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2019年4月25日 (木)

お知らせ:ブログ更新を再開します

本ブログが利用している「ココログ」のシステム改修の後、しばらく更新を中断していましたが、システム上の不具合が解消されつつありますので、更新を再開しました。

なお、システム側の仕様変更により、従来の表示と異なるところがあります。

1.画像の原寸拡大
 従来、本文中のサムネイル画像をクリックすると、原寸画像がポップアップしていましたが、今後更新する記事では、新規タブに表示されます。

2.スマホでのPC形式の表示
 スマホではPC形式の表示ができなくなりました(「過去の記事一覧」を除く)。PCに比べて画面の横幅が短いため、サムネイル画像やキャプションの右端が途切れる障害が発生します。

3.スマホ表示の広告
 スマホでブログを表示すると、最初に全面広告が表示されます。これはアフィリエイトではなく、「ココログ」の強制的な仕様です。

本ブログをお読みくださっている方々にはご不便をおかけしますが、ご理解をお願いいたします。

新線試乗記-三陸鉄道リアス線 II

久慈で買った途中下車きっぷを見せて宮古駅の改札を入ると、1番線に2両編成の列車が停車していた。三陸鉄道リアス線の今回開通区間(便宜上「中リアス線」と呼ばせていただく)を行く釜石行きだ。造りに特段変わったところはないのだが、車内に入ると、どこかおろし立ての匂いがする。それもそのはず、これは開通に合わせて新たに調達された車両だ。運転台の側壁に「平成31年 三陸鉄道」と製造元の「新潟トランシス2019」のプレートがついている。

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開通に合わせて調達された新造車両
(左)釜石駅にて
(右)今年の製造・調達を示すプレート
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三陸鉄道リアス線とその周辺の鉄道路線図
 

宮古発16時13分。同僚の車両が留め置かれた構内を後にして、列車は閉伊川(へいがわ)を渡った。そして、磯鶏(そけい)、新駅の八木沢・宮古短大と、一駅ずつ停まっていく。陽が傾き始めた時刻とあって、各駅で乗降客がある。断崖が続く北部の隆起海岸や、複雑な南部のリアス海岸に比べれば、宮古と釜石の間は地形がそれほど厳しくなく、人口も張り付いているのだ。

かぶりつきで見ていると、PCまくらぎが敷かれ、軌道が強化されているのがわかる。しかし、1970年代以降に造られた南北のリアス線とは違って、こちらは戦前、1935~39(昭和10~14)年の開通だ。曲線やアップダウンが多く、そのせいか速度は一向に上がらない。並行する道路を走る軽四輪にも、軽々と追い抜かれてしまう。

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夕暮れの閉伊川橋梁(宮古~磯鶏間)を渡る
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被災個所は軌道を強化して復旧
(左)閉伊川橋梁 (右)織笠~岩手船越間
 

津軽石(つがるいし)からは、重茂(おもえ)半島との間に開けた低地帯を南下する。太平洋が広がっているはずの東の方角に、屏風のような山並みを見るのは、ちょっと不思議な感覚だ。自衛隊のレーダー基地がある十二神山(じゅうにじんやま)は、標高が731mある。

祭の神(さいのかみ)峠をトンネルで抜けると、列車は山すそを下っていく。陸中山田は、その名のとおりJR山田線の当初の目的地だ。東日本大震災で駅は周辺の市街地もろとも大破したため、建て直された。次の織笠(おりかさ)駅も、集落の高台移転に伴って、1kmほど陸中山田寄りに移された。

印象的なのは、駅のホームや沿線で、列車に手を振る親子連れを見かけることだ。まだ開通から日も浅いので、どの幼児たちの目も輝いている。震災から8年、考えてみればこの年齢の子が物心ついた時には、すでに列車の往来は途絶えていた。彼らにとって、風を切って走る列車は初めて見る光景なのかもしれない。

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岩手船越駅、 家族連れに見送られて
 

小さな岬の波板崎を回ると、今度は船越半島の付け根の低地(いわゆる船越地形)が見えてくる。ここでも海岸に高い防波堤が造成され、景色が一変している。三陸のおよそ浜という浜で、類似の工事が完了したか、進行中だ。

