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2017年6月28日 (水)

ニュージーランドの1:250,000地形図ほか

前回紹介した1:50,000のほかにも、ニュージーランドにはいくつかの地形図シリーズがある。縮尺の大きいものから順に紹介していこう。

1:25,000

1:25,000(NZMS 2 シリーズ)は、1マイル1インチ地図である NZMS 1 と重なる時期に、ごく一部の地域で製作されたに過ぎない(下注)。製作期間も1942年から1960年代半ばまでで、少し間が空いて1972年に出た S83-5 Burnham 第2版が最後の更新となった。その後は刊行されていない。

*注 これとは別に、北島のオークランド Auckland では仕様の異なる NZMS 2A シリーズ(1940~51年)が、同じくワイオウル Waiouru では NZMS 2B シリーズ(1940~59年)が刊行されていた。

図郭は、NZMS 1 のそれを縦横3等分した東西15km×南北10km、地勢表現は50フィート間隔の等高線による。NZMS 1 と異なり、密集していない市街地に黒抹家屋の記号が使われており、建物の並び方を読み取ることができる。街中に点々と置かれた赤色は郵便局の位置を示し、Pt の注記も Post Office with Telephone の略だ(下注)。また、街路にかなりの密度で張り巡らされた市電の線路も、鉄道ファンとしては興味深い。NZMS 1 では併用軌道の記載が省略されてしまうから、貴重な図化資料といえる。

*注 凡例によれば、Pt は電話のある郵便局 Post Office with Telephone、PT は郵便・電話局 Post & Telephone Office、P のみは郵便局、t のみは電話局を示す。

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25,000図の例 ウェリントン市街(1952年8月初版)
Sourced from NZMS 2 Map N164/2 Wellington. Crown Copyright Reserved.

1:250,000

1950年代からの歴史をもつ1:250,000は、現在も更新が維持されている。初代シリーズは NZMS 18 で、1958年から1982年にかけて製作された。図郭は東西180km×南北120kmで、26面で全土をカバーした。地勢表現は、500フィート間隔の等高線にぼかし(陰影)を併用しているが、NZMS 1が未整備だったために等高線が描かれないエリアも散見される。

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250,000図表紙
(左)旧表紙 Christchurch 1982年版 (右)新表紙 Auckland 1997年版

1969年のメートル法採用をきっかけに、ニュージーランドでは1977年から新たなシリーズへの切替えが始まった。1:50,000の NZMS 260 シリーズに対して、1:250,000には NZMS 262 のシリーズ名が与えられた。図郭は東西200km×南北150kmに拡大され、18面で全土をカバーする。1985年に刊行が完了し、その後1998年まで更新が続けられた。

等高線間隔は100mで、ぼかし(陰影)も掛けられているが、NZMS 18 と同じ事情で、1:50,000の整備が間に合わずに等高線が省かれた図葉がある。その代替として、ハイライト(光の当たる側)に橙色、シャドーに灰色を置いて陰影を強調する2色法が試みられた。ここに自生林 Native Forest を表す青みを帯びた緑のアミが加わると、美的にも優れた図ができあがる。

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250,000図の例 トンガリロ山群
1980年初版は等高線がなく、2色陰影法で地勢を表現する
Sourced from NZMS 262 Map 6 Taranaki. Crown Copyright Reserved.
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同 1987年第2版で等高線が入れられた
Sourced from NZMS 262 Map 6 Taranaki. Crown Copyright Reserved.

地図記号は1:50,000のそれを簡略化したもので、デザインは共通だ。小縮尺で実形が表せなくなるためか、空港・飛行場には専用記号が設定されている。さらに国際空港 International airport には赤の、地方空港 Domestic airport には黄色の、それぞれ塗りが加わる。地物の記号でも、各種電波塔、送電線、灯台など、飛行中の目標または障害物に関わるものが取り上げられているのが興味深い。

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Topo250表紙
Auckland 2015年版

このNZMS 260 は、2009年にニュージーランド測地系2000に基づく NZ Topo250 へ一斉に切り替えられ、現在はこのシリーズが流通している。Topo50 と同じくA1判で縦長化されたので、図郭は東西120km×南北180kmとなり、それに伴い、面数は31面に増加した。

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1:250,000の3世代比較 オークランド
(左)NZMS 18 1977年版 マイル・フィート表示、道路は橙1色、注記はセリフ書体で、海に等深線が入る
(中)NZMS 262 1997年版 メートル表示、国道は赤、注記はサンセリフに
(右)Topo250 2015年版 地図表現はNZMS 262を踏襲、ぼかしは薄目に
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.

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500,000図表紙
North meets South 1988年版

1:500,000

大判用紙を使用し、かつ地図の方位を適宜傾けることによって、1:500,000(NZMS 242 シリーズ、下注)はわずか4面で全土をカバーする。1面に、東西400km×南北500kmという広大な面積が収まる。図名は土地鑑がないとややわかりにくいが、実質的に、Further North=北島北部、The North=北島主部、North Meets South=南島北部、The South=南島南部と考えるといいだろう。

*注 NZMS 242 としてはもう1面、フィジー諸島 Fiji Islands 図葉があった。

前身は1949~73年に刊行された NZMS 19 シリーズ(全7面)で、1976年から NZMS 242 に切り替えられた。後には Coast to Coast というシリーズの愛称もつけられている。1996年の測量事業再編で、1:500,000以下の小縮尺図が更新対象から外されたため、現在、公式サイトでダウンロードできるのはそれ以前の版だ(下注)。

*注 1:500,000は1995~96年版が最新になる。

地勢表現には、300m間隔の等高線(低地では150mのラインも)、段彩(高度別着色)、繊細なぼかし(陰影)の3種の手法が駆使されている。その効果を妨げないように植生表現では、自生林にアミではなく、より隙間の多いパターンが使われている。また、居住地名の注記は、読み取りやすいボールド体(太字)で強調される。ニュージーランドの地形図はどれも美しいのだが、中でもこれは出色の出来栄えと言えるだろう。この図版を利用して、航空図(NZMS 242A)も製作されている。

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500,000図の例 サザンアルプス中央部(1996年部分修正版)
Sourced from NZMS 242 Map 4 the South. Crown Copyright Reserved.

