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2017年12月10日 (日)

コンターサークル地図の旅-北関東3県境会合点

本日のテーマは3つの都府県が境を接する地点、いわゆる3県境会合点だ。こうした会合点は全国で48か所(和歌山県の飛び地に関する4か所を含む)を数えるが、ほとんどが山中か、そうでなければ水面上にある。行政界は稜線や川など自然の境界に設定されることが多いから、当然だろう。一昨年訪れた京都・大阪・奈良の会合点などはまだ到達が容易なほうだったが、それでも藪蚊の猛攻撃をかわしながら、雑木の茂る里山に分け入る必要があった(下注)。

*注 本ブログ「コンターサークル地図の旅-京阪奈3府県境会合点」参照。

ところが全国で唯一、平地の会合点も存在する。栃木・群馬・埼玉3県境のそれだ。渡良瀬(わたらせ)遊水地近くの田んぼの中に、その旨を示す標識杭が打たれているという。本日10月9日はまずここを目指し、周辺を歩く予定だ。ついでに近辺にある茨城・栃木・埼玉の会合点、さらに茨城・埼玉・千葉の会合点(どちらも川の中)にも足を延ばそうと思う。

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三県境界に設置された測量標。中央の+の位置が会合点

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古河周辺の1:200,000地勢図に訪問地点を加筆

東北本線(宇都宮線)の古河(こが)駅西口で、真尾さんのレンタカーに拾ってもらった。参加者はこの二人だけだ。古河の旧市街を抜け、渡良瀬川に架かる三国橋を渡って右へ。見通しのいい渡良瀬遊水地の堤防道路を北上する。昨日から続く好天で、青空がまぶしい。

この道は県道9号佐野古河線(下注)だが、県境を次々と越えていくことで知られている。三国橋の上で茨城県から埼玉県に入るが、約3kmで栃木県に移り、さらに群馬、埼玉、群馬、栃木と目まぐるしく変わる。ご丁寧にも、境界をまたぐたびに県名と市町村名を掲げた道路標識(白看)が立っている。道路は気持ちよく伸びているので、県境のほうが複雑に入り組んでいることがわかるが、なぜこんなことになったのだろうか。

*注 加須市柏戸~古河市街(本町二丁目交差点)間は国道354号線と重複している。

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県道9号佐野古河線を北上
遠方に「道の駅きたかわべ」の特徴的な建物が見える区間で県名標識が林立する
(左)栃木県栃木市 (中)群馬県板倉町 (右)道の駅の入口で再び埼玉県加須市
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道の駅施設の屋上から望む渡良瀬遊水池(谷中池)

下図で、この周辺の今昔を比較してみよう。左は今から110年前、1907(明治40)年の5万分の1地形図を拡大したもの、右は現行1:25,000地形図だ。左図では北西から流れてきた渡良瀬川に、西から谷田川(やたがわ)が合流している。渡良瀬川はこのあたりで大きく蛇行しており、「海老瀬(えびせ)の七曲り」の呼び名があった。3県の境界は川の流路上に設定されていたので、川の合流地点がすなわち3県境会合点だった。

1910(明治43)年から、洪水制御の名目で渡良瀬川の大規模な改修工事が始まり、1918(大正7)年に現在の東寄りの流路に付け替えられた。蛇行していた旧流路は、後に遊水地の造成工事で出た土砂を盛って、耕作地に整備された。しかし、県境は変更されなかったので、結果的に、県境を堤防道路が串刺しするような状況が出現したのだ。3県境会合点が田んぼの真ん中に残されたのも、同じ理由だ。

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栃木・群馬・埼玉3県会合点周辺の地形図
(左)1:50,000地形図(明治40年)を2倍拡大
(右)1:25,000地形図(平成29年)。いずれも県境を赤のマーカーで強調。現在の県境が旧河道をなぞっていることがわかる

車の行く手に、「道の駅きたかわべ」の建物が見えてきた。きたかわべ(北川辺)は、加須(かぞ)市に合併する前の旧町名だ。目的地に近いので、車を停めさせてもらう。連休中とあって、お昼前でも駐車場は満車寸前で、特産品売り場もよく賑わっている。建物の屋上に出て、広々と明るい遊水池(谷中池)の展望を楽しんだ後、いよいよ県境探索に出発した。

