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2018年12月31日 (月)

オーストリアの新しい1:250,000地形図

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1:250,000地形図表紙
ウィーン 2011年

1:50 000更新停止の断を下したわが国の例を引くまでもなく、官製地形図の印刷物刊行は世界的に見ても縮小傾向にある。デジタルデータで提供するほうが、多様化している利用形態に適応しやすいとか、製作・流通にかかるコストが削減できるといった点で、有利とみなされているのは明らかだ。

しかし、オーストリアの測量局BEV(連邦度量衡測量庁  Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)は、今のところその趨勢に与していない。もともと地形図の種類(縮尺)が少なかったという背景があるとはいえ、基本的な印刷図の提供体制が維持されているからだ。ただし、細部には変化があり、19世紀以来の歴史をもつ1:200,000は最近、新しい1:250,000地形図に置き換えられた。そこで今回は、この新シリーズの内容を見てみよう。

BEVの公式サイトで新たな印刷地図の刊行が告知されたのは、2011年6月8日だった。それはオーストリア全土をカバーする1:250,000地形図で、12面から成るというものだ。当時、さっそくウィーンの地図商フライターク・ウント・ベルント Freytag & Berndt に注文を出して、実物を数点取り寄せた。

新しい地形図は横91cm×縦57.5cmの用紙サイズで、通常折図で販売されている。表紙のシンボルカラーには、1:25,000の緑、1:50,000の青、1:200,000のオレンジに対して紫色があてられ、図名の都市を象徴する風景写真が配されている。地図の図郭は、経度2度×緯度1度の横長サイズ、すなわち旧1:200,000区分図の2面分に相当し、図番は、1:1,000,000(100万分の1)国際図の図郭を基にしたもの(例:ウィーン図葉はNM33-12)になった。

座標系は、UTM(ユニバーサル横メルカトル)系のETRS89に切り替えられている。これで、先行して2002年から刊行されていた1:50,000や1:25,000の新版(ÖK50-UTM、ÖK25-UTM)と、ようやく足並みがそろった。隣接図葉との間に図上2cm程度の重複を持たせ、図の上端と右端が断切り(たちきり)にされ、貼合せの便が図られているのも同じ体裁だ。

旧1:200,000と比べると、地図は淡泊な印象を受ける。その原因は、色や文字書体の使い方にあるだろう。森林を表すアップルグリーンは薄めのトーンにされ、地名注記の書体も細身のものに変えられたからだ。一方、等高線にぼかし(陰影)という地勢の表現方法は踏襲されている。等高線の版は旧1:200,000と同じデータのように見えるが、アルプスなどで広範囲に現われる露岩の描写は新たに書き起こされている。

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1:200,000図(左)と1:250,000図(右)の比較
インスブルック周辺
© BEV, 2011

地図記号で最も目立つ違いは市街地の描写だ。旧1:200,000の場合、黒抹家屋か総描家屋が丁寧に置かれていたが、新図ではローズピンクの面塗りで、外郭線はかなり大雑把、その上に載る市街地の道路網も最小限度しか描かれていない。また、小さな集落は大小の円を用いて、位置を示すにとどまる。

ただしこれは市街地の話で、郊外では、道路番号や区間距離、インターチェンジの名称、サービスエリア、パーキングの位置など、旧1:200,000にはなかった情報の地図記号が追加され、道路地図の要件を付与されている。

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1:250,000 凡例の一部

新1:250,000の刊行が始まった時点では、まだ従来の1:200,000州別図がカタログに残っていた。近似した縮尺の地形図が並行して販売される形になり、唐突感とともに、驚きと戸惑いを覚えたものだ。そのうち1:200,000の記述は消え、1:250,000に一本化されたのだが、なぜ地図の縮尺が変更されたのだろうか。

実のところBEVは、1:200,000の紙地図を刊行する傍ら、ここしばらく1:250,000のデジタルデータベースも作成していたのだ。これには、欧州各国の測量機関が参加するユーロジオグラフィクス EuroGeographics という組織が関係している。そこでは欧州の空間データ基盤のコンポーネントとして、ユーロリージョナルマップ EuroRegionalMap と呼ばれる1:250,000の汎用ベクトルマップが運用されており、参加機関はそれに対して、収集した地理情報データを供給しなければならない。従来1:200,000を維持してきたオーストリアやドイツのような国も例外とはいかず、二重の編集作業を強いられていた。そこでBEVは体制を見直し、印刷図もこのデータベースからの出力、すなわち縮尺1:250,000で刊行することにしたのだ。

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1:250,000索引図

新図にはもう一つ、注目すべき特徴がある。公式サイトの紹介ページにこう書かれている。「(このシリーズは)軍事地理研究所 Institut für Militärisches Geowesen (IMG) の協力を得てBEVによって製作され、民生用であるとともにオーストリア軍の公式軍用地図としても使われる。内務省の国家危機災害対策局 Staatlichen Krisen- und Katastrophenschutzmanagement (SKKM) は、すべての危機対応組織に対して、この地図製品を計画と活動の基本資料として推奨している。」

軍用地図の証拠として、地図記号のなかに、橋梁の重量制限、道路の狭隘個所、桁下制限高、3段階に分類された道路勾配表示といった汎用図には珍しいものが含まれる(下注)。大型あるいは重量のある軍用車両が通行できるかどうかを示すのが目的で、こうした行軍用の情報は、旧社会主義国の地形図におびただしく盛り込まれていたのを思い起こさせる。

*注 道路整備が行き届いているからか、図中でのこうした記号の使用例は、勾配表示を除けばごく少ない。

しかし、紹介文から読み取るかぎり、これは軍事作戦に向けたものというより、国家組織が担う災害救援活動などへの活用を意図しているようだ。地形図を民軍共用にする方針は隣国ドイツも同様で、すでに大半が切り替えられている(下注)。各国で機能統合が進む背景には、電子地図の普及と進化により、印刷図の需要減退に直面している測量局の危機感があるのだろう。

