が立ち、その後ろでは、灰白の岩肌を剥き出しにしたヘレンゲビルゲ Höllengebirge(地獄の山脈の意)が、屏風のように空を限っている。日差しは強いものの、湖面を渡ってくる風が心地いい。

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アッターゼー村の湖岸
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アッターゼー村から湖を東南望
中央奥の山塊がヘレンゲビルゲ
 

名残惜しさを振り切って駅に戻り、列車の客となった。乗客は10人に届かず、定員175名の連節車としては手持無沙汰だ。本来ワンマン運転のはずだが、女性車掌がしっかり検札に回ってきた。

最後尾のかぶりつきで見ていると、列車は、牧草地が広がる緩やかな傾斜地を軽快に上っていく。大きくカーブするまで、蒼い湖面が視界にとどまり続けるのは印象的だ。途中の停留所は、小屋の前に未舗装の乗降スペースがあるだけの、いたって簡素な造りで、リクエストストップのため、たいてい通過する。

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アッターゼー駅出発後、
しばらく湖が見え続ける
 

進行左手に家並みが増えてきた。アッターガウの中心、ザンクト・ゲオルゲンは、駅も島式2線を備えて、拠点らしい雰囲気がある。しかし、1時間間隔のダイヤでは列車交換の必要がないので、短時間停車しただけであっさりと出発した。

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(左)途中の停留所は簡素な造り
(右)ザンクト・ゲオルゲン駅
 いずれも列車後方を撮影
 

また少し上った後、広々とした畑地を貫いて快走する。待避線のある停留所ヴァルスベルク Walsberg を過ぎると、緑の丘のかなたに、湖畔で眺めたヘレンゲビルゲが、高さの揃った山並みとなって再び登場した。のどかで開放的な車窓風景は文句なしにすばらしい。

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緑の丘のかなたに
ヘレンゲビルゲを望みながら
 

やがて線路は下り坂となり、森に覆われた浅い谷間へ入っていった。細かいカーブを次々とかわすうちに、B1号線の踏切を渡る。B1(別名ウィーナー・シュトラーセ Wiener Straße)は、ウィーンからザルツブルクに至るオーストリアの国道1号線で、車が長い列をなして列車の通過を待っていた。

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(左)緩やかな起伏を越えて
(右)B1号線の踏切に車の列
 いずれも列車後方を撮影
 

まもなく左に三角線を分け、右に急カーブすると、終点(戸籍上は起点)のフェクラマルクトだ。山側に小ぢんまりした旧 駅舎と低いホームが残っているが、今は使われておらず、列車は新しいホーム3番線に滑り込む。反対側2番線は西部本線の上り線ホームになっていて、まもなくリンツ行きのレギオナル(普通列車)が到着するはずだ。

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フェクラマルクト駅
左の建物は旧駅舎
 

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
Youtube - アッターゼー鉄道(フェクラマルクト~アッターゼー)運転台からの展望
https://www.youtube.com/watch?v=fpQXaVzXFUI
アッターゼー駅は改修前の状況がわかる

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 列車で行くアッター湖 I-カンマー線

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2019年6月29日 (土)

列車で行くアッター湖 I-カンマー線

フェクラブルック=カンマー・シェルフリング線(カンマー線)
Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling (Kammerer Bahn)

フェクラブルック分岐点 Abzw. Vöcklabruck ~カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 間 8.1km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化
1882年開通、2014年カンマー・シェルフリング駅移転(路線長0.5km短縮)

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アッター湖岸のヨットハーバー
カンマーにて

オーストリアの湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut で最大の湖が、アッター湖 Attersee だ(下注)。前回までのテーマだったトラウン湖 Traunsee の西15~20kmに横たわっている。南北約20km、東西4kmの広さをもち、面積は46.2平方km。氷河湖起源のため、最大水深は169mもある。

*注 オーストリア全体でも、ボーデン湖 Bodensee とノイジードル湖 Neusiedler See に次ぐ。この二つの湖は国境をまたいでいるので、水面がすべてオーストリア領の湖では最大。

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バート・イシュル Bad Ischl やグムンデン Gmunden といった著名なリゾートのあるトラウン川の谷(トラウンタール Trauntal)に比べると開発は遅れたが、かえってその静けさが好まれて、1860年代には避暑客が訪れるようになる。

1869年に、湖岸の村々に立ち寄る航路が整備され、翌年から外輪蒸気船が就航した。1882年には、ウィーン~ザルツブルク間の皇后エリーザベト鉄道 k.k. privilegierten Kaiserin Elisabeth-Bahn(現 西部本線 Westbahn)から湖に至る鉄道の支線が完成し、湖岸に設けられた終着駅で航路に接続した。交通の便が改善されたことで、多くの中産階級が湖を訪れるようになり、アッター湖は夏の別荘地としても人気が高まっていく。

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湖面に照り返す日差しが眩しい
カンマーの突堤から南望
 

この鉄道支線が、現在の ÖBB(オーストリア連邦鉄道)カンマー線 Kammerer Bahn(下注1)だ。正式名をフェクラブルック=カンマー・シェルフリング線 Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling といい、「カンマラー・ハンスル Kammerer Hansl(下注2)」というあだ名もあった。

*注1 ÖBBの路線については、線名にある Bahn の訳を「~鉄道」ではなく「~線」とした。
*注2 ハンスル Hansl は、人名ヨハネス Johannes の短縮形。ハンスルに特別な意味はなく、「カンマーの太郎」といったニュアンス。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
緑がカンマー線
 

カンマー線の列車は、南部本線のフェクラブルック Vöcklabruck を出て、カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling まで10.4km(正確には10.408km)を走る。実際はフェクラブルックの西2.3km(同 2.267km)地点で本線から分岐するので、支線の実長は8.1km(同 8.141km)になる。

開通は1882年5月のことだ。その5年前(1877年)にトラウンタールを遡ってバート・イシュル方面へ、ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn が通じており、アッターガウ Attergau、すなわちアッター湖沿岸でも鉄道の到来が待望されていた。

カンマー線(下注)は初め、私設の地方鉄道として造られたが、オーストリアがナチスドイツに併合されて間もない1939年に、他の地方鉄道とともに国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の路線となった。第二次世界大戦後は、ÖBBリンツ鉄道管理局に属し、1955年7月に、本線と同じ方式で電化されている。

*注 開通時の終点の駅名が、避暑地として名の通った「カンマー Kammer」だったのでこう呼ばれる。その後、自治体名のシェルフリング・アム・アッターゼー Schörfling am Attersee に合わせて、1909年に現 駅名に改称された。

1970年代までは、アッター湖の観光とともに、沿線にある製材工場などの産業が盛んで、旅客輸送にも活気があった。しかし、その後は道路交通への移行や、産業の不振に伴う雇用者数減少などが重なって、カンマー線はひどい不振に陥っていく。

2001年6月のダイヤ改正は、地元に衝撃を与えた。ÖBBが、旅客列車をそれまでの12往復から、一気に平日1往復までカットしたのだ。旅客輸送の存続は、もはや風前の灯火となった。地域交通を維持するためにオーバーエースタライヒ州は、ÖBBに業務委託する形で旅客輸送を続けることにした。その費用は州の予算と、部分的に地方自治体の補助金で賄われる。

この結果、旅客列車は2006年から2往復、2007年12月には5往復に復活した。現在(2019年6月)は9往復まで増便されている。そのうち3往復は昔のように、本線のアットナング・プフハイム Attnang-Puchheim まで足を延ばす。

ただし、運行は平日のみで、土日祝日は完全運休になる。カンマー線に並行して、アットナング・プフハイム駅と湖南部のウンターアッハ Unterach やシュタインバッハ Steinbach などとを結ぶバス路線(路線番号561、562など)があり、カンマー線の機能を補うことができるからだ。

フェクラブルック駅のカンマー線ホームは、1番線の反対側にある頭端式の短い21番線だ。訪れたときには、13時24分発の列車が停車していた。低床3車体連節のボンバルディア社製タレント Talent で、ザルツブルク交通 Salzburg Verkehr のロゴが入っている。ザルツブルクのSバーンとの共用のようだ。当地はオーバーエースタライヒ州で、州は違うのだが、運用上1編成あれば足りるから、近所から借りたのだろうか。

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(左)フェクラブルック駅のカンマー線ホーム
(右)ザルツブルク交通の連節車で運行
 

平日の昼過ぎなので、車内は閑散としていそうなものだ。ところが予想に反して、座席は学校帰りの子どもたちに占拠されて、とても賑やかだった。鉄道に並行するバス路線があっても、一度にこれだけの人数を運ぶことは難しい。そこに、カンマー線の旅客列車がすんでのところで廃止を免れた一つの理由があるようだ。レジャー客が対象でないなら、休日の運休も納得できる。彼らには、湖岸の町や村へ乗換なしで行けるバスのほうがずっと便利に違いない。

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のどかな沿線風景もある
 

発車すると本線に入り、しばらくその上を進む。それから軽く振られて、隣の線路へ移った。視線が本線より少し高くなったところで、左へカーブしていく。リゾート地へ向かう路線というイメージとは違って、沿線には畑や森がある一方、工場や商業施設も目につく。特にレンツィング Lenzing 駅の南には、木材から化学繊維を製造するレンツィング社の大規模な工場群があり、高い煙突から立ち上る白い煙が、遠くからも見える。多数並んだ側線には貨車の列が留置されていて、ここだけ切り取れば、工業地帯を走る路線と思われてもおかしくない。

子どもたちは途中の駅や停留所でぱらぱらと降りていき、最後まで乗っていたのは半数に満たなかった。全線の所要時間は17分、速度が落ち、アーガー川 Ager の鉄橋を渡ると、すぐに終点のカンマー・シェルフリングだった。

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カンマー・シェルフリング駅到着
学校帰りの子どもたちも下車
 

終点駅は、州が実施した地域交通政策の一環で、近年大きく様変わりしている。かつては航路との接続のために、ここからさらに約500m南に進んだ湖岸に駅があった。2014年6月にルートが短縮され、アーガー川の道路橋のたもとに、バスと乗継ぎができる駅施設がオープンした。列車ホームの反対側に、路線バスが発着する。

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(左)移転・新設された駅施設
(右)反対側にバスが発着
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カンマー・シェルフリング駅周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
破線は旧線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

では、旧駅やそこへ至る廃線跡はどうなっているのだろうか。新駅に接して、駐車場の敷地が弧を描いており、旧線跡が転用されたことがわかる。その先はアーガー通り Agerstraße の元踏切を越えて、家並みの裏に回るが、線路はすでになく、草の生えた空地が続いている。州道B152号線(湖岸通り Seeleiten Straße)を横断したところが旧駅跡で、施設はすべて撤去され、更地に還っていた。

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旧線跡
(左)駐車場の敷地が弧を描く
(右)アーガー通りの元踏切から家並みの裏側へ

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(左)B 152号線の元踏切から北望
(右)B152号線(手前の道)の先が、更地になった旧駅跡
 