その岩手船越で下り列車と対向した。ふと目にした駅名標に、本州最東端の駅と書いてある。朝からずっと東に海を見ながら南下しているので、あまり実感が沸かないが、位置としてはそうなのだ。遥けくも来つるものかな、という感慨が一瞬脳裏をかすめた。海食崖が続く四十八坂海岸では、しばらく比高50m前後の高みを縫って走る。松林の間から垣間見える船越湾ののどかな風景に、心が安らぐ。この穏やかに見える海がときに豹変するとはとても信じられない。

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(左)本州最東端の駅 (右)ふだんの船越湾
 

吉里吉里(きりきり)の後、同名のトンネルを経て、列車は大槌(おおつち)へ降下していった。津波で橋桁が流出した大槌川橋梁は架け直され、左の河口に巨大な防潮堰が出現している。大槌の改築された駅舎の屋根は、ひょうたん島をイメージしているのだそうだ。線路の海側は草ぼうぼうの空地が広がるが、山側は、区画整理された土地にすでに新しい住宅が建ち並んでいる。それは隣の鵜住居(うのすまい)駅の周辺でも同様だった。

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(左)大槌川河口の巨大な防潮堰
(右)ひょうたん島形の屋根を載せる大槌駅舎
 

両石湾の深い入江を一瞥した後、列車は内陸に入っていき、中リアス線内で最長の釜石トンネル入口でサミットに達する。トンネルの闇から出ると、左へカーブし、まもなく花巻からきたJR釜石線の線路が右に寄り添う。仲良く甲子川(かっしがわ)をガーダー橋で渡れば、もう釜石駅の構内だ。

釜石駅は乗り場が5番線まであり、かつての隆盛をしのばせる。1・2番線の島式ホームは釜石線の花巻方面、3・4番線は中リアス線の宮古方面(3番線には釜石線の表示もある)、少し離れた5番線が南リアス線の盛方面だ。駅舎との間は地下道で結ばれているが、JR駅舎へ通じるルートと三鉄のそれへ通じるルートが地下で分岐しているのがおもしろい。三鉄線で着いたら三鉄の改札を出なければならないが、初めての人は戸惑うこと必至なので、分岐点に係員が立って案内している。

■参考サイト
釜石駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.273400/141.872550

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(左)釜石駅に到着
(右)地下道で分岐してJR駅と三鉄駅へ
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釜石駅
(左)JR駅舎 (右)三鉄駅舎
 

宮古で開通記念の企画は見届けたつもりだったが、駅近くのローソンへ行くと、レジの前に「さんてつ応援パン」なるものが置いてあった。150円。包装がトリコロールの列車デザインなので、つい手が伸びた。生地は少し甘じょっぱく、フィリングは鶯豆と、岩泉牛乳入りのホイップクリームだ。

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車両デザインのさんてつ応援パン 

釜石で1泊し、翌日も引き続き列車で南下する。釜石から盛(さかり)まで、従来、南リアス線と呼ばれていた区間だ。7時43分発の列車は単行で、乗り込むと、旅行者らしき男性が一人だけだった。学休期間とはいえ、朝の時間帯でこの閑散ぶりは厳しい。

南リアス線のうち、国鉄時代からあったのは、盛線と呼ばれた南半分の盛~吉浜(よしはま)間で、北半分の吉浜~釜石間は1984年の三鉄発足と同時に開通したものだ。釜石駅の発着ホームが、離れ小島のような配置になっているのが、その辺の事情を物語る。

開通が遅れたのは、工事の困難さもさることながら、需要が見込めなかったことが最大の理由だろう。釜石の南側はリアス海岸の険しい地形が続き、湾奧に小さな集落が点在しているに過ぎない。1970年に国道45号線の改良工事が完成するまでは、つづら折りの難路しかなく、陸の孤島と言われていたところだ。その上、古くは南部藩と伊達藩の境界、現在は釜石市と大船渡市の境界(下注)で、交流圏も異なっている。

*注 南部と伊達の藩界は、平田(へいた)~唐丹(とうに)間の石塚峠を通る尾根筋に置かれたが、現在の市境は唐丹と吉浜の間の鍬台(くわだい)峠を通る尾根筋にある。

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(左)離れ小島のような釜石駅「南リアス線」ホーム
(右)堂々たる高架線を行く(釜石~平田間)
 