*注 ドイツの1:250,000については、「ドイツの新しい1:250,000地形図」参照。

オーストリアの地形図体系の改革は、欧州基準に準拠した新しい1:250,000の刊行によって、一段落した感がある。1:250,000地形図は3年ごとに更新されると、アナウンスされている。内容が最新に近い状態に保たれることで、印刷地図の実用性が再認識され、需要動向に少しでも変化が現れることを期待したい。

オーストリアの官製地形図は日本のアマゾン等では扱われていないようだ。BEVは通信販売に応じているが、書面での注文になる。ネット経由なら、フライターク・ウント・ベルント Freytag & Berndt の公式サイト https://www.freytagberndt.com/ で全点が揃う。
索引図は、https://www.freytagberndt.com/wanderkarten-blattschnitte/ にある。個々の図葉は、"BEV-Karte" で検索するとよい。

(2011年10月23日付「オーストリアの新しい1:250,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV  http://www.bev.gv.at/
同サイトの記事「新しいBEVの地図製品:オーストリア1:250,000地形図」
Neues Kartenwerk des BEV: Österreichische Karte 1:250 000 (ÖK250)
http://www.bev.gv.at/portal/page?_pageid=713,2168919&_dad=portal&_schema=PORTAL

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2018年12月24日 (月)

オーストリアの1:200,000地形図ほか

オーストリアの地形図体系には、ドイツやスイスのような1:100,000の段階がなく(下注)、1:50,000の次に小さい縮尺図は現在1:250,000だ。ただし、これは最近(2011年)の方針転換によるもので、それまで120年以上の間1:200,000が作られていた。今回は、その沿革をたどってみよう。

*注 なお、1:200,000地形図を単純に2倍拡大した1:100,000地形図(ÖK100V)が、1969年から80年代にかけて刊行されていた。

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1:200,000表紙 左から
中欧一般図 34°48° Wien 1940年(平図につき表題部分を表示)
ÖK200初期 48/16 Wien 1971年
台紙つき 48/14 Linz 1978年
BMN版 48/13 Salzburg 1987年

オーストリアで1:200,000図が作られるようになったのは、19世紀後半の測量事業、いわゆる「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme(下注)」のときだ。メートル法の採用により、きりのいい単位の縮尺体系が初めて整備された。1:25,000が測量縮尺(原図)で、それをもとに1:75,000の特別図 Spezialkarte、1:300,000、後に1:200,000の一般図 Generalkarte、さらに1:750,000の地勢図 Übersichtskarte が編集されるという関係だ。

*注 フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量については、「オーストリアの地形図略史-帝国時代」参照。

このうち、一般図については、まず1871~81年に「1:300,000中欧一般図 Generalkarte von Central-Europa(通称 シェーダ図 Scheda-Karte)」が作られ、これとは別に、1879年7月1日付のウィーン軍事地理研究所の告示に基づき、「1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa」が刊行されていった。

当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国は、中央ヨーロッパにおける大国として君臨していたが、1:200,000中欧一般図は他国の資料も用いて、さらに広い地域をカバーした。最終的に265面が完成し、その範囲は、南辺がニースからイスタンブール、北辺がマインツからキエフに及ぶ。それでも、ギリシャ中部や北ドイツに未刊の図葉が残っていた。

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1:200,000中欧一般図の例 34°48° Wien 1940年
image at geographie.ipt.univ-paris8.fr

多面体図法で投影され、図郭は緯度、経度とも1度、パリ子午線による(=フェロ島を0度とする)経線と緯線が図郭の中心を通るように設計されている。図番も、経線値と緯線値の組合せであるのがユニークだ。たとえば図番29°47°は、フェロ東経29度線の東西30分と、北緯47度線の南北30分のエリアを含む図葉という意味になる。

地図は黒、茶、青、緑の4色刷で、他国領を含む図葉では国境線を強調する赤が加えられた。当時としては美しい地図で、色の効果により視認性にも優れている。地勢表現はケバ式で、山地はこの茶色の短線でびっしりと覆われる。さらに森林を表す緑(実際はくすんだ青緑)のアミが混ざり合い、独特の沈んだ色調を呈する。

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1:200,000中欧一般図 一部を拡大

地図記号では、道路や鉄道といった交通網を表現するものが目立つが、意外なことに、各種建物・施設などの目標物も充実している。たとえば、教会はモスクやシナゴーグを含め5種類、産業施設も石灰工場、製材所、レンガ工場などに細かく分類されている。さすがに1:200,000という縮尺では施設の位置特定までは難しいが、土地の産業構成その他の特色を推測する手がかりになる。

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中欧一般図の凡例の一部
建物・施設や道路が詳細に分類表示されている

1918年の帝国解体で、それまでの測量成果は領土を承継した各国政府に引き渡された。新生のオーストリア共和国では、1923年に改組されたBEV(連邦度量衡測量庁  Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)が事業を所管した。

オーストリア領が含まれる1:200,000中欧一般図は23面あり、第二次世界大戦の後も1973年まで更新が続けられた。図式は基本的に変化がないが、後述する新版(ÖK200)と混在していた時期には、主要道路を赤または黄色に塗った道路着色版 mit Straßenaufdruck が刊行されている(下図参照)。

なお、オーストリア領以外の図葉についても、更新はないもののBEVにより再版・頒布されていた。というのも、1989年に鉄のカーテンが開くまで、バルカン半島を含む東欧共産圏の情報は入手しにくく、そのためこれが貴重な地図資料となっていたからだ。

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1:200,000中欧一般図の比較 29°47° Innsbruck
(左)1937年
(右)道路着色版 1972年 道路の着色だけでなく、配色全般の改良が著しい
© BEV, 2018

さて、1961年から待望の新図が登場する。これが「1:200,000オーストリア地図 Österreichische Karte (ÖK200) 」で、順次、中欧一般図を置き換えていった。ÖK200は、経度1度、緯度1度の図郭を踏襲しており、同じ23面で全土をカバーする。

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1:200,000索引図
BEV土地測量出版目録1990年版より

