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2019年4月25日 (木)

新線試乗記-三陸鉄道リアス線 II

久慈で買った途中下車きっぷを見せて宮古駅の改札を入ると、1番線に2両編成の列車が停車していた。三陸鉄道リアス線の今回開通区間(便宜上「中リアス線」と呼ばせていただく)を行く釜石行きだ。造りに特段変わったところはないのだが、車内に入ると、どこかおろし立ての匂いがする。それもそのはず、これは開通に合わせて新たに調達された車両だ。運転台の側壁に「平成31年 三陸鉄道」と製造元の「新潟トランシス2019」のプレートがついている。

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開通に合わせて調達された新造車両
(左)釜石駅にて
(右)今年の製造・調達を示すプレート
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三陸鉄道リアス線とその周辺の鉄道路線図
 

宮古発16時13分。同僚の車両が留め置かれた構内を後にして、列車は閉伊川(へいがわ)を渡った。そして、磯鶏(そけい)、新駅の八木沢・宮古短大と、一駅ずつ停まっていく。陽が傾き始めた時刻とあって、各駅で乗降客がある。断崖が続く北部の隆起海岸や、複雑な南部のリアス海岸に比べれば、宮古と釜石の間は地形がそれほど厳しくなく、人口も張り付いているのだ。

かぶりつきで見ていると、PCまくらぎが敷かれ、軌道が強化されているのがわかる。しかし、1970年代以降に造られた南北のリアス線とは違って、こちらは戦前、1935~39(昭和10~14)年の開通だ。曲線やアップダウンが多く、そのせいか速度は一向に上がらない。並行する道路を走る軽四輪にも、軽々と追い抜かれてしまう。

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夕暮れの閉伊川橋梁(宮古~磯鶏間)を渡る
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被災個所は軌道を強化して復旧
(左)閉伊川橋梁 (右)織笠~岩手船越間
 

津軽石(つがるいし)からは、重茂(おもえ)半島との間に開けた低地帯を南下する。太平洋が広がっているはずの東の方角に、屏風のような山並みを見るのは、ちょっと不思議な感覚だ。自衛隊のレーダー基地がある十二神山(じゅうにじんやま)は、標高が731mある。

祭の神(さいのかみ)峠をトンネルで抜けると、列車は山すそを下っていく。陸中山田は、その名のとおりJR山田線の当初の目的地だ。東日本大震災で駅は周辺の市街地もろとも大破したため、建て直された。次の織笠(おりかさ)駅も、集落の高台移転に伴って、1kmほど陸中山田寄りに移された。

印象的なのは、駅のホームや沿線で、列車に手を振る親子連れを見かけることだ。まだ開通から日も浅いので、どの幼児たちの目も輝いている。震災から8年、考えてみればこの年齢の子が物心ついた時には、すでに列車の往来は途絶えていた。彼らにとって、風を切って走る列車は初めて見る光景なのかもしれない。

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岩手船越駅、 家族連れに見送られて
 

小さな岬の波板崎を回ると、今度は船越半島の付け根の低地(いわゆる船越地形)が見えてくる。ここでも海岸に高い防波堤が造成され、景色が一変している。三陸のおよそ浜という浜で、類似の工事が完了したか、進行中だ。

その岩手船越で下り列車と対向した。ふと目にした駅名標に、本州最東端の駅と書いてある。朝からずっと東に海を見ながら南下しているので、あまり実感が沸かないが、位置としてはそうなのだ。遥けくも来つるものかな、という感慨が一瞬脳裏をかすめた。海食崖が続く四十八坂海岸では、しばらく比高50m前後の高みを縫って走る。松林の間から垣間見える船越湾ののどかな風景に、心が安らぐ。この穏やかに見える海がときに豹変するとはとても信じられない。

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(左)本州最東端の駅 (右)ふだんの船越湾
 

吉里吉里(きりきり)の後、同名のトンネルを経て、列車は大槌(おおつち)へ降下していった。津波で橋桁が流出した大槌川橋梁は架け直され、左の河口に巨大な防潮堰が出現している。大槌の改築された駅舎の屋根は、ひょうたん島をイメージしているのだそうだ。線路の海側は草ぼうぼうの空地が広がるが、山側は、区画整理された土地にすでに新しい住宅が建ち並んでいる。それは隣の鵜住居(うのすまい)駅の周辺でも同様だった。

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(左)大槌川河口の巨大な防潮堰
(右)ひょうたん島形の屋根を載せる大槌駅舎
 

両石湾の深い入江を一瞥した後、列車は内陸に入っていき、中リアス線内で最長の釜石トンネル入口でサミットに達する。トンネルの闇から出ると、左へカーブし、まもなく花巻からきたJR釜石線の線路が右に寄り添う。仲良く甲子川(かっしがわ)をガーダー橋で渡れば、もう釜石駅の構内だ。

釜石駅は乗り場が5番線まであり、かつての隆盛をしのばせる。1・2番線の島式ホームは釜石線の花巻方面、3・4番線は中リアス線の宮古方面(3番線には釜石線の表示もある)、少し離れた5番線が南リアス線の盛方面だ。駅舎との間は地下道で結ばれているが、JR駅舎へ通じるルートと三鉄のそれへ通じるルートが地下で分岐しているのがおもしろい。三鉄線で着いたら三鉄の改札を出なければならないが、初めての人は戸惑うこと必至なので、分岐点に係員が立って案内している。

■参考サイト
釜石駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.273400/141.872550

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(左)釜石駅に到着
(右)地下道で分岐してJR駅と三鉄駅へ
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釜石駅
(左)JR駅舎 (右)三鉄駅舎
 

