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2019年6月29日 (土)

列車で行くアッター湖 I-カンマー線

ÖBB フェクラブルック=カンマー・シェルフリング線(カンマー線)
Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling (Kammerer Bahn)

フェクラブルック分岐点 Abzw. Vöcklabruck ~カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling 間 8.1km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化
1882年開通、2014年カンマー・シェルフリング駅移転(路線長0.5km短縮)

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アッター湖岸のヨットハーバー
カンマーにて

オーストリアの湖水地方、ザルツカンマーグート Salzkammergut で最大の湖が、アッター湖 Attersee だ(下注)。前回までのテーマだったトラウン湖 Traunsee の西15~20kmに横たわっている。南北約20km、東西4kmの広さをもち、面積は46.2平方km。氷河湖起源のため、最大水深は169mもある。

*注 オーストリア全体でも、ボーデン湖 Bodensee とノイジードル湖 Neusiedler See に次ぐ。この二つの湖は国境をまたいでいるので、水面がすべてオーストリア領の湖では最大。

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バート・イシュル Bad Ischl やグムンデン Gmunden といった著名なリゾートのあるトラウン川の谷(トラウンタール Trauntal)に比べると開発は遅れたが、かえってその静けさが好まれて、1860年代には避暑客が訪れるようになる。

1869年に、湖岸の村々に立ち寄る航路が整備され、翌年から外輪蒸気船が就航した。1882年には、ウィーン~ザルツブルク間の皇后エリーザベト鉄道 k.k. privilegierten Kaiserin Elisabeth-Bahn(現 西部本線 Westbahn)から湖に至る鉄道の支線が完成し、湖岸に設けられた終着駅で航路に接続した。交通の便が改善されたことで、多くの中産階級が湖を訪れるようになり、アッター湖は夏の別荘地としても人気が高まっていく。

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湖面に照り返す日差しが眩しい
カンマーの突堤から南望
 

この鉄道支線が、現在の ÖBB(オーストリア連邦鉄道)カンマー線 Kammerer Bahn(下注1)だ。正式名をフェクラブルック=カンマー・シェルフリング線 Bahnstrecke Vöcklabruck–Kammer-Schörfling といい、「カンマラー・ハンスル Kammerer Hansl(下注2)」というあだ名もあった。

*注1 ÖBBの路線については、線名にある Bahn の訳を「~鉄道」ではなく「~線」とした。
*注2 ハンスル Hansl は、人名ヨハネス Johannes の短縮形。ハンスルに特別な意味はなく、「カンマーの太郎」といったニュアンス。

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アッター湖周辺の鉄道路線の位置関係
緑がカンマー線
 

カンマー線の列車は、南部本線のフェクラブルック Vöcklabruck を出て、カンマー・シェルフリング Kammer-Schörfling まで10.4km(正確には10.408km)を走る。実際はフェクラブルックの西2.3km(同 2.267km)地点で本線から分岐するので、支線の実長は8.1km(同 8.141km)になる。

開通は1882年5月のことだ。その5年前(1877年)にトラウンタールを遡ってバート・イシュル方面へ、ザルツカンマーグート線 Salzkammergutbahn が通じており、アッターガウ Attergau、すなわちアッター湖沿岸でも鉄道の到来が待望されていた。

カンマー線(下注)は初め、私設の地方鉄道として造られたが、オーストリアがナチスドイツに併合されて間もない1939年に、他の地方鉄道とともに国有化され、ドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn の路線となった。第二次世界大戦後は、ÖBBリンツ鉄道管理局に属し、1955年7月に、本線と同じ方式で電化されている。

*注 開通時の終点の駅名が、避暑地として名の通った「カンマー Kammer」だったのでこう呼ばれる。その後、自治体名のシェルフリング・アム・アッターゼー Schörfling am Attersee に合わせて、1909年に現 駅名に改称された。

1970年代までは、アッター湖の観光とともに、沿線にある製材工場などの産業が盛んで、旅客輸送にも活気があった。しかし、その後は道路交通への移行や、産業の不振に伴う雇用者数減少などが重なって、カンマー線はひどい不振に陥っていく。

2001年6月のダイヤ改正は、地元に衝撃を与えた。ÖBBが、旅客列車をそれまでの12往復から、一気に平日1往復までカットしたのだ。旅客輸送の存続は、もはや風前の灯火となった。地域交通を維持するためにオーバーエースタライヒ州は、ÖBBに業務委託する形で旅客輸送を続けることにした。その費用は州の予算と、部分的に地方自治体の補助金で賄われる。

この結果、旅客列車は2006年から2往復、2007年12月には5往復に復活した。現在(2019年6月)は9往復まで増便されている。そのうち3往復は昔のように、本線のアットナング・プフハイム Attnang-Puchheim まで足を延ばす。

ただし、運行は平日のみで、土日祝日は完全運休になる。カンマー線に並行して、アットナング・プフハイム駅と湖南部のウンターアッハ Unterach やシュタインバッハ Steinbach などとを結ぶバス路線(路線番号561、562など)があり、カンマー線の機能を補うことができるからだ。