図番は、度数表示から分数風の表示(29°47°→ 29/47)になったが、図名に使われる地名は帝国時代のままだった。今では他国領となっている都市名もドイツ語が優先で、たとえば、スロベニアのリュブリャーナは Laibach(ライバッハ)、チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェは Budweis(ブドヴァイス)、スロバキアのブラチスラヴァは Preßburg(プレスブルク)などとされている。現地名は、ドイツ語名の後に括弧入りで添えられた。

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図名はドイツ語名優先、現地名を括弧入りで記載

ÖK200は、先行して作成された1:50,000(ÖK50)からの編集で、仕様もそれに基づいている。いくらか整理されたとはいえ、基本的な地図記号は中欧一般図から引き継がれた。
しかし、下図で見られるように、地図から受ける印象は旧図とまったく異なる。地勢表現が、ケバ式から等高線とぼかし(陰影)の併用式に変わったからだ。等高線は100m間隔で、緩傾斜地では50m単位の補助曲線が挿入されている。そこへ程良い濃さのぼかしが掛けられ、スイス流の岩場の描写も施された。とりわけアルプスの図葉では、地形の立体感が見事に表現されている。

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1:200,000地形図の例 ÖK200-BMN 47/11 Insbruck 1986年
上掲の中欧一般図と同じ範囲
© BEV, 2018

さらに、スポットカラー(特色)印刷にもかかわらず多くの色が使われており、表現の幅が大きく広がった。地名等の注記を黒色、道路・市街地を焦茶色(岩場と同色)と分けたのはドイツ流だ。通常どちらも黒を充てることが多いが、色を変えることで図の雰囲気が重くなるのを抑える効果がある。また、鉄道は黒の実線で描かれるので、密集市街地でも視覚的に埋没することがない。

一方、氷河上の等高線は当初、緑色が使われていた。川や湖などの水部はもちろん青色だから、何らかの意図があっての選択だったのだろう。しかし、1990年代の改訂版では青色に変えられた。

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注記・鉄道と道路・市街地は配色が異なる
ÖK200-BMN 48/13 Salzburg 1988年(2倍拡大)
© BEV, 2018
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氷河上の等高線の色の変化
47/12 Bruneck (左)初期は緑色 1986年 (右)後年は青色 1997年(いずれも2倍拡大)
© BEV, 2018

ÖK200は、標準の道路着色版のほか、色による強調を伴わない版 ohne Wegmarkierungs- und Straßenaufdruck と、塗りを省いた4色刷の作業用 4-färbige Arbeitskarte の計3種が提供された。ただし、コンパクトに畳んだ折図は前者のみで、店頭にはこれが並んでいた。

1980年代に入ると、1:50,000と同じように、1:200,000も新たに定義された連邦測地網  Bundesmeldenetz (BMN) に対応する。測地網に基づく 10kmグリッドと座標値が図面に加えられ、バナータイトルの表紙が茶色で印刷された。これを ÖK200-BMN と称した。

しかし、1世紀以上も維持されてきた伝統的図郭は、1999年をもって放棄されることになる。なぜなら、この年、州別に編集された1:200,000の新シリーズ「1:200,000 オーストリア地図(州別図)ÖK200 BLK (Bundesländerkarte)」が刊行されたからだ。

実は、1:200,000州別図はその数年前から、集成図のような形で刊行が始まっていた。カタログによれば、ブルゲンラント州 Burgenland を皮切りに、フォアアールベルク州 Vorarlberg、ケルンテン州 Kärnten、ニーダーエスタライヒ州北部 Niederösterreich-Nord などが出ている。そして1999年からは、各州域を1面に収める全8面の州別図として正式に位置づけられ、それに伴い、従来の区分図(ÖK200-BMN)は廃版となった。

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1:200,000州別図
(左)集成図 Burgenland 1998年(平図につき表題部分を表示)
(右)州別図BLK Tirol 2005年
© BEV, 2018

ÖK200 BLK の表紙は橙色で、同国の地形図では初めて風景写真が配されている。また、地図にUTM座標系の10kmグリッドと座標値が記載され、新時代の地形図の体裁が整えられた。

確かに、経緯度で容赦なく切断されている区分図では、見たいエリアが複数面にまたがることがしばしばある。その点、州別図の図郭は行政区分と一致している点が有利だ。ただし、縮尺1:200,000で州全域を収めようとすると、横1m前後の大判用紙が必要になる。そこで、多くの場合、図郭を分割して両面印刷にしてある。扱いやすさを考えればやむを得ない措置だが、州全体を概観するには少し不便だった。

オーストリアの小縮尺図の歴史から見れば、1:200,000州別図は、長らく国内基準で作成されていた地形図が汎ヨーロッパの国際基準へ移行する過渡期の製品と見なすことができるだろう。州別図の更新は2009年で終了する。それとともに1:200,000という縮尺自体が廃止され、BEVの地形図体系は、EU共通の縮尺である1:250,000の採用と展開という新たな段階へ入っていく。

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1:500,000表紙

BKGが作成する地形図には、このほか1:500,000 (ÖK500) がある。これは1面で全土をカバーするので、横125cm×縦85cmの大判用紙が使われている。図式は1:200,000の延長線上で、200m間隔の等高線とぼかしを併用し、森林域に緑を面塗りし、主要道路を着色で強調している。少々かさばるサイズだが、オーストリアの地理感覚を養うには格好の地図だ。この地形図版 topographische Ausgabe とは別に、行政区画を塗り分けた行政版 politische Ausgabe も作成されている。

次回は、1:200,000に代わる新しい1:250,000地形図を紹介する。

(2008年10月 2日付「オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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2018年12月17日 (月)

オーストリアの1:50,000地形図

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グロースグロックナー山周辺の1:50,000地形図
BMN版 153 Großgrockner 1985年
© BEV, 2018

上の図は、オーストリアの1:50,000旧版(ÖK50-BMN)で最も美しい図葉の一つ、図番153「グロースグロックナー Großglockner」の一部だ。図郭の中央に、グロックナー山脈 Glocknergruppe の骨格部分が来る(下注)。同国最高峰、標高 3,798mのグロースグロックナーから同 3,203mのキッツシュタインホルン Kitzsteinhorn にかけて、険しい山並みとその間を覆う銀白色の氷河群との対比がすばらしい。

