2019年6月19日 (水)

グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn

グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.9km
軌間1000mm、直流600V電化(ゼーバーンホフ~エンゲルホーフ間)、直流750V電化(エンゲルホーフ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク間)
1912年開通、1990年旧 ゼーバーンホーフへ延伸、2018年グムンデン路面軌道と直通化

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運転士自らポイントを転換
フォルヒドルフ駅にて
 

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn は、正式にはグムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf という。名のとおり、トラウン湖畔のグムンデンと、その北東10km強にある田舎町フォルヒドルフを結ぶメーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線だ。この地方の主要な交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社が運行を担ってきた。

終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクでは、標準軌支線のフォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn(下注)に接続し、それを通じて、ランバッハ Lambach でウィーン~ザルツブルク間の幹線である西部本線 Westbahn にも連絡している。それで路線図では、西部本線からグムンデン方面に延びる支線のようにも見える。しかし、2回の乗換えを要するため、そのような利用は一般的ではない。路線の主な役割は、フォルヒドルフとその周辺からグムンデンに向かうローカル需要に応じることで、それが建設の目的でもあった。

*注 正式名はランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがトラウンゼー鉄道
 

最初にこのルートで計画されたのは、グムンデンからフォルヒドルフを経てさらに東のペッテンバッハ Pettenbach に至る電化鉄道で、1895年のことだ。グムンデン路面軌道が前年(1894年)に開通しており、当然この軌道との接続が想定されていた。しかし、これは予備認可を得たものの、着工には至らなかった。

他方、フォルヒドルフでは、1903年に上述のフォルヒドルフ鉄道が開通し、1908年には同じ西部本線の沿線都市ヴェルス Wels と結ぶ路線構想も浮上していた。そのため、商圏の縮小を案じたグムンデン市が自ら鉄道建設に乗り出し、その結果、1912年3月に開業したのがトラウンゼー鉄道だ。初期の保有車両は電動車2両と付随車2両で、通常4往復、市の立つ日は5往復の列車が走った。

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かつてのトラウンゼー鉄道
グムンデン鉄道史の展示パネルより
 

グムンデン側の起点は、市街の川向うにあるトラウンドルフ Traundorf に設けられた。古い馬車鉄道(下注1)の終点から少し上手で、駅を出て間もなく、その馬車鉄道から転換された標準軌の国鉄ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(下注2)と合流する。そして、エンゲルホーフまで2km足らずの間、両者は3線軌条でルートを共有した。

*注1 1836年にグムンデンに到達したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道 Pferdeeisenbahn Budweis–Linz–Gmunden。
*注2 ランバッハ=グムンデン地方線は1884年に国有化。当時はまだ馬車鉄道を継承した1106mm軌間だったが、1903年に標準軌に改軌された。トラウンタール線 Trauntalbahn の別称もある。

連絡する2本の鉄道がいずれも標準軌だったにもかかわらず、トラウンゼー鉄道が1000mm軌間とされたのはいうまでもなく、グムンデン路面軌道への乗入れに備えてのことだった。しかし、トラウン川への架橋と市街地横断という難工事を伴うため、延長計画はこの時代には実現しないままとなった。

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旧型車 ET23 112(1954年 SWS製)
 

国鉄ランバッハ=グムンデン地方線(以下、ÖBB線)は、1988年に旅客輸送を終了した。それを受けてトラウンゼー鉄道は1990年に、開業以来のトラウンドルフ駅から、ÖBB線の終着駅だったゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof に起点を移した(下注)。両線ともランバッハにつながっているので、代替輸送の役割を付与されたのだろう。当時まだÖBB線の貨物輸送が残っていたので、3線軌条の延長工事も併せて行われた。

*注 別途、トラウンドルフ駅近くの本線上に、代替となるトラウンドルフ停留所が開設され、2014年まで使われた。

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グムンデンの路線網と駅の変遷
 

とはいえ、ゼーバーンホーフもグムンデン中心街から見れば川向うだ。また、終点のフォルヒドルフは人口7000人ほどの町に過ぎず、需要の掘り起こしには限界がある。それでトラウンゼー鉄道は最近まで、主に単行の旧形電車が1時間に1本走る程度の、のどかなローカル線だったのだ。

前回の続きで、路線の起点であり、路面軌道との接続点でもあるグムンデン・ゼーバーンホーフから、ルートに沿って変貌ぶりを見ていこう。

トラウンゼー鉄道のターミナルとなって以降も、ゼーバーンホーフは、ほとんどÖBB線時代のまま使われていた。1999年に訪れたときには3線軌条の標準軌側レールはもはや錆びていたから、貨物列車の運行も実質終了していたのだろう。その後、共用区間のÖBB線は2009年2月に正式に廃止され、トラウンゼー鉄道専用となった。

2014年の大改修で、ゼーバーンホーフの旧駅舎はホームもろとも撤去され、新たにトラウンシュタイン通りの北側に島式ホームと待合所が設置された。見かけも運行上ももはやターミナルではなく、中間電停だ。湖に突き出していた構内は、2018年10月現在、更地になっている。

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ゼーバーンホーフ電停
(左)広めのホームが敷地の余裕を物語る
(右)反対側はトラウン湖に臨む
  道路の先が旧駅跡で、現在は更地に
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1999年のゼーバーンホーフ(湖岸駅)
構内は3線軌条が敷かれていた
 

ゼーバーンホーフを後にすると線路は単線になり、右に左にカーブを切りながら、勾配を上っていく。枕木もメーターゲージ用に交換されたので、3線軌条を思い出させるものは残っていない。坂の途中にあったトラウンドルフ電停は廃止され、新たにシュロス・ヴァイヤー Schloss Weyer とレンベルクヴェーク Lembergweg の各電停が開設された。

旧 共用区間はエンゲルホーフ Engelhof で終わるが、同じようにÖBB線の駅とホームが撤去され、2面3線の中間ターミナルに再生された。日中10~20分間隔、毎時4本(土日は3本)のダイヤはここまでで、以遠では2本が間引かれて30分間隔(土日は1時間間隔)となる。西側の1面1線に、そのエンゲルホーフ止まりの列車が発着する。

ちなみに、ÖBB線の駅名はエンゲルホーフだったが、トラウンゼー鉄道の電停はそれと区別するためにエンゲルホーフ・ロカールバーン Engelhof Lokalbahn(ロカールバーンは地方鉄道の意)を名乗っていた。現在、電停や車内の表示はエンゲルホーフ・バーンホーフ(エンゲルホーフ駅)Engelhof Bahnhof になっている。

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エンゲルホーフを発つグムンデン駅行きトラム
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エンゲルホーフ電停
(左)2面3線の中間ターミナル、左1線は折返し用
(右)折返しホームに区間便が停車中
 

直進していたÖBB線(下注)に対して、トラウンゼー鉄道は右へ曲がり、トラウンシュタイン山を右手に仰ぎながら、畑と森の間を走っていく。木製の架線柱に直吊りのか細げな架線、線路の枕木も大半は木のままで、のどかな周囲の景色にしっくり溶け込んでいる。電停の設備だけは更新されているが、リクエストストップのため、乗降がなければ停まらない。

*注 2018年10月現在、駅構内の北端から先ではÖBBの線路が残されている。

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(左)中間の電停も改修済
(右)トラウンシュタイン山を仰ぎながら行く
 

やがて再び上り勾配となり、標高530mほどのサミットに達する。車窓右側にラウダッハ川 Laudach の谷が俯瞰でき、後はこれに沿って下っていくことになる。日中は、近くのアイゼンガッテルン Eisengattern 電停で列車交換が行われるが、倉庫の裏手のような殺風景な場所で、相手が到着すると合図もなく出発した。

坂を降りきったところでラウダッハ川を渡り、道路脇を進めば、左カーブの先にもう、フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 駅の留置された電車群が見えてくる。グムンデン駅から約40分、ゼーバーンホーフから25分の小旅行の終点だ。

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(左)アイゼンガッテルンで列車交換
(右)ラウダッハ川の谷を下る
 

フォルヒドルフ・エッゲンベルクは、運行を司るシュテルン・ウント・ハッフェルル社にとって重要な拠点になっている。十分広い構内にメーターゲージと標準軌の留置側線が何本も並び、側線からつながる車庫兼整備工場も二種の軌間に対応して、大型だ。貨車も含め、新旧さまざまな形式が留置されているが、トラムのホームから駅舎へ通じる通路はその側線を横断していくので、気兼ねなく観察ができる。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅構内
左側はメーターゲージ、右側は標準軌車両
 

標準軌の設備はいうまでもなく、この駅に接続しているフォルヒドルフ鉄道のためのものだが、真新しいグムンデントラムの連接車とは対照的に、こちらはまだ1950年代製の車両が現役だ。次回は、軌間は広いのに車両は旧形という、このフォルヒドルフ鉄道について詳述する。

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 グムンデンのトラム延伸 I-概要
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートに沿って

2019年6月 5日 (水)

グムンデンのトラム延伸 II-ルートに沿って

グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden の変貌ぶりには目を見張るものがある。車両や運行形態だけでなく、それを支える施設設備もすっかり新しくなった。いったい、どのように変わったのか。起点のグムンデン・バーンホーフ(グムンデン駅)Gmunden Bahnhof から順に、沿線風景と併せて見ていくことにしよう。

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グムンデン・バーンホーフ電停
右のÖBB線ホームに平面で接続
 
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グムンデン周辺の地形図に鉄軌道ルートを加筆
赤色の線がグムンデン路面軌道で、
列車は橙色のトラウンゼー鉄道に直通する
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)のザルツカンマーグート線に接続するトラムの乗り場は、かつて狭い駅前広場の向かい側にあり、並木の木陰の、屋根も側線もない簡素なターミナルだった。2014年7月に完成した改良工事で、それはÖBB駅の横に移設され、島式ホームをもつ1面2線の頭端駅になった。ホームには大きな屋根が架けられ、雨に濡れずに駅の待合室まで移動できる。ÖBB駅も同時に改修され、真新しい駅舎とホームが出現して、昔の面影は完全に消えた。

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グムンデン駅前
(左)旧 電停跡は道路に
(右)並木の木陰にあった旧電停(1999年撮影)
 

ホームを後にして、軌道はすぐ右に折れる。このカーブも以前は半径40mの急曲線だったが、線路移設によりやや緩和された。トラムは、正面にトラウンシュタイン Traunstein(標高1691m)の峨峨たる岩山を眺めながら、バーンホーフ通り Bahnhofstraße の右側に沿う専用軌道を走っていく。

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(左)グムンデン駅を出発
(右)バーンホーフ通りに沿う専用軌道
  背後の岩山はトラウンシュタイン
 

最初の停留所(以下、電停)は、待避線のあるグムンドナー・ケラミーク Gmundner Keramik だ。ケラミークは製陶所のことで、名産のグムンデン陶器を作る会社の工場が近くにある。2005年まで市街地寄り(車庫前)にあったクラフトシュタツィオーン(発電所)Kraftstation 停留所と路線途中の待避線を廃止して、代わりに設置されたのがこの電停だ。

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(左)グムンドナー・ケラミーク電停
(右)火力発電所跡に建つ時計塔
 

すぐ前に道路のロータリーがあり、バーンホーフ通りはまっすぐ旧市街へ下る。一方、軌道はそれに従わず、右前方に分岐する片側1車線のアロイス・カルテンブルーナー通り Alois-Kaltenbruner Straße に沿って南へ迂回する。線路が2本右へ分かれ、板戸に吸い込まれていくのが見える。開通当初からあるトラムの車庫だ。ただ手狭なため、連節車は、トラウンゼー鉄道の終点フォルヒドルフ Vorchdorf にある車両基地に拠点を置いている。

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開通当初からあるトラム車庫
 

縦断面図によれば、グムンデン駅からここまで緩やかな上りで、車庫付近が標高485m、ルートのサミットだ。通りを横断して左側に移ったところから、一転急な下り坂が始まる。やや鄙びた風景の中、ローゼンクランツ Rosenkranz 電停(下注)を過ぎると、線路に一段と勾配がつき、トラムは道路と離れて、転がるように段丘の斜面を降りていく。このあたりからいよいよ正面に、トラウン湖の水面が見え隠れするようになる。

*注 正式名称は、ローゼンクランツ/オーカーアー・ジードルング Rosenkranz/OKA-Siedlung。

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(左)アロイス・カルテンブルーナー通りに沿って南下
(右)トラウン湖が見え始める
 

待避線のある次の電停は、テニスプラッツ Tennisplatz だ。コート9面を擁する伝統あるテニスクラブの前にあり、連節車の車体長に合わせて、2008年に改修された。直通化後のパターンダイヤでは、ここで列車交換することが多い。

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テニスプラッツ電停で列車交換
 

ところでこの路線には、オーストリアではペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn(下注)の116‰に次ぐ100‰という、粘着式鉄道屈指の急勾配があることにも注目したい。それはテニスプラッツ電停から、坂下にあるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 本社前までの区間で、設計図上は94.7‰のところ、1992年の再測量でそれを上回ることが判明したのだ。それで、グムンデン路面軌道は「世界最険かつ最小の路面軌道 die steilste und kleinste Straßenbahn der Welt」だった。

*注 ペストリングベルク鉄道については、「ペストリングベルクの登山トラム I-概要」「ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って」で詳述。

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100‰の急勾配
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(左)架線柱の傾きで急勾配を実感
(右)シュテルン・ウント・ハッフェルル本社前を通過
 

本社前で専用軌道は終わり、その先は、狭い街路をすり抜けていく併用軌道区間となる。さすがに車は湖方面の一方通行だが、トラムは上下ともここを走る。電車とのすれ違いがやっとの道幅にもかかわらず、路上駐車が多いのには呆れるばかりだ。途中に、街路の名を採ったクーファーツァイレ Kuferzeile 電停がある。この区間では民家が接近しているため、2007年までに振動を軽減するマススプリング装置を軌道下に埋設する工事が行われ、そのとき、電停のホーム延長と嵩上げも実施された。

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(左)軌道以外は路上駐車スペース?
(右)クーファーツァイレ電停
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軒先をかすめて通る最狭区間
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(左)おまけに見通しも悪い
(右)点滅信号が車にトラム接近を警告
 