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1,000,000図表紙
South Island 1989年版

1:1,000,000(100万分の1)

1:1,000,000(NZMS 265 シリーズ)は、1980~89年の間に製作され、北島と南島の2面がある。この縮尺では等高線が省かれ、段彩とぼかしで地勢が表される。段彩は、海の深度にも用いられている。残念ながら、ぼかしは粗く、また暗めのトーンのため、山地はともかく、平野部がひどく沈んで見える。せめて道路網や市街地に明色を配すればよかったのだが、前者は薄茶色、後者は黒のアミで、アクセントにもなっていない。1島が1面に収まるという長所はあるものの、地図表現は1:500,000に劣ると言わざるを得ない。なお、裏面には、地名索引が印刷されている。

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1,000,000図の例 クライストチャーチ周辺(1989年版)
Sourced from NZMS 265 Map of the South Island. Crown Copyright Reserved.

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2,000,000図表紙
New Zealand 1996年版

1:2,000,000(200万分の1)

北島と南島を1面に収める1:2,000,000は、シリーズ名 NZMS 266 として1984年に製作され、1986年と1996年に改訂版が出た。地勢表現は段彩と繊細なぼかしによるが、地色が明るいので、上に載る道路網も容易に識別できる。市街地に黄色を配したのも効果的だ。また、文字サイズが小さくなるものの、自然地名も豊富に盛り込まれている。総合的に見て1:500,000を凝縮したような完成度を保っており、ニュージーランドの地理的な全体像を知りたいというときにお薦めできる地図だ。

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2,000,000図の例 南島中央部(1996年版)
Sourced from NZMS 266 Map. Crown Copyright Reserved.

最後に、ニュージーランドの地形図の入手方法だが、紙地図(オフセット印刷図)は、ニュージーランド国内の主な地図商で扱っている。地図商のリストは、「官製地図を求めて-ニュージーランド」にまとめている。また、LINZの特設ウェブサイト等では、閲覧およびデータダウンロードが可能だ。これについては、次回詳述する。

なお、ニュージーランドの官製地形図は、クリエイティブ・コモンズ表示3.0国際ライセンスに従い、旧版と現行版にかかわらず無償利用が可能となっている。その際、LINZは次の著作権表示を付すことを求めている。
"Sourced from [product name]. Crown Copyright Reserved"

■参考サイト
Land Information New Zealand (LINZ)  http://www.linz.govt.nz/

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2017年6月24日 (土)

ニュージーランドの1:50,000地形図

ニュージーランドは、2つの大きな島と周辺の小島から成る国だ。北島は本州の約1/2、南島は同じく約2/3の広さがあり、雄大な自然美で冒険好きの人々を惹き付けてきた。代表的な景観を挙げれば、北島ではトンガリロ国立公園やタラナキ山(エグモント山)に代表される際立った風貌の火山群、南島では背骨を成すサザンアルプスの氷河や、西岸の険しいフィヨルドだろうか。変化に富んだ地形はまた、それを写し取る地図に対する興味をも刺激し続ける。

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南島、ミルフォードサウンド
Photo by Wikikiwiman at English Wikipedia.

同国の地形図はかつて土地測量局 Department of Lands and Survey(1987年から、測量・土地情報局 Department of Survey and Land Information)が製作していた。1996年の組織改革により、同局はニュージーランド土地情報局 Land Information New Zealand、略称 LINZ に再編され、その際、測量事業部門が切り離されて、新設の国有企業 テラリンク・ニュージーランド有限会社 Terralink New Zealand Ltd に移管された。1998年からはさらに競争入札で民間委託されるなど事業の扱いは二転三転したが、2007年にLINZの直営に戻されて、現在に至る。

LINZは、ウェブサイトでの全面公開や二次利用の許諾など地図利用の制限緩和を進めるかたわら、採算的には厳しい紙地図(オフセット印刷図)の供給も維持している。多様なニーズに応えようとするニュージーランドの地形図事情について、3回にわたり紹介したい。

ニュージーランドの本格的な地形図作成は、まだイギリスの自治領だった1930年代に始まる。軍事戦略問題を研究する帝国防衛委員会 Committee of Imperial Defence が、全国の詳細な地形図の開発を政府に求めていた。その背景には、アジア・太平洋圏への進出拡張を図る日本に対する強い警戒があった。

航空写真測量による最初の1マイル1インチ地形図(略してワンインチマップ 1 inch map と呼ばれる)は、1939年に刊行されている。これはイギリスの方式に倣った、実長1マイルを図上1インチで表す縮尺図だ。分数表記では1:63,360とされる。NZMS 1(下注)と呼ばれたシリーズは、1947年の国家独立後も作成が続けられ、1975年に360面で全土をカバーした。更新はその後も1989年まで行われた。

*注 NZMS は New Zealand Mapping Service の略。ニュージーランドの政府刊行地図は「NZMS+シリーズ連番」の形で体系化されている。1マイル1インチ地形図は、図郭が東西45km×南北30kmの範囲、地勢表現は100フィート間隔の等高線とぼかし(陰影)による。

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1マイル1インチ地形図の例 南島カイアポイ Kaiapoi 周辺
Sourced from NZMS 1 Map S76 Kaiapoi. Crown Copyright Reserved.

