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2019年7月27日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)III-郊外ルート

前回の続きで、ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn の郊外ルートを追っていこう。

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グントラムスドルフの併用軌道を行く
 

シェディフカプラッツ Schedifkaplatz 電停を出発すると、WLBの列車は専用線の上を、これまでとは見違えるような速度で走り出す。そして電停を二つ過ごした後、右に折れて南下を始める。最初の直線コースにあるインツェルスドルフ・ロカールバーン Inzersdorf Lokalbahn 電停の周辺は、前回述べたヴォルフガングガッセに代わるWLBの新しい運行拠点だ。駅の北側に修理工場、駅前に新社屋、南側に各200mの留置線6線をもつ車庫が整備されている。

ノイ・エアラー Neu Erlaa で4車線道路を横断し、その左側をしばらく並走する。この道は連邦道B17号線、トリエスター・シュトラーセ(トリエステ通り)Triester Straße という。ハプスブルク帝国の時代、自国領だったアドリア海の港町トリエステ Trieste(現 イタリア領、ドイツ語名:トリエスト Triest)に向かっていた主要道路だ。

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(左)ノイ・エアラー電停の南でトリエステ通りを横断
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン電停から北望
  左をトリエステ通りが並走する
Photo by Linie29 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

WLBのルートを大局的に眺めると、起点オーパーからずっとこの天下の大道に沿っていて、途中でマイドリングに寄り道する形になっている。最初は国鉄との間で、煉瓦など取扱貨物の受渡しをするのが主な目的だったのだろうが、マイドリング駅が近年にわかに重要性を高めたことを思えば、ルート選定に先見の明があったと言わずにはいられない。

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WLB線のルートと電停(市街地の電停は省略)
 

輸送の動脈としての役割を並行するアウトバーン(A2号線)に譲ったとはいえ、B17号線は今も交通量の多い道路で、沿線には商業施設が林立する。前回も触れたフェーゼンドルフ Vösendorf のショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd (SCS) はその代表的なものだ。郊外区間の前半、WLBの車窓は、日本にもありがちなロードサイドの風景が続くのだが、その中で、昔からある町の中心部だけは古い駅舎が残っていて(下注)、のんびりと走っていたであろう郊外鉄道の面影をとどめている。

*注 古い駅舎が残るのは、フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten、ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf(後述)、グントラムスドルフ Guntramsdorf(後述)、トライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn(後述)、トリーブスヴィンケル・ヨーゼフスタール Tribuswinkel-Josefsthal など。

たとえばウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf の駅舎は、小ぶりながら、切妻をいくつも交差させた凝った構造が目を引く。妻面の瀟洒な意匠といい、ホーム側の屋根庇といい、鉄道模型にしたくなるような愛らしい建物だ。屋内で新聞やタバコの売店、いわゆるトラフィク Trafik が営業しているのもレトロな趣きを加える。ここを終点とする区間便も多いので、駅舎のウィーン方には、頭端式ホームが設けられている。

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ウィーナー・ノイドルフ駅舎
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ウィーナー・ノイドルフ電停
(左)ウィーン方にある当駅始発の列車が入る頭端式ホーム
(右)バーデン方を望む
 

グントラムスドルフ Guntramsdorf のそれは、寸胴型の切妻造りだが、軒下の葡萄模様の飾りにひと工夫が感じられる。線路側には本物の葡萄の蔓が差し渡され、柔らかいレモン色の壁に彩りを添える。町の西側、ウィーンの森 Wienerwald の南東斜面には葡萄畑が広がっていて、テルメンレギオーン Thermenregion(温泉地方の意、下注)として括られるワインの産地であることを思い起こさせる。

*注 ウィーン盆地と東部アルプスの間の断層を通って、バーデン Baden やバート・フェスラウ Bad Vöslau などの温泉が湧出するため、この名があり、ワインの産地名にもなっている。

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グントラムスドルフ・ロカールバーン駅舎
軒先の柱頭飾りは葡萄の葉を象る
 

話のついでに、グントラムスドルフでは、南にある長さ約400mの併用軌道にも注目したい。ウィーン市内でずっと通ってきたので目に慣れてしまっているが、普通鉄道にそれがあるのは、実は異例だ。そのため、この区間では厳しく速度が制限され、旅客列車は25km/h、貨物列車を通す場合は、19.8‰の下り勾配であるバーデン方向が10km/h、ウィーン方向は20km/h以下で走行しなければならない。

現地で観察してみると、このフェルトガッセ Feldgasse という通りは、車道の幅が線路2本分ぎりぎりだ。車が退避できる余地はどこにもない。しかも中途にあるカーブで見通しが悪いから、通行は要注意だ。走る車がやや飛ばし気味だったのは、列車を警戒しているからだろうか。なお、坂道でレールの溝にはまる恐れもあるので、自転車は通行不可になっている。

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グントラムスドルフの併用軌道
(左)軌道が街路を占領
(右)車は列車の後につく
 

続くアイゲンハイムジードルング Eigenheimsiedlung とメラースドルフ Möllersdorf 両停留所の間では、珍しく線路の両側に耕作地が広がる。わずか700mほどだが、都市化が進む以前の車窓風景が体験できる貴重な区間だ。

*注 メラースドルフは、WLBの旧車両や資料を展示しているトライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の最寄り電停でもある。