海に突き出た尾根を長大トンネルで串刺しにしていくルートのため、列車に乗っていると、明かり区間より闇のほうが長い。海岸風景をゆっくり見たいので、眺めに定評のある吉浜で途中下車することにした。サクラの花びらをちりばめ、窓を眼に見立てたスマイル顔のラッピング駅舎(下注)が迎えてくれた。

*注 車両ラッピングとともに、ネスレ日本の復興支援プロジェクトによる。

跨線橋を渡って、山手の集落の間の小道を釜石方へ歩く。県道に合流し、なお500mほど進むと、見晴らしのいい場所が見つかった。駅から歩いて約10分のところだ。線路の後ろに広がる吉浜湾が、薄雲を透して降り注ぐ陽光をやわらかく受け止めている。釜石行きの列車が通過するのをカメラに収めて、駅に戻った。

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吉浜駅
(左)駅舎正面にサクラ・アートのラッピング
(右)キャットウォーク(?)の跨線橋
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吉浜湾を望むビュースポットにて
 

次の列車では、三陸駅から一人二人と乗ってきて、地域交通の一端を担っていることをうかがわせた。国道が大峠経由で盛へ短絡するのに対し、列車は海岸沿いに綾里(りょうり)へ迂回し、こまめに客を拾っていく。最後のトンネルを抜けると、大船渡(盛)市街が見えてきた。盛川の鉄橋を渡り、右カーブを終えたところで、隣に1車線のアスファルト道路が並行し始める。大船渡線BRTの走行路だ。両者はそのまま盛駅構内へ入っていった。

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(左)大船渡線BRTの走行路と並行
(右)盛駅3番線に到着
 

9時21分、盛駅3番線に到着。3番線といっても、1・2番線は線路が剥がされ舗装路にされてしまったため、実態は棒線同様の寂しい存在だ。跨線橋も残っているが、ホームの南端から平面でJR駅舎へ渡れるので、あまり用をなしていない。他の接続駅もそうだったように、JRと三鉄の駅舎が隣り合わせに建っている。ただ、三鉄の切符は運転士が集め、BRTも車内精算なので、改札業務は行われていない。

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(左)盛駅舎、右がJR、左が三鉄
(右)駅前にある三陸鉄道の起点碑
 

盛駅の東側には、側線が並ぶ広い構内がある。貨物専業の岩手開発鉄道が使っていて、石灰石を輸送するホッパ車が長い列をなすさまは壮観だ。構内を横断する長い跨線橋の上に立つと、黒装束の貨車の群れの中に、三鉄車両のまとうトリコロールが鮮やかに浮かび上がる。

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ホッパ車の群れの中で際立つトリコロール
 

さて、鉄路はここで惜しくも途切れていて、気仙沼方面へ向かうにはBRTに乗り継がなければならない。BRTという言葉はまだ耳慣れないが、バス・ラピッド・トランジット Bus rapid transit、すなわちバスを使った高速輸送システムのことだ。鉄道に比べて軽量、低コストの公共輸送機関として近年採用例が出始めた。

大船渡線BRTの場合、使われている車両は普通の低床バスだが、一般道だけでなく線路敷を再整備した専用道も走り、運賃は鉄道と共通だ。専用道では制限速度50km/hで、お世辞にもラピッドとは言えないが、鉄道時代に比べて運行本数は確かに多くなった。

ところがこのダイヤ、なぜか三鉄との接続をあまり考慮していない。そのため、盛では1時間30分の待ちぼうけを食らった。旅行者はともかく、こうした乗継ぎをする地元客は稀なのだろうか。そして10時50分、クルマならとうに気仙沼に着いている時刻に、ようやく三陸海岸を南下する旅が再開できたのだった。

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気仙沼方面のBRTが盛駅を出発
 

■参考サイト
三陸鉄道 https://www.sanrikutetsudou.com/
JR東日本-気仙沼線・大船渡線BRT
https://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/

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 2019年開通の新線
 新線試乗記-おおさか東線、新大阪~放出間

2019年4月20日 (土)

新線試乗記-三陸鉄道リアス線 I

東日本大震災の未曾有の津波で線路が寸断され、長らく不通になっていた宮古(みやこ)~釜石(かまいし)間が、2019年3月24日、8年ぶりに復旧した。もとはJR山田線の一部だったが、第三セクターの三陸鉄道に移管され、復旧済みの北リアス線、南リアス線とともに「リアス線」を構成しての再出発だ。新生リアス線は盛(さかり)から久慈(くじ)まで163.0km、JR以外では最長の路線になる。