隘路を通過後は右側の視界が急に開けて、湖岸の遊歩道エスプラナーデ Esplanade が見えてくる。軌道は車道の左端(山側)に分離されているものの、街路と一体のため、溝付きレールが使われている。ベツィルクスハウプトマンシャフト(郡役場)Bezirkshauptmannschaft 電停を通過すれば、次が、1975年から43年間トラムの終点だったフランツ・ヨーゼフ・プラッツ(フランツ・ヨーゼフ広場)Franz-Josef-Platz だ。

手前で、軌道は左右に分岐して複線になる。西行き(グムンデン駅方面)はかつての終点電停に停まるが、東行き(フォルヒドルフ方面)は湖側に新設された専用ホームに入る。直通化に先立って、2015年に整備された施設だ。ホームの反対側にはバスが発着し、平面で乗継ぎできるようになっている。

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フランツ・ヨーゼフ・プラッツの東行き専用ホーム
反対側にはバスが発着
 

ここは湖畔の公園、フランツ・ヨーゼフ広場の前だ。天気が良ければ途中下車して、エスプラナーデのベンチに腰を下ろし、ザルツカンマーグートの蒼い山並みと、陽光跳ねる湖面をのんびりと眺めるのもいいだろう。その一角には、直通運転の開始を記念して、19世紀から現在に至るグムンデンの鉄道史を繙く解説パネルも立てられている。

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トラウン湖畔のエスプラナーデ
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トラウン湖のパノラマ
エスプラナーデから南望
 

さて、フランツ・ヨーゼフ・プラッツの電停を出発すると、トラムは昨年(2018年)9月に開通したばかりの新設区間に入っていく。ある意味で、ここは通行上の難所だ。

道幅は2車線分あるのだが、軌道が複線になるので、街路をほぼ占有してしまう。そのため、車は軌道上を走るしかない。しかもこの通りは州道120号線の一部になっていて、交通量が多い。訪れた日も、トラムは長い車列の間に挟まれ、護送状態で走っていた。最も混むのがグラーベン Graben の交差点で、左折車(下注)を通すためにトラムも長い信号待ちを余儀なくされる。

*注 いうまでもなく右側通行なので、左折するには対向車線を横切る必要がある。

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新設区間のグラーベン交差点を行く
 

テアーターガッセ(劇場小路)Theatergasse をさらに100m進むと、右手に湖岸に面した広場が開ける。グムンデンの中心部、ラートハウスプラッツ(市庁舎広場)だ。アップルグリーンでアクセントをつけた、優雅な柱廊玄関をもつ市庁舎が西側に建っている。1975年までは、ここが終点だった。

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ラートハウスプラッツ電停
背後はグムンデン市庁舎
 

前回述べたように、1970~80年代は路面軌道にとって試練の時期だった。自動車の増加で、併用軌道は円滑な交通の妨げになっていると考えられた。当時、軌道は全線単線で、市街地では片側(山側)に寄せて敷かれていた。市庁舎広場に向かうトラムは道路の左側を通行するため、対向する車と正面から向き合うことになる。これは渋滞の原因となるばかりか、危険でもあった。それで、グラーベンへの新しい交通信号設備の導入をなかば口実にして、1975年6月、フランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ラートハウスプラッツ間 230mは廃止されたのだ。

今回、路線復活にあたって、併用軌道となるフランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ゼーバーンホーフ間に複線を敷いたのは、対向車との鉢合わせを避けるためであろうことは想像に難くない。トラムも車も同じ方向に動くことで、少なくとも規則的な通行は保証される。停留所では、トラムの後ろについた車列も待ちを余儀なくされるが、公共交通優先の原則ではそれも承知の上だ。

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(左)左折車で渋滞する街路
(右)前後を車列に挟まれての走行
いずれも車内後方から撮影
 

さて、ラートハウスプラッツを出たトラムは、アーケードのある狭い街路(カンマーホーフガッセ Kammerhofgasse)をそろそろと進む。袋小路のような一角で、旧市街の東口であるトラウン門 Trauntor がぽっかりと口を開けている。併用軌道は道路とともに手前で左右に分かれ、急なカーブでこの二連のアーチに吸い込まれていく。

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トラウン門をくぐる
 

門をくぐった先はトラウン橋 Traunbrücke だ。ちょうど湖からトラウン川が流れだす地点で、突然車窓に広がる明るくのびやかな湖畔の景色に、乗客の目は奪われる。橋は長さ94.1m、幅14mあり、併用軌道を通すために、約2年の工期をかけて架け替えられたばかりだ。旧来の橋は一直線だったが、新橋梁は拡幅のうえ、わずかに湖側にカーブを描くようになった。

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トラウン橋の上は沿線随一の絶景車窓
 

対岸トラウンドルフ Traundorf に渡りきると、軌道はまもなく右折してトラウンシュライン通り Traunsteinstraße へ入る。そこにクロスタープラッツ Klosterplatz 電停がある。通りの中央に設置された島式ホームの、両端を反り返らせた屋根が特徴的だ。2018年9月の開通区間はここまでで、その先、ゼーバーンホーフとの間は、電停の改築と併せて、2014年12月に先行開通していた。

グムンデン・ゼーバーンホーフ(グムンデン湖岸駅)Gmunden Seebahnhof の歴史は古く、1871年に遡る。もともと蒸気鉄道の開通(下注)に際して、航路との接続を図るために設けられた湖岸の終着駅だ。1990年からは、3線軌条化してトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(正式名:グムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf)の終点として使われてきた。

*注 ブドヴァイス Budweis(現在のチェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice)~リンツ Linz ~グムンデン間の馬車軌道の一部区間を、後年蒸気鉄道に転換したランバッハ=グムンデン地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Gmunden(トラウンタール鉄道 Trauntalbahn)。1988年旅客営業廃止、南半のオーバーヴァイス Oberweis ~ゼーバーンホーフ間は2015年に廃止手続が取られ、軌道は撤去された。

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(左)クロスタープラッツ電停
(右)グムンデン・ゼーバーンホーフでトラウンゼー鉄道に直通
 

直通化事業により、駅は島式ホームをもつ電停に生まれ変わった。昔の面影はすっかり消え、広めにとられたプラットホームが唯一、入換側線を擁して敷地に余裕のあった旧駅をしのばせる。名目上はグムンデン路面軌道の終点なのだが、今や全列車がトラウンゼー鉄道に直通するようになり、実態はふつうの中間電停だ。とはいえ、この先は単線に戻るため、しばしばここで列車交換が行われる。トラムは対向列車を迎えた後、大きく右にカーブを切りながら、トラウンゼー鉄道の勾配路を上っていく。

次回はこのトラウンゼー鉄道を紹介する。

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
トラウンゼートラム  https://www.stadtregiotram-gmunden.at/
グムンデン路面軌道支持者協会  https://www.gmundner-strassenbahn.at/

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2019年5月29日 (水)

グムンデンのトラム延伸 I-概要

グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden

グムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof ~ グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof 間 4.2km
軌間1000mm、直流600V電化、最急勾配100‰
1894年開通、2018年ゼーバーンホーフへ延伸、トラウンゼー鉄道と直通化

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湖岸への急坂を下るグムンデンのトラム
 
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グムンデン Gmunden は、オーストリアの湖水地方であるザルツカンマーグート Salzkammergut の入口に位置する町だ。トラウン湖 Traunsee の水運を操り、古くは上流のハルシュタット Hallstadt などから産出する岩塩の取引で栄えた。19世紀に入ると、イシュル Ischl(バート・イシュル Bad Ischl)に次ぐ帝国の避暑地となり、湖を見下ろす斜面には上流階級のヴィラ(別荘)が建ち並んだ。町は今も湖畔リゾートの雰囲気を漂わせていて、夏には、白地に緑縞を描いた名産の陶器を並べる市が立つ。

その市街地を、昨年(2018年)9月からグムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden の連節トラム(下注)がさっそうと走り抜けるようになった。かつてトラムは、旧市街の手前のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ Franz-Josef-Platz(フランツ・ヨーゼフ広場)を終点にしていた。ÖBB駅との間わずか2.3kmを細々と往復し、世界最小の路面軌道と自称していた。19年前に初めてこの町を訪れた時、標識が1本立つだけの停留所に、デュヴァーク Duewag 製の古ぼけたボギー単車がぽつんと客待ちしていたのを思い出す。

*注 2016~17年にフォスロー・キーペ  Vossloh Kiepe  社製の低床連節車トラムリンク Tramlink V3 形 8編成が導入された。

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フランツ・ヨーゼフ・プラッツに停車中の旧車 GM 10
系統幕の「G」はグムンデンを意味する
(左)オリジナル色(1999年撮影)
(右)グムンデン・ミルクのラッピング(2014年撮影)
   海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供
 

それが今や、湖の対岸に終点のあったトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注1、正式名:グムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden - Vorchdorf)と線路がつながり、町をはさんで東西約19kmを乗り換えなしで結ぶ。時刻表番号も、従来の174からトラウンゼー鉄道の番号である161に統一され、全体を「トラウンゼートラム Traunseetram」と呼ぶようになった。直通化だけではない。定員90名の旧型単車は、定員175名の低床5車体連節車に完全に置き換えられ、1時間2本きりだったダイヤは4本に倍増された(下注2)。主要な停留所もバリアフリー仕様に改造されている。

*注1 鉄道名は「トラウンゼー鉄道」とするが、地名は「トラウン湖」と記すことにする。
*注2 うち2本はグムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof ~エンゲルホーフ Engelhof 間の運行。

トラウンゼートラムの開通(直通運行)を祝う行事は、9月1日に町を挙げて行われた。その日から2週間は無料の試乗期間とされ、多くの市民が直通トラムの初乗りを楽しんだ。

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低床連節車トラムリンクV3
 

2014年に先行開通していた区間を含めても、新たに建設された軌道は1kmにも満たない距離だ。しかし、州道120号線になっているトラウン橋の前後は代替路が少ないため、かねてから交通のボトルネックになっていた。そこに輸送能力のある鉄軌道が出現する効果は大きく、実際に利用してみても快適さ、便利さを体感する。たかが1kmでも、町にとっては画期的な交通ルートの誕生なのだ。

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グムンデン周辺の地形図に鉄軌道ルートを加筆
赤色の線がグムンデン路面軌道で、
列車は橙色のトラウンゼー鉄道に直通する
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

グムンデン路面軌道が、グムンデン電気地方鉄道 Elektrische Lokalbahn Gmunden (ELGB)  として開業したのは今から125年前、1894年8月のことだ。市民が蒸気機関車の走行に伴う騒音や臭気を嫌ったため、名称が示すとおり、最初から電車が導入された。オーストリアでは3番目の電気鉄道だった(下注)。大都市のウィーンやリンツでも、市内線に電車が登場するのは1897年以降だから、いかに時代を先取りしていたかが想像できる。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。2番目のバーデン路面軌道 Straßenbahn Baden は1873年に馬車軌道で開業、1894年7月から順次電化されたが、現存しているのはウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn が走る短区間のみ。

このように歴史はきわめて古いが、規模は最初からささやかなものだった。国鉄のグムンデン駅前(グムンデン・バーンホーフ Gmunden Bahnhof)と市庁舎広場(ラートハウスプラッツ Rathausplatz)の間、路線延長はわずか2.54kmに過ぎない。1877年に開通した国鉄ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn(下注)のグムンデン駅が、湖岸の市街地から2km離れた丘の上に設けられており、その連絡が目的だったからだ。

*注 当初は勅許を得た私有ルードルフ皇太子鉄道 k.k. privilegierte Kronprinz Rudolf-Bahn (KRB) が建設し運行した。それで、駅もルードルフスバーンホーフ(ルードルフ駅)Rudolfsbahnhofと呼ばれていた。鉄道は経営不振のため、1880年代に国有化。

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(左)現在のグムンデン・バーンホーフ電停
(右)現在のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ電停
 左端の"CAFE"前が旧来の電停で、現在はグムンデン駅方面の乗り場
 

すでにグムンデンでは、対岸のトラウンドルフ Traundorf に、岩塩を運ぶ馬車軌道から転換された蒸気鉄道(下注)があり、1871年には航路に接続するゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof も開設されていた。とはいえ、これはあくまでローカル支線だ。方や、ザルツカンマーグート線は亜幹線の位置づけで、ウィーンからの直通列車も走っていた。保養客の取り込みをバート・イシュルと競っていたグムンデンとしては、市街地と結ぶ交通手段の確立が喫緊の課題だった。

*注 ランバッハ=グムンデン地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Gmunden、後にトラウンタール鉄道 Trauntalbahn とも呼ばれた。1859年までに開業、1988年に旅客輸送を廃止。現在は一部区間で貨物輸送のみ行われている。

都市の近代化に熱心だった市長のもとで建設が計画され、事業の遂行はシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社に委ねられた。同社はすでに近隣で、760mm狭軌のザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(ザルツブルク~バート・イシュル、1890~94年開通)や、ラック式登山鉄道のシャーフベルク鉄道 Schafbergbahn(1893年開通、下注)を手掛け、交通企業としての実績を挙げていた。

*注 この2本の鉄道については、本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史」「オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道」で詳述。

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トラウン門をくぐって旧市街に入るトラム
 

半年の工期を終えて、鉄道は開通式の日を迎えた。朝の試運転を行っている間、町では、電車の通行に慣れさせるために、乗馬や馬車牽きに使われる馬が通りに沿って多数繋がれていたという。鉄道に電気を供給するため、沿線に石炭火力発電所が建設されたが、電力の一部は市内にも送られ、ガス灯を電灯に置き換えていった。

先述のように、路線は地方鉄道 Lokalbahn として開通している。しかし、オーストリアがナチスドイツに併合された1938年からドイツ国内の建設・運行規程が適用されたことで、路面軌道 Straßenbahn に分類されることになった。実際、併用軌道は全長の2割弱で、他は車道と分離されたいわゆる道端軌道だが、戦後も路面軌道として扱われ(下注)、名称もそれに準じている。

*注 旧車の前面の系統幕に、グムンデンを意味する「G」の文字を掲げていたのはその名残。

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エスプラナーデに立つグムンデン鉄道史の展示パネル
「1894年 グムンデン路面軌道の開通」
 