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両側に耕作地が広がる風景
 

トライスキルヘン Traiskirchen も昔からの町で、同じように古い駅舎が残る。町の東のはずれにあるÖBBの駅(トライスキルヘン・アスパングバーン Traiskirchen Aspangbahn 駅、下注)と区別するために、電停の正式名称はトライスキルヘン・ロカールバーン Traiskirchen Lokalbahn という。ちなみにこのÖBBインネレ・アスパング線 innere Aspangbahn とWLBは、トライスキルヘン駅南方の貨物線でつながっている。

*注 ここを通るインネレ・アスパング線は、平日のみ運行の近郊ローカル線だが、歴史を遡れば、ウィーンとテッサロニキ(ギリシャ)を結ぼうとした壮大な鉄道計画の断片。

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トライスキルヘン電停
 

まっすぐ南下していた軌道が右に左にと大きくカーブを切る頃には、旅もいよいよ終盤だ。左車窓に多数の側線が見えてくる。インネレ・アスパング線から来る貨物列車の目的地だったバーデン・レースドルフ貨物駅 Baden Leesdorf Frachtenbahnhof だが、貨物輸送が途絶えた今は、保線用の資材置き場にされている。

南端にあるバーデン・ランデスクリーニクム(州立病院)Baden Landesklinikum は、2014年に開業したWLBで最も新しい電停だ。線路はここで単線になり、ヴァルタースドルファー・シュトラーセ(ヴァルタースドルフ通り)Waltersdorfer Straße の右端にすっと収まる。ここからは再び路面軌道で、旧市街に向けて西へ最後の2kmとなる。路上最初の電停バーデン・レースドルフ Baden Leesdorf は、南側(進行方向右側)にクリーム色をしたWLB車庫の壁面が長く続いている。

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(左)バーデン・レースドルフ貨物駅は資材置き場に
(右)車庫の壁に面するバーデン・レースドルフ電停
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バーデン市街地のWLBルート
破線は廃止された路線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

前々回にも触れたように、バーデン市内の併用軌道の歴史は古く、バーデン・トラムウェー会社 Badener Tramway-Gesellschaft による1873年開業の馬車路面軌道に遡る。それは、ここレースドルフを起点に、ヨーゼフスプラッツ Josefsplatz を経て、西郊のラウエンシュタイン Rauhenstein に至るものだった。レースドルフ車庫の建物は、馬車軌道が電気運転に転換される際(1894年)に建てられている。

そうと知れば、どうしてこの位置に車庫があるのか、そしてなぜ車庫の入口がバーデン側を向いているのかも腑に落ちる。馬車軌道のころは町はずれで、しかも横にシュヴェヒャト川 Schwechat の水場があり、馬を飼うには格好のロケーションだったに違いない。WLBは1897年にこの軌道会社を買収し、運行設備を引き継いだ。それから1世紀を越えてなお、車庫は同じ場所で綿々と使われ続けているのだ(下注)。

*注 近年では、1986年に列車の長編成化に対応するために増築された。

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レースドルフ車庫の正面
右側はシュヴェヒャト河岸の木立
 

レースドルフ車庫のファサード(正面)は、煉瓦で三基の小塔が組まれ、半円の明り取り窓が三つ開いている。屋根部の縁取りや水平に渡した帯の装飾も、繊細で見ごたえがある。前回紹介した1942年築の旧 ヴォルフガングガッセ車庫のファサード(裏側)も、この歴史的な建物のデザインを継承したことが明らかだ(下注)。

*注 なお、同車庫の表側は、裏側に比べてデザインが単純なため、後年の修復であろう。

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意匠が似る車庫のファサード
(左)レースドルフ車庫
(右)旧 ヴォルフガングガッセ車庫の裏側
 

通りを西へ進み、ÖBB南部本線の高架をくぐると、バーデン・ヴィアドゥクト(高架橋)Baden Viadukt 電停がある。この前だけは複線で、併用軌道区間で唯一、列車交換が可能だ。右手後方には、2004年にスマートな駅舎に建て替えられたÖBBのバーデン駅が見える。WLBの前身の一つ、バーデン路面軌道はヴィアドゥクト電停からこの駅前に入って、バーデン南部鉄道駅 Baden Südbahnhof という電停を設けていたが、1928年という早い時期に廃止されてしまった。

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ÖBB南部本線の高架をくぐる
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ÖBBバーデン駅
 

駅前を含め、バーデン旧市街を取り巻く通りは、ウィーンのそれを真似てリング Ring と呼ばれてきた(実際は矩形に近いが)。リングの南辺に当たるのが、WLBが通っているカイザー・フランツ・ヨーゼフ・リング Kaiser Franz Joseph-Ring で、どことはなしに上品な雰囲気が漂う。ここでは軌道は道路の中央に敷かれている。もとは複線だったのだが、道路交通の妨げになるとして、1968年に単線化されて以来、そのままだ。

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(左)待避線のあるバーデン・ヴィアドゥクト電停
(右)カイザー・フランツ・ヨーゼフ・リングの併用軌道を行く
 

ヴィアドゥクトから約600mで通りから右にそれ、終点のバーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz に到着する。以前あった終端ループは1989年に廃止され、現在は、広場に突っ込む形の2本の頭端線をもつターミナルだ。ループ跡は広場と街路に整備され、痕跡をとどめない。

電停前にはWLBのオフィスがあって、観光案内にも応じてくれる。電停からまっすぐ北へ行く街路は、三位一体柱 Dreifaltigkeitssäule のそびえるハウプトプラッツ(中央広場)に通じる。そこが、バーデン旧市街の中心部だ。

