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2019年9月24日 (火)

オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I

イプスタール鉄道 Ybbstalbahn

本線:ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs ~キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming 間 70.9km
支線:グシュタット Gstadt ~イプジッツ Ybbsitz 間 5.7km
軌間760mm、非電化

1896~99年開通
1988年 山線(ルンツ・アム・ゼー~キーンベルク・ガーミング間)の公共輸送休止
1990年 山線で保存鉄道運行開始
2010年 本線グシュタット~ゲストリング・アン・デア・イプス間および支線グシュタット~イプジッツ間廃止

【現在の運行区間】
シティーバーン・ヴァイトホーフェン Citybahn Waidhofen(一般旅客輸送)
 ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs ~グシュタット Gstadt 間 5.5km

イプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(保存鉄道)
 キーンベルク・ガーミング~ゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs 間 26.8km

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イプスタール鉄道最大の構築物
シュヴァルツバッハ高架橋
 

イプスタール鉄道 Ybbstalbahn の名は、ドナウ川の支流イプス川 Ybbs の谷(イプスタール Ybbstal)を主に走ることに由来している。場所はオーストリア中部、石灰岩アルプス Kalkalpen 北側のアイゼンヴルツェンと呼ばれる中山域だ。アイゼンヴルツェン Eisenwurzen は直訳すると「鉄の根」だが、昔の人は、鉄鉱脈が根のように延びて、周辺に広がっていくと信じていたのだという。

製鉄業が今のような重工業に発展する以前の15世紀から19世紀前半まで、鉄鉱山で知られるアイゼンエルツ Eisenerz に近いこの地方では、主要な町に鉄工場があり、地域経済を支えていた。鉄の生産には、原料の鉱石のほかに、燃料となる木炭、動力としての水資源、さらには鉱山労働者に支給する食糧も必要となる。それで、鉄工場の経営者(ハンマーヘレン Hammerherren)は、同時に山林と農地の大地主であり、川の水利権も握る土地の有力者だった(下注)。

*注 ヴァイトホーフェン、イプジッツ、ルンツ・アム・ゼーなど鉄道沿線各地にはハンマーヘレンの当時の豪邸(ハンマーヘレンハウス Hammerherrenhaus)が残り、観光資源になっている。

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イプスタール鉄道山線の車窓から眺める
ガーミングの村と修道院
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ハンマーヘレンハウスの例
ズグラッフィートの装飾壁が美しいルンツ・アム・ゼーのアモーンハウス Amonhaus
Photo by Bwag at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかし、鋼鉄の安価な製法が普及するにつれ、地場産業は衰退し始める。イプスタール鉄道の構想は、鉄道網やドナウの水運との接続により、地域を再興しようとするハンマーヘレンたちの強い願望から生まれた。

すでに1870年に西部鉄道 Westbahn のペヒラルン Pöchlarn からイプスタールのルンツ・アム・ゼー Lunz am See に入り、さらにアイゼンエルツの入口に位置するヒーフラウ Hieflau まで行く標準軌線の計画があった。しかし1877年に完成したのは、キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming が終点のエアラウフタール線 Erlauftalbahn で、イプス川の谷には届かなかった。

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ペヒラルン駅に停車中の
エアラウフタール線列車
 

結局、イプスタールへの列車の旅が実現するのは、それから20年も後のことになる。ニーダーエースタライヒ州の鉄道法に基づいて認可された多くの狭軌地方鉄道と、ほぼ同じ時期だ。

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建設工事は、西側から着手された。イプス川中流域の中心地ヴァイトホーフェン Waidhofen には、1872年に勅許皇太子ルードルフ鉄道 k.k. privilegierte Kronprinz Rudolf-Bahn の支線(クラインライフリング Kleinreifling ~アムシュテッテン Amstetten 間、現 ÖBBルードルフ線)が開通していた。ここを起点に、まず1896年7月にグロースホレンシュタイン Großhollenstein まで、次いで1898年5月にルンツ・アム・ゼー Lunz am See まで、いわゆる谷線 Talstrecke が開通した。

残るルンツ・アム・ゼー~キーンベルク・ガーミング間の山線 Bergstrecke は、少し遅れて同年11月に運行が始まった。また、途中のグシュタット Gstadt で分岐してイプジッツ Ybbsitz に至る支線も翌1899年3月に開かれ、ここにイプスタール鉄道が全通した。

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イプスタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線、灰色は貨物線を表す)
 

地方鉄道は、幹線から離れた地方を潤すという敷設目的から、終端が行き止まりになっていることが多い。その点、イプスタール鉄道は両端で標準軌線に接続しており、交通網の形成という意味で一見理想的だ。

しかし実態は、河谷という自然地形の制約を受けて、ルートの迂回を強いられている。また山線では急勾配と急曲線が続くため、牽引定数が小さく、輸送力に限界があった。第二次世界大戦後、峠を越える道路が整備されると、利用者はバスや自家用車に流出していく。貨物輸送も次第にトラックに移行して、鉄道の劣勢は明白になっていった。実績が振るわない山線については、すでに1970年代から存廃が議論されており、1988年5月にとうとう運行休止となった。