二度の大戦でも、路面軌道は大きな被害を受けずに走り続けてきたが、その運営が順風満帆だったわけではない。とりわけ1960~80年代は衰退に向かう時代だった。1961年に新聞輸送が廃止された。1975年には自動車交通を優先させるために、旧市街のフランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ラートハウスプラッツ間0.2kmが休止となり、運行区間が短縮された。1978年には車掌が乗務しないワンマン運行に切り替えられ、1989年にはついにバス転換案が表面化している。

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同 展示パネル
上2枚はラートハウスプラッツ電停、
下1枚はフランツ・ヨーゼフ・プラッツ電停
 

退勢が反転したのは、軌道の将来に危機感を抱いた人々の熱意が行政を動かした結果で、それがなければ軌道はとうに過去帳入りしていたかもしれない。この年、路面軌道存続を求める請願に6000人以上の市民が名を連ねた。それに応える形で、市によってグムンデン路面軌道支持者協会 Verein Pro Gmundner Straßenbahn という名の推進団体が設立されたのだ。

協会はまず、路面軌道に対する市民の関心を呼び覚ますことに努めた。車庫まつりや古典電車運行など、次々と市民参加のイベントを仕掛けた。各電停にある古風な駅名標も、昔の様式にならって協会が1994年に新たに設置したものだ。

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古風な駅名標も支援策の一つ
 

2000年代に入ると、協会が中心となって、軌道を延長しトラウンゼー鉄道と直通させるための計画が具体化されていった。その間に、フライブルクやインスブルックから低床車を借りて、既存区間で試験走行も実施された。周到にまとめられた計画案は2003年、市議会に上程され、全会一致で可決された。

協会はその後も広報活動や資金調達など、さまざまな分野で計画の遂行を支援していて、こうした足かけ30年に及ぶ熱心な活動が、路面軌道を復調に導いたのは疑いのないところだ。これまでに実施されたさまざまな更新と新設の内容については、次回、グムンデントラムの走行ルートを追いながら見ていくこととしよう。

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
トラウンゼートラム  https://www.stadtregiotram-gmunden.at/
グムンデン路面軌道支持者協会  https://www.gmundner-strassenbahn.at/

★本ブログ内の関連記事
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートに沿って
 グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道

 ペストリングベルクの登山トラム I-概要
 ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って

2019年5月 1日 (水)

紀州鉱山軌道の楽しみ方

紀伊半島の山中を、ささやかなトロッコ列車が走っている。軌間2フィート(610mm)、走行距離は約1kmに過ぎないが、1日6往復の設定がある。しかし、鉄道事業法に基づくものではないため、市販の時刻表や鉄道路線図には一切載っておらず、知る人ぞ知るという存在だ。

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山あいの湯ノ口温泉駅にトロッコ列車が到着
 

三重県南端に近い熊野市の内陸部(旧 南牟婁(みなみむろ)郡紀和町)、熊野川支流の、瀞峡(どろきょう)で知られる北山川の左岸に、それはある。今は観光用に運行されているが、もとは鉱山軌道だった。

この地区では古くから小規模な採鉱が行われていて、1930年代に、石原産業が本格的な鉱山を開いた。採掘場は北山川の支谷に沿って点在し、鉱石から銅などの有用鉱物を選別する選鉱場が、紀和町中心部の板屋(いたや)に置かれた。軌道はこの間を結ぶもので、鉱石と作業員・資材の輸送を担っていた。鉱山の名から「紀州鉱山軌道」と呼ばれているが、メインルートの板屋~惣房間だけでも5.5kmあり、険しい山中のため、大半がトンネルだった(下図参照)。

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紀州鉱山軌道周辺の1:25,000地形図(1976年)に
軌道関連事項と新国道のルートを加筆
 

1940~50年代、紀州鉱山(石原産業紀州事業所)は、銅の生産量で国内有数の規模を誇った。しかし、1963年の貿易自由化後は、海外産に押されて採算が悪化していき、1978年、約40年の歴史に幕を降ろした。軌道もまた、それと運命を共にした。

鉱山は地域の基幹産業だ。その撤退という大きな試練に直面して、町は、観光開発に将来を託そうとした。鉱区の中心、湯ノ口地区は地名が示すとおり、昔は温泉が湧く土地だった。鉱山開発の影響で長らく枯渇していたが、閉山1年後に行ったボーリングで地中の源泉が発見され、温泉として再興された。

ただそこは鉱山軌道がなければ秘境同然の場所で、アクセスに難がある。それで、軌道の一部を利用して、利用客を温泉の前まで送り届ける計画が練られた。起点は、国道311号線からほど近い小口谷(こぐちだに)とされた。そこには鉱山のズリ捨て場があり、再開発用の空地には事欠かなかったからだ。

1987年に小口谷~湯ノ口間でトロッコ列車の試験運行が始まり、1989年からは通年で運行されるようになった。さらにその翌年、小口谷に、瀞流荘(せいりゅうそう)という新たな宿泊施設がオープンした。設備の整ったその施設に宿泊し、トロッコで湯ノ口温泉に通うというユニークなオプションが可能になった。

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瀞流荘駅に停車中のトロッコ列車
 

それから早や30年が経つ。温泉施設は近年改築され、装いを新たにしたが、トロッコ列車は当時のまま健在だ。マッチ箱のような小さな2軸木造客車がトンネルの中をゴトゴトと走り、湯浴みの客を運ぶとともに、鉱山軌道ありし日の面影を今に伝えている。

昨年(2018年)夏、この軌道に乗る機会があった。前夜、瀞流荘に泊り、ゆっくり朝食をとって、9時55分発二番列車の客となった。乗り場は宿の山側にあり、地名の小口谷ではなく、「瀞流荘」駅を名乗っている(下注)。ここはかつて操車場や修理工場がある鉱山軌道の拠点だったので、谷間に広い跡地が残されている。線路の手前は駐車場に使われ、奥は特産品の加工場になっているようだ。

*注 グーグルマップでは「トロッコ電車 小川口駅」と注記されている。

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瀞流荘駅
(左)駅舎 (右)出札窓口
 

木造平屋の駅舎で切符を売っている。運賃は、大人片道270円、往復540円、また、湯ノ口温泉の入浴券つき往復券が860円だ。さらに、トロッコと瀞流荘・湯ノ口温泉入浴が1日フリーパスになる「熊野湯めぐり手形」もある(下注)。これは、宿泊客の場合、往復運賃と同額の540円(宿泊しない場合は1080円)で買え、実質的に入湯が無料になる。瀞流荘に泊るなら、これ以上の選択肢はない。

*注 「熊野湯めぐり手形」は、瀞流荘のフロントでも購入できる。

駅舎を出ると、線路を2本はさんだ、屋根付きの相対式ホームがあった。右も左も山の斜面で、線路はトンネルに潜っている。天井が低いかまぼこ形をした、しかし複線仕様のトンネルだ。左の板屋側のトンネル(二号隧道)の中を覗くと、鉄格子の奥に車両らしきものが見え、車庫として使われているようだ。列車が進む右側は、加工場へ行く道路と交差し、谷川を渡ってすぐ三号隧道に入る。

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瀞流荘駅前後のトンネル
(左)板屋側の二号隧道は車庫代わりに
(右)湯ノ口側の三号隧道入口
 

乗るべき客車は、すでにホームに据え付けられていた。江ノ電色に塗られた2軸車の5両編成だ。茶室のにじり口並みの小さな引き戸を開け、腰をかがめて入る。内部は狭いながらも四方にベンチがあり、座布団が敷いてある。窓にはガラスが嵌っているが、鉱山軌道時代は、隙間を空けて板を貼っただけの、いわゆる無双窓だったそうだ。夏場はともかく、さすがにそれでは温泉帰りの客は乗せられまい。

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(左)機関車が機回しされてきた
(右)客車内部
 

機回しされてきた機関車が前に付けられた。台車の上に大きな平箱を載せた車両で、箱の中を見せてもらうと、多数のバッテリーが配置されている。これは実際に鉱山軌道で使われていた蓄電池式電気機関車で、いわば貴重な動態保存機だ。

かつて鉱山軌道の本線系統は、架空線が張られ、直流600V、パンタグラフ集電の電気機関車が活躍していた。一方、坑道内では、スパークによるガス爆発を避けるため、蓄電池式が使われていた。軌道復活に当たっては、架線設備の再建を要さない後者で、客車を牽引することになった。広告媒体などで「トロッコ電車」という表現を目にするが、実態はこういうことだ。

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蓄電池式電気機関車
(左)後部に運転台、直接制御器がある
(右)前部の蓋を開けると蓄電池の列が
 

私たちのほかにもう1~2組の同乗者を載せて、列車はほぼ定刻に出発した。走行する全線で複線の線路が残されているものの、1編成が往復するだけなので、単線で足りる。このときは隣の線路が途中で外されて、何か工事をしているようすだった。

ルートはみごとに直線で、微かな上り坂だ。三号隧道は長さが300mある。天井に照明があり、にじみ出る地下水で、側壁が鈍く光っている。トンネルを抜けると、大嶝(おおさこ)と呼ばれた明かり区間を、少しの間走る。地形図で見ると、北山川が接近しているが、木々に隠され、車窓からは見えない。次の五号隧道は730mと長く、途中で下り坂に転じる。

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走行区間の大半を占めるトンネル
(左)かまぼこ形の断面、全線複線
(右)中間部の短い明かり区間
 

10分ほどで湯ノ口温泉駅に到着した。ホームは沢をまたぐ鉄橋の上にあり、線路は左に急カーブしながら、閉鎖された六号隧道へ向かっている。駅舎の代わりに、片流れ屋根のかかった待合ベンチがある。ここも鉱山軌道のジャンクションの一つで、かつては機関庫その他の施設が建ち並び、三角線をはじめ多数の側線が谷を埋めていた。その後跡地は転用され、温泉施設と滞在用のコテージやバンガローの敷地になった。

折り返し列車の発車は10時55分で、50分ほど間がある。源泉かけ流しの湯ノ口温泉で、露天風呂に浸かる時間を確保しているのだ。もっとゆっくり過ごしたいなら、1本見送って次の列車(12時35分発)にすることもできる。1日6往復は、ほどよい列車本数だろう。

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湯ノ口温泉駅
(南端から瀞流荘駅方を望む)
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(左)湯ノ口温泉
(右)軌道構内の跡地に並ぶ温泉のバンガロー
 

鉱山軌道の楽しみはこれにとどまらない。トロッコと同じ軌道上を、レールバイク(軌道自転車)でも走ることができるのだ。レールバイクは2人で漕ぐが、電動アシストなので大して力は要らない。また、後ろに2人乗りの付随車(ベンチシートと呼んでいる)をつければ、計4人まで同時に移動できる。

アクティビティの要素もあって、実のところ、狭いトロッコ客車に揺られるよりはるかに開放的で爽快だ。料金は湯ノ口1往復で2,600円、ベンチシートはプラス640円だが、試してみる価値は十分ある。ただし、1台しかないので、瀞流荘への事前予約が必須だ。また、一人だけでは乗れない。

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レールバイク
(左)後ろに2人乗りのベンチシートを付けることができる
(右)電動アシストのマウンテンバイク2台を固定接続
 

出発時刻は決まっていて、行きはトロッコ発車の15分前、帰りは10分前だ。ということは、もたもたしていると、後ろからトロッコが追ってくるわけで、漕ぎだす前に、「もしトンネル内で立ち往生したら、後から来る列車にライトで合図してください」と注意を受けた。もちろん、ふつうに漕げば心配は無用で、トロッコが発車する頃には終点に到着している。

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鉱山軌道を自転車で疾走
 

鉱山軌道の楽しみの延長として、場所を少し移動すれば、当時の珍しい車両や鉱山施設跡を目にすることも可能だ。

瀞流荘から2kmほどの板屋地区に、1995年開館した紀和鉱山資料館がある。ここには、各種車両が静態保存されている。まず前庭にあるのが、パンタグラフ集電の電気機関車610号機が有蓋人車(客車)、鉱車(貨車)各1両を牽く形の「列車」だ。鉱車の上に索道搬器も吊ってある。隣の、簡易転車台から延びる軌道には、蓄電池式機関車230号機と軌道自転車が据え付けられている。屋根が架けられているものの、戸外のため、表面に錆が回り始めているのが痛々しい。その中で人車だけは美しく塗り直され、中に入って、例の無双窓からの景色を追体験できる。

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紀和鉱山資料館前庭の展示車両
(左)鉱車と有蓋人車、上空に索道搬器
(右)架空線式電気機関車610号機
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(左)「列車」には立派な屋根が架けられている
(右)簡易転車台に接続された蓄電池式機関車と軌道自転車
 

館内には、蓄電池式機関車229号機、同415号機、鉱車、作業員を運んだ無蓋人車などの展示がある。人形を使って当時の鉱山作業の様子が再現されており、そのセットの一部という扱いだ。そのほか、紀州鉱山の動静が記録された社内紙「石原紀州」の貴重なコレクションも閲覧に供されている。

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資料館内部の展示車両
(左)蓄電池式機関車と鉱車
(右)坑夫を乗せた無蓋人車
 

板屋には選鉱場があり、鉱山軌道で運ばれてきた鉱石を処理していた。案内板によれば、総面積2200坪、高さ75mで日本第二の規模、完成当時の処理量は1日1000トンで東洋一だったという(下注)。その跡は、資料館から山手へ歩いて数分のところにある。倉庫や修理工場が建っていた平地は、公共施設用地に転用されてしまったが、山の斜面を利用した選鉱場跡が、建物を撤去した状態で朽ちるがままにされている。

*注 ちなみに、選鉱場で純度を高めた精鉱は、全長14.7kmの索道で山を越え、紀勢本線阿田和駅で貨物列車に積まれた。

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板屋選鉱場跡の廃墟
 

敷地内は通常立入禁止で、麓からの観察になる(下注)が、斜面にそびえるコンクリートの梁と柱、這い上がるインクラインのレールや階段など、見上げる廃墟の景観は、巨大なだけにかえって寂寥感を誘う。

*注 熊野市観光公社が年1回開催しているツアーに参加すれば、立入禁止区域の選鉱場上部や坑道を探索できる。

傍らには、鉱山軌道の一号隧道が口を開けている。複線の線路も残されているが、鉄格子の扉が閉まっている。このトンネル(一号・二号隧道)の反対側の出口は、「瀞流荘」駅のある小口谷だ。