*注 惜しいことに、現行版 ÖK50-UTM(NL33-01-27 Großglockner)では図郭の区切りが変更され、山脈は左端に移っている。

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1:50,000表紙 左から
「ハイキング地図」カバー 118 Innsbruck 1970年
台紙つき 148 Brenner 1979年
BMN版 153 Großgrockner 1985年

さて、その1:50,000は現在、オーストリアの地形図体系で基本図のように扱われている。しかし、昔からそうだったわけではない。全国をカバーしたのは比較的遅くて、20世紀後半に入ってからだ。

1:50,000オーストリア地図 Österreichische Karte の刊行は、1924年すなわちBEVの改組発足の翌年に開始されている。しかし、1938年のアンシュルス Anschluss(ナチスドイツによる併合)までに完成したのは、わずか18面だった。同時期に行われていた1:25,000の整備に比べて、優先度がより低かったのは疑いない。

第二次世界大戦が終結すると、復興計画を推進するために地図の必要性は一層高まった。そこで、既存の1:75,000特別図 Spezialkarte を1:50,000に写真拡大することで、当座をしのぐことになった。1:75,000特別図というのは、いわゆるフランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme で、原図から編集された帝国時代の公開用地形図だ。1872年に刊行が始まり、共和国になってからも引き続き第二次大戦まで更新が続けられていたので、実質的に1:50,000の前身ということができる。

*注 1:75,000特別図については、「オーストリアの地形図略史-帝国時代」でも言及している。

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1:75,000特別図の例 5352 Klagenfurt 1915年

このような経緯で生まれたのが、「1:50,000暫定版オーストリア地図 Provisorische Ausgabe der Österreichischen Karte(1945~70年)」だ。もとになった特別図は一部の図葉を除き墨1色だったが、これは水部を青色に変え、森林域をアップルグリーンで塗って、3色刷としている。1:50,000暫定版は1945年に刊行が始まり、徐々に正規版に置き換えられたとはいえ、最終的に1970年まで残っていた。

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1:50,000暫定版 202 Klagenfurt 1946年訂補
1:75,000(上図)を拡大して3色化したもの
image at BEV

それと並行して、正規の「1:50,000オーストリア地図 Österreichische Karte (略称 ÖK50)」の作成も進められた。1959年に1:25,000の作成が中止され、1:50,000に集中できる環境が整ったこともあるだろう。手持ちの地図で図歴を確かめると、1950年代後半から70年代にかけて、毎年10面前後の新刊があったようだ。この1:50,000(現行版と対比する意味で、以下旧版と呼ぶ)は、緯度15分、経度15分で区切った縦長の図郭で、計213面で全土をカバーした。

また、ドイツのように、一つの図葉に対して内容の異なる数種の版が提供されていたことも注目される。店頭に並んでいたのは、主にハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen  だ。これは、山野歩きのために、ハイキングルート(トレール)Wanderweg の記号に赤線を沿わせ、山小屋などを円で囲んで強調してある。ただ、情報としては必要最小限で、山岳地図のような詳細な記号設定はなかった。

ほかに、車が通る主要道を赤と黄色で塗り分けた道路着色版 mit Straßenaufdruck や、色による強調を伴わない版 ohne Wegmarkierungs- und Straßenaufdruck、塗りを省いた3色刷の作業用 3-färbige Arbeitskarte があった。

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二種の版の違い (左)ハイキングルート強調版 (右)道路着色版
いずれも 148 Brenner 1992年
© BEV, 2018

販売形式にも、コンパクトに畳んだ折図と、畳まないいわゆる平図の2通りが用意された。ハイキングルート強調版は折図が主流で、1960~70年代に「ハイキング地図 Wanderkarte」と書かれたハードカバーがつけられていた。その後は、野外の持ち運びを想定した透明ケースに入れ、台紙代わりの索引図を付けたスタイルになった。一方、他の3種は平図のみで、店頭で見かけることはまずなかった。

1980年代に入ると、変化が現れる。1984年に導入された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に基づき、1:50,000地形図にも、2kmグリッドと座標値が付加されることになったからだ。同時に、用紙の裏面を利用して、索引図や平面直角座標の求め方などとともに、初めて表紙が印刷された。スイスのそれに倣ったいわゆるバナータイトル Balkentitel(帯状の題名表示)だ。地図用紙に、細かいエンボス加工を施した光沢紙を使うのも独特だった。

この形の旧版は1999年で更新が中止され、2002年から順次、新版に置き換えられていった。旧版は連邦測地網にちなんで略称 ÖK50-BMN、新版はUTM(ユニバーサル横メルカトル)座標系のETRS89に拠るので ÖK50-UTM として区別する。

UTM座標系への移行は、オーストリアが1995年に参加したNATOの「平和のためのパートナーシップ Partnership for Peace (PfP)」計画と密接に関連している。PfPは、冷戦終結後の中・東欧地域で政治的安定を図るために、NATOと各加盟国間でインターオペラビリティ(相互運用性)を向上させることが一つの目標になっていた。そのために参加国は、軍用地図の共通基準として、UTM座標系の採用を義務付けられた。オーストリアの軍用地図は1:50,000地形図データ(ÖK50)から編集されているため、その影響が民生用地形図にも及んだのだ。

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1:50,000 UTM版表紙
(左)3227 Großgrockner 2002年
(右)民軍兼用 NL33-02-12 Mürzzuschlag 2014年

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1:50,000索引図の一部
BMN版の図郭が青で、UTM版の図郭が黒で示されている

新版ÖK50-UTM は全191面で、2010年に全土をカバーした。旧版に倣って、ハイキングルート強調版と道路着色版の2種の版がある。座標系切り替えに伴い、図郭や地図の体裁も再設計されて、旧版とは一線を画している。まず、図郭は経度20分×緯度12分のやや横長形(下注)で、1:250,000図郭を横5等分、縦6等分したものだ。用紙もそれに合わせて横長になり、扱いやすくなった。