同国では1969年にメートル法が採用されたが、そのときはまだ、NZMS 1が南島のフィヨルド地方で完成していなかった。そこで、当面このシリーズで全土を覆うことが優先されたという。しかし並行して、メートル法による新しい地形図の研究も進められた。NZMS 1の完成から間もない1977年には、縮尺1:50,000による新シリーズ NZMS 260 の刊行が開始されている。これは1997年に296面で全土をカバーし、2007年まで更新が続けられた。

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NZMS 260シリーズ表紙
(左)旧表紙 Wellington 1986年部分修正版
(中)Topomapロゴ入り Taumarinui 1987年版
(右)新表紙 Te Anau 2000年版

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Topo50表紙
Wellington 2014年版

NZMS 260は足掛け30年間使われたなじみ深いシリーズだったが、2009年9月に、デジタル編集技術の進歩と新測地系採用を反映したNZ Topo50 シリーズ451面に切り替えられた。縮尺は同じく1:50,000だ。地域座標系NZGD49を使用していたNZMS 260に対し、Topo50は、世界測地系WGS84に基づくニュージーランド測地系2000 New Zealand Geodetic Datum 2000 (NZGD2000) で投影されている。そのため、両者はグリッド位置がずれており、互換性がない。

ニュージーランドでも昨今、利用の大勢はオンラインに移行しているが、冒頭で述べたように、新シリーズ Topo50 でも紙地図の供給が継続されたことは注目すべきだろう(下注)。しかも図郭は、NZMS 260が東西40km×南北30kmの横長判なのに対して、Topo50は汎用のA1判を縦長に使っている。東西24km×南北36kmとカバーする面積が小さくなり、その分、面数は25%も増加した。

*注 対照的に、官製旅行地図(ハイキング地図)の印刷版は廃止された。旅行地図は稿を改めて紹介の予定。

在庫管理の手間がかさむにもかかわらず小判化を断行した理由は明らかでないが、表紙に記されている「エマージェンシー・サービス使用 Used by New Zealand Emergency Service」という語句が一つのヒントになる。南オーストラリア州などでも見られるように(下注)、消防や災害救助といった公共分野では紙地図の需要があり、それに応える形で刊行が維持されているようだ。紙寸や折りをコンパクトにしたのも、現場に向かう狭い車内での扱いやすさを考慮した可能性がある。

*注 南オーストラリア州ではエマージェンシー・サービスの名を冠した地図帳が刊行されている。「オーストラリアの地形図-南オーストラリア州」参照。

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Topo50およびTopo250索引図の一部
Topo250(1:250,000、黒枠の範囲)の図郭を縦横5等分したのがTopo50の図郭(緑枠)

では、1:50,000の仕様を詳しく見てみよう。地勢表現は、20m間隔の等高線にぼかし(陰影)が併用されている。等高線は茶色ではなく道路の塗りと同じ橙色で、サザンアルプスなどに見られる氷河と万年雪のエリアでは青に変わる。平野部では10mの補助曲線も用いられる。

地勢を際立たせるぼかしの技法は、1960年代にNZMS 1シリーズの図式改訂で初めて採用されたものだ。NZMS 260までは比較的濃いアミで立体感が強調され、見栄えがしたが、Topo50ではやや控えめになった。色彩では、植生のミントグリーンに、道路記号の塗りとして鮮やかな赤と橙が加わる。この2色の帯は明瞭なアクセントとなって図を引き立てている。

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同国最高峰クック山 Mt. Cook
NZMS260では、氷河が青の等高線とぼかしで美しく描かれる
Sourced from NZMS 260 Map H36 Mount Cook. Crown Copyright Reserved.
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北島東岸マウント・マウンガヌイ Mount Maunganui、陸繫島と砂州上の市街地
Sourced from NZMS 260 Map U14 Tauranga. Crown Copyright Reserved.

地図記号では、まず道路の路面状態を3種に分類するのが目を引く。通常は舗装か未舗装かの2パターンしかないが、ここではアスファルト sealed、マカダム舗装 metalled(砕石舗装のこと、さらにタールで固める場合もある)、未舗装 unmetalled と分けている。また、1車線橋梁 one lane bridge、渡渉地 ford などの記号もあって、原野を貫く一本道といったアウトバックの典型風景を彷彿とさせる。

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Topo50凡例 道路・その他

鉄道記号は、複線に旗竿形、単線に太い線が充てられて、やや違和感があるが、路線そのものが少なく、かつ複線区間は北島の都市部に限られている。そのほか、パイプライン pipeline(地中 underground と地上 above ground の別あり)、送電線 power line(鉄塔 on pylons と電柱 on poles の別あり)、電信線など、線状に延びる施設が細かく分類されているのも特色だ。

水部には、青と赤の×印を用いた冷泉 cold spring/温泉 hot spring の記号がある。また、大型の赤い×印が噴気孔 fumarole、それを〇で囲むと地熱採取孔 geothermal bore を表す。いずれも、活発な火山活動を前提にした記号だ。

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Topo50凡例 水部・植生

Topo50は1インチ地図から数えて3代目のシリーズだが、各シリーズの間で地図表現はどのように変化してきたのか。同じウェリントン Wellington 図葉から、都市と郊外(海岸、山地)のエリアを抜き出してみた(下図参照)。それぞれ左/上は1インチ図であるNZMS 1、中央がNZMS 260、右/下がTopo50だ。

NZMS 1とNZMS 260は、用いられる縮尺や単位(マイル・フィート/メートル)だけでなく、見た目もかなり異なる。特に目立つのは市街地の表現だろう。NZMS 1では、密集していない市街地で、道路と総描家屋をひとまとめにしたような特異な描き方をするが、NZMS 260では灰アミに変わる。実はどちらもイギリス流で、本家の図式改訂が持ち込まれた形だ。また、注記フォントは、セリフ書体(先端に飾りのある)からサンセリフ(飾りのない)になり、鉄道や道路など交通路の記号は太く強調されて、図上での視認性はかなり良くなった。

これに比べて、NZMS 260からTopo50へは、地図デザインも記号も軽微な変更にとどめられ、親和性が高い。ただしよく見ると、都市図ではTopo50 のほうが施設の注記(Schs=学校、Hosp=病院、Substn=変電所など)が充実している。郊外図でも、ウェリントン図葉では海岸の崖(海蝕崖)や山地の沢など、Topo50のほうが情報量が多く、目立たないところで改良の手が加えられているようだ。

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ウェリントン市街
(左)NZMS 1 1974年版 (中)NZMS 260 1983年版 (右)Topo50 2016年版
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.
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テラウィティ岬 Cape Terawhiti 周辺(ウェリントン西方)
(上)NZMS 1 1974年版 (中)NZMS 260 1983年版 (下)Topo50 2016年版
Sourced from maps of NZMS 1 Wellington, NZMS 260 Wellington and Topo50 Wellington. Crown Copyright Reserved.

