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2017年2月25日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-ウェルシュ・ハイランド鉄道 I

カーナーヴォン Caernarfon ~ポースマドッグ・ハーバー Porthmadog Harbour 間 39.7km
軌間 1フィート11インチ半(597mm)
開業 1922年、休止 1936年(旅客)1937年(貨物)、保存鉄道開業 1997~2011年

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カーナーヴォン城の塔屋から東望
WHRカーナーヴォン駅は中央左寄り、市街擁壁と二車線道路の間にある。右はセイオント川

ウェルシュ・ハイランド鉄道 Welsh Highland Railway(以下 WHR)の起点駅は、カーナーヴォン城の高い城壁の上からよく見える。北ウェールズをめぐる最終日は、メナイ海峡を扼する要衝カーナーヴォン Caernarfon(下注)まで足を延ばし、狭軌保存鉄道でポースマドッグへ戻るという旅程を立てた。昨晩から雨が続いている。朝もけっこうな降り方で、ホテルの斜め向かいにあるバス停へ行くのに、ウィンドブレーカーのフードではしのげず、傘を必要とした。路線バス1系統で野や丘を越えて、カーナーヴォンまでは45分ほどだ。

*注 カーナーヴォンはかつて Carnarvon と綴ったが、1926年に Caernarvon、1974年に Caernarfon に変更された。ウェールズ語の発音はカイルナルヴォン(ルは巻き舌)。

到着したバス停から南へ少し歩けば、カッスル・スクエア Castle Square という広場に出る。目の前にそびえるカーナーヴォン城は、コンウィ Conwy やボーマリス Beaumaris、ハーレフ Harlech の古城とともに、イングランド王エドワード1世がウェールズ征服のために築いた要塞だ。4か所まとめて世界遺産に登録されている。中でもここは首都の居城で、敷地の広さは先日行ったコンウィ城のざっと2倍はあるだろうか。高塔の数も多くて立派だ。

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(左)カーナーヴォンのバスターミナル (右)カッスル・スクエア、右奥に城が見える
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メナイ海峡を扼する要衝の地カーナーヴォン城を東の塔から西望
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中庭の円壇でチャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズ戴冠式が行われた
右写真は当時の様子を伝えるパネル

城の見学を終えて、WHRの駅に通じる坂を下った。市街地を載せる段丘の下、セイオント川 Afon Seiont 沿いの低地の一角に、現在の駅はある。線路はプラットホームに接した本線と機回し線の2本きりで、出札兼売店のある建物も簡素な平屋のプレハブ仕立てだ。敷地に余裕がないので、運行基地はここではなく、途中のディナス Dinas に置かれている。

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WHRカーナーヴォン駅
(左)折返し運転に備えて機回しの最中 (右)線路2本きりの狭い構内

混まないうちにと、ポースマドッグまでの片道乗車券を買い求めた。途中のベズゲレルトに寄り道するつもりだが、同一日、同一方向なら途中下車は自由だと聞いた。正規運賃が大人25.60ポンドのところ、エクスプローア・ウェールズ・パス Explore Wales Pass を見せたので半額になる。大人が同伴する15歳までの子ども1人はもともと無料だから、結果的に大人1人の正規運賃で家族4人が乗れるわけだ。しかし、あまり安いのも、なんだか悪いような気がする。

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WHRの片道乗車券

ちょうど折り返しとなる列車が到着したばかりで、降りた客が城や旧市街のほうへぞろぞろと移動するのが見える。駅の目の前に観光名所があるというのは、確かに大きなアドバンテージだ。しかし、WHRの魅力はそれにとどまらない。

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跨線橋から城の方角を望む。手前の赤茶色の建物が出札兼売店

カモメが飛び交うこの場所から、列車は内陸に入っていく。初めは牧場や林が現れては消え、中盤では、スノードニア国立公園の壮大な山岳風景が展開する。波静かな湖、清流の渓谷、天気がよければウェールズ最高峰スノードン山の雄姿も眺められる。後半は、農地が広がる沖積低地を走って、再び港の前に出る。景色はすこぶる変化に富んでいて、イギリス屈指の絶景路線といっても決して過言ではないのだ。

とはいえ、全線を乗り通すとなると、最速便でも2時間5分かかる。熱心な鉄道ファンでない限り、日帰りの往復乗車には少なからず忍耐が要求されよう。列車交換のある峠の駅リード・ジー Rhyd Ddu で折返すか、全線を走破するにしても、私たちのように片道は路線バスに任せるのが現実的だと思う(下注)。

*注 路線バス1系統はWHRのルートではなく、A487号線(旧国鉄アヴォンウェン線 Afonwen Line 沿い)を通るから、リード・ジーやベズゲレルトは経由しない。

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ウェルシュ・ハイランド鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

WHRの運行期間は2016年の場合、2月中旬から11月末の間だ。残念ながら列車本数は少なく、中間期は1日2往復、夏のピークシーズンでも3往復しかない。当初の運行計画は1時間間隔だったし、手元にある2007年の時刻表(当時はリード・ジーまでの部分開業)でも、繁忙期5往復、最繁忙期には6往復の設定がある。どうやらその後、大幅な見直しがかけられたようだ。思うように利用者が増えなかったのだろうか。本日のカーナーヴォン発は10時、13時、15時45分。私たちは13時発に乗るつもりだ。

ホームでは、その列車が折り返しの発車を待っている。牽引する蒸気機関車は、クリムソンレーキ(深紅色)をまとう1958年製の138号機。南アフリカで働いた後、WHRにやってきた。ボイラー部分が2つの台車にまたがって載る、ガーラット Garratt と呼ばれる連接式機関車だ。急曲線や勾配区間に適応しているので、線形の厳しいこの路線で第二の人生を送っていて、同僚機も数両在籍する。

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ガーラット式機関車138号機

客車は8両編成だが、さまざまな形式が混結されている。窓のないオープン形も1両挟まっているが、雨が吹き込んで、もはやシートはびしょ濡れだ。私たちはガラス窓のある3等車両に席を取った。貫通路をはさんで、2人掛けと1人掛けのボックス席が並ぶ。座席のモケットにはWHRとFR(フェスティニオグ鉄道)の図柄が織り込まれ、テーブルにも両線の略図が描かれている。2本の鉄道は今、一つの会社のもとで、姉妹鉄道のように運営されているのだ。

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(左)客車内。座席のモケットにはWHRとFRの図柄
(右)座席テーブルの路線図もWHRとFRを関連図示

