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2018年7月20日 (金)

北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

(旧)シュピーカーオーク島鉄道 Spiekerooger Inselbahn
 駅 Bahnhof ~埠頭 Anleger 3.5km
 非電化、軌間 1000mm
 1885年開業(馬車鉄道)、1949年ディーゼル化、1981年廃止

(現)保存馬車鉄道 Museumspferdebahn
 延長1.0km、軌間 1000mm、1981年開業

「緑の島 grüne Insel」。大きく育った樹木が村の家並みを覆うシュピーカーオーク Spiekeroog は、好んでそう呼ばれてきた。島は、ランゲオークとヴァンガーオーゲの間に位置する。面積は18平方kmで、ランゲオークよりやや小さいだけだが、人口は800人に満たない(2016年)。年間旅行者数も東フリジアの有人7島中、バルトルムに次いで少なく(2016年、94,055人)、それが、静けさを求める人にとって至高の場所とされるゆえんだ。

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緑に包まれるシュピーカーオーク村の中心部。右奥の建物は村役場 Rathaus

その環境を守るために、島では徹底した交通政策がとられている。カーフリー(下注1)はいうまでもない。自転車にすら制限が課されていて、村(下注2)の中心や北岸のビーチに通じる一部の道は走行禁止だ。旅行者向けのレンタサイクルは存在せず、本土から持込む場合は30.90ユーロが徴収される。居住圏はせいぜい2km四方なので、島内の移動は歩きが前提になっている。

*注1 カーフリーのどの島もそうだが、業務用電動車は走っている。
*注2 小さな自治体 Gemeinde なので、本稿では「村」の語を使用する。

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シュピーカーオーク島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

そのような島にも、ほんの30年前までディーゼル動力の列車が走っていた。他の島と同じように、フェリーが着く旧埠頭と村の入口との間3.5kmを結んでいたのだ。さらに驚くことに、鉄道が導入されたのは1885年で、東フリジア諸島ではボルクムに次いで早かった。もとよりそれは馬車鉄道で、村の中心部からヴェストエント Westend(西端の意)に開設された紳士用ビーチ Herrenbadestrand(下注)まで長さ1.6km、1000mm軌間の鉄道だった。その上を、馬に牽かれた華奢な客車がころころと走った。目的からして、夏の間だけの運行だった。

*注 当時、紳士用ビーチとは長さ500mの緩衝地帯を隔てて婦人用ビーチ Damenbadestrand があり、そこへ向かうダーメンパート Damenpad(婦人の小道の意)の入口にも、馬車鉄道の停留所が設けられた。

1891年、南の干潟に新しい桟橋が開かれると、上記路線の途中で分岐してそこに達する支線が、翌92年に開通する。これが航路接続の始まりだ。初期の線路は干潟の上に直接敷かれており、船が着く満潮時には、馬は胴体まで、車両はしばしば車輪の上まで、水に漬かっていた。

一方、村では1907~08年に正式の駅舎が建てられたが、狭い街路の併用軌道は通行の妨げになった。それで1924年にルートを短縮し、起点が村の西端に移された。その後、ヴェストエントのビーチが海岸浸食を受けて村の北側に移転したため、ビーチ列車は1931年に運行を取り止めたが、桟橋との連絡は継続された。いつしかシュピーカーオーク島鉄道は、ドイツで定期運行する最後の馬車鉄道になっていた。

第二次世界大戦後はさすがに増加する訪問客をさばききれなくなり、1949年、新しい埠頭の建設に合わせて、ついにエンジン駆動に転換される。現在ハルレジール Harlesiel の港で静態展示されている小型ディーゼル機関車(下注1)は、このときの導入機だ。同時にルートも変更され、当初の終点ヴェストエントの手前で分岐して、西側の砂丘沿いに南下するようになった。干潟では、初めて線路が杭桁 Pfahljoch(下注2)の上に置かれ、列車は桟橋に直接乗り入れた。

*注1 「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」で言及している。
*注2 直訳で「杭桁」としたが、干潟に打ち込んだ木杭の上に梁を渡した構築物のこと。

1960年代に入ると、「赤列車 roten Zug」「緑列車 grünen Zug」と呼ばれた編成が、旅客輸送を担った。腰に赤色をまとうヴィスマール車両製造所製の中古気動車に、付随客車3両と長物車1両がつくのが「赤列車」だ。ふだんはこの列車で往復するのだが、多客期には、シェーマ社製の小型機関車が、緑色を巻いた2軸客車を牽いて応援に入った。

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(左)赤列車 roten Zug。桟橋で気動車を「機回し」中
Photo by Anton aubers at wikimedia. License: CC0 1.0
(右)緑列車 grünen Zug
Photo by Drehscheibexxx at wikimedia. License: CC0 1.0