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閉伊川(へいがわ)を渡るリアス線の気動車
 

さっそく4月初めに初乗りを試みた。せっかくの機会なので、移管区間だけでなく、三陸海岸を北から南へ乗り通したい。日程の都合で、BRTで運行されているJR気仙沼線(陸前戸倉~気仙沼間が三陸海岸に沿う)は割愛せざるを得なかったが、八戸から気仙沼まで、営業距離にして271.6kmを2日かけて旅してきた。

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三陸鉄道リアス線とその周辺の鉄道路線図
 

朝9時21分、八戸で「はやぶさ」1号を降りた。新幹線改札を出て、JR八戸線の発着ホームへ向かう。4月にしてはかなり冷える日で、断続的に降る雪が風に舞っている。停車しているのはE130形の2両編成、ローカル線も車両更新が進んで、ずいぶん快適になったものだ。定刻に発車すると、鈍色の空と雪景色の中、列車は時速40kmでとろとろと走っていく。

鮫(さめ)駅で、後から来る久慈行きに乗り継ぐとまもなく、ウミネコの大群が岩場を覆う蕪島(かぶしま)が見えてきた。ここからは太平洋の大海原が旅の友になり、左の車窓に砂浜と岩礁が交互に現れる。

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(左)雪が舞う八戸駅に停車中の八戸線E130形気動車
(右)車内、各ボックスに1組は乗っている
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(左)ウミネコの島、蕪島を車窓に見る
(右)サミットの侍浜駅では冬に逆戻り(後方を撮影)
 

陸中八木を過ぎると、線路が徐々に高さを増してきた。列車は海岸を離れ、トンネルを立て続けにくぐって、小さな谷に分け入る。周りは銀世界に戻り、サミットの侍浜(さむらいはま)駅では雪も激しくなって、あたかも雪中行軍の様相になった。坂を下って、久慈駅到着11時46分。乗客は入れ替わりがあったものの、終点まで乗り通した人も多かった。

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久慈駅
(左)八戸線ホーム (右)JR駅舎
 

この久慈駅で、三陸鉄道(以下、三鉄)リアス線と接続する。ホームは駅舎側の1・2番線をJR、線路を隔てた3番線を三鉄が使っているが、駅舎は両者別々だ。JRから三鉄へ乗り継ごうとすると、まず構内踏切を渡ってJR駅の改札からいったん表へ出る。そして三鉄駅に回り、跨線橋を渡って3番線へ、という回りくどいルートを強いられる。お年寄りや荷物のある人には、決して優しくない迂回路だ。中間改札のように、歩く距離をもっと短縮する方法を考えるべきではないだろうか。

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三鉄久慈駅舎
(左)正面玄関
(右)掲示物が所狭しと貼られた出札窓口
 

朝ドラ「あまちゃん」のロケ地にもなった三鉄の駅舎の中は、ポスター、色紙その他掲示物が所狭しと貼られている。公式サイトでは見つけにくいお得切符も、いろいろ売られていることがわかった。たとえば、

リアス線全線フリー乗車券」 土休日に発売、2日間有効 6,000円

1日フリー乗車券」 土休日のみ1日間有効、3区間に分けて発売。盛~釜石2,500円、釜石~宮古2,300円、宮古~久慈2,500円

片道途中下車きっぷ」 通年発売、片道切符だが途中下車ができる。価格は同区間の普通乗車券と同じ、たとえば盛~久慈間3,710円(有効2日)。ほかに盛~宮古(有効1日)、釜石~久慈(同2日)、宮古~久慈(同1日)の設定あり

ただ、これらのお得切符は自販機では扱っていない。そのため、有人窓口が閉まっている時間帯は買えないから、注意が必要だ(下注)。

*注 2019年4月現在、三陸鉄道の公式サイトには新線の情報がほとんどない。お得切符についても「最新情報」の過去項目に埋もれている。

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久慈駅南方の三鉄車庫、リアス線が右奥に延びる
 

片道途中下車きっぷを作ってもらい、駅舎内のそば屋「リアス亭」で売っている1日20食限定の名物「うに弁当」(1,470円)も運よく入手して、乗車準備はすべて整った。ホームに出ると、白地に赤青の帯を引いた2両編成の気動車が客待ちしている。2両編成の車内は、八戸線より乗客は減って、座る人のないボックスもある。宮古~久慈間は従来の北リアス線(下注)だが、ざっと見渡したところ、大半が地元客ではなく旅行者のようだ。通学を除けば、日常の移動で列車が使われることは少なくなってしまった。