ここまで来ると、アッター湖の波静かな湖面がもう目の前にある。今日は抜けるような青空で、照り返す日差しが眩しく、目に痛いほどだ。湖上連絡船の船着き場から、入江のヨットハーバーを隔てて、湖岸の並木越しに端正な建物が見える。記録が12世紀に遡るというカンマー城 Schloss Kammer で、この地を毎夏訪れていた世紀末の画家クリムト Klimt も描いている。

■参考サイト
ベルヴェデーレ・オーストリア絵画館(公式サイト)-グスタフ・クリムト「アッター湖畔のカンマー城 III」
https://digital.belvedere.at/objects/3112/schloss-kammer-am-attersee-iii
同 「カンマー城への並木道」
https://digital.belvedere.at/objects/8691/allee-zum-schloss-kammer

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湖に臨むカンマー城(右手前の建物)
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カンマー城への並木道
いずれもクリムトの絵のモチーフ
 

隣接する公園のベンチで少し休憩した後は、対岸に来ているもう1本の路線、アッターゼー鉄道を訪れよう。続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

 グムンデンのトラム延伸 I-概要
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って
 グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道
 フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

2019年6月23日 (日)

フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn

ランバッハ Lambach ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.7km(うち 3.8kmは ÖBB線を走行)
軌間1435mm(標準軌)、直流750V電化
1903年開通

前回まで3回にわたり、グムンデン駅からフォルヒドルフまで、トラムの行路をたどってきた。今回のテーマ、フォルヒドルフ鉄道はその続きになるが、起点がランバッハ Lambach なので、そちらから順に話を進めよう。

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ランバッハ駅11番線に停車中の
フォルヒドルフ鉄道の電車
 

その日、降り立った西部本線 Westbahn の中間駅ランバッハのホームはひっそりとしていた。普通列車しか停まらないというだけではない。この駅の西にある急カーブを避けるバイパス線ができたため、特急や貨物など通過列車は構内を通らないからだ。その静かな駅の東側に、屋根も案内板もない、忘れられたような頭端式の11番線がある。フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn の列車は、ここから出発する。

もともとここは、隣の12番線とともに、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(以下、トラウンタール線 Trauntalbahn)と共用していた。トラウンタール線は、トラウン川の谷沿いにグムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof へ通じる路線だが、旅客輸送は1988年5月に廃止されてしまった(下注)ので、今はフォルヒドルフ鉄道の車両しか入ってこない。12番線は長らく使われていないらしく、ホームは雑草に覆われている。

*注 貨物輸送もシュタイアラーミュール Steyrermühl とラーキルヘン Laakirchen にある製紙工場までで、以遠の区間は実質廃線。

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ランバッハ駅
(左)駅舎 (右)ÖBB線のホーム
 

フォルヒドルフ鉄道は、平日19往復(2019年6月現在、下注)運行されているが、間隔は30分から2時間とまちまちで、活性化前のトラウンゼー鉄道と似た状況だ。経済的に結びつきの強いヴェルス Wels やリンツ Linz など東部方面の列車との接続を優先するダイヤが組まれている。

*注 他の路線と同様、土曜は9往復、日曜祝日は7往復に削減される。

この路線も、地元の交通企業シュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を担っているが、車両や設備が一新されたトラウンゼートラム Traunseetram とは対照的に、現状維持にとどまっているというのが第一印象だ。グムンデン市が再生を推進した前者に比べて、沿線にそれほど有力な自治体が存在しないという事情が影響しているのかもしれない。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
緑がフォルヒドルフ鉄道
 

訪れたときは、細身の旧形車がぽつんと客待ちしていた。標準軌の電車で、車番はET 20 109。1956年製だから、車齢は60年を超えている。しかし車内はそれらしい広さがあり、窓が大きいので明るい。清掃も行き届いているようだ。座席は背中合わせの2人掛けシートで、低い背もたれはレールバスのそれを思わせる。乗り込んだのは朝10時台の便で、初めは他に誰もいなかったが、出発直前に本線の連絡列車から3人が乗継いだ。

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(左)前後を絞ったスタイルの標準軌電車ET 20 109
(右)側窓にフォルヒドルフ往復の表示
 
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(左)運転台、右手前に乗車券発行機
(右)車内は広めで窓が大きい
 

フォルヒドルフ鉄道とトラウンタール線との施設共用は駅構内にとどまらない。ランバッハから次のシュタッドル・パウラ Stadl-Paura まで3.8kmの間、同じ線路を走っている。線路の所有権から言えば、この間はÖBB線なので、フォルヒドルフ鉄道の列車が乗り入れている形だ(下注)。

*注 シュタッドル・パウラ以南のフォルヒドルフ鉄道独自の区間は、連邦政府のほか、州、沿線自治体、シュテルン・ウント・ハッフェルル社等が共同出資するランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道株式会社 Lokalbahn Lambach-Vorchdorf-Eggenberg AG が所有する。

やがて発車時刻になった。ランバッハ駅を後にすると、列車は、側線に留め置かれた貨車の群れを見ながら北東へ走り、やがてゆっくりと右へそれていく。このカーブは長く続き、結局反転して西を向いてから、トラウン川を渡る。地図(下図参照)を見ても不自然な逆行ルートだが、これには理由がある。

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(左)ランバッハ駅を出発
(右)トラウン川を渡る
  (いずれも列車後方を撮影)
 

ÖBBトラウンタール線は今でこそ支線だが、意外にも、主要幹線である西部本線より歴史が古い。前回や前々回にも少し触れたとおり、ルーツは、岩塩輸送のために1836年に開通したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道だ。現在のシュタッドル・パウラが当時、ランバッハ(アルト・ランバッハ Alt-Lambach)駅だった。1855~56年には、リンツ~グムンデン間が蒸気鉄道に転換されている。しかし、ウィーンとザルツブルクを結ぶ皇后エリーザベト鉄道(現 西部本線)が開通すると、並行するリンツ~ランバッハ間は1859年に廃止され、代わりに新設の現 ランバッハ駅からトラウン川橋梁の手前まで接続線が造られた。それがこの逆行ルートだ。

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ランバッハ周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
緑色の線がフォルヒドルフ鉄道
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

シュタッドル・パウラでは最も左側の線路に移るとともに、トラウンタール線から分かれて独自ルートへ入っていく。森と畑が交錯する中を、くねくねと落ち着きなく曲がる。線路こそ標準軌だが、線形は軽便鉄道と大差ない。

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(左)シュタッドル・パウラを通過
(右)森と畑が交錯する中をくねくねと
  (いずれも列車後方を撮影)
 

最初に停車したのはバート・ヴィムスバッハ・ナイドハルティング Bad Wimsbach-Neydharting で、起終点以外では唯一の町だ。中間の全駅・停留所がリクエストストップ扱いで、列車交換か乗降がなければ停車しない。乗車券も、駅に自販機などは置いておらず、乗り込んだときに運転士から購入するという、路線バス方式だ。

しばらく段丘の崖際を走り、直線では速度計が50km/hに達した。アウ Au という停留所を通過する。アウは水辺や湿地を表す地名語(下注)だが、オーストリアでは最も短い駅名だという。昔ながらの施設設備かと思いきや、停留所の改修は地道に行われていて、ここにも小ざっぱりした待合所が出現していた。

*注 実際の発音はアオに近い。各地に見られる Aue、Ach、Ache などの自然地名もこれと同源。

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アウ停留所
待合室の壁にも Au の文字が
 

また建物が増えてきたと思ったら、もうフォルヒドルフだ。フォルヒドルフ・シューレ(学校)Vorchdorf Schule で停車して、一人降りた。町の中心へはこの停留所が近い。次が終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクで、車庫兼整備工場の脇を通って到着した。ランバッハからの所要時間は25分。何本かの側線を隔てたメーターゲージの線路で、グムンデン方面へ行く連接トラムが接続待ちをしている。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅に到着
 

最後に、この路線の歴史について簡単に記しておこう。

フォルヒドルフ鉄道、正式名ランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg は、1903年9月13日に蒸気鉄道として開業した。建設計画は1897年に地元の交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社から出されていたが、ランバッハ駅を共用することから、運行管理は当初、国鉄が行った。

しかし、世界恐慌の影響で経営が悪化した国鉄が地方路線の見直しを進める中で、1931年にシュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を引き継いだ。同社は電化工事を実施し、蒸気から電気運転に切り替えた。以来、フォルヒドルフ鉄道は、接続するトラウンゼー鉄道などとともに、同社によって粛々と運行されている。1980年代までは、終点駅の南に位置するエッゲンベルク城ビール醸造所 Brauerei Schloss Eggenberg への貨物線も使われていたが、今は休止状態のようだ。

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同駅の標準軌エリア
奥の建物は車庫兼整備工場
 

次回は、トラウン湖の西隣にあるアッター湖 Attersee へ足を延ばす。

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2019年6月19日 (水)

グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn

グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.9km
軌間1000mm、直流600V電化(ゼーバーンホフ~エンゲルホーフ間)、直流750V電化(エンゲルホーフ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク間)
1912年開通、1990年旧 ゼーバーンホーフへ延伸、2018年グムンデン路面軌道と直通化

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ポイントを転換して本線へ
フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅にて

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn は、正式にはグムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf という。名のとおり、トラウン湖畔のグムンデンと、その北東10km強にある田舎町フォルヒドルフを結ぶメーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線だ。この地方の主要な交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社が運行を担ってきた。

終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクでは、標準軌支線のフォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn(下注)に接続し、それを通じて、ランバッハ Lambach でウィーン~ザルツブルク間の幹線である西部本線 Westbahn にも連絡している。それで路線図では、西部本線からグムンデン方面に延びる支線のようにも見える(下図参照)。しかし、2回の乗換えを要するため、そのような利用は一般的ではない。路線の主な役割は、フォルヒドルフとその周辺からグムンデンに向かうローカル需要に応じることで、それが建設の目的でもあった。

*注 正式名はランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg。本ブログ「フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車」で詳述。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがトラウンゼー鉄道
 

最初にこのルートで計画されたのは、グムンデンからフォルヒドルフを経てさらに東のペッテンバッハ Pettenbach に至る電化鉄道で、1895年のことだ。グムンデン路面軌道が前年(1894年)に開通しており、当然この軌道との接続が想定されていた。しかし、これは予備認可を得たものの、着工には至らなかった。

他方、フォルヒドルフでは、1903年に上述のフォルヒドルフ鉄道が開通し、1908年には同じ西部本線の沿線都市ヴェルス Wels と結ぶ路線構想も浮上していた。そのため、商圏の縮小を案じたグムンデン市が自ら鉄道建設に乗り出し、その結果、1912年3月に開業したのがトラウンゼー鉄道だ。初期の保有車両は電動車2両と付随車2両で、通常4往復、市の立つ日は5往復の列車が走った。

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かつてのトラウンゼー鉄道
グムンデン鉄道史の展示パネルより
 

