« 城下町岩村に鉄路の縁 | トップページ | スロベニア 消える湖、消える川 »

2017年9月 3日 (日)

ポストイナ鍾乳洞のトロッコ列車

中欧スロベニアの南西部からアドリア海の間には、石灰岩やドロマイトなど水溶性の岩石が造り出す複雑怪奇な地形が横たわる。カルスト地形というよく知られた用語は、スロベニア語でクラス Kras と呼ばれるこの地方のドイツ語名称を借りたものだ(下注)。

*注 クラスはドイツ語でカルスト Karst、イタリア語ではカルソ Carso になる。

Blog_postojna1
トロッコ列車が地中の「コンサートホール」を駆け抜ける
image from www.slovenia.info

首都リュブリャーナ Ljubljana から西へ向かう列車は、このカルストの波打つ高原を越えていかなければならない。たどるルートは、ローマ時代からあるパンノニア平原(現 ハンガリーとその周辺)と北イタリアを結ぶ交易路だ。標高610mの峠道は回廊状になっていて、ポストイナ門 Postojnska vrata と呼ばれる。近現代に至るまで戦略的に重要な場所で、今も幹線鉄道と高速道路が並走している。

Blog_postojna_map1

ポストイナというのは、峠道から下りたところにある小さな町の名だ。しかしその名は門よりも、鍾乳洞(下注)の存在によって世界に知られている。カルスト地形では珍しくない鍾乳洞だが、ポストイナの裏山の地下に横たわるそれは総延長が約24kmあり、同国でも一二を争う規模を誇る。その一部、往復5kmが観光用に公開されており、1日数回行われるガイド付きツアーで見学することができる。

*注 公式名称はスロベニア語で Postojnska jama(ポストイナの洞穴)、英語でも Postojna Cave だが、日本ではこの種の洞穴を鍾乳洞と呼ぶので、本稿では「ポストイナ鍾乳洞」とした。

Blog_postojna2
ポストイナ鍾乳洞の管理棟(鍾乳洞宮殿 Jamski Dvorec)、左奥が洞口
image from www.slovenia.info

ポストイナ鍾乳洞のユニークさは、規模の大きさにとどまらない。ここにはおそらく世界でも類のない、鍾乳洞の中を走るトロッコ列車があるのだ。ツアー参加者は、洞内に入るとまず、このミニ列車に乗って、地中の奥深くへ運ばれていく。約10分乗車した後、ガイドに従って、徒歩で鍾乳洞の最も見ごたえのある区間を巡る。そして、コンサートホール Koncertna dvorana と呼ばれる大空間から、再び列車で入口まで戻ってくる。全行程の所要時間は約1時間半だ。

洞内軌道は620mm軌間で、上下別線になっている(見かけは複線)。終端はループ化されており、周回線路の総延長は3.7kmに及ぶ。また、降車ホームと乗車ホームは分離され、両者の間は回送運転になる(下図参照。図中、departure platform が乗車ホーム、arrival platform が降車ホームの位置)。列車は、蓄電池式機関車が牽引し、2人掛け×4列の簡素な2軸客車を多数連結している。それでも押し寄せる訪問客をさばくために、繁忙期は60分ごとに続行で運行されるのだ。

■参考サイト
YouTube ポストイナ洞内軌道の乗車映像(4K解像度)
 往路と復路が逆に編集されているので注意。全20分のうち、前半は「復路」の後方、後半は「往路」の前方の映像になっている
https://www.youtube.com/watch?v=u3CE6hzDE0A

Blog_postojna3
線路は上下別線
photo by fish tsoi at flickr.com, CC BY 2.0
Blog_postojna4
洞内の終点(降車ホーム)、ここから徒歩ツアーが出発する
image from www.slovenia.info

Blog_postojna_map2
地形図で見るポストイナ鍾乳洞
赤の鉄道記号が洞内軌道のルート、青線が徒歩ツアーのルート

公式サイトから取得した洞内平面図を、1:25,000地形図に重ねた。位置照合は、Geodetski zavod Slovenije 発行の観光地図 "Karst of Notranjska" を参考にした
(c) Geodetska uprava Republike Slovenije, 2017