残念なことに、この島でディーゼル運行が行われたのは32年間に過ぎない。そのころ、常時波に洗われる桟橋や杭桁軌道は、全面改修が必要な時期に来ていた。村議会は港湾施設を同じ場所で改築するのではなく、より村に近い位置に新たに建設することを決めた。待望の新港は1981年に完成し、村の中心へ歩いて7~8分で到達できるようになった。これに伴い、鉄道は仕事を失い、同年5月29日に正式に廃止された。

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(左)本土との間を結ぶフェリー (右)島の新港。訪問客は徒歩で村へ向かう
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(左)目抜き通りノールダーローク Noorderloog は最初の馬車鉄道ルート
(右)移転後の駅へ通じるヴェスターローク Westerloog。左側の道が馬車鉄道跡

しかし、シュピーカーオークの鉄道史にはまだ続きがある。というのも、廃止を見越して、馬車鉄道を復活させる準備作業が進んでいたからだ。プフォルツハイム Pforzheim 出身で元教師のハンス・ロール Hans Roll 氏のリーダーシップにより、その計画は実現する。

車両は、シュトゥットガルト路面電車博物館協会 Verein Straßenbahnmuseum Stuttgart から16人乗りのオープン車両が調達された。線路は旧線のうち、村の駅からヴェストエントまで約1kmの区間が再利用されることになった。そして牽き馬の通路にするため、線路沿いの溝が埋められた。

*注 利用されなかった区間の軌道は撤去された。旧桟橋は長く残っていたが、最終的に2009年に撤去された。

車庫は当初、旧 貨物倉庫が使われたが、後に新築された駅舎棟に引込線と専用のスペースが設けられた。ちなみにこの貨物倉庫は、その続きで線路の北側にあった旧駅舎とともに現在、ピザレストラン「デア・バーンホーフ Der Bahnhof(駅の意)」になっている。

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(左)保存馬車鉄道の駅。右側にささやかなホームと線路がある
(右)本日の時刻表。当駅発15時と16時、帰着は15時50分と16時50分のみ

島内鉄道の黎明期を彷彿とさせるユニークな保存馬車鉄道はこうしてスタートした。しかしその歩みは常に順調とはいかず、車両を所有する協会が解散して、1997~98年の2年間、休止をやむなくされたことがある。幸い1999年に復活し、隣のランゲオーク島鉄道の改修で出た中古の資材を使って、2005~06年の冬に線路の更新も実施された。今や運行年数はディーゼル運行のそれに匹敵するまでになり、すっかり島の名物として定着している。

シュピーカーオーク観光局のサイトによれば、運行期間は4月中旬から10月中旬までだ。列車は村の駅を毎日13時、14時、15時、16時ちょうどに出発し、45分後に戻ってくる。片道15分程度かかる(下注)ので、たとえば13時発の列車なら、西の終端(ヴェストエント)に着くのは13時15分ごろ、折り返しの出発が13時30分ごろ、村の駅への帰着は13時45分ごろになる。もちろん片道だけの乗車も可能だ。

*注 実際はもう少し速く走り、シュピーカーオーク博物館協会 Museumsverein Spiekeroog のサイトでは所要12分と書かれている。ところが、逆に現地の案内板では、村の駅への帰着時刻を50分後と記載しており、生き物のことなので多少の時間的余裕を見込んでいるようだ。

ただし、「風と天候次第で変更がありうる」と注意書きされているように、必ずしも全便が運行されるとは限らない。実際、私が訪れた日は、上天気だったにもかかわらず、15時と16時発の列車しか設定されていなかった。13時前に勇んで駅へ行ったものの、駅舎のドアは閉ざされて、人の気配が感じられない。このまま列車を待つと本土へ帰る船に間に合わなくなってしまうため、空の線路と、囲い場でくつろぐ2頭の牽き馬を写真に収めただけで、その場を立ち去らざるを得なかった。

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かつて側線が張り巡らされていた旧駅構内。右の2頭の馬が交替で馬車を牽く
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防潮堤の外側の草原を直進する線路

運行状況についてウェブサイトやSNSで告知は行われておらず(下注)、島の観光パンフレットの記述も「実際の運行時刻は、駅の掲示板でご確認ください」とそっけない。考えてみれば、島の訪問者の平均滞在日数は6.43日(2016年)だ。長期滞在客の気晴らしが目的の運行なら、乗る側もそのつもりでのんびり構えるしかないのだ。

*注 ここには挙げないが、駅の掲示には、連絡先のメールアドレスと電話番号が書かれていた。

主役のいない線路の写真ばかりではつまらないので、別の日にシュピーカーオークを訪れて、運よく乗車と撮影に成功したT氏の作品をお借りした。草原を貫くか細げな線路の上を、愛らしい牽き馬に連れられて華奢なオープン客車がのどかに転がる光景を、じっくりご覧いただきたい。