グムンデン側の起点は、市街の川向うにあるトラウンドルフ Traundorf に設けられた。古い馬車鉄道(下注1)の終点から少し上手で、駅を出て間もなく、その馬車鉄道から転換された標準軌の国鉄ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(下注2)と合流する。そして、エンゲルホーフまで2km足らずの間、両者は3線軌条でルートを共有した。

*注1 1836年にグムンデンに到達したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道 Pferdeeisenbahn Budweis–Linz–Gmunden。ザルツカンマーグートの岩塩輸送を目的としていた。
*注2 ランバッハ=グムンデン地方線は1884年に国有化。当時はまだ馬車鉄道を継承した1106mm軌間だったが、1903年に標準軌に改軌された。トラウンタール線 Trauntalbahn の別称もある。

連絡する2本の鉄道がいずれも標準軌だったにもかかわらず、トラウンゼー鉄道が1000mm軌間とされたのはいうまでもなく、グムンデン路面軌道への乗入れに備えてのことだった。しかし、トラウン川への架橋と市街地横断という難工事を伴うため、延長計画はこの時代には実現しないままとなった。

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旧型車 ET23 112(1954年 SWS製)
 

国鉄ランバッハ=グムンデン地方線(以下、ÖBB線)は、1988年に旅客輸送を終了した。それを受けてトラウンゼー鉄道は1990年に、開業以来のトラウンドルフ駅から、ÖBB線の終着駅だったゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof に起点を移した(下注)。両線ともランバッハにつながっているので、代替輸送の役割を付与されたのだろう。当時まだÖBB線の貨物輸送が残っていたので、3線軌条の延長工事も併せて行われた。

*注 別途、トラウンドルフ駅近くの本線上に、代替となるトラウンドルフ停留所が開設され、2014年まで使われた。

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グムンデンの路線網と駅の変遷
 

とはいえ、ゼーバーンホーフもグムンデン中心街から見れば川向うだ。また、終点のフォルヒドルフは人口7000人ほどの町に過ぎず、需要の掘り起こしには限界がある。それでトラウンゼー鉄道は最近まで、主に単行の旧形電車が1時間に1本走る程度の、のどかなローカル線だったのだ。

前回の続きで、路線の起点であり、路面軌道との接続点でもあるグムンデン・ゼーバーンホーフから、ルートに沿って変貌ぶりを見ていこう。

トラウンゼー鉄道のターミナルとなって以降も、ゼーバーンホーフは、ほとんどÖBB線時代のまま使われていた。1999年に訪れたときには3線軌条の標準軌側レールはもはや錆びていたから、貨物列車の運行も実質終了していたのだろう。その後、共用区間のÖBB線は2009年2月に正式に廃止され、トラウンゼー鉄道専用となった。

2014年の大改修で、ゼーバーンホーフの旧駅舎はホームもろとも撤去され、新たにトラウンシュタイン通りの北側に島式ホームと待合所が設置された。見かけも運行上ももはやターミナルではなく、中間電停だ。湖に突き出していた構内は、2018年10月現在、更地になっている。

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ゼーバーンホーフ電停
(左)広めのホームが敷地の余裕を物語る
(右)反対側はトラウン湖に臨む
  道路の先が旧駅跡で、現在は更地に
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1999年のゼーバーンホーフ(湖岸駅)
構内は3線軌条が敷かれていた
 

ゼーバーンホーフを後にすると線路は単線になり、右に左にカーブを切りながら、勾配を上っていく。枕木もメーターゲージ用に交換されたので、3線軌条を思い出させるものは残っていない。坂の途中にあったトラウンドルフ電停は廃止され、新たにシュロス・ヴァイヤー Schloss Weyer とレンベルクヴェーク Lembergweg の各電停が開設された。

旧 共用区間はエンゲルホーフ Engelhof で終わるが、同じようにÖBB線の駅とホームが撤去され、2面3線の中間ターミナルに再生された。日中10~20分間隔、毎時4本(土日は3本)のダイヤはここまでで、以遠では2本が間引かれて30分間隔(土日は1時間間隔)となる。西側の1面1線に、そのエンゲルホーフ止まりの列車が発着する。

ちなみに、ÖBB線の駅名はエンゲルホーフだったが、トラウンゼー鉄道の電停はそれと区別するためにエンゲルホーフ・ロカールバーン Engelhof Lokalbahn(ロカールバーンは地方鉄道の意)を名乗っていた。現在、電停や車内の表示はエンゲルホーフ・バーンホーフ(エンゲルホーフ駅)Engelhof Bahnhof になっている。

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エンゲルホーフを発つグムンデン駅行きトラム
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エンゲルホーフ電停
(左)2面3線の中間ターミナル、左1線は折返し用
(右)折返しホームに区間便が停車中
 

直進していたÖBB線(下注)に対して、トラウンゼー鉄道は右へ曲がり、トラウンシュタイン山を右手に仰ぎながら、畑と森の間を走っていく。木製の架線柱に直吊りのか細げな架線、線路の枕木も大半は木のままで、のどかな周囲の景色にしっくり溶け込んでいる。電停の設備だけは更新されているが、リクエストストップのため、乗降がなければ停まらない。

*注 2018年10月現在、駅構内の北端から先ではÖBBの線路が残されている。

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(左)中間の電停も改修済
(右)トラウンシュタイン山を仰ぎながら行く
 

やがて再び上り勾配となり、標高530mほどのサミットに達する。車窓右側にラウダッハ川 Laudach の谷が俯瞰でき、後はこれに沿って下っていくことになる。日中は、近くのアイゼンガッテルン Eisengattern 電停で列車交換が行われるが、倉庫の裏手のような殺風景な場所で、相手が到着すると合図もなく出発した。

坂を降りきったところでラウダッハ川を渡り、道路脇を進めば、左カーブの先にもう、フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 駅の留置された電車群が見えてくる。グムンデン駅から約40分、ゼーバーンホーフから25分の小旅行の終点だ。

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(左)アイゼンガッテルンで列車交換
(右)ラウダッハ川の谷を下る
 

フォルヒドルフ・エッゲンベルクは、運行を司るシュテルン・ウント・ハッフェルル社にとって重要な拠点になっている。十分広い構内にメーターゲージと標準軌の留置側線が何本も並び、側線からつながる車庫兼整備工場も二種の軌間に対応して、大型だ。貨車も含め、新旧さまざまな形式が留置されているが、トラムのホームから駅舎へ通じる通路はその側線を横断していくので、気兼ねなく観察ができる。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅構内
左側はメーターゲージ、右側は標準軌車両
 

標準軌の設備はいうまでもなく、この駅に接続しているフォルヒドルフ鉄道のためのものだが、真新しいグムンデントラムの連接車とは対照的に、こちらはまだ1950年代製の車両が現役だ。次回は、軌間は広いのに車両は旧形という、このフォルヒドルフ鉄道について詳述する。

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 列車で行くアッター湖 I-カンマー線
 列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

2019年6月 5日 (水)

グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って

グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden の変貌ぶりには目を見張るものがある。車両や運行形態だけでなく、それを支える施設設備もすっかり新しくなった。いったい、どのように変わったのか。起点のグムンデン・バーンホーフ(グムンデン駅)Gmunden Bahnhof から順に、沿線風景と併せて見ていくことにしよう。

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グムンデン・バーンホーフ電停
右のÖBB線ホームに平面で接続
 
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グムンデン周辺の地形図に鉄軌道ルートを加筆
赤色の線がグムンデン路面軌道で、
列車は橙色のトラウンゼー鉄道に直通する
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)のザルツカンマーグート線に接続するトラムの乗り場は、かつて狭い駅前広場の向かい側にあり、並木の木陰の、屋根も側線もない簡素なターミナルだった。2014年7月に完成した改良工事で、それはÖBB駅の横に移設され、島式ホームをもつ1面2線の頭端駅になった。ホームには大きな屋根が架けられ、雨に濡れずに駅の待合室まで移動できる。ÖBB駅も同時に改修され、真新しい駅舎とホームが出現して、昔の面影は完全に消えた。

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グムンデン駅前
(左)旧 電停跡は道路に
(右)並木の木陰にあった旧電停(1999年撮影)
 

ホームを後にして、軌道はすぐ右に折れる。このカーブも以前は半径40mの急曲線だったが、線路移設によりやや緩和された。トラムは、正面にトラウンシュタイン Traunstein(標高1691m)の峨峨たる岩山を眺めながら、バーンホーフ通り Bahnhofstraße の右側に沿う専用軌道を走っていく。

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(左)グムンデン駅を出発
(右)バーンホーフ通りに沿う専用軌道
  背後の岩山はトラウンシュタイン
 

最初の停留所(以下、電停)は、待避線のあるグムンドナー・ケラミーク Gmundner Keramik だ。ケラミークは製陶所のことで、名産のグムンデン陶器を作る会社の工場が近くにある。2005年まで市街地寄り(車庫前)にあったクラフトシュタツィオーン(発電所)Kraftstation 停留所と路線途中の待避線を廃止して、代わりに設置されたのがこの電停だ。

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(左)グムンドナー・ケラミーク電停
(右)火力発電所跡に建つ時計塔
 

すぐ前に道路のロータリーがあり、バーンホーフ通りはまっすぐ旧市街へ下る。一方、軌道はそれに従わず、右前方に分岐する片側1車線のアロイス・カルテンブルーナー通り Alois-Kaltenbruner Straße に沿って南へ迂回する。線路が2本右へ分かれ、板戸に吸い込まれていくのが見える。開通当初からあるトラムの車庫だ。ただ手狭なため、連節車は、トラウンゼー鉄道の終点フォルヒドルフ Vorchdorf にある車両基地に拠点を置いている。

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開通当初からあるトラム車庫
 

縦断面図によれば、グムンデン駅からここまで緩やかな上りで、車庫付近が標高485m、ルートのサミットだ。通りを横断して左側に移ったところから、一転急な下り坂が始まる。やや鄙びた風景の中、ローゼンクランツ Rosenkranz 電停(下注)を過ぎると、線路に一段と勾配がつき、トラムは道路と離れて、転がるように段丘の斜面を降りていく。このあたりからいよいよ正面に、トラウン湖の水面が見え隠れするようになる。

*注 正式名称は、ローゼンクランツ/オーカーアー・ジードルング Rosenkranz/OKA-Siedlung。

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(左)アロイス・カルテンブルーナー通りに沿って南下
(右)トラウン湖が見え始める
 

待避線のある次の電停は、テニスプラッツ Tennisplatz だ。コート9面を擁する伝統あるテニスクラブの前にあり、連節車の車体長に合わせて、2008年に改修された。直通化後のパターンダイヤでは、ここで列車交換することが多い。

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テニスプラッツ電停で列車交換
 

ところでこの路線には、オーストリアではペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn(下注)の116‰に次ぐ100‰という、粘着式鉄道屈指の急勾配があることにも注目したい。それはテニスプラッツ電停から、坂下にあるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 本社前までの区間で、設計図上は94.7‰のところ、1992年の再測量でそれを上回ることが判明したのだ。それで、グムンデン路面軌道は「世界最険かつ最小の路面軌道 die steilste und kleinste Straßenbahn der Welt」だった。