観光用の軽鉄道とはいえ、鍾乳洞の公式サイトによれば140年もの歴史があるという。ポストイナ鍾乳洞は、未知の通路が発見された1818年以降、人々に知られるようになった。ウィーン~トリエステ間のオーストリア南部鉄道 Österreichische Südbahn がポストイナを経由した19世紀中期には、すでに洞内に鉄道を敷く構想があったが、実現はしなかった。

初めて洞内にレールが敷かれるのは1872年だ。入口から洞内のカルバリ Kalvarija(下注1)と名付けられた地点まで、1,534mの長さの人車軌道だった。ルートにほとんど坂道がない(下注2)ので、案内人一人で、二人乗りの小さな客車を押して走らせていたという。しかし、訪問者が増加すると、人力に頼る運行形態には限界が来る。

*注1 カルバリはいうまでもなくキリスト受難の丘のことだが、現在は「大きな山」 Velike gore / Great Mountain と呼ばれる。
*注2 実際、軌道が走る周囲の床面は平坦化されており、人工的に整備したのは間違いない。

1914年に、モンタニア Montania と呼ばれるガソリンエンジンで走る機関車と4人乗り客車が、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社に発注された。モンタニアは鉱山や林業で使われていた小型機関車だ。しかし、第一次世界大戦が勃発したため、納入は延び延びになり、予定の運行が可能になったのは、線路の改修が完了した1924年だった。

当初、1日4便が運行され、初年度は15,588人がそれを利用して鍾乳洞を巡った。翌25年には3軸の、より強力な新型モンタニアが6人乗りの新しい客車とともに導入された。1928年には、鍾乳洞の入口に、レストランや待合室がある今の管理棟がオープンし、プラットホームも整備された。ただし、今と違って、列車を利用せずに徒歩だけで巡ることもまだ可能だった。徒歩ツアーは1963年まで維持されていた。

第二次世界大戦後、鍾乳洞の訪問者数はますます増加したが、引き続きガソリン車が使われたため、洞内の空気汚染が深刻化していった。1957年にようやく、蓄電池で動くエマム Emam 機関車2両が配備されてモンタニアを置き換え、完全無煙化を達成した。エマムは1959年と1964年にも各1両が増備された。

一方、線路も改良の必要に迫られていた。単線で、中間の信号所が2か所しかなく、同時に3本運行するのが限度だったからだ。1959年から複線化の検討が始まり、第一段階として、鍾乳洞入口のループと2本目の線路が1964年6月20日に開通した。このとき、洞内の終点はまだ頭端構造だったが、1967年に第二段階の、人工トンネルを介したループが最奥部で開通し、現在の周回線が完成した。

1978年には蓄電池式機関車は12両を数えるまでになったが、1988年に新型6両が調達されて、8両の旧型車を置き換えている。来年(2018年)は鍾乳洞発見200周年に当たり、これを機に管理会社では、輸送システムのさらなる更新を計画しているそうだ。

本稿の最後に、1999年8月に筆者が訪れたときの簡単なレポートを記しておこう。

リュブリャーナ8時10分発のプーラ Pula 行き列車で、霧の中をゆるゆると走って、ポストイナ着9時02分、ホームに降り立ったのは数人だった。貨物駅かと思うほど駅前にも何もなく、地図帳を紛失して土地不案内の私たちは、道なりに進んでなんとか町の中心部に出た。案内所があったので地図を所望するも、窓口氏は「not exist」とにべもない。

Blog_postojna5
(左)ポストイナ駅に到着。構内は広いが貨物駅のよう (右)鍾乳洞の平面図

道路標識を頼りに歩くこと10分ほどで、鍾乳洞の施設が見えてきた。訪問者はみなマイカー利用のようで、なるほどこれでは公共交通が成立しないはずだ(下注)。毎時00分にツアーが出るとパンフレットにあったので、急いで入場券の窓口に並んだ。平日でもかなりの人出だ。

*注 2017年現在、リュブリャーナからポストイナ鍾乳洞行きのバスが平日3本、休日1本設定されている。なお、鍾乳洞には立ち寄らないものの、ポストイナ市街を通る路線バスは多数走っている。