次回は、1:50,000以外の縮尺図を紹介する。

■参考サイト
Land Information New Zealand (LINZ)  http://www.linz.govt.nz/

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2017年6月11日 (日)

コンターサークル地図の旅-岩見三内(河川争奪、林鉄跡ほか)

まだ雪のベールのかかる鳥海山の荘厳な姿に感嘆しながら、羽越本線で秋田へ移動してきた。コンターサークルS 春の旅も、きょう5月5日が最終日だ。用意した地形図は1:25,000「岩見三内(いわみさんない)」。雄物川の支流の一つで、秋田市東部を流れる岩見川の中流域を描いている。

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羽越本線の車窓から見た鳥海山

日本の1:25,000地形図は、全部で4,400面以上もある。それで、鉄道、主要道路、あるいは著名な山や湖などが図郭に入っていないと、見てもすぐに印象が薄れてしまう。率直なところ、「岩見三内」もそうした括りの図幅だった(下注)。ところが、お題に挙がったのを機にじっくり眺めてみると、興味深い題材がいくつも見つかる。他のメンバーも各々関心のあるテーマを持ち寄ったので、思いがけなく盛りだくさんの地図の旅になった。

*注 ただし、現在の「岩見三内」図幅は、図郭が拡大されたので、大張野駅前後の奥羽本線が顔を覗かせている。

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秋田市周辺の1:200,000地勢図(平成5年編集)に加筆
茶色の枠は下記詳細図の範囲を示す

朝10時、秋田駅の東西連絡通路の一角に集まったのは、堀さん、真尾さん、丹羽さん、私の4人。駅前から2台の車で出発した。秋田市街を抜けて、県道28号秋田岩見船岡線を東へ。太平山の南斜面を水源とする太平川(たいへいがわ)に沿って、緩やかな谷を遡る。

まず、私のリクエストで、地主(じぬし)という集落で車を止めてもらった。ここに謎の地形があるからだ。現行地形図(下の左図)を見ると、地主の南を、太平川がまっすぐ西へ流れている。それと同時に、集落の西から北にかけて弧を描く土の崖と、一つ北の谷につながる鞍部(=風隙)も読みとれる。これは、かつて太平川が北へ蛇行していたことを示す証拠のようだ。それが、何らかのきっかけで西の谷へ流れ込むように変わったとすれば、西の谷による河川争奪があった、ということになる。

ところが、大正元年の旧版図(下の右図)を取寄せてみたら、驚いたことに、旧流路が実際に細々と残っているばかりか、太平川の本流には、長さ150mほどの隧道が描かれているではないか。石灰岩地形でもない限り、川が器用に地中を抜けていくとは考えにくい。どうやら自然の力による河川争奪ではなく、人間が水路を掘って流路を付け替える、房総半島で言う「川廻し」が行われたようだ。

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地主の「川廻し」
(左)平成18年更新図 (右)大正元年図、太平川の隧道と北行する旧流路が描かれる

しかし、謎はまだ残る。大正時代は隧道だったのに、なぜ今は青天井の谷になっているのか。地図の間違いでなければ、何か理由があるに違いない。

さっそく川岸の農道に出てみた。太平川は水制から先で早瀬となって、勢いよく正面の小渓谷へ落ちていく。雪解け水が混じる今は、思った以上に水量が豊かだ。一方、右手の水田の向こうでは、砥の粉色の地肌をところどころに覗かせた崖が緩い曲線を描く。もとは川の外縁、いわゆる攻撃斜面だったことをしのばせる。

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地主の「川廻し」 (左)太平川の堰 (右)隧道崩壊によって生じた小渓谷

60代とおぼしき男性が、近くの畑で作業をしていた。「あの川は昔、トンネルでしたか」と尋ねると、一瞬驚いた顔を見せながら頷いた。「確かに、子供のころはトンネルだった記憶がある。この地区は建設業をやっている人が多かったので、田を拡げるために自分たちで掘ったと聞いている。だが、山が脆いんで、崩れてしまったんだ」。

普段でもこの水量なら、大雨が降った後はきっと破壊的な水のパワーが生じるに違いない。柔らかい粘土層に掘られたトンネルは、早晩崩壊する運命にあったのだろう。謎解きをしてくれた男性に丁重に礼を言って、私たちは現場を後にした。

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旧流路は正面の土の崖沿いに右へ旋回していた。遠方に太平山を望む

地主のそれは、人の手による河川「争奪」だったが、次は、堀さんがめざしていた自然の争奪跡だ。野田集落の東、野田牧場へ上がる道で車を停めた。太平川は北から流れてきて、この付近で西へ向きを変えている。しかし、浅い谷が南へも続いている。つまり、ここでは野田集落を交点として、T字を寝かせた形で谷が広がっているのだ。そこで、昔は太平川が南流しており、後に河川争奪が生じて西へ流れるようになったという仮説が成り立つ。

典型的な争奪地形の場合、流路が変わると、水量が増した谷(野田のケースでは西の谷)では下刻が激しくなり、上流に向かって深い谷が形成されていく。ところが、野田の地形にはそうした展開が見られず、太平川は、ダイナミックな地形のドラマなど知らぬがごとく、終始ゆったりと谷を蛇行している。どうしてだろうか。