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終点バーデン・ヨーゼフスプラッツ
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(左)頭端式ホームはかつての終端ループの一部
(右)電停横にあるWLBのオフィス
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バーデン旧市街
三位一体柱と市庁舎(中央)
 

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

★本ブログ内の関連記事
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

2019年7月20日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート

ウィーンの街は、シュテファン大聖堂 Stephansdom を中心として同心円状に拡がっている。そのうち、旧市街をあたかも年輪のように縁取っているのが、リング Ring(英語と同じく環の意)と呼ばれる幅広の環状道路だ。1860年代に古い市壁を取り壊すとともに、その外側にあった緩衝地帯を再開発するにあたって造られた大通りで、国会議事堂、市役所、大学、博物館など街を代表する豪壮な建築が建ち並ぶ。

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ウィーン国立歌劇場(左)の前を出発するバーデン行きの列車
 

ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahnen (WLB)、いわゆるバーデン線 Badner Bahn のターミナルはその一角、ケルントナー・リング Kärntner Ring の南側にある。電停名「ウィーン・オーパー Wien Oper」は、筋向いで威容を見せるオペラの殿堂、ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)Wiener Staatsoper から取られている。

ここは昔から旧市街の南口として、市壁があった時代はケルンテン門 Kärntnertor が置かれていた(下注)。今もUバーン(地下鉄)や市電の主要系統が集まる、まさに交通の一等地だ。

*注 ケルンテン Kärnten の名はオーストリア南部の地方(現在は州)名に由来する。門を通過していたケルントナー・シュトラーセ(ケルンテン通り)Kärntner Straße は、ウィーンの目抜き通りの一つ。

ターミナルとはいっても、大通りの一部を使っているので、構造は狭い敷地に2線を並べた簡素なものに過ぎない。進行方向右側がウィーン地方鉄道(以下、WLBという)、左側がマイドリング Meidling まで同じルートを走る市電62系統のホームだ。前後は街路を利用した大きな単線ループで、反時計回りの一方通行になっている。WLBも市電も頻繁運転しているから、遠路はるばる到着した列車でも長居はできない。ものの数分で、後の列車に場所を空けるために出発していく。

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ウィーン・オーパー電停
(左)市内ではWLBと62系統が同じルートを走る
(右)ウィーン市電の電停標識
 

ちなみに、市電の電停は、Uバーンの駅名を取り入れて 「オーパー、カールスプラッツ Oper, Karlsplatz」だ。片やその手前300mに、WLBと62系統の「カールスプラッツ」電停(オーパー方面の列車のみ停車)もあるから、注意を要する(下図参照)。

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ウィーン・オーパーおよびカールスプラッツ周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 
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ウィーン市街地のWLBルート(オーパー~シェディフカプラッツ)
薄赤は地下区間
破線は廃止された旧ルート
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

オーパーを発車すると、列車は交差点を左折して、ケルンテン通り Kärntner Straße、次いでヴィーデン中央通り Wiedner Hauptstraße を南下する。4つ目の電停、「ワルツ王」ゆかりのヨーハン・シュトラウス・ガッセ Johann-Strauß-Gasse(下注)の後、軌道は道路の下へ潜っていく。1969年に開通した、ウーシュトラープ Ustrab(舗道下路面軌道 Unterpflaster-Straßenbahn の略)と呼ばれる地下区間だ。

*注 この通りに、ヨハン・シュトラウス2世が1878年からその死(1899年)まで暮らした邸があった。跡地の建物の壁に記念プレートが嵌め込まれている。

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ヨーハン・シュトラウス・ガッセ電停
(左)オーパー方面のホーム
(右)電停の南で地下区間へ潜る
 

地上にはギュルテル Gürtel(帯、ベルトの意)という、ウィーン市街地を半周する環状道路が走っている。19世紀末から20世紀初めにかけて、外側の市壁(リーニエンヴァル Linienwall)の跡地に整備されたもので、リングとそれに隣接するいわゆる2号線 Zweierlinie を「内環(うちかん)」とすると、ギュルテルは「外環(そとかん)」に相当する。シュピッテラウ Spittelau、ウィーン西駅、旧 南駅・東駅(現 中央駅)など、鉄道の主要駅を連絡していて、市内でも特に混雑が激しい大通りだ。

地下区間は、交通渋滞の緩和と列車の円滑な運行を目的として造られた。全体で3.4kmの長さがあるが、そのうちWLBが通過するのは、ラウレンツガッセ Laurenzgasse からアイヘンシュトラーセ Eichenstraße まで4か所の電停を含む約2kmだ。途中のクリーバーガッセ Kliebergasse では、中央駅方面から来る18系統の軌道に急曲線で合流し、次のマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz で、1、6両系統を左に分ける。地上の設備をそっくり移設したと言えばそれまでだが、地下の直角分岐というのは非日常感を漂わせる。

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ウーシュトラープ(地下区間)
(左)クリーバーガッセ電停の直角カーブ
(直進は中央駅方面(18系統)、左折はオーパー方面)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)アイヘンシュトラーセ、地下区間の西端
 

アイヘンシュトラーセの先で軌道は地上に復帰するが、近くに重要な見どころがある。それはヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 車庫の跡だ。もとは1942年に都心区間をいったん廃止した際に代替として造られたターミナルで、1947年の全線再開後もウィーン側の車庫として使われていた。敷地内に電停もあり、この前後区間だけWLBは、62系統と別れて独自の軌道を通っていたのだ。

