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2017年11月12日 (日)

コンターサークル地図の旅-美馬牛の谷中分水と尾根を行く水路

2017年6月18日、朝7時台のライラック3号で札幌を発ち、旭川までやってきた。乗り継ぐ富良野線の列車は2番線に停まっている。車内に入るとほぼ座席が埋まるほどの盛況ぶりで、インバウンドの旅行者とおぼしきグループもちらほらいる中に、堀さんの姿を見つけた。

列車は旭川駅を出ると、初夏の光眩しい郊外を一直線に南下する。今朝は雲一つない快晴で、左の車窓から、遠く連なる北海道の脊梁山地がすっきりと見通せる。「あのひときわ高いのが大雪山系ですよ」と、山々の名を堀さんに教えてもらいながら、約50分列車に揺られて目的地の美馬牛(びばうし、下注)に着いた。

*注 駅舎にあった説明板によれば、美馬牛という牧歌的な地名は、「カラスガイの多いところ」という意味のアイヌ語「ピパウシ」から来ているそうだ。カラスガイは湖沼に棲む大型の二枚貝で、本州ではカワシンジュガイと呼ぶとのこと。

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美馬牛南東の丘にて

美馬牛は富良野線のサミットの駅で、美瑛(びえい)町と上富良野(かみふらの)町の境界付近に位置する。美瑛の丘と呼ばれ、道央の人気観光地として必ず名前の挙がるエリアだから、私たちのほかにも、旅支度をした若者たちが何組か、同じホームに降り立った。赤屋根の小さな無人駅舎に集まったのは、堀さん、真尾さん夫妻、ミドリさん、河村さん、草間さん、私の7人。今日の行程を確認し合った後、さっそく2台の車に分乗して出発した。

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美馬牛駅に集合

旭川盆地の周縁部に当たるこの一帯は、十勝岳連峰からもたらされた火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が浸食されて、なだらかな尾根と谷が交互に並ぶ独特の地形が広がっている。河川は基本的に北西へ向かうのだが、断層活動で富良野盆地が沈降した影響で、一部が鞍替えして南の富良野川へ流れ込むようになった。そのため、谷中分水(こくちゅうぶんすい)や、谷筋が途中でUターンするといった珍しい地形が生まれている。谷の途中で川の流れる方向が逆になる谷中分水は、地形図に明確に示されているものでも付近に2か所あり、まずはそれを見に行くつもりだ。

堀さんはすでに1970年代に、この地を訪れている。『地図の風景 北海道編 I 道南・道央』(そしえて、1979年)の134ページ以下にその記述があるが、「あのときは近いほうの分水界を確かめましたが、もう一つのほうは見なかったように思うんです」。それがこの旅を企画した動機だそうだ。

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美瑛・上富良野周辺の1:200,000地勢図
茶色の枠は下記詳細図の範囲を示す
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美馬牛周辺の1:25,000地形図に加筆

駅前から北西へ延びる道を、国道237号線を越えて少し進むと、早くも一つ目の谷中分水に到達する。地形図(上図右上の円内)では、道に沿って流れる小川がここで約500mの間、途切れている。流路を図上で追うと、北ではルベシベ三線川となって美瑛川へ注ぎ、南は江幌完別川で他の川と合流して富良野川となる。つまり、川が描かれていないこの間に、流れる方向を変える傾斜転換点があるはずだ。

クルマを降りて周囲を観察してみるが、メンバーから「どこが分水なんですか」という質問が飛んだ。以前訪れた愛知県巴川の谷中分水は稲田に囲まれていたので、灌漑用水路の流水方向が途中で反対になるのが明確だった(下注)。それに比べてこのような畑作地帯では排水溝も見当たらず、分水界を断定する方法がない。

*注 巴川の谷中分水については、本ブログ「コンターサークル地図の旅-巴川谷中分水」参照。

谷間の先に目を遣ると、両側ともわずかに下っているから、このあたりが鞍部であることは疑いない。谷を横切る農道(幅員3.0m未満の道路の記号)に沿って町界が走っているのも傍証になる。尾根を行政界に利用するのはよくあることだからだ。しかし、谷を貫く道路には町界標が立っておらず、驚いたことに、道路脇に立ち並ぶスノーポールは、上富良野町域に入ってもなお美瑛町と書かれていたのだ。

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一つ目の谷中分水、東~南方向を望む。画面中央を横切る道が分水界か?