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野田の河川争奪
「風隙」~「繋沢」間が争奪前の谷筋

「地図の風景 東北編II 山形・秋田・青森」(そしえて、1981年、pp.115-117)で、籠瀬良明氏が成立過程を解説している。それによれば、その昔、太平川は南流していた(下図1)。しかし、野田の北東方からの崩壊、土石流、小扇状地といった土砂の押出しによって流れが遮られがちになり、一部が西の谷へ流れ込んだ(下図2)。この状況が続いて南側が閉ざされ、ついに全量が西へ流れるようになった(下図3)。つまり西の谷が力尽くで水流を奪ったのではなく、流路を塞がれた川が「自ら」西へ向きを変えた、というのだ。

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河川争奪の過程(解説は本文参照)
図1~3は「地図の風景 東北編II」p.117の図を参考にした

一段高い野田牧場へ上がれば、一帯を俯瞰できるのではないかと思ったが、斜面の植林が育ちすぎて視界がきかない。「南の谷頭がどうなっているか見たいんです」と堀さんが言うので、南の農道へ廻ることにした。谷頭(こくとう)は谷の最上流部のことで、そこでは水の力や風化作用によって、上流へ向けて谷が常に前進している。

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野田付近の180度パノラマ
右奥(北方向)に見える太平山から流れてきた太平川は、かつて左奥(南方向)へ流れていたが、河川争奪により現在は、正面の野田集落から奥(西方向)へ流れ去る

田んぼの先に、まだ冬の装いから目覚めていない雑木に囲まれて、深さが10m近くある窪地が姿を現した。これが谷頭だ。太平川に去られた南の谷(下注)では、下流の岩見川の基準面低下によって、谷頭の浸蝕力が強まっている。集水域がごく狭いのに、これだけの高低差を造る力があるとすると、将来、土砂の押出しとの闘いに打ち勝って、上流に谷を延ばしていき、最終的に太平川を奪い返すこともありうるのではないか(上図4)。そんな想像が脳裏をよぎった。

*注 無名の川だが、掲載の図では下流の地名を借りて「繋沢」としている。

上記「地図の風景」では、堀さんも共著者に名を連ねているが、「野田の河川争奪は籠瀬さんの担当だったので、私は来ていないんです。ようやく現地を見ることができてよかったです。」

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繋沢の谷頭
(左)旧流路(北方向)を望む、奥に太平山 (右)谷頭の上から南を望む
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谷頭を観察するメンバー

その南の谷に沿って県道を下りていくと、岩見川に三内川が合流するこの一帯の中心地、岩見三内だ。秋田駅西口からここまで、私たちが通ってきたルートでバス路線も維持されている。野崎の駐在所前の交差点にあるバス停は「貯木場前」。すでに新しい住宅が建ち始めているが、以前、道路の北側は、岩見川水系で産する木材を集積する岩見貯木場があった。貯木場には、奥羽本線の和田駅から森林鉄道(正式名「岩見林道」)が通じ、さらにここで三内支線が分岐して、北に広がる山林の中へ延びていた(下注、全体のルートは下図参照)。

*注 岩見林道(本線)29.4km、1923年開設、1967年廃止。三内支線24.9km、1921年開設、1967年廃止。大又支線13.4km、1933年開設、1967年廃止。その他延長線、分線がある。出典:林野庁「国有林森林鉄道路線データ」

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岩見三内の貯木場前バス停。正面奥の貯木場跡は払い下げられて宅地に

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秋田市東部の森林鉄道路線網、赤の矢印が岩見三内
1:200,000地勢図「秋田」(昭和35年編集)に加筆。原図は今尾恵介氏所蔵

私のもう一つのリクエストは、林鉄遺構の現状確認だった。三内支線は、貯木場から先で河岸段丘の崖際を走った後、上三内集落の北で三内川を渡っていた。その鉄橋は、平成18年更新図までは描かれているのに(下図参照)、2017年5月現在の地理院地図では消されている(下記サイト参照)。水害か何かで流失してしまったのだろうか。実態を自分の目で確かめたいと思った。

■参考サイト
上三内付近の1:25 000地理院地図
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.728630/140.305000

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森林鉄道跡
1:25,000地形図(平成18年更新)に林鉄のルートを加筆
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1:25,000地形図(昭和13年修正測図)に描かれた林鉄のルート

私たちは一つ上流の小橋を渡って、廃線跡である農道からアプローチしたのだが、小橋の上から、遠くに朱色のガーダー橋が架かっているのが見えて、ホッとする。農道は、急曲線の築堤で鉄橋につながっていた。「トロッコは小回りが利くから、これぐらいのカーブは何ともないでしょう」「勾配はきつすぎるので、後で切り崩したのかもしれないですね」などと話しながら、軽便のレールを土留めに使った築堤を上る。

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上三内に残る三内支線の鉄橋

橋脚と橋桁(ガーダー)は、鉄道橋そのものだ。2連のガーダーの縦寸法が異なるのが気になるが、橋脚がそれに合わせて造られているので、もともと他からの転用品なのだろう。路面は一人分の幅しかないが、歩けるようにセメントを流し、簡易な欄干が取り付けてある。だが、橋の手前で、秋田市道路維持課のバリケードが通路を塞いでいた。通りかかった農作業帰りの女性に聞くと、「畑へ行くのに、車道は遠回りだからここを通ります。手すりが壊れて、通行止めになってますけど。直すのは来年になるらしいですよ。」

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縦寸法が異なるガーダー
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(左)鉄橋に向かう上流側の築堤 (右)築堤の土留めに古レールが使われていた

橋が地理院地図から消された理由は、それかもしれない。しかし、歩くには支障がなさそうなので、私たちも通らせてもらう。鉄橋の下を、緑味を帯びた水が川幅いっぱいに滔々と流れている。じっと見つめていると吸い込まれていきそうだ。対岸の築堤も切り崩されていたが、線路跡は明瞭で、集落から下りてくる小道と交差した後、緩いカーブを切りながら段丘崖の陰に消えていく。