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(左)出発を待つ「列車」。エンジンは1馬力、名前はタンメ Tamme、これはフリジア語で、英語なら Tommy とのこと
(右)車内は4人掛けベンチが背中合わせに並ぶ
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(左)ヴェストエントに向けて出発。右の線路は車庫への引込線
(右)馭者と車掌と案内人を兼ねるクリスツィアン・ロール Christian Roll 氏。創設者の息子で、馬車鉄道の運行を引き継いだ
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陸閘 Deichschart を越えようとする「列車」
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(左)陸閘の上は恰好のお立ち台 (右)乗客に島の自然を案内していく
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(左)唯一のカーブを曲がれば終点は近い
(右)板張りのささやかなホームがあるヴェストエントに到着

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
spiekeroog.de  https://www.spiekeroog.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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2018年7月 8日 (日)

北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編

東フリジア諸島の地形を縦断面で見れば、北が高く、南が低い。砂を運んでくる海流に面した北側に、砂丘が発達するからだ。対する南側は陸化が進まず、潮位が高い時に海水が入り込む草地や沼地、いわゆる塩性湿地 Salzmarschen が広がっている。それは沖に向かうにつれ、徐々に泥の干潟に移行していく。

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防波堤のベンチは、塩性湿地とそれに続く干潟の展望台

鉄道は、沖合に設置された島の船着き場まで、陸と海のあいまいな境目をしばらく走らなければならない。最初のころは、地面に直接か、そうでなくても干潟に打ち込んだ木杭の上に、線路が置かれた。大潮ではしばしば冠水し、列車が水を掻き分けながら走る光景が古い写真に残されている。

しかし現在、ボルクム Borkum でもランゲオーク Langeoog でも、湿地や干潟の上を行くという感覚はほとんどない。前者は道路と並行する頑丈な築堤の上を走っているし、後者は港の駅の直後に防潮堤の内側に入ってしまうからだ。ところが、ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn は違う。港と町を結ぶ最短ルートとして、今でも線路は、防潮堤の外側の広大な塩性湿地を貫いていく。

この湿地は、何千羽もの海鳥たちの繁殖地だ。世界遺産でもあるニーダーザクセン・ワッデン海国立公園 Nationalpark Niedersächsisches Wattenmeer の一級保護区域(ルーエツォーネ Ruhezone)で、指定通路以外の立入りは厳しく規制されている。ふつうは目にし得ない風景の中を、列車は時速20kmでそろそろと横断していく。ヴァンガーオーゲ駅まで約15分、乗客だけに許されるユニークで貴重な体験だ。

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特別保護区域の案内板

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ヴァンガーオーゲ島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

14時20分、先頭についたシェーマ・ロコに牽かれ、列車は西埠頭 Westanleger 駅を離れた。埠頭の敷地が保護区域に隣接しているので、いきなり大自然の中に放り出された気分になる。丈の低い草や苔で覆い尽くされた湿地が目の届く限り広がり、その間を自由に縫う澪筋は、強風に煽られてさざ波立っている。機関車のエンジン音に驚いて、草むらからカモメたちがばらばらと飛び立つが、慣れてしまったのか、反応しない鳥のほうがずっと多い。

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塩性湿地の横断は列車だけに許される特権
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広大な湿地は野鳥の繁殖地に

寒さを我慢して、デッキに出てみた。足元を、PC枕木で強化された軌道が流れていく。1995年から10年間かけて改良工事が実施された結果だ。流失を防ぐために、路肩に大きな割石も撒かれているが、線路はわずかな盛り土とバラストの厚みの分、周囲より高いだけだ。潮位が上がれば今でも水に浸かるらしい。列車は、湿地の中心の、澪が集まるヴェストラグーネ Westlagune(西の潟湖の意)の上を、いくつかの小橋でまたいでいく。

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(左)ヴェストラグーネを渡る (右)潮が満ちると海中を走るような感覚

右へ大きくカーブするところで、左側から別の線路が合流してくるのが見える。ここはザリーネ分岐 Abzweigung Saline といい、1832年から1854年まで、近くでザリーネ Saline、すなわち製塩所が操業していた。分かれる線路は、島の西端ヴェステン Westen に向かう支線だ。定期列車は走っておらず、林間学校へ行く子供たちを乗せて、臨時列車が運行されるに過ぎない。

緑の低い堤防とワッデン海の間を少し走った後、陸閘にさしかかる。ここでも左後方へ、ごみ処理施設 Müllpressstation への短い引込み線がある。堤防の内側に入れば、早くも駅の構内側線が展開し始める。車両がいくつか留め置かれている中、列車はゆるゆるとヴァンガーオーゲの駅に滑り込んだ。

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陸閘から湿地を横断してきた線路を望む
右に分岐するのはごみ処理施設への引込み線

