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2018年12月24日 (月)

オーストリアの1:200,000地形図ほか

オーストリアの地形図体系には、ドイツやスイスのような1:100,000の段階がなく(下注)、1:50,000の次に小さい縮尺図は現在1:250,000だ。ただし、これは最近(2011年)の方針転換によるもので、それまで120年以上の間1:200,000が作られていた。今回は、その沿革をたどってみよう。

*注 なお、1:200,000地形図を単純に2倍拡大した1:100,000地形図(ÖK100V)が、1969年から80年代にかけて刊行されていた。

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1:200,000表紙 左から
中欧一般図 34°48° Wien 1940年(平図につき表題部分を表示)
ÖK200初期 48/16 Wien 1971年
台紙つき 48/14 Linz 1978年
BMN版 48/13 Salzburg 1987年
 

オーストリアで1:200,000図が作られるようになったのは、19世紀後半の測量事業、いわゆる「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme(下注)」のときだ。メートル法の採用により、きりのいい単位の縮尺体系が初めて整備された。1:25,000が測量縮尺(原図)で、それをもとに1:75,000の特別図 Spezialkarte、1:300,000、後に1:200,000の一般図 Generalkarte、さらに1:750,000の地勢図 Übersichtskarte が編集されるという関係だ。

*注 フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量については、「オーストリアの地形図略史-帝国時代」参照。

このうち、一般図については、まず1871~81年に「1:300,000中欧一般図 Generalkarte von Central-Europa(通称 シェーダ図 Scheda-Karte)」が作られ、これとは別に、1879年7月1日付のウィーン軍事地理研究所の告示に基づき、「1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa」が刊行されていった。

当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国は、中央ヨーロッパにおける大国として君臨していたが、1:200,000中欧一般図は他国の資料も用いて、さらに広い地域をカバーした。最終的に265面が完成し、その範囲は、南辺がニースからイスタンブール、北辺がマインツからキエフに及ぶ。それでも、ギリシャ中部や北ドイツに未刊の図葉が残っていた。

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1:200,000中欧一般図の例 34°48° Wien 1940年
image at geographie.ipt.univ-paris8.fr
 

多面体図法で投影され、図郭は緯度、経度とも1度、パリ子午線による(=フェロ島を0度とする)経線と緯線が図郭の中心を通るように設計されている。図番も、経線値と緯線値の組合せであるのがユニークだ。たとえば図番29°47°は、フェロ東経29度線の東西30分と、北緯47度線の南北30分のエリアを含む図葉という意味になる。

地図は黒、茶、青、緑の4色刷で、他国領を含む図葉では国境線を強調する赤が加えられた。当時としては美しい地図で、色の効果により視認性にも優れている。地勢表現はケバ式で、山地はこの茶色の短線でびっしりと覆われる。さらに森林を表す緑(実際はくすんだ青緑)のアミが混ざり合い、独特の沈んだ色調を呈する。

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1:200,000中欧一般図 一部を拡大
 

地図記号では、道路や鉄道といった交通網を表現するものが目立つが、意外なことに、各種建物・施設などの目標物も充実している。たとえば、教会はモスクやシナゴーグを含め5種類、産業施設も石灰工場、製材所、レンガ工場などに細かく分類されている。さすがに1:200,000という縮尺では施設の位置特定までは難しいが、土地の産業構成その他の特色を推測する手がかりになる。

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中欧一般図の凡例の一部
建物・施設や道路が詳細に分類表示されている
 

1918年の帝国解体で、それまでの測量成果は領土を承継した各国政府に引き渡された。新生のオーストリア共和国では、1923年に改組されたBEV(連邦度量衡測量庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)が事業を所管した。

オーストリア領が含まれる1:200,000中欧一般図は23面あり、第二次世界大戦の後も1973年まで更新が続けられた。図式は基本的に変化がないが、後述する新版(ÖK200)と混在していた時期には、主要道路を赤または黄色に塗った道路着色版 mit Straßenaufdruck が刊行されている(下図参照)。

なお、オーストリア領以外の図葉についても、更新はないもののBEVにより再版・頒布されていた。というのも、1989年に鉄のカーテンが開くまで、バルカン半島を含む東欧共産圏の情報は入手しにくく、そのためこれが貴重な地図資料となっていたからだ。

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1:200,000中欧一般図の比較 29°47° Innsbruck
(左)1937年
(右)道路着色版 1972年 道路の着色だけでなく、配色全般の改良が著しい
© BEV, 2018
 

さて、1961年から待望の新図が登場する。これが「1:200,000オーストリア地図 Österreichische Karte (ÖK200) 」で、順次、中欧一般図を置き換えていった。ÖK200は、経度1度、緯度1度の図郭を踏襲しており、同じ23面で全土をカバーする。

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1:200,000索引図
BEV土地測量出版目録1990年版より
 

図番は、度数表示から分数風の表示(29°47°→ 29/47)になったが、図名に使われる地名は帝国時代のままだった。今では他国領となっている都市名もドイツ語が優先で、たとえば、スロベニアのリュブリャーナは Laibach(ライバッハ)、チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェは Budweis(ブドヴァイス)、スロバキアのブラチスラヴァは Preßburg(プレスブルク)などとされている。現地名は、ドイツ語名の後に括弧入りで添えられた。