フェクラブルック駅のカンマー線ホームは、1番線の反対側にある頭端式の短い21番線だ。訪れたときには、13時24分発の列車が停車していた。低床3車体連節のボンバルディア社製タレント Talent で、ザルツブルク交通 Salzburg Verkehr のロゴが入っている。ザルツブルクのSバーンとの共用のようだ。当地はオーバーエースタライヒ州で、州は違うのだが、運用上1編成あれば足りるから、近所から借りたのだろうか。

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(左)フェクラブルック駅のカンマー線ホーム
(右)ザルツブルク交通の連節車で運行
 

平日の昼過ぎなので、車内は閑散としていそうなものだ。ところが予想に反して、座席は学校帰りの子どもたちに占拠されて、とても賑やかだった。鉄道に並行するバス路線があっても、一度にこれだけの人数を運ぶことは難しい。そこに、カンマー線の旅客列車がすんでのところで廃止を免れた一つの理由があるようだ。レジャー客が対象でないなら、休日の運休も納得できる。彼らには、湖岸の町や村へ乗換なしで行けるバスのほうがずっと便利に違いない。

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のどかな沿線風景もある
 

発車すると本線に入り、しばらくその上を進む。それから軽く振られて、隣の線路へ移った。視線が本線より少し高くなったところで、左へカーブしていく。リゾート地へ向かう路線というイメージとは違って、沿線には畑や森がある一方、工場や商業施設も目につく。特にレンツィング Lenzing 駅の南には、木材から化学繊維を製造するレンツィング社の大規模な工場群があり、高い煙突から立ち上る白い煙が、遠くからも見える。多数並んだ側線には貨車の列が留置されていて、ここだけ切り取れば、工業地帯を走る路線と思われてもおかしくない。

子どもたちは途中の駅や停留所でぱらぱらと降りていき、最後まで乗っていたのは半数に満たなかった。全線の所要時間は17分、速度が落ち、アーガー川 Ager の鉄橋を渡ると、すぐに終点のカンマー・シェルフリングだった。

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カンマー・シェルフリング駅到着
学校帰りの子どもたちも下車
 

終点駅は、州が実施した地域交通政策の一環で、近年大きく様変わりしている。かつては航路との接続のために、ここからさらに約500m南に進んだ湖岸に駅があった。2014年6月にルートが短縮され、アーガー川の道路橋のたもとに、バスと乗継ぎができる駅施設がオープンした。列車ホームの反対側に、路線バスが発着する。

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(左)移転・新設された駅施設
(右)反対側にバスが発着
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カンマー・シェルフリング駅周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
破線は旧線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

では、旧駅やそこへ至る廃線跡はどうなっているのだろうか。新駅に接して、駐車場の敷地が弧を描いており、旧線跡が転用されたことがわかる。その先はアーガー通り Agerstraße の元踏切を越えて、家並みの裏に回るが、線路はすでになく、草の生えた空地が続いている。州道B152号線(湖岸通り Seeleiten Straße)を横断したところが旧駅跡で、施設はすべて撤去され、更地に還っていた。

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旧線跡
(左)駐車場の敷地が弧を描く
(右)アーガー通りの元踏切から家並みの裏側へ

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(左)B 152号線の元踏切から北望
(右)B152号線(手前の道)の先が、更地になった旧駅跡
 

ここまで来ると、アッター湖の波静かな湖面がもう目の前にある。今日は抜けるような青空で、照り返す日差しが眩しく、目に痛いほどだ。湖上連絡船の船着き場から、入江のヨットハーバーを隔てて、湖岸の並木越しに端正な建物が見える。記録が12世紀に遡るというカンマー城 Schloss Kammer で、この地を毎夏訪れていた世紀末の画家クリムト Klimt も描いている。

■参考サイト
ベルヴェデーレ・オーストリア絵画館(公式サイト)-グスタフ・クリムト「アッター湖畔のカンマー城 III」
https://digital.belvedere.at/objects/3112/schloss-kammer-am-attersee-iii
同 「カンマー城への並木道」
https://digital.belvedere.at/objects/8691/allee-zum-schloss-kammer

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湖に臨むカンマー城(右手前の建物)
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カンマー城への並木道
いずれもクリムトの絵のモチーフ
 

隣接する公園のベンチで少し休憩した後は、対岸に来ているもう1本の路線、アッターゼー鉄道を訪れよう。続きは次回に。

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 フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

2019年6月23日 (日)

フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車

フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn

ランバッハ Lambach ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.7km(うち 3.8kmは ÖBB線を走行)
軌間1435mm(標準軌)、直流750V電化
1903年開通

前回まで3回にわたり、グムンデン駅からフォルヒドルフまで、トラムの行路をたどってきた。今回のテーマ、フォルヒドルフ鉄道はその続きになるが、起点がランバッハ Lambach なので、そちらから順に話を進めよう。

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ランバッハ駅11番線に停車中の
フォルヒドルフ鉄道の電車
 