あいにくの天気のせいか、乗客数はそれほど多くない。この車両も空席だらけだったが、発車間際に団体客がぞろぞろと入ってきて、急に賑やかになった。残念ながら窓は固定式で、撮影には向かない。結局、皮のベルトで窓の開閉を調節できるデッキドアの前にいる時間のほうが長かった。

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カーナーヴォン~スノードン・レーンジャー間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 115 Pwllheli, 107 Snowdon いずれも1959年版 に加筆

カーナーヴォンを発車すると、初め、セイオント川の蛇行する谷に沿った後、鉄橋で対岸に渡る。それからしばらく、緑の牧場の中を行く。線路の右側(海側)をローン・エイヴィオン自転車道 Lôn Eifion cycleway(全国自転車道 National Cycle Route 8号線の一部)が並走している。それに気を取られて、途中のボントネウィズ停留所 Bontnewydd Halt の通過には、まったく気がつかなかった。リクエストストップなので、乗降客がいなければ停まらない。

約10分走り続けて、ディナスに着いた。かつてディナス・ジャンクション Dinas Junction と呼ばれた駅だ。狭軌線(下注)が運んできたスレート貨物を標準軌貨車に積替えていたので、構内は十分な広さを持っている。そこを買われて、駅は、カーナーヴォンの代わりに、保存鉄道の北の拠点に位置づけられた。機関庫や整備工場が整備され、側線は保存車両や工事車両のねぐらになった。ホームの端には石造りの小さな駅舎も見えるが、これは当時から残る建物を修復したのだという。

*注 商業鉄道時代のWHR、およびその前身のノース・ウェールズ狭軌鉄道 North Wales Narrow Gauge Railways。なお、現WHRのカーナーヴォン~ディナス間は標準軌の旧国鉄線だった。

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ディナス駅 (左)側線には工事用車両が留置 (右)ホーム先端の建物は復元駅舎
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ディナス駅の機関庫の前を通過

駅を出ると、列車は左に大きくカーブして、山手へと進んでいく。牛たちが寝そべる牧場があるかと思えば、こんもりとした森を境に、野の花が咲き乱れる草原が現れる。通過したトラヴァン・ジャンクション Tryfan Junction は、その名が示すように、旧線時代はブリングウィン Bryngwyn 支線を分岐していた。モイル・トラヴァン Moel Tryfan のスレート鉱山へ通じる路線で、今もパブリック・フットパスとして跡をたどれる。

左車窓に、グウィルヴァイ川 Afon Gwyrfai の流れが顔を見せるようになる。この後、峠までこの川が旅の友になるだろう。次のワインヴァウル Waunfawr 駅は、森に囲まれたひと気のない場所だが、跨線橋が架かる広い島式ホームで、機関車の給水タンクもある。保存鉄道の延伸過程で、2000~03年の間、列車の終点になっていた名残に違いない。しかし、この列車を乗り降りする人は一人もいなかった。

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(左)牧場で牛たちが寝そべる (右)付かず離れず流れるグウィルヴァイ川
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跨線橋の架かるワインヴァウル駅

川を何度か渡るうちに山が近づいてくるが、雨がひとしきり強くなり、降りてきた雲で稜線は隠されたままだ。プラース・ア・ナント Plas-y-Nant 停留所の手前では、谷が急に狭まってくる。川は早瀬に変わり、列車は急カーブに車輪をきしませながら、ゆるゆると通過した。

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プラース・ア・ナントの手前でいったん谷が狭まる

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スノードン・レーンジャー~ベズゲレルト間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図107 Snowdon 1959年版 に加筆

やがて右手にクエリン湖 Llyn Cwellyn の広い水面が広がって、乗客の目を奪う。水位安定のために人工の堰が造られているが、湖の出自は、氷河の置き土産であるモレーン(堆石)で堰き止められた、いわゆる氷河湖だ。浅いように見えても、水深は120フィート(37m)ある。線路は少しずつ坂を上っていくので、車窓から湖を俯瞰する形になるのがいい。

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(左)クエリン湖が見えてくる (右)霧雨に煙る牧場と湖面

湖面の際まで続く斜面の牧草地で、羊たちが草を食んでいるのが見える。のどかな景色を楽しみたいところだが、降りしきる雨のせいで湖面すら霞んできた。天気が良ければ進行方向にスノードン山頂が見えるのに、今はまったく霧の中だ。登山口の一つになっているスノードン・レーンジャー Snowdon Ranger の停留所もあっけなく通り過ぎた。

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(左)クエリン湖が遠ざかる (右)スノードン山腹を流れ落ちるトレウェイニズ川 Afon Treweunydd

クエリン湖が次第に後方へ遠ざかる。列車は、山から下りてくる急流をカーブした石橋でまたぎ、なおも、岩が露出するスノードンの西斜面で高度を上げていく。山襞に沿って急曲線が連続するので、前を行く機関車もよく見える。クエリン湖は白く煙って谷を覆う霧とほとんど見分けがつかないが、間もなく見納めだ。ひときわ大きな岩山を左へ回り込んでいくとリード・ジー、全線のほぼ中間地点に到着する。

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スノードン山の西斜面で高度を上げていく
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(左)リード・ジー駅に到着 (右)待合室と機関車の給水施設
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雨の中、カーナーヴォン行き列車と交換

旅の続きは次回に。

■参考サイト
フェスティニオグ及びウェルシュ・ハイランド鉄道(公式サイト)
http://www.festrail.co.uk/
Cymdeithas Rheilffordd Eryri / Welsh Highland Railway Society(愛好団体サイト) http://www.whrsoc.org.uk/

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 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 スノードン登山鉄道 I-歴史
 スノードン登山鉄道 II-クログウィン乗車記

2017年2月18日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェイル・オブ・レイドル鉄道

アベリストウィス Aberystwyth ~デヴィルズ・ブリッジ Devil's Bridge 間 18.91km
軌間 1フィート11インチ3/4(603mm)
開業 1902年、保存鉄道化 1989年

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デヴィルズ・ブリッジ駅構内を遠望

カンブリア線のアベリストウィスは頭端式のターミナルだ。乗降用は1線だけの簡素な配線だが、ホームには幾何学模様をあしらった美しい屋根がかかる。正面には、大都市によくあるように、通りに面して間口の広い、垢抜けた雰囲気の石造りの建物が建っている。これは旧駅舎で、今はアル・ヘン・オルサーヴ Yr hen Orsaf(旧駅の意)という名の洒落たパブ兼ホテルだ。カンブリア線の切符売り場は、ホームに隣接した煉瓦の建物の中にある。