谷線でも、2006、07両年のイプス川の氾濫で、線路が数か所で被害を受けた。これは数か月後に復旧したものの、徐行区間の増加で運行本数が削減され、主要顧客の通学輸送がバスに切り替えられてしまう。

追い打ちをかけるように、2009年にも豪雨による土砂崩れが発生し、再びバスによる代行輸送が始まった。そして今度こそ、列車運行が再開されることはなかった。2010年1月にニーダーエースタライヒ州は、イプスタール鉄道をÖBB(オーストリア連邦鉄道)から州に移管すると発表した。同年12月12日にこれが実行され、同時に、谷線のグシュタット~ルンツ・アム・ゼー間とイプジッツ支線は正式の廃止手続きが取られたのだ(下注)。

*注 廃止区間のうち、グシュタット~ゲストリング Göstling 間は、2017年に自転車道への転換が完了し、イプジッツ支線の線路敷もすでに更地化されている。

一方の山線は、谷線とは対照的な道をたどった。特徴あるルートの消失を惜しんだ愛好家団体により、休止後間もない1990年から、保存鉄道への活用が進められたからだ。企ては成功し、今なお夏のシーズンには、古典機関車が二軸客車を牽いて山坂に挑むシーンが見られる。

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イプスタール鉄道山線の保存列車

東西に分断されてしまったイプスタール鉄道だが、現況はどうなっているのだろうか。まず、谷線のヴァイトホーフェン~グシュタット間をリポートしよう。この区間は水害の影響を受けることなく、2006年からの断続的な谷線の運休期間にも列車が走っていた。また、ヴァイトホーフェンの市街地周辺で、比較的利用者の多い根元区間であることから、当分の間存続されることになったのだ。

上述のとおり2010年12月から、ヴァルトフィアテル鉄道やマリアツェル鉄道と同じく、ニーダーエースタライヒ州の公営企業であるニーダーエースタライヒ運輸機構 Niederösterreichische Verkehrsorganisations-Ges.m.b.H (NÖVOG) が運行を担っている。

ヴァイトホーフェン、正式名ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs は、イプス川にシュヴァルツバッハ川 Schwarzbach が合流する地点に築かれた歴史ある町だ。段丘の突端、渓谷に面してロートシルト城 Schloss Rothschild の塔と城壁がそびえ、その背後に風格のある旧市街が延びている。

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ヴァイトホーフェン旧市街
(左)ロートシルト城の遺構に建つ教区教会
(右)通りを見下ろす市塔 Stadtturm
 

それに対してÖBBのヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス駅は、1km下ったイプス川沿いにある。まとまった平地が確保できる場所を求めた結果とはいえ、町はずれであることは否定できない。イプスタール鉄道はこの駅前にささやかな乗り場を持っていた。

NÖVOGによる運行引継ぎに際し、路線には「シティーバーン・ヴァイトホーフェン Citybahn Waidhofen」という新たな愛称が与えられた。車両は、ÖBB 時代に760mm狭軌線に標準配備された5090形気動車(現 NÖVOG VT形)のままだが、人物写真と波形パターンに CITYBAHN の大きなロゴという、派手なラッピングを全身にまとって、印象が一変した。

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シティーバーン・ヴァイトホーフェンの
ラッピング気動車
 

ダイヤは1時間間隔だ。ヴァイトホーフェン駅ではÖBBルードルフ線の列車に4~7分の待ち時間で接続しており、小私鉄ならではの行き届いたサービスが図られている。延長5.5kmと短いので、全線の所要時間はわずか12分だ。

さて、アムシュテッテンからの列車を降り、駅前に出ると、シティーバーンのホームに2両連結の気動車が待機している。列車はÖBB駅舎の玄関から見て右方向へ進むのだが、左側にも線路は延びて、留置側線が並ぶ長いヤードに続いている。かつてここでは、標準軌線との間で貨物の積替えが行われていたはずだ。ヤードの終端には、気動車のための車庫兼整備工場も見える。

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(左)ヴァイトホーフェン駅で発車を待つ2両編成の列車
(右)簡易シートが並ぶ車内
 

接続時間が短いので、観察もそこそこに列車に乗り込んだ。車内は、向かい合わせ4人掛けの簡易シートが並ぶ質素な造りだ。昼下がりの時間帯なので、隣の車両まで見渡しても、全部で3~4人しか乗っていない。上の窓が全て開けてあり、走り出すと風の中を進んでいくようだ。これなら、窓外の写真も心置きなく撮れる。

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(左)シティーバーンのヴァイトホーフェン駅
(右)留置側線の奥に車庫・整備工場
 

最初の約1kmは、ÖBB線の左側を並走する。最初のカーブを曲がったところから、小さな谷を隔てて、ヴァイトホーフェン旧市街の家並みが望める。まもなく左にカーブを切って、おもむろに市街地の上空を横断し始めた。この長さ200mのシュヴァルツバッハ高架橋 Schwarzbachviadukt は、イプスタール鉄道で最大の構築物だ。