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ヴォルフガングガッセの旧拠点
(左)WLB旧社屋(右)車庫裏側
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かつてのヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2018年2月25日撮影)
Photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

しかし、郊外のインツェルスドルフ Inzersdorf に新しい車両基地が完成したことから、ヴォルフガングガッセ車庫と前後の軌道は2018年3月末で廃止された。翌4月1日からWLBの列車は、62系統のルートを通ってマイドリングへ向かうようになった。

今年(2019年)5月末に現地を訪れたところ、まだ電停や車庫はまだ原形をとどめていたが、軌道には草が生え、一部で地面の掘り起こしが始まっていた。北隣の公園を含む車庫跡地約3.5haは、WLB旧社屋のある南側の区画1.4haとともに、市当局からすでに再開発計画が発表されている。車庫は残して商業施設に活用する意向だが、周辺は更地化されて、アパートや老人福祉施設の建設が始まるようだ。

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廃止1年後のヴォルフガングガッセ電停と車庫
(2019年5月31日撮影)
 

アスマイヤーガッセ Aßmayergasse で、上下線は二手に分かれて狭い街区を走り抜ける。500mほどで再び合流すれば、もうÖBBのマイドリング駅が目の前だ。

マイドリングは、かつて南部本線 Südbahn と市電の乗換駅に過ぎなかった。ところが、U6号線(地下鉄)の延伸とSバーン(市内・近郊列車)の充実に加え、近年は、ウィーン中央駅 Wien Hbf と西部本線ラインツトンネル Lainzer Tunnel の完成によって、東西南北すべての幹線(下注)から優等列車を受け入れるようになった。今や、市内交通と近郊・長距離交通の重要な結節点だ。

*注 北部本線 Nordbahn=チェコ方面、東部本線 Ostbahn=ハンガリー方面、南部本線 Südbahn=グラーツおよびスロベニア・クロアチア方面、西部本線 Westbahn=ザルツブルクおよびドイツ方面。

実際、中央駅出発時にはまだ空席が目立つザルツブルクあるいはグラーツ行きのレールジェット Railjet(特急列車)も、次のマイドリングで大勢乗り込んできて、席が埋まる。Sバーンと長距離線の乗換えは中央駅でも可能だが、両者のホーム間にかなりの距離がある。それでホームが近接しているマイドリングでの乗換えが断然便利なのだ。

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(左)ÖBBマイドリング駅
(右)駅前のマイドリング中央通り Meidlinger Hauptstraße
 

そのマイドリング駅に対応するWLBの電停は、おもしろいことに3か所もある(下図参照)。一つ目は東側のデルフェルシュトラーセ  Dörfelstraße で、ÖBB駅東口の前だ。二つ目がずばりバーンホーフ・マイドリング(マイドリング駅)Bahnhof Meidling で、ÖBB駅の実質的な中央口である西口、U6号線、そして駅前商店街に直結している。

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ウィーン・マイドリング周辺の詳細図
赤がWLBのルート
黒はウィーン市電
薄茶はUバーン(地下鉄)
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 

WLBの列車はこの後、フィラデルフィア橋 Philadelphiabrücke(下注)でÖBB線をまたぎ越し、その南詰で、オーパーから延々62系統と共用してきた市電軌道と別れる。左へ右へと急曲線が連続するので、3ユニットの長い編成が通ると、まるで大蛇がのたうち回っているようだ。路面軌道では原則的に目視走行だが、ここからは地方鉄道 Lokalbahn で、法規上は普通鉄道 Vollbahn の扱いとなるため、鉄道信号機が現れる。

*注 南部本線の前身、ウィーン=グロクニッツ鉄道 Wien–Gloggnitzer Eisenbahn で最初に使われた蒸気機関車が米国フィラデルフィア市から来たことから、この名がある。ちなみにU6号線のマイドリング駅は、2013年までフィラデルフィアブリュッケ(フィラデルフィア橋)駅だった。

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フィラデルフィア橋を渡れば、市内軌道ともお別れ
 

自前路線の最初の電停は、シェディフカプラッツ Schedifkaplatz だ。名前からは想像できないが、ここがマイドリング駅の三つ目の乗換電停になっている。西口地下道の南端で地上に上がると、この電停の前に出られる。WLBの郊外区間(バーデン方面)とSバーン・U6号線とを乗り継ぐ客は、もっぱらここを利用するので、利用者数はWLBの電停の中で最も多く、年間130万人に上る。近年、施設が改修され、屋根付きのモダンなホームに生まれ変わった。地下道から屋根がつながったので、雨に濡れずに乗り継げるのも人気の理由だろう。

ちなみに、2番目に利用者が多いのは南へ7つ目、大型ショッピングセンター最寄りのフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd (Vösendorf-SCS) で、年間120万人だ。すなわち、この2電停の間が現在、WLBの最混雑区間となっている。

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シェディフカプラッツ電停
 

次回は、シェディフカプラッツから先、郊外区間の見どころを紹介する。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道  http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局  https://www.wienerlinien.at/
Stadtverkehr Austria  http://wiki.stadtverkehr.at/

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 グムンデンのトラム延伸 I-概要
 グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って

2019年7月13日 (土)

ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要

ウィーン地方鉄道(バーデン線)
Wiener Lokalbahnen (Badner Bahn)

