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2017年12月29日 (金)

新線試乗記-可部線あき亀山延伸

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河戸帆待川~あき亀山間を走る227系

可部(かべ)線の新しい終点まで行くのに、京都駅の券売機で乗車券を買おうと思った。駅名を度忘れしてしまい、ちょっと慌てたが、なんとか検索で探し当てた。ところが、出てきた切符を見たら、広島市内行きと書いてある! 手間取る必要はなかった。券面表示が同じなら、広島駅まで買えばよかったのだ。

地図・鉄道ファンと広言している割には認識不足も甚だしいが、可部線は駅数が多く、時刻表地図に比較的長めに描かれているせいか、こんな勘違いをしてしまう。実際の営業キロ数は15.6km(横川~あき亀山間)、広島からでも18.6kmと、広電と並走する山陽本線の広島~宮島口(21.8km)に及ばない小規模な都市近郊線だ。

その可部線も、かつては広島市域を出て中国山地深くに分け入り、三段峡まで60.2kmの長い距離を走っていた。しかし、非電化区間の可部~三段峡間は、利用者数の低迷で2003年に廃止されてしまった。しばらくその状態が続いていたが、今年(2017年)3月4日、新たな展開があった。可部から新駅のあき亀山まで1.6km、運行区間が延長されたのだ。見かけは旧線の一部復活だが、線路も駅も一から整備されたので、実態は新規開業に等しい。今回は、遅まきながらその様子を見に行くつもりだ。

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広島近郊路線図、水色のラインが可部線

しばらくぶりで訪れた広島駅は、2階に広いコンコースがオープンして、見違えるように明るくなっていた。南口の改築はこれからなので、これでもまだ変化の途中だ。4番線に降りると、可部線方面の新型電車が停まっていた。こちらも黄色一色の従来車ではなく、2年前(2015年)から投入された新型電車227系だ。ステンレス車体に、カープの本拠地らしく鮮やかな赤帯を巻いている。すでに日中の運行はこの形式の2両編成に統一され、ローカル支線のイメージが一掃された。

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広島駅にて
(左)新型電車227系
(右)黄色づくめの旧型車は朝夕の応援部隊。写真は105系

広島駅を出て横川(よこがわ)までは山陽本線を行く。アストラムラインと連絡する新白島(しんはくしま)駅が中間にできたからか、速度は上がらないままだ。横川駅では、手前でポイントを渡って、島式ホーム5番線に入った。ここからが可部線で、太田川(放水路)の鉄橋を渡り、路線唯一の短いトンネルを抜けた後、川の右岸(西岸)に広がる沖積平野を北上していく。

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横川を出てすぐ太田川放水路鉄橋を渡る
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太田川(放水路)に面する三滝駅

可部線のルーツは、1909~11年に大日本軌道により開業した非電化762mm軌間の軽便鉄道だ。駅間距離が短く、駅構内の造りがコンパクトなのもその名残だろう。1919年に可部軌道として独立したが、その後、1926年に地元の電力会社だった広島電気に買収されて、電化と1067mmへの改軌(1928~30年)が行われた。1931年には広浜鉄道として独立し、1936年に島根県浜田に至る予定線の一部として国有化されて、国鉄可部線となった。

軽便鉄道が開通したころは一面の田園地帯だった沿線も、今や市街地で覆い尽くされている。広々とした車窓風景に出会える区間といえば、太田川を渡る三滝駅の前後や上八木~中島間ぐらいのものだ。

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太田川鉄橋を渡る227系(上八木~中島間)

ただ、前面展望なら他にも楽しめるところがある。可部線のルートは、電化改軌や河川改修に伴い、かなり変わっている(詳細は本稿末尾を参照)が、梅林~上八木間では、道端をゴトゴト走っていた軽便鉄道の面影が残っているのだ。道路とは完全に分離されているものの、梅林駅の前後では可部街道の左側にぴったり沿って走る。10キロポスト付近に来ると、半径160mの急カーブで街道を横断し、今度は道の右側につく。吊り掛けモーターの旧車が似合いそうな線路を、新型227系が進んでいくのは面白い。