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アベリストウィス駅
(左)通りに面した旧駅舎、今はパブ兼ホテルに (右)頭端式の発着ホーム

今から乗るヴェイル・オブ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway(下注)はこの駅が起点で、レイドル川 Afon Rheidol の谷を遡ってデヴィルズ・ブリッジ Devil's Bridge まで、18.9kmの路線だ。軌間は1フィート11インチ3/4(603mm)の狭軌で、イギリスでは他に、南ウェールズのブレコン・マウンテン鉄道 Brecon Mountain Railway にしか例がない。もっとも、開通当時はフェスティニオグなどと同じ1フィート11インチ半(597mm)だったとされ、途中で微妙な調整が加えられているようだ。

*注 ヴェイル Vale はヴァレー Valley と同系語で、谷を意味するため、鉄道名は「レイドル渓谷鉄道」とも訳される。

ホームに出ると、標準軌線と狭軌線の線路が、頭端駅へ並んで入ってきている。それで、切符売り場もてっきりカンブリア線の隣にあるのだろうと見回したが、ない。慌てて近くの係員氏に聞くと、ホームの先だよ、と言う。線路に沿って通路が続き、200mぐらい歩いたところに、ようやく売店併設の小屋があった。切符を買った後、乗場へはまた本駅舎のほうへ戻るので、それだけで結構歩かされる。ついでに言うと、帰りも同じで小屋を経由しないと外に出られないため、出入口がしばらくの間混雑した。

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(左)ヴェイル・オブ・レイドル鉄道のホームは長い通路の先
(右)旧カーマーゼン線のスペースが転用された

2007~08年ごろの写真には、本線と機回し線の間に嵩上げしていないホームが見え、切符売り場も線路先端のすぐ右にある。以前はずいぶん手近な場所に、旅客用設備がまとまっていたのだ。ただこの場合、ホームへの通路が機回し線を横断して危険なのと、客車にステップで乗り込む不便さがある。その対策の結果が現在の形なのだろうか。

車庫の方から列車を牽く機関車がやってきた。スラウェリン Llywelyn の名をもつ8 号機だ。サイドタンクに "GREAT WESTERN" と大書されているのは、この路線がグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway (GWR) の一支線になった1923年に、自社のスウィンドン工場 Swindon Works で製造されたことを意味している。落ち着いた緑の塗装も当時の再現だという。機関車は、開通当時からいた旧型機を参考に、長所は引き継ぎ、短所は改良する形で造られたいわば2世機だ。

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8号機スラウェリン、デヴィルズ・ブリッジ駅にて

客車は、屋根つきオープン車両3両、箱型車両3両、1等車1両という構成だった。乗客の人気がオープン車両に集中するのは学習済みなのだが、ホームで写真を撮っているとつい出遅れてしまう。箱型車両のほうに回ると、座席横の窓は締め切りで、両側に3か所ずつあるドアだけが皮ベルトのついた落とし窓になっている。往きはまだ席に余裕があったので、ドアの前をしっかり確保した。

この客車には貫通路はない。ドアはそれぞれ、車内で3分割されている区画(コンパートメント)の専用出入り口だ。各区画には向い合せのシートが2~3組配置され、ドア前のシートは2人掛け、ほかは3人掛けになっている。軌間はタリスリン鉄道より狭いのに、客車の内寸は逆にこちらのほうが広いような気がする。

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簡易なベンチが並ぶオープン客車

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箱型客車の内部は3区画に分かれ、各区画に向い合せのシートを2~3組配置

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ヴェイル・オブ・レイドル鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

ヴェイル・オブ・レイドル鉄道は今でこそ、公益財団 Charitable Trust が所有する保存鉄道だが、その前はれっきとした英国国鉄 British Rail の路線で、1968年からは国鉄最後の蒸気鉄道として知られていた。年譜を遡ると、本来は1902年に、谷で伐り出した木材(下注)と鉛鉱で産出する鉱石を搬出するために造られた鉄道だ。貨物はアベリストウィスで標準軌線の貨車に積み替えられるか、港への支線を通って船に引き継がれていた。しかし、輸送の主軸はまもなく貨物から、悪魔の橋やその周辺を訪れる観光客に移る。

*注 木材は南ウェールズの炭鉱で、坑道の支柱に使われた。

1913年にカンブリア鉄道 Cambrian Railways に吸収されるが、1922年の4大会社(ビッグ・フォー The Big Four)への集約で、グレート・ウェスタン鉄道の路線となる。グレート・ウェスタンは起点駅の移転や、先述した機関車の更新など、路線に積極的な投資を行った。一般旅客の道路交通への移行で1931年に冬季の運行を中止してからは、オープン客車の増備など観光列車の充実に力を注いだ。

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駅名標、ヴェイル・オブ・レイドル鉄道乗換の記載も

第二次世界大戦後の1948年に4大会社は国有化され、英国国鉄に統合された。路線は、1963年の有名な「ビーチング報告書 Beeching Report」(下注)が巻き起こした嵐の中でも生き残ったが、中間の待避所は撤去され、全線1閉塞となった。1966年にはアベリストウィス駅で、廃止されたカーマーゼン線 Carmarthen line の敷地を使ってルート変更が実施され、幹線の機関庫が狭軌用に転用された。標準軌線の隣のホームを使う現在の形になったのはこの時だ。

*注 リチャード・ビーチング博士 Dr. Richard Beeching による、英国鉄道の徹底的合理化を進言した報告書。これに伴う大規模な路線廃止は「ビーチングの斧 Beeching's Axe」と呼ばれた。

しかし、大鉄道の傘下で続けられた路線の歴史は、サッチャー政権時代に幕を閉じる。国鉄合理化策の一環で経営を切り離すことになり、1989年に民間に売却されたのだ。しかし、ウェールズの他の多くの保存鉄道と異なるのは、ボランティアの手を借りずに、有給のスタッフだけで運営されている点だという。観光鉄道としてそれだけの集客力があるということだろうか。

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アベリストウィス~アベルフルード間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

雲の隙間から薄日もさす中、列車は12時15分定刻に発車した。車庫の脇をすり抜け、構内から出て、しばらくはカンブリア線の線路と並行する。これまで訪れた保存鉄道と雰囲気が違うように感じるのは、都市郊外の倉庫や工場が見える一帯を通っていくからだ。一つ目の停留所スランパダルン Llanpadarn もそのエリアにあるが、列車交換がないのに何分も停まった。再び走り出すと、カンブリア線が左に離れていく。レイドル川を木製トレッスルで渡って、線路は左岸に移った。この後はずっと左側に景色が開ける。右手の線路際にはまだ殺風景な工業団地が続いているが、左は茂みの間に河原が顔を出す。