*注 本来の図郭より経緯度とも1分(図上2cm程度)拡張して、隣接図との重複を持たせてある。

図番も旧版のように完全な連番ではなく、4桁の数字を用いる(例 4212)。上2桁が、属する1:250,000図郭の図番、下2桁はその中での連番、すなわち左上の01から右下の30までのいずれかを表す。地図には赤色でUTM座標値と1kmグリッドが入れられたが、移行期間を考慮して旧BMN座標も青色で残された。

また、凡例や説明文がドイツ語と英語の併記になったのも好感が持てる。国際的な観光国にもかかわらず、旧版の表記はドイツ語のみで、外国人が使うことをあまり考慮していなかったからだ。

時代とともに改良されてきた1:50,000だが、最新の仕様変更は2011年に実施された。今回は、軍用地図と兼用するための追加仕様を伴うもので、裏表紙の奥付に、軍用地図を所管している軍事地理研究所 Institut für Militarisches Geowesen (IMG) との協力をうたう記載がある。

表紙には、軍用地図で使われる1:1,000,000(100万分の1)国際図の図郭を基にした図番(例 NL33-02-12)が大きく表示され、従来の4桁図番は右上にあるものの目立たなくなった(下注)。また、地図記号に病院、薬局、軍用地の境界、軍司令部が追加されたのも、目的は同じだ。しかし、これらは直接軍事作戦に向けたものというより、軍が担う災害救援活動などへの活用を意図しているに相違ない。

*注 国際図図郭を基にした図番は国際図番 internationale Blattnummer、4桁図番は国内図番 nationale Blattnummer と呼んで区別されている。国際図番は2002年図式にも見られるが、今とは逆に、図枠の右下で目につかなかった。

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UTM版(民軍兼用)の例 病院と薬局の記号を追加
NL33-01-10 Hallein 2012年
© BEV, 2018

改良点はほかにもある。前回も述べたが、隣接図との貼り合わせに便利なように、地図の上端と右端が製本でいう断切り(たちきり)にされた。また、ハイキングルート強調版と道路着色版の区別が廃止され、図式はそれをミックスしたものになった。これに伴い、ハイキングルートの強調色は、アウトバーン(高速自動車道)の塗りとの混同を避けて緑色に変えられ、同系色である森林のアップルグリーンが薄めの色調にされた。

一方、地図の表紙にはカラーの風景写真が配され(下注)、官製地形図にありがちな堅いイメージからの脱皮が試みられている。地図の更新間隔は6年とされているので、すでに全図葉がこの最新仕様に入れ替わったはずだ。

*注 1960~70年代の「ハイキング地図」カバーのイラストは別として、同国の地形図表紙に風景写真が見られるのはおそらく1:200,000州別図(1999~2009年)が最初。

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同 ハイキングルートの強調色は緑に変更 NL33-02-12 Mürzzuschlag 2014年
© BEV, 2018

お隣のドイツでは、編集作業のデジタル化に伴い、地形図図式が大きく変貌(むしろ劣化)して地図ファンの失望を誘ったが、幸いオーストリアの場合、図式の改訂は小規模なものにとどまっている。冒頭のグロースグロックナー山で見たように、この国が誇る雄大で変化に富んだアルプスの地形が、アナログ時代と同じように楽しめるのは喜ばしいことだ。

次回は1:200,000を紹介する。

(2008年9月25日付「オーストリアの1:50,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの地形図略史-帝国時代
 オーストリアの1:25,000地形図
 オーストリアの1:200,000地形図ほか
 オーストリアの旅行地図-フライターク&ベルント社
 オーストリアの旅行地図-コンパス社
 オーストリアの旅行地図-アルペン協会

 ドイツの1:50,000地形図
 スイスの1:50,000地形図

2018年12月10日 (月)

オーストリアの1:25,000地形図

第一次世界大戦末期の1918年、オーストリア=ハンガリー二重帝国は瓦解し、オーストリア共和国が誕生した。1921年には連邦測量庁 Bundesvermessungsamt が設立され、帝国時代の測量業務を引き継いだ。そして1923年に度量衡業務部門と合体して、今も存続するBEV(連邦度量衡測量庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)」に改組された。

これから数回にわたり、BEVが作成しているオーストリアの地形図体系を縮尺別に見ていこう。まずは1:25,000から。

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1:25,000表紙 左から
オリジナル版 63/4 Salzburg 1954年(平図につき表題部分を表示)
BMN版 148 Brenner 1996年
UTM版 4204-Ost Ötscher 2008年
UTM版(民軍兼用) NL33-01-11 West Wolfgangsee 2014年

官製地形図の体系を、日本、ドイツ、スイスと比較したのが下表だ。1:25,000は多くの国で基本的な汎用図と位置づけられているのだが、ご覧の通り、オーストリアのそれはオリジナルではなく、1:50,000を単純に2倍拡大した、いわゆる「でか字」バージョンに過ぎない。国土の3/4が山岳地帯で、難易度もさまざまなトレール(登山道、自然歩道)が縦横無尽に走り、潜在需要は十分にあると思われるにもかかわらず、地形図の品揃えは見劣りがする。

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地形図体系の比較

しかし、かつてはオリジナルの1:25,000地形図(「1:25,000オーストリア地図 Österreichische Karte」、略称 ÖK25)が存在した。BEVが改組発足した1923年にさっそく刊行が開始されている。手持ちの図葉で内容を見てみよう。図郭は1:50,000のそれを縦横2等分しており、経度緯度とも7分30秒、5色刷りで、黒のほか、等高線に茶、水部に紺(輪郭)とライトブルー(面塗り)、森林にアップルグリーンという配色だ。

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1:25,000オリジナル版の例 201-3 Villach 1955年
image at BEV
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一部を拡大

等高線間隔は20mで、この縮尺としては粗いほうだが、緩傾斜地には10mまたは5mの補助曲線が挿入されている。市街地の描写では、スイスの地形図とも通じ合う几帳面な表現が見られる一方、山地では、現行図との精度の差が明らかになる。