もやもや感が抜けきらないまま、二つ目の谷中分水(上図左上の円内)へ向かった。美馬牛から丘を越えてきた道道70号芦別美瑛線が、谷に沿う二車線道と交差する地点で車を停める。こちらは周りの丘が高く、谷は北側で明らかに下っていて、より鞍部らしい地形だ。道路脇に溝が切ってあったが、水は流れていなかった。ミドリさんが、地形図に水準点が書かれていると言って、俄然張り切る。いっしょに交差点近くの草むらを探してみたが、怪しげなポールが立っているものの標石は見つからない。それどころか道路脇の家の人が出てきて、「ここは私有地ですが」と咎められてしまった。

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二つ目の谷中分水、西方向を望む。画面中央の2車線道路が分水界

次は、Uターンする谷筋だ。「日本の地形図では珍しく、開拓川には北向きに、トラシエホロカンベツ川には南向きに、流れの向きを示す矢印がついている。」と、同書で堀さんが言及した場所で、この分水界のすぐ南にある。286m標高点の三叉路を右(西)へ折れて、小橋を2本渡った。後のほうが、開拓川に架かる第2海老名橋だ。ここまで北向きに調子よく下ってきた開拓川は、急に向きを変えて、南へ流れるトラシエホロカンベツ川に合流する。

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開拓川Uターン地点 (左)第2海老名橋 (右)川は左奥からカーブしながら橋の下へ

トラシエホロカンベツ川と東隣の江幌完別川には、こうした転向支流がいくつもあり、本流がかつて北へ流れていた形跡を残している。一方、上富良野市街の西を流れるエバナマエホロカンベツ川は、上流部に同じような谷中分水地形と転向支流を擁しているのに、本流が北向き、支流が南向きと、前2者とは逆の関係になっているのが面白い。

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「まるごとザンギ」おにぎり

橋の欄干を腰掛け代わりにして、昼食を広げた。先日、秋田の「ぼだっこ」でご当地もののおにぎりに味を占めた私は、旭川駅のコンビニで「まるごとザンギ」と書かれた海苔巻きを買ってきた。もちろん、ザンギが下味を付けた鶏の唐揚げであることを知らなかったのは、道外から来た私だけだったのだが。

*注 「ぼだっこ」については、「コンターサークル地図の旅-岩見三内(河川争奪、林鉄跡ほか)」参照。

空腹を満たした後は、ミドリさんのリクエストで、急カーブする前の開拓川を源流へ向かって遡る。しかし、2車線道路はしばらく行くと左(東)へそれてしまい、直進側は細い未舗装道しかなかった。「上流まで道があることはありますが、どっちみち川から逸れて森の中へ入ってしまいます」と、地形図でナビをしていた私。

右手に、丘を一直線に上っていく道が見えたので、「それじゃ、この道の上から森を眺めることでよしとしましょうか」と真尾さんが提案した。比高50mはある急傾斜の丘を、クルマで這うように上っていく。周辺より少し高度があるので、私も「後ろを振り向いたら、きっといい景色ですよ」と予言する。

道が行き止る柵のところで車を降りると、果たして期待通りだった。一直線に遠ざかる野道を軸にして、緑系とベージュ系の色のパッチワークで覆われた丘が、緩やかにうねりながら見渡す限り広がっている。その表面を撫でるように、ゆっくりと雲の影が渡っていくのが見える。パノラマの背後では、十勝岳連峰が山肌にまだ雪渓をとどめたまま、縹色の屏風となって空を限っている。

一同思わず「すごーい」と一言発した後、しばらく言葉が続かない。真尾さんが沈黙を破って「十勝岳がこんなにきれいに見えたのは記憶にないですよ」。それにこの春、道内の旅の日は概して天気がすぐれず、今日は久しぶりの好天だったそうだ。絶景の前で記念写真を撮ったあと、少々お疲れの堀さんを美瑛駅まで送っていった。

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美瑛の丘と十勝岳連峰のパノラマ
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展望地で記念撮影

駅への最短ルートは、西11線農免農道だ。横たわる丘の列を次々と横断していくので、極端なアップダウンが連続する。「ここはジェットコースターの道と呼ばれてるんです」と真尾さん。途中、「かみふらの八景」という標柱が建つ空地に数台の車が停まり、十勝岳の眺望を楽しむ人垣ができていた。この景色も悪くはないが、さっきの無名の展望台のほうが、視点が高い分、ダイナミックな眺めなのは間違いない。

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ジェットコースターの道

ユニークな地形景観を楽しんだ後は、周辺の「青い川」と「不思議な用水」を訪ねることにした。美瑛駅から、美瑛川の谷沿いに走る道道966号十勝岳温泉美瑛線を、白金温泉(しろがねおんせん)方面へ進む。

白金温泉の3kmほど手前に、「青い池」と呼ばれるスポットがある。池といっても砂防用のブロック堰堤に美瑛川の水が滞留しただけだが、青みを帯びた水と立ち枯れした林の組合せが幻想的だと評判が高く、今では美瑛の定番観光地の一つになっている。しかし人気が出過ぎて、駐車場の空き待ちをする車で道路が渋滞するほどだというので、私たちは敬遠し、代わりに、池に青い水を供給している川を見に行った(下注)。

*注 後日(同年8月27日)、真尾さんとミドリさんは青い池の訪問を敢行している。

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白金温泉周辺の1:25,000地形図に青い池その他を加筆