*注 三陸海岸の北部は、地形としては隆起海岸であって、リアス海岸(沈水海岸)には該当しない。

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(左)久慈駅リアス線ホーム
(右)36-700形の車内、人のいないボックスも散見
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リアス線開通を祝うヘッドマークとステッカー
 

12時08分発車。列車は最初山間部を走り、トンネルで小さな峠を越える。雪が降りしきる中、陸中野田で列車交換があった。野田玉川まで来ると高度がかなり上がり、松林の間から覗く海は遥か下になる。線路は荒波が洗う海岸線を避けて、段丘面を渡っていくが、深く切れ込んだ谷が随所で行く手を阻んでいる。

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陸中野田で下り列車と列車交換
 

それを一気に跨ぎ越す橋梁の一つが、長さ302mの安家川(あっかがわ)橋梁だ。PCトラスの壮大な鉄橋は、大海原を俯瞰する北リアス線屈指のビュースポットにもなっている。車内に案内のアナウンスが流れ、列車は徐行どころか、1~2分橋の上で停車して、ゆっくり眺める時間を与えてくれた。

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安家川橋梁を渡る(後方を撮影)
 

堀内(ほりない)駅を出ると、もう一つの絶景、長さ176mの大沢橋梁にさしかかる。夏ばっぱが大漁旗を振って春子を見送った小さな浜が、眼下に見える。ここも同じように停車してくれるから、名シーンを思い返す時間はたっぷりある。一方、山側には国道45号線のアーチ橋、堀内大橋が架かっている。その橋のたもとから鉄橋を渡る列車をねらうのが、あまちゃん以前から、三鉄の鉄道写真の定番だ。この列車も誰かのカメラの被写体になったかもしれない。

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大沢橋梁からの太平洋の眺め
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国道の堀内大橋を通して、春まだ浅い山里が見える
 

旧 北リアス線の見どころは、だいたいここまでだろう。国鉄久慈線時代の終点だった普代(ふだい)を出ると、まるで地下鉄かと思うようなトンネルの連続区間に突入するからだ。三鉄の長大トンネルのベスト3、すなわち北から順に、普代トンネル(4,700m)、小本トンネル(5,174m)、真崎トンネル(6,532m)がこの間に集中している。

車窓に目を向けても自分の顔しか映らないので、久慈から手を付けずにいた「うに弁当」の包みを開けた。鮮やかな色の蒸しウニが表面を埋め尽くし、ご飯が見えないのは確かに感動的だ。そのご飯もウニの煮汁で焚いたものだという。旬には少し早いからか、ウニはほぐし身のようなものだったが、それでもほおばると、口の中が濃厚な香りで満たされた。ネット情報によれば、リアス亭で作り売りしているのは、夏ばっぱのモデルになった人だそうだ。

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三鉄名物「うに弁当」
(左)三鉄久慈駅舎の「リアス亭」で販売
(右)包みを開ければうに尽くし
 

宮古駅には13時54分に到着した。製鉄所やラグビーで知られた釜石に比べて、全国的な知名度がやや劣るとはいえ、宮古は岩手県の三陸海岸で最大の町だ。駅も中心街に隣接していて、川向うに町が離れた釜石駅より活気がある。

宮古~釜石間が移管されたが、今も宮古駅は、JR山田線盛岡方面との接続駅だ。久慈駅と同じように、JR駅舎の隣に三鉄駅舎が建っている。しかし扉が閉まり、張り紙がしてあった。読めば、移管を機に業務をJR駅舎に移したという。なるほどJR駅正面の表札をよく見ると、三鉄とJRのロゴが仲良く並ぶ。三鉄はJRの駅業務を受託したので、みどりの窓口も今までどおり開いている。

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宮古駅
(左)JR駅舎はこの春から三鉄と共同使用
(右)もとの三鉄駅舎は閉鎖
 

JRに乗継ぐ乗客は、いったん外改札で三鉄内の精算をして、改めて駅舎内の改札からJRの乗車券で入るように誘導される(逆も同じ)。それでも、JR駅内での移動なので、久慈駅のような大回りにならない。JRと接続する他の駅もこうすればいいのに、と思う。