たとえば下図は、左がオリジナル版、右が現行版(1:50,000の2倍拡大版)で、場所はザルツカンマーグートのシャーフベルク山 Schafberg だ。等高線は同じ20m間隔だが、枠で囲んだ個所は両者の描写の差が際立つ。山頂から南に広がる緩斜面は、左(オリジナル版)のほうがだいぶ広い。一方、山頂の南にある東西の谷は、左のほうが狭まったように描かれている。空中写真測量の現行版に対して、地上写真測量と平板測量の併用で作られたオリジナル版の限界がこのあたりに窺える。

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オリジナル版と現行(1:50,000の2倍拡大)版の比較
(左)65/3 Montsee 1955年版 (右)ÖK25V 3211West Wolfgangsee 2014年版
© BEV, 2018

BEVは1959年、作業を加速させるという理由で、整備する地形図の縮尺を1:50,000に変更した。それに伴い、1:25,000の作成を中止し、刊行済みの図葉についても廃版とした(下注)。

*注 その後もBEVは要望に応じて在庫品(在庫切れのものは複写)の頒布を行ってきたが、廃版図には Nicht nachgeführt !(更新されていないの意)と朱色で加刷されている。

このとき、オリジナル版はまだ、全土の1/3に当たる219面しか完成していなかった。オーストリアの国土面積は北海道とほぼ同じ(下注)なので、中間に第二次世界大戦を挟むとはいえ、36年かけてこれでは確かにペースが遅い。帝国解体で産業地帯と後背地を一度に喪失したオーストリアは、長らく不況に苦しんだ。緊縮財政がBEVの事業予算にも影響を及ぼしていたに違いない。

*注 オーストリア 83,870平方km、北海道 83,423平方km(北方四島を含む)。

この措置に伴い、代用品として作られたのが、縮尺1:50,000のハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen(下注)の2倍拡大版だ。Vergrösserung(拡大)を意味する V を付して、「1:25,000 V オーストリア地図 Österreichische Karte(略称 ÖK25V)」と称する。図郭は1:50,000と同じく経度緯度とも15分のため、そのままでは4倍大の用紙が必要になる。そこで、かさばらないように図を上下に分割して(若干の重複あり)、両面刷りとした。

*注 1:50,000は一つの図葉に対して、ハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen と道路着色版 mit Straßenaufdruck など数種類が作成されていたが、1:25,000 V はハイキングルート強調版のみの刊行だった。

いつごろこの版が現れたのかは資料がなく不明だが、カタログの情報を総合すると、2003年までに200面が刊行されている。元の1:50,000は全213面のシリーズだ。作られなかった13面は、自国領が図郭にほとんど入らない図葉ばかりで、ニーズがないと見なされたのだろう。

拡大版で代用するのは、やや手抜きの印象を与えるかもしれない。しかし、実際にオーストリアの1:50,000図、つまり拡大する前の版で山野を歩こうとすると、描写が細か過ぎて野外では見づらいことに気づく。2倍拡大版であれば注記文字が大きく、地形の細部もしっかり読み取れる。上掲のようにオリジナル版と並べても、等高線間隔が両者同じで、元の1:50,000図がそれなりに精密に作られているため、違いが目立たないのだ。

世紀が変わるタイミングで、オーストリアの地形図にまた顕著な変化が見られた。それは依拠する座標系の切り替えによる。それまで地形図に掲載されていた座標値とグリッドは、1984年に定義された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に基づくものだったが、国際標準のUTM(ユニバーサル横メルカトル)座標系への切り替えを機に、地図の体裁もがらりと変わった。旧来の版は1999年で更新が終了し、2002年から新版が順次刊行されていった。座標系切替えの事情については次回詳述するが、新旧が混在するため、前者を ÖK25V-BMN、後者を ÖK25V-UTM と呼んで区別した。

このUTM版も1:50,000を2倍拡大したもので、両面印刷の形式にも変化がない。ただし、1:50,000の図郭が縦長から横長に変更されたので、1:25,000の図郭はこれを東西に二分割したものになった。それにより総数も356面に増えた。

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座標値とグリッド ÖK25V 4204-Ost Ötscher 2008年版
橙(512000mE など)はUTM座標、外側の青字(662など)はBMN座標
なお、現行版ではBMN座標が省かれている
© BEV, 2018

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1:25,000索引図の一部
BMN版の図郭が青で、UTM版の図郭が黒で示されている

その後、2011年に再び仕様変更があった。その一つは、図の上端と右端が製本でいう断切り(たちきり)にされたことで、隣接図との重複部分ができて使いやすくなった。また、従来のハイキングルート強調版と道路着色版をミックスした仕様となり、ハイキングルートに付す色は赤から緑に変わった。

廃版となって久しい1:25,000オリジナル版だが、実はごく一部ながら、いまだ現役で使われている。最後にそれを紹介しておこう。

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シュネーベルク及びラックス
1993年版表紙

一つは、BEVが刊行する1:25,000集成図「シュネーベルク及びラックス Schneeberg und Rax」で、今なお更新が継続されている唯一の公式1:25,000図だ。もちろん現行版は、1993年に空中写真測量の成果によって描き直されている。シュネーベルクもラックスも首都ウィーンの南西に位置し、トレッキングには手ごろな山地だ。ウィーナー・ハウスベルゲ Wiener Hausberge と呼ばれ、市民にとって身近なエリアなので、常に一定の需要があるのだろう。それに、1:50,000やそれを拡大した1:25,000 V の場合、何面かに分割されてしまうのも、存続理由に違いない。同じ範囲の1:50,000と比べてみたのが下図だが、さすがに表現力や見やすさに格段の差がある。

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(左)1:25,000集成図 シュネーベルク及びラックス Schneeberg und Rax 1993年版
(右)同じ範囲の1:50,000 ÖK25V 3211-West Wolfgangsee 2014年版
© BEV, 2018