実は真尾さんは、すでに二度ここを訪れている。初回は個人で、二回目は2014年10月11日に堀さんを含むコンターサークルのメンバー5名とともに。「あのときも会合点には行ったんですが、周りの入り組んだ県境は歩いてないんです」。再々訪の目的はそれを貫徹することだ。私は私で、前回の旅を仕事の都合で欠席したので、初の踏査を楽しみにしている。

■参考サイト
コンターサークルS前回の訪問記「関東内陸の3県境を訪ねる」
https://ameblo.jp/chizumania/entry-12006028049.html

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道の駅から3県境会合点を望む。県境を白線で加筆

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栃木・群馬・埼玉3県会合点周辺の1:2,500都市計画基本図に加筆
画像は105dpi相当。加須市刊行図のため、空白となる他市町域は1:25,000地形図で補った。図中のA~Iは以下の写真の撮影位置

「境界を歩くために、秘密兵器を用意してきました」と、私は加須市の1:2,500都市計画基本図(上図)を広げた。これなら、1:25,000地形図で描ききれない田んぼの畦道や細かい水路もしっかり載っている。地図に従って、道の駅の南側の法面を降りた。小道の脇に県境が走っているはずだ。しかも、北西に埼玉、南東に群馬という地理感覚を混乱させる配置なので、二人で交互に2県を股にかける記念写真を撮った。このユニークな県境は、畦道にはさまれた溝となってさらに南へ250m続く。途中、溝の北西側に「北川辺町」の標石を見つけた。

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サイクリストが県境を越える(背景は渡良瀬遊水池(谷中池)、上図のA地点)
北西に埼玉県、南東に群馬県(!)
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埼玉・群馬県境
(左)右足は群馬、左足は埼玉に(B地点) (右)県境の北西側に旧 北川辺町の標石

車道に接近する一歩手前、コスモスが風に揺れる草道と出会う地点で、県境は東へ向きを変える。さっきよりはやや深い水路に沿って200m弱進むと、県境は、東西に延びる新設の街路と二度クロスする。この街路の南側にはみ出した部分は、三角形の公園に整えてあるのがおもしろい(下注)。さらに草をかき分けながら住宅裏の畦道をたどっていくと、目標の地点が見えてきた。

*注 1:25,000地形図ではこのはみ出し部分を長く描きすぎている。会合点の位置もあいまいだ。

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埼玉・群馬県境
(左)南北に延びる農道の右側が県境(C地点)
(右)群馬県域に含まれる三角公園(D地点)

変哲のない田園地帯というのに、何人か先客の影がある。それもそのはず、今やこの3県境会合点は、にわか観光スポットになっているのだ。道の駅には案内パンフレットが置いてあったし、私たちがここに滞在した短い間だけでもグループが2組現れて、順番に写真に収まっていた。自撮り用にと、スマホやカメラを置く台まで作ってある。

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(左)県境の水路の先の会合点には先客が(E地点)
(右)道の駅にある3県境のPRコーナー

当の会合点は、小さな水路がT字状に交わる地点で、水路の中に「三県境界」と刻まれた測量標が設置されている(冒頭写真)。水準点に使われるのと同様の、金色に光る立派なものだ。「地元の方が作った立札は3年前もありましたが、測量標はなかったですよ」と驚く真尾さん。パンフレットには、昨年(2016年)1月から3月にかけて県境の改測が実施され、その際に、ここで以前入れられたと思われる杭が発見されたとある。この測量標はそれに代わるものらしい。しかし見物客にとっては、溝に隠れた測量標より、目立つ手製の立札のほうがむしろいいようだった。

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栃木・群馬・埼玉3県境会合点

私たちは会合点から延びる小水路、すなわち栃木・埼玉の県境を東へたどることにした。渡良瀬川の旧流路をなぞっているから、緩く左にカーブするのはわかるが、なぜか栃木側がやや高い。住宅の裏を縫うようにして進むと、堤防の手前で資材置き場のフェンスに阻まれた。この平行四辺形の造成地は2県にまたがっている。