*注 ペストリングベルク鉄道については、「ペストリングベルクの登山トラム I-概要」「ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って」で詳述。

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100‰の急勾配
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(左)架線柱の傾きで急勾配を実感
(右)シュテルン・ウント・ハッフェルル本社前を通過
 

本社前で専用軌道は終わり、その先は、狭い街路をすり抜けていく併用軌道区間となる。さすがに車は湖方面の一方通行だが、トラムは上下ともここを走る。電車とのすれ違いがやっとの道幅にもかかわらず、路上駐車が多いのには呆れるばかりだ。途中に、街路の名を採ったクーファーツァイレ Kuferzeile 電停がある。この区間では民家が接近しているため、2007年までに振動を軽減するマススプリング装置を軌道下に埋設する工事が行われ、そのとき、電停のホーム延長と嵩上げも実施された。

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(左)軌道以外は路上駐車スペース?
(右)クーファーツァイレ電停
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軒先をかすめて通る最狭区間
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(左)おまけに見通しも悪い
(右)点滅信号が車にトラム接近を警告
 

隘路を通過後は右側の視界が急に開けて、湖岸の遊歩道エスプラナーデ Esplanade が見えてくる。軌道は車道の左端(山側)に分離されているものの、街路と一体のため、溝付きレールが使われている。ベツィルクスハウプトマンシャフト(郡役場)Bezirkshauptmannschaft 電停を通過すれば、次が、1975年から43年間トラムの終点だったフランツ・ヨーゼフ・プラッツ(フランツ・ヨーゼフ広場)Franz-Josef-Platz だ。

手前で、軌道は左右に分岐して複線になる。西行き(グムンデン駅方面)はかつての終点電停に停まるが、東行き(フォルヒドルフ方面)は湖側に新設された専用ホームに入る。直通化に先立って、2015年に整備された施設だ。ホームの反対側にはバスが発着し、平面で乗継ぎできるようになっている。

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フランツ・ヨーゼフ・プラッツの東行き専用ホーム
反対側にはバスが発着
 

ここは湖畔の公園、フランツ・ヨーゼフ広場の前だ。天気が良ければ途中下車して、エスプラナーデのベンチに腰を下ろし、ザルツカンマーグートの蒼い山並みと、陽光跳ねる湖面をのんびりと眺めるのもいいだろう。その一角には、直通運転の開始を記念して、19世紀から現在に至るグムンデンの鉄道史を繙く解説パネルも立てられている。

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トラウン湖畔のエスプラナーデ
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トラウン湖のパノラマ
エスプラナーデから南望
 

さて、フランツ・ヨーゼフ・プラッツの電停を出発すると、トラムは昨年(2018年)9月に開通したばかりの新設区間に入っていく。ある意味で、ここは通行上の難所だ。

道幅は2車線分あるのだが、軌道が複線になるので、街路をほぼ占有してしまう。そのため、車は軌道上を走るしかない。しかもこの通りは州道120号線の一部になっていて、交通量が多い。訪れた日も、トラムは長い車列の間に挟まれ、護送状態で走っていた。最も混むのがグラーベン Graben の交差点で、左折車(下注)を通すためにトラムも長い信号待ちを余儀なくされる。

*注 いうまでもなく右側通行なので、左折するには対向車線を横切る必要がある。

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新設区間のグラーベン交差点を行く
 

テアーターガッセ(劇場小路)Theatergasse をさらに100m進むと、右手に湖岸に面した広場が開ける。グムンデンの中心部、ラートハウスプラッツ(市庁舎広場)だ。アップルグリーンでアクセントをつけた、優雅な柱廊玄関をもつ市庁舎が西側に建っている。1975年までは、ここが終点だった。

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ラートハウスプラッツ電停
背後はグムンデン市庁舎
 

前回述べたように、1970~80年代は路面軌道にとって試練の時期だった。自動車の増加で、併用軌道は円滑な交通の妨げになっていると考えられた。当時、軌道は全線単線で、市街地では片側(山側)に寄せて敷かれていた。市庁舎広場に向かうトラムは道路の左側を通行するため、対向する車と正面から向き合うことになる。これは渋滞の原因となるばかりか、危険でもあった。それで、グラーベンへの新しい交通信号設備の導入をなかば口実にして、1975年6月、フランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ラートハウスプラッツ間 230mは廃止されたのだ。

今回、路線復活にあたって、併用軌道となるフランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ゼーバーンホーフ間に複線を敷いたのは、対向車との鉢合わせを避けるためであろうことは想像に難くない。トラムも車も同じ方向に動くことで、少なくとも規則的な通行は保証される。停留所では、トラムの後ろについた車列も待ちを余儀なくされるが、公共交通優先の原則ではそれも承知の上だ。

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(左)左折車で渋滞する街路
(右)前後を車列に挟まれての走行
いずれも車内後方から撮影
 

さて、ラートハウスプラッツを出たトラムは、アーケードのある狭い街路(カンマーホーフガッセ Kammerhofgasse)をそろそろと進む。袋小路のような一角で、旧市街の東口であるトラウン門 Trauntor がぽっかりと口を開けている。併用軌道は道路とともに手前で左右に分かれ、急なカーブでこの二連のアーチに吸い込まれていく。

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トラウン門をくぐる
 

門をくぐった先はトラウン橋 Traunbrücke だ。ちょうど湖からトラウン川が流れだす地点で、突然車窓に広がる明るくのびやかな湖畔の景色に、乗客の目は奪われる。橋は長さ94.1m、幅14mあり、併用軌道を通すために、約2年の工期をかけて架け替えられたばかりだ。旧来の橋は一直線だったが、新橋梁は拡幅のうえ、わずかに湖側にカーブを描くようになった。

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トラウン橋の上は沿線随一の絶景車窓
 

対岸トラウンドルフ Traundorf に渡りきると、軌道はまもなく右折してトラウンシュライン通り Traunsteinstraße へ入る。そこにクロスタープラッツ Klosterplatz 電停がある。通りの中央に設置された島式ホームの、両端を反り返らせた屋根が特徴的だ。2018年9月の開通区間はここまでで、その先、ゼーバーンホーフとの間は、電停の改築と併せて、2014年12月に先行開通していた。

グムンデン・ゼーバーンホーフ(グムンデン湖岸駅)Gmunden Seebahnhof の歴史は古く、1871年に遡る。もともと蒸気鉄道の開通(下注)に際して、航路との接続を図るために設けられた湖岸の終着駅だ。1990年からは、3線軌条化してトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(正式名:グムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf)の終点として使われてきた。

*注 ブドヴァイス Budweis(現在のチェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice)~リンツ Linz ~グムンデン間の馬車軌道の一部区間を、後年蒸気鉄道に転換したランバッハ=グムンデン地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Gmunden(トラウンタール鉄道 Trauntalbahn)。1988年旅客営業廃止、南半のオーバーヴァイス Oberweis ~ゼーバーンホーフ間は2015年に廃止手続が取られ、軌道は撤去された。

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(左)クロスタープラッツ電停
(右)グムンデン・ゼーバーンホーフでトラウンゼー鉄道に直通
 

直通化事業により、駅は島式ホームをもつ電停に生まれ変わった。昔の面影はすっかり消え、広めにとられたプラットホームが唯一、入換側線を擁して敷地に余裕のあった旧駅をしのばせる。名目上はグムンデン路面軌道の終点なのだが、今や全列車がトラウンゼー鉄道に直通するようになり、実態はふつうの中間電停だ。とはいえ、この先は単線に戻るため、しばしばここで列車交換が行われる。トラムは対向列車を迎えた後、大きく右にカーブを切りながら、トラウンゼー鉄道の勾配路を上っていく。

次回はこのトラウンゼー鉄道を紹介する。

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
トラウンゼートラム  https://www.stadtregiotram-gmunden.at/
グムンデン路面軌道支持者協会  https://www.gmundner-strassenbahn.at/

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2019年5月29日 (水)

グムンデンのトラム延伸 I-概要

グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden

グムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof ~ グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof 間 4.2km
軌間1000mm、直流600V電化、最急勾配100‰
1894年開通、2018年ゼーバーンホーフへ延伸、トラウンゼー鉄道と直通化

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湖岸への急坂を下るグムンデンのトラム
 
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グムンデン Gmunden は、オーストリアの湖水地方であるザルツカンマーグート Salzkammergut の入口に位置する町だ。トラウン湖 Traunsee の水運を操り、古くは上流のハルシュタット Hallstadt などから産出する岩塩の取引で栄えた。19世紀に入ると、イシュル Ischl(バート・イシュル Bad Ischl)に次ぐ帝国の避暑地となり、湖を見下ろす斜面には上流階級のヴィラ(別荘)が建ち並んだ。町は今も湖畔リゾートの雰囲気を漂わせていて、夏には、白地に緑縞を描いた名産の陶器を並べる市が立つ。

その市街地を、昨年(2018年)9月からグムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden の連節トラム(下注)がさっそうと走り抜けるようになった。かつてトラムは、旧市街の手前のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ Franz-Josef-Platz(フランツ・ヨーゼフ広場)を終点にしていた。ÖBB駅との間わずか2.3kmを細々と往復し、世界最小の路面軌道と自称していた。19年前に初めてこの町を訪れた時、標識が1本立つだけの停留所に、デュヴァーク Duewag 製の古ぼけたボギー単車がぽつんと客待ちしていたのを思い出す。

*注 2016~17年にフォスロー・キーペ  Vossloh Kiepe(現 キーペ・エレクトリック Kiepe Electric)製の低床連節車トラムリンク Tramlink V3 形 8編成が導入された。

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フランツ・ヨーゼフ・プラッツに停車中の旧車 GM 10
系統幕の「G」はグムンデンを意味する
(左)オリジナル色(1999年撮影)
(右)グムンデン・ミルクのラッピング(2014年撮影)
   海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供
 

それが今や、湖の対岸に終点のあったトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注1、正式名:グムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden - Vorchdorf)と線路がつながり、町をはさんで東西約19kmを乗り換えなしで結ぶ。時刻表番号も、従来の174からトラウンゼー鉄道の番号である161に統一され、全体を「トラウンゼートラム Traunseetram」と呼ぶようになった。直通化だけではない。定員90名の旧型単車は、定員175名の低床5車体連節車に完全に置き換えられ、1時間2本きりだったダイヤは4本に倍増された(下注2)。主要な停留所もバリアフリー仕様に改造されている。

*注1 鉄道名は「トラウンゼー鉄道」とするが、地名は「トラウン湖」と記すことにする。
*注2 うち2本はグムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof ~エンゲルホーフ Engelhof 間の運行。

トラウンゼートラムの開通(直通運行)を祝う行事は、9月1日に町を挙げて行われた。その日から2週間は無料の試乗期間とされ、多くの市民が直通トラムの初乗りを楽しんだ。