デッキから地表のホームに降り立つ。列車は折り返しで使われるらしく、入れ替わりに待っていた客がまた乗り込んだ。ホームの後部に立てられた柵の向こうでは、フォークリフトがせわしなく動き、長物車から貨物を降ろしている。

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(左)ヴァンガーオーゲ駅に到着 (右)ホームの後部では貨物を降ろす作業中

駅舎は、片側に塔を従えた煉瓦壁、寄棟屋根の2階建てで、どこかメルヘンチックな気配が漂う。建てられたのは1906年、ユーゲントシュティール Jugentstil(青春様式)が建築界をも席捲していた時代だ。ファサードに用いられた複雑な曲線や2階窓枠の上下に見られるシンプルな矩形の装飾が、その風潮を反映している。正面の時計の上にはフラクトゥール(ドイツ文字)で「Kehre wieder(帰っておいでの意)」と記され、列車で本土へ旅立つ人の心に何かを訴えかける。

駅舎も、2003年に大規模な改修が施された。外観の歴史的景観を復元する一方で、内部では、観光局とDBの窓口に機能的なオープンカウンターが導入された。ショーウィンドーに飾られた客車の鉄道模型も一旅行者の心に強く訴えかけるものがあるが、そこはぐっとこらえて絵葉書の購入で代えることにした。

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ヴァンガーオーゲ駅舎
(左)正面 (右)玄関上部には Kehre wieder の文字と鷲のレリーフ
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(左)駅舎の反対側に機関庫がある
(右)踏切から東望。線路はかつて東桟橋まで続いていた
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鉄道グッズのショーウィンドー

ヴァンガーオーゲは、有人島として東フリジア諸島の最も東に位置する。そのため、歴史的な位置づけも他の島々と異にしてきた。他がプロイセン領(1866年の普墺戦争以前はハノーファー王国 Königreich Hannover 領)だったのに対し、この島だけはオルデンブルク大公国 Großherzogtum Oldenburg に属していたのだ。この国も1871年からプロイセンが主導するドイツ帝国の一員となったとはいえ、行政上の区分は残された(下注)。

*注 連邦制のドイツ帝国のもとで、オルデンブルク大公国は、君主制が廃止される1918年まで存続した。

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赤の縁取りがオルデンブルク領。東フリジア諸島でヴァンガーオーゲだけが含まれる
「オルデンブルク及び北海のドイツ湾口 Oldenburg und die Deutschen Strommündungen der Nordsee, 1:850,000」図より
from vol. 12 of Meyers Konversations-Lexikon (4th ed.)

1890年代、大公国は他の島に倣って、ヴァンガーオーゲのリゾート開発に力を入れた。その施策の一つが交通路の整備で、すでに開通していた本土側の連絡鉄道(前回紹介した標準軌のイェーファー=ハルレ線 Bahnstrecke Jever–Harle)を邦有化するとともに、島の側では、桟橋から町までメーターゲージの蒸気鉄道を自ら建設した。これが現在のヴァンガーオーゲ島鉄道で、1897年7月のことだ(下注)。

*注 国鉄組織の改組により所有者は次のように変遷している。1897~1920年 オルデンブルク大公国邦有鉄道 Großherzoglich Oldenburgische Eisenbahn → 1920~1949年 ドイツ帝国鉄道 →1949~1993年 ドイツ連邦鉄道 → 1994年~ ドイツ鉄道グループ

ただし、今のルートとは、かなりの区間で異なっていた。まず、使われる桟橋が季節によって変わり、夏の桟橋 Sommeranleger は現在より約1km西の干潟の中に、海が荒れる冬場の桟橋 Winteranleger はより砂丘に近い位置に、それぞれ造られた。町の駅も今より約300m北に置かれ、現在のバラ公園 Rosengarten の場所にあった。

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新旧路線の位置関係
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

ヤーデ川 Jade 河口に位置するヴァンガーオーゲ島は、帝国海軍によって軍事拠点ともみなされた。島の西に要塞が建設されることになり、資材輸送のため、1901年にヴェステン支線が敷かれた。東の浜でも1904年に、軍港ヴィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven やブレーマーハーフェン Bremerhaven と航路で直結する東桟橋 Ostanleger(下注)が築かれ、鉄道(オステン支線)が延長された。

*注 和訳では桟橋(架設物)と埠頭(固定施設)を区別したが、原語はどちらも Anleger(船着き場の意)。

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(左)建設当時の駅舎。ドームの右側は平屋だった(ヴァンガーオーゲ駅の展示を撮影)
(右)東桟橋に到着した列車
Photo by 60cent at wikimedia. License: CC0 1.0

こうして町なかの頭端駅に、西と東から線路が集中する形になったが、あまりに手狭なため、1906年に現位置に、通り抜けが可能な新駅が造られた。旧駅に通じていた線路は、すぐに撤去されて跡形もない。