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(左)ヴァイトホーフェン駅を後にして
  正面は標準軌駅(列車後方を撮影)
(右)標準軌との並走区間
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シュヴァルツバッハ高架橋で市街地上空をまたぐ
 

車窓からでは橋の足元が見えないので、帰りに最寄りの停留所で降りて、見に行った。橋は、シュヴァルツバッハ川とその谷間に沿う市街地の上空を、一気にまたぐ形で架けられている。両端から石造アーチの高架を延ばすとともに、中央の広い径間は上路プラットトラスと魚腹トラスでクリアした。この威容からして当然、撮影名所でもあるのだが、街中のため、周囲の建物が邪魔になり、すっきりと一望できないのが惜しい。

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シュヴァルツバッハ高架橋
主要道をまたぐ径間は魚腹トラス
(冒頭写真も参照)
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(左)西側に続く上路プラットトラス
(右)端部は石造アーチ
 

橋を渡り終えたところに、シラーパルク Schillerpark 停留所がある。公園の大きな並木の下に設けられたホームには、屋根付き橋のような小屋掛けの長いベンチが置かれている。ここで二人が降りたので、一駅目にして早くも空気を運ぶ状況になった。

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シラーパルク停留所
(左)並木の下のホーム
(右)小屋掛けの長いベンチ
 

次は地方鉄道駅 Lokalbahnhof という停留所だ。地方鉄道時代の、ヴァイトホーフェン市街に近接したターミナルだったので、駅舎の前に、側線を撤去した広い跡地が残されている。市街地は三駅目のフォーゲルザング Vogelsang 付近までで、後は郊外風景になる。列車は、しばらくのどかな山里を走ってクライルホーフ Kreilhof は通過し、終点グシュタットのホームに滑り込んだ。

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(左)地方鉄道駅の駅舎と側線跡地
(右)郊外風景の中を走る
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終点グシュタット駅
 

駅前にオフィス機器メーカーの大きな工場があるものの、駅前集落らしきものは見当たらない。というのも、ここは最初から、イプジッツ支線との乗換え用に設けられた駅だからだ。現在も、鉄道が撤退した町や村へ向けて、駅前からバスが出ている。しかし、どのバスもヴァイトホーフェン駅発で、市街地も経由してきているから、乗換え需要はあまりなさそうだ。

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以遠の町へは駅前からバスが連絡
 

駅構内から先へ、草むしながら線路が続いていたので、少したどってみた。残念ながらそれは、右にカーブして、州道B31号線との交差の直前で途切れていた。線路(跡)はここで二手に分かれるのだが、本線ルンツ・アム・ゼー方面は線路が剥がされ、もはや更地状態だ。一方、イプジッツ支線では、イプス川を横断する魚腹トラスの立派な鉄橋がまだ架かっている。川越しに眺めれば、あのシュヴァルツバッハ高架橋のように、シティーバーンの気動車が今にも渡ってきそうな気がする。

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イプジッツ支線イプス川橋梁
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(左)イプス川橋梁遠望
(右)橋上だけは線路が残る
 

しかし、現実はその逆で、今でも短い路線がさらに短縮される予定だ。地元のニュースサイトによれば、市とNÖVOG の共同会見で、シティーバーンの運行を2020年秋または年末に、ヴァイトホーフェン駅から2.8kmのフォーゲルザングまでに短縮し、代わりに、平日と土曜朝は現在の1時間間隔を30分間隔に増発するという発表があった。この間に乗客の90%がいる(換言すれば、以遠区間は利用されていない)のが理由だという。

もちろん、これは単なる赤字の圧縮案ではない。フォーゲルザング停留所の周辺にはスポーツ施設や病院が立地しており、経営資源を集中させることで需要を喚起する作戦らしい。また、行事開催時の駐車場対策、あるいは市街地を通過している州道の混雑緩和効果も視野に入れているだろう。

運行本数の増加に備えて、この夏、一部区間でPC枕木に置き換える軌道強化工事が実施された。全盛期に比べれば長さが1/20になってしまうイプスタール鉄道谷線だが、まだ活用の余地は残されているようだ。

次回は、保存鉄道として運行が続けられている山線区間を紹介する。

■参考サイト
シティーバーン・ヴァイトホーフェン https://www.citybahn.at/
プロ・イプスタールバーン(イプスタール鉄道支援者協会) http://www.ybbstalbahn.at/
NÖN(ニュースサイト) https://www.noen.at/

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2019年9月14日 (土)

マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee

エアラウフゼー Erlaufsee ~マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg 間 3.3km
軌間1435mm(標準軌 Normalspur)、直流650V電化(一部区間)
1981~85年 マリアツェル駅~エアラウフゼー間開通
2015年 マリアツェル・プロメナーデンヴェークへ延伸

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マリアツェル駅構内
背景の山は標高1626mのゲマインデアルペ Gemeindealpe
 

マリアツェル駅構内の、駅舎とは反対側に幅広の側線が数本敷かれている。マリアツェル鉄道が760mm狭軌のためにことさら広く感じるが、1435mm、紛れもなく標準軌の線路だ。ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf のように、本線格の路線が標準軌で、接続する支線が狭軌という駅はよくあるが、逆のケースは珍しい。