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(左)インクライン跡
(右)一号隧道入口、内部には鉄格子扉が
 

最後に、この地への交通手段を書いておこう。

瀞流荘に泊る場合は、JR紀勢本線の熊野市駅まで送迎バスを出してくれるので、宿泊予約の際に確認するとよい。

公共交通機関で行く場合は、熊野市駅前から、熊野市バス「熊野古道瀞流荘線」(三重交通に運行委託)に乗る。資料館および選鉱場跡は「板屋(鉱山資料館前)」下車、トロッコ乗り場は終点「瀞流荘」下車だ。所要時間は約50分、1日4往復(2019年4月現在)しかないので、発車時刻には要注意だ。下記サイトに路線図と時刻表がある。

熊野市バス http://www.city.kumano.mie.jp/kurasi/kumanosi_bus/

本稿は、名取紀之「紀州鉱山専用軌道-その最後の日々」RM LIBRARY 212, ネコ・パブリッシング, 2017年、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。
掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図瀞八丁、大里、伏拝、本宮(いずれも昭和51年修正測量)を使用したものである。

■参考サイト
熊野市観光公社 http://kumano-kankou.com/
瀞流荘 https://www.ztv.ne.jp/irukaspa/
紀和鉱山資料館 https://kiwa.is-mine.net/

★本ブログ内の関連記事
 立山砂防軌道を行く
 黒部ルート見学会 I-黒部ダム~インクライン
 黒部ルート見学会 II-黒四発電所~欅平

2019年3月 4日 (月)

ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って

リンツ中央駅 Linz Hbf の地下ホームを出発した市内トラムは、すぐに地表に上がり、目抜き通りのラントシュトラーセ Landstraße(ラント通り)を軽やかに走り続けた。リンツのトラムは、4本ある市内系統のすべてが中央駅で束になり、ドナウ川を渡った先のルードルフシュトラーセ Rudolfstraße で再び分離するまで、ルートを共用している。この間は系統番号を気にせずに乗れるので便利だ。

繁華街のタウベンマルクト Taubenmarkt から、その昔、旧市街の南門があった狭い街路(シュミットトーアシュトラーセ Schmidtorstraße)をゆっくり通り抜けると、街の中心ハウプトプラッツ Hauptplatz(中央広場)の広い空間に出た。50系統を名乗るペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn のトラムは、ここが始発になる。

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ハウプトプラッツにペストリングベルク鉄道のトラム(改造旧車)が到着
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リンツの市内トラムはすべてボンバルディア製シティーランナー Cityrunner
(左)第一世代 (右)第二世代
 

オーストリアで最も大きな都市広場に数えられるハウプトプラッツは、それを取り囲む建物の透明感のあるたたずまいが印象的だ。北側がドナウ河畔へ開いていることもあって、街の名を冠したモーツァルトの交響曲第35番の、気高さと明るさが融合した曲想にふさわしい。もっともあの標題はリンツ滞在中に作曲されたことにちなむだけで、音楽で直接、街の雰囲気を描写しているわけではないのだが。

中心に立つシンボリックな聖三位一体柱を背にして、トラムの停留所(以下、電停)がある。市内1~4系統は東側の相対式ホームに発着し、ペストリングベルク鉄道は西側に専用のホームと折り返し線を与えられている。

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(左)ペストリングベルク鉄道の専用ホーム
(右)山に向けて出発するトラム(夕刻撮影)
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リンツ周辺の地形図に主な鉄軌道ルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

8時30分発の便は、504号車だった。平日朝の郊外行きとあって、まばらな客を乗せてほぼ定刻に出発する。まずは、1~4系統の走る本線に入り、長さ250m、幅30mの道路併用橋、ニーベルンゲン橋 Nibelungenbrücke でドナウ川を渡った。広い通りはルードルフシュトラーセ Rudolfstraße との交差点までだ。1・2系統の軌道を右に分けた後は、道幅が狭まり、すぐに急角度で左折する。

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ドナウ川を渡る橋の上から、
朝日に輝くペストリングベルク巡礼教会が見えた
 

次はミュールクライスバーンホーフ Mühlkreisbahnhof(ミュールクライス駅)で、ÖBBミュールクライス線 Mühlkreisbahn のターミナル前になる。ドナウ左岸(北側)の山中に分け入るこの標準軌ローカル線は、ÖBBの珍しい孤立線で、事実上、市内トラムが中央駅との連絡機能を果たしている(下注)。なお、電停の名はこの駅の昔からの通称で、正式駅名はリンツ・ウーアファール Linz Urfahr という。

*注 以前は右岸の西部本線 Westbahn に接続する貨物線(リンツ連絡線 Linzer Verbindungsbahn または港線 Hafenbahn と呼ばれた)が存在したが、2015年12月に一部区間が廃止され、翌年、ドナウを渡っていた道路併用橋とともに撤去された結果、ミュールクライス線は完全に孤立線となった。

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ミュールクライス線の列車
機関車牽引のほか、新型気動車(ジーメンス製デジロ Desiro)も導入
 

気動車が留め置かれたミュールクライス線の構内を右手に眺めながら、ラントグートシュトラーセ Landgutstraße に到着する。ここが市内トラム(3・4系統)の終点だ。狭いホームの左側がその折返し用で、軌道は終端ループにつながっている。右側がペストリングベルク行きだ。ちなみに、反対方向、ハウプトプラッツ行きホームは前方のラントグート通りを渡った先で、少し距離がある。

いうまでもなく、この電停は2008年までペストリングベルク鉄道との乗換場所だった。市内トラムが終点にしているのもそのためだ。前方の踏切の先に、2本の小塔をもつレトロな旧駅舎(ウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr)が、ペストリングベルク鉄道博物館 Pöstlingbergbahn-Museum として、当時と変わらぬ姿で残されている。

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ラントグートシュトラーセ電停で発車を待つ(夕刻撮影)
 

少しすると踏切の警報器が鳴り出し、山を下ってきた対向トラムが建物の陰から現れた。ここはもともとミュールクライス鉄道の踏切だが、直通化に際して、ペストリングベルクのトラム横断にも連動するように改修されたのだ。

この列車と交換する形で発車した。ここから軌道は単線になる。ミュールクライス線と平面交差する直前でいったん停止する。そして、ひときわ幅広に見える標準軌線をさしたる衝撃もなしに横断し、旧駅から出てきた軌道(旧 本線)に合流した。

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(左)対向トラムが現れた
(右)標準軌のミュールクライス線と平面交差
 

同じようにペストリングベルクをめざす道路、ハーゲンシュトラーセ Hagenstraße を渡った後は、いよいよ本格的な坂道にかかる。前面展望を楽しもうとかぶりつきに立っていたが、急勾配が始まると、足が地面に強く押し付けられるように感じられた。

トラムは、緑の濃い住宅街の間を縫うようにして上っていく。乗降客のない電停は停まらないから、最近(2009年)開設のシュパーツガッセ Spazgasse は静かに通過した。どこのトラムもそうだが、途中駅で降りたいときは、ドアの取っ手についている降車ボタンを押して知らせる決まりだ。

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ハーゲンシュトラーセを横断すると坂道が始まる
写真はハウプトプラッツ行き
 

ホーエ・シュトラーセ Hohe Straße に名を変えた車道を再び横切ると、ブルックナーウニヴェルジテート Bruckneruniversität(ブルックナー大学)に停車した。登山鉄道区間に3か所ある列車交換場所の一つ目で、近くにアントーン・ブルックナー私立大学 Anton Bruckner Privatuniversität がある。リンツゆかりの作曲家の名を冠したこの大学が2015年に移転してくるまで、電停はメルクールジードルング Merkursiedlung という名だった。

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森に溶け込むようなブルックナーウニヴェルジテート電停
 

ブルックナーもさることながら、ここでは、鉄道のクラシカルな雰囲気を強調する小道具の数々に注目したい。一つはホームの待合室だ。頭上を覆う森に溶け込むようなピーコックグリーンの濃淡で塗り分けられ、切妻の板張りはユニークな放射模様を描いている。駅名標はそれと対比をなすキャロットオレンジで、スクロール装飾の凝った額縁に、フラクトゥール文字で名が記される。照明灯もまた、19世紀のガス灯を思わせるデザインだ。

同じ小道具が他の電停にも見られるが、両側のホームに存在するのはここだけで、加えて山上方面のホームには、105‰の勾配標(下注)も初めて現れる。

*注 105‰は設計図上の、いわば平均勾配で、実際は微妙な増減がある。

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電停の愛すべき小道具たち
(左)駅名標と待合室 (右)ガス灯風の照明
 

リンツ動物園 Zoo Linz 最寄りのティーアガルテン Tiergarten(動物園)電停まではわずかに180mの距離しかない。その後少しの間は、斜面に開かれた畑の中をうねるように上っていく。森や家並みに遮られることなく、山頂の巡礼教会と走行中のトラムが一つの構図に収まる撮影適地なのだが、用地が生垣に囲まれているので、車体の下半分が隠されてしまうのが残念だ。

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トラムと巡礼教会が一つの構図に収まる
(ティーアガルテン~シャブレーダー間)
 

シャブレーダー Schableder は登山区間のほぼ中間にある電停で、列車交換が可能だ。周辺は坂道が少し落ち着く踊り場のような場所なので、宅地が広がり、どことなく開放的な雰囲気がある。

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(左)開放的な雰囲気のシャブレーダー電停
(右)105‰が582m続くことを示す勾配標が建つ
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シャブレーダー電停を後に105‰(平均)の坂を上り始めるトラム
 

電停を出たところで、再び105‰の勾配標を見つけた。582m続くとあるからまさに胸突き八丁で、トラムはゆらゆらと蛇行しながら高度を稼いでいく。大きく右にカーブしていく築堤のところで、左手にドナウ川の深い渓谷が一瞬見えた。直後に通過するホーアー・ダム Hoher Damm という電停名は、高い堤という一般名詞から来ている。

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ホーアー・ダム電停付近の急坂
遠くにドナウ対岸の山が見える
 

珍しく直線ルートの切通しを抜けると、その名もアインシュニット Einschnitt(切通し)電停だ。下手に105‰の終点を示す勾配標があったが、その後も100‰などという表示が無造作に現れるから、坂が緩むという感覚はほとんどない。オーバーシャブレーダー Oberschableder が、最後の列車交換場所になる。木々の間から今度は右の車窓が少し開けて、朝もやに霞むドナウ左岸の新市街が望めた。下界との標高差はすでに200mほどになっている。

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最後の列車交換場所、オーバーシャプレーダー電停
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朝もやに煙るリンツ新市街
 

再び坂道になり、森の斜面を上っていく。ペストリングベルク・シュレッスル Pöstlingberg Schlössl は同名の山上ホテル兼レストランの最寄り電停だが、知らない間に通過していた。

トラムが大きく左にカーブすると、前方に石組みの二重アーチが見えてくる。終点のペストリングベルク駅(下注)だ。2線2面の構内は、標高が519mに達する。軌道は、1830年代に築かれた軍事要塞の第4塔を貫き、反対側で止まっている。トラムがくぐった二つのアーチは、いったん壊した周壁の位置にわざわざ造り足されたものだ。待合室やトイレも、塔内部の部屋割りを利用しているのがおもしろい。

*注 終点につき駅と記したが、施設は無人で、正式には Haltestelle(停留所)の扱い。

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このカーブを曲がれば終点が見えてくる
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要塞の塔を改造したユニークな造りのペストリングベルク駅
 

さて、山頂は鉄道開通に合わせて行楽地に開発されている。駅の出入口から左へ進むと、第5塔の天蓋を利用したリンツ市街を一望する展望台、右に進むと、1906年開業のグロッテンバーン Grottenbahn(洞窟鉄道)という子ども向けの遊覧鉄道がある(下注)。最後に山上にそびえる巡礼教会の扉を開けて、敬虔なひと時に浸ることができれば、ペストリングベルク小旅行の目的は十分に果たされる。

*注 本物の洞窟ではなく、要塞の第2塔に造られた小さな遊園地。

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2019年2月27日 (水)

ペストリングベルクの登山トラム I-概要

ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn

1898年開通、2009年5月 改軌およびハウプトプラッツへの延長

(2008年3月まで)
ウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr ~ペストリングベルク Pöstlingberg 間 2.9km
軌間1000mm、直流600V電化、最急勾配116‰、高度差255m

(2009年5月から)
ハウプトプラッツ Hauptplatz ~ペストリングベルク Pöstlingberg 間 4.14km
軌間900mm、直流600V電化

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かつての始発駅(右奥)の前を通過する
ペストリングベルク鉄道のトラム(改造旧車)
 
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市内を走るトラムが、登山鉄道に変身する。高台の住宅地へ上っていく程度のものなら他の都市でも見られるが、このトラムはそれとは違う。本気で山上の展望台をめざし、最大116‰というとてつもない急勾配を力強く上っていくのだ。しかも登山鉄道なら半ば常識の、ラックレールとピニオン(歯車)の助けを借りることはない。オリジナル区間が2.9kmと小規模ながら、ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn は、他にはないプロフィールを備えた路線だ。

舞台は、オーストリア第3の都市リンツ Linz。工業都市のイメージが強いが、ドナウ川の右岸(南側)に沿って気品漂う旧市街がある。川は街の西を限る山地に渓谷を刻んだ後、この前に出てくる。河岸のテラスに立ち、川向こうに目をやると、ひときわ高いピークと、そこに2つの尖塔をもつバロック様式の教会がそびえている。ペストリングベルク巡礼教会 Wallfahrtskirche Pöstlingberg だ。鉄道は、旧市街のハウプトプラッツ Hauptplatz(中央広場)からドナウを渡り、山を上ってその教会のすぐ下まで通じている。

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ドナウ川越しに望むペストリングベルク
山頂に巡礼教会がそびえる
 

今でこそ市内トラムの路線網に組み込まれて50系統を名乗っているが、鉄道は10年ほど前(2008年)まで独立した路線だった。なぜなら、市内トラムの900mm軌間に対して、若干広いメーターゲージ(1000mm軌間)を採用したため、乗入れが不可能だったのだ。山を上るには強力な電動機を搭載する必要があり、そのスペースを台車に確保するために、敢えて軌間を別にしたのだという(下注)。