海軍はヴェステンの要塞に重砲を配置するため、1912年に冬桟橋の東方150mの位置に新しい桟橋(西桟橋)を設けた。そこへ向けて、ザリーネ分岐から干潟を横断する新しい線路が延ばされた。これは1917年から民生輸送に開放され、それまでの季節替わりの桟橋の機能を代替した。これが現在の軽便鉄道のルートになる。

第二次世界大戦中の1945年、軍事拠点のヴァンガーオーゲは連合軍の総攻撃に遭い、焦土化されてしまう。しかし戦後、同じ北海のリゾートであったヘルゴラント島 Helgoland がイギリスの占領下に置かれたため、ヴァンガーオーゲが代替地として脚光を浴びた。島の復興は、この俄か景気によって促進されることになった。

東桟橋からも多数の旅行者が上陸したが、1952年のヘルゴラントのドイツ返還後は利用が激減する。加えて砂が絶えず堆積する場所だったため、1959年をもって廃止され、オステン支線も運命を共にした。それ以降、ヴァンガーオーゲ島鉄道の運行は、西側の2線だけになっている。

宿に荷物を置いて、歩きに出た。すっかり叢林と化した海岸砂丘を縫う小道をたどり、島の南岸に築かれた堤防に上ってみる。外側にはさっき列車で通った塩性湿地が見渡す限り広がっていて、2本のレールだけが例外的な人工物だ。南面は遠浅で海岸浸食のおそれがないので、堤防は高潮による浸水を防ぐのが主目的だ。そのため、見かけは草に覆われた土堤に過ぎず、湿地との境も不分明なくらい、自然に溶け込んでいる。

少しでも風当たりの少ない場所を探して堤防の内側斜面をうろうろしながら、ヴァンガーオーゲ駅行きの列車が来るのをしばらく待った。なにしろ視界を遮るものが何もないから、西埠頭を出発するところから、ずっと姿を追うことができる。17時ごろ、埠頭の高床建物の横から今日の最終列車が動き出した。干潟の向こうをじりじりと移動し、西塔 Westturm を背にして、大カーブを回ってくる。そして、目の前に延びる草原の直線路をゆっくりと通過していった。

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西塔を背景に、列車が湿地内の大カーブを回ってくる
手前の線路はヴェステン支線
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ワッデン海の前を町の駅へ向かう

堤防道をそのまま進めば、西塔のあるエリアに行き着く。島の風景写真にしばしば登場する西塔だが、実はユースホステルの建物だ。高さは56mあり、1932年に建てられた。デザインは、17世紀初めに造られ、第一次世界大戦前まであった教会の塔にちなんでいる。この先代の西塔は長らくヴェーザー川に入る船の目標とされていたのだが、激しい海岸浸食を受けて海に没してしまった。以来、この新しい西塔が、島のシンボルを継承しているのだ。

*注 14~16世紀には、現在の西岸からさらに約5km西(現在は海の中)に教会塔があった。17世紀の塔はそれを継ぐもので、その意味で現在の西塔は三代目になる。

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西塔は島のシンボル

この付近にはユースホステルや林間学校施設がいくつか立地し、滞在している子どもたちが、町との間を自転車や徒歩で行き来するのを見かける。支線の終点駅ヴェステンも、その一角にひっそりとある。線路はそこからさらに続き、水路・航路局  Wasser- und Schiffahrtsamt (WSA) が管理する資材ヤードに引き込まれていく。

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ヴェステン駅
(左)左側がホーム。「34」の標石はオルデンブルク時代に設置された100m単位の距離標 Hektometerstein
(右)駅の先は水路・航路局の資材ヤードに引き込まれる

翌朝少し早起きして、町の中を散策してみた。今日もスマートフォンの天気予報は横風マークで、強風が吹き抜けて肌寒い。通りで出会う人とは「モイン Moin !」と声を掛け合う。一日中使える北ドイツの挨拶ことばだ。手押し車やリアカーに朝の荷物を積んで、人が行き交う。前かごが巨大化した自転車も目撃した。

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ヴァンガーオーゲの街路
(左)駅前のツェーデリウス通り (右)前かごが巨大化した自転車、リアカーつき

駅を覗くと、客車はホームに据え付けられているものの、人影はなく、構内はまだ静まり返っている。今日の始発は10時だ。駅前のツェーデリウス通り Zedeliusstraße を戻る途中、保存されている旧灯台 Alter Leuchtturm の敷地に、古い蒸気機関車を見つけた。1929年ヘンシェル Henschel 製の99 211号機だ。蒸気時代の主力機だったが、1957年にディーゼル機関車にバトンを渡して引退した後、1968年から町の文化財として静態保存されている。ボルクム号のように修復され、また走れる日が来ることを祈りたい。

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(左)静態保存の99 211号機
(右)カッセルのヘンシェル・ウント・ゾーン株式会社の銘板