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(左)しばらくカンブリア線と並走 (右)レイドル川を木製トレッスルで渡る

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カペル・バンゴル駅 (左)工事用車両を留置する側線 (右)小さな駅にもフラワーポットが

二つ目の停留所グラナラヴォン Glanyrafon が、ちょうど開発地と田園風景との境目だ。列車は、広い谷の中の牧草地を突っ切っていくが、のんびりと寝そべる牛たちはびくともしない。次はカペル・バンゴル Capel Bangor 駅で、対向設備とともに工事用の車両を留置しておく側線がある。起点から7.2km、すでに20分ほど揺られてきたが、標高はまだ23mに過ぎない。線路が載る地形としてはここまでが平地で、この後は、ヴェイル・オブ・レイドル Vale of Rheidol(レイドル川の谷、ウェールズ語ではクーム・レイドル Cwm Rheidol)の南壁にとりついて、じわじわと高度を上げていくことになる。

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(左)のどかな牧場の風景 (右)乗馬教室?の生徒たちが手を振ってくれる

駅を出ると、まず右の車窓に森になった谷壁が迫ってくる。それから少しずつ川が流れる谷底を離れていく。すでに1:50(20‰)~1:48(20.8‰)の急勾配が断続していて、せわしないドラフト音が数両隔たったここまで届いてくる。時折、ポーッポッという甲高い汽笛が山にこだまする。いっとき森が途切れて、のびやかな牧場の風景が開けたと思ったら、ナンタローネン Nantyronen の停留所だった。待合所とベンチは作りたてのような艶を保ち、真っ赤なゼラニウムがアクセントをつけている。ホームの端に設置された水タンクから、機関車は往路最後の給水を受けた。

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絵のように美しいナンタローネン駅では給水停車

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刈取りの済んだ草地にヘイロールが転がる

次のアベルフルード Aberffrwd は起点から12.5kmで、すでに全線の2/3を走ってきたことになる。標高も85mまで上がり、周囲は森で、いよいよ山の気配が漂ってきた。ここも対向設備がある駅だ。風景に集中していたせいで、谷を降りてきた列車に気づくのが遅れ、機関車の写真を撮り損ねた。現在、この鉄道で稼働中の蒸機は2機しかなく、牽いていたのは黒光りの9号機「プリンス・オブ・ウェールズ Prince of Wales」に違いないのだが、結局拝めずじまいだった。

Blog_wales_rheidol13(左)アベルフルード駅 (右)山の気配が漂ってきた

谷の底は平地で、おおかた生垣で区切った放牧地に利用されている。その草の絨毯に割り込むようにして、クーム・レイドル貯水池が現れた。斜面の深緑と薄曇りの空を静かな水面に映している。日差しは途絶えたが、天気はなんとか持ちそうだ。谷の斜面を切り欠いて造られた線路は、細かいカーブを繰り返す。左カーブのときが狙い目なので、カメラを構えた。車両の前の方にも中年の鉄道ファンが乗っていて、同じタイミングで窓から大きな体を乗り出している。そのつど「こんなのが撮れた」と言うように隣席の奥さんにモニターを見せるのだが、あいにく奥さんの反応はそっけない。他人事とも思えず、苦笑してしまう。

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(左)クーム・レイドル貯水池を見下ろす (右)奥に見える川べりの建物は発電所

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レイドル谷の斜面を上る。窓から大きな体を乗り出す鉄道ファン

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アベルフルード~デヴィルズ・ブリッジ間の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

アベルフルードからは本格的な上りで、終点近くまで1:50の勾配が途切れることがない。機関車を操る機関士にとっては正念場だ。途中にレイドル・フォールズ Rheidol Falls とリウヴロン Rhiwfron の2か所の停留所があるのだが、どちらも速度を緩めることなく通過した。谷底からの高度差はすでに120mほどになり、いつのまにかレイドル川も森の陰に沈んでしまった。最後は、河川争奪で生じたV字の渓谷(本稿末尾で図解)を左に見送って、比較的なだらかな台地の上へ這い上がる。切通しをくぐれば終点のデヴィルズ・ブリッジだ。

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(左)レイドル・フォールズ停留所の東方、緑の谷底に小さな採掘跡
(右)カーブも勾配も厳しさを増す

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レイドルのV字谷を左に見送る

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(左)台地の上へ這い上がる (右)終点デヴィルズ・ブリッジ到着

アベリストウィスからちょうど1時間、時刻表どおり13時15分の到着だった。駅は広場と一体になっていて、着いた客と乗り込む客で屋台も土産物屋も繁盛している。その隣では、子供たちが小型機関車マーガレット Margaret の乗車体験を楽しんでいた(冒頭写真)。

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デヴィルズ・ブリッジ駅
(左)機関車は帰路の準備 (右)機回し線は切通しの中へ続く

駅名になっているデヴィルズ・ブリッジ(悪魔の橋)というのは、駅前の道路を左手に400mほど下っていったところにある。マナッハ川  Afon Mynach が刻んだ深い谷に、3本の橋が上下に重なって架かっている。ここは近辺の観光名所で、沿線にほとんど集落のない小鉄道が廃止を免れてきたのも、これがあるおかげだ。一番下にあるのが悪魔の橋の伝説をもつ11世紀の石造アーチ橋で、その上にあるのが1753年建造の石造アーチ橋、現在使われている一番上の鉄製の桁橋は1901年に架けられた。

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(左)現 悪魔の橋。2代の石橋はこの直下に
(右)デヴィルズ・パンチボウルへ降りる遊歩道(橋上から撮影)

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(左)有料遊歩道の入口 (右)時間のない人は向かいのパンチボウル入口へ

悪魔の橋伝説は、ヨーロッパ各地で語り継がれている(下注)。たいていは村人の前に悪魔が現れて、橋を架ける話を持ち掛けるところから始まる。この橋を請け負った悪魔も、最初に橋を渡った者の魂を報酬にもらうと宣言するのだが、橋が完成したとき、老婆が投げたパンを追って犬が先に渡ってしまう。悪魔は約束が違うと腹を立てて立ち去り、橋だけが残ったというストーリーだ。