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軽便鉄道の面影が残る区間
(左)梅林駅 (右)上八木駅。いずれも上り列車から撮影

広島駅から約40分で、可部駅に到着した。今回の延伸に伴って、駅構内は様変わりしている。右側にあった電車用の頭端式ホーム(旧1・2番線)は使われなくなり、線路も剥がされた。その代わり、三段峡まで通じていた時代に気動車が発着していた3番線が1番線上りホームとなり、その向かいに2番線下りホームが整備された。改札は各ホームの北端に設置され、跨線橋が駅の東西を結ぶ自由通路になっている。

旧市街地に面した狭い東口が昔日の面影を残す一方で、西口は、2007年に造られた立派なバスターミナルが駅の下り改札に直結された(上り改札へは跨線橋の上り下りが必要になったが)。朝、再訪したときは、ここに広島方面行きのバスが次々と発着していた。なにしろ国道は渋滞気味だし、町中の旧道も抜け道に使う車がひっきりなしに行き交い、歩くのに危険を感じるほどだから、可部線の果たす役割は小さくない。

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可部駅東口
(左)駅務室も売店もこちらに (右)改札は上りホーム専用になった
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可部駅西口
(左)アーチをくぐって右手が下り改札。左は跨線橋で東口と上り改札へ通じる
(右)整備された西口バスターミナル

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可部線旧線と新線の比較
(左)可部~三段峡間廃止以前の図(1977~78(昭和52~53)年)。河戸駅は大毛寺川を渡る手前にあった
(右)あき亀山延伸後の図。あき亀山駅は大毛寺川を渡った県営団地跡に設けられた

新線区間は短距離なので、まずは線路に沿って歩いてみた。河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅の小さな駅前広場は県道267号線に面している。帆掛け舟のモニュメントがあったので、太田川を遡る川舟かと思ったら、帆待川の名の謂れを示すものだった。直前に渡った小川は帆掛け舟が通れそうにないし、帆待川がどこにあるのかはわからずじまいだ。新可部や西可部のようなありきたりの名にはしたくなかったとしても、凝りすぎだろう。

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河戸帆待川駅
(左)最小サイズの正面入口 (右)駅名の由来を示す帆掛け舟のモニュメント

さらに歩いていくと、路地の奥に歩行者用跨線橋があるのを見つけた。新線区間の列車を撮るには好都合だ(冒頭写真はここで撮影)。ただ、人通りがさほどなさそうな場所なのに、エレベーターまで付随している。バリアフリーの方針自体は結構なことだが、果たして保守費用に見合うだけの利用があるのだろうか、と余計な心配をしてしまった。

県道267号線の整備区間は大毛寺川(おおもじがわ)の手前までで、そこから昔ながらの田舎道になった。とはいえここも車の通行が結構多く、歩きたくなるような道ではない。終点のあき亀山駅は、高台の住宅地から降りてきた道との交差点を南へ入ったところにある。構内は、頭端型の島式ホームに接する2線の横に、可部駅の設備が移されたのだろう、留置側線が3線並んでいる。駅前には小さなロータリーがあるだけで、市民病院の移転予定地とされる一帯はまだ手付かずの状態だ。

■参考サイト
あき亀山駅付近の最新1:25,000地形図
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.517200/132.496300
あき亀山駅付近のGoogle地図
https://www.google.com/maps/@34.5170,132.4955,17z?hl=ja

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あき亀山駅
(左)正面入口は南向き (右)発着用2線の横に留置線も
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あき亀山駅と可部市街を遠望。川との間の空地は病院の移転予定地

駅名の亀山というのはこの地域の地名(旧村名)で、駅の住居表示も広島市安佐北区亀山南一丁目になっている。旧線にも「安芸亀山(あきかめやま)」と称する駅があったが、場所はもっと西で、新駅の位置はむしろ旧 河戸(こうど)駅に近い。安芸がひらがな表記になったのは、旧駅との混同を避けるためらしい。