宿で帰り支度を整えて、再び駅へ向かった。朝の車内はすいていたが、ガラス越しでない景色を見たくて、最後尾のデッキに移った。列車は陸閘から堤防の外へ出て、あの野鳥の楽園を横断していく。

この島でも、ユーストやシュピーカーオーク島の例に倣って、町に近い港をもつべきだという議論が、過去繰り返されてきた。そうすれば到達時間が一気に短縮され、物流が効率化され、鉄道の維持費も不要になる。しかし、ヴァンガーオーゲはその道を選ばなかった。2012年11月、町議会は最終的に、新しい港湾建設の計画を否決したのだ。

列車は右にカーブしていき、並行して走る澪の先に、西埠頭駅の高床に載った建物が見えてくる。町は新港を造る代わりに、この埠頭の近代化を進める予定で、ホーム扛上によるバリアフリー化や貨物の積替え設備の改良などの計画が発表されている。鉄道が今後も存続するのは確実だが、懐かしい島の軽便のイメージは何年後かに塗り替えられてしまうのかもしれない。

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帰路、西埠頭駅へ進入する

次回は、保存馬車鉄道のあるシュピーカーオーク島を訪ねる。

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
DB Schifffahrt und Inselbahn Wangerooge  https://www.siw-wangerooge.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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2018年7月 3日 (火)

北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編

ヴァンガーオーゲ Wangerooge ~西埠頭 Westanleger 3.4km
支線(不定期運行):ザリーネ分岐 Abzweigung Saline ~ヴェステン Westen 2.0km
非電化、軌間 1000mm、1897年開業

東フリジア諸島の東の端で、ようやくイメージどおりの島の軽便に巡り合えた気がした。ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn は、非電化、1000mm軌間の鉄道路線だ。ヴァンガーオーゲ Wangerooge ~西埠頭 Westanleger 間3.4kmを結ぶ本線と、途中のザリーネ分岐 Abzweigung Saline~ヴェステン Westen(下注)間2.0kmの支線があるが、一般の旅客列車が運行されるのは本線のみだ。

*注 ヴェステン Westen は(町の)西を意味するが、地名化しているので原語読みで記す。

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ヴァンガーオーゲ島の塩性湿地を横断する列車

この島内鉄道には、二つの際立った特徴がある。その一つは、航路とともにドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによって運営されていることだ。もともと19世紀末にオルデンブルク大公国邦有鉄道 Großherzoglich Oldenburgische Eisenbahn が開通させ、戦前のドイツ帝国鉄道 Deutsche Reichsbahn を経て、DB(ドイツ連邦鉄道→ドイツ鉄道)に引き継がれた(下注)。これまで見てきた民営のボルクムや公営のランゲオークに対して、生粋の国鉄路線であり、DBとして今や唯一のナローゲージでもある。

*注 現在は、DB長距離輸送株式会社 DB Fernverkehr AG が運行する。

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ヴァンガーオーゲの駅名標もDB仕様

二つ目は、運行ダイヤが毎日違うという点だ。本土と島の間の航路が浅いため、船は潮位が高いときしか航行できない。そのため、接続する列車の発着時刻も日替わりになる。DBサイトには、ザンデ Sande 発着の本土側の連絡バスを含めた1年間のダイヤが一覧表で掲載されている。旅行計画を立てるときは要注意だ。

*注 島への航路が潮汐に依存するのはヴァンガーオーゲのほか、ユースト Juist、バルトルム Baltrum、シュピーカーオーク Spiekeroog だが、これらの島には島内鉄道がない。

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日替わりの時刻表(一部)。ab は発時刻 Abfahrtszeit の意

ヴァンガーオーゲ島行きの船が出る本土の港は、ワッデン海に面したハルレジール Harlesiel だ。ノルデン Norden から路線バス K1系統で向かった。今日の船は13時発なので、空き時間を使って、2km内陸にある旧港カロリーネンジール Carolinensiel を見に行こうと思う。ハルレジールは船の大型化に伴って1890年に築かれた新港で、それまではカロリーネンジールがこの役を果たしていたのだ。

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カロリーネンジール旧港

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カロリーネンジール~ハルレジール付近の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)。なお、描かれている鉄道はイェーファー=ハルレ線だが、すでに廃止されている(詳細は後述)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

北海の島のナロー I-概要」でも記したが、北海沿岸では、内陸の水が干潟に出ていく位置に、高波を防ぐ水門を構えたジール港 Sielhafen が多数造られた。それは島へ渡る船の乗り場であると同時に、漁港であり、貨物港でもあった。周りに宿屋が建ち並び、物資の交易で賑わった。その後、干拓の沖合への進行や、船舶の大型化などで港の機能は失われたが、昔の情景が残され、観光地化しているところも多い。