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(左)鉄橋は対岸の農地へ行く歩道橋に (右)欄干の一部が破損
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三内川の上をそろりと渡る
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(左)築堤脇の神社。左奥に見えるバリケードの先が鉄橋
(右)反対側を望む。舗装道の右が廃線跡で、段丘崖の下へ続いている

築堤の脇に、八幡神社という小さな社があった。今日も天気に恵まれて、日なたはけっこう暑いのだが、見事な杉木立の下は、涼風が吹き通って心地よい。鳥居前の大きな石に腰を下ろして、昼食休憩にした。

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「ぼだっこ」おにぎり

朝、秋田駅のコンビニで見つけた「ぼだっこ」おにぎりを取り出す。中身を知らないまま買ったので、「これ何が入ってるんでしょうね」と皆も興味津々だ。私は漬物を想像していたのだが、かじってみたら、塩鮭の切り身が出てきた。後で調べると、ぼだっこの「ぼだ」は牡丹のことで、ベニザケの身の色から来ているそうだ。塩がよく効いているものの、梅干しや塩昆布と同じで、ご飯に添えればおいしく食べられた。「北海道で甘納豆の赤飯おにぎりを食べたのを思い出しました」と私が言うので、真尾さんが丹羽さんにそのことを説明する(下注)。たとえコンビニであろうと、ご当地ものを探すのは楽しい。

*注 甘納豆の赤飯おにぎりを食べたのは、夕張での話。「コンターサークル地図の旅-夕張の鉄道遺跡」参照。

真尾さんは、アイヌ語地名の痕跡を探している。このすぐ上流に岩谷山(いわやさん)という、おにぎり形の山がある。地元では三内富士とも呼ばれているようだが、「モイワと同じように、神聖な山を意味する「イワ」と関係があるんではないでしょうか」と真尾さん。麓の砂子渕集落まで車を走らせた。実際、太平山との関わりで「お山かけ」(山岳信仰)の対象になっているためか、自然の植生が残されている。ヤマザクラや芽吹いたばかりの木々が、パステル調のグラデーションで山肌を彩り、ことのほか美しい。

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パステル調のグラデーションが美しい岩谷山

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岩谷山周辺の1:25,000地形図

その後、大又川流域へ移った。岨谷峡(そうやきょう)を越え、山間の小盆地にある鵜養(うやしない)集落へ。ナイはアイヌ語で沢の意で、漢字で「内」と書かれて、北海道の地名には頻出する。さっき通ってきた三内などもおそらくそうだが、「養の字を当てたのは珍しいです」。地名を記したものはないかと探したら、バス停の標識が見つかった。バス会社が撤退してしまい、ジャンボタクシーが巡回しているようだが、小さな集落に、鵜養下丁、鵜養中丁、鵜養上丁と3か所もある。

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鵜養 (左)鵜養下丁のバス停標識 (右)陽光を跳ね返す用水

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鵜養周辺の1:25,000地形図

静かな山里で動いているものと言えば、そよ風のほかに足もとを勢いよく流れる用水路の水ぐらいだ。堰板のところで流れが膨らんで、初夏の陽光をちらちらと跳ね返している。目覚ましい光景に出会ったわけでもないのに、きょう一日の行程が脳裏に蘇り、満ち足りた気分になった。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図岩見三内(大正元年測図、昭和13年修正測図、平成18年更新)、20万分の1地勢図秋田(昭和35年編集、平成5年編集)を使用したものである。

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2017年6月 5日 (月)

コンターサークル地図の旅-上山周辺の石橋群

コンターサークルS 2017年春の旅、本日5月3日は、山形県上山(かみのやま)周辺にある古い石橋群を訪ねる。

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吉田橋のたもとにて

イギリスの旅行家イザベラ・バード Isabella L. Bird が、山形の印象を故国の妹に書き送っている。「この地方は見るからに繁栄していますが、その繁栄はひとつにはこの立派な幹線道路から生まれているとわたしは思います」(「イザベラ・バードの日本紀行(上)」時岡敬子 訳、講談社学術文庫 p.330)。彼女が当地を旅したのは明治初期、1878(明治11)年だ。ちょうどその頃、初代山形県令に任じられた三島通庸(みしまみちつね)が、当地の殖産興業を図るために交通路の整備を強力に推し進めていた。

イザベラはこうも記す。「坂巻川ではうれしいことに、わたしが唯一目にした、完璧に堅牢な近代日本の建造物に出会いました。完成直前のすばらしく立派な石橋で、これははじめて見ました」(同 p.329)。木橋に代わる石造アーチ橋もまた、三島の土木事業の成果だった。彼女が絶賛した山形南方の常盤橋(ときわばし)はその後流失してしまうが、周辺では幸いにも、同じ時代に造られた石橋がいくつか残っている。

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かみのやま温泉駅に到着

山形駅から奥羽本線の普通列車で14分、かみのやま温泉駅で下車した。改札前に集まったのは、堀さん、石井さん、外山さん、真尾さん、私の5人。訪ねるべき石橋は6か所あり、場所は地図上でチェックしてある。「連休に入って道が混むかもしれないので、先に国道沿いを回りましょう」と順路を確認して、2台の車に乗り込んだ。

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上山周辺の1:200,000地勢図に、石橋の位置を加筆
茶色の枠は下記詳細図の範囲を示す

堅磐橋(かきわばし)

目標の一つ目は、上山市川口にある堅磐橋。国道13号上山バイパスに合流してまもなく、左の脇道へ折れたところで車を停めた。白い花が満開のさくらんぼ畑をかすめる農道の先に、その石橋がある。もとは羽州街道旧道を通していた橋だが、前後をバイパス建設で塞がれてしまい、かろうじてこの農道で公道につながっている状態だ。

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堅磐橋は2連アーチの眼鏡橋

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上山市川口、中山周辺の1:25,000地形図に、堅磐橋と中山橋の位置を加筆