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宮古駅構内
奥の車両はキットカットの応援ラッピング車
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宮古駅構内につどう車両群
三鉄車の他に山田線を走るJR車両も
 

さて、宮古で接続列車に乗れば、暗くなるまでに気仙沼までたどり着けるのだが、今日は釜石で泊ることにしている。それで列車を1本遅らせて、駅の周りを観察することにした。開通から2週間近く経ち、お祝い気分もすっかり抜けた後かと思ったが、そうでもない。

駅には、岩手日報が無料配布した3月24日付の開業特集号がまだ残っていた。当該区間の宮古、陸中山田、大槌、釜石の4駅で配り、それぞれの表紙をつなげると続き絵になるというものだ。見開きページに、自作の応援メッセージを掲げた沿線の人たちの笑顔が溢れている。また、跨線橋でつながっている駅裏の市民交流センターでは、開通を記念して新旧の鉄道写真のパネル展示が行われていた。見入っている人はもう誰もいなかったが、行きずりの者にも、復旧の日を迎えた高揚感と熱気の余韻が伝わってくるようだ。

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(左)市民交流センターの鉄道写真展示
(右)岩手日報の開業特集号
 

とこうするうちに、釜石行き列車の出発時刻が近づいてきた。そろそろ駅に戻らなくては。

次回は、その開通区間を旅する。

■参考サイト
宮古駅付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.639850/141.947300

三陸鉄道 https://www.sanrikutetsudou.com/
同 リアス線特設ページ https://www.sanrikutetsudou.com/rias-line/

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 東北圏の新線
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 2019年開通の新線
 新線試乗記-おおさか東線、新大阪~放出間

2019年4月14日 (日)

新線試乗記-おおさか東線、新大阪~放出間

おおさか東線は、既存の城東貨物線を利用して、新大阪駅と関西本線(愛称 大和路(やまとじ)線)の久宝寺(きゅうほうじ)駅を結ぶ20.3kmのJR路線だ。2008年3月15日に、南側の放出(はなてん)~久宝寺間が先行開通していたが(下注)、今回、北側の新大阪~放出間が完成して、2019年3月16日に開業の日を迎えた。関西での新線開業は、2009年の阪神なんば線以来10年ぶりだ。

*注 放出~久宝寺間については「新線試乗記-おおさか東線、放出~久宝寺間」参照。

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淀川橋梁を渡るおおさか東線の普通列車
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おおさか東線(新大阪~久宝寺)は
図中央の「F」で示されたルート
 

新大阪では、地上の2番線がおおさか東線の発着に充てられた(下注1)。同じホームの反対側1番線には、関西空港から京都へ向かう特急「はるか」が入ってくる。このホームを捻出するために、長い間、発着番線の移設工事が続いていたのも昔話になってしまった(下注2)。

*注1 奈良行き直通快速は1番線を使用する。
*注2 このホームはもと特急「はるか」と北陸方面の特急「サンダーバード」が発着し、11、12番線を名乗っていた。

訪れたのは月曜日。エスカレーターを降りると、久宝寺行き普通列車、うぐいす色の201系ロングシート車が停車していた。奈良まで長征する1日4往復の直通快速のほかは、すべてこの各駅停車だ。車両は関西本線(大和路線)で見慣れているが、側窓の下半分が「おおさか東線全線開業」のシールで覆われているところがいつもと違う。それに編成中1か所だけ、若草山を背景に興福寺五重塔と鹿の群れをあしらった、ささやかなラッピングシールが貼られている。さらに、後で目撃したが、八尾市の市制70周年を兼ねた開業記念ヘッドマークをつけた編成もあった。

カメラやスマホを手にした人が入れ代わり立ち代わり車両の前に立つのは、新線らしい光景だ。一方、車内は落ち着いたもので、早や普段使いで乗っているように見える。6両編成、15分間隔の頻発運行で、ロングシートがそこそこ埋まる程度の乗客数がある。昼間でこれなら、朝夕は混むのだろう。放射状路線ほどの集中度はなくても、市街地を通る環状ルートにはやはり潜在需要があるようだ。

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(左)新大阪駅のおおさか東線ホーム
   1番線は直通快速、2番線は各駅停車
(右)ささやかな全線開業のラッピング
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沿線の八尾市提供のヘッドマークをつけた列車も
 