カロリーネンジールもその一つで、ワッデン海に通じるハルレ川が拡幅され、そこが船溜まりになっている(下注)。堤に沿って歩いてみると、係留中の帆船と、それを取り囲む赤屋根の家並みの組み合わせが絵になる。その一角で、外輪蒸気船 Raddampfer と大書した案内プレートに目が留まった。観光用にハルレジールのヨットハーバー Yachthafen との間を往復しているらしい。連日の快晴から打って変わって、きょうは雲が空を覆い、強い風にときどき雨粒も混じる。ハルレジールまで歩く予定をあっさり変更して、これに乗っていくことにした。

*注 訪れる時間がなかったが、ここにはジール港に関する博物館 Sielhafenmuseum もある。

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(左)外輪蒸気船の案内板 (右)蒸気船コンコルディア2世号が到着

コンコルディア2世号 Concordia II は、舷側に水車(外輪)をもつ小型船だった。小型といっても、後で聞くとデッキとサロン室で100人乗れるそうで、見かけによらず輸送力がある。今のようなフェリーが就航する以前は、こうした船が本土と島を結んでいたのだ。

狭い水路に波を立てない配慮もあるのか、船はほとんど人が歩くくらいの速度で進んだ。途中、跳ね橋のかかるフリードリヒ水門 Friedrichsschleuse を通過する。これが外海の高波からジールを護る水門で、1765年に初めて造られた。今でこそ内陸だが、昔はここが河口だったのだ。その外側は川幅が一気に広がり、停泊するヨットの群れの先に、近代的だが不愛想な雰囲気の水門が見えてきた。途中1か所、桟橋に寄港したとはいえ、外輪船は約2kmの水路を、実に40分かけてその水門前に到着した。

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(左)狭いフリードリヒ水門を通過
(右)帆船が通れるよう跳ね橋になっている(通過後撮影)
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(左)ハルレジール・ヨットハーバー。ハルレジール水門が正面に
(右)40分の小旅行を終えて下船

堤防を越えて、東埠頭のフェリーターミナル Fährhaus へ歩いていくと、ヴァンガーオーゲで使われていたと思しき旧型車両が静態展示されていた。長物車、普通客車が1両ずつと、その奥に少し離れて2軸のディーゼル機関車だ。軌間の違いを示す解説プレートがあるだけで、車両については何ら言及がない(下注)。

*注 深緑色の小型ディーゼル機関車は、ドイツ Deutz 社 OMZ 122 F、1941年製。シュピーカーオーク島で1965年に廃車となり、1969年にドイツ鉄道協会 DEV に引き取られていたが、2000年当地に設置。ヴァンガーオーゲにもごく短期間いたことがある。客車はヴァイヤー Weyer 社1913年製で、ヴァンガーオーゲ島で1992年まで使われていた。1997年設置。

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ハルレ旧駅の保存車両
3線軌条は展示用に後補したもの。軌間の違いを説明するパネルも設置

ただし、昔を知る人にとっては、車両が問題ではなく、この場所が保存されていることに意義を認めるはずだ。というのも、ここはかつてDB線の終着駅ハルレ Harle だったからだ(上の地形図参照)。イェーファー=ハルレ線 Bahnstrecke Jever–Harle と呼ばれるその支線は、オルデンブルク大公国時代の1890年にハルレまで開業し、1957年に港の拡張に伴って、現位置へ延長された。航路に接続するティーデツーク Tidezug(潮汐列車の意、下注)がここに発着し、本土での連絡手段となっていた。

*注 潮汐に依存する船の発着に合わせて、ダイヤは毎日変動するため、この名がある。一方、固定ダイヤで走る列車はカロリーネンジール止まりだった。

しかし自動車の普及で、利用者数は減少の一途をたどる。1987年に定期旅客列車が消え、2年後の1989年には貨物列車も廃止となった(下注)。その後、ハルレ駅舎は航路専用になり、線路は構内の今ある部分だけが残された。現役時代は普通の標準軌だったが、メーターゲージ車両を展示するためにレールを1本追加し、3線軌条にしてあるのだ。

*注 列車廃止に伴ってDBの代行バス(ティーデブス Tidebus)が、今もザンデ~ハルレジール間を走り、航路に接続する。

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「ティーデブス Tidebus」の表示を掲げた代行バス。ザンデ駅前にて

その駅舎ならぬフェリーターミナルの窓口で、島に渡る往復券(35.10ユーロ)を求める。DBが日帰り専用の時刻表 Tagesfahrpläne を作成しているくらいだから、割安の1日券(26.70ユーロ)もあるのだが、運航が1日2~3便きりなので、日程がうまく組めなかった。今日はキャリーバッグを引いて、島に泊ることにしている。

ここも紙の切符ではなく、ランゲオークと同じく、使い回しの「ヴァンガーオーゲカード WangeroogeCard」を渡された。改札機は本土側にのみ設置されているので、帰路この埠頭に戻ってきたときにカードが回収される。