その日、降り立った西部本線 Westbahn の中間駅ランバッハのホームはひっそりとしていた。普通列車しか停まらないというだけではない。この駅の西にある急カーブを避けるバイパス線ができたため、特急や貨物など通過列車は構内を通らないからだ。その静かな駅の東側に、屋根も案内板もない、忘れられたような頭端式の11番線がある。フォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn の列車は、ここから出発する。

もともとここは、隣の12番線とともに、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(以下、トラウンタール線 Trauntalbahn)と共用していた。トラウンタール線は、トラウン川の谷沿いにグムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof へ通じる路線だが、旅客輸送は1988年5月に廃止されてしまった(下注)ので、今はフォルヒドルフ鉄道の車両しか入ってこない。12番線は長らく使われていないらしく、ホームは雑草に覆われている。

*注 貨物輸送もシュタイアラーミュール Steyrermühl とラーキルヘン Laakirchen にある製紙工場までで、以遠の区間は実質廃線。

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ランバッハ駅
(左)駅舎 (右)ÖBB線のホーム
 

フォルヒドルフ鉄道は、平日19往復(2019年6月現在、下注)運行されているが、間隔は30分から2時間とまちまちで、活性化前のトラウンゼー鉄道と似た状況だ。経済的に結びつきの強いヴェルス Wels やリンツ Linz など東部方面の列車との接続を優先するダイヤが組まれている。

*注 他の路線と同様、土曜は9往復、日曜祝日は7往復に削減される。

この路線も、地元の交通企業シュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を担っているが、車両や設備が一新されたトラウンゼートラム Traunseetram とは対照的に、現状維持にとどまっているというのが第一印象だ。グムンデン市が再生を推進した前者に比べて、沿線にそれほど有力な自治体が存在しないという事情が影響しているのかもしれない。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
緑がフォルヒドルフ鉄道
 

訪れたときは、細身の旧形車がぽつんと客待ちしていた。標準軌の電車で、車番はET 20 109。1956年製だから、車齢は60年を超えている。しかし車内はそれらしい広さがあり、窓が大きいので明るい。清掃も行き届いているようだ。座席は背中合わせの2人掛けシートで、低い背もたれはレールバスのそれを思わせる。乗り込んだのは朝10時台の便で、初めは他に誰もいなかったが、出発直前に本線の連絡列車から3人が乗継いだ。

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(左)前後を絞ったスタイルの標準軌電車ET 20 109
(右)側窓にフォルヒドルフ往復の表示
 
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(左)運転台、右手前に乗車券発行機
(右)車内は広めで窓が大きい
 

フォルヒドルフ鉄道とトラウンタール線との施設共用は駅構内にとどまらない。ランバッハから次のシュタッドル・パウラ Stadl-Paura まで3.8kmの間、同じ線路を走っている。線路の所有権から言えば、この間はÖBB線なので、フォルヒドルフ鉄道の列車が乗り入れている形だ(下注)。

*注 シュタッドル・パウラ以南のフォルヒドルフ鉄道独自の区間は、連邦政府のほか、州、沿線自治体、シュテルン・ウント・ハッフェルル社等が共同出資するランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道株式会社 Lokalbahn Lambach-Vorchdorf-Eggenberg AG が所有する。

やがて発車時刻になった。ランバッハ駅を後にすると、列車は、側線に留め置かれた貨車の群れを見ながら北東へ走り、やがてゆっくりと右へそれていく。このカーブは長く続き、結局反転して西を向いてから、トラウン川を渡る。地図(下図参照)を見ても不自然な逆行ルートだが、これには理由がある。

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(左)ランバッハ駅を出発
(右)トラウン川を渡る
  (いずれも列車後方を撮影)
 

ÖBBトラウンタール線は今でこそ支線だが、意外にも、主要幹線である西部本線より歴史が古い。前回や前々回にも少し触れたとおり、ルーツは、岩塩輸送のために1836年に開通したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道だ。現在のシュタッドル・パウラが当時、ランバッハ(アルト・ランバッハ Alt-Lambach)駅だった。1855~56年には、リンツ~グムンデン間が蒸気鉄道に転換されている。しかし、ウィーンとザルツブルクを結ぶ皇后エリーザベト鉄道(現 西部本線)が開通すると、並行するリンツ~ランバッハ間は1859年に廃止され、代わりに新設の現 ランバッハ駅からトラウン川橋梁の手前まで接続線が造られた。それがこの逆行ルートだ。

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ランバッハ周辺の地形図に鉄道ルートを加筆
緑色の線がフォルヒドルフ鉄道
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

シュタッドル・パウラでは最も左側の線路に移るとともに、トラウンタール線から分かれて独自ルートへ入っていく。森と畑が交錯する中を、くねくねと落ち着きなく曲がる。線路こそ標準軌だが、線形は軽便鉄道と大差ない。

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(左)シュタッドル・パウラを通過
(右)森と畑が交錯する中をくねくねと
  (いずれも列車後方を撮影)
 