発車時刻が来たので、その普通列車に乗り込んだ。新大阪を出ると、右手の東海道本線(JR京都線)と並行に、まずは京都方へ進む。感覚的には上り列車だが、新大阪が起点なので、下りになるという。しかし列車番号は偶数、すなわち上りの番号を付けている。それでかどうか、駅の案内では敢えて上り下りに言及しない。

すぐに東淀川駅だが、おおさか東線にはホームがなく、あっさりと通過する。神崎川のトラス橋(上神崎川橋梁)を渡り終えたところで高架に駆け上がり、同時に右に旋回して東海道線をまたいだ。最初の停車駅、南吹田(みなみすいた)はこの急曲線の途中にある。駅の北側に広場が造成され、かつて灌漑に用いたドンゴロス風車のモニュメントも設置されて、今回開業した新駅の中で最も力が入っている。

駅を出ると、再度神崎川を渡るトラス橋だが、まだ曲線は続いていて、内側の線路脇にR280(半径280m)の標識が見える。渡り終えたところで、吹田操車場から来る線路と合流した。これが本来の城東貨物線で、今通ってきた急曲線の線路は、既得の土地に新しく建設されたものだ。

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南吹田駅
(左)新規開業駅で唯一駅前広場がある
(右)ドンゴロス風車のモニュメント
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急曲線の神崎川橋梁を渡ってくる電車
南吹田駅ホームから撮影
 

新幹線の高架をくぐり、阪急の千里線と京都線をまたぐと、JR淡路(あわじ)に停車する。駅の設備は高架下にあるが、周囲は住宅街で、駅前広場を設ける余地はない。300mほど西へ歩くと阪急の淡路駅で、こちらは今、立体化工事のまっ最中だ。完成すれば阪急が、逆にJRの上空を乗り越すようになる。

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JR淡路駅
(左)高架下に駅舎を配置
(右)ホームは比較的余裕がある
 

おおさか東線の沿線風景のハイライトは、何と言っても淀川を渡る長さ611mのトラス橋だろう。1929(昭和4)年の架橋で、小ぶりの下路ワーレントラスを18個連ねたさまは壮観だ。正式名称は淀川橋梁というのだが、左岸の地名にちなみ、地元では赤川(あかがわ)鉄橋の通称で親しまれてきた。複線仕様で造られた橋に対して、貨物線は単線だったので、空いている片側が長らく、両岸をつなぐ生活道路として利用されていたからだ。

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淀川橋梁は沿線風景のハイライト
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回送の電気機関車も渡る
 

新線の着工前に一度、実際に歩いて渡ったことがある。あくまで仮橋の扱いとあって、路面は鉄板敷き、高欄は木組みの簡易な造りで、幅はわずか1.8mと人がすれ違える程度の広さしかなかった。バイクは通行不可で、自転車も降りて渡るよう立札があるものの、距離が長いので従っている人は誰もいない。さらにジョギングコースにしている人も少なからずいるようで、生活に溶け込んだ橋の存在を感じることができた。

淡路駅で降りたついでに、久しぶりに川の堤を上ると、旅客新線を通すというのに、鉄橋は上塗りが剥がれ、赤白まだらの、まるで廃橋のような姿で使われていた。再塗装に予算が回らなかったか、まだ必要ないと判断されているのかはわからないが、新しく架けられた他のトラス橋に比べると、ちょっとみすぼらしい(下注)。

*注 赤川鉄橋の北詰にあった亀岡街道踏切は廃止され、すぐ脇にアンダーパスが造られていた。

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淀川橋梁の現在と過去
(左)複線が敷かれた橋梁
(右)赤川仮橋があった頃(2013年3月撮影)
 

淀川を渡り終えれば、次は城北公園通(しろきたこうえんどおり)だ。すぐ南で交差する街路の名を採っているのだが、公共交通としては市バスしかなかったエリアにとって、待望の鉄道駅だ(下注)。西側の小さな商店街には蕪村通りの名があった。旧 毛馬村が与謝蕪村の生誕地であることにあやかっているのだが、このあたりで昔の風情を偲ぶのは難しい。

*注 ただし、城北公園通を通る市バス(大阪シティバス34号系統)は梅田に直結し、かつ頻発しているので、鉄道より便利なのは間違いない。

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城北公園通駅
(左)自転車置き場はすぐ満杯になりそう
(右)蕪村通り商店街にも祝いの横断幕が
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高架の足回りは貨物線時代のまま
 