線路の所有者は、「ムゼーウムストラムウェー(保存路面軌道)利益共同体 I.G. Museumstramway」という、保存鉄道を運営する団体だ。毎年5月~10月の週末、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee(下注)」の名で、ここに古典列車を走らせている。

*注 Erlaufsee の訳について、鉄道名や停留所名は「エアラウフゼー」、湖の名(自然地名)は「エアラウフ湖」としている。

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この日の保存列車が行く
 

公式サイトに掲げられた紹介文を引用すると、「マリアツェルとエアラウフゼーの間の路線は、保存運行のために再建された廃線ではない。1976年から2015年にかけて一から新設され、線路でさえも保存路面軌道の活動家がボランティア作業で造ったものである。使用されている施設設備は、オーストリアの路面軌道および地方鉄道会社の技術の歴史を映し出している。」(ドイツ語原文を和訳)

路線は現在3.3kmの長さがあり、部分的に架空線も張られている(下注)が、上記のとおり保存鉄道のために新たに造られた線路だ。走る車両こそ古いが、建設後30年ほどしか経っていない。

*注 マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg ~フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum 間。ただし、電気トラム運行時のみ通電。

同じサイトに、これまでの経緯が記されている。それによれば、保存鉄道の活動は1968年春、後に団体を主宰することになるアルフレート・フライスナー Alfred Fleissner(下注)が、廃車予定だったバーデン路面軌道の100号電車を救い出したことに始まる。次いで、ウィーン市電その他の引退車両を収集し、ウィーンのオッタクリング Ottakring 駅構内の車庫を借りて保存するとともに、事業に当たる協会組織を設立した。

*注 現在は同名の息子と二人で協会を主宰している。

その後、彼がザンクト・ペルテン路面軌道会社に職を得たことから、協会の活動拠点もザンクト・ペルテンの工場跡地に移された。ところが、会社が経営危機に陥ったため、さらなる移転先を求めた結果が、観光地として知られたマリアツェルだった。自治体との交渉が成立し、市街地と郊外のエアラウフ湖を結んでルートを整備することになった。

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マリアツェル駅舎の反対側に延びる標準軌の軌道
 

1976年2月にザンクト・ペルテン路面軌道会社が倒産したとき、協会は、その車両、軌道、架線設備を一括で購入した。マリアツェルでは車庫と軌道の建設が始まり、1981年に、駅から北側のシュポルトプラッツ(スポーツ広場)Sportplatz までの最初の区間が運行可能になった。その後、1983年にヴァルトシェンケ(森の酒場)Waldschenke まで(下注)、1985年にはエアラウフゼーまで軌道が延伸されて、北区間が全通している。

*注 シュポルトプラッツ、ヴァルトシェンケとも臨時の折り返し場所で、現在は使われていない。

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一方、南区間は、ずっと遅れて2012年に着手された。マリアツェル鉄道の廃線跡(下注)を一部利用するとともに、途中で分岐して谷を横断し、駅と町を結ぶ遊歩道のそばに達するルートだ。大掛かりな築堤造成を含む建設工事も2014年には完成し、2015年8月から定期ダイヤで列車が走り始めた。現在、運行は北区間と通しで行われている。

*注 1988年に廃止されたマリアツェル~グスヴェルク Gußwerk 間のうち、マリアツェル側の約600m。狭軌の線路は2003年に撤去済みだったので、保存鉄道用の標準軌線路が新たに敷設された。

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マリアツェル駅周辺の地形図に保存路面軌道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

2018年9月下旬、マリアツェル駅に着いたその足で、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を一往復してみた。保存鉄道は季節運行で、この年は5月20日~10月28日の土日祝日に、1日6往復+出入庫便1往復が設定されていた。全線往復の所要時間は58分だ。

列車ダイヤは、マリアツェル鉄道と接続するように組まれている(下注1)。駅の構内で、本線列車から降りた客に、女性車掌が案内をしていた。その指さす方向、駅舎の反対側の側線に、客待ちしている列車がある。入換用の小型ディーゼル機関車が、デッキつきボギー客車1両(下注2)を牽くミニマム編成だ。

*注1 なお、時刻表の注意書きによれば、悪天候や客の数によって運休することがある。
*注2 もとプレスブルク線 Preßburger Bahn(ウィーン~プレスブルク(現 ブラチスラヴァ)間)で使用された1913年製客車。

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(左)車掌が本線列車から降りた客を案内
(右)本日の運行車両、入換用機関車が古典客車を牽く
 

保存鉄道には、走行可能な世界最古の路面蒸気機関車といわれる、もとウィーン=メードリング蒸気路面軌道 Dampftramway Wien-Mödling  の8号機がいる。それに加えて、ウィーン、バーデン、ザンクト・ペルテン、ザルツブルクなどから来た希少価値の高い路面電車コレクションも相当数所有している。しかし、それが常に稼働しているわけではないらしい。ともかく構内を横切って、そちらに向かった。