最初に停車したのはバート・ヴィムスバッハ・ナイドハルティング Bad Wimsbach-Neydharting で、起終点以外では唯一の町だ。中間の全駅・停留所がリクエストストップ扱いで、列車交換か乗降がなければ停車しない。乗車券も、駅に自販機などは置いておらず、乗り込んだときに運転士から購入するという、路線バス方式だ。

しばらく段丘の崖際を走り、直線では速度計が50km/hに達した。アウ Au という停留所を通過する。アウは水辺や湿地を表す地名語(下注)だが、オーストリアでは最も短い駅名だという。昔ながらの施設設備かと思いきや、停留所の改修は地道に行われていて、ここにも小ざっぱりした待合所が出現していた。

*注 実際の発音はアオに近い。各地に見られる Aue、Ach、Ache などの自然地名もこれと同源。

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アウ停留所
待合室の壁にも Au の文字が
 

また建物が増えてきたと思ったら、もうフォルヒドルフだ。フォルヒドルフ・シューレ(学校)Vorchdorf Schule で停車して、一人降りた。町の中心へはこの停留所が近い。次が終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクで、車庫兼整備工場の脇を通って到着した。ランバッハからの所要時間は25分。何本かの側線を隔てたメーターゲージの線路で、グムンデン方面へ行く連接トラムが接続待ちをしている。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅に到着
 

最後に、この路線の歴史について簡単に記しておこう。

フォルヒドルフ鉄道、正式名ランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg は、1903年9月13日に蒸気鉄道として開業した。建設計画は1897年に地元の交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社から出されていたが、ランバッハ駅を共用することから、運行管理は当初、国鉄が行った。

しかし、世界恐慌の影響で経営が悪化した国鉄が地方路線の見直しを進める中で、1931年にシュテルン・ウント・ハッフェルル社が運行を引き継いだ。同社は電化工事を実施し、蒸気から電気運転に切り替えた。以来、フォルヒドルフ鉄道は、接続するトラウンゼー鉄道などとともに、同社によって粛々と運行されている。1980年代までは、終点駅の南に位置するエッゲンベルク城ビール醸造所 Brauerei Schloss Eggenberg への貨物線も使われていたが、今は休止状態のようだ。

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同駅の標準軌エリア
奥の建物は車庫兼整備工場
 

次回は、トラウン湖の西隣にあるアッター湖 Attersee へ足を延ばす。

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2019年6月19日 (水)

グムンデンのトラム延伸 III-トラウンゼー鉄道

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn

グムンデン・ゼーバーンホーフ Gmunden Seebahnhof ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 間 14.9km
軌間1000mm、直流600V電化(ゼーバーンホフ~エンゲルホーフ間)、直流750V電化(エンゲルホーフ~フォルヒドルフ・エッゲンベルク間)
1912年開通、1990年旧 ゼーバーンホーフへ延伸、2018年グムンデン路面軌道と直通化

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ポイントを転換して本線へ
フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅にて

トラウンゼー鉄道 Traunseebahn は、正式にはグムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf という。名のとおり、トラウン湖畔のグムンデンと、その北東10km強にある田舎町フォルヒドルフを結ぶメーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線だ。この地方の主要な交通企業であるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 社が運行を担ってきた。

終点のフォルヒドルフ・エッゲンベルクでは、標準軌支線のフォルヒドルフ鉄道 Vorchdorferbahn(下注)に接続し、それを通じて、ランバッハ Lambach でウィーン~ザルツブルク間の幹線である西部本線 Westbahn にも連絡している。それで路線図では、西部本線からグムンデン方面に延びる支線のようにも見える(下図参照)。しかし、2回の乗換えを要するため、そのような利用は一般的ではない。路線の主な役割は、フォルヒドルフとその周辺からグムンデンに向かうローカル需要に応じることで、それが建設の目的でもあった。

*注 正式名はランバッハ=フォルヒドルフ・エッゲンベルク地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Vorchdorf-Eggenberg。本ブログ「フォルヒドルフ鉄道-標準軌の田舎電車」で詳述。

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グムンデン周辺の鉄道路線の位置関係
オレンジがトラウンゼー鉄道
 

最初にこのルートで計画されたのは、グムンデンからフォルヒドルフを経てさらに東のペッテンバッハ Pettenbach に至る電化鉄道で、1895年のことだ。グムンデン路面軌道が前年(1894年)に開通しており、当然この軌道との接続が想定されていた。しかし、これは予備認可を得たものの、着工には至らなかった。

他方、フォルヒドルフでは、1903年に上述のフォルヒドルフ鉄道が開通し、1908年には同じ西部本線の沿線都市ヴェルス Wels と結ぶ路線構想も浮上していた。そのため、商圏の縮小を案じたグムンデン市が自ら鉄道建設に乗り出し、その結果、1912年3月に開業したのがトラウンゼー鉄道だ。初期の保有車両は電動車2両と付随車2両で、通常4往復、市の立つ日は5往復の列車が走った。

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かつてのトラウンゼー鉄道
グムンデン鉄道史の展示パネルより
 