しばらくは直線区間だが、先頭車両のかぶりつきで見ていると微妙に曲がっていて、定規で引いたような南区間とは様子が違う。南区間はかつて、近鉄大阪線を乗り越した後、地上を走っており、旅客線化に伴い複線高架を新たに立てた。それに対して、北区間はもともと築堤上の単線で、基本的に腹付けにより複線化したので、まっすぐとはいかなかったのだろう。ちなみに大阪市都島区と旭区の境界も、この線路の東側に沿って引かれており、こちらはみごとに直線的だ。

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微妙に曲がる線路
城北公園通駅ホームから南望
 

JR野江(のえ)は、京阪の野江駅に近いが、家が建て込んで互いに見通せない。京阪とJRを乗り継ごうとする人はふつう京橋駅まで行くから、実害はないのだろう。ホームにいたら、目の前をごうごうと貨物列車が通過した。結構長いコンテナ貨物で、改めてここが貨物との共用であることに気づく。

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JR野江駅
(左)京阪駅は奥へ200m
(右)開業を知らせる幟もあちこちに
 

左から片町線(学研都市線)の複線が近づいてきた。鴫野(しぎの)~放出(はなてん)の1駅間は両線が並走する区間だ。鴫野ではホームがまだ路線別だが、その後、片町線上り線(木津方面)がおおさか東線の複線を乗り越して、左外側に移る。これで方向別配線となり、放出駅では、新大阪から四条畷方面、また久宝寺から京橋方面が同一ホームで乗り継ぎできるようになる。さらに放出の先で、片町線下り線(京橋方面)が右外側からおおさか東線をまたいで、X字交差が完成するのだ。歴史の古い片町線が新参路線を乗り越す形にしているのは、貨物列車の走行ルートに極力勾配を入れない配慮だろう。

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(左)ときに貨物列車も通過、JR野江駅にて
(右)新規区間の南端、放出駅
 

放出では3分停車する。その間に隣のホームに片町線の区間快速が到着して、乗客の移動があった。なるほど、この停車は単なる時間調整ではなく、両線の列車を接続させるための待ち時間のようだ。日中は両線とも15分間隔の運行なので、上下ともこうした乗継ぎが可能なダイヤになっている。尼崎駅の絶妙な相互接続のノウハウが、ここにも移植されているとは知らなかった。

放出から先は既存区間だが、11年ぶりに足を踏み入れて、全線通しの初回乗車を楽しんだ。新大阪を発って34分で、電車は終点の久宝寺に到着した。

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久宝寺では奈良行き列車(左側)に同一ホームで接続
 

奈良方面へは、ここで関西本線(大和路線)の列車に接続しているし、先述の直通快速も1日4往復ながら走る(下注)。それで駅貼りのポスターも、「直結!おおさか東線、新大阪に奈良に」をアピールする。とはいえ、新幹線沿線から奈良へは、京都で近鉄奈良線に乗り換えるルートがとうに確立している。西から新大阪止まりの「みずほ」などで来る人も、数少ない直通快速の時刻に合わせて行動する人はほとんどいないに違いない。

*注 直通快速はこれまで放出からJR東西線経由で尼崎へ向かっていたが、おおさか東線全通を機に新大阪へ行先が変更された。

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新大阪と奈良の直結を
アピールするポスター
 

その意味でおおさか東線は、今のところ観光客よりも通勤通学客の期待を背負ってスタートしたと言うべきだろう。新大阪を通る東海道線(JR京都線・神戸線)は、今や私鉄を凌駕して京阪神間の旅客輸送における大動脈となっている。そこに直接接続する意義は大きいし、朝夕混雑を極める大阪駅や梅田駅での乗換えを回避できるのもメリットだ。将来的には、梅田貨物駅跡地で整備中の、いわゆる「うめきた新駅」まで運行が延長される予定だというから、その傾向はさらに強まるだろう。

一方、観光客を呼び込むには、直通快速の利便性向上が鍵になる。しかし、すでに大阪環状線内から大和路快速が15分間隔、京都からのJR奈良線みやこ路快速も30分間隔で走っている。それほどの高頻度ダイヤが、おおさか東線にも適用される日が来るとは思えないのだが。

■参考サイト
淀川橋梁付近の1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.688100/135.563200

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