ウィーン・オーパー Wien Oper ~バーデン・ヨーゼフスプラッツ Baden Josefsplatz 間 30km(ウィーン市電への乗入れ区間 5kmを含む、下注)
軌間1435mm(標準軌)
直流600V電化(ウィーン市電区間(オーパー~シェディフカプラッツ間))
直流750V電化(シェディフカプラッツ~インツェルスドルフ間)
直流850V電化(インツェルスドルフ~バーデン間)
1899年全通、1907年全線交流電化、1945年直流化

*注 路線長については、ウィーン市電区間の正確な数値が不明なため、ÖBB時刻表 1999/2000年版掲載のキロ数によった。

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ウィーナー・ノイドルフ駅
小ぶりな駅舎が郊外色を醸し出す
 

街路を走る路面電車(トラム)を普通鉄道線に乗入れさせて、都心と郊外を乗り換えなしで結ぶ列車運行システムを、トラムトレイン Tram-train と呼ぶ。1990年代にドイツのカールスルーエ Karlsruhe で導入されたのをきっかけに、世界各地に広まった。それが注目されたのは、ライトレールとヘビーレールという規格の違いを現代の技術で克服した斬新な方式だったからだ。

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ところが、今から100年以上も前にこのコンセプトを実現していた鉄道が、オーストリアの首都ウィーン Wien と近郊の保養地バーデン Baden(下注1)の間で、今も走っている。正式にはウィーン=バーデン地方鉄道 Lokalbahn Wien–Baden というのだが、運行会社名から「ウィーン地方鉄道 Wiener Lokalbahn (WLB) 」として知られ、さらにウィーン市民は親しみを込めて「バードナー・バーン Badner Bahn」、すなわちバーデン線と呼ぶ。これから3回にわたり、この古くて新しいトラムトレイン(下注2)を紹介したい。

*注1 バーデン Baden は普通名詞では湯治、水浴を意味し、他にも同じ地名があるため、バーデン・バイ・ウィーン Baden bei Wien (ウィーン近傍のバーデン)と呼んで区別することがある。
*注2 ただし、イギリスのLRT協会 Light Rail Transit Association は、この鉄道をインターアーバン・トラム(都市間トラム)Interurban tram に分類している。

まずは、路線図をご覧いただこう(下図)。

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ウィーン~バーデン間の鉄道路線の位置関係
赤がWLB線(市街地の電停は省略)
 

上方がウィーン旧市街で、ウィーン地方鉄道(以下 WLB)のターミナル、ウィーン・オーパー Wien Oper があるのはその南端だ。そしてこの電停は、ウィーン市電62系統(オーパー Oper ~ラインツ Lainz)の起点でもある。WLBの列車は、市街地を抜けるウィーン・マイドリング Wien Meidling(下注)まで、62系統と同じルートを走っていく。

*注 正確にはマイドリング~シェディフカプラッツ間で62系統の軌道と分岐する地点。

そこから先は自社の専用線になり、郊外の商業地を直線的に南下する。ウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf、グントラムスドルフ Guntramsdorf、トライスキルヘン Traiskirchen といった昔からある町を経由した後、バーデンの市街地に達する。ここで再び路面軌道となり、旧市街に接した終点ヨーゼフスプラッツ(ヨーゼフ広場)Josefsplatz で旅を終える。全線30km、所要約1時間の道のりだ。

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始発駅オーパー
リング(環状道路)沿いの一等地にある
 

だが、この直通ルートは最初から意図して造られたわけではない。WLB線のルーツは、ウィーン南郊の煉瓦を運んでいた路面軌道と、バーデン市内の路面軌道という、全く性格の違う二つの独立した路線だ。

前者は1886年に開業した、ウィーン・ガウデンツドルフ Wien-Gaudenzdorf(下注)からウィーナー・ノイドルフ Wiener Neudorf に至る蒸気路面軌道に始まる。当時はまだ市街地を半円に囲む外側の市壁 Linienwall が残っており、まさにそれを撤去して、環状道路(ギュルテル Gürtel)と新市街地の建設が進められようとしていた。軌道の主な目的は、ノイドルフにある煉瓦工場から拡張を続けるハプスブルクの首都へ、建築資材の煉瓦を運搬することだった。

*注 現在のU4号線マルガレーテンギュルテル Margaretengürtel 駅付近。

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復元された煉瓦貨車
(トライスキルヘン市立博物館 Stadtmuseum Traiskirchen の展示)
Photo by Karl Gruber at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかしその2年後、ウィーン地方鉄道(WLB)が設立され、路線は地方鉄道 Lokalbahn(下注)に性格を変えて、延伸が図られることになる。1893年にはウィーン側でマッツラインスドルファー・プラッツ Matzleinsdorfer Platz へ、1895年には南側でグントラムスドルフへ線路が延びた。

*注 地方鉄道(ロカールバーン)とは、幹線網を補完するために、緩和した規格で認可を受けた地方路線。

一方、バーデンではすでに1873年から、レースドルフ Leesdorf からシュヴェヒャト川 Schwechat に沿ってラウエンシュタイン Rauhenstein へ遡る路面軌道が営業していた。当初馬が車両を牽いていた軌道は1894年7月に電化され、オーストリアで2番目の電化路線となった(下注)。WLBはバーデン乗入れを実現するために、1897年にこの軌道を買収する。そして1899年に、残された間隙であるグントラムスドルフ~バーデン・レースドルフ間を完成させて、ウィーンとバーデンの間を1本の路線で結んだのだ。