しかし橋自体は、2連アーチのいわゆる眼鏡橋(下注)で見応えがある。アーチを形成する迫石(せりいし)はもとより、壁石にも緩みがなく、現役に復帰しても十分通用しそうだ。下流側の勾欄(欄干)はコンクリートで更新されているが、上流側は切り石で、とりわけ控柱には迫力ある筆致で橋の名が彫り込まれている。

*注 二重アーチが川面に映って眼鏡橋に見えるのだが、一重アーチでも眼鏡橋と呼ばれるようだ。

傍らに上山市教育委員会が立てた案内板があった。「山形県令三島通庸の道路開さくと整備の積極的政策により、山形から米沢に通ずる国道の川口部落南端の前川に架橋された、当時としては珍しい石の橋である。石材は同橋上流山手の採石場と、同河川からも採取された凝灰岩で、明治11年1月着工、同3月竣功している。橋長14.30m、幅員6.60m、アーチの高さ約3.1m、河床部での径は約5.6m(後略)」(下注)

*注 日付と計測値は英数字に改めた。以下の石橋に関するデータも、地元の教育委員会が立てた案内板を引用している。

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堅磐橋 (左)赤湯方向を望む (右)橋の名が陰刻された控柱

三島に請われて洋画家高橋由一が描いた堅磐橋の石版画が残っている(下図参照)。山中としては不相応に幅広の橋の真ん中に、ぽつんと二人の通行人。画風が違うとはいえ、アンリ・ルソー  Henri Rousseau を連想させるような不思議な構図だ。イザベラ・バードが赤湯から山形へ抜けたのは竣功の年の7月で、彼女も画中の人物のように、できたばかりのこの橋を渡ったはずだ。

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高橋由一「南村山郡川口村新道ノ内大川ニ架スル堅磐橋ノ図」 山形県立図書館所蔵
画像は同館デジタルライブラリーより取得 https://www.lib.pref.yamagata.jp/

タンポポの咲く川岸から、めいめい橋のほうへカメラを向ける。蜂が何匹か忙しそうに飛び回っているが、さくらんぼの花が目当てらしく、私たちにはまったく関心を示さない。いつのまにか石井さんと堀さんの姿が見えないと思ったら、石橋の上に車で現れた。堀さんが窓からにこやかに手を振る。シャッターチャンスを逃すまいと、皆またカメラを構え直した。

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石橋の上でフォトチャンス

吉田橋

想定どおり、中山の手前から国道が渋滞し始めた。「この先で車線が減るんですよ」と、このルートを通ってきた外山さんが言う。しかし、のろのろ運転に付き合ったのは少しの間で、南陽市に入るとすぐに左の旧国道へ。さらに小岩沢の集落へ通じる旧道へ折れたところに、1880年(明治13)年築の吉田橋がある。

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吉田橋

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南陽市小岩沢周辺の1:25,000地形図に、吉田橋と小巌橋の位置を加筆

橋は、県道238号原中川停車場線の一部で、地元の車が往き来する。130歳を超えてなお現役なのも、部材が劣化しにくい石橋ならではだ。最上流部で川幅が狭いので、単アーチで済ませているが、石の積み方は堅磐橋によく似ている。ユニークなのは、勾欄(欄干)の親柱と控柱に尖形の自然石が使われていることだ。上流側に刻まれた文字は、変体がなで「よした者(は)し」、下流側は漢字で「吉田橋」と読める。高橋由一もまったく同じように描いているから(下図参照)、オリジナルであるのは疑いない。

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吉田橋 (左)上山方向を望む (右)橋のたもとに立つ土木学会選奨土木遺産の碑
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高橋由一「東置賜郡小岩澤村新道ノ内前川ニ架スル吉田橋ノ図」 山形県立図書館所蔵
画像は同館デジタルライブラリーより取得 https://www.lib.pref.yamagata.jp/
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自然石を使った控柱の陰刻
(左)上流側「よした者(は)し」 (右)下流側「吉田橋」(橋の字は半ば埋没)

案内板によれば、「長さ約12.6m(7間)、高さ約8.8m(下注)、幅は約7.2m(4間)。下部はアーチ型(眼鏡型)、上部は両端に飾り石を配した欄干と、和洋折衷様式である」。吉田橋の名は、これを造った地元の石工、吉田善之助にちなむものだそうだ。発案者でも設計者でもなく、施工業者の名を遺すとは、粋な計らいではないか。

*注 上山市の橋の説明板では「アーチの」高さを示しているが、南陽市の説明板の「高さ」が何を指すかは不明。少なくともアーチはそれほど高くない。

すぐ隣を、奥羽本線(山形新幹線)の線路が通っている。平成のE3系つばさ号と明治の石橋を一つの構図に収めてから、次の目的地へ向かった。

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つばさ号と明治の石橋が一つの構図に

小厳橋(こいわばし)

踏切を渡って小岩沢集落の中へ入ると、三つ目の橋がある。といっても、前川に注ぐ支流(下注)をまたぐ小さな橋で、うっかり通過してしまいそうだ。1881(明治14)年完成。名称は小厳橋だが、地元では蛇橋(じゃばし)または蛇ヶ橋(じゃがばし)というらしい。アーチと勾欄でかなりの部材が後補されているため、色合いの違いが不自然に際立つ。「大水で壊れたんでしょうか」と石井さん。

*注 確かめるのを怠ったが、この支流が「小岩沢」なのかもしれない。

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小厳橋は小岩沢集落の中に。上山方向を望む
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石材の補修跡が目立つ (左)下流側 (右)上流側

中山橋

来た道を、上山市中山まで戻った。私が先行車でナビをしていたのだが、迷うことなくたどり着けたのは、あるウェブサイトで、マピオンに位置情報が示してあったからだ。しかし、中山橋だけは例外で、プロットされた地点に実際に架かっていたのは、何の変哲もないコンクリート橋だった。近くで農作業をしていた人に「架け直されたんですか」と尋ねると、「石橋ならここじゃなくて、村のパーマ屋の先だ」と、親切にも略図を描いて教えてくれた。