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低床連節車トラムリンクV3
 

2014年に先行開通していた区間を含めても、新たに建設された軌道は1kmにも満たない距離だ。しかし、州道120号線になっているトラウン橋の前後は代替路が少ないため、かねてから交通のボトルネックになっていた。そこに輸送能力のある鉄軌道が出現する効果は大きく、実際に利用してみても快適さ、便利さを体感する。たかが1kmでも、町にとっては画期的な交通ルートの誕生なのだ。

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グムンデン周辺の地形図に鉄軌道ルートを加筆
赤色の線がグムンデン路面軌道で、
列車は橙色のトラウンゼー鉄道に直通する
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

グムンデン路面軌道が、グムンデン電気地方鉄道 Elektrische Lokalbahn Gmunden (ELGB)  として開業したのは今から125年前、1894年8月のことだ。市民が蒸気機関車の走行に伴う騒音や臭気を嫌ったため、名称が示すとおり、最初から電車が導入された。オーストリアでは3番目の電気鉄道だった(下注)。大都市のウィーンやリンツでも、市内線に電車が登場するのは1897年以降だから、いかに時代を先取りしていたかが想像できる。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。2番目のバーデン路面軌道 Straßenbahn Baden は1873年に馬車軌道で開業、1894年7月から順次電化されたが、現存しているのはウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn が走る短区間のみ(本ブログ「ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要」で詳述)。

このように歴史はきわめて古いが、規模は最初からささやかなものだった。国鉄のグムンデン駅前(グムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof)と市庁舎広場(ラートハウスプラッツ Rathausplatz)の間、路線延長はわずか2.54kmに過ぎない。1877年に開通した国鉄ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn(下注)のグムンデン駅が、湖岸の市街地から2km離れた丘の上に設けられており、その連絡が目的だったからだ。

*注 当初は勅許を得た私有ルードルフ皇太子鉄道 k.k. privilegierte Kronprinz Rudolf-Bahn (KRB) が建設し運行した。それで、駅もルードルフスバーンホーフ(ルードルフ駅)Rudolfsbahnhofと呼ばれていた。鉄道は経営不振のため、1880年代に国有化。

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(左)現在のグムンデン・バーンホーフ電停
(右)現在のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ電停
 左端の"CAFE"前が旧来の電停で、現在はグムンデン駅方面の乗り場
 

すでにグムンデンでは、対岸のトラウンドルフ Traundorf に、岩塩を運ぶ馬車軌道から転換された蒸気鉄道(下注)があり、1871年には航路に接続するゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof も開設されていた。とはいえ、これはあくまでローカル支線だ。方や、ザルツカンマーグート線は亜幹線の位置づけで、ウィーンからの直通列車も走っていた。保養客の取り込みをバート・イシュルと競っていたグムンデンとしては、市街地と結ぶ交通手段の確立が喫緊の課題だった。

*注 ランバッハ=グムンデン地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Gmunden、後にトラウンタール鉄道 Trauntalbahn とも呼ばれた。1859年までに開業、1988年に旅客輸送を廃止。現在は一部区間で貨物輸送のみ行われている。

都市の近代化に熱心だった市長のもとで建設が計画され、事業の遂行はシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社に委ねられた。同社はすでに近隣で、760mm狭軌のザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(ザルツブルク~バート・イシュル、1890~94年開通)や、ラック式登山鉄道のシャーフベルク鉄道 Schafbergbahn(1893年開通、下注)を手掛け、交通企業としての実績を挙げていた。

*注 この2本の鉄道については、本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史」「オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道」で詳述。

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トラウン門をくぐって旧市街に入るトラム
 

半年の工期を終えて、鉄道は開通式の日を迎えた。朝の試運転を行っている間、町では、電車の通行に慣れさせるために、乗馬や馬車牽きに使われる馬が通りに沿って多数繋がれていたという。鉄道に電気を供給するため、沿線に石炭火力発電所が建設されたが、電力の一部は市内にも送られ、ガス灯を電灯に置き換えていった。

先述のように、路線は地方鉄道 Lokalbahn として開通している。しかし、オーストリアがナチスドイツに併合された1938年からドイツ国内の建設・運行規程が適用されたことで、路面軌道 Straßenbahn に分類されることになった。実際、併用軌道は全長の2割弱で、他は車道と分離されたいわゆる道端軌道だが、戦後も路面軌道として扱われ(下注)、名称もそれに準じている。

*注 旧車の前面の系統幕に、グムンデンを意味する「G」の文字を掲げていたのはその名残。

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エスプラナーデに立つグムンデン鉄道史の展示パネル
「1894年 グムンデン路面軌道の開通」
 

二度の大戦でも、路面軌道は大きな被害を受けずに走り続けてきたが、その運営が順風満帆だったわけではない。とりわけ1960~80年代は衰退に向かう時代だった。1961年に新聞輸送が廃止された。1975年には自動車交通を優先させるために、旧市街のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ラートハウスプラッツ間0.2kmが休止となり、運行区間が短縮された。1978年には車掌が乗務しないワンマン運行に切り替えられ、1989年にはついにバス転換案が表面化している。

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同 展示パネル
上2枚はラートハウスプラッツ電停、
下1枚はフランツ・ヨーゼフ・プラッツ電停
 

退勢が反転したのは、軌道の将来に危機感を抱いた人々の熱意が行政を動かした結果で、それがなければ軌道はとうに過去帳入りしていたかもしれない。この年、路面軌道存続を求める請願に6000人以上の市民が名を連ねた。それに応える形で、市によってグムンデン路面軌道支持者協会 Verein Pro Gmundner Straßenbahn という名の推進団体が設立されたのだ。

協会はまず、路面軌道に対する市民の関心を呼び覚ますことに努めた。車庫まつりや古典電車運行など、次々と市民参加のイベントを仕掛けた。各電停にある古風な駅名標も、昔の様式にならって協会が1994年に新たに設置したものだ。

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古風な駅名標も支援策の一つ
 

2000年代に入ると、協会が中心となって、軌道を延長しトラウンゼー鉄道と直通させるための計画が具体化されていった。その間に、フライブルクやインスブルックから低床車を借りて、既存区間で試験走行も実施された。周到にまとめられた計画案は2003年、市議会に上程され、全会一致で可決された。

協会はその後も広報活動や資金調達など、さまざまな分野で計画の遂行を支援していて、こうした足かけ30年に及ぶ熱心な活動が、路面軌道を復調に導いたのは疑いのないところだ。これまでに実施されたさまざまな更新と新設の内容については、次回、グムンデントラムの走行ルートを追いながら見ていくこととしよう。

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
トラウンゼートラム  https://www.stadtregiotram-gmunden.at/
グムンデン路面軌道支持者協会  https://www.gmundner-strassenbahn.at/

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 ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要
 ペストリングベルクの登山トラム I-概要

2019年3月 4日 (月)

ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って

リンツ中央駅 Linz Hbf の地下ホームを出発した市内トラムは、すぐに地表に上がり、目抜き通りのラントシュトラーセ Landstraße(ラント通り)を軽やかに走り続けた。リンツのトラムは、4本ある市内系統のすべてが中央駅で束になり、ドナウ川を渡った先のルードルフシュトラーセ Rudolfstraße で再び分離するまで、ルートを共用している。この間は系統番号を気にせずに乗れるので便利だ。

繁華街のタウベンマルクト Taubenmarkt から、その昔、旧市街の南門があった狭い街路(シュミットトーアシュトラーセ Schmidtorstraße)をゆっくり通り抜けると、街の中心ハウプトプラッツ Hauptplatz(中央広場)の広い空間に出た。50系統を名乗るペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn のトラムは、ここが始発になる。

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ハウプトプラッツにペストリングベルク鉄道のトラム(改造旧車)が到着
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リンツの市内トラムはすべてボンバルディア製シティーランナー Cityrunner
(左)第一世代 (右)第二世代
 

オーストリアで最も大きな都市広場に数えられるハウプトプラッツは、それを取り囲む建物の透明感のあるたたずまいが印象的だ。北側がドナウ河畔へ開いていることもあって、街の名を冠したモーツァルトの交響曲第35番の、気高さと明るさが融合した曲想にふさわしい。もっともあの標題はリンツ滞在中に作曲されたことにちなむだけで、音楽で直接、街の雰囲気を描写しているわけではないのだが。

中心に立つシンボリックな聖三位一体柱を背にして、トラムの停留所(以下、電停)がある。市内1~4系統は東側の相対式ホームに発着し、ペストリングベルク鉄道は西側に専用のホームと折り返し線を与えられている。

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(左)ペストリングベルク鉄道の専用ホーム
(右)山に向けて出発するトラム(夕刻撮影)
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リンツ周辺の地形図に主な鉄軌道ルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

8時30分発の便は、504号車だった。平日朝の郊外行きとあって、まばらな客を乗せてほぼ定刻に出発する。まずは、1~4系統の走る本線に入り、長さ250m、幅30mの道路併用橋、ニーベルンゲン橋 Nibelungenbrücke でドナウ川を渡った。広い通りはルードルフシュトラーセ Rudolfstraße との交差点までだ。1・2系統の軌道を右に分けた後は、道幅が狭まり、すぐに急角度で左折する。

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ドナウ川を渡る橋の上から、
朝日に輝くペストリングベルク巡礼教会が見えた
 

次はミュールクライスバーンホーフ Mühlkreisbahnhof(ミュールクライス駅)で、ÖBBミュールクライス線 Mühlkreisbahn のターミナル前になる。ドナウ左岸(北側)の山中に分け入るこの標準軌ローカル線は、ÖBBの珍しい孤立線で、事実上、市内トラムが中央駅との連絡機能を果たしている(下注)。なお、電停の名はこの駅の昔からの通称で、正式駅名はリンツ・ウーアファール Linz Urfahr という。

*注 以前は右岸の西部本線 Westbahn に接続する貨物線(リンツ連絡線 Linzer Verbindungsbahn または港線 Hafenbahn と呼ばれた)が存在したが、2015年12月に一部区間が廃止され、翌年、ドナウを渡っていた道路併用橋とともに撤去された結果、ミュールクライス線は完全に孤立線となった。

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ミュールクライス線の列車
機関車牽引のほか、新型気動車(ジーメンス製デジロ Desiro)も導入
 

気動車が留め置かれたミュールクライス線の構内を右手に眺めながら、ラントグートシュトラーセ Landgutstraße に到着する。ここが市内トラム(3・4系統)の終点だ。狭いホームの左側がその折返し用で、軌道は終端ループにつながっている。右側がペストリングベルク行きだ。ちなみに、反対方向、ハウプトプラッツ行きホームは前方のラントグート通りを渡った先で、少し距離がある。

いうまでもなく、この電停は2008年までペストリングベルク鉄道との乗換場所だった。市内トラムが終点にしているのもそのためだ。前方の踏切の先に、2本の小塔をもつレトロな旧駅舎(ウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr)が、ペストリングベルク鉄道博物館 Pöstlingbergbahn-Museum として、当時と変わらぬ姿で残されている。

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ラントグートシュトラーセ電停で発車を待つ(夕刻撮影)
 

少しすると踏切の警報器が鳴り出し、山を下ってきた対向トラムが建物の陰から現れた。ここはもともとミュールクライス鉄道の踏切だが、直通化に際して、ペストリングベルクのトラム横断にも連動するように改修されたのだ。