*注 本ブログ「MGBシェレネン線と悪魔の橋」で扱ったスイスアルプス山中の石橋もその一つ。

橋は親亀子亀のように重なっていて、しかも上の橋ほど道幅が広いので、古い橋を見たければ谷へ降りるしかない。それで、橋の北詰の道路脇に、溪谷を巡る有料遊歩道の入口がある。左側のそれがメインルートで、3代の橋を仰ぎながら、さらに渓谷の底の、マナッハ川がレイドル川に合流する地点まで降り、対岸に上ってくる。要する時間は少なくとも45分だ。地形図によれば高度差約100mの往復が必要で、かつ、滝のしぶきで濡れて滑りやすい石段が続くから、結構ハードなコースに違いない。

それでガイドブックは時間のない人、脚力に自信のない人にもう一つのルートを薦めている。道路右側にある別の入口から入って、大型の甌穴デヴィルズ・パンチボウル Devil's Punchbowl を見に行くというものだ。これは10分で往復できるが、橋は直下から見上げる形になる。

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渓谷を巡る2本の遊歩道の見取り図
橋から見て左入口がメインルート、右入口がパンチボウル見学の遊歩道

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3代重なる悪魔の橋とマナッハ川溪谷
Photo by William M. Connolley from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

折返し列車の発車まで1時間の余裕があるのだが、駅の周辺で写真を撮っていたら、遊歩道にチャレンジする時間がなくなってしまった。残念だが、悪魔の橋がどのような形をしているのかは、ウィキメディアの写真でご覧いただくことにしよう。

■参考サイト
3代重なる悪魔の橋(Wikimedia、右写真)
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Devils-bridge-pano.JPG

2代目現役時代の写真(Wikimedia)
https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Devils_Bridge_Aberystwith_Wales.jpg

ヴェイル・オブ・レイドル鉄道(公式サイト)
http://www.rheidolrailway.co.uk/

次回は、北ウェールズのカーナーヴォンから、ウェルシュ・ハイランド鉄道に乗車する。

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。記述に際して、"Vale of Rheidol Railway Visitors Guide" Vale of Rheidol Railway および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照した。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

 

【参考】デヴィルズ・ブリッジ付近の河川争奪

左図:
1.当地点から上流は、かつてはるか南のカーディガン Cardigan へ流れ下るタイヴィ川 Teifi の流域だった。
2.第四紀の間に、イストウィス(アストウィス)川 Ystwyth が、谷頭侵食によってタイヴィ川の上流部を争奪した。
3.次いでレイドル川 Rheidol が谷頭侵食によって、イストウィス川となった上流部を争奪した。デヴィルズ・ブリッジ付近ではレイドル谷の下刻が進行し、V字谷が生じた。

右図:
デヴィルズ・ブリッジ以南の、もとのタイヴィ川の流路(推定)を矢印で示す

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タイヴィ川流域の河川争奪過程
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デヴィルズ・ブリッジ~トレガロン湿地北部Tregaron Bog Northの地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 127 Aberystwyth 1960年版 に加筆

2017年2月11日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

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コンスティテューション・ヒルを上る
アベリストウィス・クリフ鉄道

延長237m、高度差130m、開業1896年

ポースマドッグ滞在中で一番の長旅をして、南60kmにあるアベリストウィス Aberystwyth を訪れた。往きはカンブリア線を使ったのだが、ポースマドッグ方面からアベリストウィスへの直通列車はなく、途中で乗換えが必要だ。しかし、乗換駅ダヴィー・ジャンクション Dovey Junction は、寂しい原野のまん中の、常に風に吹き曝される場所にある。ここで20分近くも待つのはつまらないと思った。

実際、上下列車の交換は次のマハンレス Machynlleth で行われる。ダヴィー川沿いでは一番大きな町の玄関口だ。定時運転されているようなので、そこまで乗って折り返すことにした。時刻表ではわずか3分の接続だったが、問題なく乗り継ぐことができてほっとする。

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立派な駅舎が残るマハンレス駅での列車交換

カンブリア線は、アベリストウィス方面が実質的な本線だ。それを反映して、列車本数もいくらか多い。ダヴィー・ジャンクションから先は、まずダヴィー川 Dovey River (Afon Dyfi) の三角江の左岸に沿って海岸近くまで走る。ポースマドッグ方面への線路が川を渡る古い鉄道橋が、しばらく見えている。対岸のアベルダヴィー(アバダヴィー)Aberdovey の町を見届けた後、ボルス Borth を経て内陸に入っていく。波打つ丘陵地を越える切通しが終わると、左からヴェイル・オブ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway の狭軌線が寄り沿ってきて、いっしょに終着駅へ滑り込む。

*注 カンブリア線については本ブログ「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」も参照。

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ダヴィー川を渡る鉄橋(ポースマドッグ方面の路線)が見え続ける
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(左)ヴェイル・オブ・レイドル鉄道の狭軌線が寄り沿う (右)アベリストウィス駅に到着

アベリストウィスは、カンブリア山地から流れ出るレイドル川 Afon Rheidol とイストウィス(アストウィス)川 Afon Ystwyth が合流する河口近くに位置する町だ。地名もイストゥイス川の河口(Aber + Ystwyth)から来ている(下注)。人口は1万数千人だが、中部ウェールズでは最大規模で、商業の中心地であり、1872年創立の大学を擁する教育センターの一面も持っている。

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アベリストウィス・クリフ鉄道(星印の位置)と周辺の鉄道網

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アベリストウィス市街周辺の地形図
1:25,000地形図 SN68 1954年版 に加筆

行止りの線路の正面に建つ駅舎を出ると、目の前が市街地だ。北ウェールズの町に比べて都会的な雰囲気があるのは、通りの建物が黒い石積みではなく、煉瓦や漆喰の色壁だからだろう。駅前からテラス・ロード Terrace Road を直進し、目抜き通りを横断した先に、海が見えてくる。

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アベリストウィスの市街地 (左)テラス・ロード (右)ノース・パレード North Parade

カーディガン湾に臨むこの浜辺には、スランディドノで見たような弧状のプロムナード Promenade(海岸遊歩道)が延びる。なにしろ、鉄道が開通した当時、「ウェールズのビアリッツ Biarritz of Wales」(下注)と謳われて評判になったという町だ。高さの揃ったパステルカラーの建物やロイヤル・ピア Royal Peer のドーム屋根が、当時の面影を伝えている。だが、残念なことに今朝は曇り空で、リゾート気分に浸ろうにも、人影がほとんど見られない。