グムンデン側の起点は、市街の川向うにあるトラウンドルフ Traundorf に設けられた。古い馬車鉄道(下注1)の終点から少し上手で、駅を出て間もなく、その馬車鉄道から転換された標準軌の国鉄ランバッハ=グムンデン地方線 Lokalbahn Lambach–Gmunden(下注2)と合流する。そして、エンゲルホーフまで2km足らずの間、両者は3線軌条でルートを共有した。

*注1 1836年にグムンデンに到達したブドヴァイス=リンツ=グムンデン馬車鉄道 Pferdeeisenbahn Budweis–Linz–Gmunden。ザルツカンマーグートの岩塩輸送を目的としていた。
*注2 ランバッハ=グムンデン地方線は1884年に国有化。当時はまだ馬車鉄道を継承した1106mm軌間だったが、1903年に標準軌に改軌された。トラウンタール線 Trauntalbahn の別称もある。

連絡する2本の鉄道がいずれも標準軌だったにもかかわらず、トラウンゼー鉄道が1000mm軌間とされたのはいうまでもなく、グムンデン路面軌道への乗入れに備えてのことだった。しかし、トラウン川への架橋と市街地横断という難工事を伴うため、延長計画はこの時代には実現しないままとなった。

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旧型車 ET23 112(1954年 SWS製)
 

国鉄ランバッハ=グムンデン地方線(以下、ÖBB線)は、1988年に旅客輸送を終了した。それを受けてトラウンゼー鉄道は1990年に、開業以来のトラウンドルフ駅から、ÖBB線の終着駅だったゼーバーンホーフ(湖岸駅)Seebahnhof に起点を移した(下注)。両線ともランバッハにつながっているので、代替輸送の役割を付与されたのだろう。当時まだÖBB線の貨物輸送が残っていたので、3線軌条の延長工事も併せて行われた。

*注 別途、トラウンドルフ駅近くの本線上に、代替となるトラウンドルフ停留所が開設され、2014年まで使われた。

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グムンデンの路線網と駅の変遷
 

とはいえ、ゼーバーンホーフもグムンデン中心街から見れば川向うだ。また、終点のフォルヒドルフは人口7000人ほどの町に過ぎず、需要の掘り起こしには限界がある。それでトラウンゼー鉄道は最近まで、主に単行の旧形電車が1時間に1本走る程度の、のどかなローカル線だったのだ。

前回の続きで、路線の起点であり、路面軌道との接続点でもあるグムンデン・ゼーバーンホーフから、ルートに沿って変貌ぶりを見ていこう。

トラウンゼー鉄道のターミナルとなって以降も、ゼーバーンホーフは、ほとんどÖBB線時代のまま使われていた。1999年に訪れたときには3線軌条の標準軌側レールはもはや錆びていたから、貨物列車の運行も実質終了していたのだろう。その後、共用区間のÖBB線は2009年2月に正式に廃止され、トラウンゼー鉄道専用となった。

2014年の大改修で、ゼーバーンホーフの旧駅舎はホームもろとも撤去され、新たにトラウンシュタイン通りの北側に島式ホームと待合所が設置された。見かけも運行上ももはやターミナルではなく、中間電停だ。湖に突き出していた構内は、2018年10月現在、更地になっている。

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ゼーバーンホーフ電停
(左)広めのホームが敷地の余裕を物語る
(右)反対側はトラウン湖に臨む
  道路の先が旧駅跡で、現在は更地に
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1999年のゼーバーンホーフ(湖岸駅)
構内は3線軌条が敷かれていた
 

ゼーバーンホーフを後にすると線路は単線になり、右に左にカーブを切りながら、勾配を上っていく。枕木もメーターゲージ用に交換されたので、3線軌条を思い出させるものは残っていない。坂の途中にあったトラウンドルフ電停は廃止され、新たにシュロス・ヴァイヤー Schloss Weyer とレンベルクヴェーク Lembergweg の各電停が開設された。

旧 共用区間はエンゲルホーフ Engelhof で終わるが、同じようにÖBB線の駅とホームが撤去され、2面3線の中間ターミナルに再生された。日中10~20分間隔、毎時4本(土日は3本)のダイヤはここまでで、以遠では2本が間引かれて30分間隔(土日は1時間間隔)となる。西側の1面1線に、そのエンゲルホーフ止まりの列車が発着する。

ちなみに、ÖBB線の駅名はエンゲルホーフだったが、トラウンゼー鉄道の電停はそれと区別するためにエンゲルホーフ・ロカールバーン Engelhof Lokalbahn(ロカールバーンは地方鉄道の意)を名乗っていた。現在、電停や車内の表示はエンゲルホーフ・バーンホーフ(エンゲルホーフ駅)Engelhof Bahnhof になっている。

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エンゲルホーフを発つグムンデン駅行きトラム
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エンゲルホーフ電停
(左)2面3線の中間ターミナル、左1線は折返し用
(右)折返しホームに区間便が停車中
 