宮古で開通記念の企画は見届けたつもりだったが、駅近くのローソンへ行くと、レジの前に「さんてつ応援パン」なるものが置いてあった。150円。包装がトリコロールの列車デザインなので、つい手が伸びた。生地は少し甘じょっぱく、フィリングは鶯豆と、岩泉牛乳入りのホイップクリームだ。

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車両デザインのさんてつ応援パン 

釜石で1泊し、翌日も引き続き列車で南下する。釜石から盛(さかり)まで、従来、南リアス線と呼ばれていた区間だ。7時43分発の列車は単行で、乗り込むと、旅行者らしき男性が一人だけだった。学休期間とはいえ、朝の時間帯でこの閑散ぶりは厳しい。

南リアス線のうち、国鉄時代からあったのは、盛線と呼ばれた南半分の盛~吉浜(よしはま)間で、北半分の吉浜~釜石間は1984年の三鉄発足と同時に開通したものだ。釜石駅の発着ホームが、離れ小島のような配置になっているのが、その辺の事情を物語る。

開通が遅れたのは、工事の困難さもさることながら、需要が見込めなかったことが最大の理由だろう。釜石の南側はリアス海岸の険しい地形が続き、湾奧に小さな集落が点在しているに過ぎない。1970年に国道45号線の改良工事が完成するまでは、つづら折りの難路しかなく、陸の孤島と言われていたところだ。その上、古くは南部藩と伊達藩の境界、現在は釜石市と大船渡市の境界(下注)で、交流圏も異なっている。

*注 南部と伊達の藩界は、平田(へいた)~唐丹(とうに)間の石塚峠を通る尾根筋に置かれたが、現在の市境は唐丹と吉浜の間の鍬台(くわだい)峠を通る尾根筋にある。

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(左)離れ小島のような釜石駅「南リアス線」ホーム
(右)堂々たる高架線を行く(釜石~平田間)
 

海に突き出た尾根を長大トンネルで串刺しにしていくルートのため、列車に乗っていると、明かり区間より闇のほうが長い。海岸風景をゆっくり見たいので、眺めに定評のある吉浜で途中下車することにした。サクラの花びらをちりばめ、窓を眼に見立てたスマイル顔のラッピング駅舎(下注)が迎えてくれた。

*注 車両ラッピングとともに、ネスレ日本の復興支援プロジェクトによる。

跨線橋を渡って、山手の集落の間の小道を釜石方へ歩く。県道に合流し、なお500mほど進むと、見晴らしのいい場所が見つかった。駅から歩いて約10分のところだ。線路の後ろに広がる吉浜湾が、薄雲を透して降り注ぐ陽光をやわらかく受け止めている。釜石行きの列車が通過するのをカメラに収めて、駅に戻った。

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吉浜駅
(左)駅舎正面にサクラ・アートのラッピング
(右)キャットウォーク(?)の跨線橋
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吉浜湾を望むビュースポットにて
 

次の列車では、三陸駅から一人二人と乗ってきて、地域交通の一端を担っていることをうかがわせた。国道が大峠経由で盛へ短絡するのに対し、列車は海岸沿いに綾里(りょうり)へ迂回し、こまめに客を拾っていく。最後のトンネルを抜けると、大船渡(盛)市街が見えてきた。盛川の鉄橋を渡り、右カーブを終えたところで、隣に1車線のアスファルト道路が並行し始める。大船渡線BRTの走行路だ。両者はそのまま盛駅構内へ入っていった。

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(左)大船渡線BRTの走行路と並行
(右)盛駅3番線に到着
 

9時21分、盛駅3番線に到着。3番線といっても、1・2番線は線路が剥がされ舗装路にされてしまったため、実態は棒線同様の寂しい存在だ。跨線橋も残っているが、ホームの南端から平面でJR駅舎へ渡れるので、あまり用をなしていない。他の接続駅もそうだったように、JRと三鉄の駅舎が隣り合わせに建っている。ただ、三鉄の切符は運転士が集め、BRTも車内精算なので、改札業務は行われていない。

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(左)盛駅舎、右がJR、左が三鉄
(右)駅前にある三陸鉄道の起点碑
 

盛駅の東側には、側線が並ぶ広い構内がある。貨物専業の岩手開発鉄道が使っていて、石灰石を輸送するホッパ車が長い列をなすさまは壮観だ。構内を横断する長い跨線橋の上に立つと、黒装束の貨車の群れの中に、三鉄車両のまとうトリコロールが鮮やかに浮かび上がる。

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ホッパ車の群れの中で際立つトリコロール
 

さて、鉄路はここで惜しくも途切れていて、気仙沼方面へ向かうにはBRTに乗り継がなければならない。BRTという言葉はまだ耳慣れないが、バス・ラピッド・トランジット Bus rapid transit、すなわちバスを使った高速輸送システムのことだ。鉄道に比べて軽量、低コストの公共輸送機関として近年採用例が出始めた。

大船渡線BRTの場合、使われている車両は普通の低床バスだが、一般道だけでなく線路敷を再整備した専用道も走り、運賃は鉄道と共通だ。専用道では制限速度50km/hで、お世辞にもラピッドとは言えないが、鉄道時代に比べて運行本数は確かに多くなった。

ところがこのダイヤ、なぜか三鉄との接続をあまり考慮していない。そのため、盛では1時間30分の待ちぼうけを食らった。旅行者はともかく、こうした乗継ぎをする地元客は稀なのだろうか。そして10時50分、クルマならとうに気仙沼に着いている時刻に、ようやく三陸海岸を南下する旅が再開できたのだった。

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気仙沼方面のBRTが盛駅を出発
 

■参考サイト
三陸鉄道 https://www.sanrikutetsudou.com/
JR東日本-気仙沼線・大船渡線BRT
https://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/

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