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ウィーン=メードリング蒸気路面軌道の8号機関車
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

客車には先客が3~4組いた。まだ席はあるが、いつものように線路観察のためにオープンデッキへ移動する。まもなく機関車のエンジンがかかって、さっきの車掌ともう一人乗務員が乗り込んできた。切符を求めたら、車内補充券の束から1枚繰って、パンチを入れてくれた。発行機から出てくる味気ないレシートでないのはうれしい。全線往復12ユーロ(片道8ユーロ)というのは、走行距離の割に高めだが、保存鉄道への寄付と思っておこう。

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乗車券(車内補充券)
 

10時58分発の列車は、まず南へ向かう。駅の出口で、狭軌の本線線路といったん並行するが、踏切を渡るとすぐ、狭軌は車止めで途切れた。標準軌がその位置に移って、先へ続く。マリアツェル鉄道の廃線跡であるこの短い区間は、27‰の急な下り勾配がついているから、慎重に進む。

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(左)マリアツェル駅を出発
(右)狭軌と並行する区間
 

線路脇に建つ駅の乗務員宿舎を過ぎると、三角線にさしかかった。列車はここで左に折れ、浅い谷をまたぐ築堤を渡っていく。その谷の東斜面に沿っていくと、早くも終点プロメナーデンヴェークだった。名称どおりマリアツェルの町につながる遊歩道(プロメナーデンヴェーク)に並行して、砂利敷きのささやかなホームが造られている。停留所を示すものは、架線柱に取り付けられた古風な標識と小さな時刻表だけだ。

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(左)マリアツェル鉄道廃線跡区間、場内信号機も残存
(右)三角線
  右の軌道が廃線跡区間の続き、
  左がプロメナーデンヴェークへ行く新設区間
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プロメナーデンヴェーク停留所
レトロな停留所標識がかかる
 

乗降客はなく、数分停車した後、11時05分に列車はバックし始めた。最後尾のデッキに乗務員が立ち、赤い旗を振って誘導する。もう一人はデッキの床に座って、誘導役の人と世間話を交わしていたが、三角線の分岐まで来ると地面に降りて、重い転轍てこを反対側に倒した。列車は分岐を左へ進み、廃線跡地の線路に達する(下注)。こうして方向転換を終えた列車は、再び駅のほうへ走り出した。

*注 ここはスプリングポイントのため、自動で進路が変わる。

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三角線での方向転換
(左)車掌が赤い旗を振って誘導
(右)重い転轍てこを起こす
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(左)後退運転で三角線に進入
(右)列車通過後、転轍機を戻す
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(左)転轍手は機関車に添乗
(右)方向転換を終えた列車が駅へ戻る
 

駅でまた数分停まり、今度は北区間の目的地エアラウフゼーに向かう。構内の建物の間を縫うように進み、車庫から出てくる線路と合流する。修理工場を兼ねる車庫は6線を収容する立派なもので、扉の窓ガラスに、保存されている路面電車が透けて見えた。

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6線収容の車庫
ガラス越しに路面電車の姿が
 

ちなみに、保存鉄道の軌道や架線設備は、廃止された路面軌道からのお下がりが再利用されている。まるでアールヌーボーの意匠のような溝つきレールの分岐や、760mm軌間との交差跡などは、特に貴重なものだ。架線を支えるブラケットもよく見ると、さまざまなデザインが揃い、どれも古風で優雅な曲線を描いている。

駅構内を後にして左に折れると、路面軌道らしい造りの停留所(フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum、休暇センターの意)を通過した。街灯、待合室、給水設備など、鉄道風景を醸し出す小道具が、あたかも野外博物館のオブジェのようにさりげなく置かれている。

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(左)芸術的な溝つきレールの分岐
(右)760mm軌間の交差跡が残る
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(左)架線を支えるブラケットのデザインにも注目
(右)鉄道風景を醸し出す小道具が揃う
 

それから列車は、ひと気のない野原に出ていった。道路の下を土管状のトンネルでくぐった後は、州道に沿って走っていく。おおむね下り坂で、路盤はコンクリートで固めてあったり、草生していたりとさまざまだ。やがて、終端ループの合流点を通り、森のきわに設けられたエアラウフゼー停留所に到着した。

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(左)路線唯一の「トンネル」
(右)ひと気のない野原を行く
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(左)エアラウフゼー停留所に到着
(右)終端ループから分岐する側線
 

停車時間が10分ほどあるので、エアラウフ湖畔まで出てみた。周囲を山に囲まれた静かな湖だが、鴨の群れが泳いでいるだけで、ボート乗り場には人影がなかった。きょうは曇り空で、半袖では少し肌寒い。標高828mの高地では、レジャー客で賑わう夏のシーズンはもう終わってしまったようだ。

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シーズンオフのエアラウフ湖畔
 

保存鉄道の次なる目標は、軌道を、マリアツェル市街地の入口にあるバスターミナルまで延長することだ。これにより駅と市街地の間を直接結ぶことができ、マリアツェルに車で訪れている観光客へのアピールにも効果がある。遊歩道に沿って通せば400mほどの距離だが、傾斜地のため、路盤を載せる擁壁を築かなければならない。まとまった工事資金の調達にはまだ時間がかかるだろう。