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アルペン協会地図
表紙

もう一つの現役図は、「アルペン協会地図 Alpenvereinskarte」だ。これはドイツとオーストリアのアルペン協会 Alpenverein の関連事業で刊行されているものだが、シリーズの一部に、かつての1:25,000オリジナル版をベースマップとしているものがある。こちらは、数十年以上も前の図版で、経年変化に伴う改訂を施しながら丁寧に使い続けられている。登山の必携品だったBEVの1:25,000廃止を惜しむ協会員の声が聞こえてくるようだ。

*注 アルペン協会地図については「オーストリアの旅行地図-アルペン協会」で詳述している。

次回は1:50,000を紹介する。

(2008年10月 2日付「オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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 オーストリアの地形図略史-帝国時代
 オーストリアの1:50,000地形図
 オーストリアの1:200,000地形図ほか
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 オーストリアの旅行地図-コンパス社
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 ドイツの1:25,000地形図
 スイスの1:25,000地形図
 スイスの新しい1:25,000地形図
 リヒテンシュタインのハイキング地図

2018年12月 6日 (木)

オーストリアの地形図略史-帝国時代

プロイセンのザクセン侵攻から始まったいわゆる七年戦争は、ヨーロッパ諸国を巻き込んだ長い戦いになった。その中でオーストリアは、プロイセンに占領されていたシュレージエン(シレジア)Schlesien の奪回を目論んだのだが、果たせないまま1763年に講和に臨まなければならなかった。

戦時中、軍部の指導者は、作戦の立案と実行に際して、自国領土を描く詳しい地図の必要性を痛感していた。それまで地図作成といえば各地の領主の仕事で、所有地の記録に添えて提出する見取図のレベルだったからだ。終戦の翌年(1764年)、女大公マリア・テレジアの承認のもと、宮廷参謀会議は、参謀本部による包括的な土地測量に必要な命令を出した。

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「ヨーゼフ皇帝の土地測量」彩色原図 ウィーン市街と西郊
image at wikimedia

これが、オーストリアで全国規模の土地測量が実施されることになったいきさつだ。1918年に帝国が解体されるまでの約150年間に、こうした土地測量が4回実施されており、それぞれ当時の大公・皇帝の名を冠して呼ばれている。初回の事業には20年以上の期間を要し、1785年、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世の時代にようやく完成したので、「ヨーゼフ皇帝の土地測量 Josephinische Landesaufnahme(あるいは第1回土地測量 Erste Landesaufnahme)」の名がある。

測量原図は、図上の長さ1ツォル Zoll が実長400クラフター Klafter になる縮尺(下注)で作られた。分数表示ではほぼ1:28,800になる。まだ三角網が構築されていないため、位置関係は正確でなく、ケバ式による地勢表現もスケッチの域を出ていない。しかし、市街地や道路・水路網はもとより、耕地、牧草地、葡萄園、沼地、森林など、産業革命前夜の土地景観が手彩色で明瞭に描かれている。これらは、軍の測量官が馬で現地を調査して丹念に写し取ったものだ。

*注 ツォル(英語圏のインチに相当)、クラフターともドイツ語圏で広く使われていた単位だが、地域によって基準が異なり、ウィーンでは1ツォル=2.634cm、1クラフター=1.8965 mだった。

地図の総数は3,589面(後に4,096面に拡大)にのぼり、オーストリア、ボヘミア、ハンガリー、ネーデルラントなどハプスブルク家の承継地があまねく含まれた(下注)。この原図4面から、縮尺約1:115,200の地図も編集されている。

*注 オーストリア領ネーデルラント Österreichische Niederlande は、現在のベルギー西部やルクセンブルクに相当する地域。なお、チロル Tirol については、別途1774年に、縮尺1:103,800の地図集成「アトラス・ティロレンシス Atlas Tirolensis」が作られた。

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「ヨーゼフ皇帝の土地測量」彩色原図 グログニッツ Gloggnitz 周辺
image at wikimedia

■参考サイト
Europe in the XVIII. century
https://mapire.eu/en/map/europe-18century-firstsurvey/
 ヨーゼフ皇帝の土地測量(第1回土地測量)の彩色原図が見られる

オーストリアのハプスブルク家が皇帝を世襲する神聖ローマ帝国はとうに形骸化していたが、ナポレオン台頭の煽りを受けて、1806年に完全消滅した。帝国解散を宣言したのがフランツ1世(神聖ローマ皇帝としてはフランツ2世)で、その治世に、新たなオーストリア帝国の領土をカバーする地図作成事業が始まった。これが「フランツ皇帝の土地測量 Franziszeische Landesaufnahme」と呼ばれる第2回土地測量 Zweite Landesaufnahme(1807~29年)だ。

作業に先立ち、専門機関として1806年、参謀本部に地形図製作所 Topographische Anstalt が設置された。これが1839年に軍事地理研究所 Militärgeographische Institut に改組されて、第一次世界大戦の終結まで軍用地図の作成機関となる。

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「フランツ皇帝の土地測量」彩色原図 グラーツ市街
image at mapire.eu

この土地測量が第1回と違うのは、地図作成にあたって三角測量法が導入されたことだ。また、時期を同じくして、土地税評価の統一基準を確立するために地籍測量(「フランツ皇帝の地籍測量 Franziszeischer Kataster」と呼ばれる)が実施されており、この成果も取り込まれた。これらにより、地図の精度が格段に向上し、土地利用景の描写が詳細になった。また、ケバの描き方も目に見えて改良されている。

縮尺は前回と同じく、実長1クラフターが図上1ツォルで表される1:28,800だ。図葉数は3,300を超え、この成果から1:144,000特別図 Spezialkarte、1:288,000一般図 Generalkarte が編集された。この編集図は軍用にとどまらず、公開の扱いとされたことも特筆される。

その後、更新作業が進められ、一部の図葉には鉄道路線などの経年変化が描き加えられた。しかし、最終的にハンガリー、ジーベンビュルゲン Siebenbürgen(現 ルーマニア中部トランシルヴァニア地方)、ガリツィア Galizien(現 ウクライナ南西部)などは未着手のまま、新たな測量事業(第3回)に引き継がれた。