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(左)旧駅は今、フェリーターミナル専用に (右)ヴァンガーオーゲカード

接岸していたのは760人乗りのヴァンガーオーゲ号、この航路の主力船だ。タラップから乗り込み、すぐにデッキに上がってみるものの、昨日までとは大違いでほとんど誰もいない。なにしろ気温は12度、ベンチは雨で濡れている。5月中旬の北ドイツだからと持参したダウンベストが、ここでようやく役に立った。

ちなみにグーグルマップでは、ヴァンガーオーゲ航路が水路の西側の埠頭から出るように描かれている。まったくの誤りではないが、西から出る便はごく少数で、DB日帰り時刻表にしか掲載されていない。ターミナルと主要埠頭は東側で、路線バスの停留所もそちらにある。

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(左)ヴァンガーオーゲ号に乗船 (右)あいにくの天気で乗客はみな客室に避難

フェリーは、13時定刻を少し遅れて出航した。例の不愛想な水門と埠頭の施設群が後方に遠ざかると、視界は一面、泥を巻き込んだような土色の海原になった。潮位が上がるタイミングで出たのだから、当然のことだ。船は、航路を示す杭の間をまっすぐ進んでいく。島まで1時間ほどかかるので、いったん暖かい船室に避難する。

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ハルレジール港を出航

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ヴァンガーオーゲ島の1:50,000地形図(L2312 Wangerland 1988年版)
© Landesamt für Geoinformation und Landentwicklung Niedersachsen, 2018

次にデッキに上がったときには、もう島の砂浜に近づいていた。遠く曇り空を背景に、島のシンボルになっている西塔 Westturm と灯台がそびえる。まもなく埠頭(正式には西埠頭 Westanleger)も見えてきた。すぐそばに乗換え客を待つ客車が6両、忘れられたように停まっている。次の本土行きの船にはまだ早いので、ほとんど人影もなくうら寂しい雰囲気だ。

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ヴァンガーオーゲ西埠頭に到着。軽便鉄道の客車が待機していた
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(左)乗客はフード付きの防寒ジャケットを着込む
(右)貨物の積替作業が手際よく進んでいく

埠頭に降り立ち、強風に飛ばされそうになりながら、そそくさと客車のほうへ向かった。車端のデッキを上って車内に入り、一息つく。

この客車、一見古典的だが、実は1992~93年の新造だ。外装のコバルトブルーとクリームのツートンカラーは、そのころ本土の幹線を疾駆していたインターレギオ Interregio(地域間急行)を連想させる。ブランデンブルク州ヴィッテンベルゲにある旧東独国鉄の修理工場 Reichsbahnausbesserungswerk Wittenberge から計14両が納入され、それによって旧型車が島から一掃された(下注)。

*注 ハルレジールに置かれていた車両もその一部。

しかし、シートや照明その他の内装は、1990年代とは思えない無粋さだ。想像するに、ドイツ再統一前に確保されていた部材も使って安価に仕上げたのではないか。ただ、今ではそれが、離島の旅情を掻き立てる舞台装置の一つになっている。

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(左)コバルトブルーとクリームに塗り分けた客車
(右)安っぽい内装がかえって旅情を掻き立てる
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機関車が付くのを静かに待つ

機関車はまだ来ない。さっき下船したときは、埠頭の先端で長物車を3両牽いて、船からの積替作業をしていた。この島では、貨物輸送もまだ鉄道が担っている。使われているのはシェーマ Schöma 社の1999年製小型ディーゼル機関車CFL150形で、2両が在籍する(車両番号399 107および108)。すでに他の島でおなじみの顔だが、側面につけたDBのロゴがちょっと誇らしげだ。ほかに、やや無骨な風貌をしたルーマニアのファウル Faur 社製機関車も2両いる(1990年製造、399 105および106)。

エンジンの唸り音で気がつくと、シェーマ・ロコの赤い車体が車窓を横切っていく。埠頭の作業が完了したようだ。機回しされて列車の先頭に付けば、間もなく出発の合図が聞こえてくるはずだ。

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(左)DBのロゴを付けたシェーマ・ロコ
(右)機回し線を通って客車の先頭へ移動していった

続きは次回に。

■参考サイト
Inselbahn.de  https://www.inselbahn.de/
DB Schifffahrt und Inselbahn Wangerooge  https://www.siw-wangerooge.de/

本稿は、Malte Werning "Inselbahnen der Nordsee" Garamond Verlag, 2014および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

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 北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編
 北海の島のナロー III-ボルクム軽便鉄道 後編
 北海の島のナロー IV-ランゲオーク島鉄道
 北海の島のナロー VI-ヴァンガーオーゲ島鉄道 後編
 北海の島のナロー VII-シュピーカーオーク島鉄道の昔と今

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