*注 いうまでもなくビアリッツは、フランス南西部ビスケー湾に面した高級リゾート。

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プロムナードを遠望。右端がロイヤル・ピア Royal Peer

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アベリストウィス・クリフ鉄道のリーフレット

アベリストウィスに来た主目的は、さっきの駅を起点とするヴェイル・オブ・レイドル鉄道という蒸気鉄道だが、その前に、近くの丘に上っていく別の鉄道に乗ろうと思っている。プロムナードの北端、コンスティテューション・ヒル Constitution Hill(ウェールズ語:クライグ・グライス Craig Glais)にあるアベリストウィス・クリフ鉄道 Aberystwyth Cliff Railway という鋼索鉄道(ケーブルカー)だ。

鉄道は、市街地と丘の上の公園を結んで1896年に開業した。こうした丘や崖の、麓と頂の間を行き来する鋼索鉄道は、その時代盛んに建設されていて、設計の第一人者がマークス卿 The Lord Marks と呼ばれたジョージ・クロイドン・マークス George Croydon Marks だった。

彼が手掛けた鋼索鉄道はイギリス各地に今も残っている。ノースヨークシャーのソルトバーン・クリフ・リフト Saltburn Cliff Lift(1884年開業)、ブリストル海峡に面したリントン・アンド・リンマス・クリフ鉄道 Lynton and Lynmouth Cliff Railway(1890年開業)、あるいはセヴァーン川 Severn 沿いのブリッジノース・クリフ鉄道 Bridgnorth Cliff Railway(1892年開業)などがそうだ。

*注 その他、廃止されたものでは、ブリストル Bristol のクリフトン・ロックス鉄道 Clifton Rocks Railway(1893年開業、1934年廃止)、スウォンジーのコンスティテューション・ヒル斜行鉄道 Swansea Constitution Hill Incline Tramway(1898年開業、1901年廃止)などがある。

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プロムナードから見たコンスティテューション・ヒル
Photo by Lesbardd from wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

アベリストウィスの鋼索鉄道も、彼の主要な業績に数えられてきた。なぜなら、2001年12月にスコットランドのケアンゴーム登山鉄道  Cairngorm Mountain Railway が開通するまで、イギリス諸島における最長の鋼索鉄道だったからだ。

開通当時はウォーターバランスといって、上の駅で車両に設けたタンクに水を注ぎ入れ、その重みで斜面を下りる方式で運行されていた。下の駅にいる車両は水を抜かれて軽くなっているので、連動しているケーブルで引き上げられる。上の駅で必要とされる大量の水は、近くの泉や井戸から引いていた。地形図でも、上の駅の東方に "W"(井戸 Well の略)や "Spring" の注記が数か所見つかる。しかし、鉄道は1921年に電気動力に転換され、今に至っている。

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上の駅(サミット駅)の東方に井戸や泉の注記(青の円内)がある
1:25,000地形図 SN68 1954年版 に加筆

現在の運行は4月から10月の毎日で、始発が10時、最終は17時だ。その始発時刻が近づいてきたので、山麓駅(プロムナード駅)のほうに足を向けた。市街地の北端、プロムナードから右に折れて少し上っていくと、"RHEILFFORDD Y GRAIG / CLIFF RAILWAY" とウェールズ語と英語で書かれた古めかしい煉瓦壁の建物が見つかる。これが乗り場だ。中の出札で4ポンドの往復乗車券を買い、階段ホームへ出ると、日曜大工で拵えたような飾り気のない車両が待っていた。

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山麓(プロムナード)駅 (左)煉瓦造りの外観 (右)飾り気のない車両が発車を待つ

定員は30名だが、初回の乗客は私のほかに、女性が一人のみ。景色には目もくれずスマホをいじっていた彼女は、山上のレストランの従業員だった。発車の合図があったかどうかもわからないうちに、車両は動き出した。時速は4マイル(6.4km)、ケーブルの動く音がするだけで、静かに上っていく。線路は全線複線で、車両がすれ違う区間だけ、線路の間隔を拡げてある。

延長778フィート(237m)のルートの大半が、掘割の中だ。しかし、麓側の窓から、アベリストウィスの市街地と弧を描く海岸線が見えている。それを写真に撮ろうとするのだが、上空を木柵の跨線橋が何本も横断しているので、そのたびに視界が途切れる。実は、線路設計に際して、以前からあった丘を巡るフットパスを切断しないように、わざわざ線路を切通しにして跨線橋を渡したのだそうだ。そのために、工事では12,000トンもの岩を切り出す必要があった。

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(左)山麓駅を後にする (右)海岸線の眺望はしばしば跨線橋で遮られる

正味の乗車時間は5分程度だろう。麓の駅に比べて、サミット駅は掘っ立て小屋のような簡素な造りだ。駅の外にはコンスティテューション・ヒルの高台が広がっている。遊戯施設やレストランが立ち並び、ちょっとした遊園地の雰囲気がある。朝早いので、どこもまだ稼働していないが、それでも続行便で、カップルや家族連れが何組か上がってきた。

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(左)山上(サミット)駅に到着 (右)山麓駅に比べて簡易な造り

この丘は、地形的に見れば、東のカンブリア山地から延びてきた丘陵が海に没する先端部に当たる。上からは見えないが、足元の海岸には高さ数十mの波蝕崖が連なっているはずだ。それだけに展望は抜群で、市街地とプロムナード、その南端の古城がある岬や、市街の背後に横たわる丘陵地まで一望になる。風のない穏やかな日で、陸上は靄でかすんでいるが、滞在中に少しずつ晴れ間が広がってきた。

ケーブルカーを前に置いてこの風景が眺められる場所を探し回った。上ってくる車内では疎ましく思ったのに、最適のお立ち台になってくれたのは、あの跨線橋だった。

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コンスティテューション・ヒルからの眺め (左)南方向 (右)北方向
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アベリストウィス市街のパノラマ

次回は、ヴェイル・オブ・レイドル鉄道の蒸機列車に乗る。

■参考サイト
アベリストウィス・クリフ鉄道(公式サイト)
http://www.aberystwythcliffrailway.co.uk/
アベリストウィス観光サイト https://www.aberystwyth.org.uk/

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェイル・オブ・レイドル鉄道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道

2017年2月 4日 (土)

ウェールズの鉄道を訪ねて-フェアボーン鉄道

フェアボーン Fairbourne ~バーマス・フェリー Barmouth Ferry 間 3.2km
軌間 1フィート1/4インチ(311mm)
開業 1895年、保存鉄道化 1916年