直進していたÖBB線(下注)に対して、トラウンゼー鉄道は右へ曲がり、トラウンシュタイン山を右手に仰ぎながら、畑と森の間を走っていく。木製の架線柱に直吊りのか細げな架線、線路の枕木も大半は木のままで、のどかな周囲の景色にしっくり溶け込んでいる。電停の設備だけは更新されているが、リクエストストップのため、乗降がなければ停まらない。

*注 2018年10月現在、駅構内の北端から先ではÖBBの線路が残されている。

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(左)中間の電停も改修済
(右)トラウンシュタイン山を仰ぎながら行く
 

やがて再び上り勾配となり、標高530mほどのサミットに達する。車窓右側にラウダッハ川 Laudach の谷が俯瞰でき、後はこれに沿って下っていくことになる。日中は、近くのアイゼンガッテルン Eisengattern 電停で列車交換が行われるが、倉庫の裏手のような殺風景な場所で、相手が到着すると合図もなく出発した。

坂を降りきったところでラウダッハ川を渡り、道路脇を進めば、左カーブの先にもう、フォルヒドルフ・エッゲンベルク Vorchdorf-Eggenberg 駅の留置された電車群が見えてくる。グムンデン駅から約40分、ゼーバーンホーフから25分の小旅行の終点だ。

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(左)アイゼンガッテルンで列車交換
(右)ラウダッハ川の谷を下る
 

フォルヒドルフ・エッゲンベルクは、運行を司るシュテルン・ウント・ハッフェルル社にとって重要な拠点になっている。十分広い構内にメーターゲージと標準軌の留置側線が何本も並び、側線からつながる車庫兼整備工場も二種の軌間に対応して、大型だ。貨車も含め、新旧さまざまな形式が留置されているが、トラムのホームから駅舎へ通じる通路はその側線を横断していくので、気兼ねなく観察ができる。

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フォルヒドルフ・エッゲンベルク駅構内
左側はメーターゲージ、右側は標準軌車両
 

標準軌の設備はいうまでもなく、この駅に接続しているフォルヒドルフ鉄道のためのものだが、真新しいグムンデントラムの連接車とは対照的に、こちらはまだ1950年代製の車両が現役だ。次回は、軌間は広いのに車両は旧形という、このフォルヒドルフ鉄道について詳述する。

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 列車で行くアッター湖 I-カンマー線
 列車で行くアッター湖 II-アッターゼー鉄道

2019年6月 5日 (水)

グムンデンのトラム延伸 II-ルートを追って

グムンデン路面軌道 Straßenbahn Gmunden の変貌ぶりには目を見張るものがある。車両や運行形態だけでなく、それを支える施設設備もすっかり新しくなった。いったい、どのように変わったのか。起点のグムンデン・バーンホーフ(グムンデン駅)Gmunden Bahnhof から順に、沿線風景と併せて見ていくことにしよう。

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グムンデン・バーンホーフ電停
右のÖBB線ホームに平面で接続
 
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グムンデン周辺の地形図に鉄軌道ルートを加筆
赤色の線がグムンデン路面軌道で、
列車は橙色のトラウンゼー鉄道に直通する
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)のザルツカンマーグート線に接続するトラムの乗り場は、かつて狭い駅前広場の向かい側にあり、並木の木陰の、屋根も側線もない簡素なターミナルだった。2014年7月に完成した改良工事で、それはÖBB駅の横に移設され、島式ホームをもつ1面2線の頭端駅になった。ホームには大きな屋根が架けられ、雨に濡れずに駅の待合室まで移動できる。ÖBB駅も同時に改修され、真新しい駅舎とホームが出現して、昔の面影は完全に消えた。

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グムンデン駅前
(左)旧 電停跡は道路に
(右)並木の木陰にあった旧電停(1999年撮影)
 

ホームを後にして、軌道はすぐ右に折れる。このカーブも以前は半径40mの急曲線だったが、線路移設によりやや緩和された。トラムは、正面にトラウンシュタイン Traunstein(標高1691m)の峨峨たる岩山を眺めながら、バーンホーフ通り Bahnhofstraße の右側に沿う専用軌道を走っていく。

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(左)グムンデン駅を出発
(右)バーンホーフ通りに沿う専用軌道
  背後の岩山はトラウンシュタイン
 

最初の停留所(以下、電停)は、待避線のあるグムンドナー・ケラミーク Gmundner Keramik だ。ケラミークは製陶所のことで、名産のグムンデン陶器を作る会社の工場が近くにある。2005年まで市街地寄り(車庫前)にあったクラフトシュタツィオーン(発電所)Kraftstation 停留所と路線途中の待避線を廃止して、代わりに設置されたのがこの電停だ。

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(左)グムンドナー・ケラミーク電停
(右)火力発電所跡に建つ時計塔
 

すぐ前に道路のロータリーがあり、バーンホーフ通りはまっすぐ旧市街へ下る。一方、軌道はそれに従わず、右前方に分岐する片側1車線のアロイス・カルテンブルーナー通り Alois-Kaltenbruner Straße に沿って南へ迂回する。線路が2本右へ分かれ、板戸に吸い込まれていくのが見える。開通当初からあるトラムの車庫だ。ただ手狭なため、連節車は、トラウンゼー鉄道の終点フォルヒドルフ Vorchdorf にある車両基地に拠点を置いている。