*注 世界的に見れば逆に、1000mm軌間は一般的で、トラムの900mmのほうが珍しい。この軌間は現在リンツと、ポルトガルのリスボン市電にしか残っていない。

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リンツ周辺の地形図に主な鉄軌道ルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

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ペストリングベルク巡礼教会
 

そもそも、なぜここに鉄道が造られたのだろうか。しかもラック鉄道でなく、レールと車輪の摩擦力だけで走る粘着式鉄道として。

ペストリングベルクは、18世紀前半から巡礼者が訪れる聖なる山だった。当時は一帯が深い森に覆われていて、頂上に眺望の利く場所はなかった。ところが、1809年のフランスとの戦い(オーストリア戦役)で、オーストリアに侵攻したナポレオン軍は山頂に陣地を設営し、見通しを妨げる樹木を伐り払った。さらに1830年代にはオーストリア帝国の要塞が築かれ、より広いエリアが伐採された。それらをきっかけに眺望を楽しむ人々が上るようになり、山は行楽地の性格を強めていく。

そこに商機を見出したある技師が、1891年に山頂まで蒸気動力のラック鉄道を建設する構想を発表した。ルート設計が完成し、ウィーンの建設会社リッチュル Ritschl & Co. が参画したことで、構想は実現に向かうかと思われた。ところが、リッチュル社は一方で、リンツで電力業を興す事業組合にも名を連ねていた。その設立目的は発電所を造るだけでなく、生成した電力の一部を利用して市内にトラムを走らせるというもので、ペストリングベルク線も併記されていた。

全体の採算性では、後者のほうが手堅いのは自明のことだ。また、電動車ならラックレールに頼らずに上れる。こうして技師の構想を一部借用しながらも、電気トラムの登山鉄道が建設されることになった。事業を推進するために、リンツAGリーニエン Linz AG Linien(リンツ株式会社公共交通部門、現在の運行組織)の前身であるリンツ=ウーアファール軌道・電力会社 Tramway- und Elektrizitäts-Gesellschaft Linz-Urfahr (TEG) が設立された。

山頂には1830年代の要塞施設が放置されていたが、会社はそれを買収し、望楼跡に、鉄道駅とともに展望台、ホテル・レストランなど観光施設を整備した。約10か月の工事期間を経て、ペストリングベルク鉄道は1898年5月に開業式を迎えた。

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かつての要塞を改造したペストリングベルク駅
 

後に高級住宅街となるペストリングベルク山麓も、当時はまだ開発が進んでおらず、会社は行楽客の需要しか見込んでいなかった。それで車両も、オープンタイプのいわゆる「夏電車 Sommertriebwagen」6両のみでスタートしている。しかし、初年の運行が12月まで続いたことから、オープンデッキつきの密閉型車両が2両追加で調達されて、1900年から通年運行に移行した。

クリーム色をまとう2軸の古典電車は、特徴的な機構を備えていた。一つは、トロリーポールの集電装置だ。先端部分は最初ホイールだったが、第一次世界大戦後、スライダーシュー(摺り板)に交換されている。

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(左)トロリーポールで集電していた旧車
   (1999年8月、ウーアファール登山鉄道駅で撮影)
(右)開通当初はポールの先端がホイールだった
   (鉄道博物館の展示品を撮影)
 

もう一つは制動装置で、ケーブルカーに見られるような非常ブレーキを装備していた。レール圧着ブレーキ(ドイツ語ではツァンゲンブレムゼ Zangenbremse(プライヤーブレーキの意))といい、ブレーキシューをプライヤーのようにレールの頭部側面に押し付ける仕組みだ。レールの断面もそれに適応した楔形をしていた(下の写真と図参照)。また、踏切などでは、これが通過できるようにレールの両側に溝が掘られている。

問題はレールの分岐部で、トングレールを用いる通常の分岐器が使えないため、レール片を水平移動させる特殊な分岐器(シュレップヴァイヒェ Schleppweiche、引き摺り分岐器の意)が設置された。同じ理由で、レールが交差するフログ(轍叉)の部分は回転構造になっている(ヘルツシュレップ Herzschlepp)。

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非常時に楔形レールに作用するレール圧着ブレーキ
(鉄道博物館の展示品を撮影)
右はその図解
Photo by Dralon at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 
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特殊な分岐器シュレップヴァイヒェを設置
踏切ではレールの両側に溝が切ってあった(1999年8月、車内から撮影)
右はその図解
 

鉄道は、常識を超えるような急勾配を上っていく。1983年には、世界で最も険しい粘着式鉄道としてギネスブックに登録されたこともあるほどだ(下注1)。しかし、これを上回るリスボン市電網のデータ(下注2)が知られるようになり、現在の公式サイトは、「今もなお世界で最も険しい粘着式鉄道に数えられている」と、控えめな表現になっている。

*注1 ペストリングベルク鉄道の公式パンフレット(2015年3月版、リンツAGリーニエン発行)による。
*注2 Railserve.com の鉄道世界記録のリストによると、最急勾配はリスボン市電網の13.8%(138‰)とされている(28E系統のサンフランシスコ舗道 Calçada de São Francisco の併用軌道に存在)。
https://www.railserve.com/stats_records/highest_steepest_railroads.html

その勾配の最大値は、長い間105‰(水平距離1000m当たりの高低差が105m)と言われてきた。設計図上はそのとおりで、現地に建っている勾配標も105を超えるものはない。しかし近年の精密測量で、それが平均値に過ぎず、実際にはホーアー・ダム Hoher Damm 付近で116‰に達することが明らかになった。現在、これが公式の最急勾配とされている。

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(左)105‰の勾配標
   "388"はその勾配が続く距離(388m)を示す
(右)ホーアー・ダム付近の急勾配を降りてくるトラム
 

110年間不変のスタイルで走り続けてきたペストリングベルク鉄道が、敢えて長期に運休してまで大改造されることになったきっかけは、2005年1月24日にシャプレーダー停留所 Haltestelle Schableder 付近で発生した脱線事故だった。古いシステムの安全性が議論の焦点となり、その結果、鉄道近代化のための計画が練られた。

目的は運行の安全性を確保し、保守作業の効率性を高めることだが、同時に、リンツの新しい観光需要の発掘も期待された。旧式の運行は2008年3月24日に終了し、続く14か月の工事期間を経て、開通111周年の2009年5月29日に新たな運行が開始された。

では、従来と何がどう変わったのだろうか。最大の改良点は、軌道を市内トラムと同じ900mmに改軌して、市内中心部への直通を可能にすることだった。旧市街のハウプトプラッツ(中央広場)にある停留所が新しいターミナルとされ、ペストリングベルク鉄道のトラムはここから山頂へ直通する。

市内軌道網と接続するために、山麓の旧 起点駅であるウーアファール登山鉄道駅 Bergbahnhof Urfahr は廃止された。そして駅直前の地点から、最寄りのトラム停留所であるラントグートシュトラーセ Landgutstraße(下注1)まで、新たに軌道が延ばされた。このルートは、標準軌のÖBBミュールクライス線 Mühlkreisbahn を横断する必要があり、そこに異軌間同士の平面交差が設けられている(下注2)。また、ハウプトプラッツには、ホームを兼ねた専用の折返し線が設けられた。

*注1 市内トラム3系統(2016年から4系統も)の起終点。
*注2 実はペストリングベルク鉄道開業当初もトラムとの乗換の便を考慮して、ミュールクライス線をまたいだ南側に、山麓駅が設けられていた。しかし、ミュールクライス線との交差部に設置した特殊な可動式ポイントの操作が煩雑過ぎたため、翌年、この交差を廃止して北側にウーアファール登山鉄道駅を造ったいきさつがある。

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ÖBB ミュールクライス線との平面交差
ペストリングベルク鉄道のトラムは、左手前から右に折れて、平面交差を渡り、右奥へ進む
左奥の建物はもとの始発駅であるウーアファール登山鉄道駅
右奥の、気動車が多数見える構内は ミュールクライス線の起点、リンツ・ウーアファール Linz Urfahr 駅
 

改軌によって、車両の調達または改修も必要になった。新車としてボンバルディア社のマウンテンランナー形(下注)が発注され、2009年に501~503号車の3編成、2011年に追加の1編成(504号車)が就役した。これは100%低床の3連節車で、定員は座席33+立席55と、旧車(22+16)に比べて2.3倍の輸送力を擁する。また、旧車についても1940~50年代製のVIII、X、XI号車が、台車交換による改軌や集電装置のパンタグラフ化を含め、必要な改修を受けて再デビューした。

*注 ボンバルディアのウィーン工場(もとローナー・ヴェルケ Lohner-Werke)製。

軌間の統一で、レールや分岐器も一般的な形状になったため、これらの車両には、非常ブレーキとして電磁吸着ブレーキが設置されている。

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(左)ペストリングベルク鉄道の新車
   504号車は2011年に就役した追加編成
(右)バリアフリーに対応した100%低床の車内
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(左)土・日・祝日には、改造された旧車(写真はXI、VIII号車)も2両連結で走る
(右)デッキ付きで、寒冷期には新車より快適かもしれない
 

直通化の開始で、対の小塔と外壁のハーフティンバーが印象的なウーアファール登山鉄道駅は、本来の役割を失った。嬉しいことに建物と構内は原形のまま保存され、2008年5月にペストリングベルク鉄道博物館 Pöstlingbergbahn-Museum として再生されている。

2面2線の頭端型線路は、片方が900mmに改軌され、本線に接続された。もう片方は1000mmのままで、車庫につながっている。車庫には、改造の対象から外れた旧車のうち、開業当初から在籍する「夏電車」I号車(1898年製)と、閉鎖形のXII号車(1950年製)が動態保存されており、構内に新旧2種の軌間の車両を並列して展示することも可能になっている。博物館は、冬季を除く土・日・祝日のみ開館する。

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ペストリングベルク鉄道博物館を訪問
(左)旧 ウーアファール登山鉄道駅を転用した施設
(右)2面2線のホームも健在
   左がもとの1000mm軌間、右は改軌されて 900mmに

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駅舎と向かい合う車庫を見学させてもらう
左2線には900mm軌間の改造車(日曜につき出払っていた)、
右1線には1000mmの非改造旧車が休む

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美しく保たれた非改造旧車だが、もう山に上ることはできない
(左)開業当初からの最古参「夏電車」I号車
(右)閉鎖形XII号車
  前面のフックは自転車を吊り下げるためのもの、900mm改造車では撤去されてしまった
 

さて、ペストリングベルク鉄道の現在の運行状況はどうなっているだろうか。列車は30分間隔で運行されている。ただし、土・日・祝日の10~17時の間は、上述の改軌された旧車が2両連結で間に投入されるため、つごう15分間隔となる。そのほか、沿線のアントン・ブルックナー私立大学 Anton Bruckner Privatuniversität の開講日は朝7時30分~9時の間、ハウプトプラッツ~ブルックナー大学間の区間便が運行されている。全線の所要時間は、山上方面21分、山麓方面19分だ。

ちなみに運賃は、従来どおり他の系統とは別建てなので注意を要する。停留所にある券売機やオンラインショップで、片道券または往復券が買える。リンツ中央駅から出発する場合は、ペストリングベルク鉄道往復と市内中心ゾーン24時間乗車が可能な「エアレープニス(体験)チケット Erlebnisticket(旧名 ペストリングベルク鉄道コンビチケット Pöstlingbergbahn-Kombiticket)」を買っておくと便利だ。また、リンツ・カード Linz-Card の3日券には、ペストリングベルクを往復できる特典がある(1日券は不可)。

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リンツ市内トラム路線図の一部
太線がトラムのルート
50系統ペストリングベルク鉄道は緑で示されている
© 2019 LINZ AG
 

次回は、ハウプトプラッツから山頂まで、登山鉄道が走っていく風景を追ってみよう。

■参考サイト
ペストリングベルク鉄道(リンツAG公式サイト)
https://www.linzag.at/portal/de/privatkunden/freizeit/grottenbahnpoestlingberg/poestlingberg/#

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2018年9月 3日 (月)

火山急行(ブロールタール鉄道) II

車掌氏からもらった火山急行 Vulkan-Express の沿線案内は続く("Tour-Info on Brohltalbahn" 英語版を和訳、内容一部略)。

「私たちの旅は、標高67mのブロールBEで始まります。ここに鉄道の本部があり、絵のような小さな駅舎、側線、機関庫、修理工場があります。ここで機関車と客車は保守され、修理されています。

駅を勾配で離れると、すぐに線路はブロールバッハの谷へ左折し、続く12kmの間それに沿って走ります。少し行くと、初めて主要道を横断し、すぐに鉄橋でブロールバッハ Brohlbach を渡ります。線路は主要道と並行しており、時速20kmで安定して走るので、追い越していく多くのドライバーに手を振るチャンスがあります。機関車の警笛がドライバーに、踏切で停止するよう促すでしょう。」

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整備工場の前の蒸気機関車 11sm
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ブロールバッハの谷を行く火山急行(帰路撮影)

「もう少し上り、小川を渡ると、近くの城の名にちなんだシュヴェッペンブルク Schweppenburg 停留所(下注)に着きます。続いて、今でもトウモロコシを粉に挽くのに水力を使用する数少ない製粉所の一つ、モーゼンミューレ Mosenmühle があります。テーニスシュタイン鉱泉 Tönissteiner Sprudel の看板は、ローマ人が既に2千年前に使っていたドイツ最古の鉱泉の一つへ行く道を示しています。」

*注 正式名はシュヴェッペンブルク・ハイルブルンネン Schweppenburg-Heilbrunnen。リクエストストップにつき、実際には通過することが多い。後述のヴァイラー Weiler とブレンク Brenk も同じ。

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ブロールタール鉄道ブロール~ニーダーツィッセン間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年、L5510 Neuwied 1983年を加工)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

「ここで谷が狭まり、勾配が1:40(25‰)に高まります。エンジン音からそれが聞き取れ、速度の低下に気づくはずです。約1km進んだ後、谷の高みにある次の停留場バート・テーニスシュタイン Bad Tönisstein で停まります。小さな緑色のブリキ小屋が、列車を待つ旅人に休む場所を提供します。谷の反対側に、柔らかい凝灰岩に掘られたいくつかの洞穴が見えますが、この地質は、ラーハ湖火山 Laacher See Vulkan の激しい噴火の後(下注1)、谷を巻き下りてきた火山灰がとどまってここに堆積したものです。柔らかい石は最初ローマ人が建築用の石に用いましたが、粉砕すれば、水中で硬化するコンクリートとして使えます(下注2)。」