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機関士が巨人に見えるフェアボーン鉄道の機関車。背景はバーマス鉄橋

タリスリン鉄道訪問の後、フェアボーンに移動した。タウィン Tywyn から列車でほんの20分ほどだが、この間に、山が海に直接落ちるヴリオグの断崖 Friog cliffs という難所がある。線路は、海面から高さ約30mほどの崖の中腹に通されている。過去、落石による機関車転落事故が2度発生した現場で、列車は時速25~30マイル(40~48km)の徐行を強いられる。その代わり、眺望は何度見てもすばらしい。南から行くと、湾の向こうにバーマスの町が見え、次に長く延びる砂浜が近づいてきて、列車はそれに向かって飛行機が着陸するように高度を下げていく。

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(左)カーディガン湾に沿って北上
(右)マウザッハ川の河口に接近(フェアボーン南方)
「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」に使用した写真を再掲
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ヴリオグの断崖を振り返る(翌日撮影)

フェアボーンの村はその砂浜に載っている。降りた駅も棒線上の無人駅だ。対するフェアボーン鉄道 Fairbourne Railway の始発駅は、通りの向かいに敷地を構えている。早めに乗車券を買い、施設をひととおり見て回った。鉄道は、ここから砂嘴の先端まで3.2km延びているが、軌間は1フィート1/4インチ(311mm)と、フェスティニオグやタリスリンの約半分だ。機関車はフルサイズ鉄道のそれを縮小して造られていて、分類としてはミニチュア鉄道(鉄道模型)になるそうだ。英語では Ridable miniature railway、つまり人が乗れる鉄道模型だ。

しかし、駅構内は立派に駅の要件を満たしている。並行する3本の線路に沿って、管理棟らしき長い建物が2棟建つ。中は切符売り場を兼ねた売店があり、その奥は本物(?)の鉄道模型のレイアウトスペースだ。建物の裏を覗くと、整備工場と留置線が見えた。小さな待合所だけのカンブリア線の駅とは、比べものにならない。ただ、なぜか客用のトイレはなくて、駅前の公衆トイレを案内された。旅客営業しているというより、趣味で動かしている鉄道だけれど乗ってもいいよ、というスタンスかもしれない。

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ミニチュア鉄道とはいえ、整備された構内をもつフェアボーン駅
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フェアボーン駅 (左)機回し用側線が分岐 (右)奥はヤードと機関庫につながる

ちょうど前の列車が帰ってきたところだった。牽いていたのは、759のナンバーをつけた「ヨー Yeo」号、デヴォン州リントン・アンド・バーンスタプル鉄道 Lynton and Barnstaple Railway の同名の機関車のハーフサイズモデルだ(下注)。1978年製で、後述するように、フランスの廃止線から移籍してきた。どれだけ小さいかを実感するには、下の写真を見ていただくのが一番だろう。

*注 ヨーは、バーンスタプルを流れる川の名。

つないでいる客車は7両で、コンパートメントの箱型車両の間に、オープンタイプの屋根付きが1両、屋根なしが1両挟まっている。席は、当然そこから埋まっていく。ベンチシートは大人なら2人しか掛けられない狭さなので、現地の人たちは大きな身体を折り曲げて、かろうじて車内に納まる。

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車両の小ささを実感 (左)機関車「ヨー Yeo」号 (右)箱型客車

フェアボーン鉄道は、もともと1895年に、2フィート(610mm)軌間で造られている。フェアボーンの村を造る建築資材の運搬が敷設の目的だったが、まもなくフェリー乗り場へ行く観光客を乗せるようになった。1916年には、観光開発に専念するため、1フィート3インチ=15インチ(381mm)の蒸気鉄道に改軌された。所有者は何度か替わり、1940年にはいったん運行休止となっている。

第二次世界大戦を挟んで、鉄道は、実業家ジョン・ウィルキンズ John Wilkins により1947年に再開された。1960~70年代初期にはリゾート客の人気を集めて、利用者数がピークに達したものの、その後、実績が落ち込む。1984年には、エラートン家 Ellerton family に売却された。

ジョン・エラートン John Ellerton は、鉄道を立て直すために思いきった梃入れを図った。フェアボーンの駅舎を新設するとともに、機関車も一新しようと、ブルターニュのレゾー・ゲルレダン観光鉄道 Réseau Guerlédan Chemin de Fer Touristique の余剰機関車を調達した。この鉄道は、メーターゲージ線の廃線跡を利用して1978年に開業したのだが、資金不足で翌年あっけなく休止となり、新製間もない機関車の引取り先が求められていたのだ。軌間が1フィート1/4インチ=12インチ1/4(311mm)だったため、フェアボーンではそれに合わせる改軌工事が行われた。代わりに、働く場をなくした1フィート3インチ軌間の機関車のほとんどが、世界各地に放出された。

しかし、エラートン時代も長くは続かず、1995年にトニー・アトキンソン教授 Professor Tony Atkinson らが新たなオーナーに就任した。それ以降、機関車の信頼性を高め、線路の状態を改良するために、相当額の資金が投じられた。2011年に彼が亡くなったため、鉄道はまたも拠り所を失ったが、スタッフの削減や寄付の奨励によって、何とか今まで運行が続けられている。

線路が延びているのは、マウザッハ川 Afon Mawddach の三角江を閉ざすように延びる砂嘴の上だ。それ自体はただの砂山なのだが、先端のペンリン・ポイント Penrhyn Point からカンブリア線の名橋、バーマス鉄橋 Barmouth Bridge が正面に見える。また、そこに発着するフェリーを使って、対岸にある人気の観光地バーマス Barmouth へ渡ることもできる。単純に往復するもよし、旅に変化をつけるパーツにするもよし、愛好家はもとより、一般旅行者も十分楽しめる保存鉄道なのだ。

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フェアボーン鉄道(赤で表示)と周辺の鉄道網

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フェアボーン鉄道沿線の地形図
1マイル1インチ(1:63,360)地形図 116 Dolgellau 1953年版 に加筆

後の列車で来た家族と合流して、次の列車に乗り込んだ。機関車は「シェルパ Sherpa」号だ(冒頭写真の機関車)。レゾー・ゲルレダンから来た蒸気機関車の1両で、ブルーの塗装を含めてダージリン・ヒマラヤ鉄道のB形タンク機関車をモデルにしている。ただし、運転士の載るスペースからテンダーにかけては追加仕様だ。