参考までに、保存鉄道の資料に基づいて、全体の配線図を下に示す。愛好家が基礎から造り上げた施設は、実物大の鉄道模型といっても過言でない。

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保存路面軌道の配線図
(マリアツェル保存路面軌道資料集 V3.0 2018年 に基づき作成)
 

次回は、西隣のイプスタール鉄道を訪ねる。

■参考サイト
マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道  http://www.museumstramway.at/

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2019年9月 7日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II

マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn
谷線 Talstrecke

ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf での、西部本線 Westbahn(ウィーン~ザルツブルク)とマリアツェル鉄道との接続はけっこう歩かされる。前者のホームが駅舎の東寄りに伸びているのに、後者の頭端ホームは西端にあるからだ。もしウィーンからの特急列車(レールジェット Railjet)で後方車両に乗ってきたのなら、乗り継ぐのに300m、徒歩4~5分は見ておいたほうがいい。

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鉄道の起点ザンクト・ペルテン中央駅
左がマリアツェル鉄道
右は標準軌トライゼンタール線のホーム
 

マリアツェル鉄道は、同じように南へ分岐する標準軌のトライゼンタール線 Traisentalbahn(11番線)に並行した12、13番線に発着する。20年前に一度訪れたことがあるが、屋根なしの島式ホームは当時とさほど変わっていない。しかし今、乗り換え客を待っているのは、電気機関車が牽くくたびれた客車ではなく、金色に輝く3車体連接の電車ET形だ。

土曜の朝8時台で、乗車率は1ボックスに1組程度だった。行楽に出かけるにはまだ早い時間帯なのかもしれない。座席予約のビラを貼ったボックスがいくつかあるから、途中の駅で団体客が乗り込んでくるようだ。後ろに1等展望車を3両もつないでいるのだが、2等席でこれだと、1等は空気を運んでいるだろう。

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(左)ザンクト・ペルテン中央駅正面
(右)ホームで出発を待つ電車
 

ET形の車内は、狭軌車両としてはかなり広く見える。実際、車体幅は2650mmもあり(下注1)、ÖBBでよく使われている標準軌電車ボンバルディア・タレント Bombardier Talent の幅2925mmと比べても、軌間差を相殺して余りある。これで、わずか760mm幅、且つ急カーブ続出の線路上を何事もなく走れるとは信じられないほどだ。谷線の途中にあるロイヒ Loich まで、かつてロールボック(後にロールワーゲン)方式で標準軌貨車が直通していたから、車両限界が大きく取られているのは確かなようだ(下注2)。

*注1 ちなみに、762mm軌間の四日市あすなろう鉄道(旧 近鉄)内部・八王子線の現有車両の車体幅は2106~2130mm。
*注2 なお、ロイヒ以遠では、トンネルの建築限界がロールボック方式に対応していなかったため、貨物輸送は狭軌車両で行われていた。

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(左)狭軌用連接式電車ET形
(右)広く見える車内
 

発車すると、すぐに短いトンネルを2本抜ける。この間に、トライゼンタール線をアンダーパスするので、次に同線と並行したときは車窓の左側を通っている。

最初の停車駅は、ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅 St. Pölten Alpenbahnhof(下注)だ。珍しい名前だが、マリアツェル鉄道の正式名が「ニーダーエースタライヒ=シュタイアーマルク・アルペン鉄道 Niederösterreichisch-Steirische Alpenbahn」であったことを思い出せば、腑に落ちる。ここはザンクト・ペルテン側の運行拠点で、車庫兼整備工場がある。さらに南側には標準軌線への積替えができる貨物ヤードが広がっていたのだが、すでに撤去されている。

*注 開通当初はザンクト・ペルテン地方鉄道駅 St. Pölten Lokalbahnhof と呼ばれた。なお、Alpenbahnhof はアルペン鉄道の駅を意味するので、和訳では「アルペン駅」としていない。同じような例で、ウィーンの西駅 Westbahnhof、(旧)南駅 Südbahnhof なども、本来「西部鉄道 Westbahn の駅」「南部鉄道 Südbahn の駅」という意味だ。

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(左)ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅
(右)麦畑の丘陵地を越える(ザンクト・ペルテン方向を撮影)
 

アルペン鉄道駅を後にして、列車は右へそれ、麦畑の広がる丘陵地を越えていく。早くも細かいカーブの連続で、PC枕木のよく整備された線路でも、きしみ音が断続する。再び平野に出ると、オーバー・グラーフェンドルフだ。ここはマンク Mank 方面の支線(グレステン線 Grestnerbahn またの名を「クルンぺ Klumpe」)の分岐駅だったが、2010年に廃止されてしまった。

現在、駅構内北側の転車台と扇形車庫があるエリアが、保存団体「鉄道クラブ Mh.6」の拠点になっていて、そこで、蒸機Mh.6をはじめとする760mm軌間のさまざまな車両の保存活動が展開されている。