白金温泉の入口に架かるブルーリバー橋の前で車を停める。美瑛川の渓谷(白金小函)を高い位置でまたぐトラス橋は、川と滝と山並みをセットで眺める格好の展望台で、多くの人が歩いていた(下注)。上流側に目を遣ると、右側の断崖に幾筋もの滝が簾のように掛かっている。白ひげの滝だ。約30万年前に堆積した土石流の上に新しい溶岩が被さり、その二つの地層の間を通ってきた水がここで湧き出すのだという。

*注 ブルーリバー橋の本来の用途は、十勝岳の噴火に備えて、白金温泉から対岸に設置されたシェルターへ通じる避難経路。

滝もみごとだが、水の色は、それより上手ですでに美しいターコイズブルーに染まっている。後で調べたところでは、橋からも見える硫黄沢川と美瑛川の合流点あたりから、その現象は強まるらしい。十勝岳の斜面を水源とするこれらの沢の水はアルミニウムを含んでいて、美瑛川の水と混ざるとコロイド状の粒子が生成される。それが波長の短い青色光を散乱させて目に届くのだそうだ。

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ブルーリバー橋から眺める白ひげの滝と青い川(美瑛川)
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(左)ブルーリバー橋 (右)左が美瑛富士、右が美瑛岳

十勝岳は今も噴煙を上げていて、沢の水には硫黄分も多く含まれる。そのため、美瑛の丘を潤す用水は沢より少し上流で取水されている。道内各地の水路を追いかけている河村さんは取水口を見たかったのだが、地形図を読む限り、谷底にあって近づけそうにない。それで下流に目を転じた。水路の水は美瑛川を横断した後、道道に並行する林道に沿って下り、いったん、しろがねダムの貯水池(四季彩湖)に溜まる。その後、一部がオヤウンナイ川を経由して美瑛川に戻り、下流で再び取水されて、別の水路に入っていく。

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(左)砂防ダムの流木捕捉工は、ラピュタのロボット兵を連想させる (右)この水が青い池をつくる

この水路は大規模な土地改良以前の古い用水で、地形図(下図)にも明瞭に描かれている。不思議な用水と言ったのは、水路が丘陵地の尾根を伝っているからだ。もちろん高台に水を万遍なく行き渡らせるためだが、地図では川の記号が使われるので、本来、谷底に描かれるはずの川が周囲より高いところにあるという不思議なことになるのだ。

目を付けたのは、美瑛町御牧(みまき)で、道道824号美沢美馬牛線から右へ分かれる道が、丘のサミットに達する地点だ。水路が鞍部を横断しようとして、この道と交差している。車を停めて雑木林の中を探すと、すぐに水路が見つかった。まだ根元に近い区間なので、けっこうな水量を保って勢いよく流れている。地形図を見ていたミドリさんが、「この水路は、熊見川というそうです」と報告する(下注)。「自然の川みたいだな」「開拓時代はこのあたりにも熊が姿を見せたんでしょうね」。不思議な川に値する新しい発見だ。

*注 現行の地理院地図では、この注記は消されている。

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尾根筋を流れる用水路(熊見川)

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熊見川の注記がある用水路(1:25,000地形図置杵牛(平成13年修正測量)に加筆)

これを最後の探索にする予定だったが、美馬牛駅の方へ戻る途中で誰かが、谷を隔てた緑の丘の上に水路橋が延びているのを見つけた。背丈は低いものの、傾きかけた陽の光を浴びて、まるでローマの水道橋か何かのように堂々と見える。「行ってみたいですね」と河村さん。「行ってみましょう」と衆議一決して、たもとまで道が描かれている東側の谷へ回った。トラクターが動いている畑の中の道を突っ切る前に、午前中の教訓で、真尾夫人がトラクターを操っていた人に声をかける。許可をもらって車を入れ、水路の手前につけた。

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向かいの丘の上に水路橋を発見
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反対側からの水路橋の眺め

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水路橋周辺(1:25,000地形図に加筆)

水路は熊見川の続きだ。たどってきた尾根筋がここで細まり、少し痩せてもいる。それで、用地幅が必要な土盛りを避けて、高架橋を渡したようだ。両側が畑になった尾根の上だから、眺めがいいのは当然だが、吹きつける風の強さも半端ではない。風圧にたじろぎながら水路の来た方を振り返ると、緑とベージュのパッチワークのかなたに、十勝岳連峰や幌内山地が西日を受けて、輪郭を際立たせている。美瑛の旅を締めくくるのにふさわしい景色だった。

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丘の上に水路橋を追う
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振り返れば十勝岳連峰の眺望

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図美馬牛(平成29年6月調製)、白金温泉(平成26年4月調製)、置杵牛(平成13年修正測量)、20万分の1地勢図旭川(昭和54年要部修正)を使用したものである。

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