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開通当初からあるトラム車庫
 

縦断面図によれば、グムンデン駅からここまで緩やかな上りで、車庫付近が標高485m、ルートのサミットだ。通りを横断して左側に移ったところから、一転急な下り坂が始まる。やや鄙びた風景の中、ローゼンクランツ Rosenkranz 電停(下注)を過ぎると、線路に一段と勾配がつき、トラムは道路と離れて、転がるように段丘の斜面を降りていく。このあたりからいよいよ正面に、トラウン湖の水面が見え隠れするようになる。

*注 正式名称は、ローゼンクランツ/オーカーアー・ジードルング Rosenkranz/OKA-Siedlung。

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(左)アロイス・カルテンブルーナー通りに沿って南下
(右)トラウン湖が見え始める
 

待避線のある次の電停は、テニスプラッツ Tennisplatz だ。コート9面を擁する伝統あるテニスクラブの前にあり、連節車の車体長に合わせて、2008年に改修された。直通化後のパターンダイヤでは、ここで列車交換することが多い。

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テニスプラッツ電停で列車交換
 

ところでこの路線には、オーストリアではペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn(下注)の116‰に次ぐ100‰という、粘着式鉄道屈指の急勾配があることにも注目したい。それはテニスプラッツ電停から、坂下にあるシュテルン・ウント・ハッフェルル Stern und Hafferl 本社前までの区間で、設計図上は94.7‰のところ、1992年の再測量でそれを上回ることが判明したのだ。それで、グムンデン路面軌道は「世界最険かつ最小の路面軌道 die steilste und kleinste Straßenbahn der Welt」だった。

*注 ペストリングベルク鉄道については、「ペストリングベルクの登山トラム I-概要」「ペストリングベルクの登山トラム II-ルートを追って」で詳述。

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100‰の急勾配
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(左)架線柱の傾きで急勾配を実感
(右)シュテルン・ウント・ハッフェルル本社前を通過
 

本社前で専用軌道は終わり、その先は、狭い街路をすり抜けていく併用軌道区間となる。さすがに車は湖方面の一方通行だが、トラムは上下ともここを走る。電車とのすれ違いがやっとの道幅にもかかわらず、路上駐車が多いのには呆れるばかりだ。途中に、街路の名を採ったクーファーツァイレ Kuferzeile 電停がある。この区間では民家が接近しているため、2007年までに振動を軽減するマススプリング装置を軌道下に埋設する工事が行われ、そのとき、電停のホーム延長と嵩上げも実施された。

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(左)軌道以外は路上駐車スペース?
(右)クーファーツァイレ電停
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軒先をかすめて通る最狭区間
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(左)おまけに見通しも悪い
(右)点滅信号が車にトラム接近を警告
 

隘路を通過後は右側の視界が急に開けて、湖岸の遊歩道エスプラナーデ Esplanade が見えてくる。軌道は車道の左端(山側)に分離されているものの、街路と一体のため、溝付きレールが使われている。ベツィルクスハウプトマンシャフト(郡役場)Bezirkshauptmannschaft 電停を通過すれば、次が、1975年から43年間トラムの終点だったフランツ・ヨーゼフ・プラッツ(フランツ・ヨーゼフ広場)Franz-Josef-Platz だ。

手前で、軌道は左右に分岐して複線になる。西行き(グムンデン駅方面)はかつての終点電停に停まるが、東行き(フォルヒドルフ方面)は湖側に新設された専用ホームに入る。直通化に先立って、2015年に整備された施設だ。ホームの反対側にはバスが発着し、平面で乗継ぎできるようになっている。

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フランツ・ヨーゼフ・プラッツの東行き専用ホーム
反対側にはバスが発着
 

ここは湖畔の公園、フランツ・ヨーゼフ広場の前だ。天気が良ければ途中下車して、エスプラナーデのベンチに腰を下ろし、ザルツカンマーグートの蒼い山並みと、陽光跳ねる湖面をのんびりと眺めるのもいいだろう。その一角には、直通運転の開始を記念して、19世紀から現在に至るグムンデンの鉄道史を繙く解説パネルも立てられている。

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トラウン湖畔のエスプラナーデ
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トラウン湖のパノラマ
エスプラナーデから南望
 

さて、フランツ・ヨーゼフ・プラッツの電停を出発すると、トラムは昨年(2018年)9月に開通したばかりの新設区間に入っていく。ある意味で、ここは通行上の難所だ。

道幅は2車線分あるのだが、軌道が複線になるので、街路をほぼ占有してしまう。そのため、車は軌道上を走るしかない。しかもこの通りは州道120号線の一部になっていて、交通量が多い。訪れた日も、トラムは長い車列の間に挟まれ、護送状態で走っていた。最も混むのがグラーベン Graben の交差点で、左折車(下注)を通すためにトラムも長い信号待ちを余儀なくされる。