次に堤防下の側道を遡上し、栃木・群馬県境となった旧流路跡の小水路に沿って、会合点に戻った。さっきいた人たちとは別のグループが来ている。なかなかの人気だ。通りがかりの人の話では、3県境がマスコミにも取り上げられた去年はもっと多かったらしい。

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栃木・埼玉県境
(左)こちらも小さな水路が県境(F地点) (右)集落入口、堤防際に建つ祠(G地点)
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栃木・群馬県境
(左)カーブミラーには藤岡町(現 栃木県栃木市)と記載。道路標識は群馬県板倉町(H地点)
(右)栃木・群馬県境の小水路をたどって会合点に戻る(I地点)

一つ目の会合点と県境探索を完遂した私たちは、道の駅に戻って、次の目的地である茨城・栃木・埼玉3県境会合点へ車で移動した。県道9号を古河のほうへ戻り、遊水地と渡良瀬川を区切る堤防の水門脇に出る。会合点があるのは渡良瀬川の水面上だ。河川改修以前は、ここで渡良瀬川に思川が合流していた。旧版地形図(下図左)に描かれたとおり、三国橋はこの場所に架かり、文字通り下総(下注)、下野、武蔵の三国を渡っていたのだ。堤防の天端に立つと、対岸のゴルフ場と古河市街が望めるが、その手前にあるはずの肝心の水面は、ススキその他背の高い草の陰に隠れて、ほとんど見えなかった。

*注 古河(旧 猿島郡古河町)は茨城県だが、下総国に属する。

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遊水地堤防から茨城・栃木・埼玉3県会合点を望む
しかし会合点のある水面はほとんど見えない

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茨城・栃木・埼玉3県会合点周辺の地形図
(左)1:50,000地形図(明治40年)を2倍拡大 (右)1:25,000地形図(平成29年)

三つ目の会合点へ赴く途中、加須市伊賀袋(いがぶくろ)に残された河跡湖(三日月湖)に寄り道した。渡良瀬川の旧河道で、ふれあい公園の名で周囲と併せて整備されている。湖といっても泥に覆われてまるで干潟のようだが、申し訳程度に流れる水でも、逆光で眺めると、悠然たる大河の気配を漂わせるから不思議だ。「渡良瀬川本流だったときは、ここに県境が通ってたんです」と真尾さん。確かに、遊水地周辺とは違って、県境が新しい渡良瀬川に沿っている。かつて茨城県(猿島郡新郷村)だった伊賀袋は、河川改修後の1930(昭和5)年、地続きになった埼玉県(北埼玉郡川邊村)に編入されたのだ。

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公園に整備された伊賀袋の河跡湖

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伊賀袋周辺の地形図
(左)1:50,000地形図(明治40年)を2倍拡大 (右)1:25,000地形図(平成29年)

国道354号線を東へ進み、境大橋で利根川を渡って、かつて水運で栄えた関宿(せきやど、現 千葉県野田市)へ。江戸川沿いに建つ関宿城博物館で、河川改修の歴史展示を見た後、茨城県五霞(ごか)町へ回って、江戸川の堤防の上に立つ。茨城・埼玉・千葉の会合点はかつて権現堂川、逆川、江戸川の合流・分流点だったところで、今も江戸川の水面上だ。最高気温26度と10月にしては暑い一日だったが、さすがに堤の上は心地よい風が吹き通っている。合流点の向こうに顔をのぞかせる関宿城の模擬天守、そのちょっと意外な構図をカメラに収めて、本日の全行程を終了した。

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江戸川の中の茨城・埼玉・千葉3県会合点。正面奥に関宿城博物館の模擬天守

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茨城・埼玉・千葉3県会合点周辺の地形図
(左)1:50,000地形図(明治40年)を2倍拡大 (右)1:25,000地形図(平成11年)

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図古河(平成29年8月調製)、下総境(平成11年修正測量)、宝珠花(平成11年修正測量)、5万分の1地形図古河(明治40年測図)、水海道(明治40年測図)、20万分の1地勢図宇都宮(平成22年修正)および加須市都市計画基本図No.2(縮尺1:2,500)を使用したものである。

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