*注 オーストリア初の電化鉄道はメードリング=ヒンターブリュール地方鉄道 Lokalbahn Mödling–Hinterbrühl で、1883年開業(最初から電化されており、架線集電では世界初)、1932年廃止。

その後、1906年にバーデン側の終点がヨーゼフスプラッツ Josefsplatz まで、1913年にはウィーン側の起点がオーパーまで延長され、現在の運行区間が確立された。

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バーデン市内の併用軌道
旧馬車軌道時代からの由緒あるルート
 

上の路線図に示した通り、両都市間には、国鉄(現 ÖBB(オーストリア連邦鉄道))の南部本線 Südbahn も走っている。この点で両者は、日本の官鉄とそれに並行して造られた都市間私鉄の関係に似ている。知られているように、こうした私鉄は電車を導入し、運行頻度を高め、停留所をこまめに置くといったサービスを展開して、官鉄から乗客を奪った。

WLBも1906年に全線電化を完成させ(下注1)、1910年に旅客数がピークに達したのだが、この状況は長く続かなかった。というのも、続く1920年代は第一次世界大戦後の国を覆う経済不況に加えて、バスや自動車という道路交通のライバルが台頭する時期だったからだ。WLBは食堂車を運行したり、入湯割引券つき乗車券を売り出すなど果敢に応戦したものの、併営していたバーデン市内の軌道線は休止に追い込まれた(下注2)。

*注1 南部本線の電化は半世紀遅れて、1956年にまず南駅 Südbahnhof ~グロクニッツ Gloggnitz 間で実施されている。
*注2 ラウエンシュタイン線(ヨーゼフスプラッツ以西)は1931年、市内環状線 Ringlinie は1928年、フェスラウ線 Elektrische Baden–Vöslau は1951年に廃止。

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バーデン露天浴場 Thermalstrandbad Baden 前を行く
ラウエンシュタイン線(バーデン=ラウエンシュタイン路面軌道)
(1926~31年ごろ)
Photo at wikimedia.
 

第二次世界大戦中は、沿線に集積する軍需産業の通勤客で混雑したが、戦争末期にこれらが連合軍の空爆の目標となり、鉄道施設も大きな被害を受けた。全線が復旧したのは、1947年9月のことだった。しかし、貨物輸送が途絶えたうえ、モータリゼーション進行の影響で、1950年代にかけて旅客数も減少が続いた。

輸送実績が持ち直したのは、ようやく1960年代からだ。ウィーン都市圏の拡大によって、沿線で住宅地や商業施設の開発が進んだことが背景にある。それまで日中に1時間空くこともあった列車ダイヤは、1984年に大きく見直された。バーデンまで30分サイクルとなり、連節式車両も初めて導入された。その後、運行間隔は、1989年にウィーン方でピーク時15分、2000年には同 7分30秒まで短縮されている。列車の最高速度も、郊外区間で80km/hに引き上げられた。

1984年のダイヤ改正以前、全線を走破する列車は、片道あたり平日28本(一部はヴォルフガングガッセ Wolfganggasse 入出庫)、休日26本しかなかった。現在は平日73本、休日64本で、区間便も多数設定されている。その結果、1954年に350万人だった年間利用者数は、2014年に1200万人を超え、昨年(2018年)は1270万人に達したという。

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ÖBB線(高架)と交差するバーデン市内の併用軌道
 

中でも、乗客増に貢献しているのが、沿線のフェーゼンドルフ Vösendorf で1976年に開業したショッピング・シティ・ジュート Shopping City Süd(ジュートは南部の意。略称SCS)だ。増設を重ねて、オーストリア最大の商業施設となり、最寄りの電停(下注)は、平日日中でも電車が到着するたびに、ホームが人であふれる。ここはウィーン市域外で、本来ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien のみ有効の乗車券類は使えないのだが、SCSのカスタマーカードなどを所持すれば、特別に区間外乗車が認められている。

*注 商業施設と同時に開設されたフェーゼンドルフ・ショッピング・シティ・ジュート Vösendorf Shopping City Süd 電停。略して Vösendorf SCS と書かれることが多い。

WLBの近年の盛況ぶりは、列車編成でも実感できる。現在の運行車両は、1979年から1993年にかけて製造された、いわゆるマンハイムタイプの100形24編成と、2000~2010年に導入されたボンバルディア製400形14編成だ。どちらも両運転台の3車体連節車ではあるものの、時代を反映して、前者は出入口にステップのある高床、後者はノンステップの低床になっている。

輸送力の確保と同時に、バリアフリー環境を保証するために、通常、全線を走破する便は100形と400形を連結した全長50m超の長い編成が用いられる。前後どちらのユニットが低床車(400形)であるかは、電停の列車接近案内の表示でわかるようになっている。混雑する時間帯にはさらに3ユニット連結も投入される一方、区間便は100形または400形の1ユニットで賄われている。2021年から2023年にかけて、新たにボンバルディア製低床車両(500形)18編成が導入され、古くなった100形を順次置き換える予定だという。

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100形とその車内
1+2席で通路が広い
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400形、100%低床で2+2席
Right photo by Paul Korecky at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

WLBの鉄道・バスを運営するウィーン地方鉄道有限会社 Wiener Lokalbahnen GmbH は、1942年にウィーン市により公有化され、現在はウィーン都市公社 Wiener Stadtwerke GmbH 傘下の公営企業だ。一方、ウィーン市内交通の運営主体、ウィーン市交通局 Wiener Linien も、組織形態は有限・合資会社 GmbH & Co KG で、都市公社が所有する。すなわち、WLBとウィーン市電は姉妹鉄道の関係にある。敢えて統合しないのは、WLBが市域外に路線を延ばしているからだろう。