この列車と交換する形で発車した。ここから軌道は単線になる。ミュールクライス線と平面交差する直前でいったん停止する。そして、ひときわ幅広に見える標準軌線をさしたる衝撃もなしに横断し、旧駅から出てきた軌道(旧 本線)に合流した。

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(左)対向トラムが現れた
(右)標準軌のミュールクライス線と平面交差
 

同じようにペストリングベルクをめざす道路、ハーゲンシュトラーセ Hagenstraße を渡った後は、いよいよ本格的な坂道にかかる。前面展望を楽しもうとかぶりつきに立っていたが、急勾配が始まると、足が地面に強く押し付けられるように感じられた。

トラムは、緑の濃い住宅街の間を縫うようにして上っていく。乗降客のない電停は停まらないから、最近(2009年)開設のシュパーツガッセ Spazgasse は静かに通過した。どこのトラムもそうだが、途中駅で降りたいときは、ドアの取っ手についている降車ボタンを押して知らせる決まりだ。

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ハーゲンシュトラーセを横断すると坂道が始まる
写真はハウプトプラッツ行き
 

ホーエ・シュトラーセ Hohe Straße に名を変えた車道を再び横切ると、ブルックナーウニヴェルジテート Bruckneruniversität(ブルックナー大学)に停車した。登山鉄道区間に3か所ある列車交換場所の一つ目で、近くにアントーン・ブルックナー私立大学 Anton Bruckner Privatuniversität がある。リンツゆかりの作曲家の名を冠したこの大学が2015年に移転してくるまで、電停はメルクールジードルング Merkursiedlung という名だった。

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森に溶け込むようなブルックナーウニヴェルジテート電停
 

ブルックナーもさることながら、ここでは、鉄道のクラシカルな雰囲気を強調する小道具の数々に注目したい。一つはホームの待合室だ。頭上を覆う森に溶け込むようなピーコックグリーンの濃淡で塗り分けられ、切妻の板張りはユニークな放射模様を描いている。駅名標はそれと対比をなすキャロットオレンジで、スクロール装飾の凝った額縁に、フラクトゥール文字で名が記される。照明灯もまた、19世紀のガス灯を思わせるデザインだ。

同じ小道具が他の電停にも見られるが、両側のホームに存在するのはここだけで、加えて山上方面のホームには、105‰の勾配標(下注)も初めて現れる。

*注 105‰は設計図上の、いわば平均勾配で、実際は微妙な増減がある。

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電停の愛すべき小道具たち
(左)駅名標と待合室 (右)ガス灯風の照明
 

リンツ動物園 Zoo Linz 最寄りのティーアガルテン Tiergarten(動物園)電停まではわずかに180mの距離しかない。その後少しの間は、斜面に開かれた畑の中をうねるように上っていく。森や家並みに遮られることなく、山頂の巡礼教会と走行中のトラムが一つの構図に収まる撮影適地なのだが、用地が生垣に囲まれているので、車体の下半分が隠されてしまうのが残念だ。

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トラムと巡礼教会が一つの構図に収まる
(ティーアガルテン~シャブレーダー間)
 

シャブレーダー Schableder は登山区間のほぼ中間にある電停で、列車交換が可能だ。周辺は坂道が少し落ち着く踊り場のような場所なので、宅地が広がり、どことなく開放的な雰囲気がある。

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(左)開放的な雰囲気のシャブレーダー電停
(右)105‰が582m続くことを示す勾配標が建つ
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シャブレーダー電停を後に105‰(平均)の坂を上り始めるトラム
 

電停を出たところで、再び105‰の勾配標を見つけた。582m続くとあるからまさに胸突き八丁で、トラムはゆらゆらと蛇行しながら高度を稼いでいく。大きく右にカーブしていく築堤のところで、左手にドナウ川の深い渓谷が一瞬見えた。直後に通過するホーアー・ダム Hoher Damm という電停名は、高い堤という一般名詞から来ている。

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ホーアー・ダム電停付近の急坂
遠くにドナウ対岸の山が見える
 

珍しく直線ルートの切通しを抜けると、その名もアインシュニット Einschnitt(切通し)電停だ。下手に105‰の終点を示す勾配標があったが、その後も100‰などという表示が無造作に現れるから、坂が緩むという感覚はほとんどない。オーバーシャブレーダー Oberschableder が、最後の列車交換場所になる。木々の間から今度は右の車窓が少し開けて、朝もやに霞むドナウ左岸の新市街が望めた。下界との標高差はすでに200mほどになっている。

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最後の列車交換場所、オーバーシャプレーダー電停
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朝もやに煙るリンツ新市街
 

再び坂道になり、森の斜面を上っていく。ペストリングベルク・シュレッスル Pöstlingberg Schlössl は同名の山上ホテル兼レストランの最寄り電停だが、知らない間に通過していた。

トラムが大きく左にカーブすると、前方に石組みの二重アーチが見えてくる。終点のペストリングベルク駅(下注)だ。2線2面の構内は、標高が519mに達する。軌道は、1830年代に築かれた軍事要塞の第4塔を貫き、反対側で止まっている。トラムがくぐった二つのアーチは、いったん壊した周壁の位置にわざわざ造り足されたものだ。待合室やトイレも、塔内部の部屋割りを利用しているのがおもしろい。

*注 終点につき駅と記したが、施設は無人で、正式には Haltestelle(停留所)の扱い。

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このカーブを曲がれば終点が見えてくる
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要塞の塔を改造したユニークな造りのペストリングベルク駅
 

さて、山頂は鉄道開通に合わせて行楽地に開発されている。駅の出入口から左へ進むと、第5塔の天蓋を利用したリンツ市街を一望する展望台、右に進むと、1906年開業のグロッテンバーン Grottenbahn(洞窟鉄道)という子ども向けの遊覧鉄道がある(下注)。最後に山上にそびえる巡礼教会の扉を開けて、敬虔なひと時に浸ることができれば、ペストリングベルク小旅行の目的は十分に果たされる。

*注 本物の洞窟ではなく、要塞の第2塔に造られた小さな遊園地。

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 ペストリングベルクの登山トラム I-概要
 グムンデンのトラム延伸 I-概要

2019年2月27日 (水)

ペストリングベルクの登山トラム I-概要

ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn

1898年開通、2009年5月 改軌およびハウプトプラッツへの延長

(2008年3月まで)
ウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr ~ペストリングベルク Pöstlingberg 間 2.9km
軌間1000mm、直流600V電化、最急勾配116‰、高度差255m

(2009年5月から)
ハウプトプラッツ Hauptplatz ~ペストリングベルク Pöstlingberg 間 4.14km
軌間900mm、直流600V電化

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かつての始発駅(右奥)の前を通過する
ペストリングベルク鉄道のトラム(改造旧車)
 
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市内を走るトラムが、登山鉄道に変身する。高台の住宅地へ上っていく程度のものなら他の都市でも見られるが、このトラムはそれとは違う。本気で山上の展望台をめざし、最大116‰というとてつもない急勾配を力強く上っていくのだ。しかも登山鉄道なら半ば常識の、ラックレールとピニオン(歯車)の助けを借りることはない。オリジナル区間が2.9kmと小規模ながら、ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn は、他にはないプロフィールを備えた路線だ。

舞台は、オーストリア第3の都市リンツ Linz。工業都市のイメージが強いが、ドナウ川の右岸(南側)に沿って気品漂う旧市街がある。川は街の西を限る山地に渓谷を刻んだ後、この前に出てくる。河岸のテラスに立ち、川向こうに目をやると、ひときわ高いピークと、そこに2つの尖塔をもつバロック様式の教会がそびえている。ペストリングベルク巡礼教会 Wallfahrtskirche Pöstlingberg だ。鉄道は、旧市街のハウプトプラッツ Hauptplatz(中央広場)からドナウを渡り、山を上ってその教会のすぐ下まで通じている。

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ドナウ川越しに望むペストリングベルク
山頂に巡礼教会がそびえる
 

今でこそ市内トラムの路線網に組み込まれて50系統を名乗っているが、鉄道は10年ほど前(2008年)まで独立した路線だった。なぜなら、市内トラムの900mm軌間に対して、若干広いメーターゲージ(1000mm軌間)を採用したため、乗入れが不可能だったのだ。山を上るには強力な電動機を搭載する必要があり、そのスペースを台車に確保するために、敢えて軌間を別にしたのだという(下注)。

*注 世界的に見れば逆に、1000mm軌間は一般的で、トラムの900mmのほうが珍しい。この軌間は現在リンツと、ポルトガルのリスボン市電にしか残っていない。

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リンツ周辺の地形図に主な鉄軌道ルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

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ペストリングベルク巡礼教会
 

そもそも、なぜここに鉄道が造られたのだろうか。しかもラック鉄道でなく、レールと車輪の摩擦力だけで走る粘着式鉄道として。

ペストリングベルクは、18世紀前半から巡礼者が訪れる聖なる山だった。当時は一帯が深い森に覆われていて、頂上に眺望の利く場所はなかった。ところが、1809年のフランスとの戦い(オーストリア戦役)で、オーストリアに侵攻したナポレオン軍は山頂に陣地を設営し、見通しを妨げる樹木を伐り払った。さらに1830年代にはオーストリア帝国の要塞が築かれ、より広いエリアが伐採された。それらをきっかけに眺望を楽しむ人々が上るようになり、山は行楽地の性格を強めていく。

そこに商機を見出したある技師が、1891年に山頂まで蒸気動力のラック鉄道を建設する構想を発表した。ルート設計が完成し、ウィーンの建設会社リッチュル Ritschl & Co. が参画したことで、構想は実現に向かうかと思われた。ところが、リッチュル社は一方で、リンツで電力業を興す事業組合にも名を連ねていた。その設立目的は発電所を造るだけでなく、生成した電力の一部を利用して市内にトラムを走らせるというもので、ペストリングベルク線も併記されていた。

全体の採算性では、後者のほうが手堅いのは自明のことだ。また、電動車ならラックレールに頼らずに上れる。こうして技師の構想を一部借用しながらも、電気トラムの登山鉄道が建設されることになった。事業を推進するために、リンツAGリーニエン Linz AG Linien(リンツ株式会社公共交通部門、現在の運行組織)の前身であるリンツ=ウーアファール軌道・電力会社 Tramway- und Elektrizitäts-Gesellschaft Linz-Urfahr (TEG) が設立された。

山頂には1830年代の要塞施設が放置されていたが、会社はそれを買収し、望楼跡に、鉄道駅とともに展望台、ホテル・レストランなど観光施設を整備した。約10か月の工事期間を経て、ペストリングベルク鉄道は1898年5月に開業式を迎えた。

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かつての要塞を改造したペストリングベルク駅
 

後に高級住宅街となるペストリングベルク山麓も、当時はまだ開発が進んでおらず、会社は行楽客の需要しか見込んでいなかった。それで車両も、オープンタイプのいわゆる「夏電車 Sommertriebwagen」6両のみでスタートしている。しかし、初年の運行が12月まで続いたことから、オープンデッキつきの密閉型車両が2両追加で調達されて、1900年から通年運行に移行した。