15時40分、定刻に発車した。駅構内を抜けると、まずはビーチ・ロード Beach Road に沿う直線路を進んでいき、海岸に突き当たって右に折れる。そこが最初の停留所ビーチ・ホールト Beach Halt で、駅名が示すように、目の前に護岸堤防がある。その形から「ドラゴンの歯」と呼ばれるコンクリートの固まりの列は、第二次世界大戦中に造られた対戦車ブロックだ。

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バーマス・フェリー駅に向けて出発
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ビーチ・ロードに沿う直線路へ
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(左)最初の停留所ビーチ・ホールト
(右)大戦の記憶をとどめるコンクリートブロックの列「ドラゴンの歯」(カンブリア線車窓から撮影)

短いルートながら、途中に4か所の停留所があり、列車は律儀に停まっていく。次は9ホールのゴルフ場の最寄りとなるゴルフ・ホールト Golf Halt だ。駅名標に、アングルジー島の有名な世界一長い駅名(下注)よりも長い副駅名が記されているので注目したい。 "Gorsafawddachaidraigodanheddogleddollonpenrhynareurdraethceredigion"、全部で67文字ある。ウェールズ語の意味は、「カーディガン湾の黄金の浜の上のペンリン・ロードの北の平和な地にあるマウザッハ駅とそのドラゴン」、ドラゴンとはもちろん先述のドラゴンの歯のことだ。

*注 ノース・ウェールズ・コースト線のスランヴァイルプール Llanfairpwll 駅、正式名は、"Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch"(58文字)

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(左)67文字の副駅名が添えられたゴルフ・ホールトの駅名標
(右)砂嘴に広がるゴルフコース
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(参考)スランヴァイルプール駅の駅名標(2007年撮影)

続いてはループ・ホールト Loop Halt 。ループはパッシング・ループ passing loop(待避線)のことで、ここで列車交換がある。地図上ではずっと海岸線を走るように読めるが、海側は草の生えた砂の丘が終始続き、列車から大海原は見えない。逆に内陸側では、このあたりから砂嘴が細まってきて、潮の引いた三角江とそれを横断するバーマス鉄橋の眺望がどんどん開けていく。

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(左)ループ・ホールトで列車交換 (右)右手にバーマス鉄橋が見えてくる

最後の停留所はエスチュエリー・ホールト Estuary Halt 、エスチュエリーは三角江を意味する。一般道路はここが終端となり、先に進める乗り物は列車だけだ。

カルバートの短いトンネルを抜けて右カーブし、次いで左に大きく回り込みながら、列車は停止した。終点バーマス・フェリー駅に到着だ。客が全員降りると、さっそく機関車を前後付け替える機回し作業が始まった。線路は本来バルーンループになっていて、機回しの必要がなかったのだが、現在ループの合流部は閉鎖され、飛砂に埋もれかけている。

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(左)終点バーマス・フェリー駅に到着 (右)さっそく機回しが始まる
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バーマス・フェリー駅全景

右手、砂浜の向こうに、長さ699mのカンブリア線バーマス鉄橋が延びる(下注)。真正面で500mほどしか離れていないので、あまりに長く、カメラもパノラマモードでなければ全貌を写し取ることは不可能だ。今は干潮なので北端の水路を残してほとんど砂に覆われているが、潮が満ちてくれば海に浮かぶ橋になるのだろう。眺めていたら、南からちょうど列車が渡ってきた。

*注 バーマス鉄橋については、本ブログ「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」も参照。

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バーマス・フェリー駅から見たバーマス鉄橋のパノラマ
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カンブリア線の列車が渡ってくる
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バーマス鉄橋側から見た、フェアボーン鉄道が走る砂嘴とバーマス・フェリー駅舎(中央の建物、満潮時に撮影)

対岸との間を結ぶバーマス・フェリーが、目の前の浜辺でこちらへ渡ってきた客を降ろしている。フェリーと言っても、クルマを積込むような船を想像してはいけない。実態はふつうのモーターボートを使った渡し舟だ。潮位が高いときは、町の護岸の下まで行ってくれるのだが、干潮の今は、突堤の海側の砂浜が船着き場になっている。ボートは砂に乗り上げるようにして止まり、鉤のような道具を舟先に引っ掛けて踏み板が渡される。客は、船頭氏に手を添えてもらって乗り降りする。チップほどの運賃を渡して、私たちもボートに乗り込んだ。

天気予報が言っていたとおり、昼過ぎから薄雲が出始め、3時ごろには日差しも途切れて、空全体が雲に覆われた。その分、海風が涼しい。乗船時間はものの数分だが、到着した地点から町まで、砂の上を延々歩かなくてはならなかった。

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バーマス・フェリー(渡し舟)で対岸へ

バーマスの町はよく賑わっていた。山と海と三角江に臨むシチュエーションは、かのワーズワースも賞賛したと言われ、今もなおカーディガン湾屈指のレジャースポットだ。行列ができていた店で買ってきたフィッシュ・アンド・チップスを、川沿いのテラスでほおばる。

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こじゃれた雰囲気をもつバーマス市街

家内たちがささやかなショッピングを楽しんでいる間、私は町はずれの高みまで行って、バーマス鉄橋の再俯瞰を試みた。列車はさきほど通ったばかりなので、主なき構図になってしまうのは承知の上だ。夕方というのに、鉄橋に併設されているフットパスを、人がけっこうぞろぞろと歩いている。

18時のプスヘリ Pwllheli 行きで帰るべく、カンブリア線のバーマス駅まで移動した。山側にある本来の駅舎はすでに閉まっていて、海側のホームへ廻れと案内が出ている。列車交換がないので、夕方以降は片側のホームを使用していないようだ。レジャー帰りのにぎやかな人たちに混じって、私たちも鉄橋のほうからやって来た気動車の客になった。

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マウザッハ川の三角江を横断するバーマス鉄橋
「ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線」に使用した写真を再掲
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カンブリア線バーマス駅、駅舎はすでに閉まっていた

次回はさらに南下して、アベリストウィスの鋼索軌道(ケーブルカー)に乗る。

■参考サイト
フェアボーン鉄道 http://www.fairbournerailway.com/
バーマス観光案内(公式サイト)http://barmouth-wales.co.uk/

本稿は、「ウェールズ海岸-地図と鉄道の旅」『等高線s』No.13、コンターサークルs、2016に加筆し、写真、地図を追加したものである。

★本ブログ内の関連記事
 ウェールズの鉄道を訪ねて-カンブリア線
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I
 ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 II
 ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道

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