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図名はドイツ語名優先、現地名を括弧入りで記載
 

ÖK200は、先行して作成された1:50,000(ÖK50)からの編集で、仕様もそれに基づいている。いくらか整理されたとはいえ、基本的な地図記号は中欧一般図から引き継がれた。
しかし、下図で見られるように、地図から受ける印象は旧図とまったく異なる。地勢表現が、ケバ式から等高線とぼかし(陰影)の併用式に変わったからだ。等高線は100m間隔で、緩傾斜地では50m単位の補助曲線が挿入されている。そこへ程良い濃さのぼかしが掛けられ、スイス流の岩場の描写も施された。とりわけアルプスの図葉では、地形の立体感が見事に表現されている。

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1:200,000地形図の例 ÖK200-BMN 47/11 Insbruck 1986年
上掲の中欧一般図と同じ範囲
© BEV, 2018
 

さらに、スポットカラー(特色)印刷にもかかわらず多くの色が使われており、表現の幅が大きく広がった。地名等の注記を黒色、道路・市街地を焦茶色(岩場と同色)と分けたのはドイツ流だ。通常どちらも黒を充てることが多いが、色を変えることで図の雰囲気が重くなるのを抑える効果がある。また、鉄道は黒の実線で描かれるので、密集市街地でも視覚的に埋没することがない。

一方、氷河上の等高線は当初、緑色が使われていた。川や湖などの水部はもちろん青色だから、何らかの意図があっての選択だったのだろう。しかし、1990年代の改訂版では青色に変えられた。

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注記・鉄道と道路・市街地は配色が異なる
ÖK200-BMN 48/13 Salzburg 1988年(2倍拡大)
© BEV, 2018
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氷河上の等高線の色の変化
47/12 Bruneck (左)初期は緑色 1986年
(右)後年は青色 1997年(いずれも2倍拡大)
© BEV, 2018
 

ÖK200は、標準の道路着色版のほか、色による強調を伴わない版 ohne Wegmarkierungs- und Straßenaufdruck と、塗りを省いた4色刷の作業用 4-färbige Arbeitskarte の計3種が提供された。ただし、コンパクトに畳んだ折図は前者のみで、店頭にはこれが並んでいた。

1980年代に入ると、1:50,000と同じように、1:200,000も新たに定義された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に対応する。測地網に基づく 10kmグリッドと座標値が図面に加えられ、バナータイトルの表紙が茶色で印刷された。これを ÖK200-BMN と称した。

しかし、1世紀以上も維持されてきた伝統的図郭は、1999年をもって放棄されることになる。なぜなら、この年、州別に編集された1:200,000の新シリーズ「1:200,000 オーストリア地図(州別図)ÖK200 BLK (Bundesländerkarte)」が刊行されたからだ。

実は、1:200,000州別図はその数年前から、集成図のような形で刊行が始まっていた。カタログによれば、ブルゲンラント州 Burgenland を皮切りに、フォアアールベルク州 Vorarlberg、ケルンテン州 Kärnten、ニーダーエスタライヒ州北部 Niederösterreich-Nord などが出ている。そして1999年からは、各州域を1面に収める全8面の州別図として正式に位置づけられ、それに伴い、従来の区分図(ÖK200-BMN)は廃版となった。

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1:200,000州別図
(左)集成図 Burgenland 1998年(平図につき表題部分を表示)
(右)州別図BLK Tirol 2005年
© BEV, 2018
 

ÖK200 BLK の表紙は橙色で、同国の地形図では初めて風景写真が配されている。また、地図にUTM座標系の10kmグリッドと座標値が記載され、新時代の地形図の体裁が整えられた。

確かに、経緯度で容赦なく切断されている区分図では、見たいエリアが複数面にまたがることがしばしばある。その点、州別図の図郭は行政区分と一致している点が有利だ。ただし、縮尺1:200,000で州全域を収めようとすると、横1m前後の大判用紙が必要になる。そこで、多くの場合、図郭を分割して両面印刷にしてある。扱いやすさを考えればやむを得ない措置だが、州全体を概観するには少し不便だった。

オーストリアの小縮尺図の歴史から見れば、1:200,000州別図は、長らく国内基準で作成されていた地形図が汎ヨーロッパの国際基準へ移行する過渡期の製品と見なすことができるだろう。州別図の更新は2009年で終了する。それとともに1:200,000という縮尺自体が廃止され、BEVの地形図体系は、EU共通の縮尺である1:250,000の採用と展開という新たな段階へ入っていく。

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1:500,000表紙
 

BKGが作成する地形図には、このほか1:500,000 (ÖK500) がある。これは1面で全土をカバーするので、横125cm×縦85cmの大判用紙が使われている。図式は1:200,000の延長線上で、200m間隔の等高線とぼかしを併用し、森林域に緑を面塗りし、主要道路を着色で強調している。少々かさばるサイズだが、オーストリアの地理感覚を養うには格好の地図だ。この地形図版 topographische Ausgabe とは別に、行政区画を塗り分けた行政版 politische Ausgabe も作成されている。

次回は、1:200,000に代わる新しい1:250,000地形図を紹介する。

(2008年10月 2日付「オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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