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「フランツ皇帝の土地測量」彩色原図 ランツベルク Landsberg 周辺
image at wikimedia

■参考サイト
Europe in the XIX. century
https://mapire.eu/en/map/europe-19century-secondsurvey/
 フランツ皇帝の土地測量(第2回土地測量)の彩色原図が見られる

1867年、オーストリアとハンガリーの和協(アウスグライヒ Ausgleich)がまとまる。オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねて外交、軍事、財政を司るものの、内政はそれぞれの自治政府が執り行うという、新たな政治体制の始まりだった。

これがいわゆるオーストリア=ハンガリー二重帝国で、後に国父と称されて国民に親しまれたフランツ・ヨーゼフ1世の治世とほぼ重なる。その時代の前半に、第3回土地測量である「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme」(1869~87年)が実施されている。

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「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」 1:25,000彩色原図 グラーツ市街周辺
上掲フランツ皇帝の土地測量に比べると、絵図から記号図への進化が見て取れる
image at wikimedia

この事業は、測地系の確立、高度基準の設定、メートル法や等高線の採用など、近代地形図の必要条件を具備した点が重要だ。

まず測地系は、パリ子午線から起算された1867年欧州測地調査 Europäische Gradmessung による基準網(下注)が用いられている。これをもとに新たな三角測量が実施され、地図の骨格が整えられた。

*注 パリ子午線は、グリニッジ子午線が採用される以前に広く用いられていた基準。旧世界で西端とみなされた大西洋カナリア諸島のフェロ島(エル・イエロ El Hierro 島)を通る子午線を0度(本初子午線)とし、パリ天文台を通る子午線を東経20度と定義した。グリニッジ経度からの換算式は、フェロ経度=グリニッジ経度+17度40分。

高度の基準は、当時オーストリア領だったアドリア海岸のトリエステ(ドイツ語名トリースト Triest)とリエカ(ドイツ語名ザンクト・ファイト・アム・フラウム Sankt Veit am Flaum、イタリア語名フィウーメ Fiume)の平均海面とされた。オーストリアは1871年にメートル法を採用したので、この事業では全面的にメートル単位が使用されている。それに伴い、測量図の縮尺もきりのいい1:25,000になった。

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「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」1:25,000図の索引図(一部)
左下に öst. L. v. Ferro(=östlich Länge von Ferro、フェロ東経)の注記がある

平板測量と現地調査が帝国全域で行われ、成果は1:25,000彩色原図2,780面と、ウィーン圏内の1:12,500図47面に上る。図郭は経度15分、緯度7分30秒で、地勢表現には、従来のケバと20m間隔の等高線が併用された。公務用に、原図から墨1色の複製も作られている。

同時に、原図4面分から1:75,000特別図 Spezialkarte が編集された。これは帝国内752面のほかに、他国領の図葉も若干ある。図郭は経度30分、緯度15分で、投影法は多面体図法を用いている。原図と同様、ケバと等高線(平地50m、山地100m間隔)を併用するが、墨1色版では、緻密なケバの描線があだとなって、等高線はやや読み取りにくい。刊行開始は1872年で、後に森林を表す緑のアミを加刷した版も現れた。

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1:75,000特別図の例 5352 Klagenfurt  1915年
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一部を拡大

小縮尺図ではまず、1:300,000中欧一般図 Generalkarte von Central-Europa(通称 シェーダ図 Scheda-Karte)が1871年から1881年にかけて編集刊行され、次いで1887年からは縮尺が変わり、1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa が現れた。どちらも帝国領内にとどまらず、中央ヨーロッパの広域を同一縮尺で描くという壮大な企画だった。

後者は、南辺がニースからイスタンブール、北辺はマインツからキエフまでをカバーした。図郭は経度1度、緯度1度で、整数の経線と緯線が図郭の中心を通るように区分されているため、図番も(フェロ島を0度とした)経度と緯度の数値の組合せを使用している。1面に特別図8面分の範囲が含まれ、多色刷りで265面が刊行された。

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1:200,000中欧一般図の例 32-47 Klagenfurt 1914年
image at BEV
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一部を拡大
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中欧一般図の索引図(一部)
ベースマップに引かれた国境は、青が第二次大戦前の旧国境、橙が新国境

このほか、さらに広域を概観する地図として、1:750,000中欧地勢図 Übersichtskarte von Mitteleuropa も作られている。

このようにフランツ・ヨーゼフ皇帝の測量事業は、規模の大きさと進捗速度の点で、国際的な注目を集めるものになった。たとえばギリシャからは、自国の測量事業に対する支援の要請が届き、それに応えてオーストリアは、測地隊を派遣して技術指導と要員訓練に当たらせた。ギリシャの地形図の図郭が、オーストリアと同じ経緯度間隔になっているのは単なる偶然ではない。

■参考サイト
Europe in the XIX. century (with the Third Military Survey)
https://mapire.eu/en/map/europe-19century-thirdsurvey/
 フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量(第3回土地測量)の彩色原図または単色複製図が見られる

第3回の枠組みを引き継いで、1896年から新たに「精密測量 Präzisionsaufnahme(第4回土地測量)」が開始された。しかし、第一次世界大戦の勃発で中断され、1918年の帝国解体により、オーストリア共和国領以外の成果は、帝国領を承継したチェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアなどの各政府に引き渡された。

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第3回(左)と第4回の1:25,000測量原図を比較
市街地や水部の描写は第3回ですでに完成しているが、第4回の精密測量により道路の位置等がより正確に
(左)「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」測量原図 5155-3 1877年
(右)精密測量原図 5155-3 1899年、下図も同じ
images at BEV
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ケバの描画技術が進歩し、山地の表現は大きく改良

その後のオーストリア共和国の地図の変遷と現状については、次回以降、縮尺別に紹介したい。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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 オーストリアの1:25,000地形図
 オーストリアの1:50,000地形図
 オーストリアの1:200,000地形図ほか
 オーストリアの旅行地図-フライターク&ベルント社
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 ドイツの地形図概説 I-略史
 スイスの地形図略史 I-デュフール図
 ギリシャの地形図

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