*注 いうまでもなく右側通行なので、左折するには対向車線を横切る必要がある。

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新設区間のグラーベン交差点を行く
 

テアーターガッセ(劇場小路)Theatergasse をさらに100m進むと、右手に湖岸に面した広場が開ける。グムンデンの中心部、ラートハウスプラッツ(市庁舎広場)だ。アップルグリーンでアクセントをつけた、優雅な柱廊玄関をもつ市庁舎が西側に建っている。1975年までは、ここが終点だった。

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ラートハウスプラッツ電停
背後はグムンデン市庁舎
 

前回述べたように、1970~80年代は路面軌道にとって試練の時期だった。自動車の増加で、併用軌道は円滑な交通の妨げになっていると考えられた。当時、軌道は全線単線で、市街地では片側(山側)に寄せて敷かれていた。市庁舎広場に向かうトラムは道路の左側を通行するため、対向する車と正面から向き合うことになる。これは渋滞の原因となるばかりか、危険でもあった。それで、グラーベンへの新しい交通信号設備の導入をなかば口実にして、1975年6月、フランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ラートハウスプラッツ間 230mは廃止されたのだ。

今回、路線復活にあたって、併用軌道となるフランツ・ヨーゼフ・プラッツ~ゼーバーンホーフ間に複線を敷いたのは、対向車との鉢合わせを避けるためであろうことは想像に難くない。トラムも車も同じ方向に動くことで、少なくとも規則的な通行は保証される。停留所では、トラムの後ろについた車列も待ちを余儀なくされるが、公共交通優先の原則ではそれも承知の上だ。

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(左)左折車で渋滞する街路
(右)前後を車列に挟まれての走行
いずれも車内後方から撮影
 

さて、ラートハウスプラッツを出たトラムは、アーケードのある狭い街路(カンマーホーフガッセ Kammerhofgasse)をそろそろと進む。袋小路のような一角で、旧市街の東口であるトラウン門 Trauntor がぽっかりと口を開けている。併用軌道は道路とともに手前で左右に分かれ、急なカーブでこの二連のアーチに吸い込まれていく。

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トラウン門をくぐる
 

門をくぐった先はトラウン橋 Traunbrücke だ。ちょうど湖からトラウン川が流れだす地点で、突然車窓に広がる明るくのびやかな湖畔の景色に、乗客の目は奪われる。橋は長さ94.1m、幅14mあり、併用軌道を通すために、約2年の工期をかけて架け替えられたばかりだ。旧来の橋は一直線だったが、新橋梁は拡幅のうえ、わずかに湖側にカーブを描くようになった。

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トラウン橋の上は沿線随一の絶景車窓
 

対岸トラウンドルフ Traundorf に渡りきると、軌道はまもなく右折してトラウンシュライン通り Traunsteinstraße へ入る。そこにクロスタープラッツ Klosterplatz 電停がある。通りの中央に設置された島式ホームの、両端を反り返らせた屋根が特徴的だ。2018年9月の開通区間はここまでで、その先、ゼーバーンホーフとの間は、電停の改築と併せて、2014年12月に先行開通していた。

グムンデン・ゼーバーンホーフ(グムンデン湖岸駅)Gmunden Seebahnhof の歴史は古く、1871年に遡る。もともと蒸気鉄道の開通(下注)に際して、航路との接続を図るために設けられた湖岸の終着駅だ。1990年からは、3線軌条化してトラウンゼー鉄道 Traunseebahn(正式名:グムンデン=フォルヒドルフ地方鉄道 Lokalbahn Gmunden–Vorchdorf)の終点として使われてきた。

*注 ブドヴァイス Budweis(現在のチェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice)~リンツ Linz ~グムンデン間の馬車軌道の一部区間を、後年蒸気鉄道に転換したランバッハ=グムンデン地方鉄道 Lokalbahn Lambach–Gmunden(トラウンタール鉄道 Trauntalbahn)。1988年旅客営業廃止、南半のオーバーヴァイス Oberweis ~ゼーバーンホーフ間は2015年に廃止手続が取られ、軌道は撤去された。

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(左)クロスタープラッツ電停
(右)グムンデン・ゼーバーンホーフでトラウンゼー鉄道に直通
 

直通化事業により、駅は島式ホームをもつ電停に生まれ変わった。昔の面影はすっかり消え、広めにとられたプラットホームが唯一、入換側線を擁して敷地に余裕のあった旧駅をしのばせる。名目上はグムンデン路面軌道の終点なのだが、今や全列車がトラウンゼー鉄道に直通するようになり、実態はふつうの中間電停だ。とはいえ、この先は単線に戻るため、しばしばここで列車交換が行われる。トラムは対向列車を迎えた後、大きく右にカーブを切りながら、トラウンゼー鉄道の勾配路を上っていく。

次回はこのトラウンゼー鉄道を紹介する。

■参考サイト
シュテルン・ウント・ハッフェルル  https://www.stern-verkehr.at/
トラウンゼートラム  https://www.stadtregiotram-gmunden.at/
グムンデン路面軌道支持者協会  https://www.gmundner-strassenbahn.at/

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