エントランスを入っていくと、トロッコ列車が待機している。遊園地のジェットコースターのような短いオープン客車が10両ほども連なっている。ドアもシートベルトもないのだが、走り出したらやたらと飛ばす。それも本物の鍾乳洞の中なので、鍾乳石の垂れ下がる大広間があるかと思えば、頭をこすりそうな素掘りのトンネルをくぐる。通路幅が狭くなると上り線と下り線が離れていき、また近づいてくる。スリリングな場面展開は、造り物のアトラクションの比ではなかった。

Blog_postojna6
(左)乗降客で混雑する入口駅 (右)鍾乳石の垂れ下がる洞内を行く
Blog_postojna7
第2次大戦中、ナチスドイツが洞内を火薬庫に使用していた。パルチザンが火をつけたため、洞内に煙が充満した。黒い鍾乳石はその名残

これだけでも十分楽しめたのだが、列車を降りた後、ガイドによる洞内ツアーがある。私たちは「English」の立札のもとに集合したが、ガイド氏の話は率直なところよくわからない。一応ついていきながらも、半分勝手に行動したので、いつのまにか後ろの「イタリアーノ」組に追いつかれてしまった。

鍾乳石は見事に保存されていて、スパゲティと呼ばれる細い糸のような石や、削り節をくねらせたような石のように、繊細な造形がそのまま見られる。かなり奥深いところなので、荒らされる前に保護の網をかぶせることができたのだろう。洞穴はピウカ川 Pivka River が造ったはずだが、水流が全く見られないのは、別の場所を通っているからだという(下注)。

*注 ピウカ川は、上の地図でライトブルーに塗った洞穴を流れている。なお、入口の降車ホーム付近だけは、川が流れる洞穴に設けられているため、水音がする。

ツアーが終わる直前、類人魚なる生き物が入れられた水槽の前を通過した。ライトを当てられっ放しだが、闇の中で生きてきた類人魚は大丈夫なのだろうか。徒歩による鍾乳洞見学は1時間ほどで終わる。予想に反して、ガイド氏はチップを要求することもなく、帰りの列車の時刻だけ告げて、どこかへ消えてしまった。

Blog_postojna8
徒歩ツアーで巡る鍾乳洞、「スパゲティ」が天井を覆う

■参考サイト
ポストイナ鍾乳洞(公式サイト) http://www.postojnska-jama.eu/

★本ブログ内の関連記事
 スロベニア 消える湖、消える川
 ベルギー アン鍾乳洞トラム I

« 城下町岩村に鉄路の縁 | トップページ | スロベニア 消える湖、消える川 »

東ヨーロッパの鉄道」カテゴリの記事

軽便鉄道」カテゴリの記事

コメント

いつも詳細な記事、適切な地図や写真に感嘆しております。
 先月にツアーながらポストイナを訪れたばかりということもあり、普段以上の興味を持って拝見しましたところ、洞内鉄道路線図を地形図に重ねたものに驚きました。
 御礼の意味も込めて、情報を提供いたします。戦前の旅行ガイドといえばベデカ(Baedeker)ですが、1913年版の "Österreich-Ungarn" に描かれた詳細図にはなんとこの鉄道路線が描かれているのです(ドイツ語で Adelsberg と表記)。
https://archive.org/details/sterreichungar00karl
から、例えばPDFをダウンロードすれば246~247コマがそれです。
 更に1929年版の"Dalmatien und Die Adria" (数年前にネットで購入し、旅行にも持参しました)では、図自体を書き直して更に詳細なものになっています。あいにくネット上でこれを見つけることはできませんでした。
 デジカメの性能が向上したため、ストロボなしでも撮影できるようになり、今回はトロッコに乗車した往路は全区間を動画撮影してしまいました。

ブログをご覧くださりありがとうございました。
お教えいただいたサイトを拝見しました。ベデカはさすがに詳しいですね。
ポストイナやシュコツィアンがその頃から注目の観光地であったことがよくわかりました。
私は大した情報も持たずに回ったので、もっと調べていけばよかったと思います。
貴重な情報をありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 城下町岩村に鉄路の縁 | トップページ | スロベニア 消える湖、消える川 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

BLOG PARTS


無料ブログはココログ