*注1 爆発により火山は陥没し、カルデラ湖である現在のラーハ湖 Laacher See が生じた。ブルクブロールの南5kmに位置するこの湖は、面積3.3平方kmでアイフェル最大。
*注2 トラス Trass と呼ばれる特産の凝灰岩で、特にオランダで干拓事業に用いられた。

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(左)バート・テーニスシュタイン停留所の緑色の待合所
(右)テーニスシュタイン高架橋を渡る

「カーブを回り、着実に上るとすぐ、長さ120m、高さ12mの『テーニスシュタイン高架橋 Tönisstein Viadukt』で再び谷を渡り、いったん長さ95mのトンネルに潜ります(下注)。さらに少し上ると、標高145mのブルクブロール Burgbrohl 駅に着きます。駅舎は、地元産の石材とハーフティンバーの塔部から造られ、一部にスレートを葺いた、路線で最も美しいものです。

短時間停車した後、また上り、谷のへりに沿って家並みの裏手を進むと、向こう側に古城のそびえるブルクブロールの村を見渡すことができます。」

*注 テーニスシュタイン高架橋は路線で最大規模の高架橋で、蒸気列車の撮影ポイントでもある。また、テーニスシュタイントンネルは路線で唯一のもの。

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(左)テーニスシュタイン高架橋、列車の最後尾から撮影
(右)渡り終えると路線唯一のテーニスシュタイントンネル

「次はヴァイラー Weiler に停車します。ここにある側線は、巨大なヘルヘンベルク Herchenberg の採石場が使っていたかつて非常に多忙だった積み出し駅の唯一の忘れ形見です。ここから谷が広がり、遠方にもう火山起源のアイフェル山地の丸い山頂が見えています。A61号線を載せる巨大な道路橋の下を通ります。」

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(左)見栄えのするブルクブロール駅舎 (右)A61号線の高架橋の下を通る

「右手、その隣に高さ340mのバウゼンベルク Bausenberg のクレーターがあります。約14万年前のもので、ヨーロッパで最もよく保存された馬蹄形の火口です。ニーダーツィッセン Niederzissen(下注)を通り、しばらく主要道と小川に沿ってオーバーツィッセン Oberzissen へ進んでいくと、アイフェルの高い山々に囲まれた畑や牧草地や小さな森のある美しい田園風景が楽しめます。」

*注 ニーダーツィッセンは往路の休憩地で、時刻表では7分停車。通常施錠されている駅のトイレがこのときだけ開放される。

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ブロールタール鉄道ニーダーツィッセン~ケンペニッヒ間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年を加工)
廃止されたエンゲルン~ケンペニッヒ間は黒の破線で表示
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

「オーバーツィッセン駅を発車後、この路線が山岳鉄道と呼ばれる理由を実感することができるでしょう。というのは、鋭い左カーブで谷を離れ、美しい3径間のアーチ橋で通りをまたぎ、最後の、そして最も壮大な旅の区間にさしかかるからです。勾配は、続く5.5kmの大部分で 1:20(50‰)と険しくなります。1934年までここはラック鉄道でしたが、より強力なエンジンによってラックなしで上れるようになりました(下注)。」

*注 開通時はアプト式(2枚レール)ラック区間だったが、マレー式機関車や旅客輸送用の気動車の導入により、ラックレールは1934年に撤去された。

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(左)ニーダーツィッセンは往路の休憩地
(右)オーバーツィッセンの町を後にして、50‰の急勾配に挑む

「それが見えるとともに、エンジンが必死に働いているのが聞こえてきます。速度は徒歩並みに落ちますが、これは、ほかにはないアイフェルの田舎、畑や牧草地や森がゆっくりと客車の窓を通り過ぎるのを眺める時間を与えてくれます。列車の騒音で鹿がたいてい逃げていく一方で、線路のそばに放たれている馬はそれに慣れています。

右手には、古い火山の丘の上にオールブリュック城 Burg Olbrück が見えます。それは975年に遡り、何度か増築されました。フォン・ヴィート伯爵 Graf von Wied によって建てられたこの城は、1689年にフランス人によって破壊され、その後は地元民が石採り場として使っていました。2000年に城の欠損部が復元されて、今では巨大な塔に登り、上から壮大な景色を楽しむことができます。晴れた日には約50km離れたケルン大聖堂が見えるのです!!」

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古火山に立つオールブリュック城と麓の村ハイン Hain

「列車は3km上った後、ブレンク Brenk で側線と採石場の建物を通過します(下注)。ここではフォノライトが採掘されています。火山岩は粉砕されて細粒となり、コンテナでガラス工場に出荷されて、高品質のガラスの生産に使われます。利点の一つは融点を下げることで、コスト削減に役立ちます。採石場は、路線上の定期貨物輸送で唯一残っている顧客です。

*注 ブレンクの採石場はシェルコプフ Schellkopf という火山をまるごと採掘しており、すでに山の形を成していない。乱開発を防止するため、他の火山群は自然保護区に指定されている。

もうひと踏ん張りです! 美しい森の中を少し上り、それから高い築堤で谷を渡り、木々が列をなす切通しを抜けて再び開けた土地へ出ていきます。警笛の爆音が、17.5kmの旅を終えて標高465mの終着駅エンゲルン Engeln に到着したことを伝えてくれます。」

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(左)複線に見えるのはブレンク貨物駅の側線
(右)木々が列をなす切通しを抜ける。終点まであと少し

「ここが路線の終点ですが、かつてはケンペニッヒ Kempenich の村まであと5km(下注)走っていました。残念ながら、その区間の線路は1974年に撤去されました。

*注 ドイツ語版ウィキペディアでは、エンゲルン~ケンペニッヒ間は6.32km、廃止日が1974年10月1日で、撤去は1976年としている。

エンゲルンからは、バスで旅を続けるか、標識の整ったハイキングルートを歩くか、あるいは駅のビュッフェで短い休憩と軽食をとった後、起点のブロール駅に列車で戻りましょう。」

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エンゲルン駅 (左)乗客は火山食堂で休憩 (右)すぐに機回し作業が始まる
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折返しの発車準備完了

そのエンゲルンでは折返しの発車まで30分の待ち時間があり、その間に機回し作業が行われる。駅舎は1997年に改築された木造の平屋で、ブルカーンシュトゥーベ(火山食堂) Vulkanstube と名付けられた軽食堂が開いている。乗客はここで休憩をとることができる。

駅の周囲は緩やかにうねる農地が広がり、人家は、西へ少し行った丘の麓にあるエンゲルンの小さな集落だけだ。地形的には高原の分水界で、なぜここが終点なのか、不思議に思う人もいるだろう。ケンペニッヒへの末端区間が廃止されたとき、ここに線路が残されたのは、一つ手前のブレンクでフォノライト(響岩)の貨物扱いが継続中だったからだ。ブレンクは急勾配区間に挟まれて手狭なため、坂を上り切ったエンゲルンを折返し駅にしたようだ。

線路に沿ってケンペニッヒ方へ少し歩いてみる。線路は駅舎から200mほどで途絶え、跡地はいったん畑に取り込まれた後、農道に姿を変えて続いていた。北を望むと、火山起源ののっぺりとした緑の丘(エンゲルナー・コプフ Engelner Kopf)を背景に、菜の花が満開で畑を黄色に染めている。のどかな春の景色に心が和んだ。

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エンゲルン駅周辺、火山起源の丘を前にして黄色に染まる菜種畑

復路では、予定通りオーバーツィッセンで蒸気機関車 11sm に引き継がれて、ブロールに着いた。一仕事終えた蒸機は、側線を伝ってエンゲルン方にある修理工場の前まで行き、石炭と水の補給を受ける。工場の扉は開放されていて、見学が可能だ。4軸ボギーの大型ディーゼル機関車 D5 や、改修中の気動車 VT30 がこの中にいた。

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ブロール駅構内で、石炭の補給を受ける蒸気機関車 11sm
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ブロール駅の整備工場
(左)大型ディーゼル機関車 D5 (右)気動車 VT30 は改修中

工場の手前から、ライン河港へ行く支線が右へ急カーブしていく。このいわゆる港線 Hafenstercke は、河畔まで実質500mほどの間に、DB線、連邦道と、難しい障害物をまるで軽業師のようにクリアしていくのがおもしろい。ブロールタール鉄道探訪の最後に、鉄道模型顔負けのこのユニークな軌跡を歩いて追ってみた。

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ブロール付近の1:25,000地形図(基図は GeoBasisViewer RLP から取得)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

まず線路はS字カーブを切りながら、高架に上がった連邦道412号線と平面交差する。次に、その高度を維持したまま、駅前通り Bahnhofstraße とDB線を乗り越える。高架橋の橋台には鉄道名の立体文字板が誇らしげに掲げられ、DB線を走る列車からも一瞬見える。かつてこれは、仕込まれたネオン管で光っていたらしい。

DB線に並行して下り勾配を下りたところが、ブロール積替駅 Brohl Umladebahnhof のヤードだ。標準軌のDB線と接続しているので、線路は大部分3線軌条化されている。構内北端にはブロールタール鉄道の機関庫の建物も残っているが、もはや使われていない。

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(左)工場の手前で右へ分かれていく港線
(右)連邦道412号線と平面交差(ブロール方を望む)
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(左)右上写真の反対側を望む。下路トラス橋はDB線を越えている
(右)左写真のトラス橋を412号線の跨線橋から望む
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(左)トラス橋の橋台にある鉄道名の立体文字板
(右)ブロール積替駅、構内はほとんど3線軌条

港へ向かう線路は、構内の北東で分岐する。ここでもS字を切りながら、通行量の多いライン左岸の主要道、連邦道9号線を大胆にも平面で横断し、河畔に出る。岸辺のビアガーデンの前に低いプラットホームがあり、「ブロール・ラインアンラーゲン(ライン埠頭)Brohl-Rheinanlagen」と記された駅名標が立っていた。毎週火曜日になると、ここに火山急行の特別列車が停まり、ライン川の観光船から降りてきた客を迎えるのだ。訪れた日曜日はビアガーデンが大賑わいで、ホームはすっかり客用駐車場にされていたが…。

3線軌条は、港の護岸に沿ってなおも北へ延び、ブロール・ハーフェン(港)Brohl Hafen の貨物駅に達する。粉塵の飛散を防ぐため、鉄道が運ぶフォノライトはコンテナ方式に移り、ブロール積替駅でトラックに引き継がれるようになった。それ以来、港の駅は仕事を失い、吹き通るラインの川風が、静かな水面にさざ波を立てるばかりだ。

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(左)港へ向かう3線軌条、連邦道9号線と平面交差
(右)ライン河畔を走る
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ラインアンラーゲン(ライン埠頭)停留所
(左)プラットホームと駅名標(画面左端)
(右)河岸には、火山急行のロゴを掲げたライン川観光船の船着き場が
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(左)3線軌条は河港へ延びる (右)静まりかえるブロール・ハーフェン(ライン河港)

■参考サイト
火山急行 http://vulkan-express.de/

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 火山急行(ブロールタール鉄道) I

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 北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編
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2018年8月27日 (月)

火山急行(ブロールタール鉄道) I

本線(谷線 Talstrecke) ブロール Brohl BE ~エンゲルン Engeln 間17.51km
 軌間1000mm、非電化、最急勾配50‰、1901年開通

支線(港線 Hafenstrecke) ブロール~ブロール・ハーフェン Brohl Hafen 間1.95km
 軌間1000m、標準軌との3線軌条区間あり、1904年開通

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ブロールBE駅の火山急行、先頭に立つのは蒸気機関車 11sm

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DB(ドイツ鉄道)ライン左岸線の、普通列車しか停まらない小駅から、その狭軌鉄道は出発する。ブロールバッハ Brohlbach という川が流れる谷を遡っていくので、路線名はブロールタール鉄道 Brohltalbahn だが、列車のブランドは「ヴルカーン・エクスプレス Vulkan-Express」、直訳すると火山急行だ。

イタリアではなくて、ドイツにも火山がある? と訝しく思う人がいるかもしれない。実はこのライン川からベルギー、ルクセンブルク国境にかけてのアイフェル Eifel 地方は、第三紀の5000万年前から火山活動が続いていて、地表はその噴出物で覆われている。地形図をざっと眺めるだけで、火山起源の円錐丘やマールの湖(下注)が至るところに見つかる。マール Maar という地理用語自体、アイフェル方言で湖を指す言葉(標準ドイツ語では Meer)から採られたものだ。

*注 マールは、爆発的噴火により生じた、周囲に環状丘を持たない円形火口をいう。水を湛えるマールは、伊豆半島の一碧湖や男鹿半島の一ノ目潟などわが国にも見られる。

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火山起源の円錐丘に建つ城(オールブリュック城)を背景に走る火山急行
Photo by Simeon Langenbahn from http://vulkan-express.de/

火山急行は、そのようなヴルカーンアイフェル(アイフェル火山帯)Vulkaneifel の高みへと上っていく列車だ。命名はスイスの有名な観光列車、氷河急行 Glacier Express に倣ったのだが、急行と言いながら曲線と勾配のきつい狭軌線をのんびり走るところは、本家のそれに似ていないでもない。

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ブロールタール鉄道ブロール~ニーダーツィッセン間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年、L5510 Neuwied 1983年を加工)
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018
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ブロールタール鉄道ニーダーツィッセン~ケンペニッヒ間の1:50,000地形図
(L5508 Bad Neuenahr-Ahrweiler 1985年を加工)
廃止されたエンゲルン~ケンペニッヒ間は黒の破線で表示
© Landesamt für Vermessung und Geobasisinformation Rheinland-Pfalz 2018

火山急行の舞台となるブロールタール鉄道は、メーターゲージ、非電化の小鉄道だ。ライン河畔の村ブロールを起点に、谷を遡る本線(谷線 Talstrecke)と、河港へ行く支線(港線 Hafenstrecke)から構成される。