ちなみに、周辺を歩いたとき、集落の中に河戸駅の駅名標と待合室が保存されているのを偶然発見した。場所はあき亀山駅の北200mで、グーグルマップにも「旧河戸駅移設地」の注記がある。

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集落の中に旧 河戸駅の駅名標と待合室を発見

駅への進入路の西側には、復活しなかった廃線跡が続いている。線路がまだ残されているのが見えたので、雑草をかき分けながら行ってみた。すっかり赤錆びているものの、レールは左に緩くカーブしながら、家並みの裏手に延びる。線路脇に倒された電柱、8の字(0.8kmの意)が刻まれた距離標と、思いがけない小道具が情趣を添える。だが、それも県道267号線との交差地点(旧 踏切)までで、後はバラストが剥き出しだった。位置的には平野のどん詰まりで、溪谷が目の前に迫っている。

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(左)あき亀山駅西側の廃線跡 (右)倒された電柱と距離標が残る

あき亀山駅へ戻った。簡易改札機にICカードをタッチして、ホームへ上がる。広島行きの列車が停車中だが、昼間の始発駅には人影がほとんどなく、静かだ。病院が移転してくるまで、当面こんな状況が続くのだろう。

定刻になり、列車はバラストも真新しい線路をおもむろに走り出した。見通しのいい直線コースだが、駅間距離800mなので速度を上げる間もない。棒線駅の河戸帆待川で、黒カバンにスーツ姿の二人連れが乗り込んだ。税務署や区役所が近いから、その所用客だろうか。国道54号可部バイパスの高架をくぐり、右へカーブしていくと、早くも可部駅が視界に入った。列車は旧線時代と同じ東側のホーム(現 1番線)へ滑り込み、隣で待機していた下り列車に道を譲る。

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可部駅での列車交換。左の上りホームは旧来のもの、右の下りホームは新設

可部線のルート変遷

横川~安芸長束

軽便時代の駅は可部街道の東側にあり、松原駅の北で街道を横切っていたが、1928年の電化改軌の際に省線横川駅から西へ出発する形に改められた。さらに、戦後の太田川放水路の建設に伴って、1962年に西寄りの現ルートに付け替えられている。

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(左)軽便時代の横川駅は、旧 可部街道の東側にあった
(中)1928年電化改軌の際、省線横川駅から西へ出発する形に改修
(右)太田川放水路建設に伴い、1962年に西寄りの現ルートに付け替え。赤のマーカーは旧線のルート

古市橋~緑井

軽便時代は、安川の旧流路に架かる古市橋を併用軌道で渡り、古市市街地の裏手を通っていた。1929年の電化改軌の際に併用軌道が廃され、現在の直線的なルートとなった。ちなみに、このとき消えた古市駅の名は、場所は異なるもののアストラムラインの駅名として復活している。

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(左)軽便時代は、古市橋を併用軌道で渡り、古市市街地の裏手を通った
(右)1929年電化改軌の際、直線的な現ルートに付け替え

上八木~中島

旧 太田川鉄橋は可部街道の橋梁に並行して架けられ、前後に急曲線があったが、河川改修に伴い、1953年に鉄橋が移設され、曲線も緩和された。

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(左)旧 太田川鉄橋は可部街道の橋梁に並行
(右)河川改修に伴い、1953年に鉄橋とその前後のルートが付け替えられた

掲載の地図は、国土地理院サイト「地理院地図」、国土地理院発行の2万5千分の1地形図広島(大正14年測図、昭和25年修正、平成6年部分修正測量)、祇園(大正14年測図、昭和25年修正、平成6年部分修正測量)、深川(大正14年測図)、中深川(昭和52年修正測量)、可部(昭和52年修正測量)、飯室(昭和53年修正測量)を使用したものである。

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