クリーム色をまとう2軸の古典電車は、特徴的な機構を備えていた。一つは、トロリーポールの集電装置だ。先端部分は最初ホイールだったが、第一次世界大戦後、スライダーシュー(摺り板)に交換されている。

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(左)トロリーポールで集電していた旧車
   (1999年8月、ウーアファール登山鉄道駅で撮影)
(右)開通当初はポールの先端がホイールだった
   (鉄道博物館の展示品を撮影)
 

もう一つは制動装置で、ケーブルカーに見られるような非常ブレーキを装備していた。レール圧着ブレーキ(ドイツ語ではツァンゲンブレムゼ Zangenbremse(プライヤーブレーキの意))といい、ブレーキシューをプライヤーのようにレールの頭部側面に押し付ける仕組みだ。レールの断面もそれに適応した楔形をしていた(下の写真と図参照)。また、踏切などでは、これが通過できるようにレールの両側に溝が掘られている。

問題はレールの分岐部で、トングレールを用いる通常の分岐器が使えないため、レール片を水平移動させる特殊な分岐器(シュレップヴァイヒェ Schleppweiche、引き摺り分岐器の意)が設置された。同じ理由で、レールが交差するフログ(轍叉)の部分は回転構造になっている(ヘルツシュレップ Herzschlepp)。

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非常時に楔形レールに作用するレール圧着ブレーキ
(鉄道博物館の展示品を撮影)
右はその図解
Photo by Dralon at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 
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特殊な分岐器シュレップヴァイヒェを設置
踏切ではレールの両側に溝が切ってあった(1999年8月、車内から撮影)
右はその図解
 

鉄道は、常識を超えるような急勾配を上っていく。1983年には、世界で最も険しい粘着式鉄道としてギネスブックに登録されたこともあるほどだ(下注1)。しかし、これを上回るリスボン市電網のデータ(下注2)が知られるようになり、現在の公式サイトは、「今もなお世界で最も険しい粘着式鉄道に数えられている」と、控えめな表現になっている。

*注1 ペストリングベルク鉄道の公式パンフレット(2015年3月版、リンツAGリーニエン発行)による。
*注2 Railserve.com の鉄道世界記録のリストによると、最急勾配はリスボン市電網の13.8%(138‰)とされている(28E系統のサンフランシスコ舗道 Calçada de São Francisco の併用軌道に存在)。
https://www.railserve.com/stats_records/highest_steepest_railroads.html

その勾配の最大値は、長い間105‰(水平距離1000m当たりの高低差が105m)と言われてきた。設計図上はそのとおりで、現地に建っている勾配標も105を超えるものはない。しかし近年の精密測量で、それが平均値に過ぎず、実際にはホーアー・ダム Hoher Damm 付近で116‰に達することが明らかになった。現在、これが公式の最急勾配とされている。

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(左)105‰の勾配標
   "388"はその勾配が続く距離(388m)を示す
(右)ホーアー・ダム付近の急勾配を降りてくるトラム
 

110年間不変のスタイルで走り続けてきたペストリングベルク鉄道が、敢えて長期に運休してまで大改造されることになったきっかけは、2005年1月24日にシャプレーダー停留所 Haltestelle Schableder 付近で発生した脱線事故だった。古いシステムの安全性が議論の焦点となり、その結果、鉄道近代化のための計画が練られた。

目的は運行の安全性を確保し、保守作業の効率性を高めることだが、同時に、リンツの新しい観光需要の発掘も期待された。旧式の運行は2008年3月24日に終了し、続く14か月の工事期間を経て、開通111周年の2009年5月29日に新たな運行が開始された。

では、従来と何がどう変わったのだろうか。最大の改良点は、軌道を市内トラムと同じ900mmに改軌して、市内中心部への直通を可能にすることだった。旧市街のハウプトプラッツ(中央広場)にある停留所が新しいターミナルとされ、ペストリングベルク鉄道のトラムはここから山頂へ直通する。

市内軌道網と接続するために、山麓の旧 起点駅であるウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr は廃止された。そして駅直前の地点から、最寄りのトラム停留所であるラントグートシュトラーセ Landgutstraße(下注1)まで、新たに軌道が延ばされた。このルートは、標準軌のÖBBミュールクライス線 Mühlkreisbahn を横断する必要があり、そこに異軌間同士の平面交差が設けられている(下注2)。また、ハウプトプラッツには、ホームを兼ねた専用の折返し線が設けられた。

*注1 市内トラム3系統(2016年から4系統も)の起終点。
*注2 実はペストリングベルク鉄道開業当初もトラムとの乗換の便を考慮して、ミュールクライス線をまたいだ南側に、山麓駅が設けられていた。しかし、ミュールクライス線との交差部に設置した特殊な可動式ポイントの操作が煩雑過ぎたため、翌年、この交差を廃止して北側にウーアファール登山鉄道駅を造ったいきさつがある。

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ÖBB ミュールクライス線との平面交差
ペストリングベルク鉄道のトラムは、左手前から右に折れて、平面交差を渡り、右奥へ進む
左奥の建物はもとの始発駅であるウーアファール登山鉄道駅
右奥の、気動車が多数見える構内は ミュールクライス線の起点、リンツ・ウーアファール Linz Urfahr 駅
 

改軌によって、車両の調達または改修も必要になった。新車としてボンバルディア社のマウンテンランナー形(下注)が発注され、2009年に501~503号車の3編成、2011年に追加の1編成(504号車)が就役した。これは100%低床の3連節車で、定員は座席33+立席55と、旧車(22+16)に比べて2.3倍の輸送力を擁する。また、旧車についても1940~50年代製のVIII、X、XI号車が、台車交換による改軌や集電装置のパンタグラフ化を含め、必要な改修を受けて再デビューした。

*注 ボンバルディアのウィーン工場(もとローナー・ヴェルケ Lohner-Werke)製。

軌間の統一で、レールや分岐器も一般的な形状になったため、これらの車両には、非常ブレーキとして電磁吸着ブレーキが設置されている。

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(左)ペストリングベルク鉄道の新車
   504号車は2011年に就役した追加編成
(右)バリアフリーに対応した100%低床の車内
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(左)土・日・祝日には、改造された旧車(写真はXI、VIII号車)も2両連結で走る
(右)デッキ付きで、寒冷期には新車より快適かもしれない
 

直通化の開始で、対の小塔と外壁のハーフティンバーが印象的なウーアファール登山鉄道駅は、本来の役割を失った。嬉しいことに建物と構内は原形のまま保存され、2008年5月にペストリングベルク鉄道博物館 Pöstlingbergbahn-Museum として再生されている。

2面2線の頭端型線路は、片方が900mmに改軌され、本線に接続された。もう片方は1000mmのままで、車庫につながっている。車庫には、改造の対象から外れた旧車のうち、開業当初から在籍する「夏電車」I号車(1898年製)と、閉鎖形のXII号車(1950年製)が動態保存されており、構内に新旧2種の軌間の車両を並列して展示することも可能になっている。博物館は、冬季を除く土・日・祝日のみ開館する。

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ペストリングベルク鉄道博物館を訪問
(左)旧 ウーアファール登山鉄道駅を転用した施設
(右)2面2線のホームも健在
   左がもとの1000mm軌間、右は改軌されて 900mmに

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駅舎と向かい合う車庫を見学させてもらう
左2線には900mm軌間の改造車(日曜につき出払っていた)、
右1線には1000mmの非改造旧車が休む

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美しく保たれた非改造旧車だが、もう山に上ることはできない
(左)開業当初からの最古参「夏電車」I号車
(右)閉鎖形XII号車
  前面のフックは自転車を吊り下げるためのもの、900mm改造車では撤去されてしまった
 

さて、ペストリングベルク鉄道の現在の運行状況はどうなっているだろうか。列車は30分間隔で運行されている。ただし、土・日・祝日の10~17時の間は、上述の改軌された旧車が2両連結で間に投入されるため、つごう15分間隔となる。そのほか、沿線のアントン・ブルックナー私立大学 Anton Bruckner Privatuniversität の開講日は朝7時30分~9時の間、ハウプトプラッツ~ブルックナー大学間の区間便が運行されている。全線の所要時間は、山上方面21分、山麓方面19分だ。

ちなみに運賃は、従来どおり他の系統とは別建てなので注意を要する。停留所にある券売機やオンラインショップで、片道券または往復券が買える。リンツ中央駅から出発する場合は、ペストリングベルク鉄道往復と市内中心ゾーン24時間乗車が可能な「エアレープニス(体験)チケット Erlebnisticket(旧名 ペストリングベルク鉄道コンビチケット Pöstlingbergbahn-Kombiticket)」を買っておくと便利だ。また、リンツ・カード Linz-Card の3日券には、ペストリングベルクを往復できる特典がある(1日券は不可)。

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リンツ市内トラム路線図の一部
太線がトラムのルート
50系統ペストリングベルク鉄道は緑で示されている
© 2019 LINZ AG
 

次回は、ハウプトプラッツから山頂まで、登山鉄道が走っていく風景を追ってみよう。

■参考サイト
ペストリングベルク鉄道(リンツAG公式サイト)
https://www.linzag.at/portal/de/privatkunden/freizeit/grottenbahnpoestlingberg/poestlingberg/#

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2019年2月17日 (日)

シュネーベルク鉄道再訪記

ウィーン滞在中、良く晴れた日を狙って、標高2076mのシュネーベルク Schneeberg へ出かけた。山はウィーンの南西65kmにあり、2000mを越えるピークとしてはアルプス山脈の東の端に位置する。麓の村からその山を上っていくシュネーベルク鉄道 Schneebergbahn というラックレールの登山鉄道に乗ることが、遠出の目的だ。

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ÖBBの気動車(左)からの客を受けて、山上へ向かう列車(右)
背景はシュネーベルク山
プフベルク駅にて
 

実は19年前に一度、この鉄道に乗ったことがある。しかし、あいにく天候に恵まれず、列車は上っていく途中で濃霧に包まれてしまった。むろん山上からの見通しはまったくきかなくて、真夏というのにめっぽう寒かったことを覚えている。それで、再訪するなら好天でなければ意味がなかった。

鉄道の沿革等については、旧稿「オーストリアのラック鉄道-シュネーベルク鉄道」を参照していただくとして、今回は旅の一部始終を記していこう。

朝のウィーン中央駅 Wien Hbf から、7時58分発のEC(ユーロシティ)エモナ Emona 号に乗り込む。リュブリャーナ行きのエモナは以前も使った列車だが、まだ健在で、前方の数両はスロベニア国鉄のコンパートメント車両が使われている。ウィーン・マイドリング Wien Meidling で大勢の客を拾った後、葡萄畑の中を滑るように走ると、次の停車駅はもうウィーナー・ノイシュタット Wiener Neustadt だ。列車を乗換えなくてはならない。

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ウィーン中央駅のエモナ号
水色帯の車両はスロベニア国鉄のもの
 