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(左)オーバー・グラーフェンドルフ駅
Photo by GT1976 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)廃止されたグレステン線が分岐
 

オーバー・グラーフェンドルフの前後は貴重な直線区間だが、右に急カーブすると、次第に山が近づいてくる。さらにラーベンシュタイン・アン・デア・ピーラッハ Rabenstein an der Pielach あたりまで来れば、列車はもうピーラッハ川 Pielach の谷間を走っている。

多くの駅がリクエストストップ扱い(下注)のため、乗降がなければ通過してしまうが、地域の中心地であるキルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ Kirchberg an der Pielach は固定の停車駅だ。ここで団体客が乗車して、一気に予約席が埋まった。キルヒベルクにもE形(1099形)電気機関車と旧型客車が静態保存されていて、車窓からも見える。

*注 乗降するときは、車内(降車時)または駅(乗車時)のボタンを押して知らせる必要がある。

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キルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ駅
E形(1099形)電気機関車を静態保存
ヘッドマークは戦前のBBÖのもの
 

狭い渓谷の中で短いトンネルを二つくぐったところで、ピーラッハ川と別れて、列車は支流ナタースバッハ川 Nattersbach の谷に入る。ずっと連れ添ってきた州道B39号線が右へ姿を消すとまもなく、谷線と山線の境界となるラウベンバッハミューレ Laubenbachmühle に到着だ。

まず旧駅舎が見えてくるが、列車は前をそっけなく通過して、大屋根の建物の横に停まる。山里に似つかわしくないこの大規模施設は、ラウベンバッハミューレ運行センター Betriebszentrum Laubenbachmühle といい、ET形電車運行に際して造られた車庫兼整備工場だ。駅の機能もここに移され、運行事業者ニーダーエースタライヒ運輸機構 NÖVOG の資料によれば「マリアツェル鉄道の心臓部 Herz der Mariazellerbahn」になっている。

峠下の駅とあれば、蒸機なら給水作業のために長い停車時間をとるところだ。しかし、電車はわずか2分で出発してしまうので、施設を観察する暇もなかった。

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ラウベンバッハミューレ駅
(左)使われなくなった旧駅舎
(右)鄙びた駅だった20年前(1999年撮影)
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(左)現在のラウベンバッハミューレ運行センター
(右)車庫内でも発着可能に
Photo by Grubernst at wikimedia. License: CC0 1.0

山線 Bergstrecke

いよいよ鉄道の名物であるZ字状の3段折り返しによる山登りが始まる。ラウベンバッハミューレ駅の標高535mに対して、サミットは891.6mで、実に350m以上の高度差がある。最急勾配28‰、最小曲線半径は78m、狭軌とはいえかなり厳しい線形だ。

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山線 ラウベンバッハミューレ~ゲージングトンネル間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

折り返しの1段目は、ナタースバッハの谷底をそのままおよそ3km進み、2本の短いトンネルを介したヘアピンカーブで折り返す。2段目は、ナタースバッハ谷の西側の山腹を逆向きに約5km上っていく。途中にオーバー・ブーフベルク Ober Buchberg 信号所(下注)があり、通常ダイヤでは、ここで列車交換が行われる。

*注 1975年までは停留所で、乗降を扱っていた。

尾根の先のへアピンで再び反転すると3段目で、すぐにヴィンターバッハ Winterbach 駅にさしかかる(ただしリクエストストップ)。森に遮られて、車窓から下の段を眺望できるところがほとんどない中で、この駅のマリアツェル方では、さっき出てきたラウベンバッハミューレ駅の大屋根が見下ろせる。しかしパノラマはいっときのことで、後はまた森に覆われた斜面を、ひたすら急カーブでなぞっていく。

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(左)1段目の折り返しヘアピンカーブ(後方を撮影)
(右)ラウベンバッハミューレ駅を見下ろす
  大屋根が運行センター、左に旧駅舎
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車窓からナタースバッハ谷を眺望
中央の谷底集落にボーディング Boding 停留所がある
 

山脈を貫くゲージングトンネル Gösingtunnel は長さ2369m、線内では飛び抜けて長大だ。路線のサミットもこの中にある。息苦しくなりそうな長い闇を抜けると、ゲージング Gösing 駅だ。エアラウフ(エルラウフ)川 Erlauf の谷底から350mの高みに位置していて、石灰岩の断崖も露わなエッチャー山 Ötscher(標高1893m)が初めて車窓に現れる。

鉄道工事の作業員宿舎が、開通後に開放されて、ハイカーや巡礼者を泊めるようになった。それが改築されて、1922年にアルペンホテル・ゲージング Alpenhotel Gösing として開業した。ゼメリング峠の南部鉄道ホテル Südbahnhotel のようだと言われた眺望絶佳のホテルは今もあり、列車からだと、その屋根越しにエッチャーを望む形になる。