本線は、ブロールから終点のエンゲルン Engeln まで17.5kmを結び、1901年に先行開通した。最奥部のオーバーツィッセン Oberzissen とエンゲルンの間は、50‰の急勾配が5.5kmもの間続く難所だ。開通当初はアプト式(2枚レール)のラック区間とされ、1934年から粘着式運転に切り替えられた。また、1902年にはエンゲルンから先、ケンペニッヒ Kempenich まで6.3kmが延長されたが、残念ながら利用の低迷により、1974年に廃止されて今は無い。

一方、支線はブロールからブロール・ハーフェン(ブロール港)Brohl Hafen に通じる1.95kmの短い路線で、1904年に開通している。中間部には、国鉄(のちDB)との間で貨物を積み替えるヤード、ブロール積替駅 Brohl Umladebahnhof が造られた。標準軌貨車を直通させるための3線軌条が1933年に積替駅と港の間に設置され、今も残っている(下注)。

*注 ブロールタール鉄道の本線方面に標準軌貨車を直通させるために、他の狭軌鉄道と同様、ロールボック(1928年まで)やロールワーゲン(1978年まで)も使われていた。

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火山急行を牽いてテーニスシュタイン高架橋を渡る蒸機
Photo by Walter Brück from http://vulkan-express.de/

ブロールタール鉄道の敷設目的は貨物輸送で、沿線で採掘された石材を運び出し、国鉄やラインの川船に引き渡すことだった。開通以来、トラス Trass(特産の凝灰岩)の切石やモルタルに使う細骨材、あるいはガラス生産の添加剤として使われるフォノライト(響岩)など、有用資源が鉄道を通して出荷されてきた。

他方、旅客輸送は、人口の少ない山間地域のため、当初から細々としたもので、その後の経済不況や戦争の間に、休止と再開を繰り返した。そして車両の老朽化などを理由に1961年9月に一般旅客列車は廃止され、バスに置き換えられた。

その後、鉄道に残っていた客車を使って、1977年から観光客向けの列車が運行されるようになる。これが火山急行の始まりだ。この間も貨物輸送は続いていたが、道路輸送への転換や他国産との競合による操業中止などで輸送量が減少し、残る顧客はフォノライトだけになっていた。

鉄道は1987年に廃止の危機に瀕した。このときは持ちこたえたものの、1991年に会社は再度廃止方針を表明する。だが最終的に、観光資源としての可能性を評価する地元自治体から新たな出資を得て、存続が決まった。

1995年には裁判所から、粉塵公害を理由に河港での積替え作業を禁止する裁定が出たことで、フォノライト輸送が中断する事態も起きた。これはコンテナ方式に変更し、ブロールでトラックに積み替える方法をとることで、4年後の1999年に再開された。

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ブロール港の静かな水面。堤防の右はライン川

現在、鉄道は上下分離方式で運営され、インフラはブロールタール連合自治体 Verbandsgemeinde Brohltal が、運行事業はボランティアベースの利益共同体が設立した運行会社(ブロールタール狭軌鉄道運行会社 Brohltal-Schmalspureisenbahn Betriebs-GmbH)が、それぞれ責任を負うことになっている。

ドイツにも保存鉄道は相当数あるが、月1回とか日曜祝日のみなど、運行日が限定されているものが多い。その中で火山急行はシーズン中、特定曜日を除き毎日運行していて、旅行者にとって比較的訪問日程が取りやすい鉄道と言えるだろう。ただし、運行本数は少なく、最大でも一日3往復しかない(下注)。所要時間は、往路が一方的な上り坂のため90分、復路は下りで72分だ。

*注 ダイヤは日ごとに変化するので、公式サイトで前もって調べておく必要がある。

列車を牽くのは基本的にディーゼル機関車だが、2018年のダイヤでは、シーズン中の一部の土・日曜に、鉄道の虎の子的存在であるマレー式蒸気機関車 11sm(下注)が登場する。11sm は1906年製で、1960年代までこの路線で定期列車を牽いていたオリジナル機だ。1966年の引退後、ドイツ鉄道史協会DGEGに引き取られ、長らく博物館で静態展示されていたが、買い戻されて長期にわたる解体修理の上、2015年に現役に復帰した。

*注 マレー式蒸気機関車は、動輪群を前後2組配置し、後部はボイラーに固定、前部は関節でつないで可動式にしたもので、牽引力が高く、急勾配・急曲線に適応する。なお、車両番号の sm は重量マレー schwere Mallet の略。

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マレー式蒸気機関車 11sm

蒸気機関車は、負担の大きい急勾配区間には入らず、ブロール~オーバーツィッセン間を往復している。たとえば午前中の便では、ブロール10時30分発の二番列車を牽いてオーバーツィッセンまで行く(11時27分着)。そこへ、ディーゼル牽引の一番列車がエンゲルンから戻ってくる(11時34分)ので、その客車を自らの列車の後ろに併結する。こうして長い編成となった列車を従え、11時55分、蒸気機関車はブロールへ向け帰っていくのだ。ちなみに、列車を蒸機に託してフリーになったディーゼル機関車は、エンゲルン行き二番列車(12時00分発)を牽いて、再び急坂を引き返していく。

一方、港線は基本的に貨物専用だが、火曜日に限りブロール・ライン埠頭 Brohl Rheinanlagen の停留所まで旅客列車が運行され、ライン川の観光船と連絡している。

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オーバーツィッセンでの交換風景
(左)復路の一番列車が駅に到着したとき、すでに蒸機は帰り支度を整えていた
(右)ディーゼルが解結され、この後蒸機が転線して併結作業に入る
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長い編成でブロールに戻る火山急行。復路の蒸機は後退運転

2018年5月の旅行中、日曜日に時間が空いたので、火山急行に乗りに出かけた。朝9時10分発の一番列車に間に合うように、ライン左岸線のブロールでRB(普通列車)を降りる。DB駅前の狭い広場から数十段の階段を上ったところが、ブロールタール鉄道の起点駅だ。DBと区別するために、ブロールタール鉄道(会社)Brohltal-Eisenbahn(-Gesellschaft)  の頭文字を採って、ブロールBE駅と書かれる。

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ブロールBE 駅 (左)DB駅前からBE構内へ上る階段 (右)駅舎のチケットカウンター

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(左)エンゲルン往復の乗車券
 (右)蒸機追加料金券

発車時刻が迫っているので、さっそく駅舎に入って切符を買い求めた。2等往復13ユーロだが、先述のとおり、復路が蒸機列車になるため、その追加料金3ユーロが必要だ。

ホームには、乗るべき列車がすでに待機している。急勾配に備えてディーゼル機関車は重連編成だ。このD1とD2は、1965年オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社製の50歳を超えた古参機だが、まだ頑張っている。港線で標準軌貨車と連結できるように、先頭のバッファーの位置を狭軌線路の中心線からずらしてあるのが特徴だ。

機関車の次は、自転車その他の手荷物が積み込まれた有蓋貨車、その後に客車が3両つながっている。1両目はスイスのBOB(ベルナー・オーバーラント鉄道)の旧車で、内部は1等室と2等室に分かれ、窓下のテーブルにBOBの路線図がそのまま残る。2両目は食堂車(といっても軽食と飲み物)、3両目は車長の短いベンチシートの2軸客車、いずれも、車端のデッキから乗降する形式の古典車両だ。

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ディーゼル機関車D1、バッファーの位置が中心線からずれている
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(左)有蓋貨車は主として自転車運搬用 (右)BOBの旧型客車、右1/3は1等室
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(左)BOB客車の1等室 (右)窓下テーブルに路線図が残る
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2軸客車はレトロなベンチシート

観光バスからの客が乗り込んだので、BOB車は賑わっていたが、後ろの車両はガラガラで、週末旅行で来たというオランダ人の鉄道ファンと、地元の親子連れが1組だけだ。車掌が巡回してきた。どこから来たのかを聞きとると、日本語版がないのは残念だが、と言いながら、英語で書かれた沿線案内をくれた。

「乗客のみなさま、1901年に正式開業した『火山急行』にご乗車ありがとうございます! ドイツに残る数少ないメーターゲージ列車の一つで、おそらく最も急勾配の列車の旅をお楽しみください。

乗車中にご体験いただけるとおり、『ブロールタール鉄道』は本物の山岳鉄道です! 興味深いことに、あなたは『火山公園 Vulkan Park(下注)』の一部を通って旅しています。アイフェル山地のこの地域では、鉱泉のような『熱い過去 hot past』の多くの遺物や火山活動のあらゆる種類の痕跡を見つけることができます…。」

注:正式名は、アイフェル火山帯自然公園 Naturpark Vulkaneifel。

読んでみるとけっこう充実した内容で、車窓風景の理解に役立った。次回は、この沿線案内を参照しながら、エンゲルンまで旅することにしよう。

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一番列車まもなく出発

■参考サイト
火山急行(公式サイト) http://vulkan-express.de/

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 火山急行(ブロールタール鉄道) II
 ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車

2018年8月14日 (火)

ライトレールの風景-阪堺電気軌道上町線

貸切運行のモ161で阪堺線の終点、浜寺駅前に降り立った一行は、20分の休憩の間、車内を撮影したり、近くにある南海本線の駅舎を覗いたりして過ごした。

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浜寺駅前に停車中のモ161(以下、特記ないものは2014年4月撮影)

浜寺は、古くから白砂清松の海岸として知られた場所だ。沖合に埋立地が造成される以前は、海水浴場にさまざまなレジャー施設が併設された行楽の人気スポットだった。戦前、大阪市内からここまで、南海本線、阪堺線(阪堺電気軌道、1915年から南海鉄道阪堺線)、新阪堺(正式名称は阪堺電鉄、下注)と3本の鉄道が通じていたことからも、その賑わいぶりが想像できる。

*注 阪堺電軌とは別会社で、1944年に大阪市電へ吸収される際に、堺市街から浜寺までの末端区間は廃止された。

南海本線の駅名は浜寺公園といい、1907(明治40)年に建てられた私鉄最古級の木造駅舎が最近まで使われていた。惜しいことに、鉄道の高架化工事に伴って2016年1月に駅舎としての役割を終え、現在は、曳家により高架工事に支障しない位置に移設保存されている。一方の阪堺線の電停名は浜寺駅前、つまり南海の駅前という意味だ。控えめな名称に合わせるように、駅舎も切妻屋根のささやかなものだ。たいていホームに次の電車が停まっているから、待合室を設ける必要もないのだろう。

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瀟洒なデザインが特徴的な南海本線浜寺公園駅の旧駅舎(2010年4月撮影)
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浜寺駅前電停は南海の駅(右奥)から公園へ通じる通り沿いにある(2010年4月撮影)

そろそろ折返しの出発時刻になる。13時20分に出た定期列車の後を追って、モ161もホームを離れた。復路では、我孫子道車庫に寄り道した後、上町線の起点、天王寺駅前まで行くことになっている。

先行車が各電停で客を拾っていくので、こちらは徐行したり、ときには停止したり、車間距離を見計らいながらの運行だ。その間、車内ではサイレントタイムの指示があった。おしゃべりは控えて、吊り掛け駆動の懐かしいうなり音を鑑賞する。意識はおのずと車外の動く景色に向くから、数分おきにすれ違う対向列車が気になる。

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モ161の復路 (左)大道筋で先行車の後を追う (右)まもなく我孫子道電停

大和川を渡り、大阪市域に入って最初の停留場が、我孫子道(あびこみち)だ。南側のホームの前まで進んだ後、バックでゆっくりと車庫の構内に入っていった。東端の側線で停車、ここでも20分間の休憩がある。業務の支障にならないよう行動範囲を限定した上で、車庫見学が許された。

ここは阪堺電車の運行拠点なので、街路で見かけるさまざまな車両が休んでいる。堺トラム第2編成の紫おんがいるかと思えば、目立つ塗色のモ601形、その陰に隠れるように橙帯の旧 京都市電の姿も確認できた。モ161の前で全員が記念写真に収まった後、再び車内へ戻る。

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我孫子道車庫のモ161
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我孫子道車庫に憩う車両群。堺トラム、モ601形、旧 京都市電

我孫子道を14時07分に出発した。少し進めば、住吉大社前の併用軌道だ。住吉電停の先で、右へ分岐する渡り線を経由して、いよいよ上町線の専用軌道に進入する。

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専用軌道上にある住吉電停の下りホーム
浜寺駅前直通運転開始直後の2009年9月撮影

阪堺電気軌道のサイト等によれば、上町線のルーツは軌間1067mmの馬車鉄道だ。1900(明治33)年に、まず天王寺西門前~東天下茶屋間が開通している。1909年に会社が南海鉄道に合併された後、1910年に住吉神社前(現 住吉)への延伸と電化・改軌工事が完成した。南海線の駅に隣接する住吉公園(下注)まで全通したのは1913(大正2)年のことだ。その後1921年に、天王寺駅前以北の区間が大阪市電に譲渡されて、上町線の営業区間が固まった。

*注 当時は南海線の駅名も住吉公園(1912年開業)で、上町線の駅名はそれに合わせたもの。

出自が異なる阪堺線と上町線だが、旧 阪堺電気軌道が南海と合併した1915年以来、もう100年以上も姉妹線のように扱われている。南海時代には、1980年に廃止された平野線(今池~平野)とともに、大阪軌道線と総称されていた。

旅客流動は、恵美須町よりも交通の結節点であり商業の中心地である天王寺/阿倍野に向いているため、上町線と阪堺線をつなぐ系統の利用者が多い。2009年に上町線天王寺駅前と阪堺線浜寺駅前を結ぶ直通運転が復活した(下注)。代わりに阪堺線恵美須町発の電車が我孫子道止まりになり、堺市域からも天王寺へ直結させるという会社の戦略意図が明確になっている。

*注 浜寺駅前への直通運転は1955(昭和30)年に始まったが、1973年から我孫子道止まりに短縮されていた。

前回も触れたが、貸切乗車のときはまだ上町線の末端区間、住吉~住吉公園間200mが残っていた。ただ、ひと月ほど前(2014年3月)のダイヤ改正で、住吉公園の発着が大幅に減便され、朝の7~8時台の5往復(土休日4往復)だけになっていた。乗り合わせた人たちと、きっとこれは廃止の前触れに違いないと話していたのを覚えている。