この先は、プフベルク線 Puchberger Bahn と呼ばれるÖBB(オーストリア連邦鉄道、いわゆる国鉄)のローカル線になる。2両連接の気動車が、登山鉄道の待つプフベルク・アム・シュネーベルク Puchberg am Schneeberg 駅(以下、プフベルク駅と記す)との間をつないでいる。緑の平野が尽きると、小さな峠を、軽便鉄道のような急カーブ急勾配の線路で越えていく。のどかな風景のまま、9時24分、終点に到着した。

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(左)ウィーナー・ノイシュタット駅でプフベルク線の連接気動車に乗換え
(右)車内
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シュネーベルク鉄道周辺図
 

プフベルク駅はすっかり新しくなっていた。2015年に完成した増築駅舎の1階に、スーベニアショップを兼ねたチケットカウンターが置かれ、上階は小さな鉄道ミュージアムになっている。構内を見回すと、左手に建つ旧来の木造車庫とは別に、右奥に新建材で造られた車庫兼修理工場がある。稼働中の車両はこちらに移され、木造車庫は主に使われていない機関車や客車の置き場になっているという。

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プフベルク・アム・シュネーベルク駅
(左)左が新しい増築駅舎、右の旧駅舎は管理棟に
(右)増築駅舎1階のチケットカウンターに並ぶ人の列
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プフベルク駅構内
正面奥が新しい車庫兼修理工場
 

登山鉄道の切符は、ÖBBとは別だ。昔なら出札窓口に駆け込むところだが、いまどきの乗車券はネット予約ができるから、あらかじめ購入し、印刷してある。公式サイトには、始発9時00分の次が10時30分発と書かれていたので、それに乗るつもりだ。

ところがカウンターのモニターを見ると、30分間隔の発車になっている。しかも直近の9時30分発はもとより、次発、次々発と2本先まですでに満席だ。今買おうとすれば、11時発しか空いていない。ÖBBの気動車から降りたのは30人に満たなかったので、この盛況ぶりは意外だった。国際的な観光地ではないものの、シュネーベルクは相変わらず地元の人気スポットなのだ。実際、駅の周辺にはクルマがずらりと駐車してあり、客の多くが自家用車やマイクロバスでここまで来ている。

予約した10時30分発を待つ間、近くの公園に置かれている小型蒸機を見に行った。標準軌の小型機関車(92.2220、1898年製)で、かつてプフベルク線を走り、22号機「クラウス Klaus」と呼ばれていたものだ。それから駅に戻って、2階ミュージアムを見学する。当時の写真や資料類が展示されていて、床続きのテラスにも出られる。そこから標準軌とラックレールが並ぶ駅構内や、青空に映えるシュネーベルクを眺めているうち、改札開始のアナウンスが流れた。

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(左)近くの公園に置かれていた標準軌の小型蒸機
(右)駅構内の記念碑「1895~1897年に造られたラック鉄道の製作者レオ・アルノルディを記念して」
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開通120周年を記念する駅舎2階ミュージアムの展示
 

団体客に交じってぞろぞろとホームに出ると、ラックレールに対応した連接気動車「ザラマンダー Salamander」が入ってきた。前回乗りに来た時はまだ導入されたばかりで、地域に生息するサンショウウオを模したという濃緑地に黄斑の大胆な塗装には衝撃を受けたものだ。先頭には、山上へ貨物を届けるための小さなトレーラーを伴っている。ザラマンダーの鼻先にいつもくっついて走るので、その名も「ザラマンダー・ベイビー Salamander-baby」だ。気動車が3編成揃ったことで、かつて活躍した蒸気機関車は完全に脇役に退いてしまった。5両あるうち、動けるのはもはや2両で、7~8月の日・祝日に懐古列車 Nostalgiezug として使われるだけになっている。

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(左)ホームに列車が入線
(右)貨物を運ぶザラマンダー・ベイビー
 

ザラマンダーの車内は、通路をはさんで3人掛けと2人掛けのシートが向い合せに並んでいる。予約は定員管理をしているだけで、席は決まっていない。ほとんどの区間で、進行方向左側に眺望が開けるのだが、南向きなので陽光をまともに浴びることになる。一般客は眩しさを敬遠するようで、難なく左端の席をとることができた。

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車内(帰路の撮影につき座席には余裕がある)
 

やがて汽笛が短く鳴り、シュネーベルクに向けて発車した。列車はプフベルクの村里を縫った後、ヘングスト Hengst というシュネーベルクの前山に取りつき、その山腹をおもむろに上っていく。ブナや針葉樹の森が延々と続く。時刻表にはヘングストタール Hengsttal(起点から1.160km)とヘングストヒュッテ Hengsthütte(同 4.523km)という停留所が記されているが、どちらもリクエストストップらしく、列車は停まらなかった。

それに対して、シュネーベルクの山塊を目前にしたバウムガルトナー Baumgartner(同 7.360km)では、すべての列車が停車する。蒸機ならここで給水するのだが、その必要がないザラマンダーにも5分の休憩時間が与えられる。この間に乗客は列車から降りて、休憩所で売られているブフテルン Buchteln という、パン生地にジャムなどを混ぜて焼いた菓子を買い求めるというのが、お決まりの行事だ。しかし、おやつの時間には中途半端なのか、この列車では名物を手に入れた人は少なかった。

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(左)プフベルクの盆地から山中へ
(右)バウムガルトナー停留所、正面に山上の教会が見える
(いずれも帰路撮影)
 

停留所を後にして、鞍部に築かれたホーエ・マウアー Hohe Mauer(高い石垣の意)を渡る。俄然勾配が急になり、後ろにつく動力車のエンジン音がひときわ高まる。それとともに視界が大きく開け、ヘレンタール Höllental の谷を隔てて、隣に横たわるラックス Rax 山塊も姿を現した。2本のトンネルを介したS字ループをじりじりと回り切れば、もう山上の台地だ。

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(左)終盤は隣のラックス山塊が姿を現す
(右)トンネル出口の雪囲い、線路はこの中に
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最後のカーブを回って山上の台地に出る
 

かつて山上の終点は、エリーザベト教会 Elisabethkirche の前だった。終点といっても嵩上げされたホームも屋根もなく、あるのは乗員が待機するための小屋だけだった。2009年に山の家 Berghaus の前に新しいホームが完成し、これに伴い線路は、山の家への引込み線を利用して133m延長された。

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エリーザベト教会の前を通過
 

一方、貨物の受け渡し所だけは、旧駅跡に残されている。列車はそこでいったん停車し、ザラマンダー・ベイビーから手早く荷物の積み下ろしが行われた。そして教会の前を通過し、おもむろに新駅に入っていく。11時10分着、所要40分の列車旅だった(下山する列車は38分)。ホームは、アーチ形の屋根とアクリルのパネル壁に覆われ、悪天候のときでも乗降に支障がない。出札など駅の機能は、山の家の中に設けられている。

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山上旧駅跡
(左)配線は残存するが片方は使われていない
(右)ザラマンダー・ベイビーから貨物の積み下ろし
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山上新駅
(左)車庫のような新駅、右奥は従来からある山の家
(右)新駅は全天候型ホーム
 

しばらく山上を散歩した。エリーザベト教会は修復工事中で入れないが、麓から山の目印になっているだけに、裏庭に回ると下界の眺望がみごとに開ける。波打つ山地に囲まれて明るい緑の横縞を描く牧野に、集落の屋根が点々と浮かんでいる。ひときわ密集しているのがプフベルクの村で、登山鉄道の始発駅も見える。遠方はかすんでいるものの、シュタインフェルト Steinfeld と呼ばれるウィーン盆地南部の広がりが感じられる。

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ヴァックスリーガーから東を望む
右端がプフベルクの村
 

眺望が利く東側に対して、西側はヴァックスリーガー Waxrieger というコブ山が目の前に立ちはだかり、シュネーベルクの主峰を隠してしまう。ここまで来たからにはその稜線を拝みたいので、ヴァックスリーガーへの山道を上った。駅との比高は80m、さほど時間はかからない。十字架のそびえる頂に立つと、抜けるような青空のもと、期待通りホッホシュネーベルクの大パノラマが展開した。

左のクロスターヴァッペン Klosterwappen(標高2076m)から右のカイザーシュタイン Kaiserstein(同 2061m)まで、長く続く灰白の稜線がシュネーベルクのピークだ。駅から延びる登山道は、左から山小屋ダムベックハウス Damböckhaus の前を通過し、ハイマツの群落が散らばる山腹をジグザグを描きながら上っていく。数人ずつ、稜線に載る山小屋フィッシャーヒュッテ Fischerhütte をめざして歩いていくのが見える。山頂までは3km程度で、みな比較的軽装備だ。

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ヴァックスリーガーから西を望む
正面右がシュネーベルクの主峰、クロスターヴァッペンからカイザーシュタインにかけての稜線。左手前から延びる登山道がジグザグに上っていく
左後ろの蒼い山塊はラックス山
 

帰りの列車も予約してあるのだが、あまりにいい天気なので、一つ下のバウムガルトナーまで歩いて降りようと思う。山上駅との標高差は400mほどだ。道標に1時間とあったので高を括っていたが、急坂なうえに小石の転がるザレ場が随所にあり、歩きにくい山道だった。かなり下ったところで踏切を渡り、後はホーエ・マウアーに沿って林道を降りる。

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山上から見下ろすバウムガルトナー停留所では、列車の交換中
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山上からバウムガルトナーへ降りる登山道
(左)随所にザレ場があり、足を取られる
(右)目的地がはるか右下に
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(左)ラックレールの踏切を渡る
(右)ホーエ・マウアー区間に設置された、突風による脱線転落を防ぐ護輪軌条
 

それでもバウムガルトナーでは、発車時刻まで20分ほど余裕があった。当然、名物のシュネーベルク・ブフテルン Schneeberg-Buchteln を試さなければならない。フィリングは、マーリレ Marille(アプリコットジャム)とポヴィドル Powidl(スモモのムース)の2種から選べる。マーリレとビールを注文して、テーブル席でいただく。けっこう歩いたので、ビールの炭酸がことさら喉にしみる。甘酸っぱいジャムの味を楽しみながら、ブフテルンにかかっている粉砂糖がシュネーベルクの雪を表していたことに改めて気づいた。

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バウムガルトナー停留所にて
(左)ホームに隣接するテーブル席
(右)雪を表す粉砂糖のかかった名物ブフテルン
 

そろそろ列車がやって来る頃だ。先に到着したのは、麓から上ってきたザラマンダーだった。まもなく山上からの列車が向かいの山腹に現れ、その姿がじわじわと大きくなってくる。シュネーベルクを背景に直線のホーエ・マウアーを降りてくる列車風景は、シュネーベルク鉄道の写真の定番だ。これがヴィンテージ蒸機だったら、なお絵になるのだが。

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ホーエ・マウアーを降りてくるザラマンダー
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バウムガルトナーでの列車交換
 

■参考サイト
シュネーベルク鉄道(公式サイト) http://www.schneebergbahn.at/

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