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(左)アルペンホテル・ゲージングとエッチャー山
(右)エアラウフ谷を隔ててエッチャー山の眺望
   山頂は雲に隠れている
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山線 ゲージングトンネル~ミッターバッハ間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道はここで下り勾配に変わり、森に覆われた急斜面の山腹を慎重に進む。ゲージンググラーベン高架橋 Gösinggrabenviadukt、クラウスグラーベン高架橋 Klausgrabenviadukt、ザウグラーベン高架橋 Saugrabenviadukt(下注)と、鋭く切れ込む谷筋にいくつもの高架橋が弧を描いている。

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ザウグラーベン高架橋を渡るE形(1099形)電気機関車
(2003年撮影)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

鞍部に載ったアンナベルク・ライト Annaberg-Reith 駅を過ぎると、ヴィーナーブルック貯水池(ラッシング貯水池 Lassingstausee)のほとりに差し掛かる。1911年からの電化初期に、鉄道に電力を供給していたヴィーナーブルック水力発電所 Kraftwerk Wienerbruck のための貯水池の一つだ。

*注 グラーベン graben はここでは渓谷、峡谷を意味する。

池の周りのへアピンカーブに面して、ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク Wienerbruck-Josefsberg 駅がある。エッチャーグラーベン Ötschergraben の峡谷を巡るハイキングルートの下車駅になっていて、マリアツェル駅との間にハイカーのための区間列車も運行されている。また、アンナベルク Annaberg の峠を越えてきたウィーンからの巡礼道ヴィア・サクラ Via Sacra(聖なる道の意)の旧道とも、ここで合流する(下注)。ヴィーナーブルックとは、ウィーンの巡礼者が渡る橋を意味する地名だ。

*注 ヴィア・サクラ旧道の概略位置を、上掲の地形図に破線で示した。なお、19世紀の新道(馬車道)は勾配を避けて、ライト Reith 地内を迂回している(現 州道B20号線のルート)。

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ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅に
貯水池の対岸から対向列車が接近
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上掲写真の反対側から見た
ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅
 

そのヴィア・サクラは、巡礼地へ向け、最後の峠ヨーゼフスベルク Josefsberg を越えていくが(下注)、鉄道はそれを避けて、峡谷の側を迂回する。山中にトンネルとガーダー橋が連続する中、エアラウフクラウゼ Erlaufklause 停留所の手前では、「ツィンケン Zinken(鹿の角の意)」と呼ばれるエアラウフ川の荒々しい峡谷の岩肌が垣間見える。

*注 巡礼道はこうして、アンナ、ヨセフ(ヨーゼフ)の名をもつ山(いずれも峠集落がある)を越えて、マリアの聖地に至る。

ようやく谷が明るく開けたところに、ミッターバッハ Mitterbach の町がある。谷の中央を流れるエアラウフ川が州境になっていて、川向うの町本体はまだニーダーエースタライヒ州だが、駅はすでにシュタイアーマルク州に入っている。林に覆われた浅い谷間を再びゆっくりと登っていくと、終点マリアツェル駅だ。ザンクト・ペルテンからは2時間15分の長旅だが、車窓の変化を追っていれば、退屈することはない。

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(左)マリアツェル駅に到着
(右)今より賑わっていた20年前(1999年撮影)
 

駅舎の軒下にフラワーバスケットが吊るされ、遠来の客を迎えている。しかし、待合室は閉ざされ、出札業務も行われていない。乗車券は、無人駅と同様、車内で巡回してきた車掌から買う方式だ。もちろんウェブサイトで事前購入もできるから、窓口がなくても支障はないのだろう。

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マリアツェル駅構内(南側から撮影)
 

さて、ここまで来たからには、信者でなくてもマリアツェルの町を見てみたい。中心部まで1.5km、駅前から連絡バスが出ているが、歩いても20分ほどだ。もし歩くなら車道を伝っていくより、駅前広場から延びる木陰の散歩道を行くのがお薦めだ。かつてグスヴェルクへ行く列車が下っていたグリューナウバッハ Grünaubach の谷を俯瞰しながら、ハイキング気分でのんびり歩ける。

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(左)マリアツェルの町へ通じる散歩道
(右)グリューナウバッハ谷の眺め
 

郵便局の建つ町の入り口から坂道を上がっていくと、バジリカの尖塔が姿を現す。広場を囲んで、品の良さそうな宿屋や巡礼者相手の土産物屋が軒を連ねているのは、門前町らしい光景だ。正面の階段を上ってバジリカの重い扉を開けると、ちょうど礼拝の最中で、きらびやかな装飾に囲まれた堂内に聖歌の清らかな歌声がこだましていた。

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マリアツェルの聖堂前広場
(左)立派な宿屋が立ち並ぶ
(右)門前の土産物屋街
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正面の階段を上ってバジリカへ
 

次回は狭軌鉄道の旅から寄り道して、マリアツェル駅に拠点を置いている標準軌の「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を訪ねる。

本稿は、Hans Peter Pawlik and Josef Otto Slezak, "Schmalspurig nach Mariazell" Verlag Josef Otto Slezak, 1989、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マリアツェル鉄道  https://www.mariazellerbahn.at/
鉄道クラブMh.6  Eisenbahnclub mh.6  http://www.mh6.at/

★本ブログ内の関連記事
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