中山の集落に入り、道が下り気味になったところで、この人の言っていた「すとう美容室」が見つかった。その先で旧道が、西の山から流れ出るカラジュク川(下注)を渡っている。低い石の勾欄と教育委員会の立て札が目印だ。上山方面から来る人には、中山郵便局の100m南を目指していただきたい(地図は堅磐橋の項参照)。

*注 川の名は現地の案内板で知った。地形図にはこの川が描かれていないので注意。

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中山橋の側面。二重の迫石が特徴

谷はこれまで見たものより深く、かつ広いのだが、支流のため水量は多くなさそうだ。それで、石垣で固めた築堤を両岸から谷に張り出させて、流路を単アーチでまたいだ。路面の高さを得るためか、アーチの迫石は二重に組まれ、その上に壁石が厚く積まれている。

上流側に回ると、太い松の木が石垣に根を張っていた。石積みに沿って這い降りるかと思いきや、やおら起き上がって空に枝を広げている。「盆栽みたいな松ですね」と感心する。真尾さんは、脇道の土留めに古いレールが使われているのを見つけた。一方、下流側は崖が迫っていて写真が撮りにくいのだが、「こういう時のために最新兵器を持ってきてます」と、外山さんは大きな魚眼レンズを取り出した。

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中山橋 (左)赤湯方向を望む (右)盆栽のような松が趣を添える

使われている石材は、中山石と呼ばれる地元の凝灰岩だ。勾欄の親柱には変体仮名で、もう片側の控柱には漢字で、橋の名が刻まれている。堅磐橋と同じ1878(明治11)年の竣工、橋の長さ11.3m、全幅6.7m、アーチの高さ4.35m、川床部での径は5.85m。こうしてみると、羽州街道の石橋はいずれも幅7m前後で、現代の2車線道路に匹敵する広さを誇っている。明治初期の地方道としては確かに破格の存在で、イザベラ・バードが感心したのももっともだ。

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親柱・控柱の陰刻 (左)上流側「奈可やま者(は)し」 (右)下流側「中山橋」

新橋

1881(明治14)年に福島と米沢を結ぶ萬世大路が開通する以前、羽州街道は、福島県桑折(こおり)から七ヶ宿(しちかしゅく)経由で上山に出るルートを取っていた。その旧街道が金山峠を越えて山形盆地に降りたところに、楢下宿(ならげじゅく)がある。今では時が止まったように静かな村だが、かつては奥州13藩の参勤交代の折の宿場として賑わいを極めていた。村を通る街道は当時コの字形に曲がっていて、須川の支流である金山川を二度渡る必要があった。その橋が2本とも石造りで残っている。

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上山市楢下周辺の1:25,000地形図に、新橋と覗橋の位置を加筆

まず上流側にある新橋へ。楢下宿は、地形的に川の左岸(西岸)のほうが高いので、そちらから来ると、下り坂の途中で川を渡ることになる。橋面にもいくらか勾配がつけられているようだ。長さ14.7m、幅4.4m、アーチの高さ約4.4m、川床部の径約12m。道幅は中山橋などより狭く、一見、小橋の印象だ。しかし側面に回ると、広い径間で谷川を一気に跨いでいて、6つの橋の中では最もスケール感がある。

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緑に包まれた新橋

竣工は1880(明治13)年8月で、羽州街道が米沢回りに付け替えられる直前だ。しかし、主要道を外れることがわかっていたからか、建設費1000円余のうち、県から下りた補助金は300円のみだった。残りは地元で立替え、通行人や荷車から橋銭を徴収して回収したという。

村はひっそりとしていて、聞こえるのは金山川のせせらぎの音だけだ。古びた石橋に、欅の若葉が柔らかい影を落とし、見ごろを迎えたしだれ桜が淡い彩りを添えている。いつまでも眺めていたいと思わせる光景がそこにあった。

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新橋を渡る旧 羽州街道
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広い径間で谷川を一跨ぎ (左)上流側 (右)下流側

覗橋(のぞきばし)

すぐ下手、街道が金山川を渡り直す位置に覗橋がある。名称は眼鏡橋と同じく、外観からの着想だ。前後でまっすぐに伸びる道路のせいで、こちらは開放的な風景の中に架かっている。橋の竣工は1882(明治15)年。パリのポン・ヌフのように、名前に似合わず新橋のほうが古い。橋長10.8m、全幅3.5m、アーチの高さ約3.83m、川床部の径約8.44m。

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覗橋と、上手に建つ古民家山田屋

壁石には、自然石に近いものが使われている。工費は全額地元負担だったというから、費用節約の結果かもしれない。立て札には、橋脚がないため村民たちは不安がってなかなか渡らなかったというエピソードが記されているが、アーチの橋は、新橋で経験済みのはずだ。それとも、覗橋の造りがやや雑に見えるのが不安だったのだろうか。

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覗橋 (左)新橋に比べると多少無骨な造り (右)街道はこの橋を経て上山方面へ向かう

橋の上手で、山田屋という屋号で呼ばれる古民家が公開されている。石橋群の風情を堪能した私たちは、その軒下を借りて遅い昼食をとった。「「地図中心」(下注)にコンターサークルSの記事を書きました」と真尾さんが報告する。なんでも今号は、地図関係のサークルの特集らしい。オンライン地図で何でも済ませられる時代だが、紙地図で調べ、紙地図を手にフィールドに出る人々が各地で活動しているのは頼もしい。

*注 一般財団法人日本地図センター発行の月刊誌。言及しているのは2017年5月号(通算536号)の特集「地図に集う人達」。

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山田屋の軒下で昼食休憩

石橋のことに集中していたせいか、結局私たちは、楢下宿の保存建物も名物を売る店も、ほとんど見ないまま帰ってしまった。一般的な景勝地や観光施設に何ら執着がないのもコンターサークルSの旅らしい、と言えばそうなのだが。

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図上山(平成28年7月調製)、同 羽前中山(平成26年7月調製)、20万分の1地勢図仙台(平成元年編集)を使用したものである。

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