乗車券も、市内交通の1回券や24時間券などがWLBでも有効で、市境のフェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン Vösendorf-Siebenhirten 電停まで使える(下注)。その先はVOR(東部地域運輸連合 Verkehrsverbund Ost-Region)の運賃ゾーンに従って、別途運賃が必要になる。列車はワンマン運行だが、車内に券売機が設置されているので、無札で乗った場合でも乗車券の購入が可能だ。

*注 言い換えれば、WLBのオーパー~フェーゼンドルフ・ジーベンヒルテン間は、ウィーン・コアゾーン Kernzone Wien(Kernzone 100)に含まれる。

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車内に設置された券売機
右上には"SCHAFFNERLOS(車掌不在=ワンマン運転)"の表示

ライトレールとヘビーレール、二つの顔をもつWLBのルートは、意外に変化に富んでいて興味深い。次回、それをウィーン・オーパーから順に見ていこう。

■参考サイト
ウィーン地方鉄道 http://www.wlb.at/
ウィーン市交通局 https://www.wienerlinien.at/

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 ウィーン地方鉄道(バーデン線)II-市街地ルート
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2019年7月 6日 (土)

列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

アッターゼー鉄道 Atterseebahn

フェクラマルクト Vöcklamarkt ~アッターゼー Attersee 間13.4km
軌間1000mm(メーターゲージ)、直流750V電化
1913年開通
2018年 アッターガウ鉄道 Attergaubahn からアッターゼー鉄道に改称

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アッターゼー駅からの坂を上る連節車両

前回の到達地カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 駅前から、アッター湖南端のウンターアッハ Unterach へ行く561系統のバスに乗った。アーガー川の橋を渡り、湖の西岸に沿う地道を淡々と走っていく。20分弱で、アッターゼー・バーンホーフ Attersee Bahnhof という停留所に着いた。アッターゼー鉄道 Atterseebahn の駅前だ(下注)。

*注 湖の名は「アッター湖」としたが、居住地名や鉄道名は「アッターゼー」「アッターゼー鉄道」と記す。

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アッターゼー駅
(左)人影少ない駅前
(右)旧駅舎
 

ここは村の中心から少し距離があり、周りに人家や駐車場が見えるものの、あまりひと気が感じられない。バス停の右手に、古典電車の写真を壁貼りした大屋根の建物が目につく。奥へ回ると、4線を収容する鉄道の車庫だった。西側の2線は運行時間中、開放されて、乗降場を兼ねる。ちょうど、赤帯を巻いた5車体連節の低床車が停車中だ。一方、東側2線は扉つきで、開いているほうを後で覗いたら、旧形車23 111が整備を受けていた。

車庫の横には伝統的な造りの旧 駅舎も残っているが、使われなくなったようだ。切符は車内で買えるし、大屋根の下のホームに待合室代わりのベンチも置かれている。旅客サービスの合理化で、駅といってももはや停留所と大差ない。そろそろ発車時刻だが、少し周辺を歩いてみたいので、1本見送ることにした。

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(左)大屋根の建物は車庫
(右)駅の全貌
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(左)車庫で整備中の旧車
(右)西側は乗降場に使用
 

アッターゼー鉄道は、正式名をフェクラマルクト=アッターゼー地方鉄道 Lokalbahn Vöcklamarkt–Attersee という。通称も、従来は地域名に基づく「アッターガウ鉄道 Attergaubahn」だったのだが、路線のプロモーションのために昨年(2018年)、「アッターゼー鉄道 Atterseebahn」に改められたばかりだ。

起点は西部本線 Westbahn と接続するフェクラマルクト Vöcklamarkt で、沿線最大の町ザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウ St. Georgen im Attergau を経由して、アッター湖畔のアッターゼー Attersee まで13.4kmを24分で結んでいる。1000mm軌間(メーターゲージ)、750V直流電化、そしてシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern & Hafferl 社による運行というプロフィールは、以前取り上げたトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(下注)と共通だ。

*注 トラウンゼー鉄道については、「グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道」参照。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがアッターゼー鉄道
 

車両も同様で、2016年9月から、グムンデンと同形式のフォスロー・キーペ Vossloh Kiepe(現 キーペ・エレクトリック Kiepe Electric)製トラムリンク Tramlink V3が3編成投入され、定期運行を担っている。先述のように、車庫はアッターゼーにある。小規模な修理はここで行われ、全般検査の際は、フォルヒドルフの修理工場へ移送される。

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トラムリンクV3とその車内
 

トラウンゼー鉄道と瓜二つなのは、歴史的な理由がある。ともに「フォアアルペン鉄道 Voralpenbahn」という大規模な鉄道網の一部として計画された路線だからだ。フォアアルペンは、アルペンフォアラント Alpenvorland と同義で、アルプスの前の土地、すなわちアルプス北側の、平野や丘陵が広がる地域を指す。

そのルートは、北西部のリート・イム・インクライス Ried im Innkreis からアッターゼー Attersee まで南下し、アッター湖上を航路でつないで、東岸のヴァイレック Weyregg へ上陸する。それから東へグムンデン Gmunden、フォルヒドルフ Vorchdorf を経て、シュタイア Steyr と進む。今度は北上してザンクト・フローリアン St. Florian、リンツ Linz に至るという、オーバーエースタライヒ(上オーストリア) Oberösterreich の大弧状線構想だった。