予測は、わずか2年後に現実となった。2016年1月31日付でこの区間が廃止され、利用者は近くの住吉鳥居前電停に回らざるを得なくなった。屋根があり風雨をしのげる住吉公園に比べて、鳥居前は道路上で、吹きさらしの狭い安全地帯だ。快適度にはかなりの落差があるが、運用効率のほうが優先されてしまった。

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住吉公園電停ありし頃(4点とも2009年9月撮影)
(左)住吉電停前の平面交差 (右)住吉公園駅にさしかかるモ602
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(左)2線3面のささやかなホーム (右)駅舎正面。左の高架は南海本線

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住吉大社周辺の1:10,000地形図(1985(昭和60)年編集)
南海本線、阪堺電軌阪堺線、上町線と各駅・停留場の位置関係がわかる

住吉を出ると、電車は住宅街の中をくねりながら上っていき、サミットで南海高野線とオーバークロスする。坂道は30.3‰という異例の急勾配で、舞台は、低平な海岸平野から高燥な洪積台地に移る。以後、上町線はその名のとおり、終始この上町台地を伝っていく。

帝塚山四丁目電停の北側で併用軌道が始まるが、通るのは軌道の両側に1車線とれるかどうかの狭い道だ。それにもかかわらず路上駐車は日常茶飯事で、電停では朝夕その1車線が客の待ち合わせ場所にされる。それで車は、軌道の上を電車と前後しながら走らざるを得ない。

また、別のあるとき、姫松だったか、電停前の商店のガラス戸越しに、店の人と話している女性客が見えた。到着した電車に気づくと挨拶を交わし、悠々と表に出て、その足で乗り込んできた。生活密着型の鉄道ならではの光景がここにはある。

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(左)上町台地に上り、南海高野線を越える急勾配区間
(右)生活道路の併用軌道、姫松電停にて(いずれも2009年9月撮影)

北畠電停の先で左にそれて、いったん専用軌道に戻る。しかしそれは少しの間に過ぎない。松虫電停を出た後、電車は体をくねらせながら、車が溢れるあべの(阿倍野)筋の大通りに割り込んでいく。阿倍野交差点から北側は、再開発事業に伴う道路の拡幅工事の最中で、軌道の周りは雑然としている。ビルの谷間にこもる都会の喧噪を掻き分けるようにして、14時28分、モ161は終点、天王寺駅前に到着した。

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専用軌道からあべの筋に割り込む(車内から後方を撮影)
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天王寺駅前の旧ターミナル(2009年9月撮影)

あべの筋の併用軌道は、その後2016年12月3日に、拡幅が完了した道路の中央に切り替えられた。新線では、センターポールの架線柱が建ち並び、芝生を植え込んだ緑化軌道が延びる。阿倍野電停は拡幅されて上屋がつき、天王寺駅前電停も、2面1線の窮屈な構造はそのままながら、改築されて面目を一新した。ここに堺トラムが現れたら、LRTの新設路線と何ら変わらない。

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切り替えられた併用軌道
(左)阿倍野交差点から北望 (右)阿倍野電停(いずれも2017年9月撮影)
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改築された天王寺駅前電停(2017年9月撮影)

今改めて周囲を見渡せば、天を突くあべのハルカスをはじめ、キューズモール、新しい駅前歩道橋と、いつのまにか阿倍野一帯が近未来的な風景に転換されている。阪堺電車もとうとうその進化に追いついたわけだ。とはいえ、屋外広告物条例などなんのその、質屋やパチンコ屋のド派手な広告を付けた車両もまだ素知らぬ顔で走ってくる。これもまた阪堺らしい姿だ。

掲載の地図は、国土地理院発行の1万分の1地形図住之江(昭和60年編集)を使用したものである。

■参考サイト
阪堺電軌 http://www.hankai.co.jp/

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 ライトレールの風景-阪堺電気軌道阪堺線

2018年8月 7日 (火)

ライトレールの風景-阪堺電気軌道阪堺線

阪堺電気軌道、通称 阪堺電車が、手持ちのレトロ車両を使って貸切運行を行っている。もう4年前になるが、2014年4月の海外鉄道研究会のイベントでそれに乗る機会があった。

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恵美須町で発車を待つモ161(以下、特記ないものは2014年4月撮影)

阪堺電気軌道は、阪堺線(恵美須町~浜寺駅前14.1km)と上町線(天王寺駅前~住吉4.4km、下注)の2路線から成る。コースは、まず往路が恵美須町(えびすちょう)を出発して、阪堺線を一気に浜寺駅前まで走り通す。復路では我孫子道(あびこみち)の車庫を見学し、住吉から上町(うえまち)線に入って、天王寺駅前で降りるというものだ。

*注 ただし当時は住吉~住吉公園間0.2kmもまだ運行しており、朝の時間帯だけ発着があった。この区間は2016年1月31日付で廃止。

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阪堺電車の路線図

少し早めの昼食をとって、地下鉄堺筋線で集合場所へ向かった。恵美須町は、路線が1911(明治44)年に開業したときからのターミナルだ。堺筋が国道25号と交わる恵比須交差点の南西角で、通天閣が聳える繁華街「新世界」とは道を隔てて隣り合っている。しかし、駅(停留場)は平屋根の入口に電車のりばを示す小さな看板があるだけで、うっかりしていたら通り過ごしてしまいそうだ。

喫茶店の前の薄暗い通路を入っていくと、改札口はなく、あっけなくホームに出た。車内精算の路面電車だから当然なのだが、屋根を架けた3面2線のターミナルらしい造りの構内だけに、けっこう意外感がある。参加者は30名あまり、着いては出ていく定期列車の写真を撮りながら、賑やかに時間待ちをしていた。

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恵美須町電停
(左)のりばを示す小さなプレートがあるだけの入口(2010年4月撮影)
(右)3面2線の立派な頭端式ホーム

12時過ぎ、吊り掛けモーターのモ161がホームに入ってきた。1928(昭和3)年製の車両で、開業100周年を記念して昭和40年代の状態に復元されたのだそうだ。外装はダークグリーンだが、屋根は赤(鉛丹色)、ドアと窓枠はニス塗りでいいアクセントになっている。阪堺線ではど派手なボディー広告の車両を見慣れているので、このシックないでたちは新鮮だ。

車内に入ると、目の覚めるようなブルーのモケットシートが目を引く。腰を下ろすと感じる堅めの反発力が懐かしい。鎧戸の日除けやアールヌーボー風の装飾金具、「禁煙」のプレートでさえ、レトロ感を盛り上げる立派な小道具だ。

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モ161 (左)中央扉は両開き、ニスの赤茶が美しい
(右)艶やかなブルーのモケットシートが目を引く
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(左)さりげない装飾金具もポイント (右)運転台

12時15分、電車は恵美須町を出発した。しばらくは建物の間の専用軌道を走っていく。信号に従うほかは停まらない特別列車だが、先行車を追い抜けないので急行運転とは言いがたい。大阪環状線の下をくぐり、それと並行する大通りを横断し、旧南海天王寺支線をまたいでいた築堤を上り下りする。

路面電車というイメージが定着しているにもかかわらず、車と並んで走る併用軌道区間はそれほど多くない。開業当時、住吉大社前や堺の旧市街地を除いて、町裏や都市化が及んでいない郊外に線路を敷いたからだ。だからこそ高度成長期、いたずらにクルマの目の敵にされることなく、生き残ることができたのかもしれない。

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恵美須町を出発

気が付くと緩い右カーブに差し掛かっている。天神ノ森の大きなクスノキが視界をかすめた。まもなく電車は、南海高野線のガードをくぐって紀州街道に出ていく。約2kmの間続く最初の併用軌道の始まりだ。

その北半分は、軌道の位置が道路の西側(進行方向右側)に偏っているため、対向するクルマが軌道上を堂々と走ってくる。この間にある東玉出と塚西の北行き電停は、路面に白線で描かれた安全地帯があるだけだ。そこに立ったままでは不注意なクルマに撥ねられかねず、利用者は道路際の軒先で待たなければならない。前方を見ていると、右折車や、時には通行人まで直前を横切る。電車の速度が勘で分かっていると見えて、慌てるそぶりもない。

上町線との分岐がある住吉電停の前でいったん停車した。軌道は複雑に交差していて、左後方へ行くのは天王寺駅前方面、右前方は住吉公園へ向かうひげ線(下注)だ。阪堺線浜寺公園方面と上町線天王寺駅前方面相互間の渡り線もある。

*注 このひげ線は、上述のとおりすでに廃止されている。

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住吉の渡り線を行く旧塗装のモ161(2010年4月撮影)
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住吉鳥居前の併用軌道

初詣客数では関西で一二を争う住吉大社の門前(停留場名は住吉鳥居前)を通過すると、電車は急カーブで右にそれて、再び住宅地の中の専用軌道を走り出す。ほどなく阪堺電車の運行拠点である我孫子道で停車した。ここは阪堺線と上町線の乗換え指定駅であり、大阪市内最南端のため、運賃が変わる境界駅でもある(下注)。

*注 後述するとおり、現在普通運賃は全線均一になっている。

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大和川に架かる華奢なガーダー橋(2010年4月撮影)

大阪と堺の市境をなす大和川(やまとがわ)を、華奢なガーダー橋で渡っていく。もちろん阪堺線では最も長い橋梁だ。阪神高速と少しの間並行した後、減速して急なカーブを回り込むと、堺の旧市街を南北に貫く大道筋(だいどうすじ)が見えてくる。

幅50mあるという大通りに設けられた一直線のセンターリザベーション軌道が、電車の通り道だ。座席に腰を下ろしていると気づきにくいが、両側の車道との間は、季節の花が溢れる花壇やつつじの植え込みで仕切られていて、トラムが走る環境としては特筆すべきものだ。この区間は約2.5kmも続き、けっこう乗り甲斐がある。

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大道筋のセンターリザベーション軌道
(左)老朽化していた軌道(2010年4月撮影) (右)PCまくらぎ化で乗り心地が改善

旧市街の南端で、もと環濠の土居川を渡ると、三たび専用軌道が復活する。そしてまた、胸のすくような直線路だ。大阪市内に比べて住宅の密集度が緩和されたせいか、全開の窓から吹き込んでくる初夏の風が心地よい。

また築堤を上っていき、南海電鉄本線を斜めにまたぎ越すあたりで、電車は速度を緩めた。右の車窓に浜寺公園の松林が広がっている。13時ごろ、終点の手前の乗降場所で停止。参加者を全員降ろしてから、電車はおもむろに1面1線の浜寺駅前のホームに入っていった。ここでは折返しの発車まで、20分の休憩がある。

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(左)南海本線を乗り越して海側へ (右)浜寺駅前ではホームの手前で客を降ろす
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浜寺駅前電停
(左)出札 (右)自販機が林立する正面入口(いずれも2017年9月撮影)

1912(明治45/大正元)年に全通した阪堺線だが、1915年からは南海電鉄の一路線として運行されていた。利用者減少による採算悪化を受けて1980年に分社化され、今の形になった。しかし、その後も状況は改善せず、新会社発足以来約30年間で、輸送人員は7割も減ったという。

減少傾向は、大阪市内に比べて堺市内がより顕著だった。ほぼ並行して走る3本の鉄道(南海本線、南海高野線、JR阪和線)に、所要時間でも運賃の点でも及ばず、利用者の逸走を招いたのだ。2000年決算で、会社は最初の債務超過に陥った。人員削減で合理化を進める傍ら、2003年堺市に対して、堺市内区間の存廃を含めた協議を申し入れている。

その中で2007年ごろから、東西鉄軌道事業の構想が持ち上がった。従来の鉄道がすべて南北方向に走っているのに対して、それを連絡する東西軸としてLRTを建設するというものだ。それに合わせて阪堺線は公有化(上下分離)する方針だった。ところが、役所主導で検討が進められたため、LRTのルートとなる沿線住民の強烈な反対運動を引き起こしてしまう。2009年の市長選で争点になり、計画中止を公約に掲げる現市長が当選した結果、事業はあえなく白紙撤回された。

しかし、現実に走っている阪堺線まで見捨てるわけにはいかなかった。翌2010年に市は、阪堺線に対する支援策を発表し、2011年から10年間をめどに総額50億円の財政支援を行うとともに、公有化の協議を続行することとしたのだ。

支援項目で利用者にインパクトがあったのは、経費補助による運賃値下げだ。阪堺電車の運賃体系は、大阪市内または堺市内が200円、市境を越えると290円に跳ね上がって、並行路線より高くなっていたが、これを全線200円の均一運賃にした(消費税率改定に合わせて現在は210円)。さらに満65歳以上の堺市民は専用カード持参で100円になる。住民向けだけでなく、観光客誘致のためのフリー乗車券もいろいろと用意された。

また、車両の更新も話題となった。2013年から15年にかけて調達された3編成の新型LRV「堺トラム」だ。富山地鉄のサントラムや札幌市電のポラリスと同形の3車体連接車(下注)だが、車体塗装を敢えて抑えたトーンにしているのが特徴だ。原色がはじける従来車との違いは歴然で、外観との相乗効果で沿道に高級感を振りまいている。

*注 富山地鉄のサントラムは「新線試乗記-富山地方鉄道環状線」、札幌市電は「新線試乗記-札幌市電ループ化」の項で触れている。

実はこの日、朝早いうちに住吉鳥居前の電停でそれを待っていたのだが、同じ目的の親子連れがそばにいた。坊やは先発する従来車には目もくれない。「トラムに乗りたい!」と叫んで、次にやって来た堺トラムにいそいそと乗り込んだ。1時間に1本の割合で来る堺トラムは明らかに混んでいて、大人でもこれを選んで乗る人がいる、と後で聞いた。

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堺トラム第1編成「茶ちゃ」

多方面にわたる財政支援は、堺市民の阪堺線に対する認識に変化を与えたようだ。上町線の起点あべの界隈で、キューズモールやハルカスなど大規模商業施設が相次いで開業したこともあって、利用者数はそれ以来、上向きに転じている。

次回は、モ161の帰り道を上町線天王寺駅前までたどる。

■参考サイト
阪堺電軌 http://www.hankai.co.jp/
堺市公式サイト-阪堺線への支援の取組について
http://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/doro/toshikotsu/hankaisen/

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