このうち、フェクラマルクト~アッターゼー間が1913年1月にアッターゼー鉄道として、グムンデン~フォルヒドルフ間が1912年3月にトラウンゼー鉄道として実現した。さらにザンクト・フローリアン~リンツ間にも電気鉄道(下注)が開通したが、1914年の第一次世界大戦勃発とその後の長期不況により、計画は未完に終わった。

*注 エーベルスベルク=ザンクト・フローリアン地方鉄道 Lokalbahn Ebelsberg–St. Florian(フローリアン鉄道 Florianerbahn)。1913年開通、1974年廃止。軌間は、リンツ市電と直通させるために900mmだった。廃止後、一時保存鉄道として運行されたものの、すでに中止。

開通からしばらく、アッターゼー鉄道を支えていたのは貨物輸送だった。丸太や木材製品のほか、肥料や、沿線の醸造所で造られたビールも扱われた。アッターゼー駅から湖畔の船着き場まで貨物線が延び、近くの製材所から貨車ごと航送する方法で木材が運ばれた。フェクラマルクトに着くと、旅客駅の西にあった貨物駅で、標準軌の貨車に積み替えられた。

トラックへの移行が進み、貨物輸送は1990年代に廃止された。湖畔の貨物線はすでに跡形もなく、フェクラマルクトの貨物駅は、資材置場や留置線に転用されている。

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フェクラマルクト駅西方にある旧 貨物駅跡
 

一方の旅客輸送も、第二次世界大戦後は減少が続いた。しかし、1967年を底にして持ち直し、2015年は年間約30万人が利用したという。2019年7月現在、列車本数は全線通しが平日17往復、土曜10往復、日祝日は6往復だ。ほかに開校日または夏季のみ運行の区間便が若干あり、アッターゼー方ではおよそ毎時1本が確保されている。

区間便はザンクト・ゲオルゲンまたはヴァルスベルク Walsberg 止まりのため、フェクラマルクト方では土休日に2時間間隔となる時間帯が生じる。土休日運休のカンマー線ほど極端ではないものの、幹線から流入する旅行者より、域内の通勤通学者に重きを置いたダイヤだ。

駅から少し歩いたアッターゼーの村で、のびやかな湖の眺めを楽しんだ。午後はこちら(西岸)から見るのが順光だ。ターコイズの湖水にさざ波が立ち、その後ろでは、灰白の岩肌を剥き出しにしたヘレンゲビルゲ Höllengebirge(地獄の山脈の意)が、屏風のように空を限っている。日差しは強いものの、湖面を渡ってくる風が心地いい。

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アッターゼー村の湖岸
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アッターゼー村から湖を東南望
中央奥の山塊がヘレンゲビルゲ
 

名残惜しさを振り切って駅に戻り、列車の客となった。乗客は10人に届かず、定員175名の連節車としては手持無沙汰だ。本来ワンマン運転のはずだが、女性車掌がしっかり検札に回ってきた。

最後尾のかぶりつきで見ていると、列車は、牧草地が広がる緩やかな傾斜地を軽快に上っていく。大きくカーブするまで、蒼い湖面が視界にとどまり続けるのは印象的だ。途中の停留所は、小屋の前に未舗装の乗降スペースがあるだけの、いたって簡素な造りで、リクエストストップのため、たいてい通過する。

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アッターゼー駅出発後、
しばらく湖が見え続ける
 

進行左手に家並みが増えてきた。アッターガウの中心、ザンクト・ゲオルゲンは、駅も島式2線を備えて、拠点らしい雰囲気がある。しかし、1時間間隔のダイヤでは列車交換の必要がないので、短時間停車しただけであっさりと出発した。

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(左)途中の停留所は簡素な造り
(右)ザンクト・ゲオルゲン駅
 いずれも列車後方を撮影
 

また少し上った後、広々とした畑地を貫いて快走する。待避線のある停留所ヴァルスベルク Walsberg を過ぎると、緑の丘のかなたに、湖畔で眺めたヘレンゲビルゲが、高さの揃った山並みとなって再び登場した。のどかで開放的な車窓風景は文句なしにすばらしい。

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緑の丘のかなたに
ヘレンゲビルゲを望みながら
 

やがて線路は下り坂となり、森に覆われた浅い谷間へ入っていった。細かいカーブを次々とかわすうちに、B1号線の踏切を渡る。B1(別名ウィーナー・シュトラーセ Wiener Straße)は、ウィーンからザルツブルクに至るオーストリアの国道1号線で、車が長い列をなして列車の通過を待っていた。

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(左)緩やかな起伏を越えて
(右)B1号線の踏切に車の列
 いずれも列車後方を撮影
 

まもなく左に三角線を分け、右に急カーブすると、終点(戸籍上は起点)のフェクラマルクトだ。山側に小ぢんまりした旧 駅舎と低いホームが残っているが、今は使われておらず、列車は新しいホーム3番線に滑り込む。反対側2番線は西部本線の上り線ホームになっていて、まもなくリンツ行きのレギオナル(普通列車)が到着するはずだ。

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フェクラマルクト駅
左の建物は旧駅舎
 

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
Youtube - アッターゼー鉄道(フェクラマルクト~アッターゼー)運転台からの展望
https://www.youtube.com/watch?v=fpQXaVzXFUI
アッターゼー駅は改修前の状況がわかる

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